広島市のHP(2019年12月25日閲覧)にみる平和行政の枠組みhttp://www.city.hiroshima.lg.jp/www/genre/1001000002088/index.html
原爆・平和 |
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画像 |
原爆ドーム、平和記念資料館、原爆の子の像、平和記念式典 |
トピックス |
令和元年度 平和関連行事一覧表
平和宣言【令和元年(2019年)】
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広島・長崎の記憶~被爆者からのメッセージ(朝日新聞社) |
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市政全般 |
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平和関係施設調査研究委員会(1984年5月11日設置)宇吹所蔵資料
No. |
年月日 |
資料名 |
形態 |
|
19840511 |
平和関係施設調査研究委員会<設置> |
|
0 |
1989∼ |
平和関係施設調査研究委員会ワーキンググループ |
File |
0-1 |
19891102 |
平和関係施設調査研究委員会・ワーキンググループ合同会議 |
|
|
|
平和関係施設調査研究委員会・ワーキンググループ合同会議資料 |
綴 |
|
資料1 |
平和関係施設調査研究委員会・ワーキンググループ研究員名簿 |
|
|
資料2 |
平和と軍縮に関する国際的な研究機関の設置について-これまでの経緯 |
|
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資料3 |
平和と軍縮に関する国際的な研究機関の広島設置に関する要望・提言の状況 |
|
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資料4 |
平和と軍縮に関する国際的な研究機関の設置年次計画 |
|
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資料5 |
平和と軍縮に関する国際的な研究機関の設置元年度事業計画 |
|
|
資料6 |
平和と軍縮に関する国際的な研究機関の設置元年度事業実施スケジュール |
|
|
資料7 |
平和と軍縮に関する国際的な研究機関の広島設置について-基本構想のたたき台 |
|
|
資料8 |
平和と軍縮に関する国際的な研究機関必要人員数、延床面積 |
|
|
資料9 |
平和と軍縮に関する国際的な研究機関の組織図(案) |
|
0-2 |
198912 |
「平和と軍縮に関する国際的な研究機関」の設置について-基本構想のたたき台(第1次改定分)(平和関係施設調査研究委員会・財団法人広島平和文化センター) |
綴 |
0-3 |
199005 |
「平和と軍縮に関する国際的な研究機関」設置基本構想(案)(平和関係施設調査研究委員会・財団法人広島平和文化センター) |
綴 |
0-4 |
199005 |
「平和と軍縮に関する国際的な研究機関」設置基本構想(案)(平和関係施設調査研究委員会・財団法人広島平和文化センター) |
綴 |
0-5 |
199006 |
「平和と軍縮に関する国際的な研究機関」設置基本構想(平和関係施設調査研究委員会・財団法人広島平和文化センター) |
綴 |
|
|
|
|
|
|
|
|
1 |
19870331 |
国立平和研究所広島設置の構想(案) |
冊子 |
2 |
19910107~ |
平和に関する国際的な研究機関(三菱総合研究所) |
File |
2-1 |
19910107 |
「平和に関する国際的な研究機関」基本計画検討懇談会開催のお知らせ(三菱総合研究所⇒宇吹暁) |
紙 |
2-2 |
19910118 |
第1回基本計画検討懇談会(広島部会資料) |
綴 |
2-3 |
|
「平和に関する国際的な研究機関」設立当初の研究対象の具体例 |
綴 |
2-4 |
|
[ご参考]「「平和に関する国際的な研究機関」設置基本計画策定調査 中間報告用資料(株式会社三菱総合研究所 1990年12月」 |
綴 |
3 |
19910304 |
「平和に関する国際的な研究機関」基本計画検討懇談会開催のお知らせ(三菱総合研究所⇒宇吹暁) |
