『核に灼かれて 安芸地区被爆の記録』(安芸地区被爆実相委員会)
| 第1集 | ||
| 第2集 | ||
| 第3集 | ||
| 目次 | ||
| 1 | はじめに(1996.7.30) | |
| 2 | 各町の実相 | |
| B | 矢野町 | |
| 高山俊郎 | 原爆を目のあたりにして | |
| 広島高等師範学校附属中学校1年生 | ||
| C | 海田町 | |
| 尾木正己 | 白島付近を通って | |
| D | 船越町 | |
| 上田盈 | 私の原爆体験記 | |
| F | 熊野町 | |
| 田原詩郎 | 熊野町では | |
| 3 | 平和のために | |
| ① | 中節二 | 槇尾さんを偲んで |
| ② | 奥村邦一 | 中節二さんに捧げる |
| ③ | 金子一士 | タヒチ集会に参加して |
| 4 | 三村博保さん追悼集 | |
『核に灼かれて 安芸地区被爆の記録』(安芸地区被爆実相委員会)
| 第1集 | ||
| 第2集 | ||
| 第3集 | ||
| 目次 | ||
| 1 | はじめに(1996.7.30) | |
| 2 | 各町の実相 | |
| B | 矢野町 | |
| 高山俊郎 | 原爆を目のあたりにして | |
| 広島高等師範学校附属中学校1年生 | ||
| C | 海田町 | |
| 尾木正己 | 白島付近を通って | |
| D | 船越町 | |
| 上田盈 | 私の原爆体験記 | |
| F | 熊野町 | |
| 田原詩郎 | 熊野町では | |
| 3 | 平和のために | |
| ① | 中節二 | 槇尾さんを偲んで |
| ② | 奥村邦一 | 中節二さんに捧げる |
| ③ | 金子一士 | タヒチ集会に参加して |
| 4 | 三村博保さん追悼集 | |
書誌1974
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行年月日 |
| 災害の行動科学 : そのとき人はどう行動するか組織はどう対応すべきか | アレン・H.バートン | 学陽書房 | 197411 |
| Communities in disaster : a sociological analysis of collective stress situations | |||
雑誌論文
| 著者 | タイトル | 掲載誌(編集、発行所) | 発行年月日 |
『原水協通信』(2020年)(原水爆禁止日本協議会機関紙)
宇吹所蔵分
| 号 | 発行年月 | 備考 |
| 910 | 2019 | |
| 911 | 20200106 | |
| 広島版 | 年末見舞金を届けました | |
| 「旧陸軍被服支廠」の全面保存・活用を申入れ | ||
| 緊急企画 旧陸軍被服支廠を見て学ぶ会 | ||
| 西区で訪問署名 | ||
| 2020年・ヒバク75年 核兵器廃絶へ大きなうねりを! | ||
| 912 | 20200206 | |
| 913 | 20200306 | |
| 914 | 20200406 | |
| 915 | 20200506 | |
| 916 | 20200606 | |
| 917 | 20200706 | |
| 918 | 20200806 | |
| 919 | 20200906 | |
| 920 | 20201006 | |
| 921 | 20201106 | |
| 922 | 20201206 | |
| 923 | ||
| 924 | ||
| 925 | ||
『平和を創る』(YMCA国際平和研究所編 、勁草書房 、19851030)
目次
| まえがき | |||
| Ⅰ | 核兵器と人類 | ||
| 栗野鳳 | 核軍縮への人類の努力 | ||
| はじめに 2 核軍縮の必要性 4 国連による取組み 5 米ソ「包括的軍縮交渉」 10 軍縮の定義 13 人類社会 14 |
|||
| 川田侃 | 第三世界と共に生きる道 | ||
| 南と北の格差と貧困 22 「新国際経済秩序」のシナリオ 25 「緑」の消滅-森林の減少 28 進行する生活基盤の破壊 32 第三世界を巻き込む軍拡の波 36 第三世界と日本、そして私たち 40 |
