日本銀行広島支店

日本銀行広島支店

現在* 旧日本通運出汐倉庫等
竣工時 広島陸軍被服支廠
*出典『ヒロシマの被爆建造物は語る』
爆心地からの距離 0.38キロメートル
所在地 中区袋町5-1
竣工時期 1936(昭和11)年8月
構造/階数 鉄筋コンクリート造/3階建・地下1階
設計者/施工者 日本銀行臨時建築部・長野宇平治/清水組

 

 

 

広島陸軍被服支廠

広島陸軍被服支廠

現在* 旧日本通運出汐倉庫等
竣工時 広島陸軍被服支廠
*出典『ヒロシマの被爆建造物は語る』
爆心地からの距離 2.67キロメートル
所在地 南区出汐2丁目4-60
(出汐町)
竣工時期 1913(大正2)年8月
構造/階数 鉄筋コンクリート造・ レンガ造/2階建
設計者/施工者 不詳

 

 

 

燃料会館(平和記念公園レストハウス)

燃料会館(平和記念公園レストハウス)

燃料会館(現在*平和記念公園レストハウス)  竣工時:大正屋呉服店
*出典『ヒロシマの被爆建造物は語る』発行当時(1996年3月31日)
爆心地からの距離 0.17キロメートル
所在地(旧町名) 中区中島町1-1(中島本町)
竣工時期  192903
構造/階数 鉄筋コンクリート造/3階建・地下1階
設計者/施工者 増田清/清水組

略年表

年月日 事項 備考
19920619 市長にレストハウスの保存要請
19920916? 旧燃料会館(レストハウス )の保存を考える「語り部の会」(代表世話人:栗栖洋)「趣意書」発送・賛同協力依頼。
19921206 「旧燃料会館」の保存を考える集い
19930630 「旧燃料会館の保存を考える」集い
19930715 「元大正屋呉服店を保存する会準備会」、市長室次長に申し入れ。
19930924 「元大正屋呉服店を保存する会」発足(代表3名)
19931127 第3回「旧燃料会館の保存を考える」集い、署名開始。
出典:『原爆遺跡保存運動懇談会10年の歩み(1990~2000)』(原爆遺跡保存運動懇談会)
<以下未入力>
19980517 地下室調査(原爆遺跡保存運動懇談会フィールドワーク)

 

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地下室調査(原爆遺跡保存運動懇談会フィールドワーク、1998年5月17日)

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資料

資料名 備考

 

 

記された「兵器補給廠と原爆被災」

記された「兵器補給廠と原爆被災」

『広島原爆戦災誌』の記述

第1巻

記述
45 広島陸軍兵器補給廠(長)田上吉治大佐
65 「8月10日、広島兵器補給廠において陸海軍が研究会を開催」
208 兵器補給廠において4,000人分・・・・ の炊出しを実施
211 昭和21年9月には、似ノ島の元陸軍兵器補給廠似島倉庫および旧陸軍運輸部似島倉庫を改築して、「広島県戦災児教育所似島学園」が開設され・・・・
237 8月9日・・・・電話工事の為9米電柱約300本を兵器補給廠より補給を受けた。
295 (陸軍軍需輸送)統制部の機構は、庶務班(班長・小林吾一大尉)・暗号班(班長・長谷川通雄見習士官)・統制班(班長・田村治郎大尉)からなり、広島市内では、兵器補給廠・糧秣支廠・被服支廠をはじめ、この三廠の出先機関(倉庫)である安芸郡海田市町の、兵器・被服・糧秣・需品・衛生材料・航空(燃料)・獣医材料各廠を管轄下において活動していた。
298 被服廠も兵器廠も、流れこんだ避難者をかかえこんだまま、門をとざして、周囲の状況を見守っている所へ、田村大尉が到着した。田村大尉は、ただちに門をあけさせ、大本営命令として、被害状況を報告させると共に、救援態勢に入るよう告げた。このとき、午前9時ごろであった。
535 (53か所の仮救護所に被服廠はあるが、兵器廠はなし)

 

第2巻

記述
403 路傍でたくさんの人々が倒れたので、(比治山東裏一帯の)町内の者は協力し、負傷者もろとも霞町の兵器支廠(臨時救護所)にどんどん運んだ。
458 出汐町の被服支廠と霞町の兵器支廠には、1階2階ともに負傷者がいっぱいに収容せられ、つぎつぎと死亡したが、氏名の判明したのは荷札をつけておいて、付近の広場で火葬した。
486 軍の被服支廠・兵器支廠も自由に、その門扉を開放し、続々と増加する負傷者の収容と治療に応急処置を構じた。
487 溝口悦子「兵器支廠にて」(県立第一高女3年生、学徒動員で兵器廠事務室にて作業中被爆)「患者の大部分が女学校の1,2年生で・・・」、「その晩は「全作業員は廠内に詰めきり勤務を命ず」という命令が出て、待避壕の上で一夜を明かしました」
495 昭和21年6月22日、陸軍兵器支廠に広島県庁が移って来た。

 

第4巻

記述
口絵 深田敏夫撮影原子雲4葉(兵器補給廠の2号館2階西側の窓から撮影)
216 (比治山国民学校)北校舎の階下7教室は、兵器支廠の兵器貯蔵庫として使用していた。
437 (修道中学校)兵器補給廠に教員5人、3年生実務科生306人動員。(弾薬製造・兵器整備)
1.弾薬製造部は、佐伯郡宮島町包ケ浦にあり、教諭2人と生徒30人がこの地に配属1.弾薬製造部は、佐伯郡宮島町包ケ浦にあり、教諭2人と生徒30人がこの地に配属された。
2.被爆による死亡生徒3人。
3.教諭1人は中国5県報国隊長特別軍事講習のため10日まで安芸郡船越国民学校に出張中。
456 (崇徳中学校)兵器支廠に教員1人、生徒60人動員。

 

第5巻

記述
608 1.兵器補給廠(経済保安課)・・・・霞町  ガソリン、油、軍刀、双眼鏡(通信機械)

「昭和20.8.22午前10時 日本製鋼所広島製作所における軍需物資転用に関する打合会記録」の一部

825 8月6日広島空襲ニ対スル研究会議事概要
1.日時・場所 8月10日 於広島陸軍補給廠
992 深田 敏夫=崇徳中学在学中学徒動員令で陸軍兵器廠に出動。繰り上げ卒業後もそのまま、同廠で勤労。兵器廠2号館西口で被爆。兵器庫2階の北側の窓からきのこ雲を撮影。「午前10時ごろであったか、動員学徒に対して、家に帰れる者は帰れとの指示が出た」
997 空 博行=兵器廠3号兵器庫2階で朝食中被爆。「兵器廠では、車両庫3棟を開放して、これらの人々を収容した。廠内には小さな診療所があったが、軍医も看護婦もおらず、衛生曹長が所長格で、作業員の小さな傷や風邪の手当をほどこすのが精いっぱいという貧弱な施設であった。そこで、兵器廠の無傷の作業員が総動員で救護にあたった。タネ油は兵器の手入れに使用していたので多量にあり、火傷の手当に使った。」

 

『広島県史原爆資料編』の記述

記述
106 広島県「戦災記録」(8月8日総軍連絡会議における補給廠代表の発言)
(4.小運送)油ガ無ケレバ補給廠ニテ出ス
補給廠ハ6日4,000食、7日4,000食、8日2,000食同廠付近ニテ配給
251 修道学園「原爆被災記録参考書類」(8月8日の項)
兵器補給廠ハナルベク13日ニトノ希望アリタルヲ以テ13日午前8時集合但シ罹災負傷ノタメ止ムヲ得ヌ者ハ15日ニ集ルトイフコトニシ、罹災生徒ハ勿論家族モ収容シ一時作業ヲ手伝フ形ニシテ見テヤストノ廠長ノ意志ヲ伝ヘラレタリ。詳細ニツイテハ打合セノ予定ナリ(以上景山報告)
526 「清水栄日記」(8月10日の項)
会議終了後、補給廠よりトラックにて船舶司令部の少佐が案内役にて市内を巡察したり。・・・・その日、補給廠で一泊する予定なりしも・・・・(8月13日の項)その夜、補給廠で夕食、・・・・
598 「篠原健一メモ」(8月10日の項)
補給廠(中央等ヨリノ調査団ニ会フ中ニ仁科博士、荒勝教授アリ、阪大浅田教授ニモ会フ)晩補給所ニ泊ル

 