紙 |
3-1 |
19910315 |
第2回基本計画検討懇談会(広島部会資料) |
綴 |
3-2 |
|
[ご参考]「「平和に関する国際的な研究機関」設置基本計画策定調査報告用資料(株式会社三菱総合研究所 1991年3月」 |
綴 |
4 |
19910331 |
「平和に関する国際的な研究機関」設置基本計画策定調査報告書(株式会社三菱総合研究所) |
冊子 |
5 |
19910331 |
同上 <要約版> |
冊子 |
6 |
19910331 |
「平和に関する国際的な研究機関」の設置について(市長室) |
File |
|
|
|
|
広島平和文化センター刊行物一覧(宇吹所蔵)
発行年月日 |
書名 |
備考 |
19770331 |
平和の推進(昭和51年版) |
|
|
1983(昭和58年版)、
1988(昭和63年版)~1997年版(平成8年度事業) |
19771220 |
ヒロシマ・原爆・平和 |
平和教育冊子No.1 |
|
広島平和文化センター編刊・渓水社(発行所) |
19780720 |
ヒロシマ読本 |
小堺吉光著 |
19790320 |
平和 国家・核・教育 |
平和教育冊子No.2 |
19821120 |
国際連合の話 |
桑原輝路著 平和冊子No.4 |
19840331 |
軍備と軍縮の歴史 |
山田浩著 平和冊子No.5 |
19851025 |
平和事典 |
勁草書房(発行所) |
19880331 |
原爆被爆者は訴える 被爆証言集 |
平和冊子No.6 |
|
煙石二三枝 犠牲者の遺骨の前で読経
川本義隆 人間らしく生きる世界を
小松キクエ 未だ骨もないわが娘を思う
小松清興 アウシュビッツとヒロシマがだぶる
笹村弘志 運動場に蚊帳を吊って子どもの世話を
高橋昭博 「ヒロシマ」で生きることの意味を問う
寺前妙子 苦悩を越えて強く生きよう
松重美人 生き地獄にシャッターが切れず
松原美代子 讃美歌で心の安らぎを
山岡ミチコ 米国で27回の手術を受ける
山根力男 課員全員が死亡する上原敏子 外国人の原爆被害について |
19910930 |
平和研究入門 |
松尾雅著 平和冊子No.7 |
19920325 |
平和記念式典の歩み |
宇吹暁著 平和冊子No.8 |
19930331 |
平和学を創る 構想・歴史・課題 |
岡本三夫著 平和図書No.9 |
19940331 |
ソ連・ロシアと世界平和 |
岩田賢司著 平和図書No.10 |
19950331 |
東欧の歴史と民族問題 |
林忠行著 平和図書No.11 |
19960331 |
開発と貧困-豊かさの中の貧しさと、貧しさの中の豊かさと |
竹内常善著 平和図書No.12 |
19970331 |
軍縮への道 1995年版・国連軍縮年鑑 |
国際連合著 石栗勉訳 |
19970331 |
(財)広島平和文化センター20年誌―センターの歩み |
19980331 |
冷戦後の世界と米中関係 |
中逵啓示著 平和図書No.13 |
19980331 |
国際社会と人権 |
水上千之著 平和図書No.14 |
19990331 |
哲学の21世紀-ヒロシマからの第一歩 |
嘉指信雄著 平和図書No.15 |
19990331 |
平和と交流 |
1998年版(平成9年度事業) |
|
~ 2006年版(平成17年度事業) |
|
|
|
ひろしま平和の歩み(広島平和文化センター編・刊、19680801) 目次
|
|
執筆者 |
|
序 |
山田節男(広島市長) |
|
まえがき |
「平和の歩み」編集委員会 |
|
改訂版19730806発行。以下の目次・情報は改訂版 |
|
資料提供のための座談会出席者=伊藤正子、大原三八雄、河本一郎、金井利博、桑原英昭、谷本清、升川貴志栄。その他の協力者=浜崎左髪子、増田勉、浜野千穂子。 |
1 |
原爆被災救援の活動 |
庄野直美 |
|
被爆直後の応急措置
隣接の各地から 救援隊
一〇日後でも死体散乱
救援者も放射能の犠牲に
すばやかった科学者の活動
内外からの救援金
ケロイドの治療
広島原対協の発足
原対協の事業の内容
市が被爆者調査の試み
医師の治療活動の開始
全国的な救援活動
生活救護への道開く
被爆者による救済活動
原爆被害者の会
大きな運動の流れの中へ
広島県原爆被害者団体協議会
日本原水爆被害者団体協議会
統一を貫く日本被団協
医療法は一三回改正
被爆者特別措置法の制定 |