|||
| Ⅱ | 平和を創り出す努力(1)平和運動 | ||
| 今堀誠二 | 原水爆禁止運動の役割と展望 | ||
| 原爆災害と終戦と平和憲法 49 日本の安全保障と核抑止論 51 核抑止論と限定核戦争 57 核廃絶に対する日本国民の責任 61 反核国民運動の発展と挫析 65 核廃絶国民運動の再建 66 |
|||
| 岩倉務 | 市民の創る平和運動 | ||
| Ⅲ | 平和を創り出す努力(2)平和教育 | ||
| 空辰男 | 広島から創造する平和教育 | ||
| 組織的にとりあげた平和教育 110 広島平和教育研究所設立 121 とりたてた平和教育とカリキュラム 131 |
|||
| 宗藤尚三 | 幼児と母親のための平和教育 | ||
| 平和を創り出す2つの課題 141 人間形成の課題としての平和教育 143 幼児期の平和教育の課題 146 両親の平和教育 155 |
|||
| 片山美代子 | 平和学習の実践と国際化への道 | ||
| はじめに 158 本校における平和教育の態勢 159 1984年度、平和学習の展開 165 生徒の活動 168 国際平和と国際理解の教育を目指して 173 生徒の感想文より 177 |
|||
| Ⅳ | 国際平和年を経て21世紀に生きるために | ||
| 福田垂穂 | 国際化社会と世界平和 | ||
| 青年たちと平和問題 188 国際化社会とは 191 新しい世界観の確立 194 世界の流れの認識を 196 軍備拡張は戦争抑止たり得るか 198 |
|||
| 平和に対する私の意見 | |||
| (山本和子) | 私の傾倒する平和の倫理 | ||
| (垣内純子) | 家庭と学校での平和教育を | ||
| (天野賢次) | イラン・イラク戦争終結へ広島市民の働きかけを | ||
| (沢田直二) | 日本の政冶を憂う | ||
| (オーランド・ゲーリング) | 広島を世界につなぐ | ||
| (立花志瑞雄) | 平和のためのボランティア通訳として | ||
| 資料篇 | |||
| 永井秀明 | 核戦争か希望か | ||
| 39年目のヒロシマと世界の核状況 228 世界核戦争の結末 234 世界的規模の平和・反核運動 237 平和・軍縮教育の発展 242 非核宣言自治体の役割 247 |
|||
| 〔資料1〕 | 第1回国際連合軍縮特別総会における最終文書(抜粋) | ||
| 〔資料2〕 | 国際連合「新国際経済秩序の樹立に関する宣言」 | ||
| 〔資料3〕 | 国際連合「人間環境宣言」 | ||
| 〔資料4〕ユネスコ「軍縮教育世界会議」最終文書 | |||
| あとがき | |||
書誌1952年
| 月日 | 書名 | 編著者 | 発行所 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 0101 | 歌集・原子雲 | 品川楊村 | 白菊会 | 原災研第4集。広島。 |
| 0115 | 岩国組曲・交響詩 | 御庄博実 | 文芸旬報社 | 原災研第4集。5章烙印PP28-32。 |
| 0115 | 水素爆弾と世界 | 伏見康治 | 弘文堂 | [目次]1.現代物理学の発展、2.水素爆弾と世界 |
| 0120 | 社会保険年鑑1952 | 山西英郎(編)・広島県保険課(監修) | 広島県社会保障研究所 | |
| 0133 | DOME1 | 広島大学皆実分校学友会編 | 原災研第4集。広島に於ける文学活動PP18-22。[広島大学] | |
| 0201 | 国際平和読本-国際連合を中心として | 小谷鶴次 | 関書院 | [広島大学]第3章原子力と国際法。500530の改定版か? |
| 0210 | お父さんを生かしたい-平和を叫ぶ子らの訴え | さがわみちお編 | 青銅社 | 原災研第4集。斉藤精三、神孝、飯口昭子、岩谷千鶴、中村昭三、根岸忠、原田治、伊ケ崎明子。(広島)。 |
| 0210 | ケロイドの頬・詩集 | 佐々木邦彦 | 文童社 | 原災研第4集 |
