『わが人生論 青少年へ贈る言葉 広島編』(編集/発行人:中村輝雄)(抄)
(上)19830401刊 |
(中) 19860919刊 |
(下)19910830刊 |
止
『わが人生論 青少年へ贈る言葉 広島編』(編集/発行人:中村輝雄)(抄)
(上)19830401刊 |
(中) 19860919刊 |
(下)19910830刊 |
止
『「核」に立ち向かった人びと』(岩垂弘、日本図書センター、20050425)
内容
頁 | 名前 | 職業など | メモ | |
007 | 武藤宏一 | 会社員 | 第五福竜丸を守った一市民 | |
021 | 「死の灰」と闘った科学者……………三宅泰雄(地球化学者) | |||
031 | 安井 郁 | 原水協理事長 | 人道的運動を目指し、統一にも腐心 | |
041 | 田島瑞泰 | 日本山妙法寺僧侶 | デモの先頭に立った「基地坊主」 | |
049 | ペギー・ダフ | 平和運動家 | 運動の国際化と統一に不滅の足跡 | |
059 | 長岡弘芳 | 詩人 | 原爆文献の収集に執念燃やす | |
067 | 大友よふ | 地婦連会長 | 「踏まれても蹴られても」 | |
077 | 松本広治 | 中小企業経営者 | 産業界からあげた反核平和の声 | |
085 | 田村 清 | 医師 | 反権力を貫いた「赤ひげ」 | |
095 | 熊倉啓安 | 平和委員会代表理事 | 統一に殉じた平和活動家 | |
107 | 鈴木正次 | 原水禁総務部長 | 「原爆ゆるすまじ!分裂ゆるすまじ!」 | |
119 | 中野好夫 | 評論家 | 反核平和の実践に徹した知識人 | |
133 | 古在由重 | 哲学者 | 「思想は冷凍保存をゆるさない」 | |
147 | 陸井三郎 | 評論家 | 戦争体験を背負ったフィクサー | |
159 | 中林貞男 | 日本生協連会長 | 生協運動と平和運動を結ぶ | |
171 | 久保 文 | 翻訳家 | 「暗い時代」の記憶をバネに | |
183 | 草野信男 | 病理学者 | 生涯を決めた被爆直後の広島調査 | |
197 | 内山尚三 | 法政大学教授 | 学徒出陣の生き残りとして | |
207 | 忘れ得ぬ人びと 三十二人の点描 | |||
伊東壮 | 被団協代表委員 | |||
畑中政春 | 原水協代表理事 | |||
森滝市郎 | 原水禁代表委員 | |||
新井則久 | 全逓副委員長 | |||
磯村英一 | 核禁会議議長 | |||
藤井日達 | 日本山妙法寺山主 | |||
吉野源三郎 | 評論家 | |||
新村猛 | 名古屋大学名誉教授 | |||
今堀誠二 | 広島女子大学学長 | |||
239 | 核問題関連年表 | |||
280 | 参考文献 | |||
281 | あとがき | |||
止
広島県立図書館《広島県出身・ゆかりの女性たちの紹介》平成21年10月現在[抄]<作業中>
https://www.hplibra.pref.hiroshima.jp/ct/other000000700/hiroshima-josei-list.pdf
氏名 | 生没年 | 事項 | |
金井 時子(かない ときこ) | 明治22(1889)年~昭和34(1959)年 | 作家。岡山県から三次市に嫁ぎ,三次市の歌誌『くれない』などに短歌や随筆を寄稿。没後,知人らがまと めた作品集『ひとすじの道』(序文を武者小路実篤が執筆)がある。 | |
大田 洋子(おおた ようこ) | 明治36(1903)年~昭和38(1963)年 | 小説家。広島市出身。爆心地から1.4キロの妹の婚家で被爆。被爆体験から『屍の街』『人間襤褸(らんる)』を執筆。「大田洋子集(日本図書センター)」全4巻 | |
山代 巴(やましろ ともえ) | 明治45(1912)年~平成16(2004)年 | 作家。芦品郡栗部村(現府中市)出身。戦前に治安維持法違反幇助で三次刑務所へ収監される。戦後,そ こで見聞・体験したことから『蕗のとう』『囚われの女たち』を,広島県北部の農村の女性の生き方を描いた 『荷車の歌』などを執筆。 「山代巴文庫」シリーズ(径書房)第1期全9巻第2期全8巻 | |