原爆手記の記述

著者 記述概要

<掲載書・誌>

温品道義 陸軍兵器補給廠警防手。明治橋西詰路上(水主町)で被爆
「原爆に生きて」(原爆被害者の手記編纂委員会、三一書房、53062501)
大畠文衛 霞町兵器廠で被爆
「原爆十年」(広島県社会保険診療報酬支払基金、55083301)
福井静子 霞町兵器廠で被爆。挺身隊
「あの日あの時」(兵庫県原爆被害者の会、62052701)
温品道義 前出
「原爆許すまじ」(広島県被爆者の手記編集委員会編、新日本出版社、65070501)
中尾己次 勤務先の兵器廠で被爆
「原爆広島消防史」(広島市消防局原爆広島消防史編集委員会編、広島市消防協力会、75070101)
田室藤登 兵器廠敷地内で被爆。女学生。動員学徒
「悪魔の銀のサイコロ」(国際平和教育研究会(広島大学教育学部付属小学校内)編、教育出版センター、75080607)
増田照代 比治山町民家の兵器廠女子挺身隊として勤務
「木の葉のように焼かれて第11集」(木の葉のように焼かれて編集委員会、新日本婦人の会広島県本部、77080101)
景岡正幸 兵器廠内で被爆。「兵器廠は比治山の影になり大勢の怪我人は出たけれど死亡者は一人もなかった」
「暗い青春」(廿日市中学校平和教育推進委員会、78023301)
朝枝憲雄 広島兵器廠学徒寮舎監助手。市内で被爆。「廠内では死亡者を重油で焼いてお骨にしているとの情報が入った」
山本貫一 勤務先の兵器補給廠で被爆。夜間校4年。「負傷者は兵隊さんや我々工員の手で7号館に収容されることになった」「8月9日、呉海軍病院から調査のためえらいさんが見えられた。爆弾の影響調査のため5名の工員が選出され私もその一員となった」「10日以降は構内の死体を集め、構外の疎開跡地で火葬にふした」「それ[8月15日]から4,5日後、私達工員は全員職を解かれた」
「原子雲の下に生きつづけて第6集」(全電通被爆者連絡協議会、78080501)
森永晃二郎 陸軍兵器廠勤務中隊に在籍。可部線布の弾薬の衛兵。8日交替し同日入市。「本廠は爆心地からわずか比治山の蔭になるため煉瓦造の二階建兵舎は棟が折れたように残っていたが危険で使用はできず我々は天幕で就寝するようになった。また、電気水道は全然駄目となり飲料水は廠内の防火用水が唯一のものとなり、」
「原爆被爆体験記」(芝山宏編、京都府原爆被災者の会、79113301)
沖正夫 市立工業学校1年。動員先の兵器廠で被爆。火傷。
「人類の明日のために-広島原爆記録集」(天理教広島教務支庁編、天理教道友社、80070101)
八百村イシ子 勤務先の兵器補給廠で被爆。
「渇き第2号-被爆体験文集」(徳山被爆者の会、80073303)
平山郁夫 修道中学3年。兵器補給廠に学徒動員。
「悠久の流れの中に」(平山郁夫、佼成、80091502)
和田タカ 勤務先の兵器廠炊事場で被爆。「翌日から、勤務先の兵器廠で被災者への炊き出しをいたしました。・・・・約1週間、夜は比治山下の防空壕へ帰って眠りました。」「私の勤務先の兵器廠倉庫4棟は臨時病院となって、被災者がぞくぞく運び込まれてきました」「兵器廠の裏庭のあちこちに兵隊さんが大きい穴を掘って、遺体を何人も重ねては油をかけて火葬されていました」「兵器廠は解散になり、9月20日付で退職しました」
「紙碑」(広島原爆被爆者援護事業団編、81072002)
空博行 前出
「広島壊滅のとき」(広島原爆被災撮影者の会編、81080101)
深田敏夫 前出
「広島壊滅のとき」広島原爆被災撮影者の会編81080101
川本充 兵器廠包ケ浦工場の動員学徒。入市。自宅は市内。
「広島市医師会だより8月号」81081503
池崎五十登 日通の材木係長。兵器補給廠日通派出所で被爆。
「ピカに灼かれて-被爆体験記第5集」(広島医療生活協同組合原爆被害者の会など、81083301)
森本昌利 技術少尉。兵器補給廠で被爆。数百人を治療。
「生と死-ヒロシマ・ナガサキから」(徳島県原爆被害者の会、82080101)
岡野健 修道中学3年。動員先の兵器補給廠正面玄関右50米位の所で被爆。火傷。
「原子雲」(大阪府原爆被害者団体協議会、82113301)
遠藤金義 広島兵器補給庫第一勤務中隊所属。東雲町・広島兵器補給庫で被爆。
「原爆と地獄-被爆体験文集」(鳥取県原爆被害者協議会、83020101)
三井宗光 陸軍兵器廠運転手。廠内で被爆。
「はらおぐさ-原小草開園10周年記念特集」(特別養護老人ホーム清鈴園編、 西中国キリスト教社会事業団、83070101)
大永頼男 陸軍兵器補給廠隊長室前に整列している時、被爆。「間もなく隊長命令で、担架を持ち、比治山の横穴に逃げ込まれた人々を、兵器廠の庭に収容し、昼になったのでムスビと漬物を、くばって歩いて回った」
「原爆」(府中市原爆被害者の会、84063001)
河野千寿 兵器廠医務科の事務見習い。比治山の洞窟内医務科で被爆。「翌日になると、怪我人の数はさらにふえた。兵器廠の中にあるたくさんの倉庫の中はもちろんの事、屋根のある所にはこれ以上人の入る余地はなくなってしまった。」「この兵器廠の庭すみには、むしろを被せた死体が日一日と増え、肉親の安否を気づかう人達が、一枚一枚むしろをめくって歩いている。」「人間の姿とも思えない怪我人に配って歩くと、まるで餓鬼のように奪いあう」
「子供たちに残す戦争体験」(新潮45+編集部編、新潮社、84071502)
後藤初人 兵器補給廠所属軍人。廠内の食堂で朝食をすませ、自動車部品倉庫に行く途中被爆。
「炎の墓標」(三和町被爆者友の会、84080603)
日出山能市 陸軍兵器廠海田分所の工員。分所で100人位は収容・救護。6日入市。
「被爆体験記3」(船越原爆被害者の会.広島市船越公民館共編、84100101)
戸津川雅人 兵器廠自動車輸送部勤務。動員学徒3名をトラックに乗せて出廠し、稲荷橋付近で被爆。
「紙碑 被爆老人のあかし 第2集」(広島原爆被爆者援護事業団[編]、85052501)
川畑ユキヨ 勤務先の兵器廠の炊事場で被爆。
「紙碑 被爆老人のあかし 第2集」(広島原爆被爆者援護事業団[編]、85060901 )
田口正秋 兵器補給廠食堂で朝食中被爆。「補給廠の医務課長は肺結核で入院中であり課の責任は代理の私にあった」。23才の救護班長。「兵器庫2棟を直ちに患者収容に準備する」。10数名の救護班員で1300名を扱う。「3日間の仮収容中に死亡した人が今私の手元にある当時の手帳に64名を数える」
「被爆体験記」(福岡市原爆被害者の会(編)、85052501)
井藤清晴 兵器補給廠で被爆
「被爆体験記」(福岡市原爆被害者の会(編)、85060901)
沖本謙次郎 兵器廠事務所軒下で被爆。兵器廠の木造建物(長さ100メートル位)が倒壊。
「子孫におくる劫火の跡」(甲田町被爆者の会、85070101)
井上俊郎 陸軍兵器補給廠自動車隊の軍属。6日は発熱のため休暇をとっていた。7日入市。
「子孫におくる劫火の跡」(甲田町被爆者の会、85070101)
平田重一 兵器補給廠徴用工員。陸軍共済病院に入院中被爆。
「核兵器全面禁止をめざして」(原水爆禁止香川県協議会、85072004)
宮原正司 勤務先の陸軍兵器廠で被爆。
「きのこ雲 第3集-山梨県被爆者の体験文集」(山梨県原水爆被害者の会(甲友会)(編)、85072101)
原田積 兵器補給廠中部139部隊から兵器補給廠へ配属。集会所2階で朝食中被爆。床の一部が吹き飛び、4メートル下のコンクリート上に落下。「兵器廠構内に避難された数百人の罹災社の大半は、火傷を受け重傷者が多く、毎日数人ずつの死者が出ており、全くこの世の地獄そのものでした。」
「平和」(摂津市市長公室企画課、85080105)
平田喜八郎 霞・兵器補給廠勤務。 動員学徒東南門近くの倉庫入口で被爆
「原爆」(千代田町原爆被害者の会、85080602)
亀本勇 兵器補給廠で歯科軍医待遇。包ケ浦分廠に派遣。「包ケ浦分廠には当時五百人余りの工員と一個分隊の兵士がおり、」「軍医とともにモーターボートで広島に急ぎ直行」。「最初は兵士達に患者の住所氏名を聞かせ、尋ねて来る親、兄弟、知人の判り易いように紙に書き、掲示板に貼っていた。私も百人近くの住所氏名を書きとめたが、今は記憶にない。死体はトラックで大河の方面で火葬にしたとの事だ。6日間治療にあたったが、・・・」「3日目頃で薬も底をついた。大混乱の中でも、兵士を先に治療して、地方人はあとまわしにするよう上司より司令が来たが、・・・」
「閃光の証言」(広島県歯科医師会、85120101)
原田みどり 兵器補給廠付の陸軍看護婦。
「あのとき閃光を見た 広島の空に」(広島市教育委員会、86033304)
沖田春好 陸軍兵器補給廠勤務中隊八田隊所属。朝食中被爆。「補給廠には兵器倉庫が10兵庫あったので、地方の人を収容することができた。ほとんど倉庫一ぱい収容して援護に当たる」「夜は電気がこないのでローソク一本で不寝番に立つ」。
「原爆の追憶」(広島県芸北町原爆被爆者の会編、86080608)
吉川広二 霞町・兵器廠「爆風により大きな窓硝子は全部吹き飛び、二間幅の大戸の鉄の扉も吹き飛んで、将校さんがその下敷きになりうめき声をあげていられるので、大急ぎで一五人くらいの人で扉を持ち上げ、」「突然の混乱状態で廠内の作業もできなくなり、元気な者は建物の中に仮病室を作る作業になり、また自由に廠内の中に出入りできる指令が出されました。」「一時間あまりの間に何千人かと思う人が避難して来て、建物の中は足の入れ場のない状態となりました。
「原爆の追憶」(広島県芸北町原爆被爆者の会編、86080608)
尾形隆憲 補給廠建物内で被爆。
「被爆体験手記集」(松戸市原爆被爆者の会編、86091501)
今永有美 2才の母は兵器補給廠に勤める祖母とともに被爆.祖母の話
「赤いトマトの思い出」(三和中学校、広島市立三和中学校平和教育部会、87030101)
古谷光則 「8時からの朝礼と廠長の訓示が終り、事務室に帰り窓際の机に着いた途端に」被爆。「幸い物資のたくさんあった部隊なので、素早くサラシ布を2,3巻腰に巻いてあげ、肩にもタオルのように掛けてあげ、あとは山と積んだ食用油入りの1斗缶を切って、焼けただれた身体に流すように塗ってあげる程度のこと」
「被爆体験記-炎の叫び」(世羅西町原爆被害者協議会、87060101)
宇根利枝 陸軍兵器廠兵器廠の保母,預かっていた30人の乳幼児を必死で捜す。
「ヒロシマ・ナガサキの群像」(広島・長崎の証言の会、汐文社(発売)、87072001)
(匿名)女子挺身隊で兵器補給廠勤務。
「はまゆう第2集-結成15周年記念」(横浜市被爆者の会(浜友会)、87080101)
浜田のぶ 女学校卒業後挺身隊員として広島兵器廠輸送課勤務。8時からの朝礼後、被爆。
「はまゆう第2集-結成15周年記念」(横浜市被爆者の会(浜友会)、87080101)
空博行 前出
「原爆を撮った男たち」(「反核・写真運動」編、草の根出版会、87080603
深田敏夫 前出
「原爆を撮った男たち」(「反核・写真運動」編、草の根出版会、87080603
境寿一 比治山広島兵器廠本部付。比治山に大規模の地下防空壕構築中。「運輸廠、被服廠、兵器廠と隣接して、大奥は互いに連結され、大会議室も出来ておりトラックも出入り出来るよう、壕の構築には昼夜交替の突貫工事中でした。
「広島・長崎原爆被爆体験記」(長門・大津原爆被爆者友の会編、長門時事新聞社、87080611
奥西妙子 勤務先の兵器補給廠で被爆
「原爆被爆者の叫び」(久井原爆被害者の会、88010101)
田丸昭三 勤務先の兵器補給廠で被爆
「原爆被爆者の叫び」(久井原爆被害者の会、88010101)
浅井一美 陸軍兵器廠勤務。ホーム(宇品線の引っ込み線)で掃除をしているとき被爆。
「21世紀への伝言-ヒロシマ・ナガサキからの証言」(宇部市・小野田市原爆被爆者協議会、88070301)
下瀬睦夫 陸軍兵器補給廠で被爆。 S62.1.27、死亡。
「21世紀への伝言-ヒロシマ・ナガサキからの証言」(宇部市・小野田市原爆被爆者協議会、88070301)
山本貫一 前出
「原子雲の下に生きつづけてLiving Under the Atomic Cloud」(渡辺礼一、全電通原爆被爆者協議会、89070104)
小林清二郎 広島陸軍兵器補給廠岡山分廠の救援隊。5-60名とともに8日入市。
「原爆へ平和の鐘を(第二巻)-奈良県原爆被害者の手記」(奈良県原爆被害者の会(わかくさの会)、90011001)
守屋勇 広島陸軍兵器廠配属。
「福山市原爆死没者慰霊碑建立記念誌・原爆被爆体験記」(福山市原爆死没者慰霊碑建立委員会・福山市原爆被害者の会、90040101
和田タカ 前出
「句集被爆馬」(和田タカ、90042501)
下江カツ子 兵器支廠軍属として勤務。仕事前の掃除中被爆。「1号館から12号館まで、赤レンガで造られた倉庫は平気で建っていた」「8号館が救護所になっていた」
「木の葉のように焼かれて第24集」(新日本婦人の会広島県本部、90072001)
(聞書1)兵器廠営庭で被爆
「閃光は消えず-被爆者聞き書き」(松岡克昌編、勁草出版センタ-、90072004)
内藤博己 広島陸軍兵器補給廠所属の兵士。2階が兵舎で下が倉庫。2階で朝食準備中被爆。「前の倉庫の屋根のスレート瓦が吹き飛び、窓ガラスや整頓棚の帽子軍服履物等が二階の兵舎から屋外に吹き飛んだ。」「怪我人を兵舎の下の倉庫に収容する。その数約百人。3日後にはほとんど死亡した」)
「ピカドン第2集-終りなき闘い・被爆45周年記念誌」(神石郡原爆被害者協議会、90080601
木村紀彦 広島陸軍兵器補給廠技術将校。7日入市。ホノルル市在住。
「平和への願いをこめて-原爆ドームに寄せられた手紙」(広島平和文化センタ-、90100101)
岡野健 修道中学3年生。動員先の兵器補給廠で被爆。
「被爆の証言-広島・長崎」(大阪府原爆被害者団体協議会編、91030101)
縫部貞彦 修道中学4年生。動員先兵器補給廠内で被爆。
「被爆者の声」(坂町教育委員会、91080601)
相原員恵 兵器補給廠の軍属。当日は公休日。
「原爆-体験記録第3集」(府中市原爆被害者の会、91080603)
TA 兵器補給廠への志願兵。海田市の支廠配属
「原爆-体験記録第3集」(府中市原爆被害者の会、91080603)
平山郁夫 「兵器廠での私立修道中学3年生の仕事は、弾薬箱用の材木を整理し、搬入することだった。午前8時に点呼を受け、本廠から少し離れた材木置き場に駆け足で移動した。そこに着いたのが8時12,3分だったろう。5、6人いた同級生たちは小屋に入って、着替えや準備を始めた。」
「道遥か-自伝画文集」(日本経済新聞社、91112501)

