小佐々八郎 作業中
19940216没 | 小佐々八郎 | こささ・はちろう | 88 | 日本被団協顧問。長崎原爆被災者協議会会長などを歴任。藤居平一氏の紹介で自宅を訪問。 |
資料年表:小佐々八郎
年月日 | 事項 | 備考 |
止
小佐々八郎 作業中
19940216没 | 小佐々八郎 | こささ・はちろう | 88 | 日本被団協顧問。長崎原爆被災者協議会会長などを歴任。藤居平一氏の紹介で自宅を訪問。 |
資料年表:小佐々八郎
年月日 | 事項 | 備考 |
止
渡辺千恵子
わたなべ・ちえこ | 19280905生19930313没 | 享年64歳 | 長崎原爆乙女の会を結成。映画「生きていてよかった」に藤居平一に抱かれて外出した映像あり。 |
資料年表:渡辺千恵子<作業中>作業中
年月日 | 事項 | メモ |
1928 | ||
0905 | 生 | |
1993 | ||
0313 | 没。享年64歳。 | |
止
谷口稜曄
たにぐち・すみてる | 19290126生20170830没 | 長崎被爆者。享年88歳 |
資料年表:谷口稜曄<作業中>
年月日 | 事項 | メモ |
1929 | ||
0126 | 誕生 | |
1970 | ||
0801 | 『長崎の証言1970』(「長崎の証言」刊行委員会編、あゆみ出版社) | |
(表紙写真)被爆直後の谷口少年…(朝日新聞社提供) 第一章 二十五年めの原爆とは何か 二十五年めの回想と証言…谷口稜曄 8 |
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1971 | ||
0730 | 『炎の中を生きて 私の戦争体験記 原爆被爆者の手記』(原水爆禁止日本協議会編、日本青年出版社) | |
第三部 二五年日の証言 *被爆者こそ、怒りをもって原水爆を告発できる 谷口稜曄 168 |
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<作業中> | ||
2017 | ||
0830 | 死亡。享年88歳 | |
止
資料年表:森滝市郎
年月日 | 事項 | メモ | |
1905 | |||
0428 | 広島県双三郡君田村で誕生。 | ||
1976 | |||
0530 | 『反核三十年』(日本評論社) | ||
1985 | |||
0625 | 『非核未来にむけて 反核運動40年史』(森滝市郎ほか著、績文堂、19850625) | ||
森滝市郎 「序」 | |||
0710 | 『ヒロシマ四十年 森滝日記の証言』(中国新聞社編、平凡社) | ||
1988 | |||
0805 | 『いのちとうとし』(森滝市郎先生の米寿を祝い激励するつどい実行委員会) | ||
1994 | |||
0325 | 『核絶対否定への歩み』(森滝市郎、原水爆禁止広島県協議会<広島県原水禁>刊、発行所:渓水社)- | ||
1995 | |||
0720 | 『人類は生きねばならぬ』(森滝市郎追悼集刊行委員会) | ||
2017 | |||
0806 | 広岩近広『核を葬れ! 森滝市郎・春子父娘の非核活動記録』(藤原書店) | ||
止
『ヒロシマ四十年 森滝日記の証言』(中国新聞社編、平凡社、19850710)
内容
部 | ||
1 | 運命の日、8月6日 1 | |
一瞬の閃光、右眼を失う 3 爆死体累々、地獄絵の町 7 病床に続々、知人の安否 10 皇国の栄信じた、被爆前への悔恨 12 終戦を宣する「玉音放送」に号泣 16 帰郷、肉親に再会し、心安らぐ 18 郷里、敷地の里で療養生活 20 反核へ「慈の文化」を説く 25 |
||
2 | 反核への道 第1回原水禁世界大会まで 29 | |
戦後最初の仕事、学園の広島復帰 31 天応奉迎、広島再建へ励ましのお言葉 33 「広大平和問題研究会」設立に奔走 36 平和を訴え、「原爆の子」出版 36 原爆孤児へ愛の手「精神養子運動」 40 ビキニ海域の水爆実験で日本漁船被災 43 原水爆禁止署名、広島県で百万人 46 広島平和大会へ、広範な草の根結集 48 「広島原水協」を結成 50 女性の語り部、欧州で平和訴え 52 大衆主導の大会めざし、広島準備会 55 共産圏代表への入国ビザが難航 57 原爆投下の日、第1回原水禁世界大会 59 |
