「広島原爆被災白書(地域)」カテゴリーアーカイブ

島外科(原爆爆心地)

島外科(原爆爆心地)

現在:消滅・新築
爆心地からの距離:0メートル
所在地:中区大手町1丁目5-25(細工町)
構造/階数:レンガ造/2階建

米軍撮影写真
島病院の表玄関 崩壊した島病院

参考資料
1.原爆投下目標
2.原爆爆心地(広島)

 

爆心(朝日新聞連載)

『爆心』(朝日新聞(広島版)連載 19850403~0822)

被爆死の空白
1 白い花の記憶 遺骨の中に一輪 手向けの主は呉服商と判明 消えた繁華街・中島 消息不明なお多数
2 小さき骨
3 軍用旅舎
4 天神町北組
5 検校社
6 支社史
7 1/37
8 アイゴー
9 白衣
10 通行人
11 動員学徒
12 68.8キロ
その生活史
1
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3
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40年の歩み
1
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生還
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9 二度とあっちゃいけんこと 9歳の記憶

 

 

原爆爆心地(志水清編)

『原爆爆心地』(志水清編、日本放送出版協会、19690720 )

目次

部章節 見出し 備考
残された都市
プロローグ
広島
1 爆撃禁止令の出ていた広島
(1)アインシュタインよりルーズヴェルトへの書簡 20
(2)マンハッタン計画 22
(3)原爆完成目標-一九四五年八月一日 24
(4)ニュー・メキシコからヒロシマへ
2 戦時下の広島
(1)空襲は何故ないのか? 28
(2)富国強兵と広島 29
(3)爆心地 33
(4)一九四五年八月六
炎の中から 失われたものと残されたもの
炎の中から
1 その朝の爆心地
(1)電話 その一 42
(2)電話 その二 43
(3)横川で 45
(4)牛田で 47
(5)材木町で 47
(6)造船所で 50
(7)疎開先出
2 その日
(1)爆心地「中島」 53
(2)幻の爆心生存者 54
(3)炎の中の中島 55
(4)焼けたニワトリ 57
(5)本川橋 61
(6)爆心に生き残っていた人びと 65
(7)慈仙寺 66
(8)地下足袋が燃える 68
(9)みんなだったんだから… 71
(10)元安橋 その一 73
(11)元安橋 その二 77
(12)火が舞うて… 79
(13)岡山の水蜜桃 82
(14)遡ぼる舟
3 夜を徹して
(1)手記 その一 91
(2)手記 その二 94
(3)落ちていた雑嚢 99
(4)相生橋に泊った人びと
4 夜が明けて-八月七日
(1)「おじさん、キルものはないですか」 104
(2)焼けて女時計 108
(3)三姉妹 113
(4)誓願寺に集まった人たち 116
(5)みんな死んでいた 119
(6)何もかも変わった 122
(7)川の中のわが子の遺体 128
(8)全部の骨を少しずつ 129
(9)ひとりぼっち 130
(10)相生橋・慈仙寺ノ鼻・元安川 131
(11)被爆の実体-調査の経験から-
残された傷跡
1 断絶
(1)断絶の街 144
(2)生き残った人の断絶
2 残された身体の傷
(1)被爆による身体的な後遺障害 153
(2)よくわからない身体障害 156
(3)社会的後遺障害 160
(4)被爆者のおかれている状況 162
(5)さまざまな被災調査
広島の空白から広島の復元へ
―鎮魂から平和原点への道のり
広島の空白
1 爆心の空白
(1)確定せぬ犠牲者の数 170
(2)被爆実態をつかめぬ空白
2 爆心調査の系譜
(1)「爆心半径500メートル」 183
(2)広大原医研調査 186
(3)爆心復元-市民・メディア・学会の握手 192
(4)爆心追跡調査 198
(5)市民運動を通して「全体へ」 202
3 市民の胎動
(1)手書きの戸別地図
4 ノー・モア・ヒロシマ
(1)ダモクレスの剣 213
(2)原水禁運動と「広島」
5 広島の風化と模索
(1)原点広島の風化 225
(2)始まった「広島」の模索
爆心復元の論理と構想
1 爆心復元の論理
(1)核時代に 238
(2)素朴な疑念-結びあうもの
2 追跡調査の構想
(1)血の通った調査 242
(2)綜合調査 243
(3)基礎調査と「爆心復元」 246
(4)本調査と生活史のあとづけ 249
(5)「爆心復元」のひろがり
3 爆心復元の意味するもの
被爆地図復元運動
1 被爆地図復元運動を支えるもの
(1)被爆者・市民の「地図作り」 257
(2)行政の役割り 260
(3)学会・研究機関の体制作り 263
(4)報道機関の参加
2 被爆地図復元調査のもたらすもの
(1)被爆地図 265
(2)被爆者戸籍と家族別ファイル 265
(3)核時代の良心の証 266
(4)被爆地図復元の実施・推進組織 267
(5)爆心復元の現状
3 爆心復元の課題
エピローグ
参考文献
あとがき
付録 広島市原爆爆心地復元市街図

 