 

 

 

フォト・ドキュメント:被爆遺跡医学部11号館の消滅

フォト・ドキュメント:被爆遺跡医学部11号館の消滅

1999年3月
10日 樹木が取り払われた南側
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10日 鉄骨が組み立てられた北側
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16日 覆いが施された西側
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23日 甍が取り払われた東側
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27日11:30 消えた屋根の中央部(北側より撮影)
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27日11:30 消えた屋根の中央部(南側より撮影)
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27日11:30 南側より撮影
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27日11:30 原医研南側の広場
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27日11:30 原医研南側の広場
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27日16:30 消える屋根の東側(北側より撮影)
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27日16:30 消えた屋根の東側(南側より撮影)
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27日16:30 消えた屋根の東側(南側より撮影)
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29日13:00 消えた屋根の東側(北側より撮影)
 ks990329as
29日13:00 東側(南側より撮影)
 ks990329bs
30日08:30 消えた屋根の東側(北側より撮影)
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30日08:30 消えた屋根の東側(北側より撮影)

ks990330as

1999年4月
01日08:30 消えた屋根の西側(北側より撮影)
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01日08:30 西側(南側より撮影)
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01日08:30 西側(南側より撮影)
 ks990401ds
01日08:30 原医研南側の広場
 ks990401bs
02日13:00 わずかに残る東壁面の下部(南側より撮影)
 ks990402as
02日13:00 わずかに残る東壁面の下部
(北側より撮影)
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02日13:00 ガレキの山と化した11号館(南側より撮影)
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広島大学霞キャンパス開発史

広島大学霞キャンパス開発
(=広島陸軍兵器補給廠の建造物消滅)の歴史

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1940年頃

原爆による建物被害(出典:経済安定本部の1948年1月調査資料)

区分 被害程度 棟数 床面積
(坪)
平均取得年次
木造 60 6,551 昭和14年
木造 92 12,720 昭和13年
耐火構造 26 10,242 明治42年

 

1957年頃(広島大学医学部・同付属病院の移転当時

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レンガ造りの建物は残り、補修工事を施した上で使用された。