| 0227 | 原爆の子に応えよう-少年少女たちのねがい | 大阪大学理学部学生自治会(編) | ||
| 1=COPY。今堀資料。編者は1951年秋に「原子力展」を開催。その後の批判会で「原爆の子に応えよう!」との声が満場一致で決まり作文を募集。 | ||||
| 0301 | いとし子と耐えてゆかむ-戦争未亡人の叫び | 植村環・平林たい子・田辺繁子編 | 主婦之友社 | 主婦之友社の呼びかけに応じた作品から選ぶ。[原爆体験記](戦争未亡人の手記50篇のうち広島被爆者の手記1篇):広島の原爆に夫を失う(千葉県・西村美津子)P174-178. |
| 0301 | 群生-第十八年刊歌集 | 添田博彬編 | 九大医学部短歌会 | 黒田吉男、永松淳雄(長崎)、右田俊介。 |
| 0315 | 詩集・風の子物語 | 増岡敏和 | 会 | 謄写刷。 |
| 0325 | 日本にいるアメリカ人-ソヴェト記者のニッポン日記 | クルガノフ | 五月書房 | [長崎取材記] |
| 0325 | 危機の学生運動-歴史とその展望 | 新井恒易 | 明治書院 | U |
| 0401 | 原子力1952年版 | 沢宗誠編 | 青山書院 | |
| 0405 | 永井博士を憶う | 如己堂会編 | 中央出版社 | |
| 0410 | 原爆の図-画集普及版 | 丸木位里・赤松俊子 | 青木書店 | [目次]原爆の図-5部作全図、4分の1図と部分拡大図、[附]「原爆の図」解説、 大衆が描かせた悲願の図-画集普及版によせて、世界平和文化賞「原爆の図」すいせんの言葉(大山郁夫・日本文化人会議)、「原爆の図」の芸術的価値について(内田巌)、感想文集。 |
| 0425 | 藤野七藏氏追懐録 | 藤野七藏氏追懐録編纂委員会(編) | (広島瓦斯会社内) | (4)原爆の廃墟に起ち上がる-瓦斯事業の復興PP38-48。 |
| 0425 | 永井隆の生涯 | 片岡彌吉 | 中央出版社 | [目次]第11医療隊、再建、すりこぎ先生、如己堂、毀誉褒貶、浦上の子供、ばらの花、聖母像、この子を残して、臨終、解剖・市公葬、年譜など |
| 0429 | 天皇陛下を語る[改訂版] | 萩萩月 | 愛花書院 | 第3編天皇陛下九州路え御巡幸 |
| 0430 | 創作代表選集9-昭和二十六年後期 | 日本文芸家協会編 | 大日本雄弁会講談社 | 「カキツバタ」(井伏鱒二)PP91-108、「永遠のみどり」(原民喜)PP135-151、「贋きりすと」(丸岡明)PP195-238。 |
| 0501 | 終戦史録 | 外務省編 | 新聞月鑑社 | 第37篇原子爆弾の投下 |
| 0501 | 句集・平和祭 | 野田不死鳥 | 「夜」発行所 | 原災研第4集。 |
| 0503 | 日本無罪論-印度・パール判事述-真理の裁き- | 田中正明編 | 太平洋出版社 | 「原子爆弾の汚点」PP84-85。「原子爆弾の責任」PP253-254。 |
| 0520 | 大本営発表 | 松村秀逸 | 日本週報社 | 「原爆広島に落つ」PP15-66。著者は、中国軍管区参謀長。 |
| 0613 | 世界と日本 | 清水幾太郎編 | 岩波書店 | 田中慎次郎「原子力と平和」所収。 |
| 0615 | 原爆詩集 | 峠三吉 | 青木書店 | 「あとがき」(峠三吉)PP145-147、「解説として」(なかの・しげはる)PP148-153。91052519に収録。 |
| 0615 | 原爆か原子平和か | デザンチ・ドニミック、シャルル・アローシュ(共著) | 新時代社 | 「推薦の言葉」(平和擁護日本委員会)PP1-6。[目次]1.なぜ原子爆弾は落とされたか?、2.「秘密」の幕うら、3.原爆つくりのボス連と原爆製造工場、4.冷たい戦争の武器「原子力スパイ狩り」、5.平和をつくる人たち、6-11略。 |
| 0620 | 荊の道(警鐘号) | 田中秀正 | 「某氏の原爆体験記」PP9-11。 | |
| 0625 | 詩集・同心円 | 織田隆一 | 詩人社 | 原災研第4集。同心円、それは嘘の嗤ひだった-浦上天主堂にて、 |
| 0705 | 平和文化の原子的開裂-地球の平和XIX | 地球文化研究所 | 平和文化大系刊行会 | 水素爆弾賛美のわけのわからない本。 |
