『軍縮と国際安全保障に関するワークショップ・広島セッション 要約記録』(広島市・広島大学・国際連合大学・広島平和文化センター、1981/12/08)
内容
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01 |
開会あいさつ 今堀誠二 パルメ委員会招致広島実行委員会委員長 |
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02 |
歓迎あいさつ 荒木武 広島市長 |
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04 |
原爆の医学的影響に関する概要説明 大北威 広島大学原爆放射能医学研究所教授 |
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11 |
原爆の社会的影響に関する概要説明 今掘誠二 広島女子大学学長 |
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被爆者の証言 |
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13 |
栗原貞子 詩人 |
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15 |
深掘義昭 長崎県被爆者手帳友の事務局長 |
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18 |
秋月辰一郎 聖フランシスコ病院医長 |
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22 |
松重美人 写真家 |
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討議 |
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27 |
オルセグン・オバサンジョ委員(ナイジェリア) |
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29 |
アルフォンソ・ガルシア=ロブレス委員(メキシコ) |
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30 |
宍戸寛 日本キリスト教団大島教会牧師 |
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32 |
オロフ・パルメ委員長(スウェーデン) |
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33 |
ゲオルギ・アルバトフ委員(ソビエト) |
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35 |
森滝市郎 原水爆禁止日本国民会議代表委員 |
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36 |
庄野直美 広島女学院大学教授 |
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37 |
森下 弘 広島県高等学校原爆被爆教職員の会会長 |
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38 |
相原和光 広島YMCA総主事 |
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39 |
久保正直 広島被爆者の会会長 |
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40 |
ジャン=マリー・ダイエ委員(フランス) |
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41 |
森治樹 委員(日本) |
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43 |
パルメ委員長あいさつ |
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閉会あいさつ |
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48 |
本島等 長崎市長 |
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プログラム 50 |
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参加者名簿 51 |
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後記 54 |
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止
オロフ・パルメ
28 |
19270130生1986228没 |
享年 59 |
スウェーデン首相。在任中に暗殺される。1981年に「軍縮と安全保障に関する独立委員会」委員長として、来広し、原爆資料館などを見学。 |
資料年表:オロフ・パルメ
年月日 |
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1980 |
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09 |
「軍縮と安全保障に関する特別委員会」(通称:パルメ委員会、本部ウィーン、委員長:オロフ・パルメ博士)発足。各国の首相、外相経験者で構成。 |
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1981 |
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0724 |
広島市の平和問題調査会(委員長:永井道雄元文相)、国連大学(東京)で第2回会合。12月に日本で開く「軍縮と安全保障に関する特別委員会」(通称:パルメ委員会、本部ウィーン、委員長:オロフ・パルメ博士)に広島市での軍縮研究集会参加を要請。 |
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0806 |
ヨーロッパの「1981年平和大行進」5000人がパリに到着。パルメ・スウェーデン前首相も参加。 |
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1204 |
パルメ委員会、国連大学(東京)で東京総会を開催。 |
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1208 |
パルメ委員会、軍縮と国際安全保障に関するワークショップ・広島セッションを開催。 |
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『軍縮と国際安全保障に関するワークショップ・広島セッション 要約記録』(広島市・広島大学・国際連合大学・広島平和文化センター、1981/12/08) |
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1209 |
オロフ・パルメ、東京でお別れの記者会見。 |
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1982 |
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0601 |
パルメ「パルメ委員会」委員長(元スウェーデン首相)、完全軍縮に向け各国政府の具体的行動を提言した最終報告を国連に提出。 |
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『共通の安全保障』(パルメ委員会、日本放送出版協会刊、1982/10/20) |
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1986 |
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0228 |
パルメ・スウェーデン首相、ストックホルム中心街の路上で暗殺される。享年59歳。 |
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0806 |
荒木広島市長平和宣言、パルメスウェーデン首相の発言に言及 |
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止
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