||
3 | 世界への訴え 連帯を求めて 65 | |
「日本原水協」発足、反核の新たな母体 67 保守を含め、広島市原水協を結成 69 映画「生きていてよかった」が好評 71 援護法制定めざし、広島県被団協を結成 73 第2回原水禁世界大会、長崎で 76 長崎と連帯、日本被団協が発足 78 原爆医療法が成立 81 英の水爆実験阻止めざし、市民大会 83 米英ソへ国民平和使節 86 ノーベル賞作家ラッセル卿を訪問 91 ゲッチンゲン宣言の科学者と交流 93 第4回原水禁世界大会、東京で 95 第5回世界大会、東西緊張背景に 98 |
||
4 | 分裂の軌跡「いかなる国」巡って 105 | |
「60年安保」の年 107 当局から圧力、被団協への補助金カット 109 反安保に全国でデモ 原水協も「非常事態宣言」 111 第6回世界大会 平和へ戦う姿勢 117 援護法の成立求め、国会請願 121 民社・全労系が別組織「核禁会議」結成 124 地婦連などから体質改善迫らる 126 第7回世界大会、内部対立深まる 129 ソ連が核実験再開、抗議の可否で激論 131 米ソに核実験中止訴え、市民大会 133 「いかなる国」問題で社共が対立 136 基本原則貫く、社党・総評路線の色濃し 138 大学に辞表出し、米核実験再開に抗議 140 「悟り」精神的原子の連鎖反応こそ力 143 第8回世界大会のさなか、ソ連が核実験 反対巡り、社共激しく対立 145 社会党系団体で、原水禁国民大会 156 「いかなる国」問題で安井理事長ら辞職 160 地方原水協の統一要求、中央を動かす 162 部分核停条約巡り、新たな対立 第9回世界大会、事実上の分裂に 167 第9回世界大会 分裂のドキュメント 昭和38年8月1日~7日 182 |
||
5 | 被爆地の願い 国は責任を認めよ 185 | |
被団協にきしみ、原水協脱退論が再噴出 187 原爆裁判判決、原爆投下は国際法違反 189 ビキニ・デー広島集会、政党色排して 191 被災三県原水協の連絡会議発足 194 昭和39年夏の大会、3つの分裂集会に 196 被災白書運動、国に被爆実相の解明迫る 198 「原水禁国民会議」が発足 201 停年退官の最終講義で決意披露 204 昭和40年夏も3つの大会 206 日本被団協理事長、初の選挙に 209 原爆ドーム保存へ、新たな市民運動 212 つるパンフ、援護法運動の理論的支え 215 援護法制定めざし、国会請願行動 218 シンポジウム「ヒロシマを考える」 220 42年夏の3つの大会へ中ソ不参加 222 厚生省被爆者調査「一般と差異ない」 225 被爆者特別措置法成立、要望と隔たり 227 統一行動への道を手探り 230 援護法制定めざし、衆参両院で訴え 234 44年夏、原水禁沖縄大会 239 |
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6 | 風化に抗して 核なくなる日まで 243 | |
70年安保の年迎え、決意新たに 245 安保自動継続抗議に77万人 247 被団協理事長辞任、集団指導体制へ 250 ヒロシマ会議、核時代から脱却の道を 252 被爆者援護法、またも廃案に 254 8月6日、佐藤首相の初出席巡り賛否 257 岩国基地に核貯蔵庫? 撤去求め集会 260 ベトナム和平協定調印さる 262 密航韓国被爆者に裁判で被爆者手帳 265厚かった原爆症認定の壁、桑原訴訟 267 米国依り被爆資料返還、28年ぶり公開 269 中ソ核実験にも反対、共産党方針転換 272 原水禁と原水協、ともに原則に固執 274 仏、5回も核実験市民が座り込み 276 またも葬られた、援護法案 279 学者・文化人の会が再構築を訴え 282 ラロック証言、核の日本持込み暴露 284 |