正田 篠枝(しょうだ しのえ) | 明治43(1910)年~昭和40(1965)年 | 歌人。江田島町(現江田島市)出身。爆心地から1キロの自宅で被爆。アメリカ占領下の言語統制がきびしい中で,原爆歌集『さんげ』などを自費出版した。 | |
栗原 貞子(くりはら さだこ) | 大正2(1913)年~平成17(2005)年 | 詩人。広島市出身。爆心地から4キロの自宅で被爆。原爆詩「生ましめんかな」を「中国文化」創刊号(1946.3)に発表。原爆文学を代表する作家のひとり。 「栗原貞子全詩篇(土曜美術社)」全1巻。 | |
バーバラ・レイノルズ | 1915年~1990年 | アメリカ人。戦後まもなく,夫の原爆被害調査研究によって広島を訪れる。「ヒロシマ」を世界に訴え,核実験抗議や平和巡礼の活動を続けた。 | |
佐々木 久子(ささき ひさこ) | 昭和2(1927)年~平成20(2008)年 | エッセイスト,評論家。広島市出身。雑誌「酒」の編集長。「広島カープを優勝させる会」発足などでも活躍。 著書に『わたしの放浪記』ほか | |
大庭 みな子(おおば みなこ) | 昭和5(1930)年~平成19(2007)年 | 作家。西条町(現東広島市)の賀茂高等女学校に在籍し,被爆直後の救援動員の経験から『浦島草』などを 執筆した。「大庭みな子全集(日本経済新聞社)」全25巻(継続刊行中) | |
佐々木 禎子(ささき さだこ) | 昭和18(1943)年~昭和30(1955)年 | 広島市出身。爆心地から1.6キロの自宅で2歳で被爆。「折り鶴を千羽折ると元気になる」と信じながら原爆症と闘ったが12歳で死没。「原爆の子の像」のモデルとして,絵本などで海外にも知られる。〈社会・教育・医療〉 | |
参考資料:『日本女性人名辞典』(日本図書センター)
『新訂現代女性人名録』(日外アソシエーツ),各展示資料ほか。
国連歴代事務総長
名前 | 出身国 | 在職期間 |
アントニオ・グテーレス | ポルトガル | 2017年1月1日~ |
潘基文 | 韓国 | 2007年1月~2016年12月 |
コフィー・A・アナン | ガーナ | 1997年1月~2006年12月 |
?ブトロス・ブトロス=ガーリ | エジプト | 1992年1月~1996年12月 |
ハビエル・ペレス・デクエヤル | ペルー | 1982年1月~1991年12月 |
クルト・ワルトハイム | オーストリア | 1972年1月~1981年12月 |
ウ・タント | ビルマ(現ミャンマー) | |
1961年11月に事務総長代行に任命され、1962年11月に正式に事務総長に任命。1971年12月まで在職 | ||
ダグ・ハマーショルド | スウェーデン | |
1953年4月から1961年9月にアフリカでの航空機墜落事故で殉職するまで在職 | ||
トリグブ・リー | ノルウェー | 1946年2月~1952年11月 |
出典:https://www.unic.or.jp/info/un/un_organization/secretariat/secretary-general/list_sg/
ノーベル平和賞受賞者(ヒロシマ関連)一覧
年 | 名前 | 国等 | 備考 |
1949 | ボイド=オア | ||
1952 | シュヴァイツァー | ||
1959 | ノエルベーカー | ||
1962 | ボーリング | ||
1972 | 佐藤栄作 | 日本 | 非核三原則 |
1979 | マザー・テレサ | ||
1985 | IPPNW | ||
1997 | 地雷禁止国際キャンペーン(ICBL) | ||
ジュリー・ホワイト講演(広島県庁) | |||
2009 | バラク・オバマ | 米 | 「核なき世界」 |
20160527広島訪問 | |||
2015 | 国民対話カルテット | チュニジア | 民主化に貢献 |
民間3団体代表が広島訪問 | |||
2017 | ICAN | ||
2018 | デニ・ムクゲ | コンゴ(旧ザイール) | 紛争下の性暴力被害者支援 |
20191006 原爆資料館で講演(『中国新聞』20191007) | |||