1960年新病棟完成

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出典:『広島大学25年史・部局史』。

資料:新病棟建設の経緯

 ABCCは、数年間にわたり、広島および長崎の学術指導者として協力して、広島・長崎両大学に原爆被爆者に対する診療施設を設置するために米国より助成金を求める計画に努力した。この計画の達成は、予想以上に手間どり多くの困難があったが、1960年1月米国大使と日本国外務大臣との間で、各大学に300,000ドル(108,000,000円)を寄付することを確認する覚書が交換された。
『原爆傷害調査委員会年報60-61』より
昭和35年[1960年]度政府予算案に本学付属病院の増築計画が組み入れられた。この計画予算は、1億1000万円で米国政府から贈与される予定の「余剰農産物売上げ積立金」を財源にしたものである。昭和35年9月に始められた新病棟建設工事は翌36年6月に完成した。本学初めての鉄筋5階建て新病棟(約3300平方メートル)の落成式は、同年10月19日に駐日アメリカ大使ライシャワー氏夫妻の出席を得て、盛大に行われた。
『広島大学医学部30年史』より

新しい建物が望まれた

原爆放射能医学研究所が入った3号館(1963年3月)
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広島大学原爆放射能医学研究所玄関(1962年3月)『広島大学原爆放射能医学研究所年報第3号』より。

霞キャンパスの諸施設の改修・建設経緯

着工-完工 施設名 旧兵器補給廠の建物
1960.9-61.6 病棟(5階、現西病棟)の新築 16号館取り壊し?
1961.10-62.4 3号館、10号館の改修
1962?-63 11号館の改修
1963-65.3 付属病院中央診療棟(3階)の新築
-67.12 医学部解剖実習室の新築
-68.2 医学部付属病院病棟(8階)の新築
1969.11-70.6 実験室、講義室の新築 4号館の全部、1・2号館の一部が取り壊し
-71.3 医学部基礎研究棟(9階)の新築
1971.12-73.2 臨床研究棟、臨床講義棟の改築 7号館の全部、5号館の一部が取り壊し
1973-76? 外来棟、中央診療棟の改築 10号館の全部と8号館の一部が取り壊し
1974.3-74.3 薬学科校舎の新築
『広島大学医学部30年史』より。

 

1975年?
(まだ、1・3・5・6・8・10・11号館が残っていた。)

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『広島大学医学部30年史』より

1998年5月
(現在、唯一残っている11号館東側)

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広島陸軍兵器補給廠第11兵器庫

広島陸軍兵器補給廠第11兵器庫

現在* 広島大学医学部医学資料館・緑風会食堂
*出典『ヒロシマの被爆建造物は語る』発行当時(1996年3月31日)
爆心地からの距離 2.75キロメートル
所在地 南区霞1丁目2-3(霞町)
竣工時期 1920(大正9)年頃
構造/階数 レンガ造/2階建
設計者/施工者 不詳/大岩組ほか

医学資料館・食堂として残された11号館の東半分

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建物全体を西北側より見る。西側正面は医学資料館入口。2階に展示室がある。

 

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昔の様子を伝える東側壁面 南側壁面

 

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食堂として使用されている東側

 

 

 

旧陸軍被服支廠保存・活用方策への提案

旧陸軍被服支廠保存・活用方策への提案
(1993.2.1 宇吹 暁委員)
ヒロシマ・ピース・プラザ(広島県平和館)とし、非核自治体宣言に基づく行政施策の中心施設と位置づけ、県民やアジアを中心とした世界の平和情報の受信と発信の機能を持たせる。

[具体的機能]

Ⅰ.広島県近・現代史資料館としての機能
☆原爆被害の実態解明
*原爆被害は、建物疎開作業や救護活動への動員により、県内全般にひ ろがっている。しかし、これらの実態解明は、広島市の努力には限界が あり、県として独自に取り組む意義が存在する。
☆広島県と戦争に関する資料の収集・整理
*広島県編「広島県戦災史」の編さん過程で、県内には多数の軍事関係 の行政資料が残っていることが確認できた。県立文書館と連携をとりな がら、明治以降の兵事資料を中心に収集・保存・整理を行う。
*兵役・戦闘・空襲・銃後に関連する資料は、呉や福山の空襲を記録す る会などにより、展覧会用に一時的に収集されたことはあるが、恒久的 な保存措置は取られていない。県として協力を呼びかけることにより、 多数の団体・個人資料が発掘できるものと思われる。
*「軍都広島」の実態を明らかにするため、防衛庁防衛研修所・13師 団(海田)・入船山記念館(呉)・参考資料館(江田島)・毒ガス資料 館(大久野島)などで収集されている資料の映像化による収集と総括的 なデ-タベースの構築を行う。

Ⅱ.国際交流機能
*海外からの広島訪問者に広島県を紹介する窓口
*海外からの短期の技術研修者・放射線医療研修者の宿泊施設
*留学生と日本の青少年との交流の場

広島県旧陸軍被服支廠保存・活用懇話会

広島県旧陸軍被服支廠保存・活用懇話会
設置:1992(平成4)年8月4日

動向

事項
1992年
03 05 竹下広島県知事、県議会で旧陸軍被服支廠の保存に前向きの答弁。また、放射線被曝者医療国際協力推進協議会の事業に原爆被爆の実相や「ヒロシマの心」を伝える内容を盛り込む意向を表明。
06 01? 広島市の旧陸軍被服支廠の保存・再生案、市民グループによりまとめられる。
06 29 広島市内の市民グループ、被爆した旧陸軍被服支廠の保存・再生案の提案書「赤れんが生きかえれ」を所有者の県に提出。
08 04 広島県、旧陸軍被服支廠保存・活用懇話会を設置。
09 18 広島県、旧陸軍被服支廠保存活用方策懇話会の初会合を開催。現地も視察。
11 16 橋本秀夫広島県建築士会副会長、旧陸軍被服支廠を調査。取り壊しを控え調査を要望。
11 19 原爆遺跡保存運動懇談会、旧陸軍被服支廠の保存・活用方法について、被爆の実相を伝える工夫をするよう広島県知事らに要望書を提出。
1993年
01 12? 広島県建築物調査・改修協同組合、旧陸軍被服支廠の耐久度調査結果を発表。改修や補強で再利用はOK。
02 01 広島県の「旧陸軍被服支廠保存・活用方策検討委員会」、第3回会合(最終)を開催。
04 16? 広島県の「旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会」、会合の意見を報告書にまとめる。
08 10 広島県、被爆建物「旧陸軍被服支廠」の保存活用のための検討委員会を設置することを決め、委員13人の名前を公表。18日、初会合。
08 18 広島県、被爆建物「旧陸軍被服支廠」の保存活用方策検討委員会の初会合を開催。
10 25? 土橋春人、旧陸軍被服支廠を明治38年に移した写真を広島市公文書館へ寄贈。
1994
01 31 広島県の「被爆50周年記念事業検討委員会」、第3回会合を開催。旧陸軍被服支廠の保存策がまとまらず、年内に報告書をまとめることになる。
03 03 広島県知事、県議会の答弁で被爆50周年の記念事業への取り組みとして旧陸軍被服支廠の活用、戦後50年誌の発刊などをあげる。
07 19 広島県の旧陸軍被服支廠の建物の活用検討委員会、第4回目の会合を開催。
12 05 広島県の戦後50周年記念事業検討委員会、旧陸軍被服支廠の保存・活用策について瀬戸内海文化博物館と音楽芸術センターとするなどの案をまとめる。
12 12 広島県の橋口収戦後50周年記念事業検討委員会座長、旧陸軍被服支廠の保存・活用策についての報告書を藤田県知事に提出。
1995年
03 22 原爆遺跡保存運動懇談会、県に旧陸軍被服支廠を被爆資料展示施設として活用を求める要望書を広島県に提出。
03 31 広島大学学生寮「薫風寮」、大学移転に伴い閉鎖。同建物は旧陸軍被服支廠で被爆建物。
05 03 広島市の被爆建物である旧陸軍被服支廠で火事。1階の一部約200平方メートルが焼ける。
09 13 広島県の瀬戸内海文化博物館策定会議の初会合。旧陸軍被服支廠の活用を検討。
1996年
04 03? 広島県の「瀬戸内内海文化博物館」(被爆建物の旧陸軍被服支廠を利用)構想策定会議、平成7年度中の構想の策定を1年延期。
1997年
02 19? 広島県、被爆建物「旧陸軍被服支廠」を「瀬戸内海文化博物館」として活用する構想の再検討を計画。耐震補強に巨額の経費が必要なことが判明したため。
03 27 広島県、旧陸軍被服支廠(広島市南区の被爆建物)を活用した瀬戸内文化博物館の基本イメージを発表。
12 26 広島県、被爆建物の旧陸軍被服支廠を「瀬戸内海文化博物館(仮称)」として活用する計画を、県財政の悪化を理由に当分凍結することを明らかにする。
1998年
02 16 広島県、1998年度予算案を発表。被爆建物の旧陸軍被服支廠を保存・活用する「瀬戸内文化博物館」計画を休止。
08 06 野外現代美術展「ヒロシマ・アート・ドキュメント98」、広島市の旧陸軍被服支廠などで開催。-20日。

旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会一件資料

旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会一件資料(ファイル1冊)

