旧陸軍被服支廠保存・活用方策への提案
(1993.2.1 宇吹 暁委員)
ヒロシマ・ピース・プラザ(広島県平和館)とし、非核自治体宣言に基づく行政施策の中心施設と位置づけ、県民やアジアを中心とした世界の平和情報の受信と発信の機能を持たせる。
[具体的機能]
Ⅰ.広島県近・現代史資料館としての機能
☆原爆被害の実態解明
*原爆被害は、建物疎開作業や救護活動への動員により、県内全般にひ ろがっている。しかし、これらの実態解明は、広島市の努力には限界が あり、県として独自に取り組む意義が存在する。
☆広島県と戦争に関する資料の収集・整理
*広島県編「広島県戦災史」の編さん過程で、県内には多数の軍事関係 の行政資料が残っていることが確認できた。県立文書館と連携をとりな がら、明治以降の兵事資料を中心に収集・保存・整理を行う。
*兵役・戦闘・空襲・銃後に関連する資料は、呉や福山の空襲を記録す る会などにより、展覧会用に一時的に収集されたことはあるが、恒久的 な保存措置は取られていない。県として協力を呼びかけることにより、 多数の団体・個人資料が発掘できるものと思われる。
*「軍都広島」の実態を明らかにするため、防衛庁防衛研修所・13師 団(海田)・入船山記念館(呉)・参考資料館(江田島)・毒ガス資料 館(大久野島)などで収集されている資料の映像化による収集と総括的 なデ-タベースの構築を行う。
Ⅱ.国際交流機能
*海外からの広島訪問者に広島県を紹介する窓口
*海外からの短期の技術研修者・放射線医療研修者の宿泊施設
*留学生と日本の青少年との交流の場
広島県旧陸軍被服支廠保存・活用懇話会
設置:1992(平成4)年8月4日
動向
月 |
日 |
事項 |
1992年 |
03 |
05 |
竹下広島県知事、県議会で旧陸軍被服支廠の保存に前向きの答弁。また、放射線被曝者医療国際協力推進協議会の事業に原爆被爆の実相や「ヒロシマの心」を伝える内容を盛り込む意向を表明。 |
06 |
01? |
広島市の旧陸軍被服支廠の保存・再生案、市民グループによりまとめられる。 |
06 |
29 |
広島市内の市民グループ、被爆した旧陸軍被服支廠の保存・再生案の提案書「赤れんが生きかえれ」を所有者の県に提出。 |
08 |
04 |
広島県、旧陸軍被服支廠保存・活用懇話会を設置。 |
09 |
18 |
広島県、旧陸軍被服支廠保存活用方策懇話会の初会合を開催。現地も視察。 |
11 |
16 |
橋本秀夫広島県建築士会副会長、旧陸軍被服支廠を調査。取り壊しを控え調査を要望。 |
11 |
19 |
原爆遺跡保存運動懇談会、旧陸軍被服支廠の保存・活用方法について、被爆の実相を伝える工夫をするよう広島県知事らに要望書を提出。 |
1993年 |
01 |
12? |
広島県建築物調査・改修協同組合、旧陸軍被服支廠の耐久度調査結果を発表。改修や補強で再利用はOK。 |
02 |
01 |
広島県の「旧陸軍被服支廠保存・活用方策検討委員会」、第3回会合(最終)を開催。 |
04 |
16? |
広島県の「旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会」、会合の意見を報告書にまとめる。 |
08 |
10 |
広島県、被爆建物「旧陸軍被服支廠」の保存活用のための検討委員会を設置することを決め、委員13人の名前を公表。18日、初会合。 |
08 |
18 |
広島県、被爆建物「旧陸軍被服支廠」の保存活用方策検討委員会の初会合を開催。 |
10 |
25? |
土橋春人、旧陸軍被服支廠を明治38年に移した写真を広島市公文書館へ寄贈。 |
1994 |
01 |
31 |
広島県の「被爆50周年記念事業検討委員会」、第3回会合を開催。旧陸軍被服支廠の保存策がまとまらず、年内に報告書をまとめることになる。 |
03 |
03 |
広島県知事、県議会の答弁で被爆50周年の記念事業への取り組みとして旧陸軍被服支廠の活用、戦後50年誌の発刊などをあげる。 |
07 |
19 |
広島県の旧陸軍被服支廠の建物の活用検討委員会、第4回目の会合を開催。 |
12 |
05 |
広島県の戦後50周年記念事業検討委員会、旧陸軍被服支廠の保存・活用策について瀬戸内海文化博物館と音楽芸術センターとするなどの案をまとめる。 |
12 |
12 |
