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1945年(昭和20年) |
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8月 6日 |
午前8時15分、広島市に原子(ウラン)爆弾投下される |
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8月 9日 |
午前11時2分、長崎市に原子(プルトニウム)爆弾投下される。 |
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8月15日 |
正午、「終戦詔書」放送。 |
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9月 9日 |
広島県警察部、戦災行方不明者の取り扱いについて通達。空襲後、2週間たっても行方不明の者は死亡と認める。 |
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9月19日 |
GHQ,プレスコードを指令。以後、「原爆報道」が激減。 |
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11月17日 |
広島市、原爆による死亡者の遺骨の引き渡し事務を一旦打ち切り(収容遺骨約9,000柱のうち約3,000柱が引き取らる)。 |
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11月30日 |
広島県、原子爆弾による人的被害をまとめる(軍関係を除く)。死者7万8,150人。12月 6日 広島市、保管していた氏名住所不明の原爆死亡者の遺骨約6,000柱を、市内善法寺へ移す。 |
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1946年(昭和21年) |
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4月29日 広島市、戦災供養塔の建設案決定。場所・爆心地の中島慈仙寺鼻、予算75万円、広島市戦災死没者供養会をつくり建設費の寄付を募るなど。7月 -日 広島市、爆心地の慈仙寺鼻に戦災礼拝堂を建設。工費7万3,600円。
8月 5日 平和復興広島市民大会、元護国神社前で開催。7,000人参加。広島市、市内8か所 で、原子爆弾症医療無料相談所開設(~7日)。 |
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8月 6日 広島市で、戦災死没者一周年追悼法会(広島市、各宗連盟県支部、広島市戦災死没者供養会共催)。 |
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5月22日 |
広島市の戦災死没者遺骨収容大供養週間(広島市、市戦災死没者供養会、広島県仏教連合会、広島市町会連盟主催)始まる。26日まで各町内会で遺骨収容。 |
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5月26日 |
広島市慈仙寺で戦災供養塔開眼法要。27日、同寺で戦災供養法会(広島市戦災死没者供養会主催)。 |
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7月31日 |
広島市の引き取り手のない原爆死没者遺骨4,500柱(戦災死没者遺骨収容大供養週間中に発掘・収容した2,300柱と市が保管中の2,200柱)、市内善法寺に安置。 |
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8月 6日 |
戦災供養塔納骨堂に合祀。 |
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1947年(昭和22年) |
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4月17日 浜井信三、広島市長に就任。
5月 3日 日本国憲法施行。
6月20日 広島平和祭協会設立の打ち合せ会を広島商工会議所で開催。役員など決定。
7月18日 寺田広島市議会議長、GHQに陳情。GHQ,平和祭へ関心を示す。
7月22日 広島平和祭協会、募集していた「平和の歌」(重園贇雄作詩)、爆心地慈仙寺鼻広場(「平和広場」)、護国神社前広場(「市民広場」)の名称の入選作品を発表。
8月 1日 日本医療団広島県中央病院、「平和祭診断会」を開始(7日まで)。
8月 1日 広島逓信局、原爆2周年記念スタンプを捺印(~15日)。
8月 3日 マッカッサーの特使田上寛中尉、浜井広島市長にメッセージを手交。
8月 5日 広島宗教連盟、慰霊船を元安川に出して川供養を執行。 |
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8月 6日 |
平和祭式典(第1回)、広島市の平和広場で開催。平和塔を除幕。NHK広島中央放送局(FK)、平和祭式典を実況中継。 |
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1948年(昭和23年) |
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5月 -日 広島市土木課、爆心地慈仙寺鼻中島公園を文化的平和的理想記念公園とするため、設計図を公募することを計画。
6月14日 広島市平和祭協会、48年度第1回総会を開催。協会名を平和協会と改称。
8月 5日 広島平和祭協会、平和美術展覧会を袋町小学校で開催(~14日) |
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8月 6日 |
平和祭式典(第2回)、広島市の平和広場で開催。英連邦軍総司令官ロバートソン中将、クロワード広島軍政部長、濠州国会議員団8名、森戸文部大臣などが参列。
〇 浜井広島市長、世界160都市市長宛にメッセージを送付。