『ノーベル平和賞-90年の軌跡と受賞者群像』(堤佳辰、河合出版、19900910 )
目次
章節 | |||
序論 | |||
平和賞の起源 | |||
平和賞の軌跡 | |||
ノーベル平和賞受賞者一覧(1901~1989年) | |||
平和賞受賞者内訳(国別、機関別) | |||
本論 | |||
1章 | 新世紀の曙光(1901~1910)平和運動の揺籃期-その希望と苦闘 | ||
1(1901) | 赤十字の父 | デュナン | スイス |
1 | 国際恒久平和同盟の祖 | パシー | 仏 |
2 | 常設国際平和局の中心 | デュコマン | スイス |
2 | 「列国議会同盟」(IPU)の推進者 | ゴバ | スイス |
3 | 「IPU」と「国際仲裁連盟」の創立者 | クリーマー | 英 |
4 | ゛万国の法理゛へ | 国際法学会 | |
5 | ゛ノーベルの恋人゛ | スットナー女史 | 墺 |
6 | ゛大きな杖゛の男 | テディ・ローズベルト | 米 |
7 | 熱血の平和ジャーナリスト | モネタ | 伊 |
7 | 国際生活法理の信奉者 | ルノー | 仏 |
8 | ノーベルの遺志の後継者 | アルノルドソン | 瑞 |
8 | ゛北欧中立゛の推進者 | バイエル | 丁 |
9 | 小国の論理を代弁した | ベールナルト | 白 |
9 | ゛平和宮゛を実現した | デストゥールネイユ | 仏 |
10 | 平和の拠点 | 「常設国際平和局」 | |
2章大いなる幻影(1911~1920年) | |||
1(1911) | 1)国際法学会の創設者 | アセル | 蘭 |
1 | 平和雑誌の出版者 | フリート | 墺 |
2 | 善隣外交の演出者 | ルート | 米 |
3 | 初の社会主義受賞者 | ラフォンテーヌ | 白 |
4 | 該当者なし 第1次世界大戦 | ||
5 | 該当者なし 第1次世界大戦 | ||
6 | 該当者なし 第1次世界大戦 | ||
7 | 戦時捕虜の看護と創刊 | 赤十字国際委員会 | |
8 | 該当者なし 第1次世界大戦 | ||
9 | 悲劇の国際連盟創設者 | ウイルソン | 米 |
10 | 国際連盟の法的軍事機関化を主張 | ブルジョア | 仏 |
3章 | つかの間の平和(1921~1930年)ベルサイユ体制の重圧 両大戦のはざまで | ||
1(1921) | 厳正中立を貫いた | ブランティング | 瑞 |
2 | 列国議会同盟の舵取り | ランゲ | 諾 |
探検家、博愛主義者 | ナンセン | 諾 | |
3 | 該 当者なし 委員会の不決断 | ||
4 | 該 当者なし 委員会の不決断 | ||
5 | 対独賠償の軽減者 | ドーズ | 米 |
5 | ロカルノの融和の名優達 | チェンバレン | 英 |
6 | ロカルノの融和の名優達 | ブリアン | 仏 |
6 | ロカルノの融和の名優達 | シュトレーゼマン | 独 |
7 | 最高齢の平和賞受賞者 | ビュイッソン | 仏 |
7 | 「ドイツ平和連盟」総裁 | クヴィデ | 独 |
8 | 該当者なし | ||
9 | ゛不戦条約゛に名を残す | ケロッグ | 米 |
10 | ノーベルも尊敬した大主教 | セーデルブロム | 瑞 |
4章 | 平和主義者の悪戦苦闘(1931~1940年)ファッシズムの台頭 第2次世界大戦の前夜 | ||
1(1931) | 「平和と自由の国際婦人連盟」創設 | アダムズ | 米 |
1 | ゛不戦条約゛の黒子 | バトラー | 米 |
2 | 該当者なし | ||
3 | 「大いなる幻影」の著者 | エンジェル | 英 |
4 | 平和の゛青い鳥゛を追う | ヘンダーソン | 英 |
5 | 獄中の平和賞 | オシエツキー | 独 |
6 | 「中南米不戦条約」を起草 | サーヴェドラ=ラマス | アルゼンチン |
7 | 終始一貫「国際連盟」を支持 | セシル | 英 |
8 | 戦前最後の平和賞 | ナンセン難民国際事務所 | |
9 | 平和賞の空白期 | ||
10 | 平和賞の空白期 | ||
5章 | 戦争、平和、そして冷戦(1941~1950年)国際連合の悩み 東西二大陣営の対立 | ||