東照宮原爆慰霊碑

東照宮原爆慰霊碑hic087
1966年8月5日建立、広島市(尾長町・東照宮)
碑文
[正面] 原爆慰霊碑
[裏面]
昭和二十年八月六日の原爆により罹災者境内に溢れ救護所設けらる
偶然 境内に湧井在り
この清水を飲みて幽明異にする者多し
寔に哀愍の情に堪えず
茲に慰霊碑を改建して永く哀史を伝えんとす
昭和四十一年八月五日
東照宮宮司 久保田幸重誌

ふるさと似島(平和学習参考資料)

ふるさと似島(平和学習参考資料)<再編集版>(ふるさと似島編集委員会、19980701 )

章節 見出し 備考
くすの木じいさんの話…表紙裏面
はじめに
似島町全図
1 似島町の概要
(一)似島と広島市街地
(二)似島の地勢
(三)集落と交通機関
(四)人口と生業
2 「生業の推移と伝統文化の基盤
(一)船乗りの伝統…6
(二)砂利運搬…6
(三)船の変遷…6
(四)砂利運搬船の就業先…7
(五)船長と乗組員…7
(六)砂利運搬船の経営…8
(七)農業の盛衰…9
(八)漁業の盛衰…10
(九)カキ養殖…11
(十)伝統文化の基盤…12
(十一)市街地とのつながり「緊急避難港」…12
(十二)将来への展望
3 神社と説教場
(一)竃神社(かまどじんじゃ)…13
(二)胡子神社(通称浜の宮)…13
(三)似島説教場…14
(四)説教場前の石碑
4 年中行事
(一)初詣と正月三が日…15
(二)「とんど」と「おたんや」…15
(三)春の行事…15
(四)盆の行事と盆踊り…16
(五)秋の行事…16
(六)報恩講…16
(七)日曜学校…17
(八)餅まき…17
(九)似島の春…17
・似島で生まれた洋画家
5 教育・福祉施設
(一)似島保育園…19
(二)似島小学校…19
(三)似島中学校…20~22
(四)社会福祉法人「似島学園」…23
(五)広島市似島臨海少年自然の家…24
(六)社会福祉法人「広島平和養老館」
6 合同庁舎とその他の施設
(一)似島合同庁舎…25
(二)似島診療所…25
(三)広島市水上消防署似島出張所/救助艇…26
(四)広島市南区役所似島出張所…27
(五)広島似島郵便局…27
(六)広島南警察署似島警察官駐在所…27
(七)広島市農業協同組合…28
(八)似島地区海運組合…28
(九)広島市漁業協同組合似島地区
7 宿泊施設
(一)瀬戸内「高見亭」…29
(二)マリンペンション「にのしま」…29
(三)貸荘「山田荘」…29
(四)貸荘「大下荘」…29
・ガイドマップ
8 連絡船の変遷
(一)第十五小富士丸…31
(二)こふじ…32
(三)第二こふじ…32
(四)第三こふじ…32
(五)第五こふじ…33
(六)第八こふじ…33
(七)第十こふじ
9 似島と平和教育
9-1 (1)戦争と広島…34
(2)戦争と似島…34~35
(3)原爆戦炎と似島…35
イ、炸裂の時…35
ロ、救護活動…35
ハ、火葬と埋葬…35~36
ニ、収容者数と来訪者…36
ホ、原爆孤児…36
・軍都広島と似島の略年表…36
・似島が「最期の地」となった李(ウ)公殿下…38
・原爆による似島の被害と被害者/被爆直後の絵図…39
・平和学習『似島』フィールドワーク…40
・第二検疫所の略図
9-2 戦争と伝染病
(1)戦後防疫の建議…42
(2)検疫部の官制…42-43
(3)検疫所の建設…43
(4)蒸気消毒缶の成功…43~44
(5)検疫兵の訓練と凱旋兵の教育…44-45
(6)検疫の作業順序…45
(7)白山丸のコレラ…46
(8)大暴風雨到来…46
(9)世界最初のコレラ血清療法創始…46~47
(10)検疫所の成果/後藤新平伯
9-3 似島検疫所と原爆と
9-4 写真で見る当時の検疫所
・似島のドイツ軍捕虜とサッカー…57
・掃海艇「にのしま
9-5 写真で見る似島の遺跡
10 似島を探る
(一)日本列島の誕生と陸地であった瀬戸内海…63
(二)似島の生活のはじまり…64~65
(三)似島の由来…65
(四)「仁保村志」より似島を探る…66~67
(五)似島の古い地名とそのいわれ…68~69
(六)似島全戸の分布状況…70~71
(七)聞き取りにより似島を探る…72~74
(八)似島の方言(似島弁)…74
(九)「沿岸部の音頭」より似島の音頭を探る…75
(十)「沿岸部の秋祭り」より似島の秋祭りを探る
11 似島のあゆみ(年表)
似島の各推移状況
編集に際し、参考・参照・引用した文献
おわりに

 

 

矢賀警防分団日誌

矢賀警防分団日誌

月日 気候 事項(交代・勤務者)
昭和18(1943)
0919 交代:午前六時過ぎに勤務者消防部員飯田潔外二名ト交代
昭和19(1944)
昭和20(1945)
昭和21(1946)
昭和22(1947)
昭和23(1948)
昭和24(1949)
昭和25(1950)