故・河合幸尾先生をしのぶ会 1997年4月5日<作業中>
呼びかけ人:青木圭介、鈴木勉・田村和之・中澤美治・中司登志美 |
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故・河合幸尾先生をしのぶ会 1997年4月5日<作業中>
呼びかけ人:青木圭介、鈴木勉・田村和之・中澤美治・中司登志美 |
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『河合幸尾論集 社会福祉と自立』(河合幸尾、かもがわ出版、19980420)
内容
刊行にあたって―河合幸尾氏の研究業績と残された課題 真田是 | |||
1⃣ | 社会福祉と自立・主体形成 | ||
1 | 社会福祉において、いま、なぜ自立か | ||
現代の生活問題 福祉イデオロギー 社会福祉の到達点 |
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2 | 社会福祉における自立とは何か | ||
社会福祉の目的と福祉諸法における「自立」の位置 16 自立と人間的・社会的自由 社会福祉の権利と福祉労働の意義 |
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3 | 自立に必要な諸条件の確保をめざして 23 | ||
生存権(生活権)空洞化の系譜 23 ナショナル・ミニマムと在宅福祉サービス 80年代以降の我が国住民運動の特徴 26 ワーカー・福祉諸機関の自立と主体性 「参加型福祉とボランティア活動(運動)の主体性 |
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2⃣ | 戦後生活保護行政の変遷 | ||
はじめに | |||
Ⅰ | 旧生活保護法の成立と展開 | ||
1「生活困窮者緊急生活援護要綱」 2旧生活保護法の成立 3旧生活保護法の展開 47 4生活保護法改正への動き 54 5対日「民主化」政策のねらい |
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Ⅱ | 生活保護法の改正 65 | ||
1改正にこめられていた課題 65 2社会保障制度審議会勧告と国会審議 3新生活保護法の発足と社会福祉主事制度の誕生 |
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Ⅲ | 保護「適正化」政策の展開 77 | ||
1再軍備政策と生活保護 77 2生活保護「適正化」政策の展問 81 3昭和二九年度社会保障関係予算削減問題 4生活保護闘争の発展と朝日訴訟の始まり |
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Ⅳ | 生活保護の低迷と低所得層対策 98 | ||
1「高度経済成長政策」と低所得層 2昭和三〇年代前半の生活保護 3低所得層対策と生活保護 |
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V | 生活保護における「ケースワーク」の展開 | ||
1厚生省生活保護理論とケースワーク 2生活保護行政における「ケースワーク」の変遷 3「ケースワーク」の行方 125 |
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Ⅵ | 資本の強成長と生活保護の「整備」 129 | ||
1昭和三三年~三五年の改訂 129 2昭和三六年度第一七次改訂 134 3昭和三八年までの保護行政の展開 |
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Ⅶ | 保護弾圧と労働力流動化政策の展開 | ||
1生活保護おける弾圧の開始 2弾圧期における保護の実態と全生連運運動 3労働力流動化政策としての生活保護 |
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おわりに | |||
3⃣ | 追悼 | ||
研究者仲間から 医療生協の人びと 同窓、同郷の人びと 教え子たち 家族 河合幸尾教官研究業績一覧 河合幸尾略年譜 |
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あとがき 228 | |||
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柿手春三年譜<作業中>
年月日 | |||
1909 | |||
0316 | 広島県双三郡三良坂村で誕生。 | ||
1921 | |||
04 | |||
1991 | |||