| 0710 | 片隅の命と共に-保護観察の体験記録-更生保護研究賞受賞作品 | 中央更生保護委員会編 | 日本更生保護協会 | 第6部原爆孤児はかくて生きる(和田方光)PP903-240 |
| 0731 | 現代詩代表選集第三巻-一九五二年版- | 日本文芸家協会編 | 創元社 | 原災研第4集。朝(峠三吉)PP119-120。 |
| 0731 | 春の城 | 阿川弘之 | 新潮社 | 小説・広島。 |
| 0731 | 広島市・市勢要覧・昭和26年(1951)版 | 広島市総務局総務課 | 広島市役所 | |
| 0801 | 原爆の子-特作映画シリーズ第4輯 | 近代映画協会編 | 三到社 | 「原爆の思い出」(佐伯一幸、福島良介)P7、「誰よりも人間らしく」(吉岡宏)P12、「原爆体験談」(川北静三、土井精一、横田与茂作、正田篠枝、富田順次)PP14-15。 |
| 0803 | 原爆の子-見よ!戦争の惨苦を!-廣島の少年少女・魂の叫び | 日本労働組合総評議会情報出版部(編) | 「序文」(長田新)。「原爆の子」105編の中から32編を選び教文シリーズ第1集として発行。[広島大学] | |
| 0805 | 日本現代詩大系-第9巻 | 三好達治(編) | 河出書房 | 「原爆詩集抄」(峠三吉)PP414-416。 |
| 0806 | 広島-戦争と都市 | 岩波書店編集部(編) | 岩波書店 | [目次]1.天災と戦災、2.原子爆弾、3.原爆の傷痕、4.「ノー・モア・ヒロシマズ」 |
| 0814 | 原爆第1号-ヒロシマの写真記録-NO MORE HIROSHIMA | 田島賢裕・梅野彪(編) | 朝日出版社(発行)・洛陽書院(発売) | 写真(長崎のものがある?)と解説。 |
| 0815 | 記録写真・原爆の長崎 | 北島宗人(編)・山端庸介(撮影) | 第一出版社 | 長崎原爆の直後、西部軍報道部に召集されていた写真家山端庸介、画家山田榮二、文筆家東潤の3名は視察命令により長崎に出動.本書は3人が記録した長崎の被災状況を、記録写真58葉、スケッチ28枚、ルポ1篇で紹介. |
| 0815 | シナリオ原爆の子-近代映画協会・劇団民芸共同作品 | 近代映画協会・劇団民芸(編) | 近代映画協会・劇団民芸(発行)、映画タイムス社(発売) | 巻末:“原爆の子”によせて:郷里の広島から(阿川弘之)P32-33、ぜひ世界の人々に(吉川清)33P、前祝い(責司山治)P33-36、必要以上に必要(若杉慧)P34-35、世界の映画(佐多稲子)P35-36.他 |
| 0830 | 仁科芳雄-伝記と回想 | 朝永振一郎・玉木英彦編 | みすず書房 | 仁科は1951年1月10日永眠。[目次]1.「仁科芳雄博士略伝」(山崎文男)、2.晩年の著作3篇、3.思い出(湯川秀樹、木村健二郎、岡崎嘉平太、武見太郎、松本一、小倉真美、金関義則、小林稔、関戸弥太郎、朝永振一郎、玉木英彦)4.仁科先生を偲ぶ座談会。 |
| 0901 | 人間襤褸 | 大田洋子 | 青木書店 | 解説:本多秋五。河出書房版51080502。 |
| 0901 | 詩集・原子雲の下より-広島の人々の平和のうたごえ | 原爆の詩編纂委員会編 | 青木書店 | 「序文」(峠三吉)。1970年5月、編者を峠三吉・山代巴に代えて出版。91052519に抄録。 |
| 0901 | 日本詩人全集第十巻-昭和篇(5) | 大江満雄編代表 | 創元社 | 原災研第4集。原子と人間(湯川秀樹)PP278-282 |
| 0905 | 連鎖反應 | 徳川夢声 | 東成社 | [原爆関係](1篇):連鎖反応-ヒロシマ・ユモレスクP5-46. |
| 0909 | 平和のために-原爆展感想文より | 岸清次編 | 立川平和懇談会 | 8月15日を期して3日間開催。赤松・丸木の「原爆の図」5部作と東京都立大の学生有志により集められた写真資料を中心とした原爆展。延べ187名が協力。入場者総数は9907名(子どもを加えると1万2000名以上)。平和関係の署名4789票。(序文より) |