|
2 |
原爆孤児・孤老の救済活動 |
今堀誠二 |
|
投げ出された孤児・孤老
涙の記憶しかない兄弟たち
あらゆる悲境に耐える
広島子どもを守る会
新しいおかあさんができた
石井好子やダークダックスも
家族四人が全滅した子
浮浪者となった少年
一〇歳の少女の受難
学童疎開から帰ってみると
連帯のいとぐちをつかむ
あゆみグループの誕生
中野教授夫妻が親がわり
被爆の体験を訴えて歩く
諸外国からも激励の人々
さまざまの困難にぶつかる
日常の中から平和をめざす
全市民の支援の中で |
|
3 |
平和祭のあゆみ |
今堀誠二 |
|
二二年に第一回の平和祭
慈仙寺鼻で平和宣言
マッカーサーもメッセージ
全世界に反響を呼ぶ
爆音にかき消された第二回平和祭
占領軍の禁止命令
過去帳の奉納始まる
ビキニ被災で盛りあがる
三〇年から全国に式典中継 |
|
4 |
平和記念施設の歴史 |
今堀誠二 |
|
広島市民と七つの川
永久平和めざす丹下構想
平和大学
平和図書館の夢も
平和都市建設法が実現
迷える霊の供養塔
ハニワの家を型どった慰霊碑
ヒロシマの焦点原爆資料館
狭くなってきた記念館・公会堂
新生広島の百メートル道路
国民運動でドームを保存 |
|
5 |
外国人による活動 |
庄野直美 |
|
ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」
平和請願一〇万人運動
原爆孤児精神養子運動
ヒロシマ・ピースセンターの活動
原爆乙女をアメリカで治療
シュモー・ハウスを一九戸建設
ドイツから平和の鐘
仏人モーリス氏の「広島憩いの家」
ヨット「フェニックス号」と広島
ベトナム人への支援も
レイノルズ夫人と世界平和巡礼
ウ・タント総長に白書を要望
ワールド・フレンドシップ・センター |
|
6 |
世界連帯の活動 |
小谷鶴次 |
|
戦争そのものの絶滅を
国連加盟への市民運動
二六年に国連協会県本部
加盟後の普及活動
アウシュヴィッツとの連帯へ
七万キロを平和行進
三八年にアウシュヴィッツ委
世界連邦運動の展開
二四年に連邦運動スタート
二七年に世界連邦アジア会談
市民の意志で「広島宣言」
海外にも大きな反響
一〇万人署名をもとに平和都市宣言
戦争放棄の精神を決議
「世界連邦」の県宣言
西日本大会ではドーム保存支持
サーバス友の会
市民代表の欧州訪問 |
|
7 |
文化・報道関係の活動 |
小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美 |
|
「中国文化」で原爆特集
栗原貞子の「生ましめん哉」
壊滅した中国新聞の再刊
正田篠枝の「さんげ」
原民喜・大田洋子の作品
押収された「ピカドン」
峠三吉の反戦運動
若い画家たちと平和美術展
ガリ版刷りの「原爆詩集」
映画「原爆の子」作成
日本ペンクラブも平和宣言
続々と被爆体験記
若い作家らの活躍
「広島の詩」が海外に反響
平和の原点を考える
さらに体験の発掘へ |
|
8 |
原爆被災・平和問題に関する研究活動 |
小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美 |
|
直後の医学者の活動
専門家による療養方針
プレスコードで資料手放す
悪条件下でも研究続く
ABCCの調査活動
講和とともに発表の活発化
広島の科学者の自主研究
市の機関も研究を助成
三六年に広島原爆医療史
自然科学の原爆白書
広大原医研が活動開始
社会科学の研究活動
国際平和の諸研究から
広島大学に平和問題研
学生グループの活動
二八年に「広島大学人の会」
被爆者の心理・生活の調査
「談話会」の発足と活動 |
|
9 |
民間団体の初期における諸活動 |
今堀誠二 |
|
二四年に平和擁護の第一声
ストックホルムアピールの反響
文化団体も活躍
朝鮮戦争下も続く
原爆被害者団体の結成
宗教団体も独自の活動
努力の積み重ねに期待 |
|
10 |
市民による特殊な平和活動 |
庄野直美 |
|
原爆体験記を発刊
原爆の子友の会の活躍
原爆の子の像
これはぼくらの叫びです
折鶴の会が発足
現在も活動
原水禁広島母の会
会誌「ひろしまの河」発行
運動の分裂が与えた影響
談話会の発足
原爆白書運動の胎動
政府による白書製作を提言
平和七人委も強く要望
日本学術会議も起つ
白書をすすめる市民の会
胎内被爆者を守る「きのこ会」
ベトナム戦傷孤児の救援
さまざまの市民運動 |
|
11 |