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7 | 統一への模索 苦しみを乗り越えて 287 | |
静岡ビキニ・デー、12年ぶり社共合流 289 非核太平洋会議、諸民族が結集 292 援護法、時間切れでまたもや廃案 294 県労の統一呼びかけ、不調に終わる 296 社共対立し、中央でも御破算 298 禁と協、原子力平和利用でも異なる立場 301 NGO反核シンポ開催へ、日本準備委 303 統一めざし、総評と共産が合意書 305 被団協、14年ぶりの統一行動 307 「年内めどに統一を実現」 5・19合意書までの苦悶 310 原水禁内部よりの批判、一身に 318 禁・協の代表、協議始める 320 NGOシンポ、被爆実相に認識深める 322 52年夏、14年ぶりに統一世界大会 325 初の国連軍縮特別総会、日本から5百人 330 53年夏、再び統一世界大会 333 54年ビキニ・デー、広島で統一集会 335 7人委、現行2法の再検討開始 337 政府見解「国に補償の義務なし」 340 7人委意見書、期待裏切る内容 被爆者たちより、失望と怒り 342 ローマ法皇、広島から「平和アピール」 348 ライシャワー元大使、核持ち込みを証言 351 語り部の旅、欧州の草の根運動と連帯 354 ヒロシマ行動、核廃絶へ20万人 356 核実験報道翌日の座り込み、20年目に 359 第2回国連軍縮特別総会へ、100万人のデモ 361 57年夏、原水禁大会に3万人 364 |
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森滝さんと私 | ||
バーバラ・レイノルズ 367 ペトラ・ケリー 369 |
||
記録 原水禁運動の歩み -ヒロシマを中心として- 371 | ||
日記の公開について 森滝市郎 378 | ||
あとがき 中国新聞社 編集局長 尾形幸雄 380 | ||
止
『人間に未来はあるのか-ある物理学者の問い』(庄野直美、勁草書房、19820710)
内容
章 | |||
序 | 滅亡の深淵 3 | ||
1981年秋の大学祭(大阪K大学)の講演(演題:滅亡の深淵-一物理学者の未来観) | |||
核時代 3 真の民主主義 14 人間らしい心 17 人間的基本価値 22 われらに未来はあるのか 27 |
|||
1 | 出生-広島からの出発 33 | ||
太田川 33 広島へ 41 広島一中 44 日本帝国崩壊の足音 48 広島高等学校 50 九州へ 56 原爆投下 60 |
|||
2 | 敗戦-混沌のなかで 67 | ||
1945年8月15日 67 廃墟と屍の街 71 夜明けの混迷 79 博多にて 87 アメリカの占領政策 96 物理学と唯物論と 102 |
|||
3 | 半独立-それでも希望を抱いて 107 | ||
再び広島へ 107 アメリカとソ連 116 ヨーロッパからヒロシマヘ 127 原水爆禁止運動 135 世界平和巡礼 145 |
|||
4 | 再生-人間の探究 156 | ||
ヒロシマ・ナガサキの論理と心 156 原爆被害の実相と核戦争 173 平和教育と平和研究 193 科学と宗教 205 弁証法的二元論 226 |
|||
あとがき | |||
止
被害者をめぐる今日までの動き<作業中>
今日までを三期に分け、(Ⅰ)戦後より講和条約締結(26年9月まで)(Ⅱ)第1回世界大会まで(Ⅲ)第1回世界大会より今日まで、とする。
(Ⅰ)戦後より講和条約締結(26年9月まで)
(1)まず考えねばならないのは、終戦当時一般市民の間に、感覚的と思われるにしても、ガスを吸ったからとか水をのんだからとか、の言葉が自分の症状に十分関係があるが如くに聞かれたものである。
(2)
(3)アメリカへの訴えての救済活動(浜井市長時代)
(4)谷本牧師の動き
(5)広島平和記念都市建設法
(6)ABCCの問題
(Ⅱ)第1回世界大会まで(1955・8)まで
(1)
(2)
(3)広島市原爆障害者治療対策協議会発足
(4)
