「一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~」(川井 龍介)『ディスカバーニッケイ』28回連載
このシリーズについて
1960年前後全米を自動車で駆けめぐり、日本人移民一世の足跡を訪ね「米國日系人百年史~発展人士録」にまとめた加藤新一。広島出身でカリフォルニアへ渡り、太平洋戦争前後は日米で記者となった。自身は原爆の難を逃れながらも弟と妹を失い、晩年は平和運動に邁進。日米をまたにかけたその精力的な人生行路を追ってみる。
第1回 人の一生を追うということ – ディスカバー・ニッケイ (discovernikkei.org) |
回 |
年月日 |
見出し |
備考 |
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2020年 |
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1 |
11月13日 |
人の人生を追うということ |
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2 |
11月27日 |
「百年史」はだれが書いたか |
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3 |
12月11日 |
全米を走破し1世を訪ねる |
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4 |
12月25日 |
一世への敬意と日本人としての誇り |
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2021年 |
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5 |
1月8日 |
日米を股にかけて活動 |
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6 |
1月22日 |
原爆投下時に記者として |
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7 |
2月12日 |
81歳で故郷広島に永眠 |
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8 |
2月26日 |
広島の親族は? |
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9 |
3月12日 |
確かに全米を回っていた |
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10 |
3月26日 |
加藤家の墓 |
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11 |
4月9日 |
アメリカ移民と父・松次郎の渡米 |
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12 |
5月14日 |
土台は宗教的エートスか |
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13 |
5月28日 |
父に呼ばれてカリフォルニアへ |
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14 |
6月11日 |
日系新聞の記者となる |
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15 |
6月25日 |
米國産業日報の編集長となるが…… |
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16 |
7月9日 |
抑留され、交換船で帰国 |
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17 |
7月23日 |
広島はアメリカ2世の郷里だから? |
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18 |
8月13日 |
原爆の日を駆け回る |
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19 |
8月27日 |
被爆直後の中国新聞と加藤 |
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20 |
9月10日 |
アメリカ撮影の映像の中に |
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21 |
9月24日 |
力量を発揮するも退社へ |
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22 |
10月8日 |
広島で平和運動に取り組むが… |
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23 |
10月22日 |
再びアメリカへ |
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24 |
11月12日 |
「広島北米クラブ」に尽力 |
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25 |
11月26日 |
世界連邦建設への訴え |
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26 |
12月10日 |
地球市民となる |
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27 |
12月24日 |
日本から世界へ |
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2022年 |
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28 |
1月14日 |
終わりなき世界平和の旅 |
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止
加藤新一
かとう・しんいち |
19000209生19820209没 |
享年81歳 |
日本国際連合協会広島支部局長。第1回国連軍縮特別総会に参加。『広島県大百科事典』(島津邦弘・記) |
止
資料年表:栄久庵憲司<作業中>
年月日 |
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1929 |
父・榮久庵鉄念(広島 永久寺の僧侶)、母・香津子(東京女子専門学校)の長男として、東京府北豊島郡西巣鴨町滝野川に生まれる。 |
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1945 |
広島、江田島の海軍兵学校に入学。8月に防府分校で玉音放送を聞く。復員し、福山誠之館中学(現・福山誠之館高校)の4年生に編入 |
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1947 |
原爆で被爆し亡くなった父・鉄念の後を継ぎ、京都の浄土宗佛教専門学校(現・佛教大学)に入学 |
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1950 |
東京藝術大学工芸科図案部に入学 |
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1952 |
この頃よりGK(Group of Koike)を標榜 |
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19521020 |
日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)創立総会:10月20日 |
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1957 |
GKインダストリアルデザイン研究所を設立、所長となる |
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<以上の出典>FOUNDER | GK Design Group (gk-design.co.jp) |
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19830701 |
『文化行政講演会講演録 第2集』(広島市企画調整局文化担当) |
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19910601 |
『けんみん文化 1991年6月号第7巻第3号』() |
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19931201 |
『地域づくり語録』(中国・地域づくり交流会) |
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19970401 |
『建築と社会 第78輯通巻901号』(日本建築協会) |
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20050518 |
