「41 広島原爆被災白書」カテゴリーアーカイブ

広島陸軍病院原爆慰霊碑

広島陸軍病院原爆慰霊碑
建立年月日:1956(昭和31)年8月6日
場所:広島市中区基町

 HIC041MVC-021F
(正面)
広島陸軍病院原爆慰霊碑
(裏面)
昭和三十一年八月六日元広島陸軍病院関係有志建之
〔側碑〕
(正面)
広島陸軍病院原爆死没合祀者(七四〇名略)
(裏面)
昭和二十年(一九四五)八月六日広島が人類最初の原子爆弾により、一瞬にして二十数万の尊い犠牲者を生ずるに至った。
爆心地に極めて近かった元広島陸軍病院に勤務の職員以下及び入院中の患者等で被爆死された方々の御霊を永遠にお祈りす
るため、同病院関係の生存者で職員・その他有志並びに遺族賛助者等により、広島陸軍病院原爆慰霊会を結成し昭和三十年八月六日原爆十周年を記念しこの病院跡に当時の表門石柱を碑とし台石は全部同病院の庭石等を用い、ここに「広島陸軍病院原爆慰霊碑」を建立した。
ついで、同五十年八月六日三十周年記念行事として合祀名碑の建立並びに同病院の遺跡(明治以来の記念碑及び被爆当時の裏門石柱など)保存と併せて敷地の整備をも計画し昭和五十二年八月六日完成するに至った。
御霊よ どうぞ安らかに お眠りください 合掌
昭和五十二年八月六日 誌之

広島陸軍病院原爆慰霊会

 HIC041MVC-023F
 HIC041MVC-018F
 HIC041MVC-016F
 HIC041MVC-020F
 HIC041MVC-026F

 

広島陸軍墓地

広島陸軍墓地

2021年7月5日撮影
DSC05689
DSC05687
DSC05682
陸軍墓地は、明治5年(1872年)に陸軍墓地として国が設置した墓地で、西南戦争から第二次世界大戦までの多数の日本人戦没者のご遺骨が葬られています。
2019年(平成31年)1月 広島市

歩兵第11連隊略歴

歩兵第11連隊略歴

設置者:歩十一会
昭和55年7月建立 平成6年8月改定
hic_9408a
明治8年 1875 創設
明治9年 1876 萩の乱に出動
明治10年 1877 西南戦争に出動
明治27年 1894 日清戦争に出動
明治33年 1900 北清事変[義和団事件]に出動
明治37年 1904 日露戦争に出動
大正8年 1919 シベリアに出兵
昭和12年 1937 日中戦争に出動
昭和16年 1941 太平洋戦争勃発。マレー作戦に参加。
のち南太平洋諸島を転戦
hic_9408c
hic_9408d
hic_9408e
この間、昭和十二年日中戦争[日支事変]以降、歩兵第十一連隊を母体とする藤部隊、槍部隊、開部隊、望部隊、西部第二部隊等を創設、各々克く健闘した[各々勇戦奮闘、克く郷土部隊の名声を高揚した]
hic_9408b
1999年7月31日撮影

:::::::::::::::

赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集

『赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集』(旧被服支廠の保全を願う懇談会 、2020/03/01)
内容<作業中

はじめにかえて
東組の被爆に思う 中西巌(旧被服支廠の保全を願う懇談会代表) 2
1 一人一人の「倉庫の記録」
広島陸軍被服支廠の被爆状況 9
原爆について 清水元男美 9
倉庫の記録 峠三吉 10
峠三吉日記 12
救援・救護 小笠原貞雄、藤井三千明、平栗忠夫 19
コンクリート倉庫2階にいた女性 佐藤泰子、加藤春江 他 21
レンガ倉庫以外の場所 河野シズエ 他 25
勤務していた人 高見スス子、高田刑一 他 26
逃げ込んだ人の証言 27
広島被服支廠での原爆被災終戦処理について 佐藤種三郎主計大佐 29
広島が消滅した日-一年目の記憶 香川昇 36
15歳 動員学徒 森武徳 44
広島高等師範学校附属中学東組の被爆状況52
石田民生さんの証言 56
被爆体験記 三木正 62
被服支廠の荷を運ぶ途中 日南千代子(当時15歳 女子挺身隊) 65
2 蘇る旧広島陸軍被服支廠 67
在りし日の旧陸軍被服支廠縫製工場(石木信明氏提供) 68
蘇る旧広島陸軍被服支廠 保存と広島文化 橋本秀夫 69
被服支廠と私 切明千枝子 82
近藤登代子資料(荒木登代子氏提供) 84
佐々木サツキ資料(下迫瑞恵氏提供) 84
池上豊子資料(川元敦子氏提供) 85
久保性三資料(久保忠司氏提供) 86
四國五郎資料(四國光氏提供) 88
西垣武史さんの証言 90
広島第一県女の学徒勤労動員 92
6.被爆前後の状況(広島第一県女の被爆状況) 109
被服廠での生活 森武德 112
広島の町と級友 熊崎照 122
被服廠の終焉 秋田銀一(陸軍経理部 主候11) 126
3 資料編 131
旧被服支廠赤レンガ倉庫の動向 132
懇談会の活動記録 134
被服支廠年表 139
出汐町倉庫(旧広島陸軍被服支廠)について 142
おわりにかえて
地味な建物だからこそ 山野上純夫 144

備考

黒い雨どこまで降った?42年目の検証

「黒い雨どこまで降った?42年目の検証」(『読売新聞(広島市内版)』、1987年6月16日~6月20日 5回連載)

掲載日 見出し
1 16 爆心地から29キロで よみがえった少年の思い出
みなし被爆者
2 17 急がれる雨域解明 倉橋町でも・・・新たな証言
増田・元気象研究所の調査方法
3 18 報告覆す証言相つぐ 卵型の雨域に抱いた疑問
「黒い雨・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会
4 19 線引きに疑問の声 ひとり歩きしたデータ
広島管区気象台
5 20 2万人調査を廃棄 公表されなかったデータ
黒い雨問題の今後