(5)ビキニ水爆実験を契機として
(6)1954年8月6日の原水爆禁止広島平和大会
(7)
(8)
(9)
(10)
(11)
(Ⅲ)第1回世界大会より今日まで、
゜ビキニ事件→被害者救援を刺激(しかしまだ大衆運動とはならぬ)
゜第1回世界大会までは、禁止運動と救援運動は一応無関係(禁止運動は自分たちには無関係で白々しい、という被害者の言葉があったほど)
゜第1回世界大会を契機として事態が一変
◇第1回世界大会(1955・8 於ヒロシマ)の被害者問題における意義
゜大会の討議と結論から次の方向が生まれた。
(a)被害の実相調査
(b)傷害の治療と予防問題
(c)生活保障の問題
(d)自立活動
◇第2回世界大会(1955・8 於ナガサキ)の被害者問題における意義
◇以上の観点からして、第1回大会後今日までの被害者をめぐる動きをみる場合、その活動状態は、(a)(b)(c)(d)の4項目によって整理することができ、その際第2回大会の役割は、それらを飛躍さす契機としてとらえればよいのであろう。
(1)第1回大会以後今日までの動きで特筆すべき組織の結成をまずあげてみる。
(ⅰ)原水爆禁止日本協議会の中に被害者救援委員会が設立された。 1955年9月
(ⅱ)救援委員会の発足。1955年11月26日、原水爆禁止広島協議会の中につくられ、役員としては、委員長(渡辺忠雄氏)副委員長(正岡旭氏、服部円氏他3名)幹事長(藤居平一氏)などをきめた。ただし渡辺氏が委員長を受諾されなかったため、委員が決定できなかった。
この委員会の目的
(a)原爆被害者の不幸な実相をあらゆる人々に伝え、救援を呼びかける。
(b)救援のために努力しているあらゆる団体、個人及び施設と協力して精神面、医療保健面、及び経済面などによりする救援をおこなう。
(ⅲ)全国社会福祉協議会の中に、原爆被害者対策特別委員会が設置される。(1955.11、 原水協関係の委員-山高シゲリ(全地婦連委員長)藤居平一(広島)香田松一(長崎)
(ⅳ)広島市原爆障害対策協議会が、広島原爆障害対策協議会に発展した(1956.4)
(ⅴ)日本原水爆被害者団体協議会の発足
1956.8.10 第2回世界大会の中から生まれたこの会の目標と方針は次のように決議されている。
一、
ニ、
三、
四、
五、被害者組織を強化して団結をつよめよう。このためどんな地域でも、被害者のいまいる処には必ず組織をつくり、この協議会に参加させよう。
(ⅵ)
(2)具体的に進められてきた活動
(ⅰ)被害の実態調査
(ⅱ)被害者組織の結成
(ⅲ)原水爆禁止運動
(ⅳ)生活と生命を守る運動
(ⅴ)救援金及び救援物資
(3)今後の問題点
(ⅰ)援護法をめぐる問題点
(ⅱ)根治療法の問題
原爆被害を根本的に治療する方策は、現在のところ、いかなる国においても完成されていないようである。****
この意味で、過去の運動の中で常に唱えられてきた国際的放射線医学研究機関の設置が望まれるのである。ところで最近、広島の医師および原子力科学者(大学人会有志)の或るグループが、医学・物理学・化学の綜合的観点から、広島の原爆症の基礎的な調査、研究を始めているのは注目に値しよう。この成果が一日も早く出されることを期待しよう。
(註)本文章の起草は、藤居平一、庄野博允<庄野直美>の両名が担当しました。
1 |
3 |
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7 |
8 |
9 |
止
香川亀人著『名国手・青木鎮造評伝 奉仕の人・宇根実評伝 郷土史研究(其の7) 人物伝(其の4)』
内容<抄録>
001 | はじめに | ||
003 | 青木先生の部 | ||
<略> | |||
141 | 宇根先生の部 | ||
141 | 宇根さんの人柄 | ||
173 | 宇根さんの議員歴 | ||
179 | 宇根さんの友達 | ||
182 | 宇根さんを評価 田口稔のもの、今田利一郎のもの | ||
200 | 宇根さんの企画 吉浦文化協会その他 | ||
214 | 俳人としての宇根先生 | ||
275 | 方面事業と宇根先生 | ||
