「特集 広島に聞く・広島を聞く」<インタビュー: 浅井 基文>(『広島平和研究所ニューズレター』)
回 |
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巻号・発行年月 |
1 |
広島は疲れている(舟橋喜惠・広島大学名誉教授) |
8-3・200603 |
2 |
言行一致こそヒロシマの心(平岡敬・前広島市長) |
9-1・200607 |
3 |
被団協50年――回顧と展望(坪井直・広島県原爆被害者団体協議会理事長) |
9-2・200611 |
4 |
差別ではなく共生を(李実根・在日本朝鮮人被爆者連絡協議会会長) |
9-2・200703 |
5 |
被爆者は私の教育者(鎌田七男・広島原爆被爆者援護事業団理事長/広島原爆養護ホーム倉掛のぞみ園園長) |
10-1・200707 |
6 |
ゲンは怒っている(中沢啓治・漫画家) |
10-2・200711 |
7 |
もう一つの被団協(金子一士・広島県原爆被害者団体協議会理事長) |
10-3・200803 |
8 |
きのこ会と原爆投下質問(秋信利彦・元中国放送記者) |
11-1・200807 |
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<2008年3月号 金子一士氏『もう一つの被団協』への見解と回答>
心外だが、すべてを未来のために(坪井直)
金子一士氏と浅井基文氏への一言(森瀧健一郎)
確認とお詫び(金子一士)
回答(浅井基文) |
11-1・200807 |
9 |
前・廿日市市長 平和と岩国を語る(山下三郎・広島県社会福祉協議会会長/前廿日市市長) |
11-2・200811 |
10 |
詩人・御庄博巳と医師・丸屋 博(丸屋博・広島共立病院名誉院長) |
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11 |
児童文学作家・那須正幹氏の目線における広島(那須正幹・児童文学作家) |
12-1・200907 |
12 |
原爆症認定訴訟の画期的意義と残された問題(渡辺力人・原爆認定証を求める集団訴訟を支援する県民会議事務局長) |
12-2・200911 |
13 |
被爆・占領下の広島を語り残す(大村英幸氏・広島青年文化連盟初代委員長) |
12-3・201003 |
14 |
広島原水禁活動40年をふり返る(横原由紀夫・元原水爆禁止広島県協議会事務局長) |
13-1・201007 |
15 |
原水禁第9回世界大会を回顧する(北西允・広島大学名誉教授) |
13-2・201011 |
16 |
反核平和運動に生きて(佐藤光雄・日本平和委員会代表理事) |
13-3・201103 |
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止
『平和の推進』(広島平和文化センター、19710331)
内容
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頁 |
見出し |
備考 |
02 |
まえがき(広島市長 山田節男、19710331) |
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03 |
平和運動の推進 |
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1基本方針 |
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2事業推進の体系 |
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04 |
3平和精神の確立 |
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05 |
平和文化施設の整備 |
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06 |
平和文化推進審議会 |
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1 平和を推進する指針緒作成 |
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(1)「平和の歩み」 |
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(2)平和と教育「ヒロシマの証言」 |
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(3)映画「ヒロシマ・原爆の記録」 |
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07 |
2 原爆被災者の究明 |
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(1)原爆被災全体像調査 |
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(2)原爆被災資料保存の要請 |
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08 |
(3)ABCCについて |
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3 平和祈念式典について |
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(1)式典 |
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(2)平和宣言 |
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4 国際平和会議の開催 |
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09 |
5 国際文化会館の構想について |
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6 平和記念施設の整備について |
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7 平和文化団体の提携 |
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平和文化推進審議会委員名簿 |
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10 |
ヒロシマをすべての人の心に |
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平和文化図書の発刊/原爆記録映画の制作・公開/原爆死没者の調査/原爆死没者名簿公開 |
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22 |
ひとりひとりの心に平和の砦を |
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平和文化市民講座/平和を語る市民集会/原爆被災全体像調査のための市民集会/文化活動 |
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43 |
世界平和への道 |
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平和宣言 |