05 | 三良坂平和美術館へ油絵62点(自己作品45点、所有作品21点)、素描外160点、オブジェ20点を寄贈。 | ||
0630 | 『柿手俊三受贈記念誌』 (三良坂平和美術館(刊)) | ||
1993 | |||
0204 | 没。享年83歳。 |
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黒川万千代
くろかわ・まちよ | 1929生20110217没 | 享年81 | 旧姓富永。広島女専1年生のとき校内で被爆。日本被団協事務局次長など。 |
著書など
書名 | 編・著者(発行所) | 備考 | |
1976/08/06 | 原爆の碑 広島のこころ | 黒川万千代 | |
1981/04/29 | いのちある限り 被爆者運動35年のあゆみ | 神奈川県原爆被災者の会 | |
1982/04/30 | 「アンネの日記」への旅 | 黒川万千代著(労働旬報社) | |
1982/07/15 | 原爆の碑 広島のこころ | 黒川万千代著(新日本出版社) | |
1983/02/25 | 猫ちゃんは帰らない 何よりも平和を | 黒川万千代(民衆社) | |
1983/08/20 | 原爆を裁く | 東京都原爆被害者団体協議会編(労働教育センター) | |
1984/01/01 | 総合学習「ヒロシマ」 和光小学校の実践 | 和光学園教育実践シリーズ出版委員会(明治図書出版) | |
1984/06/30 | 世界の反核運動 | 佐藤昌一郎著編(新日本出版社) | |
1988/04/22 | 核抑止か核廃絶か | 非核の政府を求める会 | |
1988/06/20 | 鳩の使いの旅 広島のこころを世界へ | 黒川万千代著(新日本出版社) | |
1991/11/16 | 明日を創る 婦人民主クラブと私 | 婦人民主クラブ | |
1998/04/11 | ヒロシマの女たち 続 | 広島女性史研究会編著(ドメス出版) | |
2001/04/10 | 核のない21世紀を ヒロシマからのメッセージ | シネ・フロント社 | |
2002/09/20 | 原水爆禁止2002年世界大会の記録 核兵器のない平和で希望ある世界を | 原水爆禁止世界大会実行委員会 | |
2007/08/06 | 原爆被災証言記 忘れられた学徒たち | 県立広島女子大学同窓有志、広島県立広島第二高等女学校同窓有志 | |
関千枝子
せき・ちえこ | 19320328生20210221没 | 享年88 | フリージャーナリスト。著書に「広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち」。姉=黒川万千代。級友・亀沢恵尼の姉=亀沢深雪。 |
書誌
書名 | 著者(無い場合は著者=関千枝子)・発行所など | 出版年月日 |
広島第二県女二年西組-原爆で死んだ級友たち | 筑摩書房 | 1985/2/28 |
ヒロシマ花物語 | 汐文社 | 1990/7/15 |
しらうめ 広島第二県女創立50周年記念誌 | 広島県立広島第二高等女学校同窓会(編・刊) | 1995/9/3 |
女がヒロシマを語る | 江刺昭子、加納実紀代、関千枝子、堀場清子編、 インパクト出版会 | 1996/8/6 |
証言-ヒロシマ・ナガサキの声1996 | 長崎の証言の会 | 1996/9/10 |
ヒロシマから吹く風 | 横浜市立浦島丘中学校 | 1997/3/10 |
ヒロシマの女たち 続 | 広島女性史研究会編著、ドメス出版 | 1998/4/11 |
広島第二県女二年西組 〔上〕 | 埼玉福祉会 | 1999/5/20 |
広島第二県女二年西組 〔下〕 | 埼玉福祉会 | 1999/5/20 |
日本原爆論大系 第7巻 歴史認識としての原爆 | 岩垂弘ほか、日本図書センター | 1999/6/25 |
若葉出づる頃 新制高校の誕生 | 西田書店 | 2000/6/10 |
8月の晴れた日に 7 | 埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)、さいたまコープ労働組合平和部 | 2002/4/13 |
ゲンバクの日ぼくたちは10代だった | 桂寿美江、神南明子、野村恵利子取材・執筆 松本あゆみ英語翻訳 創文刊 | 2003/7/30 |
原爆被災証言記 忘れられた学徒たち | 県立広島女子大学同窓有志、広島県立広島第二高等女学校同窓有志 | 2007/8/6 |
修学旅行記録集[2006/10/25(水)~28(土)] | 埼玉県立飯能高等学校 | 2008/3/8 |
戦争と性 第27号 | 「戦争と性」編集室 | 2008/4/25 |
ヒロシマ・ナガサキを考える 復刻版Ⅱ | ヒロシマ・ナガサキを考える会 | 2008/8/6 |