287 | |||
291 | |||
299 | 蔵書目録 | ||
308 | 宇根実年譜 | ||
322 | おわりに | ||
止
ドロッシィ・デッソー
資料年表:ドロッシィ・デッソー
年月日 | 事項 | メモ |
1969 | ||
0806 | 『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会、19690806) | |
VII 最も新しい日本人 ドロッシィ・デッソー 607 |
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1978 | ||
1228 | 『ミス・ドロシー・デッソー 日本における生活と事業』(香川亀人編・刊) | |
止
香川亀人<作業中>
19931015没 | 香川亀人 | かがわ・かめと | 97 |
資料年表:香川亀人
1942 | ||
**** | 香川亀人編『広島県方面委員呉連盟十年史』 | |
【呉市立図書館蔵 】 | ||
1953 | ||
**** | 香川亀人『愛の灯をかかげた人々』(広島県民生委員連盟) | |
【呉市立図書館蔵 】 | ||
1954 | ||
**** | 香川亀人『民生委員の父 林市蔵先生伝』(広島県民生委員連盟) | |
1966 | ||
**** | 香川亀人『老人問題研究会抄録』 | |
1968 | ||
**** | 香川亀人『テレビの見方についての研究』(吉浦わかやぎ会) | |
1969 | ||
0517 | 香川亀人『「吉浦の石工」の研究 郷土史研究2』(吉浦わかやぎ会) | |
1970 | ||
**** | 香川亀人『「吉浦の工業」の研究1 明治時代を主にして』(吉浦わかやぎ会) | |
1971 | ||
1120 | 香川亀人『「吉浦の工業」の研究2 大正・昭和時代』(郷土史研究会) | |
1972 | ||
1125 | 香川亀人『黒島亀人伝-其の資料の研究』(香川亀人) | |
1973 | ||
0925 | 香川亀人編『盲数学者吉田照登 初代村長木村謙吾 映画女優英百合子略伝 郷土史研究(其の5) 人物伝(其の2)』 (郷土史研究会) | |
1974 | ||
1230 | 香川亀人『商学博士田中貢伝』香川 亀人/著〔香川亀人〕 | |
1976 | ||
01 | 『ふるさとよしうら創刊号』(香川亀人編、吉浦郷土史研究会) | |
0205 | 香川亀人著『名国手・青木鎮造評伝 奉仕の人・宇根 実評伝 郷土史研究(其の7) 人物伝(其の4)』 | |
**** | 『ふるさとよしうら第2号』(香川亀人編、吉浦郷土史研究会) | |
1977 | ||
**** | 『ふるさとよしうら第3号』(香川亀人編、吉浦郷土史研究会) | |
**** | 『ふるさとよしうら第4号』(香川亀人編、吉浦郷土史研究会) | |
**** | 『ふるさとよしうら第5号』(香川亀人編、吉浦郷土史研究会) | |
1978 | ||
**** | 『ふるさとよしうら第6号』(香川亀人編、吉浦郷土史研究会) | |
**** | 『ふるさとよしうら第7号』(香川亀人編、吉浦郷土史研究会) | |
1218 | 香川亀人編『ミス・ドロシー・デッソー 日本における生活と事業』(・刊) | |
1979 | ||
『ふるさとよしうら第8号』(香川亀人編、吉浦郷土史研究会) | ||
『ふるさとよしうら第9号』(香川亀人編、吉浦郷土史研究会) | ||
『ふるさとよしうら第10号』(香川亀人編、吉浦郷土史研究会) | ||
1225 | 『ふるさとよしうら第11号』(香川亀人編、吉浦郷土史研究会) | |
1980 | ||
**** | 香川 亀人 編著『略伝 広島県民生事業の基礎を築いた 嶂南慧海氏略伝』 1980 | |
『ふるさとよしうら第12号』(香川亀人編、吉浦郷土史研究会) | ||
『ふるさとよしうら第13号』(香川亀人編、吉浦郷土史研究会) | ||
『ふるさとよしうら第14号』(香川亀人編、吉浦郷土史研究会) | ||
