『大竹から戦争が見える シリーズ広島地域近現代史 1』(阪上史子著、ひろしま女性学研究所、20160201)
内容
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はじめに 4 |
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1 |
海南島に出会う 6 |
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『大竹港引き揚げの記録』を観る 9 |
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海南島へ行く 13 |
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「神戸・南京をむすぶ会」について 16 |
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大竹と海南島をつなぐもの 18 |
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2 |
大竹から「戦争」が見える 22 |
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歴史遺産たっぷりの大竹 23 |
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大竹海兵団 26 |
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城山三郎と笠原和夫の海兵団体験 26
消耗品としての悔しい日々 29
海兵団それぞれの思い出 31
海兵団と大竹 32
その後の海兵団-跡地利用 33 |
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大竹引揚港 35 |
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海南島から復員 35
海南島の日本兵の戦争犯罪 37
大竹『引揚援護の記録』 39
厚生省『引揚援護の記録』 42 |
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企業城下町・大竹 46 |
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“社宅に住む” 46
大林組の飯場 49 |
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戦争と災害と大竹 52 |
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戦時体制下の大竹 52
甚大な原爆被害 53
枕崎台風と広島 57 |
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占領時代の大竹 59 |
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大竹の占領軍慰安所 59
天皇の大竹訪問 65
国立大竹病院 6 |
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3 |
大竹と朝鮮人 68 |
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記録の中の朝鮮人 69
李相萬(リ・サンマン)さんのお話 75
姜周泰(カン・ジュテ)さんのお話 82
私と朝鮮の出会い 87 |
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おわりに 89 |
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止
『被爆者はどこにいても被爆者 郭貴勲・回想録』( 郭貴勲著、井下春子訳、韓国人被爆者・郭貴勲手記出版委員会編・刊、 20160331)
内容
頁 |
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日本語出版に当たり(郭貴勲) |
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013 |
植民地下で生まれて |
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玄風・郭氏の村/火と因縁が深い私/山を越え簡易学校へ/秀才を集めて馬鹿を作った師範教育 |
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023 |
日本軍生活 |
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問うなかれ、甲子生/貨物列車に乗せられて行った所/広島西部第二部隊/初年兵訓練/苦しい訓練の連続/わずかな期待/乙種幹部候補生/乗馬訓練/頻繁になった空襲警報/古参兵との摩擦/特別休暇/5日遅れの帰隊/転属/工兵隊の夜 |
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059 |
被爆 |
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1945年8月6日午前8時15分/背中が焼けているのも知らず/戦友M君の遺体を前にして/被爆直後の惨状/水をちょっとください!/幸運の生存者/火の海になった広島/歩ける者は駅に行け/60余時間の昏睡状態/生死の分かれ道/変わっていく病室の様子 |
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083 |
戦争は終わったけれども |
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敗戦の放送/落ち着かない雰囲気/原隊復帰/原子爆弾とは?/テニアン島/部隊解散 |
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099 |
帰国 |
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広島よ、さようなら/船の墓場となった下関/仙崎港の帰国船/感激の釜山港/奇跡のような帰郷/私が失ったもの/私が得たもの |
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118 |
教育者の道 |
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解放直後、教壇に立つ/登山も教育の課程/私の夢は地理教師/金山中・商校の時節/ソウル明星女子中学校へ/明星女子高のころ/東国大附属中のころ/学校も変わらねば/また明星女子中に/短い東国大附属高時代 |
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145 |
山に登る |
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智異山、初登頂/登攀大会の開催/生徒と山へ行ったと、始末書を書くことも/山岳運動を興す/二つの山岳事故/洞窟探検 |
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165 |
捨てられた韓国人原爆被爆者 |
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世界唯一の被爆国という嘘/原爆被害とは/被爆体験記投稿/韓国被爆者を無視した韓日協定/初めて韓国人原爆犠牲者慰霊祭に参列/孫振斗裁判とその成果/三菱重工業本社訪問/日本政府、我々の手帳申請を拒否する |
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186 |