| 0910 | 日本ヒューマニズム詩集-一九五二年版 | 編集委員会編 | 三一書房 | 原災研第4集。清水高範、江間章子、深尾須磨子、石垣りん子、林幸子、壷井繁治、山口雅子、上林猷夫、大江満雄、秋山清、峠三吉。 |
| 0920 | 詩集・川よとわに美しく | 米田栄作 | 第二書房 | 51042501の改訂版。 |
| 0929 | 原子爆弾災害調査研究班第1回研究協議会記事 | |||
| 1001 | 日本印象記-ヒロシマの家 | フロイド・シュモー(Schmore,Floyd)(著) | 広島ピース・センター | シュモー博士は大戦後、米国市民に被爆者救援の「ヒロシマの家」運動を提唱.あつまった寄付金と建築奉仕者の協力により、1949年8月初来日から1952年10月末までに広島市内に16軒の「平和住宅」を建築し市に贈呈. |
| 1001 | 画報近代百年史第十七集 | 不動健治編 | 国際文化情報社 | 原災研第4集。[原爆の子の画集]。前田美穂、山本雅子、名柄喜久子。 |
| 1015 | 心理学論文集-古賀先生還暦記念 | 三好稔(編集代表者) | 広島文理科大学心理教室 | [広島大学]「戦禍に及ぼせる心理的影響に関する一調査」(松浦田鶴子)PP234-239。(「この一篇を原爆に散った父母に捧ぐ」、被爆後2年目の調査。) |
| 1030 | 私たちは長崎にいた-原爆生存者の叫び | 永井隆 | 大日本雄弁会講談社 | 『永井隆全集』710828に収録。 |
| 1030 | 題名のない新聞欄-天声人語より | 荒垣秀雄 | 河出書房 | 「原爆乙女の長袖」(1951.8.6)、「原爆の子ら」(8.1)、「原爆基地お断り」(1952.8.5)、「原爆の子」(8.24) 。 |
| 1110 | 歌集・死灰の街 | 小堺吉光 | エコールドヒロシマ | |
| 1110 | 祖国への遺書-戦犯死刑囚の手記 | 塩尻公明編 | 毎日新聞社 | 広島・長崎の人々を思えば(大塚操)PP198-201。 |
| 1115 | 改造1952年増刊号(第33巻第17号) | |||
| 1117 | 広島の建築-’56~’61年版 | 広島県土木部営繕課編 | 広島県建築士会 | |
| 1201 | 不死鳥の子-原爆乙女巣鴨来訪記念文集 | すがも広島県人会・信友会・プリズン文学研究会・白蓮社(編) | 1952年6月11日、9人の原爆乙女と吉川清が谷本清・真杉静枝・楠瀬常猪・平原重幸とともに慰問。その時の感想文を中心にまとめる。 | |
| 1201 | 原子爆弾の話 | 志田信 | 東京大学出版会 | 高校生大学生などが原爆展開催の経験をもとに作成。序(草野信男)。 |
| 1205 | カケモノ-占領日本の裏表 | H・トレイシー | 文芸春秋新社 | 原著名:KAKEMONO by Honer Tracy。第14章アメリカの悲劇[広島見聞記] |
| 1208 | 原爆機東京へ-新版・太平洋戦争秘録 | 木村登 | 鱒書房 | 「原爆機東京へ」PP205-208。 |
| 1208 | 物語吉浦郷土史 | 物語吉浦郷土史編・刊 | ||
| 1215 | 深尾須磨子詩集-日本国民詩集 | 深尾須磨子 | 三一書房 | 原災研第4集 |
| 1225 | 阿部知二作品集第四巻 | 阿部知二 | 河出書房 | 「長崎」(小説)PP234-242。 |
| 1333 | 僕らはごめんだ | 篠原正瑛 | 「平和」1952年11月号の情報。 | |
| 1333 | ヒロシマ-写真アルバム | 佐々木雄一郎編 | 日本交通公社 | 原災研第4集。「ヒロシマ」に題して(小倉豊文) |
| 1333 | 私たちは忘れない-広大原爆展感想集 | 原爆の子を守る会(広島文理大自治委員会内) | [広島大学]5月20-21日、吉川清の写真50葉と土井晩鐘の原爆が12点で原爆展を開催。参観者は約700人。 | |
止
書誌1990
| シンポジウム 非核・平和教育を国民のために | 非核の政府を求める会編、平和文化 | 19900120 | |
| 小岩井増夫「高校生平和ゼミナールで自立を」 | |||
| 山口勇子「世界史をつくる若者たちを支えるもの」 | |||