原水爆禁止三団体をめぐる動き |
庄野直美 |
|
ビキニ被災事件
反核の叫び全国に広がる
広島の婦人の動き
国家保障を求める決議
東京杉並の婦人たち
下から支えられた運動
重さ一二五キロの署名簿
原水禁広島県協議会
原水禁世界大会の発想
中央と広島の運動の相違点
広島は原体験から出発
第一回原水禁世界大会
場外にあふれる参加者
歴史的な広島アピール
右翼団体の妨害も
広く具体的な運動へ
被爆者援護の方向へ
平和行進も始まる
安保問題で離脱騒ぎ
第一回目の分裂起きる
第二回目の分裂起きる
広島県民の使命訴える
被爆者援護の請願続く
第九回大会は県原水協が運営
超党派の市民運動も進む |
|
|
―平和の歩み― 年表 |
|
|
執筆者: 小谷鶴次、今堀誠二、庄野直美 |
|
世界平和連帯都市市長会議 1982年6月24日発足
2001年8月5日、「世界平和連帯都市市長会議」から「平和市長会議」に、2013年8月6日に「平和首長会議」に名称変更。
平和問題調査会=広島市長の諮問機関。1981年5月14日設置。
回 |
開催年月日 |
議題など |
01 |
19810514 |
①委員長の選出②会の名称、構成メンバー、事務局の決定③昭和56年会議開催計画等について説明④基本的問題と事業計画一軍縮シンポジウムの開催/市民講座・特別講演会の開催/国際的平和研究機関の誘致 |
02 |
19810724 |
パルメ委員会の東京招致及び広島ワークショップについて |
03 |
19810907 |
①パルメ委員会及びワークショップの開催について一東京、広島での準備状況 |
04 |
19811130 |
①パルメ委員会を迎え、ジャパンワークショップ東京、広島セッション開催の事前検討について |
05 |
19820128 |
①パルメ委員会ジャパンワークショップの結果報告並びに今後の対策について |
06 |
19820223 |
①第2回国連軍縮特別総会への対応策について―ワーキンダ・グループの検討結果報告 |
07 |
19820517 |
①第2回国連軍縮特別総会に対する広島・長崎両市の対応について |
08 |
19820702 |
①第2回国連軍縮特別総会の報告②パルメ委員会最終報告書に基づいた平和、安全保障と軍縮に関する東京セミナーについて |
09 |
19821001 |
①平和と安全保障と軍縮に関する東京セミナーの開催について一パルメ委員会報告を受けて |
10 |
19840217 |
①国連大学主催東京セミナーについて②広島市が行う平和推進活動について |
11 |
19820218 |
①第1回世界平和連帯都市市長会議(広島市・長崎市主催)について②東京セミナーについて |
12 |
19870319 |
①第1回世界平和連帯都市市長会議の報告②昭和61年は国際平和年に当たり、この取組みとして、国際平和サミット、平和シンポジウム等の実施計画を説明。 |
13 |
19880318 |
①国際平和年事業の報告②被爆42周年への取組み③世界平和都市連帯推進事業④国連大学・国連大学協力関係プロジェクト |
14 |
19880216 |
①国連大学学長及び各委員紹介②昭和62年度実施事業報告③昭和63年度平和推進事業説明④6か国首脳会議帰国報告⑤第3回国連軍縮特別総会(広島・長崎両市長出席)へ向けての提言 |
15 |
19890217 |
①昭和63年度実施事業②平成元年度実施事業③第3回国連軍縮特別総会への出席④国連軍縮広島講演会の開催⑤第9回核戦争防止国際医師会議世界大会の開催⑥第2回世界平和連帯都市市長会議⑦平和・軍縮研究機関の設置構想案 |
16 |
19900222 |
①平成元年度主要平和関連事業実施状況②平成2年度主要平和関連事業計画案の概要③「平和に関する国際的な研究機関」の設置について |
17 |
19911112 |
①広島市の平和の取組み②新委員を含む委員の自己紹介及び意見交換。 |
18 |
19921204 |
①広島市の平和の取組み概要②国連軍縮広島会議の報告③第3回世界平和連帯都市市長会議の検討④アジアにおける広島の役割⑤被爆50周年記念事業 |
19 |
19931202 |
①「広島市の平和行政」について①原爆ドームの「世界遺産一覧表」への登録について③「第3回世界平和連帯都市市長会議」の報告④広島市の平和の取組み概要 |
20 |
19941219 |