広島女学院大学生活文化学会春季講演会。講師:栄久庵憲司(えぐあんけんじ)「道具と人の世界」。人文館303。超満員。3年宇吹ゼミの学生もかなり参加。 |
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20050730 |
『あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 上』(NHK「あの日 昭和20年の記憶」取材班、日本放送出版協会) |
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『ヒロシマナガサキ エキプ・ド・シネマ Equipe de cinema, No.162』(岩波ホール) |
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20110101 |
『広島原爆地獄 ヒロシマの生き証人は語り描く』(広島原爆地獄を世界に弘める会(河勝重美)) |
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20110917 |
『メタボリズムの未来都市展 戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン』(森美術館企画・編集、刊) |
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20120224 |
『プロジェクト・ジャパン メタボリズムは語る・・・』(レム・コールハース, ハンス・ウルリッヒ・オブリスト著、太田佳代子, ジェームス・ウェストコット, AMO編、平凡社刊) |
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20151120 |
『関千枝子 中山士朗 ヒロシマ往復書簡 第1集(2012-2013)』(関千枝子、中山士朗著、西田書店) |
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止
栄久庵憲司
えくあん・けんじ |
19290911生20150208没 |
享年85歳 |
工業デザイナー。GKデザイングループ会長<別記>。宇吹メモ:20050518 生活文化学会春季講演会。講師:栄久庵憲司(えぐあんけんじ)「道具と人の世界」。人文館303。超満員。3年宇吹ゼミの学生もかなり参加。 |
参照:https://www.gk-design.co.jp/_ja/gk_group/founder.html
止
平野義太郎<作業中>
ひらの・よしたろう |
19870305生19800208没 |
享年82歳 |
日本平和委員会名誉会長。原水爆禁止日本協議会の結成に参加。[77被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人] |
関連資料
年月日 |
タイトル |
著者 |
発行者 |
備考 |
1954/08/25 |
日本資本主義講座 戦後日本の政治と経済 9 軍国主義の復活 |
遠山茂樹編 |
岩波書店 |
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1955/02/01 |
反戦運動の人々 |
平野義太郎 著 |
青木書店 |
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1955/02/15 |
世界の良心は発言する 世界平和集会議事録 |
平和擁護日本委員会編 |
五月書房 |
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1955/03/17 |
原子戦争反対の集い ビキニ事件一週年記念(ポスター) |
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原水爆禁止署名運動全国協議会 |
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1955/12/30 |
戦争屋-あのころの知識人の映像- |
長尾和郎著 |
妙義出版 |
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1957/07/10 |
人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 |
原水爆禁止日本協議会編 |
原水爆禁止日本協議会 |
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1958/12/25 |
軍縮と国際協力のために ストックホルム平和大会の記録 |
軍縮と国際協力のための世界大会日本準備会編 |
日本平和委員会 |
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1967/11/01 |
原水爆禁止科学者会議の記録 第2回 |
第2回原水爆禁止科学者会議準備委員会事務局編 |
第2回原水爆禁止科学者会議準備委員会事務局 |
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1968/06/01 |
日本の核政策と国民世論 一九七〇年安保再検討期をまえに |
日本平和委員会 編 |
日本平和委員会 |
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1968/06/10 |
戦争と平和 |
末川博総編集、井上晴丸、細野武男編 |
雄渾社 |
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1969/11/20 |
平和運動20年記念論文集 |
日本平和委員会編 |
大月書店 |
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1969/12/20 |
原点 「戦後」とその問題 |
吉野源三郎編 |
評論社 |
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1976/01/01 |
世界大会の記録 1976 – 1 第二十二回原水爆禁止世界大会 広島・長崎の声を全世界に |
原水爆禁止日本協議会 |
原水爆禁止日本協議会 |
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1976/09/07 |
長沼2審”判決”糾弾長沼国民法廷記録 1976・8・5 |
北海道平和委員会 |
北海道平和委員会 |
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1977/03/30 |
中央集会・第五福竜丸のつどい |
原水爆禁止日本協議会 |
原水爆禁止日本協議会 |
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1978/04/29 |
北海道からの証言・告発 自衛隊を裁く 長沼・百里 国民法廷 1978.4.29 於東京 |
北海道平和委員会 |
北海道平和委員会 |
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1978/11/30 |
平和の思想 その歴史的系譜 |
平野義太郎著 |
白石書店 |
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1980/01/01 |
「3・1被爆国民の広場」の記録 |
静岡県・原水爆禁止運動統一促進準備会 |
静岡県・原水爆禁止運動統一促進準備会 |
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1980/03/20 |
恵庭-長沼-百里-矢臼別をむすぶ’79,9.7長沼第1審判決6周年記念集会記録 |
北海道平和委員会 |
北海道平和委員会 |
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1984/01/08 |
石川県平和委員会のあゆみ 再建20周年を記念して |
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石川県平和委員会 |
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1985/11/10 |
戦前戦中を歩む 編集者として |
美作太郎著 |
日本評論社 |
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1992/03/15 |
開成詞華選 若き心 明治大正編 |
開成学園校史編纂委員会 |
開成学園 |
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2013/12/18 |
日本の社会主義 原爆反対・原発推進の論理 |
加藤哲郎著 |
岩波書店 |
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止
『海外事情から世界連邦へ』(小谷鶴次著、Toshindo出版サービス、19851105)
内容
部章 |
見出し |
備考 |
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はしがき |
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1 |
海外事情の体験 |