人道的支援の虚と実 |
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日本政府の狡狽なやり方/恩に着せられて終わった渡日治療/気の毒な韓国人被爆者たち/救援ではなく補償をしろ/人道的支援金40億円 |
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198 |
被爆者はどこにいても被爆者 |
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切迫した韓国人被爆者問題/裁判闘争に突入/被爆者はどこにいても被爆者/日本人在外被爆者/ブラジルの原爆被爆者たち/アメリカの原爆被爆者たち/初勝訴/負けると信じていた2審で勝訴/痛快の至り/被爆者運動から反核平和運動へ |
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222 |
韓国人被爆者とともに歩んだ日本人 |
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広島の良心、平岡敬/韓国人被爆者問題の伝導師、中島竜美さん/韓国人被爆者の同伴者、市場淳子さん/実践する「聖者」、本島等さん/情熱と執念の平和運動家、平野伸人さん |
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239 |
韓国原爆被害者協会と私 |
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協会設立初期/私の原則/福祉平和会館建設の陶書画展/失敗した東京展示会/初回の任務は事務室移転/人事刷新/もしかしたら殺人容疑者になったかも/協会と保健福祉部/被爆者を本気でかばった金槿泰長官/国史編纂委員会に裁判記録寄贈 |
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270 |
年表 |
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止
『ヒロシマに来た大統領 「核の現実」とオバマの理想』(朝日新聞取材班著、筑摩書房、20160806)
章 |
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プロローグ 新たな始まり 009 |
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1 |
その日、広島で 015 |
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「特別な日だから」/県警史上最大の警備/オバマ大統領と「サダコの折り鶴」/「なぜ私たちは広島を訪れるのか」/「被爆者は、あなたと一緒にがんばる」/ |
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それぞれの思い、それぞれの声 |
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自分こそ、悲惨さを語る役目がある(クリプトン・トルーマン・ダニエル<著述家>) 041
「子供の世代にどんな世界を残せるのか」(キャノン・ハーシー<ビジュアル・アーティスト>) 043
「あれは、どうなったんですか」(山本モナ)<アナウンサー>
045 |
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2 |
広島への道-その理想と現実 049 |
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冷戦終結を象徴するプラハ/イエス・ウィー・キャン/新たな核軍縮条約/
国連でも「核なき世界」/オバマ氏にノーベル平和賞/米国の新たな核政策発表/
中間選挙敗退とアラブの春/冷え込む米口関係/ベルリン演説で一○○○発」/ |
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ウクライナ問題でロシアをG8から排除
「人類共同体」という視点 入江昭(歴史学者) 075 |
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3 |
被爆国・日本、原爆投下国・アメリカ 079 |
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投下直後は世論の圧倒的支持/エノラ・ゲイ論争/謝罪の有無に焦点/不支持が上回る/一度だけ抗議した日本政府/第五福竜丸事件で原爆の実相に注目/「核の傘」に依存する日本/原爆の責任は「日米両政府」 |
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「原爆投下はどうあっても間違い」
ピーター・カズニック(アメリカン大学教授・核問題研究所長) 104 |
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原爆投下を正当化する「神話」と闘う
オリバー・ストーン(映画監督) 107 |
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4 |
広島訪問、前夜 109 |
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最大の試金石/リトマス試験紙/大統領が来ることを願っている/はじめの一歩/日米両政府が訪問実現を意識/謝罪を求めない不思議/そして決断された/折り鶴の真実/日本はNPDIから念頭に/神経戦の調整/「できすぎ」だったケリー訪問/ようやく決まった被爆者との対話 |
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オバマ大統領への三つの注文
黒澤 満(大阪女学院大学大学院教授) 155
恨みや怒りは平和を創る原動力
平岡 敬(元広島市長) 158 |
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5 |
被爆者の思い 163 |
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広島の顔が「大歓迎」/アメリカ憎しの時代/未来志向の一歩/そこに暮らしがあった/少年少女の「墓場」/物言わぬ証人たち/大統領に書き続けた手紙/七万人の叫び聞いて/被爆米兵を追って/原爆被害に人種も国籍もない/憎むべきは戦争/長崎の被爆者も注視/九割が訪問を評価/もう時間がない/核廃絶が謝罪の証し/広島演説「七二点」/和解ムードに憤り/「謝罪」めぐる葛藤 |
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もう一つの「歴史認識問題」
成田龍一(日本女子大学教授) 210 |
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エピローグ 核兵器なき世界への遠い道のり 副島英樹(核と人類取材センター) 215 |
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道徳的な目覚め/厳しい現実/米国とロシア/無用な存在/それでもめざす |
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あとがき 23 |
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執筆者一覧 235 |
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二〇一六年五月二七日に広島でオバマ米大統領の訪問を取材した記者たち 237 |
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資料編 |