〇約1,000名の花行進、慈仙寺鼻戦災供養塔前を出発、八丁堀、本通り、市庁舎前と行進。
〇 広島平和協会、NHK「世界の音楽」公開演奏会を広島児童文化会館で開催。
〇 日本宗教連盟広島県支部・広島市戦災死没者供養会、中島戦災供養塔前と似島供養塔前で慰霊祭を執行。似島での慰霊祭は初。 |
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8月 8日 広島平和協会、広島こども会を児童文化会館で開催。
8月 9日 長崎市、文化祭式典(初)を浦上原爆基点地で開催。 |
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1949年(昭和24年) |
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5月11日 広島平和記念都市建設法と長崎国際文化都市建設法、成立。それぞれ住民投票を経て8月6日、9日公布。
8月 1日 広島市(広島平和協会)の平和祭行事始まる。原爆写真公開展覧会(1-10日 中国新聞社ホール)、浮世絵展覧会(3ー16日、福屋百貨店)、平和音楽会(6-7日、児童文化会館)、平和子供会(8日、児童文化会館)。
8月 4日 広島市、平和祭ポスターと式典招待状を全国の都道府県知事、268市長、県内全市町村に発送。
8月 5日 第3回マッカッサー元帥杯競技大会、広島中央運動庭球場、公民館で開催。
8月 5日 広島銅合金鋳造会寄贈の「平和の鐘」、市民広場の鐘楼に設置。 |
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8月 6日 平和祭式典(第3回)、市民広場(児童文化会館前)で開催。約3,000人が参列。
8月 6日 平和婦人大会、児童文化会館で開催。1,000余名が参加。
8月 6日 浜井広島市長と仁都栗市議会議長、連名でトルーマン大統領にメッセージを送付。 |
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1950年(昭和25年) |
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3月19日 平和擁護世界大会常任委員会第3回総会、ストックホルム・アピールを採択。
5月 -日 広島戦災供養会結成。広島市内数か所に納骨してある原爆死没者無縁仏遺骨を一
堂に納骨する納骨堂建設、戦災死没者名簿の作成を計画。
6月25日 朝鮮戦争始まる。
8月 2日 広島平和協会、緊急常任委員会を開催。平和祭を中止することを決定。
8月 6日 広島市内2か所で非合法の平和集会開催される。
11月 8日 広島戦災供養会、広島市内に分散仮葬してある戦災者の遺骨を一か所に集めた新
納骨供養塔建設の請願書を広島市長に提出。 |
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1951年(昭和26年) |
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5月10日 広島市中島本町の平和塔の撤去作業開始。
5月 -日 広島市調査課、原爆死没者名簿作成のため死没者調査を実施。
8月06日 中島戦災供養塔前で慰霊祭と平和記念式典を挙行。中国新聞社、米空軍岩国基地の要請で、朝鮮動乱に50回以上出撃したパイロット20数名を慰霊祭に招待。
9月 9日 対日講和条約調印。
10月19日 広島県遺族厚生連盟、第1回戦没者合同慰霊祭を広島市児童文化会館前広場で開催。約1万5,000名が参加。
11月14 日 広島市、強制作業中の原爆犠牲者12万8,000人の靖国神社合祀と、遺族を戦争遺家 族援護の対象に入れるよう国会請願展開。広島市議会議員ら、参院遺家族等援護 小委員会で請願の主旨説明(15日には衆院)。 |
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1952年(昭和27年) |
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4月28日 対日講和条約発効。
8月 6日 広島市慰霊式並びに平和記念式典(以下、広島市平和式典と略称)。平和記念 公園で原爆死没者慰霊碑除幕、原爆死没者名簿(過去帳)奉納。約1,000名参列。
8月 9日 ひろしま川祭(第1回)(~10日)。 |
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1953年(昭和28年) |
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8月 6日 広島市平和式典。約3,000人が参列。市長らによる原爆死没者慰霊碑への「花輪奉呈」実施(初)。読売、朝日、中国各社の専用機、式典会場に花束を投下。
ひろしま川祭委員会、元安川と本川で2,000個のとうろう流しを実施(~8日)。 |
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1954年(昭和29年) |
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3月 1日 米、南太平洋マーシャル群島で水爆実験。マグロ漁船第五福龍丸、ビキニ環礁東方110キロメートルで「死の灰」を浴びる。
8月 6日 広島市平和式典。高松宮夫妻出席。2万人参列。「遺族代表」が「花輪奉呈」(初)。中国地方競翔部、「平和宣言」終了と同時に式典会場で鳩700羽を放つ。原・水爆禁止広島県民運動連絡本部、式典終了後、原爆・水爆禁止広島平和大会を平和記念広場で開催。約2万名が参加。
9月 4日 広島市、世界の主要都市市98、平和団体29、計127か所へ平和宣言を発送。モスクワ、スターリングラード、北京など共産圏へは初めての13通を含む。 |
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1955年(昭和30年) |
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4月30日 広島市長選挙。渡辺忠雄当選。