①被爆50周年を迎えての広島市の平和への取組み①米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館における特別展③国際司法裁判所における核兵器使用の違法性の審理①原爆ドームの「世界遺産一覧表」への登録⑤|世界平和連帯都市市長会議アジア太平洋地域会議⑤広島市の平和の取組み概要 |
21 |
19950329 |
①アメリカ社会における核廃絶の認識を高める方途について |
22 |
19960321 |
①被爆50周年以後の平和行政について。広島市平和問題調査会は、この会合を以て解散した。 |
『広島平和文化センター20年誌』(19970331刊) |
第1部 国際連合訪問の状況(日程順)
1976年11月 |
25日 |
ワシントン到着 |
26日 |
日本大使館を表敬訪問
米国務省軍縮局を訪問
国立公文書館を訪問
ウイリアム・ペン・ハウスで平和の集いを開催 |
27日 |
アーリントン墓地参拝
米国科学者連盟事務所を訪問
ウイルミントン到着
ウイルミントン大学学長主催夕食会に出席 |
28日 |
ウイルミントン市長主催朝食会に出席
ヒロシマ・ナガサキ記念文庫を訪問
ニューヨーク到着 |
29日 |
日本代表部を訪問
国連広報担当事務次長補を訪問
クリスチャン・センターを訪問
オーストラリア代表部を訪問 |
30日 |
カナダ代表部を訪問
フランス代表部を訪問
アメリカ代表部を訪問 |
1976年12月 |
1日 |
ワルトハイム国連事務総長と会見
イギリス代表部を訪問
内外新聞記者団と会見
イスラエル代表部を訪問
アメラシンゲ国連総会議長と会見
ニューヨーク市長を表敬訪問
赤谷次長補主催のレセプションに出席
ノーマン・カズンズ氏と懇談 |
2日 |
ソビエト代表部を訪問
インド代表部を訪問
東ドイツ代表部を訪問
西ドイツ代表部を訪問
日本協会主催のレセプションに出席 |
3日 |
ニュージーランド代表部を訪問
ノルウェー代表部を訪問
国連第1委員会(軍縮)を傍聴 |
4日 |
訪問10日目に休養日 |
5日 |
ロサンゼルス空港到着
広島・長崎両県人会主祭歓迎夕食会に出席、在米被爆者と懇談 |
6日 |
ロサンゼルス市長を訪問
大内会長ら、被爆者と医療相談
ロサンゼルス市議会を訪問
日本総領事官を訪問
シティー・ビュー病院を訪問
ロス郡医師会の昼食会に出席
日系老人ホームを視察 |
7日 |
ロサンゼルス郡参事会で発言
内外記者会見で両市長共同声明
トーマス・野口事務所を訪問
ロサンゼルス発
サンフランシスコ着
広島・長崎両県人会主催歓迎会に出席 |
8日 |
サンフランシスコ市長を訪問
オークランド=ベイ地区を見学広島・長崎両市長主催夕食会開催 |
9日 |
サンフランシスコ発、東京へ |
10日 |
東京羽田着 |
12日 |
荒木広島市長、慰霊碑に帰国報告 |
13日 |
諸谷長崎市長、記念像に帰国報告 |
出典:『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』(著者:広島市・長崎市編、 刊 19770331 )
『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』広島市・長崎市編 、刊、19770331)
部 |
事項 |
|
|
国連訪問を終えて |
|
1 |
国際連合訪問の状況(日程順)<詳細リンク> |
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|
|
2 |
国連事務総長への要請・要望事項および原爆被害の実態に関する資料 |
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|
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3 |
国際連合訪問の経緯 |
|
|
概要 |
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|
1975年8月1日~1976年11月25日 |
|
|
編集後記 |
|
『大使の平和メッセージ-21世紀を平和な時代に』(広島市市民局国際平和推進部平和推進担当編・刊、19990801 )
はじめに
本年8月6日の平和記念日に向けて、私は、126名の各国駐日大使の方々に「平和のメッセージ」の送付を要請いたしました。