1 | 平和賞の空白期(続) | ||
2 | 平和賞の空白期(続) | ||
3 | 平和賞の空白期(続) | ||
4(1944) | 第2次大戦中の人道的活動 | 赤十字国際委員会 | |
5(1945) | ゛国際連合の父゛ | ハル | 米 |
6(1946) | YMCAを通じ平和運動 | モット | 米 |
6(1946) | 婦人平和運動に挺身 | ボルチ | 米 |
7 (1947) | 絶対平和を求めて | フレンド奉仕団理事会 | 英 |
7(1947) | ゛平和の友゛の活動 | 米国フレンド奉仕委員会 | 米 |
8 | 該当者なし | ||
9(1949) | 「国連食料農業機関」(FAO) 創設者 | ボイド=オア | 英 |
10(1950) | 第1次中東戦争の名゛火消し゛ | バンチ | 米 |
6章 | 核時代の勢力均衡(1951~1960年)ガラスの城の不安 復興から人権へ | ||
1(1951) | 「国際労働機関」(ILO)の草分け | ジュオー | 仏 |
2(1952) | ゛ランバレネの聖者゛ | シュヴァイツァー | 仏 |
3(1953) | ゛マーシャル・プラン゛で西側を救う | マーシャル | 米 |
4(1954) | 第2次大戦後の難民処理 | 国連難民高等弁務官事務所 | |
5 | 該当者なし | ||
6 | 該当者なし | ||
7(1957) | 国連平和外交を推進 | ピアソン | 加 |
7(1957) | ゛少年の家゛゛欧州村゛を建設 | 白(1957) | |
8 | 該当者なし | ||
9(1959) | 平和運動の長距離ランナー「 | ノエルベーカー | 英 |
10(1960) | アパルトヘイトへ平和闘争 | ルツリ | 南ア |
7章 | 黄金の60年代?(1961~1970年)第3世界の台頭 内外の社会矛盾 | ||
1(1961) | 行動する国連事務総長の殉職 | ハマショルド | 瑞(スウェーデン) |
2(1962) | 化学賞と平和賞のダブル受賞 | ボーリング | 米 |
3(1963) | ゛100周年゛の栄光 | 赤十字国際委員会 | |
3(1963) | 平和時活動にも意欲 | 赤十字社連盟 | |
4(1964) | 非暴力の公民権運動に殉じた牧師 | キング | 米 |
5(1965) | 戦後の児童救済と栄養補給に貢献 | ユニセフ | |
6 | 該当者なし | ||
7 | 該当者なし | ||
8(1968) | ゛世界人権宣言゛を起草 | カサン | 仏 |
9(1969) | 戦前から労使の国際連帯 | ILO | |
10(1970) | ゛緑の革命゛の先達 | ボーローグ | 米 |
8章 | 動乱の70年代!(1971~1980年)民族、宗教、思想 反体制の力学 | ||
1(1971) | ゛東方政策゛の雄 | ブラント | 西独 |
2 | 該当者なし | ||
3(1973) | ゛ベトナム和平゛の実現へ | キッシンジャー | 米 |
3(1973) | 唯一の平和賞辞退者 | レ・ドク・ト | 北ベトナム |
4(1974) | 「国際アムネスティ」を創設 | マクブライド | アイルランド |
4(1974) | ゛非核三原則゛を推進 | 佐藤栄作 | 日 |
5(1975) | 不屈の反体制科学者 | サハロフ | ソ連 |
6(1976) | ゛ベルファストの平和行進゛のリーダー | ウィリアムズ | 英 |
6(1976) | ゛ベルファストの平和行進゛のリーダー | コリガン | 英 |
7(1977) | ゛良心の囚人゛解放へ | 国際アムネスティ | |
8(1978) | 中東和平へ大胆な賭け | サダト | エジプト |
8(1978) | 往年のテロリストに平和賞 | ベギン | イスラエル |
9(1979) | ゛カルカッタ゛の聖女 | マザー・テレサ | インド |
10(1980) | ゛暗黒政治゛中の灯火 | エスキベル | アルゼンチン |
9章 | 新たな秩序を求めて(1981~1989年)20世紀の総決算へ 語り部の役割 | ||