広島第二県女二年西組 構成台本 | 関千枝子著 岩田直二構成演出らくらく演劇塾 | 2010/3/1 |
広島第二県女二年西組-原爆で死んだ級友たち | 筑摩書房 | 2010/5/25 |
ヒロシマ原爆地獄 ヒロシマの生き証人は語り描く | 河勝重美著、ヒロシマ「原爆地獄」を世界に弘める会(河勝重美) | 2011/1/1 |
ヒロシマ原爆地獄 生き証人の描く被爆者一人ひとりの生と死 日英二カ国語版 | ヒロシマ「原爆地獄」を世界に弘める会(河勝重美) | 2011/1/1 |
ヒロシマ・ナガサキを考える 復刻版Ⅲ-① | ヒロシマ・ナガサキを考える会 | 2011/8/6 |
ヒロシマ・ナガサキを考える 復刻版Ⅲ-② | ヒロシマ・ナガサキを考える会 | 2011/8/6 |
フィールドワークまっぷ 広島の少年少女たちの死をめぐって 2012年版 | 竹内良男 | 2012/8/1 |
広島・長崎から 戦後民主主義を生きる 往復書簡 | 関千枝子、狩野美智子著 彩流社 | 2012/10/31 |
ヒバクシャからの手紙 被爆体験記集 第3巻 | 広島平和文化センター 編集 厚生労働省、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 | 2013/3/31 |
慟哭の廣島 | 今田耕二、木下印刷所(印刷) | 2014/7/22 |
金輪島と原爆 原爆死没者慰霊碑参拝 | 竹内良男 | 2014/10/26 |
原爆地獄 The Atomic Bomb Inferno ヒロシマ生き証人の語り描く一人ひとりの生と死 日英版 | 河勝重美編、コールサック社 | 2015/4/16 |
ヒロシマの少年少女たち 原爆、靖国、朝鮮半島出身者 | 彩流社 | 2015/8/26 |
関千枝子 中山士朗 ヒロシマ往復書簡 第1集(2012-2013) | 関千枝子、中山士朗著 西田書店 | 2015/11/20 |
ヒロシマを若い世代に 原爆で未来を絶たれた若い命は訴える 被爆者の語り描く失われた若い命の生と死のドラマ 日本語英語二カ国語版 = Hiroshima never again : an appeal to today’s young people from the young who lost their future : survivers witnessed the life and death of young people in Hiroshima : English-Japanese edition 河勝重美 | 2016/5/24 | |
関千枝子 中山士朗 ヒロシマ往復書簡 第2集(2013-2014) | 西田書店 | 2016/6/1 |
関千枝子 中山士朗 ヒロシマ往復書簡 第3集(2014-2016) | 西田書店 | 2017/6/1 |
証言 町と暮らしの記憶 中島本町・材木町・水主町 | ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会 | 2017/8/5 |
ヒロシマ対話随想 | 関千枝子、中山士朗著、西田書店 | 2019/5/10 |
児玉健次(こだま・けんじ) 1933年生 20210224没 享年87歳
日本の政治家。衆議院議員(通算4期)、日本共産党中央委員。
広島県生まれ。1956年広島大学学生細胞で入党。文学部卒業。同大学院中退。高校に奉職後、教諭として勤務する一方、北海道高教組副委員長等を歴任。
1986年第38回衆議院議員総選挙で北海道1区から立候補し初当選。4期当選(中選挙区北海道1区2期、比例北海道ブロック2期)議員在任中、社会労働委員、国会対策委員代理、文部科学委員などを歴任。
死亡欄掲載紙20210227=朝日新聞、赤旗。
参考資料<リンク>=8・6学生平和会議(主催:広島大学学生自治会、会場:広島児童文化会館 1956年8月5~7日)実行委員長=児玉健次(広島大学文学部)
宇吹メモ=1990年5月15日午後2時、 共産党国会調査団来所(=広島大学原爆放射能医学研究所)。林紀子、児玉健次など12人。宇吹助手が応対。
『ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎の記録 』(佐々木雄一郎写真、毎日新聞広島支局編 、毎日新聞広島支局、19770701 )
内容
撮影年月日 | 備考 | |
荒木武 | ||
194509 | 爆心 | |
1948 | 原爆ドーム | |
<以下要入力> | ||
ヒロシマの歩み<年表> | ||
ヒロシマと生きて | 佐々木雄一郎 | |
ヒロシマに思う | 山本皓三 | |
編集後記 | 河野通宏 | |
編集委員 |
『ヒロシマ25年 写真記録』(佐々木雄一郎、朝日新聞社、19700730)