広島県の橋口収戦後50周年記念事業検討委員会座長、旧陸軍被服支廠の保存・活用策についての報告書を藤田県知事に提出。 |
1995年 |
03 |
22 |
原爆遺跡保存運動懇談会、県に旧陸軍被服支廠を被爆資料展示施設として活用を求める要望書を広島県に提出。 |
03 |
31 |
広島大学学生寮「薫風寮」、大学移転に伴い閉鎖。同建物は旧陸軍被服支廠で被爆建物。 |
05 |
03 |
広島市の被爆建物である旧陸軍被服支廠で火事。1階の一部約200平方メートルが焼ける。 |
09 |
13 |
広島県の瀬戸内海文化博物館策定会議の初会合。旧陸軍被服支廠の活用を検討。 |
1996年 |
04 |
03? |
広島県の「瀬戸内内海文化博物館」(被爆建物の旧陸軍被服支廠を利用)構想策定会議、平成7年度中の構想の策定を1年延期。 |
1997年 |
02 |
19? |
広島県、被爆建物「旧陸軍被服支廠」を「瀬戸内海文化博物館」として活用する構想の再検討を計画。耐震補強に巨額の経費が必要なことが判明したため。 |
03 |
27 |
広島県、旧陸軍被服支廠(広島市南区の被爆建物)を活用した瀬戸内文化博物館の基本イメージを発表。 |
12 |
26 |
広島県、被爆建物の旧陸軍被服支廠を「瀬戸内海文化博物館(仮称)」として活用する計画を、県財政の悪化を理由に当分凍結することを明らかにする。 |
1998年 |
02 |
16 |
広島県、1998年度予算案を発表。被爆建物の旧陸軍被服支廠を保存・活用する「瀬戸内文化博物館」計画を休止。 |
08 |
06 |
野外現代美術展「ヒロシマ・アート・ドキュメント98」、広島市の旧陸軍被服支廠などで開催。-20日。 |
旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会一件資料(ファイル1冊)
|
タイトル |
発⇒受 |
年月日 |
備考 |
1 |
旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会運営要綱 |
|
19920901* |
*施行日 |
|
[事務 県民生活部県民課文化振興室] |
|
|
|
2 |
旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会委員名簿 |
|
|
|
|
座長:丸山茂樹(はきもの博物館館長) |
|
委員:宇吹暁()、加藤新()、栗栖武士郎()、佐藤恭子()、嶋津孝之()、浜井澄人()、原田佳子()、藤原隆雄()、山下彰一()、山本定男()、横田工()。 |
|
アドバイザー:矢野暢(京都大学教授) |
3 |
|
|
|
|
4 |
[宇吹メモ]1992.7.28熊田の話〇県内の町村役場を対象とした研修会 古文書(公文書)【中間書庫】、〇中央の出先の官庁文書 国立文書館は中央の省庁のもので精一杯。〇県庁文書 現用→本庁、非現用→文書館、中間の半現用→被服廠 |
5 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
* |
第1回旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会次第 |
|
19920918 |
|
|
|
|
|
|
* |
第2回旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会次第 |
|
19921127 |
|
|
第2回旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会資料 |
|
|
|
* |
第2回旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会の要旨 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
旧陸軍被服支廠保存・活用方策への提案 |
|
199301 |
|
* |
第3回旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会資料 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。