書誌1995
| 書名 | 発行年月日 | 備考 | |
| 今どきの大学生1995-「原爆・戦争・国連について大学生316人が答えた」 | オーロラ自由アトリエ編・刊 | 19950625 | U |
書誌2019
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行年月日 | 備考 |
| 象徴として | 毎日新聞社会部 | 毎日新聞出版 | 20190420 | |
| 検証「戦後民主主義」 わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか | 田中利幸 | 三一書房 | 20190520 | |
| 光に向かって這っていけ 核なき世界を追い求めて | サーロー節子、金崎由美著 | 岩波書店 | 20190723 | |
| 軍馬と楕円球 | 中野慶 | かもがわ出版 | 20190725 | 受贈 |
| 異端の被爆者-22度のがんを生き抜く男 | 横井秀信 | 新潮社 | 20190925 | 受贈 |
| 長崎の証言50年 半世紀のあゆみを振り返る | 長崎の証言の会 | 長崎の証言の会 | 20191215 | |
| 原爆文学研究18 | 原爆文学研究会 | 花書院 | 20191221 | 受贈 |
| 四條知恵 | 「虫」 に寄せて-歴史的出来事の空白をめぐる検討 | |||
雑誌論文
| 著者 | タイトル | 掲載誌(編集、発行所) | 発行年月日 |
| 小池聖一 | 旧制広島高等学校資料、同窓会収集資料としての特質について | 広島大学文書館紀要 第21号(広島大学文書館) | 20190228 |
| 四條知恵 | 散逸する長崎の歴史資料-公文書館設立への提言 | 平和文化研究第40集(長崎総合科学大学長崎平和文化研究所) | 201905 |
| 四條知恵 | 原爆投下後における浦上の復興と地域社会の変容-互助組織「講内」の活動に着目して | 九州歴史科学第47号(九州歴史科学研究会) | 201912 |
止
『ヒロシマわが罪と罰-原爆パイロットの苦悩の手紙』
(クロード・イーザリー、ギュンター・アンデルス、篠原正瑛(訳)、筑摩書房、1962年8月5日)
内容
| 解説(ロベルト・ユンク) | ||
| 1.未来図の象徴という断罪/ | ||
| 2.私は狂信的な人間ではない/ | ||
| 3.平和のために役立ちたい/ | ||
| 4.原子力時代の最初の犯罪/ | ||
| 5.ありがたくない宣伝材料/ | ||
| 6.幅の広い戦線をつくろう/ | ||
| 7.ボブ・ホープの映画化計画/ | ||
| 8.広島の少女たちの友情/ | ||
| 9.自伝映画に出演するな/ | ||
| 10.私を利用しようとする人びと/ | ||
| 11.二人で伝記を書こう/ | ||
| 12.ユダがもらった銀貨/ | ||
| 13.泳ぐためにはまず泳げ/ | ||
| 14.日本からの多くの手紙/ | ||
| 15.殉教者というものの運命/ | ||
| 16.原子兵器反対のリーダーに/ | ||
| 17.見せ物にならないように/ | ||
| 18.(省略)/ | ||
| 19.(省略)/ | ||
| 20.平和運動をさまたげる弟/ | ||
| 21.だれが君を病院に入れたのか/ | ||
| 22.闇ルートで返事を送る/ | ||
| 23.(省略)/ | ||
| 24.君の主治医に手紙を書いた/ | ||
| 25.ドイツのグラフ誌に君の記事が/ | ||
| 26.禁止措置はとれないか/ | ||
| 27.掲裁中止を申し入れよう/ | ||
| 28.みずから刑罰を求めた私/ | ||
| 29.プライバシーと報道の自由/ | ||
| 30.審問の結果が知りたい/ | ||
| 31.僕が求めている欲張った報酬/ | ||
| 32.君はノーマルだ/ | ||
| 33.クロードは責任回避を拒絶したのです/ | ||
| 34.もしも退院したら/ | ||
| 35.君はユーモアをとりもどした/ | ||
| 36.もっと 積極的なたたかいを/ | ||