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世界連邦運動 |
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国際文化会館(仮称)の建設 |
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53 |
平和文化センターの歩み |
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57 |
資料 |
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止
広島県名誉県民 出典:広島県名誉県民 – 顕彰 | 広島県 (hiroshima.lg.jp)
氏名 |
氏名よみ |
生、没年月 |
事績 |
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井伏 鱒二 |
いぶせ・ますじ |
平成5年7月10日 逝去 |
小説家。代表作に「黒い雨」。昭和41年 文化勲章受章 |
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灘尾 弘吉 |
なだお・ひろきち |
明治32年12月21日佐伯郡大柿町生まれ。平成6年1月22日 逝去 |
昭和27年から31年間にわたり,衆議院議員として活躍。この間,文部大臣(6回),厚生大臣(1回)を歴任,また,昭和54年には第61代衆議院議長に就任。全国社会福祉協議会会長として社会福祉の充実に努める。 |
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織田 幹雄 |
おだ・みきお |
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奥田 元宋 |
おくだ・げんそう |
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圓鍔 勝三 |
えんつば・かつぞう |
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岡田 善雄 |
おかだ・よしお |
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平山 郁夫 |
ひらやま・いくお |
昭和5年6月15日豊田郡瀬戸田町生まれ。平成21年12月2日 逝去。 |
日本画家。仏教を主題にした幻想的な作風を確立し,シルクロードシリーズなどの連作で日本画壇に清新の境地を開拓するとともに,アンコール遺跡をはじめとする世界各地の文化遺産の保護活動に尽力。代表作に「仏教伝来」「入涅槃幻想」「広島生変図」「祇園精舎」など。平成10年 文化勲章受章 |
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阿川 弘之 |
あがわ・ひろゆき |
平成27年8月3日 逝去 |
小説家。代表作に「春の城」「雲の墓標」「山本五十六」「志賀直哉」など。平成11年 文化勲章受章。 |
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井口 洋夫 |
いのくち・ひろお |
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新藤 兼人 |
しんどう・かねと |
明治45年4月22日広島市生まれ。平成24年5月29日 逝去 |
シナリオ作家・映画監督。
代表作に「原爆の子」「裸の島」「竹山ひとり旅」「午後の遺言状」「三文役者」など |
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宮澤 喜一 |
みやざわ・きいち |
大正8年10月8日生まれ。平成19年6月28日逝去 |
昭和28年参議院議員に初当選,昭和42年からは衆議院議員として連続12回当選。この間,内閣総理大臣をはじめ,大蔵大臣,経済企画庁長官などの要職を歴任するなど,50年にわたり,国政をリード。政治・経済・外交の指導者として,わが国の繁栄と世界平和の推進に努める |
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三宅 一生 |
みやけ・いっせい |
昭和13年4月22日広島市に生まれる。(平成22年12月16日顕彰) |
衣服デザイナー。
平面である布と立体としての身体との関係を独自の眼で捉え直し,「一枚の布」という画期的な衣服づくりの概念を世界に広めた。長年にわたり常に第一線でファッション界をリードするとともに,日本のみならず世界各地で活躍し,国際的にも高い評価を獲得している。
平成22年 文化勲章受章 |
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止
広島平和文化センター主催「長崎原爆犠牲者慰霊の会」2003年~<作業中>
回 |
年 |
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1 |
2003 |
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2 |
2004 |
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3 |
2005 |
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4 |
2006 |
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5 |
2007 |
|
6 |
2008 |
|
7 |
2009 |
|
8 |
2010 |
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9 |
2011 |
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10 |
2012 |
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11 |
2013 |
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12 |
2014 |
会場:原爆資料館。参列者約50人 |
13 |
2015 |
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14 |
2016 |
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15 |
2017 |
会場:原爆資料館。参列者約100人 |
16 |
2018 |
会場:原爆資料館。参列者約30人 |
17 |
2019 |
会場:原爆資料館。参列者約100人 |
18 |
2020 |
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2021 |
新型コロナウィルス感染拡大のため中止 |
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2022 |
会場:原爆資料館。参列者約50人 |
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止
長崎被爆者団体一覧表
団 体 の 名称等 |
設 立 年 月 |
主 な 事 業 内 容 |
長崎原爆被災者協議会(一般財団法人) |
19560623設立