タイトル 発⇒受 年月日 備考
1 旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会運営要綱 19920901* *施行日
[事務 県民生活部県民課文化振興室]
2 旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会委員名簿
座長:丸山茂樹(はきもの博物館館長)
委員:宇吹暁()、加藤新()、栗栖武士郎()、佐藤恭子()、嶋津孝之()、浜井澄人()、原田佳子()、藤原隆雄()、山下彰一()、山本定男()、横田工()。
アドバイザー:矢野暢(京都大学教授)
3
4 [宇吹メモ]1992.7.28熊田の話〇県内の町村役場を対象とした研修会 古文書(公文書)【中間書庫】、〇中央の出先の官庁文書 国立文書館は中央の省庁のもので精一杯。〇県庁文書 現用→本庁、非現用→文書館、中間の半現用→被服廠
5
第1回旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会次第 19920918
第2回旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会次第 19921127
第2回旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会資料
第2回旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会の要旨
旧陸軍被服支廠保存・活用方策への提案 199301
第3回旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会資料

原爆被害関連部隊一覧(広島)

原爆被害関連部隊一覧(広島)[宇吹作業用資料]=原爆体験記を読む際に作成・利用。

CODE 部隊名 メモ1 メモ2
10 陸軍
101 第二総軍司令部 西方 広島市大須賀町(元騎兵第五連隊跡)
102 大本営陸軍第二通信隊 線第13377部隊 広島市尾長町(尾長国民学校・松本工業学校)
1021 大本営陸軍第二通信隊送信所 馬木原
1022 大本営陸軍第二通信隊通信所 広島市向宇品洞窟内
1025 大本営法務部迫撃砲隊 山口
1031 広島陸軍軍需輸送統制部 広島市宇品町船舶司令部内
1032 広島陸軍兵器補給廠 広島市霞町
1033 広島陸軍被服支廠 広島市旭町
1034 広島陸軍糧秣支廠 広島市宇品町
1035 大阪陸軍軍需品廠広島出張所 安芸郡海田市町
1036 東京第2造兵廠忠海製作所 竹原市
1037 岩国陸軍燃料廠 岩国市
1038 陸軍需品支廠 広島市小姓町
1041 陸軍幼年学校 広島市基町
1042 陸軍兵器学校 広島市江波町
1043 陸軍飛行場 広島市吉島
1044 偕行社 広島市基町
1051 陸軍電波兵器練習部第3教育隊 山口県玖珂郡由宇町
11 中国軍管区 広島市基町
1100 中国軍管区司令部
中国軍管区獣医部 松村宏手記(北海道被団協『被爆者の証言-核戦争を阻止し、核兵器をなくすために』1988.4)。「軍管区獣医部の被爆詳述」(『中国新聞』2018.10.5)
1101 中国軍管区歩兵第一補充隊 中国第1040隊、2部隊・歩兵第11連隊 広島市基町
1102 中国軍管区砲兵補充隊 中国第111部隊、6部隊・野砲兵第5連隊 広島市基町
1102 中国軍管区砲兵補充隊 芸北町八幡原演習場
1103 中国軍管区工兵補充隊 中国第114部隊、7部隊・工兵第5連隊 広島市基町
1104 中国軍管区輜重兵補充隊 中国第139部隊、10部隊・輜重兵第5連隊 広島市基町
1104 中国軍管区輜重兵補充隊 安芸郡馬木村
1105 中国軍管区通信補充隊 中国第121部隊 広島市基町
1106 中国軍管区教育隊 広島市基町
1107 広島連隊区司令部 広島市基町
1107 広島地区司令部 広島市基町
1107 広島地区司令部 安佐郡可部町・可部高女
1110 山口連隊区司令部 山口市
1111 中国軍管区歩兵第3補充隊 中国第110部隊 山口市
1119 特設警備第251大隊 中国第7161部隊 広島市基町(偕行社)
1120 第205特設警備工兵隊 中国第2784部隊 広島市東千田町(広島文理科大学)
1121 広島地区第1特設警備隊 中国第32037部隊 広島市幟町(幟町国民学校)
1122 広島地区第2特設警備隊 中国第32038部隊 広島市広瀬北町(広瀬国民学校)
1123 広島地区第3特設警備隊 中国第32039部隊 呉市
1124 広島地区第4特設警備隊 中国第32040部隊 尾道市
1125 広島地区第5特設警備隊 中国第32041部隊 福山市
1126 広島地区第6特設警備隊 中国第32042部隊 三原市
1127 広島地区第7特設警備隊 中国第32043部隊 安芸郡海田市町
1128 広島地区第8特設警備隊 中国第32044部隊 佐伯郡中村
1129 広島地区第9特設警備隊 中国第32045部隊 佐伯郡廿日市町
1130 広島地区第10特設警備隊 中国第32046部隊 佐伯郡津田町
1131 広島地区第11特設警備隊 中国第32047部隊 安佐郡可部町
1132 広島地区第12特設警備隊 中国第32048部隊 山県郡加計町
1133 広島地区第13特設警備隊 中国第32049部隊 高田郡吉田町
1134 広島地区第14特設警備隊 中国第32049部隊・賀北部隊 高田郡吉田町
1135 広島地区第15特設警備隊 中国第32050部隊 賀茂郡西条町
1135 広島地区第15特設警備隊 中国第32051部隊 賀茂郡安浦町
1136 広島地区第16特設警備隊 中国第32052部隊・賀茂部隊 賀茂郡竹原町
1137 広島地区第17特設警備隊 中国第32053部隊・豊北部隊 豊田郡河内町
1138 広島地区第18特設警備隊 中国第32054部隊 豊田郡幸崎町
1139 広島地区第19特設警備隊 中国第32055部隊 豊田郡木江町
1140 広島地区第20特設警備隊 中国第32056部隊 御調郡土生町
1141 広島地区第21特設警備隊 中国第32057部隊 世羅郡東大田村
1142 広島地区第22特設警備隊 中国第32058部隊 沼隈郡松永町
1143 広島地区第23特設警備隊 中国第32059部隊 芦品郡広谷村
1144 広島地区第24特設警備隊 中国第32060部隊・甲神部隊 甲奴郡上下町
1145 広島地区第25特設警備隊 中国第32061部隊 双三郡三次町
1146 広島地区第26特設警備隊 中国第32062部隊 比婆郡庄原町
1149 地区特別警備隊
1152 中国軍管区歩兵第4補充隊第2機関銃中隊 鳥取市
1200 第59軍司令部 山陽第32200部隊 広島市基町
1201 第59軍
1201 第35航空情報隊 師第7437部隊 広島市尾長町(尾長国民学校)
1210 第224師団司令部 赤穂第28329部隊 広島市東白島町(陸軍幼年学校)
1210 第224師団 赤穂第28329部隊高田郡小田村大土山経理勤務班 高田郡小田村
1211 歩兵第340連隊 赤穂第28330部隊 広島市
1211 第224師団歩兵第340連隊 赤穂第28330部隊 山口市
1212 第224師団迫撃砲隊 赤穂第28333部隊 広島市
1213 第224師団工兵隊 赤穂第28334部隊 広島市
1214 第224師団通信隊 赤穂第28335部隊 広島市
1215 第224師団輜重隊 赤穂第28336部隊 広島市
122 独立混成第124旅団司令部 山口県豊浦郡川棚町
1220 独立混成第124旅団司令部 鬼城第28359部隊 山口県豊浦郡川棚町
1221 独立歩兵第748大隊 鬼城第28364部隊 山口県豊浦郡川棚町
1222 独立混成第124旅団砲兵隊 鬼城第28369部隊 広島市
1223 独立混成第124旅団工兵隊 鬼城第28369部隊 広島市
1224 独立混成第124旅団通信隊 鬼城第28370部隊 広島市
123 第154師団
1230 第154師団司令部 護州師団司令部 福岡県赤間町
1230 第154師団 護州第22352部隊 福岡県赤間町
1231 第154師団通信隊 護路第22708部隊 広島市
1232 第154師団輜重隊 護路第22709部隊 広島市
1233 第154師団砲兵隊 護路第28356部隊 広島市
124 中部48部隊第2中隊 倉敷市新田
124 中部軍管区司令部 大阪城内
1241 特設陸上勤務第103中隊 中部第8876部隊(中塩隊) 安芸郡矢野町
1241 西部8876部隊 佐伯郡地御前国民学校
1242 特設水上勤務第132中隊 中部第11170部隊
1243 独立工兵第116大隊 中部第28374部隊 広島市三篠本町(三篠国民学校)
1244 独立工兵第117大隊 中部第28375部隊 安佐郡祇園町(祇園国民学校)
125 第230師団 総武部隊
1251 第230師団歩兵第33連隊 総武第27695部隊 賀茂郡原村
1251 第230師団歩兵第321連隊 賀茂郡原村
1252 第230師団輜重隊 総武第27699部隊 賀茂郡原村
126 浜田歩兵第21連隊 大国部隊加藤中隊 島根県江津市波子
126 大国部隊百済隊
126 大国部隊第3大隊第7中隊 島根県江津市波子
126 第231師団 大国部隊
1260 第231師団司令部 大国第28343部隊 山口市
1261 歩兵第346連隊 大国第28344部隊 山口県大津郡薮海町
1261 大国第28344部隊小林隊 岡山県倉敷市西阿知国民学校
1262 歩兵第348連隊 大国第28346部隊 山口県秋吉台
1262 第231師団歩兵第348連隊 大国部隊 山口県長門市