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オバマ大統領の広島演説〔全文訳〕 i
オバマ大統領の広島演説(原文) ⅶ
オバマ米大統領、書面インタビュー xiii |
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止
『原爆にも部落差別にも負けなかった人びと―広島・小さな町の戦後史』(大塚茂樹、かもがわ出版、20160605)
章 |
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プロローグ |
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1 |
川に挟まれたひょうたん状の町 |
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ある絵本に描かれた福島町
この町を愛した巡査と娘
クスノキがある町の生い立ち
地域の産業の歴史を捉える
福島町一致協会の誕生
差別の記憶の中で
軍都広島の光と影
太田川改修工事が始まる
コマちゃんと呼ばれていた木原清春
キリスト者として赴いた益田小蝝 |
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2 |
貧しさと差別からの解放を求めて―中西ハルエと仲間たち |
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父と出かけた郊外の村
部落の小学校に学んで
不細工な女の子という自意識
卒業は友との別れを意味していた
初めての差別体験
差別を憎む友との出会い
防空壕を掘っていた朝に
敗戦直後の飢えと貧しさの中で
変わらぬ友、変わった友
差別の苦しみを胸に
苦しみに寄りそう二人
木原清春のまなざし
トラホーム治療活動に参加する
わかくさ子ども会の出発
子ども会と結婚したハルエ
太田川闘争の渦中で
太田川が連れてきた人 |
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3 |
野戦病院のような診療所 |
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中本康雄にとっての戦前と戦後
診療所を待ち望む人びと
二四時間稼働する野戦病院として
我が物顔の飲酒患者
三つの戦争を体験した新任看護婦
病院になっても試練は続く
病院への批判、看護婦たちの苦悩
被爆体験によって医師を志望した中本雅子
選挙に担ぎ出された院長 |
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4 |
部落が変わりゆく日々に |
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4-1 |
子ども会活動を出発点にして |
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小学校を卒業し、靴職人から解放運動専従の道へ(池田實次郎)
素敵なゲームを考案した秘密(森岡宏寿)
子ども会のリーダーは、ハワイアンも愛していた(岩井博)
胸に秘めていた記憶の底から(仮名・笹山三郎)
「原爆の子」として、部落解放運動とは異なる道を(福原新太郎)
子ども会活動から病院職員への一筋の道(森岡富壽)
2 キリスト教社会館が誕生した頃 149 |
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4-2 |
ジョーンズ先生と小蝝さんとともに(和田和江 他) |
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4-3 |
地域の仕事を支えた人たち |
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屠場で生きてきた職人として(中島好勝)
「食肉コンビナート」を支えた先人の後継者として(菊崎司)
ダンスに燃えた日々から靴職人への転身(岡田三千年) |
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4-4 |
親から受けつぎ、自らをつくる |
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父・木原清春と志ともに抱いて(藤川邦子)
差別・両親・音楽への思い(益田遙) |
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5 |
被爆者として生きて |
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部落差別よりも辛かったケロイドへの視線(森本範雄)
忘れられない妹と弟の死(木原清子)
妹・喜和子を死なせてしまった無念(森本英子)
福島町に暮らし続けた在日韓国人として(朴南珠)
折り重ねられた遺体が燃やされる炎を凝視していた(許田宗文)
二人の兄を失い、多くの病気と闘ってきた(岩井留明)
旦雇い労働で一家を支えた母と息子の物語(八木秋江)
被爆体験を語るまでの長い日々(中西ハルエ)
福島地区の被爆の実態を見つめて(金崎是他) |
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6 |
差別を乗り越え、地域を変えるために―人間の苦しみに寄りそって |
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6-1 |
教師たちはどう向き合ったか |
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同和教育が向き合った現実とは(有田穣)
一年十組の生徒たちとともに(玖島慶子)
プラタナス集会と授業改革に賭けた日々(佛圓弘修) |
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6-2 |
地域で教育と文化を育む力 |
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福島地区内外での保護者たちの活動
教育集会所の人びと(八木満喜男他)
ふくしま文庫館長が歩んできた日々(森岡憲子) |
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6-3 |
人間の尊厳を問い続けて |
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就職差別問題に直面して人生が変わった(亀本信子・正志)
医療ソーシャルワーカーとして出会った人びと(山田寿美子)
部落解放運動分裂と三つのエピソード |
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6-4 |
変貌した町を見つめる |
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いまも初心忘れることなく(村田康昭)
くすの木苑が歩んできた道(八木利彦)
地域に向き合うセンスを磨く(小西正則) |
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6-5 |
宗教者として問い続ける |
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部落に生まれたキリスト者として(東岡山治)
町とともに歩んだ寺の住職として(高橋哲了) |
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エピローグ |
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あとがき |
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主な参照文献 |
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