19630529財団法として認可
20140401一般財団法人として認可
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・「ふたたび被爆者をつくらせない」ために核兵器廃絶
の実現をめざす
・日本政府に「核兵器禁止条約」の批准を求める
・国家補償の被爆者援護法をめざす
・戦争に反対し、平和な世界の実現をめざす
・原爆被害の実相を国の内外へ伝える
・「原発ゼロとエネルギー政策の転換」を求める
・「被爆体験者」への支援をおこなう
・被爆2世、3世の対策の強化をはかる |
長崎原爆遺族会 |
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・原子爆弾被爆の実相の継承
・核兵器廃絶に適う世界平和実現へ。核ゼロにするた
め、世界の人々の役に立つ知見の共有化を求めて、努
力する。
・被爆者への援護施策の改善と相談・支援・絆の強化。
・原爆死没者の遺族や二・三世、体験者、在外被爆者等
への対策の確立。
・あの日と未来のために!原爆遺構の世界遺産登録に他
の団体と協力、努力する。 |
長崎県被爆者手帳友の会 |
19670618 |
・国家補償の原則を求め、被爆者援護法の充実
・被爆者の相互扶助・親睦を図り、明るい市民生活を促
進
・被爆者の社会的、経済的地位の確立
・被爆二世、三世対策の強化
・被爆「体験者」の支援
・核兵器廃絶、恒久平和実現のための国際交流 |
長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会 |
19750129 |
・被爆者援護法の国家補償法への改正
・被爆者医療援護、生活補償の拡充
・原爆症認定、在外被爆者、「被爆体験者」など被爆者
問題の抜本的解決
・被爆二・三世対策の確立
・「核兵器禁止条約」の締結、核廃絶、脱原発(省エネ
を基本に、自然エネルギーを基幹エネルギーへ)
・反戦・平和・護憲、人権と民主主義の確立
・安保法制の廃止、立憲主義の回復 |
長崎県被爆者手帳友愛会 |
1979 |
・核兵器廃絶と世界平和の確立
・拡大地域の処遇の改善要求(12km以内の未指定地域を
被爆地域に)
・被爆者援護法を国家補償の精神に基づいた援護法に
・被爆二世の健康診断の充実(ガン検診の実施を)
・被爆した親の影響を受けて発病したものと思われる病
気については被爆者と同等の取り扱いをすること
・被爆認定の距離的条件を撤廃 |
長崎原爆被爆者の会 |
200004 |
・高齢化する被爆者援護の充実
・核廃絶と世界平和の実現
・被爆者の社会的、経済的地位の確立
・被爆二世定期健診の充実と施策強化
・被爆者の相互扶助と親睦 |
長崎県原爆被爆者島原半島
連合会 |
199705 |
・核兵器廃絶と世界平和の確立
・被爆者援護法の充実強化
・被爆者の保健・医療・福祉の充実
・被爆実態の調査研究と啓発活動の促進
・被爆者のための文化向上と生活相談
・被爆二・三世の定期健診の法制化と医療費の国庫負担 |
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出典:長崎市│原爆被爆者対策事業概要 (nagasaki.lg.jp)
止
年表:灯ろう流し
年 月日 |
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1947 |
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0714 |
広島市内の日蓮門下寺院8ケ寺の僧侶13人と広島立正婦人協会員1、000人が中 島本町慈仙寺鼻の供養塔で臨川大施我鬼法要を執行。供養塔での読経終了後、3隻 の発動機船に分乗し、本川の三篠橋から播磨橋の間を往復、原爆犠牲者の戒名・ 俗名などをしたためた経木を川に流して、水供養をおこなう。48年7月31日、51年 7月11日にも執行。 |
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47年8月5日、広島県宗教連盟が、慈仙寺鼻河畔から慰霊船を元安川に出して、川供養。 |
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1948 |
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0806 |
広島市的場大通商店街が的場町太陽館前広場に「法界万霊戦死者供養塔」を 建て、法要を執行、午後7時から猿こう川で川施我鬼を催し、とうろう流し。 |
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1950 |
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0806 |
中国商店街連合会、とうろう流し。以後毎年実施(「中国新聞」56年8月5日) |
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1952 |
ひろしま川祭委員会 |
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広島市・市教委・市観光協会・広島商工会議所・FK・国際文化協会・中国新聞社が、「原爆犠牲者の霊を慰めるとともに大衆への慰安をも併せ行い、春の広島まつりとともに広島の二大年中行事」にしようと結成(「中国新聞」1952年7月23日) |
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第1回52年8月9-10日。
9日、供養塔前と本川橋側水上で花火大会
相生橋河畔で9日夜の満潮時に2、000燈のとうろう流し
10日、原爆ドーム前元安川で水上音楽会 |
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0806 |
午後9時から、本川青年団が今年も相生橋下でとうろう400個を流す。 |
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1953 |
ひろしま川祭委員会 |
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第2回53年8月8日。
6-8日夜の満潮時に元安川と本川で2、000燈のとうろう流し
8日、水上音楽会と花火 |
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1954 |
ひろしま川祭委員会 |
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第3回54年8月7-8日。7つの川で午後7時半からとうろう流し。2万個。
中部地区=6-8日、大仏殿前元安川河畔、2、000灯
横川地区=7-8日、横川橋下、700灯
己斐地区=6-7日、己斐橋、1、000灯
十日市地区=6日、本川小学校横河畔、300灯
鷹野橋地区=6日、明治橋下、700灯
駅前地区=6-7日、駅前橋下北側、800灯
段原地区=7日、大正橋下、300灯
6日、5、000個のとうろう
8日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
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0806 |
午後8時から、世界平和広島仏舎利塔建設会・広島大仏奉賛会が元安川原爆ドー ム前で5000個のとうろう流し。 |
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0806 |