1263 第231師団迫撃砲隊 大国第28347部隊 山口市
1264 第231師団工兵隊 大国第28348部隊 山口県萩市
1264 大国部隊工兵隊 益田市吉田国民学校
1265 第231師団通信隊 大国第28349部隊 山口市
1266 第231師団輜重隊 大国第28350部隊 山口市
1267 第231師団兵器勤務隊 大国第28351部隊 山口市
1267 大国部隊兵器勤務隊 山口市
1268 第231師団病馬廠 大国第28355部隊 山口市
13 憲兵隊
1300 中国憲兵隊司令部
1301 広島憲兵分隊
1302 宇品憲兵分隊
1303 特別機動隊(広島憲兵隊本部所属)
1304 海田市憲兵派出所
1305 江田島憲兵分隊
1306 廿日市憲兵分駐所
1307 安浦憲兵分駐所
1308 忠海憲兵分隊
1309 呉憲兵隊
1310 広憲兵隊
1311 尾道憲兵分遣隊
1312 因島憲兵分駐所
1313 福山憲兵分隊
1321 山口憲兵隊
1322 宇部憲兵分隊
1323 防府憲兵分隊
1324 光憲兵分隊
1325 徳山憲兵分隊
1326 下関憲兵分隊
1327 柳井憲兵分遣隊
1328 萩憲兵派遣所
1329 岩国憲兵分隊
1330 岡山憲兵隊
140 高射砲第3師団
140 西部第8065部隊高射砲第3中隊 安芸郡海田
140 高射砲部隊
1401 高射砲第121連隊(第4中隊) 炸第7650部隊 広島市
1402 高射砲第122連隊 炸第7651部隊 広島市
1403 高射砲第123連隊(第1中隊) 炸第4168部隊 広島市
1404 独立高射砲第22大隊 炸第8077部隊 広島市向宇品町
1404 独立高射砲第22大隊 炸第8077部隊 広島市江波町
142 鉄道隊
1420 広島地区鉄道司令部 広島市松原町(広島駅構内)
1420 広島地区鉄道司令部 尚武第10315部隊 佐伯郡廿日市町
1421 広島停車場司令部 線第15080部隊 広島市松原町(広島駅構内)
1422 独立鉄道第2大隊 線第13352部隊 広島市楠木町4丁目(崇徳中学校)
1422 独立鉄道第2大隊 福山市
1423 第18独立鉄道作業隊 広島市大芝町(大芝国民学校)
1423 第18独立鉄道作業隊 岡山県西大寺
1424 第10独立鉄道作業小隊 山口県小郡町
145 通信隊
15 暁部隊
15 船舶部隊
1500 船舶司令部 暁第2940部隊 広島市宇品1丁目凱旋館
1501 船舶司令部三次支部 暁第2940部隊
1501 船舶司令部広島支部 広島市仁保町
1511 教育船舶団司令部 暁第6167部隊 広島市仁保町
1516 船舶砲兵団司令部 暁第6180部隊 広島市比治山
1517 船舶砲兵団衛生教育隊 広島市南段原町(広島女子商業学校)
1520 船舶砲兵教導連隊 暁第19777部隊 広島市宇品町・大和紡績工場跡
1525 船舶通信補充隊 暁第16710部隊 広島市皆実町
1526 船舶通信補充隊特別幹部候補生隊 広島市千田小学校
1530 船舶練習部 広島市宇品町・大和紡績工場跡
1531 船舶練習部第10教育隊 安芸郡江田島町幸の浦
1535 野戦船舶本廠 暁第6140部隊 広島市宇品町
1540 船舶整備教育隊 暁第19809部隊 安芸郡坂町鯛尾
1551 陸上勤務第220中隊 暁第19886部隊 佐伯郡井口村
1552 陸上勤務第208中隊 暁第19894部隊 広島市横川町
1553 陸上勤務第209中隊 暁第19895部隊 金輪島
1554 病院船衛生第14班 暁第7140部隊 広島市似島
1555 病院船衛生第53班 暁第6165部隊 広島市似島
1556 船舶衛生隊本部 暁第6177部隊 広島市似島
1557 船舶通信連隊 暁第2955部隊
1558 船舶通信第二大隊 暁第16719部隊 広島市皆実町
1559 第一船舶輸送司令部
1560 海上駆逐第一大隊 暁第16708部隊
1561 海上輸送第20大隊 暁第19834部隊 広島市宇品町
1562 船員教育隊 広島市仁保町
1601 特設水上勤務第122中隊 中部第11170部隊 安芸郡矢野町
1602 海上輸送第26大隊 楠第28380部隊 山口県虹ケ浜
1603 迫撃砲第18大隊 中部第28341部隊 山口市
1604 陸上勤務第201中隊 暁第19887部隊 福山市
1605 陸上勤務第206中隊 暁第19892部隊 山口県下関市
1606 陸上勤務第207中隊 暁第19893部隊 山口県下関市
1607 船舶工兵第37連隊 暁第19822部隊 山口県萩市仙崎町
1608 機動輸送第7中隊 暁第16731部隊 山口県萩市
1609 機動輸送第10中隊 暁第16734部隊 山口県萩市仙崎町
1610 機動輸送第14中隊 暁第16738部隊 山口県萩市
1611 機動輸送第16中隊 暁第16762部隊 山口県櫛ケ浜
1612 機動輸送第26中隊 暁第16772部隊 尾道市
1613 機動輸送補充隊 暁第16711部隊 山口県櫛ケ浜
1614 機動輸送第18中隊 暁第16764部隊 山口県萩市
1615 機動輸送第22中隊 暁第16778部隊 山口県下松市
1616 第11海上挺身整備隊 暁第19876部隊 安芸郡海田市町
1617 第12海上挺身整備隊 暁第19877部隊 安芸郡海田市町
1618 第13海上挺身整備隊 暁第19878部隊 安芸郡海田市町
1619 第14海上挺身整備隊 暁第19879部隊 安芸郡海田市町
1620 第15海上挺身整備隊 暁第19880部隊 安芸郡海田市町
1621 第16海上挺身整備隊 暁第19881部隊 安芸郡海田市町
1622 第17海上挺身整備隊 暁第19882部隊 安芸郡海田市町
1623 第18海上挺身整備隊 暁第19883部隊 安芸郡海田市町
1624 第19海上挺身整備隊 暁第19884部隊 安芸郡海田市町
1625 第20海上挺身整備隊 暁第19885部隊 安芸郡海田市町
1626 海上輸送第16大隊 暁第19818部隊 山口県下関町
1627 海上輸送第18大隊 暁第19820部隊 山口県下関町
1628 海上輸送第19大隊 暁第19833部隊 沼隈郡千年村
1629 高速輸送第1大隊 暁第16707部隊 山口県下関市
1630 船舶工兵第1連隊補充隊 暁第6169部隊 山口県宇部市
1631 船舶工兵第6連隊補充隊 暁第6174部隊 山口県熊毛郡柳井町
1632 船舶工兵第9連隊補充隊 暁第16769部隊 尾道市
1633 海上駆逐隊補充隊 暁第16712部隊 山口市櫛ケ浜
1634 船舶砲兵第1連隊 暁第2953部隊 福山市
1635 船舶機関砲第1連隊 暁第6198部隊 福山市
1636 船舶通信第5大隊 暁第19775部隊 山口県下関市
1637 海上挺身第30戦隊 暁第19769部隊 安芸郡江田島町
17 陸軍病院
170 広島陸軍病院
171 広島第一陸軍病院
1710 広島第一陸軍病院本院 広島市基町
1711 広島第一陸軍病院第一分院 広島市西練兵場内
1712 広島第一陸軍病院江波分院
1713 広島第一陸軍病院柳井分院 山口県熊毛郡柳井町
1714 広島第一陸軍病院島根療養所 松江市
1715 広島第一陸軍病院皆生療養所 米子市皆生温泉
1716 広島第一陸軍病院玉造分院 島根県
1717 広島第一陸軍病院大田分院 島根県太田市
1718 広島第一陸軍病院花岡(櫛ケ浜)分院 山口県熊毛郡花岡町
1719 広島第一陸軍病院高水分院 山口県
1720 広島第一陸軍病院戸坂分院 広島市
1721 広島第一陸軍病院可部分院 安佐郡
1722 広島第一陸軍病院亀山分院 安佐郡
1723 広島第一陸軍病院三入分院 安佐郡
1724 広島第一陸軍病院大林分院 安佐郡
1725 広島第一陸軍病院飯室分院 安佐郡
1726 広島第一陸軍病院鈴張分院 安佐郡
1727 広島第一陸軍病院筒賀分院 山県郡
1728 広島第一陸軍病院戸河内分院 山県郡
1729 広島第一陸軍病院庄原分院
173 第15方面軍衛生下士官教育隊
174 広島第二陸軍病院
1741 広島第二陸軍病院本院
1742 広島第二陸軍病院三滝分院
1743 広島第二陸軍病院三次分院
1744 広島第二陸軍病院東城分院
1745 広島第二陸軍病院向原分院 高田郡
1746 広島第二陸軍病院小串分院 山口県
1761 大野陸軍病院 佐伯郡大野町
1762 広島陸軍病院看護婦生徒教育隊
1763 広島第一陸軍病院広島赤十字病院
1764 広島第一陸軍病院庄原赤十字病院
1765 福山陸軍病院 福山市
1766 岩国陸軍燃料廠第1工廠付属病院
1767 傷痍軍人広島療養所
1768 陸軍共済病院
1771 山口陸軍病院 山口市
1772 岡山陸軍病院
1773 福知山陸軍病院
1774 加古川陸軍病院
1775 小倉陸軍病院
1781 陸軍軍医学校
1782 臨時東京第一陸軍病院
18 海軍
180 呉海軍
1801 中国海軍監督官事務所
1802 呉海軍工廠電気実験部
181 呉鎮守府
182 呉海軍工廠
183 広第11航空廠
1851 呉海兵団
1852 安浦海兵団
1853 大竹海兵団
1854 大竹海軍潜水学校
1871 呉海軍病院
1872 呉海仁会病院
1873 賀茂海軍衛生学校
1874 岩国海軍病院
19 西部8部隊第6中隊 山口県熊毛郡
19 第225師団工兵隊 兵庫県龍野市
19 電信楠21402部隊国兼隊 兵庫県龍野市
19 金剛28262部隊 兵庫県龍野市
19 栄1629部隊 広島市草津国民学校
19 野砲隊監視哨 山県郡加計町
19 靖第19158部隊(航空情報連隊) 福岡県筑紫郡二日市町
19 陸軍機動輸送隊 徳山市櫛ケ浜
19 臣29615部隊 大阪府枚方市
19 門司第2機関砲部隊2大隊13中隊
19 青葉部隊 萩市