5月30日 広島平和記念館落成式。
8月 5日 広島戦災供養会、慈仙寺鼻で原爆供養塔の落成式を挙行。
8月 5日 広島平和美術展(第1回)、平和記念館で開催(~8日)。
8月 6日 広島市平和式典。5万人参列。
8月 6日 原水爆禁止世界大会(第1回)、広島市で開催(~8日)。
8月24日 広島平和記念資料館開館。 |
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1956年(昭和31年) |
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5月 1日 広島市、平和宣言への海外の反響をまとめる。発送数141通(うち共産圏16通)、返書238通(うち共産圏82通)。
8月 6日 広島市平和式典。2万人参列。 |
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1957年(昭和32年) |
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4月 1日 原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行。
8月 3日 原爆死没者慰霊碑周辺の「平和の池」、贈呈除幕式。
8月 6日 広島市平和式典。三笠宮夫妻出席。2万人参列。「原爆乙女」が「平和の鐘」を点打。 |
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1958年(昭和33年) |
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8月 6日 広島市平和式典。高松宮夫妻出席。3万人参列。 |
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1959年(昭和34年) |
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7月 -日 広島県宗教連盟、8月6日に各戸に弔旗を掲げ、静かに死没者の冥福を祈る運動を展開することを申し合わせる。
8月 5日 第5回原水爆禁止世界大会、広島市で開催(~7日)。
8月 6日 広島市平和式典。3万人参列。 |
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1960年(昭和35年) |
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1月21日 広島県議会議長、市議会議長に「8月6日に県・市合同の原爆死没者慰霊祭を開きたい」と申し入れる。
7月23日 広島県・市、平和式典への参列を呼びかけるポスター5,000枚とチラシ5万枚を全国各都道府県、県内市町村、団体へ送付。県内各市町村に当日8時15分にサイレン、鐘を鳴らすよう要請。
7月29日 全日自労広島分会、広島県に慰霊式がお祭り騒ぎにならないよう申し入れる。
8月 4日 線香リレー、府中市役所(東部コース)と庄原市役所(北部コース)を出発。
8月 6日 広島県・市共催、平和式典。皇太子、中山マサ厚生大臣、清瀬衆議院議長、各政党代表など参列。約4万人が参列。
8月 6日 原爆15周年記念総合体育大会、広島市内の22会場で開催 (~7日)。 |
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1961年(昭和36年) |
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8月 6日 広島市平和式典、小雨の中(初)で開催。約3万人が参列。「被爆者代表」が「献花」(初)。 |
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1962年(昭和37年) |
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8月 6日 広島市平和式典。約3万人が参列。 |
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1963年(昭和38年) |
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8月 5日 第9回原水爆禁止世界大会、広島市で開催。
8月 6日 広島市平和式典。約3万人が参列。「平和の鐘」点打の役を「被爆者」から「遺族」に代わる。
8月17日 広島県原爆被爆者援護対策協議会、広島市原爆被爆者協議会など11団体代表、県庁で原水爆禁止世界大会の批判会を開催。今後8月6日を中心とした5日間の平和公園や公共施設の平和団体への貸付は慎重にと県・市に申し入れることを決定。
8月21日 広島市遺族会、県社会福祉協議会、県婦連など12団体、県知事に、原水禁大会を公共施設から締め出すよう申し入れる。 |
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1964年(昭和39年) |
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3月23日 広島県議会、原爆記念日を祈りの日にするとの意見書を採択。
6月 5日 広島市、平和記念日を中心とした3日間は平和記念公園の原爆死没者慰霊碑前広場を一般団体の集会に使わせない方針を決定。
6月13日 広島県原爆被爆者対策協議会(平塩五男会長)のよびかけで原水禁運動、被爆者、 婦人団体の代表者会議を県庁で開催。8月6日に全県民で黙祷を行なうことを申し 合わせる。
7月24日 永野広島県知事、8月6日に全県民が黙祷するよう呼びかける(初)。
8月 1日 平和の灯点灯式。
8月 6日 広島市平和式典。小雨の中、約3万5,000人が参列。 |
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1965年(昭和40年) |
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6月23日 浜井広島市長、平和式典への首相の出席を要請することを明らかにする。