これは、各国を代表している大使の皆様によりヒロシマに関心を持っていただき、世界平和都市連帯の推進など平和の取組みを進めているヒロシマに対する理解を深めていただくとともに、ヒロシマと各国の架け橋となっていただくことを期待し、要請したものです。
このたび43名の大使の方から、各国の平和の取組みや大使自身の平和への思い、ヒロシマヘの思い、21世紀への平和の誓いなどを内容とするメッセージをいただくことができました。
メッセージをお寄せいただいた大使の皆様に深く感謝申し上げます。
紛争の相次ぐ今日、民族や政治体制の異なる各国の大使に、この機会に平和に思いを馳せながらメッセージを作成していただくことは、そのこと自体有意義であり、
また、そのメッセージは多くの人々に読まれることにより一層意義を増すものと考えます。
御来場の皆様には、大使からのメッセージや広島市内の小学生20名が平和への思いを込めて書いた作文に触れていただくことにより、平和への思いをより一層強めていただければ幸いです。
私としても、今回の取組みが国境を越えた連帯の輪を広げ、来る21世紀を「核兵器のない、平和な時代」にしていくための第一歩となることを期待しております。
終わりに、重ねて大使の皆様をはじめ関係者の皆様に感謝の意を表します。
平成11 (1999)年8月1日
広島市長 秋葉忠利
各国駐日大使への平和メッセージの要請について
1趣旨
現在、核保有国による核軍縮は遅々として進まず、核兵器の廃絶への道筋を見い出すことができないまま21世紀を迎えようとしており、また、ユーゴスラビアのコソボ自治州をめぐる問題も.平和的解決に向けて事態が動きだしたが、依然として根本的な解決には克服すべき課題も多く残されている。
平和な世界の実現を求める願いは、政治、文化、宗教、民族などの違いを超えて人類共通のものであり、ヒロシマとしても、こうした願いを結集し、国境を越えた連帯の輪を広げることにより、来る21世紀を「平和の世紀」にしていくための努力を行っていきたいと考えている。そのための取り組みの一つとして、各国駐日大使特命全権大使等に平和のメッセージを寄せていただくよう依頼したものである。
2依頼先
各国駐日大使館特命全権大使、臨時代理大使 126名
3依頼日
平成11(1999)年6月11日(金)
4メッセージ送付数 43通
(地域別内訳)
●アジア州 14か国
イスラエル国、イラン・イスラム共和国、インド、インドネシア共和国、オマーン国、カンボジア王国、シリア・
アラプ共和国、シンガポール共和国、、タイ王国、トルコ共和国、パキスタン・イスラム共和国、フィリピン共和国、
ブルネイ・ダルサラー厶国、マレイシア
●大洋州 2か国
オーストラリア、フィジー共和国
●アフリカ州 6か国
ウガンダ共和国、エジプト・アラブ共和国、ギニア共和国、ザンビア共和国、ボツワナ共和国、モザンビーク共和国、
●ヨーロッパ州 11か国
アイルランド.イタリア共和国、オランダ王国、クロアチア共和国、スイス連邦、スウz一デン王国.スペイン国、
チェコ共和国、フィンランド共和国、ルーマニア.ユーゴスラビア連邦共和国、
●NIS諸国(エストニア、ラトビア、リトアニアを除く旧ソ連の新独立国) 3か国
ウズベキスタン共和国、カザフスタン共和国、べラルーシ共和国、
●北アメリカ州 3か国
コスタ・リカ共和国、ミーカ共共和国、メキシコ合衆国
●南アメリカ州 5か国
アルゼンチン共和国、エクアドル共和国、コロンビ共和国ア、ブラジル連邦共和国、ペルー共和国
駐日大使の平和メッセージ(1999年)
平和な世界の実現を求める願いは、政治、文化、宗教、民族などの違いを超えた人類共通のものです。こうした願いを結集し、来たる21世紀を「平和の世紀」にしていくための取組みの一つとして、各国駐日大使へ平和メッセージの寄稿を呼びかけました。これに応えて、48か国の駐日大使から寄せられたメッセージを平成11年8月1日から31日まで平和記念資料館で展示しました。
また、8月6日に、メッセージを寄せたユーゴスラビア、コスタ・リカ、ベラルーシ、カンボジアの4か国の大使らを広島に招き、当夜、原爆ドーム前で平和メッセージを読み上げていただきました。これにより市民の平和への関心を高め、広島と各国との平和と友好の連帯の絆を深めることができました。
『平和と交流2000年版(平成11年度事業)』(財団法人広島平和文化センター、20010209)
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。