 

広島市内主要神社・寺院・教会(2-4)

第4章広島市内主要神社・寺院・教会の被爆状況

2-4 第4章広島市内主要神社・寺院・教会の被爆状況
2-4-1 第一節 序説
2-4-2 第二節 神社(広島護国神社ほか一五社)
2-4-2-1 ①広島護国神社
2-4-2-2 ②白神社
2-4-2-3 ③天満宮(現在・天満神社)
2-4-2-4 ④空鞘神社
2-4-2-5 ⑤広瀬神社
2-4-2-6 ⑥胡子神社
2-4-2-7 ⑦住吉神社
2-4-2-8 ⑧三篠神社
2-4-2-9 ⑨比治山神社
2-4-2-10 ⑩饒津神社
2-4-2-11 ⑪鶴羽根神社
2-4-2-12 ⑫碇神社
2-4-2-13 ⑬東照宮
2-4-2-14 ⑭早稲田神社
2-4-2-15 ⑮旭山神社
2-4-2-16 ⑯神田神社
2-4-3- 第三節 寺院(慈仙寺ほか一五寺)
2-4-3-17 ⑰慈仙寺
2-4-3-18 ⑱浄宝寺
寺報『浄寶』=「1968年、同寺の仏教青年会の機関紙として創刊」「84年に青年会が解散した後も欠かさず発行」(出典:『中国新聞』2018.8.27)。前住職=諏訪了我。
2-4-3-19 ⑲浄圓寺
2-4-3-20 ⑳妙法寺
2-4-3-21 (21)誓願寺
2-4-3-22 (22)国泰寺
2-4-3-23 (23)本覚寺
2-4-3-24 (24)円隆寺
2-4-3-25 (25)本願寺派広島別院
2-4-3-26 (26)多聞院
2-4-3-27 (27)唯信寺
2-4-3-28 (28)瑞川寺
2-4-3-29 (29)三瀧寺
2-4-3-30 (30)法雲寺
2-4-3-31 (31)不動院
2-4-3-32 (32)千暁寺
2-4-4 第四節 教会(日本基督教団広島流川教会ほか二教会)
2-4-4-33 (33)日本基督教団広島流川教会
2-4-4-34 (34)幟町天主公教会(現在・世界平和記念聖堂)
2-4-4-35 (35)日本基督教団広島教会

 

広島市内各学校(2-3)

広島市内各学校(広島原爆戦災誌2-3)

2-3 第3章広島市内各学校の被爆状況
2-3-1 第一節 序説
2-3-1-d-1 広島市学童疎開実施表
2-3-1-d-2 集団疎開児童の記―竹屋国民学校の場合
2-3-1-d-3 広島市内各学校の建物疎開作業出動状況
2-3-1-d-4 広島市内各学校被災状況表(動員学徒を含む)
2-3-2 第二節 各国民学校
2-3-2-1 第一項 広島市本川国民学校
2-3-2-2 第二項 同袋町国民学校
2-3-2-3 第三項 同幟町国民学校
2-3-2-4 第四項 同中島国民学校
2-3-2-5 第五項 同大手町国民学校
2-3-2-6 第六項 同広瀬国民学校
2-3-2-7 第七項 同神崎国民学校
2-3-2-8 第八項 同天満国民学校
2-3-2-9 第九項 同観音国民学校
2-3-2-10 第一○項 同竹屋国民学校
2-3-2-11 第一一項 同白島国民学校
2-3-2-12 第一二項 同千田国民学校
2-3-2-13 第一三項 同段原国民学校
2-3-2-14 第一四項 同三篠国民学校
2-3-2-15 第一五項 同舟入国民学校
2-3-2-16 第一六項 同皆実国民学校
2-3-2-17 第一七項 同荒神町国民学校
2-3-2-18 第一八項 同大芝国民学校
2-3-2-19 第一九項 同牛田国民学校
2-3-2-20 第二○項 同尾長国民学校
2-3-2-21 第二一項 同比治山国民学校
2-3-2-22 第二二項 同己斐国民学校
2-3-2-23 第二三項 同大河国民学校
2-3-2-24 第二四項 同矢賀国民学校
2-3-2-25 第二五項 同江波国民学校
2-3-2-26 第二六項 同宇品国民学校
2-3-2-27 第二七項 同古田国民学校
2-3-2-28 第二八項 同仁保国民学校
2-3-2-29 第二九項 同楠那国民学校
2-3-2-30 第三○項 同草津国民学校
2-3-2-31 第三一項同青崎国民学校
2-3-2-32 第三二項 同似島国民学校
2-3-2-33 第三三項 広島市立第一国民学校
2-3-2-34 第三四項 同第二国民学校
2-3-2-35 第三五項 同第三国民学校
2-3-2-36 第三六項 県立広島師範学校男子部附属国民学校
2-3-2-37 第三七項 広島陸軍偕行社附属済美国民学校
2-3-2-38 第三八項 光道国民学校(註・広島高等師範学校附属国民学校は、大学の項に併記する。)
2-3-3 第三節 各中等学校
2-3-3-01 第一項 広島県立広島第一中学校
2-3-3-02 第二項 同広島第二中学校
2-3-3-03 第三項 県立広島師範学校
2-3-3-04 第四項 広島県立広島工業学校
2-3-3-05 第五項 広島県立広島商業学校
2-3-3-06 第六項 広島県立広島第一高等女学校
2-3-3-07 第七項 広島県立広島第二高等女学校
2-3-3-08 第八項 広島県聾学校
2-3-3-09 第九項 広島県盲学校
2-3-3-10 第一○項 広島市立中学校
2-3-3-11 第一一項 広島市立第一工業学校
2-3-3-12 第一二項 広島市立第二工業学校
2-3-3-13 第一三項 広島市立造船工業学校
2-3-3-14 第一四項 広島市立第二商業学校
2-3-3-15 第一五項 広島市立第一高等女学校
2-3-3-16 第一六項 広島市立第二高等女学校
2-3-3-17 第一七項 修道中学校・修道第二中学校・修道学校
2-3-3-18 第一八項 山陽中学校・山陽商業学校・山陽工業学校・山陽中学校附設広島中学校
2-3-3-19 第一九項 崇徳中学校
2-3-3-20 第二○項 広陵中学校
2-3-3-21 第二一項 松本工業学校
2-3-3-22 第二二項 安田高等女学校
2-3-3-23 第三三項 進徳高等女学校
2-3-3-24 第二四項 広島女学院高等女学校
<松本卓夫><村本節子><サーロー・節子>
2-3-3-25 第二五項 比治山高等女学校
2-3-3-26 第二六項 広島女子商業学校
2-3-3-27 第二七項 安芸高等女学校
2-3-3-28 第二八項 西高等女学校
2-3-4 第四節 専門学校・高等学校・大学
2-3-4-1 第一項 広島女学院専門学校
2-3-4-2 第二項 広島女子専門学校
2-3-4-3 第三項 広島工業専門学校
2-3-4-4 第四項 広島医学専門学校
2-3-4-5 第五項 広島女子高等師範学校・附属山中高等女学校
2-3-4-6 第六項 広島高等学校
2-3-4-7 第七項 広島文理科大学・広島高等師範学校・附属中学校・附属国民学校