8月 6日 広島市平和式典。橋本内閣官房長官が首相代理で出席。約3万人が参列。(台風 15号の影響) |
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1966年(昭和41年) |
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8月 6日 広島市平和式典。約3万人が参列。 |
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1967年(昭和42年) |
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4月28日 広島市長選挙。山田節男当選。
8月 6日 広島市、平和式典。3万5,000人が参列。「平和の鐘」に香取正彦寄贈の鐘が初めて使用される。 |
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1968年(昭和43年) |
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5月20日 原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律公布。
5月27日 広島市平和文化推進審議会(67年12月発足)、5回目の会合を開催。平和記念式典のあり方をめぐり意見交換。
6月24日 広島市、平和式典に原水禁団体や世界連邦運動団体の代表を招待すると発表。
6月25日 広島市、平和式典の実施要綱を決定。「平和祈念式」と名称変更。式典会場に被爆者席を特設。
7月20日 広島市、原爆罹災者名簿の一般公開を広島平和記念館で実施(-8月5日)(初)。
8月 5日 広島市、第1回「平和を語る市民の集い」、「平和への夕べ」音楽会(第1回)を開催。
8月 6日 広島市、平和式典を挙行。約4万人が参列。ローマ法王パウロ6世がメッセージを寄せる。会場に被爆者席300席を特設、式の開始時に「慰霊の曲」、献花時に「礼拝の曲」を演奏(初)。 |
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1969年(昭和44年) |
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8月 6日 広島市平和式典。約4万9,000人が参列。韓国居留民団広島県本部の婦人約30人、 チョゴリ姿で平和式典に初参列。広島ベ平連、広島市の平和式典終了後、平和記念公園でフォーク反戦集会を開催。
8月 6日 8・6広島反戦集会、広島大学本部構内で開催。約300人参加。午後6時過ぎから約1,500人が平和記念公園へ向けてデモ。 |
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1970年(昭和45年) |
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6月16日 広島県被団協(森滝理事長)、広島市に平和式典のあり方の大幅修正を申し入れ。
6月18日 広島市、平和文化推進審議会を開催。平和宣言について意見聴取。
7月18日 広島市、8・6式典に一般市民代表50人の流れ献花を加える。南北朝鮮から一人ずつ参加を求める。
7月28日 広島市公衆衛生推進協議会、平和記念公園を一斉清掃(初)。
8月 6日 広島市平和式典。約5万人が参列。RCC,宇宙衛星で国際中継放映。
8月 6日 原爆記録映画「ヒロシマ・原爆の記録」、一般公開。 |
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1971年(昭和46年) |
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5月11日 佐藤首相、広島市の平和式典に参列するむねを表明。
7月 5日 被爆者青年同盟代表、首相の8・6出席は許せないと広島市に申し入れ。
7月13日 原水禁国民会議、佐藤首相あての核問題についての公開質問状を竹下官房長官に手渡す。式典終了までに回答を求める。
7月 -日 長崎市、原爆犠牲者慰霊祭と平和祈念式を分離して実施することを決定。これまでは、原爆慰霊奉賛会と長崎市が合同主催で実施。
7月27日 日本被団協、佐藤首相あての「被爆者問題に関する要望書」を竹下官房長官に手渡す。
7月31日 広島県原水協と県被団協、来広予定の佐藤首相あての被爆者援護強化要望書を広
島市に託す。
8月 4日 広島県警察本部、8・6平和式典警備本部を設置。県警察始まって以来最高の2,700人の制・私服警官を配置の予定。
8月 5日 学生各派、広島駅周辺で佐藤首相来広抗議のデモ。 |
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8月 6日 広島市平和式典。佐藤首相、船田中衆議院議長参列。雨の中、約3万人が参列。佐 藤首相、広島の式典終了後、広島平和記念資料館、原爆被爆者養護ホームを訪問。 広島県知事と広島市長、広島県庁で佐藤首相に被爆者援護対策について陳情。 |
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8月 7日 日本被団協、佐藤首相の広島訪問について被爆者援護策が無いとの声明を発表。
8月21日 広島地検、平和式典で佐藤首相に突進した女子学生を処分保留のまま釈放。 |
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1972年(昭和47年) |
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7月28日 広島市、平和式典の要綱を決定。衆参議長の代読は中止(初)。 |
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8月 6日 広島市平和式典開催。約4万人が参列。長崎市の卜部助役と宮崎市議会議長が公式に参列(初)。1958年以来14年ぶりの静かな一日。 |