| 37.ワナにかかったのかもしれない/ | ||
| 38.トランキライザーに参っている/ | ||
| 39.一五年目の広島記念日/ | ||
| 40.僕がまちがっていた/ | ||
| 41.日本からのアンケート/ | ||
| 42.広島上空で私がしたこと/ | ||
| 43.弟たちを説得してくれ/ | ||
| 44.ポーリング博士を救おう/ | ||
| 45.希望と現実のかけ橋/ | ||
| 46.人類はじまって以来の問題/ | ||
| 47.私信も検閲にかかっている/ | ||
| 48.選挙が僕の退院をさまたげる/ | ||
| 49.日本へ行きたい/ | ||
| 50.ノーマルな生活を立証せよ/ | ||
| 51.病院から脱走した/ | ||
| 52.秘密の家で守る九カ条/ | ||
| 53.(省略)/ | ||
| 54.アメリカは僕を歓迎しない/ | ||
| 55.メキシコヘ行ってみてはどうか/ | ||
| 56.再びとらわれの身となって/ | ||
| 57.二○世紀のドレフュス事件/ | ||
| 58.精神の健全さを証明しよう/ | ||
| 59.(省略)/ | ||
| 60.なぜ事件を忘れるのか/ | ||
| 61.疑わしいイーザリー裁判/ | ||
| 62.ラッセル卿のイーザリー観/ | ||
| 63.ドレフュス・コンプレックス/ | ||
| 65.君の良心は奪われない/ | ||
| 66.僕はけっして勇気を失わない/ | ||
| 67.イーザリーの抑留は正当である/ | ||
| 68.法律的にも疑問あり/ | ||
| 69.提訴は実を結びつつある / | ||
| 70.君を忘れない、永遠に/ | ||
| 71.釈放の日は目前だ/ | ||
42.広島上空で私がしたこと[抄]
私は先導機、すなわち”ストレート・フラッシュ”号を指揮していました。私の任務は、原爆投下の目標地を選定したときに、第一候補としてあげられたこの広島に無事に到達し、天候の状態を確認するとともに、敵の空軍や高射砲部隊から何らかの抵抗が予想されるかどうかを判断することでした。
私は広島の上空に達してから約45分間、そのあたりを飛行しながら、広島の上空に立ちこめて一部視界をさえぎっていた雲の状態をしらべました。原爆投下の目標は、軍司令部と広島市との中間にある橋でした。約15機ほどの日本の飛行機が1万5000フィート(約5000メートル)の上空を飛んでいましたが、私のいる2万9000フィート(約1万メートル)の高度まで上昇しようとする気配はありませんでした。しかし、これら日本の飛行機は、まもなくどこかへ行ってしまいました。
この日、すなわち8月6日の天侯の状況はつぎのようでした。広島の上空には、1万2000フィートと1万5000フィートの間に積雲が散在し、毎時10ないし15マイルのスピードで広島の方向へ動いているようでした。私がこれらの事実を観測したのは、午前7時30分ごろだったと思います。目標の地点ははっきりと見えていました。それは、すでに申しあげましたとおり、一つの橋で、この橋を破壊することによって、日本軍の司令部に致命的な打撃をあたえずにはいないだろうと考えられたのです。
私には、天候の状況は理想的であると思われました。つまり、目標の橋だけが見えていて、広島市は視界からさえぎられているから、市それ自体は爆撃をまぬかれるだろう、そして、司令部に投下された原爆は、日本の軍部をして否応なしにそのおそるぺき破壊力を知らしめ、講和の条約に署名してこのおそろしい戦争を終わらせねばならねと悟らせるだろう、とこのように私には思われたのです。
私は、僚機に対して、”準備完了、投下〃を知らせる暗号の命令を送りました。すなわち私は、目標への原爆投下を指令したのです。
1987年7月28日、ちくま文庫
『ヒロシマの証言 平和を考える』 (広島平和文化図書刊行会編、日本評論社、19690806)内容
| 編- | ||
| 山田節男(広島市長) | 序 | |
| 森脇幸次(編集委員長) 庄野直美(執筆総括者) |
『ヒロシマの証言』刊行にあたって | |
| 1 | 被爆体験 | |