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1-1 |
欧米・アフリカの旅行 2 |
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I東廻り世界一周(2)
II交通機関(10)
III綜合的な印象(14) |
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1-2 |
ヨーロッパ・アフリカ旅行から(1980年)16 |
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I飛行機内で(16)
IIポーランドとスイスで(16)
IIIチュニジアとアルジェリアで(18)
IVフランスで(20) |
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1-3 |
これまでの海外旅行から 20 |
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2 |
アメリカ旅行 22 |
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2-1 |
アメリカ入国の思い出 22 |
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2-2 |
カリフォルニア紀行 24 |
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3 |
ヨーロッパ旅行 29 |
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3-1 |
国際列車の中で 29 |
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3-2 |
ヨーロッパ団体旅行(1967年)32 |
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Iヨーロッパ団体旅行をふり返って(32)
II共産圏からイギリスへ(36)
IIIローマ法王の特別謁見(39) |
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3-3 |
3ヨーロッパ旅行(1976年)41 |
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I人情に国境なし(41)
II海外ビックリ箱(43) |
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3-4 |
訪欧記(1977年)45 |
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3-5 |
ポーランド・スペインからスコットランドへ(1981年)57 |
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3-6 |
ポーランドを9回訪れて(1982年)58 |
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I飛行機内からイギリスまで(58)
IIスイスで(59)
IIIポーランドで(59) |
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3-7 |
西ヨーロッパの印象(1984年)60 |
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I気候(60)
II交通(61)
IIIホテルと食事(64)
IV人的交流(66)
V綜合的印象(68) |
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2 |
海外事情の研究 |
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2-1 |
共産圏 70 |
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1 共産主義国の内情 70
I共産主義国の一般事情(70)
II共産主義国の個別事情(74)
III共産圏内の関係(82) |
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2 ポーランドの変革とソ連 84
Iポーランドの分割と再生(85)
IIポーランドにおける理念と現実(85)
IIIポーランド変革の具体的背景(86)
IVソ連の対応(89)
Vポーランド変革の批判(90) |
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2-2 |
アフリカの内情 92 |
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Iアフリカの国内事情(92)
IIアフリカの特異性(98)
IIIアフリカの国際主義(100)
IV先進国との格差と対策(102) |
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2-3 |
微小国を見渡して 106 |
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Iパラオ共和国の実体(106)
II第一級微小国(108)
III第二級微小国(110)
IV国家の資格(114) |
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3 |
国際交流から平和へ |
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3-1 |
交流による平和 116 |
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1 サーバスと平和運動 116
2 平和団体の協力をめざして 117
3 国際交流を生かすために 120 |
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3-2 |
世界連邦の構想 123 |
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1 戦争の根絶をめざして 123 |
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I人類のための戦争根絶(123)
II人類のための仕組(125)
III戦争廃絶への世界連邦コース(127)
IV戦争根絶と平和(130)
V反核と世界連邦(134)
VI世界連邦による軍縮(140) |
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2 世界の改造をめざして 144 |
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I世界の改造(144)
II世界連邦と国家・国際連合(146)
III異質のものの均衡(150)
IV民族主義との関係(152)
V世界連邦の実体(154) |
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3 世界連邦の実現性 159 |
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I実現の可能性(159)
II世界連邦への関心(161)
III誰が造るか(164)
IV世界連邦への障害(166)
V実現の途(168) |
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3-3 |
世界連邦の運動 173 |
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1 地球市民国際会議の模様(1984年)173
I事務(173)
II研究(178) |
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2 その他の会議と反省 180 |
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3 世界連邦運動と今日 181 |
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4 |
世界連邦の必要と方策 186 |
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止
小谷鶴次
こたに・つるじ |
生19970208没 |
84 |
広島大学名誉教授。政経学部教授時代に世界連邦建設運動にかかわる。 |
広島平和記念資料館平和データベース 検索キーワード”図書””小谷鶴次”
止
雑賀忠義<作業中>
さいか・ただよし |
18940325生19610208没 |
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67 |
広島高等学校教授の時被爆。英文学者。1957年広島大学を定年退官。広島平和公園にある原爆慰霊碑の碑文の作者。 |
『ながれ』(村上哲夫、村上哲夫後援会、1954/06/25)靜坐心自寛 雑賀忠義 424
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。