本願寺広島別院、水上法要と流灯会を行う。56年も。 |
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1955 |
ひろしま川祭委員会 |
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第4回55年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。1万個。
6日、8、000個のとうろう
7日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
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1956 |
ひろしま川祭委員会 |
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第5回56年8月6-7日。7つの川(10か所)で午後8時からとうろう流し。1万2,000個。
6日、10、000個のとうろう
7日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
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1957 |
ひろしま川祭委員会 |
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第6回57年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。
6日、15、000個のとうろう
相生橋・広島駅前橋・荒神橋・稲荷橋・大正橋西詰・京橋・明治橋・横川橋・己 斐橋・本川小学校裏
7日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
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1959 |
ひろしま川祭委員会 |
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第9回60年8月6-7日。7つの川(11か所)で午後9時40分満潮時からとうろう流し。
6日、1万個のとうろう
広島駅前橋・稲荷橋・大正橋・京橋・元安橋・本川小学校・横川橋・観音橋・明 治橋・己斐橋・県貯木場(吉島)
7日、平和記念公園・市公会堂南側で慰霊花火大会 |
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1960 |
ひろしま川祭委員会 |
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第10回61年8月6-7日。
6日、6つの川でとうろう流し。 |
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0806 |
広島県宗教連盟が、初めて本川で2、000個のとうろう流し |
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1962 |
ひろしま川祭委員会 |
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第11回62年8月6-7日。
6日、6つの川(11か所)で1万個のとうろう流し。
7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会
11-12日、市民球場で盆おどり大会 |
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1963 |
ひろしま川祭委員会 |
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第12回63年8月6-7日。
6日、6つの川(11か所)で1万2、000個のとうろう流し。
7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会 |
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1964 |
ひろしま川祭委員会 |
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第13回64年8月6日。
6日、川(10か所)で1万1、000個のとうろう流し。 |
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1965 |
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0807 |
広島市・中国新聞社など共催とうろう流し
(雨のため6日の予定を延期)市内10か所。約1万1、000個 |
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0814 |
広島広島悲願の会とうろう流し
(雨のため6日の予定を延期)元安川と本川。約1万個
太田川夏祭=盆踊大会と花火大会 |
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1973 |
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0806 |
5か所、広島祭委員会は12,000個を用意。後始末が大変なため、この年は本川など3 つの川で姿を消す。 |
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1976 |
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0806 |
とうろう流し。花火大会。市政と市民では初紹介。 |
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環境問題で流す数を制限され、昨年より5,000個少ない1万個を用意 |
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止
とうろう流し(8月6日、とうろう流し実行委員会主催)
実施状況 場所:原爆ドーム対岸 元安川浸水テラス
年 |
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1973 |
とうろう流し。約1万2000個。 |
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2005 |
とうろう流し。 |
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2009 |
とうろう流し。約9000個。 |
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2010 |
とうろう流し。約1万個。 |
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2012 |
とうろう流し。約1万個。 |
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2013 |
とうろう流し。約1万個。 |
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2014 |
とうろう流し。約9000個。 |
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2015 |