頁 | No. | 備考 | |
2 | 佐々木雄一郎 | ||
3 | 8本の線と1個の点 | ||
4 | 1 | 自宅付近の焼け跡 | |
2 | 市電の残骸 | ||
3 | 義兄本田勘六宅の焼け跡 | ||
4 | 次兄佐々木末爾宅の焼け跡 | ||
7 | 原子砂漠 | ||
5 | 原子砂漠 | ||
8 | 6 | 爆心地 | |
10 | 7 | 爆心地1 | |
11 | 7 | 爆心地2 | |
12 | 8 | 鉄分の噴き出した墓石 | |
9 | ピカドン墓 | ||
13 | 10 | 屋根のぬけ落ちた産業奨励館 | |
14 | 11 | 爆心地下の白骨 | |
15 | 閃光 | ||
15 | 12 | 石段の人影 | |
16 | 13 | ガスタンクの影 | |
18 | 14 | 護国神社入口の狛犬1 | |
15 | 護国神社入口の狛犬2 | ||
16 | 護国神社入口の狛犬3 | ||
17 | 避雷針の基礎の影 | ||
18 | 竹の火傷 | ||
19 | 広島城のユーカリ1 | ||
20 | 広島城のユーカリ2 | ||
23 | 爆風 | ||
21 | |||
21 御幸橋の欄干…23 22 相生橋風景… 25 23 爆心地島病院の跡…26 24 日赤病院のガラス破片…26 25 ねじれた鉄窓… 27 26/28 家屋の破損1~3…28/29 29 鉄梯子の曲った煙突 |
|||
30 | 焼け跡 | ||
30 | 街の焼け跡 1~20 | ||
43 | 人間をかえせ | ||
50 | 50 孤独な老人…43 51 はたらく原爆孤児…44 52/54 原爆浮浪児 1~3…46/48 55 孤児と修道尼…49 56 お祈りをする孤児…49 57 似島学園の女の子…50 58 先生と孤児…51 59 バラックの老夫婦…53 60 日向ぼっこの孤老 |
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55 | 惨劇の証人 | ||
61 早暁の原爆ドーム…55 62/76 原爆ドーム 1~15…56/68 77 原爆ドームの碑…68 |
|||
69 | 廃嘘のヤドカリ | ||
78 バラックと子ども…69 79 石とトタンの家…70 80 防空壕の住居…71 81 兵営跡の市営住宅…72 82 新居と畑…72 83 バラック住い…73 84 バラックと子ども…73 85 基町のスラム…73 86/91 立ちのき 1~6…74/78 |
|||
79 | 怒りと祈りと | ||
92 ハトと噴水…79 93 ドームと洗たく女…80 94 写生する子どもたち…81 95 はねつきをする少女…82 96 置去りにされた石仏…82 97 工事場の群像…83 98 紙芝居屋と子ども…83 99 慰霊碑に詣でる被爆娘…84 100 読経する老人…85 101 消えていくバラック…86 102 工事場の人骨…87 103 工事の遅れた公会堂…88 104 公園建造物全景…89 105 遠足に来た生徒たち…90 106 雪の中の参詣…90 107 雨の中の参詣…90 108 ある対話…90 109 若い自衛隊員…90 110 休暇の黒人兵…90 111 暮色の公園…91 112 供養塔暮景…92 113 新春の供養塔…93 114 原爆の子の像…93 115 供養塔そばの自衛隊員…94 116/17 原爆資料館1~2…94/95 118 詩碑と少女…97 119 平和記念公園遠望…99 120 盛夏の平和記念公園…100 |
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101 | 消えぬ爪あと | ||
121 街を行く被爆者…101 122 原爆第1号のケロイド…102 123 原爆1号の店…103 124 ドームと第1号…103 125 はたらく被爆者…104 126 デパート屋上の被爆者…104 127 街に出てきた原爆乙女…105 128 発言する原爆乙女…105 129 川遊びの被爆少女…106 130 討議する被爆者代表…108 131 広島原爆病院…108 132 原爆病院の病室…111 133 原爆病院標本室…112 134/135 原爆病院病理室 1~2…112 136 原爆病院の回診風景…113 137 結び合う手…114 |
|||
115 | 涙と叫びの夏 | ||