絵はがき他

絵はがき他

テーマ 主催 期間
昭和産業博覧会 広島市 1929(昭和4)年3月20日~5月13日
国防と産業大博覧会 呉市 1935(昭和10)年3月27日~5月10日
「支那事変」大博覧会 呉市 1938(昭和13)年3月25日~4月23日
聖蹟広島大本営 史跡名勝天然紀念物保存協会広島支部(発行)
広島市宇品町民が献納した飛行機  愛国第1738 軽爆撃機(宇品町民及有志献納)
似島陸軍検疫所(広島・宇品・名勝)記念写真帖 1939((昭和14)年4月25日発行

広島原爆医療史

『広島原爆医療史』(広島原爆障害対策協議会、1961年8月6日刊)

目次

見出し メモ
発刊のことば  松坂義正 広島原爆医療史編集委員会代表
広島原爆障害対策協議会副会長
中山マサ 厚生大臣
祝辞 尾村偉久 厚生省公衆衛生局長
大原博夫 広島県知事
浜井信三 広島市長
武見太郎 日本医師会会長
1   広島市防空救護対策の概要
1 戦局の様相
2 防空対策
3 救護対策
2   原子爆弾投下と救急救護 
1 原爆投下
2 原子爆弾と障害作用
1 原子爆発の原理
2 広島における原子爆弾の爆発
3 爆発による諸現象と障害作用
3 被害
1 人的被害
2 建築物の被害
3 その他の被害
4 救急救護活動 一、指揮系統の壊滅と応急措置、二、陸海軍およびその医療組織の活動、三、各大学医学部の活動、四、県下救護組織の活動、五、県外よりの来援
3   地元における救護活動の実相--座談会の記録--
1 県衛生課関係
2 市役所関係
3 警察および警防団関係
4 学校救護所関係
5 県下医師会関係 一、当時の県医師会長を囲んで、二、市医師会関係、双三郡医師会関係、四、高田郡医師会関係、五、その他各郡市医師会関係(尾道市医師会、山県郡医師会、安佐郡医師会、賀茂郡北部医師会、甲奴郡医師会、豊田郡医師会、神石郡医師会、呉市医師会、三原市医師会、世羅郡医師会、比婆郡医師会、御調郡医師会)
6 在広病院関係 一、広島赤十字病院、二、広島逓信病院、三、広島三菱造船所病院
7 市歯科医師会関係
8 市薬剤師協会関係
9 市看護婦会、市助産婦会関係
4   占領下原爆障害の医療と調査研究 
1 救護所の閉鎖と医療機関の復興
2 市民生活の窮乏と原爆医療
3 調査研究の困難性
4 文部省学術研究会議その他
5 ABCCの開設
5   占領解除後の原爆後障害対策 
1 原対協の発足と初期の活動 原対協の発足、二、発足前後のいきさつ(座談会)、三、治療活動の開始、四、治療資金の確保、五、治療対策の進展
2 ビキニ水爆と原対協の動き 一、広島市建設促進協議会の活動、二、政府、国会への陳情と関係者の視察、三、市民署名運動の展開、四、原爆資料展の東京開催、五、政府予備費支出(昭和二十九年度)、六、政府、調査研究費を予算計上(昭和三十年度)、七、治療研究の成果、八、「原爆乙女」の渡米治療、九、原爆病院の設立
3 原対協の強化と活動 原対協の法人化、二、予算増額運動(昭和三十一年度)、三、被爆者調査と精密検査、四、国民健康保険実施と被爆者いっせい調査、五、研究治療部の実績、六、治療資金の概況
4 原爆後障害調査研究の概要 一、原子爆弾症の問題、二、「原子爆弾後障害症治療指針」の作成、三、学会その他の動き
5 原爆医療法制定のいきさつ 一、原爆障害者援護法制定への動き、二、原爆医療法政府提案に決定、三、原爆医療法関係予算の内示、四、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案」可決
6   原爆医療法の施行と原対協の事業 
1 原爆医療法の施行 一、原爆医療法の概要と行政機関、二、被爆者健康手帳の交付、三、被爆者の健康診断と医療
2 原対協の事業 一、原爆医療法の施行と原対協の事業目的、二、原爆障害者生活援護の実施、三、原爆後陣書治療研究の助長、四、保健文化賞受賞と記念事業
3 諸団体の援護活動 一、中国新聞社会事業団、二、「広島憩いの家」、三、キリスト教広島被爆者福祉センター、四、その他の団体
4 原爆被爆者福祉センターの建設 一、お年玉つき年賀葉書寄付金配分団体に指定、二、建設の着手と利用計画
5 原子爆弾後障害研究会
7   原爆医療法の改正 
1 法律改正のいきさつ
2 改正原爆医療法 一、特別被爆者と一般疾病医療費の支給、二、原爆障害者と医療手当の支給
8   被爆者対策の諸問題 
1 原爆医療総合研究機関の設立
2 被爆者医療保障の前進
3 被爆者生活援護の確立
編集を終えて
資料篇

 

原爆障害者救援事業広島委員会

財団法人広島原爆障害者対策協議会原爆障害者救援事業広島委員会

1.名称  原爆障害者救援事業広島委員会

2.目的  ノーマン・カズンズ氏等国外有志の好意による原爆障害者救援事業の推進を図る

3.委員

   原爆障害者救援事業広島委員会委員名簿(順序不同)
 顧問  東京日赤中央病院長  都築正男
 日米協会長  小松隆
 日本タイムス社長  東ケ埼潔
 委員  広島市長原医協会長  渡辺忠雄
 日本医師会代議員原対協副会長  松坂義正
 広島県医師会長原対協副会長  正岡旭
 広島大学長  森戸辰男
 広島県副知事  河野義信
 広島商工会議所会頭  白井市郎
 広島市医師会長  今川卓治
 広島市社会福祉協議会  鈴川貫一
 広島市議会議長  柴田重*
 広島市助役  沖野悟
 広島原爆犠牲者遺族援護促進会委員長  任都栗一興
 広島県医師会理事  原田東岷
 広島県医師会理事 大内五良
財団法人広島ピースセンター 谷本清
広島市厚生局長 向井一貫

広島市原爆障害者治療対策協議会

広島市原爆障害者治療対策協議会 1953年1月13日発足

「原爆乙女」の治療問題が社会問題化と地元医療関係者の対応

1952年

1952年
05.20 広島で文芸春秋新社主催文芸講演会。講師:芹沢光治良、真杉静枝
0 6. 09 原爆乙女9人が上京。東京大学小石川分院で診断と治療
12. 08 原爆乙女12人が大阪市立大学・大阪大学の病院で受診
地元の動向
1952年
1.20-2.5 広島市社会課の全市個々面接調査。4038人の障害者の存在を把握。
07 広島の外科医を中心に診断と治療。
受診者総数 864人 (男 339人、 女 525人)
A治療により著しく効果ありと思われるもの 66人
B治療により比較的効果ありと思われるもの 374人
C再診を要するものまたは治療効果疑問と思われるもの 424人
12.27 広島県立医大、広島市に原爆症患者の無料入院を申し出る。
「治療だけならわざわざ大阪や東京などに沢山の費用をかけてゆかなくても大阪東京でできることはもちろん広島でもできる」(附属病院長談)
1953年
1.13 広島市原爆障害者治療対策協議会発足。会長:広島市長、副会長:県医師会長
規約第4条「本会は原爆障害の研究、治療の対策を審議し、並にその推進を図ることを目的とする」(5月14日、長崎市原対協発足)
1.18 広島市民病院で同病院と広島医科大学の医師が中心となって初の診察。75名受診。
 6. 広島市原対協、治療対象者を内科・眼科関係傷害者にまで拡大することを決定。
11. 広島市原対協、治療科目を増設(産婦人科・精神科)
【参考資料】広島市原爆障害者治療対策協議会『原爆障害者治療対策の概要』1955年
【参考資料】長崎原爆傷害者治療対策協議会結成準備打合会 1953.2.18(『長崎日日新聞』 1953.2.19)
1955年
07.08 員総会で財団法人にすることを決議。財団法人広島原爆障害対策協議会

文献

61080601 広島原爆医療史 構成:1.広島市防空救護対策の概要、2.原子爆弾投下と救急救護、3.地元における救護活動の実相、4.占領下原爆障害の医療と調査研究、5.占領解除後の原爆後障害対策、6.原爆医療法の施行と原対協の事業、他略.
69080612 被爆者とともに-続広島原爆医療史 [目次]1.原子爆弾投下、2.被爆による負傷者の救急救護、3.災害の調査研究、4.占領行政と被爆障害者、5.原対協の結成とその活動、6.原爆被爆による後障害とその医療機関、7.原爆裁判と被爆者援護の諸問題、8.厚生省の実態調査と被爆者特別措置法、ほか。
91033102 被爆者・市民とともに「原対協30年のあゆみ」