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1973年(昭和48年) |
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7月18日 広島県被団協、山田市長に平和式典で若者の誓いを述べさせたいと要望。
8月 6日 広島市平和式典。約4万人が参列。長崎市長、初参列。
8月 6日 埼玉県庁職員、午前9時から原爆被災者の冥福を祈って1分間の黙祷。9日にも。県庁では全国初。
8月 6日 原水爆禁止西宮市協議会の被爆者37人、広島市の平和式典に参列。(初)
8月 9日 長崎市、平和祈念式を挙行。山田広島市長、初参列。約1万1000人が参列。
8月 9日 広島市、長崎原爆被爆時刻にサイレンを鳴らす(初)。 |
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1974年(昭和49年) |
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7月 1日 広島市、平和式典に「献水」を取り入れる方針を決定。
8月 1日 山田広島市長、外国の元首・大統領など首脳に平和宣言を送るよう指示。
8月 1日 広島平和記念館で「市民の描いた原爆の絵」の公開始まる(~6日)。
8月 2日 屋良朝苗沖縄県知事の広島市平和式典への出席が決定。宮沢広島県知事の招待。
8月 5日 田中厚生大臣、広島被爆者団体連絡会議の6人と会見。現職の厚生大臣が広島で被爆者団体の要望を聞くのは初めて。
8月 6日 広島市平和式典。約4万人が参列。 |
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1975年(昭和50年) |
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2月23日 広島市長選挙。荒木武当選。
5月19日 桧垣益人広島県被団協事務局長ら6人、平和式典を被爆者、遺族本位にして欲しいと荒木広島市長に申し入れる。
8月 2日 広島市、平和式典参列者に「平和宣言」文を配布することを決定(初)。
8月 6日 広島県公安委員会と広島市、午前7時から3時間、平和公園前の平和大通り900メー トルを車両通行止めとする。(初)
8月 6日 広島市平和式典。約4万人が参列。ラロック米海軍退役少将など参列。
8月 -日 広島市の平和宣言に対する反響が届く。国外250通のうち108社は報道機関向けで初めての試み。 |
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1976年(昭和51年) |
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8月 6日 広島市平和式典。三木首相、据石和米国原爆被爆者協会副会長など、約4万人列。在米被爆者の代表としては初参加。三木首相、式典終了後15分間広島県庁で被爆者代表5人の声を聞く。
12月 1日 広島・長崎両市長、国連を訪問し、事務総長と総会議長に核兵器廃絶への措置を要請。 |
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1977年(昭和52年) |
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5月14日 広島・長崎両市長、国連事務総長と国連総会議長に平和式典への招請状を発送。31日、国連総会議長の広島・長崎平和式典への参列が決定。
7月 1日 広島平和文化センタ-、理事・評議員の合同会議を開催。平和宣言について討議。
8月 5日 アメラシンゲ国連総会議長、広島市の原爆死没者慰霊碑に参拝、広島平和記念資料館、広島原爆病院を訪問。
8月 6日 広島市平和式典。アメラシンゲ国連総会議長、韓国人原爆被害者協会の被爆者9人、など約5万人が参列。ワルトハイム国連事務総長、メッセージを寄せる。 |
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1978年(昭和53年) |
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7月18日 広島市、平和式典の実施要綱を決定。会場周辺に6台のモニターテレビを設置することを決定。
7月26日 広島県労会議と県労被爆連、県知事と市長に8月6日を祈りの日にするよう申し入れ。
8月 6日 広島市平和式典。約4万人が参列。
8月 6日 広島電鉄と広島バス、原爆投下時刻に市内を走る電車とバスを一斉に止め黙とう。1955-63年に実施し、中断していたのを復活。 |
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1979年(昭和54年) |
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2月20日 広島市、平和式典に各国駐日大使を招請することを決定。
7月16日 広島市、平和式典の内容を決定。原爆投下時刻の黙とうを中国地方全県と愛媛、香川両県に呼びかけることなどを決める。
7月17日 広島県原水禁と県労被爆連、8月6日に全県的に黙とうをし、全国へも呼びかけるよう広島県知事と広島市長に申し入れ。
8月 6日 広島市平和式典。雨の中3万人が参列。 |
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1980年(昭和55年) |
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7月14日 広島市、平和式典の内容を決定。全都道府県に黙とうを呼びかける。
8月 6日 広島市平和式典。雨の中、約3万5,000人が参列。式典が国庫補助(300万円)の対象となる(初)。 |
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1981年(昭和56年) |