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市民約70人、「広島 愛の川」合唱(初回) |
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2016 |
ピースメッセージとうろう流し |
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2017 |
とうろう流し。約1万個。 |
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2018 |
ピースメッセージとうろう流し |
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2019 |
原爆ドーム前の元安川などで「とうろう流し」。約7000個の灯籠。 |
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2020 |
新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠17個を川に浮かべる。 |
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2021 |
新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠12個を川に浮かべる。 |
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止
広島県原爆被害者団体協議会陳情書(市長宛、1970年6月16日)
昭和四十五年六月十六日
広島市長
山田 節男 殿
広島市大手町四丁目五番六号
広島県原爆被害者団体協議会
理事長 滝滝 市郎
事務局長 檜垣 益人
陳情書
人類史上空前の原爆悲劇からはやくも四半世紀の歳月をけみし、被爆二十五周年の八月六日を迎えようとしています。
毎年の八・六式典についての市民の声、特には生存被爆者や遺家族のつぶやきに耳を傾けて下さいまして、今年の被爆二十五周年の式典に於てこそは、被爆生存者や遺家族が生きてゆく勇気と希望を与えられ、被爆死没者の犠牲が人類の救いとして決してむだとならぬために、少くとも次の事項につき改善乃至新企画をして下さいますよう要請いたします。
一、平和宣言の内容には、原爆死没者の犠牲が少くともこの二十五年間の原爆不使用の大きな因であり、日本の平和と繁栄もこの犠牲の上になりたっていることも、更めて確認され、戦争なきひとつの世界へ向かっての大いなる警鐘と不動の礎石として、決してむだにしないことを誓うという内容がもりこまれること。
一、右と関連して広島市当局自ら原爆死没者遺家族の援護に尽すとともに、政府・国会に対しては、原爆遺家族援護や原爆傷害者に対する補償的援護施策が行なわれるよう、先頭に立って促進することを誓う旨をもりこむこと。
但し、この頂は平和宣言の内容としてでなくても、市長の別の八・六声明としてでも行われたいこと。
一、平和式典の祝辞の代読はこれを止め、出席本人が読むもののみに限られたいこと。形式的代読の空しさは多年の市民のつぶやきであり、今年こそは勇断をもって、このつぶやきを聞きいれていただきたいこと。
一、平和宣言が市長によって読みあげられるだけに止らず、これに応えて市民代表が決意表明を行なうように企画されたいこと。(この場合、市民代表は青年又は被爆者が望ましい。)
このための時間は代読廃止等によってセイブされる時間が充てられるならば式典に一層真実がこもって来るものと思われます。
一、会場の被爆者席には市内在住の認定被爆者だけが招待されるのでなく、被爆者並びに遺家族なら誰でも先着順に坐れるように改善されたいこと。
一、平和の歌は会場の全員が合唱できるようにあらかじめ普及・練習の方途を講ぜられたいこと。
一、尚、八月六日~九日を国際停戦デーとすることの提唱。八月六日八時十五分の一分間黙祷が全国的・全世界的に行なわれることの提唱、これと関連して八時十五分を中心とする式典がテレビ宇宙中継されるようにとの要望などは、私たちの団体も深く賛意を表し、その実現を強く望むものであります。
右、被爆二十五周年にふさわしい画期的意義ある式典となりますよう切に陳情申し上げるものであります。
『タブーへの挑戦ー本島(長崎市長)発言に市民は…』(言論の自由を求める長崎市民の会編・刊、19890815)
内容
頁 |
項目 |
備考 |
001 |
刊行にあたって(岩松繁俊) |
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009 |
呼びかけ人から寄せられた手紙 |
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026 |
座談会(言論の自由を求める市民の会)「本島発言の波紋―市民の会の4か月」 1989年5月1日 |
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高實康稔・ |
041 |
37万署名に添えられた手紙(永田正俊編) |
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074 |
本島市長の”叫び”(中野清) |
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078 |
天皇報道と言論の自由に関する声明 ~2・24~ 大喪の礼を前にして |
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1989年2月20日 長崎マスコミ文化共闘会議(長崎新聞労組、日放労長崎分会、長崎放送労組・テレビ長崎労組) |
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079 |
「大喪の礼」報道に関する要請 |
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1989年2月10日 長崎マスコミ文化共闘会議(長崎新聞労組、日放労長崎分会、長崎放送労組・テレビ長崎労組) |
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080 |
2・24 長崎 自由に語ろう天皇制 -おんなの井戸端会議- |
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市民有志131人と「市民週間」/「市民の会」結成と第2次署名運動/初の街頭署名と集約作業/自由に語ろう天皇制/「大喪の礼」当日のマラソン集会/大嘗祭までは活動を!?/署名を本島市長に提出 |
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ドキュメント”市民の会”(宮川淑子) |
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本島発言をめぐる経過(文責 三岳寛之) |
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1988年12月7日~ 1989年04月28日 |
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あとがき |
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止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。