1(198) | 創 立30周年の軌跡 | 国連難民高等弁務官事務所 | |
2(198) | 世界初の軍縮相 | ミュルダール | 瑞 |
2(1982) | 中南米比較地域条約を実現 | ロブレス | メキシコ |
3(1983) | 自主労組゛連帯゛の指導者 | ワレサ | ポーランド |
4(1984) | 非暴力で黒人差別に対決 | ツツ大主教 | 南ア |
5(1985) | 核戦争防止国際医師の会 | IPPNW | |
6(1986) | アウシュヴィッツの語り部 | ウィーゼル | 米 |
7(1987) | ゛中米和平゛構想を推進 | アリアス | コスタリカ |
8(1988) | 創立40年の国連平和維持軍 | UNPKF | |
9(1989) | 亡命30年の゛活き仏゛ | ダライ・ラマ | チベット |
補論 | 平和賞の゛落ち穂゛ 受賞して然るべき人たち | ||
1 | ゛白衣の天使゛の母 | ナイチンゲール | 英国 |
2 | 無抵抗不服従運動の教祖 | ガンジー | インド |
3 | ゛死線を越えて゛ | 賀川豊彦 | 日本 |
4 | 北京゛動乱゛に対話路線を主張 | 趙紫陽 | 中国 |
5 | 米ハノイ北爆を名指しで批判 | パルメ | スウェーデン |
6 | 反戦、反核の行動する哲学者 | ラッセル卿 | 英国 |
7 | ゛近代五輪゛の創始者 | クーベルタン | 仏 |
8 | 三重苦の聖女 | ヘレン・ケラー | 米 |
9 | ゛獄中27年゛の闘士 | ネルソン・マンデラ | 南ア |
結び | 平和賞の使命 平和賞の進路 | ||
井上洋一郎『広島財界今昔物語』
(政治経済セミナー、1967年2月1日刊)
目次 | ||
序文・出版を記念して | ||
河村郷四(第23代広島商工会議所会頭) | ||
プロローグ | ||
反骨の士、福島正則 広島一の大商人 和歌山組と地元組 維新のバスに乘りおくれ 二線級ピッチャー | ||
広島金融界の今昔 その一 | ||
明治の金融 | ||
芸備銀行の歩み | ||
広島銀行の躍進 | ||
信用金庫と信用組合 | ||
広島金融界の今昔 その二 | ||
相互銀行の成長 | ||
信用金庫と信用組合 | ||
広島の電力事業 | ||
広島電力界の先覚たち | ||
合併から統制へ | ||
復興を担った人々 | ||
広島の味覚 | ||
広島銘酒の物語 | ||
広島牡蛎の発展 | ||
消費都市「広島」 | ||
近代百貨店の出現 | ||
「福屋」の歴史 | ||
天満屋の登場 | ||
双生児の電車とガス | ||
運輸界の人々 | ||
広島のガス事業 | ||
異色の郷土産業 | ||
矢野髢の盛衰 | ||
日本一の熊野筆 | ||
伝統三百五十年の製針業 | ||
”スリー・ダイヤ”の造船所 | ||
三菱重工業の系譜 | ||
広島造船所の歩み | ||
中小造船業界のチャンピオン | ||
広島の木場 | ||
木場の盛衰 | ||
浅野藩の木材専売 藩指定の木材商人 鷹匠町の老舗奥田木材 電柱の請負いで大損 相心橋かいわい 自家用飛行機の木材人、小川勇 “椿六十郎”小林秀人 木材一家の日垣兄弟 木材界の指導者加藤悦蔵 新興勢力の雄、寒川隆一 銘木の老舗藤居平一 市売市場復活の先陣・今井博美 | ||
防腐木材のチャンピオン | ||
モータリゼイションの先駆 | ||
モータリゼイションの先駆 | ||
東洋工業の歩み | ||
松田恒次の経営精神 | ||
エピローグ | ||
広島に過ぎたるもの 二葉会の創世記 二葉会の功績 藤田組の変遷 日赤病院の復旧工事で社会奉仕 ”ラジオ中国”のことども ”広島テレビ放送”と横山周一 広島の洋々たる前途 | ||
あとがき | ||
あとがき
月忌(凡例)
*ここでは、宇吹(サイト作成者)が知己を得た人々のうち、すでに鬼籍に入られた方々を紹介します。
*生前に直接お会いすることはないが、私のヒロシマへの取組の中で、資料を通して大きな影響を受けた方々も含まれています。
*死亡が新聞などの死亡欄や人物事典で確認できた死亡年月日をもとに、月忌ごとにまとめます。