1981 | ||
ふるさとよしうら 第15号香川 亀人/編吉浦郷土史研究会1981?1 ふるさとよしうら 第16号香川 亀人/編吉浦郷土史研究会19811 ふるさとよしうら 第17号香川 亀人/編吉浦郷土史研究会1981?1 |
||
1982 | ||
ふるさとよしうら 第18号香川 亀人/編吉浦郷土史研究会 ふるさとよしうら 第19号香川 亀人/編吉浦郷土史研究会 ふるさとよしうら 第20号香川 亀人/編吉浦郷土史研究会 |
||
1983 | ||
ふるさとよしうら 第21号香川 亀人/編吉浦郷土史研究会 ふるさとよしうら 第22号香川 亀人/編吉浦郷土史研究会 |
||
1984 | ||
ふるさとよしうら第23号香川 亀人/編吉浦郷土史研究会19841 ふるさとよしうら第24号香川 亀人/編吉浦郷土史研究会19841 |
||
**** | 香川 亀人編著『一民生委員の足跡 第1集』 | |
1985 | ||
**** | 香川 亀人編著『一民生委員の足跡 第2集』 | |
**** | 香川 亀人編著『一民生委員の足跡 第3集』 | |
**** | 香川 亀人編著『忘れ得ぬ伊藤恕介先生の思い出』 | |
1987 | ||
ふるさとよしうら 第29号香川 亀人/編吉浦郷土史研究会1987 | ||
05 | 吉浦の昔ばなし集 香川亀人/著他–吉浦の文化を進める会 |
|
1988 | ||
04 | 吉浦の昔ばなし集 (続編) 香川亀人/著他–吉浦の文化を進める会 |
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ふるさとよしうら 第30号香川 亀人/編吉浦郷土史研究会19881 ふるさとよしうら 第31号香川 亀人/編吉浦郷土史研究会19901 ふるさとよしうら 第32号末永 純一/編吉浦郷土史研究会19901 ふるさとよしうら 第33号末永 純一/編吉浦郷土史研究会19911 ふるさとよしうら 第34号末永 統一/編吉浦郷土史研究会1992?1 ふるさとよしうら 第35号末永 統一/編吉浦郷土史研究会19931 ふるさとよしうら 第36号末永 統一/編吉浦郷土史研究会1993?1 ふるさとよしうら 第37号末永 統一/編吉浦郷土史研究会1994?1 ふるさとよしうら 第38号末永 統一/編吉浦郷土史研究会19941 ふるさとよしうら 第39号末永 統一/編吉浦郷土史研究会1995?1 ふるさとよしうら 第40号末永 統一/編吉浦郷土史研究会19951 ふるさとよしうら 第41号末永 統一/編吉浦郷土史研究会19961 ふるさとよしうら 第42号末永 統一/編吉浦郷土史研究会1997?1 ふるさとよしうら 第43号末永 統一/編吉浦郷土史研究会1998?1 ふるさとよしうら 第44号末永 統一/編吉浦郷土史研究会1999?1 ふるさとよしうら 第45号末永 統一/編吉浦郷土史研究会2000?1 ふるさとよしうら 第46号末永 統一/編吉浦郷土史研究会2000?1 ふるさとよしうら 第47号末永 統一/編吉浦郷土史研究会20011 ふるさとよしうら 第48号末永 統一/編吉浦郷土史研究会2001?1 ふるさとよしうら 第49号末永 統一/編吉浦郷土史研究会2002?1 ふるさとよしうら 第50号記念号末永 統一/編吉浦郷土史研究会2003?1 ふるさとよしうら 第51号末永 統一/編吉浦郷土史研究会2004?1 ふるさとよしうら 第54号末永 統一/編吉浦郷土史研究会2008.4?1 ふるさとよしうら 第56号末永 統一/編吉浦郷土史研究会2010.51 |
||
2003 | ||
0618 | 『中国四国社会福祉史研究2 2号』(中国四国社会福祉史研究会) | |
2007 | ||
10 | 田代 国次郎『地域社会福祉史入門』(社会福祉研究センタ、ー2007.10) | |
2009 | ||
**** | 田代 国次郎『 近現代社会福祉人物小史 社会福祉研究シリーズ(No.23)』(社会福祉研究センター2009.9) | |
止