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6月 -日 国際軍縮促進議員連盟、広島・長崎の平和式典に代表を出席させることを決定。
6月29日 広島・長崎両市、全国の都道府県・政令市に原爆犠牲者名簿への記載協力要請文書を発送。広島は、前年単独で依頼。
8月 5日 広島市、各国や都道府県に発送している平和宣言に、意見や提言を求める要望文を添える(初)ことを決定。
8月 6日 広島市平和式典。鈴木善幸首相、全国都道府県遺族代表が参列(初)。約4万人が 参列。
8月 6日 平和を語る青年の集いのメンバーら約150人、原爆ドーム横で原爆投下時刻にダイイン。(初)
11月25日 広島市、平和宣言に対するアンケート(前年に続き2回目)の回答を海外33か国の128人から受け取る。 |
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1982年(昭和57年) |
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6月 8日 全国市長会、理事・評議員合同会議で広島・長崎の原爆投下時刻に黙祷を実施することを決定。
7月26日 国際軍縮促進議員連盟、8月6日の広島市平和式典に代表を派遣することを決定。
8月 6日 広島市平和式典。約4万3,000人が参列。非核自治体宣言をした沖縄県北中城村など8市町村の首長、式典に参列。兵庫県被団協のメンバー(18名)、同県費補助で来広し、参列。 |
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1983年(昭和58年) |
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1月20日 広島・長崎両市長、連名で海外23か国72都市に「核兵器廃絶に向けての都市連帯」を呼びかけるメッセージを送付。
5月14日 広島・長崎両市、連名で全国の地方自治体に「原爆死没者の慰霊と平和祈念の黙とう」を呼びかける文書を発送。
7月11日 広島県被団協など4団体、広島県・市に谷川防衛庁長官の平和式典への出席を拒否する意向表明。19日、広島県原水禁、平和式典に出席予定の中曽根首相に公開質 問状を発送。この後も、広島県原水協(21日)、広島被爆者団体連絡会議(27日)、広島県労青年部など(8月2日)の抗議行動が続く。
8月 6日 広島県警、広島市の平和式典開催で2,500人の警察官を動員。過去最高。
8月 6日 広島市平和式典。中曽根康弘首相、谷川和穂防衛庁長官参列。約4万8,000人が参列。
8月 6日 京都府八幡市、「平和の鐘」の録音テープ流し、市民らに原爆投下時刻の黙とうを呼びかける。
12月28日 広島市、市内10か所に平和宣言文のパネル板を設置。 |
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1984年(昭和59年) |
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7月21日 甲府市(1982年に「核兵器廃絶平和都市」宣言)広島市の平和式典に市民代表約50人を派遣することを決定。
7月23日 原爆死没者慰霊碑の改築工事始まる。
8月 6日 広島市平和式典。約4万5,000人が参列。特別名誉市民フロイド・シュモーら参列。
10月 8日 広島市、平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑改築で、仮設慰霊碑の設置工事開始。11月27日、過去帳を仮慰霊碑に移し替え。 |
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1985年(昭和60年) |
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3月26日 広島市の平和記念公園の新原爆死没者慰霊碑、完成し、除幕式。
4月24日 米のCBSテレビ(本社ニューヨーク)、広島市の平和式典を実況中継することが決定。(米へ中継で放送されるのは初)
6月 4日 広島市の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑献花台、取り換えられ、新しく設置。
7月 3日 広島市、原爆供養塔納骨名簿を全国約890の自治体に発送。
8月 5日 第1回世界平和連帯都市市長会議、広島市で開幕(~9日)。
8月 6日 広島市平和式典。約5万5,000人が参列。中曽根首相参列。在外被爆者初めて献花。 |
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1986年(昭和61年) |
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7月10日 奈良市、 8月 6・9日の原爆投下時刻に寺院の鐘をつくよう同市内の寺院に、協力を呼びかけ(初)。
7月12日 広島市、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑の敷石改修工事を開始(21日まで)。
8月 6日 広島市平和式典。約5万人が参列。非核都市宣言自治体連絡協議会代表100人が参 列。
8月 6日 「’86平和サミットinヒロシマ」、広島厚生年金会館で開催。
8月15日 全国戦没者追悼式 (政府主催) 、東京で開催 (約7,900人参列) 。原爆死没者遺族(約90人) 、今年初めて国費で招請され、参加。 |
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1112 |
中曽根前首相の句碑、平和公園に隣接する河岸緑地に建立。 |
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1987年(昭和62年) |
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8月 -日 広島市視力障害者福祉協会、平和式典での広島市長による平和宣言を点訳し、全 国に配布。平和宣言の点訳は初。
8月 6日 広島市平和式典。約5万5,000人参列。中曽根首相、参列(3回目)。