| 1-1 | 原爆が落ちた時 | 原子雲の外から/原子雲の下で |
| 1-2 | 生きながらの地獄図 | 炎と雨の中で/炎の街にはいる |
| 1-3 | 廃墟と屍の街 | |
| 1-4 | 原爆投下の状況 | 予想もできなかった/原爆投下は警告されていたか/なぜ原爆は投下されたか |
| 1-5 | 平和のねがい | 被爆者の声 /被爆体験をどう受けとめるか |
| 2 | 被爆者と市民の生活史 | |
| 2-1 | 原爆孤児 | 0年ぶりの茶の間/原爆直後の孤児/孤児の生活/アメリカの精神養子運動/広島子どもを守る会 |
| 2-2 | 原爆障害に悩む人びと | 広島の涙 /ピカドン傷/きのこ雲の下より |
| 2-3 | 原爆孤老 | 行くところなし/さかさごと /現実の対策 |
| 2-4 | 原爆を作品に書いた人たち | 原民喜/大田洋子 /阿川弘之/原子爆弾特集号 /正田篠枝/詩の発表 /峠三吉 /反戦詩歌集/「歌集・広島」と「句集・広島」/原爆と小説/ |
| 2-5 | 立ち上がった人びと | 木片を探す少年 /晴れたある日 /愛の手 |
| 2-6 | 報道関係の努力 | 報道と権力 /平和運動と報道/原点をさぐる |
| 2-7 | 身近で遠い被爆者たち | 核の島・沖縄の273人/被爆した朝鮮人 |
| 2-8 | 平和教育への道程 | 驚くほど空白な平和教育 /平和教育の初期 /平和教育の窒息/広島の平和教育/教室での平和教育/「現代っ子」の平和意識 /平和教育への立ち上がり |
| 3 | 被爆者救援と平和への努力 | |
| 原爆タブーの時代・それでも広島は屈しなかった | ||
| 1945年(昭20) | 原爆投下/被爆後の応急措置/付記 | |
| 1946年(昭21) | 平和復興祭/広島市青年連合会/付記 | |
| 1947年(昭22) | 平和祭と平和記念式典/ABCC/付記 | |
| 1948年(昭23) | ヒロシマ・ピース・センター/付記 | |
| 1949年(昭24) | 平和擁護広島大会/世界連邦運動/平和記念都市建設法/シュモー・ハウス/付記 | |
| 1950年(昭25) | ストックホルム・アピールの反響/付記 | |
| 1951年(昭26) | 作文集「原爆の子」/原爆問題研究発表の活発化/付記 原水禁運動興隆の時代・みんなが願った原水爆禁止 |
|
| 1952年(昭27) | 原爆被害者の会/世界仏教徒会議/付記 | |
| 1953年(昭28) | 広島原対協/大学人の会/付記 | |
| 1954年(昭29) | 反核の叫び全国に広がる/広島県原水協/ドイツから平和の鐘 | |
| 1955年(昭30) | 第1回原水禁世界大会(広島)/広島の原点・原爆資料館/平和美術展/皆実原爆被害者の会/付記 | |
| 1956年(昭31) | 広島県被団協/日本被団協/原爆の子の像/広島原爆障害研究会/付記 | |
| 1957年(昭32) | 被爆者医療法/広島憩いの家/付記 | |
| 1958年(昭33) | ヨット「フェニックス」号/折鶴の会/付記 | |
| 混迷の時代・努力を続ける人びと | ||
| 1959年(昭34) | 第5回原水禁世界大会(広島)/付記 | |
| 1960年(昭35) | 第6回原水禁世界大会(東京)/原水禁広島母の会/付記 | |
| 1961年(昭36) | 広島キリスト者平和の会/付記 | |
| 1962年(昭37) | ||
| 1963年(昭38) | 第9回原水禁世界大会(広島)/原爆裁判の判決/付記 | |
| 1964年(昭39) | 世界平和巡礼/「原水爆被災白書」運動/付記 | |
| 1965年(昭40) | ワールド・フレンドシップ・センター/広島通信/付記 | |
| 1966年(昭41) | 原爆ドームの保存/付記 | |
| 1967年(昭42) | 広島平和文化センター/ベトナム戦傷孤児の救援/ヒロシマ研究の会/市民対話の会/付記 | |
| 1968年(昭43) | 原爆被災資料の収集/原爆被災全体像調査/被爆者特別措置法/付記 | |
| わたくしたちは何をしたらよいのか | ||