「慰霊碑1(広島市内)」カテゴリーアーカイブ

広島県地方木材株式会社慰霊碑

広島県地方木材株式会社慰霊碑
建立年月日:1967(昭和41)年8月6日
場所:広島市大手町・原爆ドーム側

 HIC091
[正面]
 慰霊
 [裏面]
 此のドームは第二次大戦時吾国の木材統制機関であった広島県地方木材株式会社の本社として職員二百六十名の本拠であったが昭和廿年八月六日午前八時十五分至近上空に原爆投下され不幸にも役職員百余名がドーム内外に於て被爆殉職したここに原爆ドーム永久保存の決定をみて当時の社長田中好一氏の発起により生存の役職員相集いその霊の冥福を祈ると共に世界永久平和を祈願して之を建碑する併せて木材統制機関の日本木材株式会社広島支店及び広島船舶木材株式会社の殉職者を合祀する昭和四十二年八月六日
広島県地方木材株式会社
旧役職員有志

 

 

動員学徒慰霊塔

動員学徒慰霊塔
建立年月日:1967(昭和42)年5月
場所:広島市中区大手町・原爆ドーム側

HIC090C
HIC090A
HIC090B

動員学徒慰霊塔

[裏面]
広島県動員学徒犠牲者の会
会長 石橋礒一
建設委員長 大東和徳雄
後援会長 檜山袖四郎
設計者 村田相互設計事務所
彫刻者 円鍔勝三
施工者 株式会社砂原組

昭和42年5月
[右側碑]
慰霊塔建設委員
委員長 大東和徳雄
副委員長 朝日輝一 松田亀夫
委員 石橋礒一 沖本津代 栗末義則 笹野口栄 佐々木寿雄 住田道子 平馨 辰本キミヨ 寺前妙子 土井通哉 二井サワエ 温品康子 判田勇 升田建造 丸谷儀一
[側碑]

動員学徒 歌
ほのお果てては
一、君知るや 学徒百万 祖国こそ 生くる命と うち捨てぬ ペンもノートも

二、たたかいの すさぶ折から こぞり立ち 力つくして うち振りし 鎌やハンマー

三、黒髪の 子らも男の子も 若き胸 血汐こぼれて うち絶えし 者や幾人

四、禍つ日の ほのお 果てては いけにえの 人となりもて うち目守る 明日の世界を
うち目守る 明日の世界を ああ学徒 動員学徒

(広島県動員学徒犠牲者会撰)
第二次世界大戦中増産協力等いわゆる勤労奉仕に動員された学徒は全国にわたり三百数十万人あたら青春の光輝と学究の本分を犠牲にしつつ挺身した者の内戦禍にたおれた者は一万有余人その六千余人は原爆死を遂げたこの塔は明眸青雲を望み将来空高く羽ばたこうとした夢も空しく祖国に殉じたそれら学徒の霊を慰めようと有志同胞の手によってうち建てた

友愛-原爆二十周年損保式典の記録

『友愛-原爆二十周年損保式典の記録』(日本損害保険協会広島地方委員会編・刊、 1966/03/31)

題字「友愛」日本損害保険協会会長 高木幹夫
記念碑「友愛」の写真
記念碑「友愛」に寄せて 広島市長 浜井信三
「友愛」記念碑の思い出 日本損害保険協会 専務理事 山口秀男
序のことば 広島地方委員会 委員長 阿倍茂三郎
記念碑「友愛」について
損保関係原爆二十周年慰霊法要
慰霊法要式次第 1
原爆犠牲者名簿 5
導師表白文 11
追悼の辞 12
弔電 22
遺族代表感謝のことば 23
来賓名簿 24
記念碑「友愛」除幕式
除幕式次第 25
斎主諄辞 27
委員長挨拶 28
記念碑製作者への感謝状 32
記念碑の広島市への寄贈 32
記念碑に対する市の受領書 33
儀式の前後 33
来賓諸氏への挨拶状 40
記念碑建設の企画から完成まで 44
寄附金、賛助金の明細 67
儀式と記念碑費用明細 68
遺族を囲む座談会 69
遺族の回想記 77
日本保険新聞社主催の座談会 82
関係者の感想文
久城寿右衛門 113
荒谷輝雄 120
小林敏夫 122
林雅己 124
松井猪之介 125
堀原文俊 128
阿倍茂三郎 131
134 小学児童の感想文 市立袋町小学校児童
138 法要の挙行と碑の建設に従事した地方委員の氏名
140 あとがき 広島地方委員会 副委員長 松林知之

備考 書名は背より、表紙・奥付等の書名「友愛」