8月 6日 「’87ジャーナリスト国際平和シンポジウム」、広島厚生年金会館で開催。 |
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1988年(昭和63年) |
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8月 6日 KDD、広島市平和式典などを海外に伝えようと、平和記念公園に無料サービスの国際電話(5台)を設置(午前10時-正午まで)。
8月 6日 広島市平和式典。約5万人参列。「ストップ・ザ・戦争への道!ひろしま講座」など市民団体、「朝鮮人被爆者慰霊碑の平和公園内建立」などを訴えたチラシ「市民による平和宣言」を平和式典参加者らに配布。
8月 6日 「’88青年国際平和シンポジウム・イン・ヒロシマ」、広島厚生年金会館で開催。 |
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1989年(平成元年) |
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6月28日 広島市議会、広島市の8・6休日(事務休停日)存続を、国に要望する意見書を採択。同休日は、1947年制定以来、祈りと平和希求の日として定着しており、存続に配慮の要請。
7月 1日 広島国際会議場開館。
8月 5日 第2回世界平和連帯都市市長会議、広島市で開幕(~9日)。
8月 6日 広島市平和式典。約5万5,000人参列)。宇野宗佑首相、参列。 |
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1990年(平成2年) |
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8月 6日 広島市平和式典。約5万5,000人参列。海部首相、参列。広島県・市の在外被爆者招待事業で来広中の被爆者、平和式典に参列。
8月 6日 「’90女性国際平和シンポジウム・イン・ヒロシマ」、広島国際会議場で開催。 |
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1991年(平成3年) |
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2月 3日 広島市長選挙。平岡敬当選。
3月12日 地方自治体独自の休日の認定を盛り込んだ地方自治法改正案、衆院地方行政委員
会で可決。これによって、広島市の8・6休日が法的に認知される。
7月 3日 「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心にむ集会」実行委員会、8月6日の平和式典を、日本の戦争責任への反省を盛り込んだ式にするよう広島市に要望書を提出。
7月13日 広島市、「平和宣言」について市民から聴取した意見の概要を公表。「わかりやすく、平易に」・「アジアに謝罪の言葉を」など。
8月 3日 第7回世界テレビ映像祭、広島国際会議場で開催。(-4日) |
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8月 6日 広島市平和式典。約5万5,000人参列。海部首相、昨夏に次いで2回目の参列。平岡広島市長、平和宣言の中で、アジアへの加害責任を初めて謝罪し、被爆地として世界の核被害者の救援を推進する責務を強調。演奏旅行で来日中のフィンランド のタピオラ少年少女合唱団(39人)、式典の「ひろしま平和の歌」の合唱に参加。合唱団への外国人の参加はハノーバー合唱団に次ぎ2度目。
8月 6日 国際平和シンポジウム、広島国際会議場で開催。
8月 6日 中国新聞社、広島市長が平和宣言でアジアへの謝罪を表明したことについて、平和公園で50人にアンケート調査。それによると、66%が肯定的意見。 |
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1992年(平成4年) |
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1993年(平成5年) |
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1994年(平成6年) |
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1995年(平成7年) |
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1996年(平成8年) |
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1997年(平成8年) |
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2021(令和3)年 |
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0806 |
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00:00 |
地球平和監視時計(広島平和記念資料館内)「広島への原爆投下からの日数 27759」、「最後の核実験からの日数 249<2010年11月の米国未臨界実験>」 |
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06:00 |
原爆ドーム周辺。 |
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静かな8月6日を願う広島市民の会の数十人、「8月6日は慰霊の日静かに祈ろう」と書かれたプラカードを掲げる。 |
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8・6ヒロシマ大行動実行委員会の100人以上、拡声器を使用して集会。 |
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