138 8月6日の慰霊碑…115 139 第1回平和祭…116 140 平和塔と人骨…117 141 第3回平和祭…118 142 第6回平和記念式典…119 143 過去帳奉納…120 144/151 第8回~第22回平和記念式典…121/125 152 8月6日の流燈会…126 153 ドーム前の流燈…127 154 折鶴の会の平和集会…128 155/161 8月6日の供養塔 1~7…129/133 162 涙の老女…134 163 少年と線香…134 164 動員学徒犠牲者の会…135 165 慰霊祭のあと…135 166 原水禁広島平和大会…136 167 第1回原水禁世界大会…137 168 核禁会議のタイマツ行進…137 169 平和大行進…139 170 遺影を胸に…140 171 林立する旗…141 172 ヘルメットに囲まれて…141 173 原爆病院前の平和行進…142 174 海を渡ってきた行進者…142 175 広島反戦集会…143 176 国際放射線影響学会…144 177 胎内被爆者・被爆二世を守る会結成大会…144 178 原水爆禁止科学者会議…144 179 慰霊碑前の抗議すわりこみ…144 180 第2回世界仏教徒会議…145 181 ある花束…146 |
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147 | 死者をたずねて | ||
182 原爆っ子の成人式…147 183 供養塔に眠る無縁仏…148 184 遺骨の引渡し…149 185 むなしく眠る遺骨…149 186 学徒死没者の碑…150 187 検視調書名簿…150 188 名簿を追って…151 189 探し疲れて… …151 190 あったッ!…152 191 供養塔納骨名簿…152 192 確認…153 193 喜び…153 194 祭壇上の遺骨…154 195 遺骨引渡し…154 196 悲しみ…155 197 被爆者実態調査票…156 198 被爆者調書…156 199 爆心地の復元…156 |
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157 | 来訪者の顔 | ||
200 ジョセフィン・ベーカー…157 201 皇太子殿下…158 202 ザビエル順礼団…159 203 西部劇俳優ケニー・ダンカン…159 204 天皇・皇后両陛下…159 205 ヘレン・トローベル…160 206 宇野重吉…160 207 ルーズベルト夫人…160 208 ディマジオとモンロー…161 209 パルゴーザ・カルメーロ・ブラジル大使夫妻…162 210 高松宮ご夫妻… 163 211 高松宮妃…163 212 鳩山首相夫妻…164 213 原水禁世界大会ソ連代表…164 214 原水禁世界大会中国代表…164 215 ネール首相… 165 216 オーベルン・キルヘン少女合唱団…165 217 皇太子殿下ご夫妻…166 218 ハイネマン西ドイツ大統領夫妻…166 219/225 自衛隊1~7…167/172 |
|||
173 | 不死鳥のごとく | ||
226/275 よみがえる街々1~50…173/202 276 宇品港の引揚げ船…203 277 宇品港の外米輸入船…203 278 宇品港桟橋…204 279 ソ連観光船入港…204 |
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205 | 焦土の祭典 | ||
280 消防出初め式…205 281 相撲興行…206 282 庭球卓球競技大会…207 283 こどもまつり…207 284 広島カーブ結団式…207 285 第6回広島国体…208 286 秋祭(天神祭)…208 287 ファションショー…209 288 広島まつり…209 289 立太子式…210 290 競輪…211 291 亥の子祭…211 292 とうか祭…212 293 市民球場びらき…212 294 博覧会…213 295 X’masフェスティバル213 296 聖火リレー…214 297/309 第21回~第41回メーデー…215/222 |
|||
223 | 声なき墓標の群れ | ||
広島県地方木材KKの慰霊碑 | |||
225 | 慰霊碑 | ||
311 雑草の中の供養塔…225 312 瓦礫の中の供養塔…226 313 広島郵便局の供養塔…226 314 広島土木出張所の供養塔…227 315 爆心地横死者の供養塔…227 316 さまざまなる供養塔…228 317 集められた供養塔…229 318 県立広島二中の供養塔…230 319 放置された供養塔…230 320 県立広島二中慰霊碑の裏面…231 321 広島二中慰霊碑の表面…231 322 広島市役所の慰霊碑除幕式…232 323 牛田町児童公園の供養塔…232 325 五日市町の慰霊碑…233 326 左官町の慰霊碑…233 327 宇品造船所の供養塔…233 328 広島女学院慰霊碑の表面…234 329 広島女学院慰霊碑の裏面…234 330 崇徳中学校の供養塔…235 331 広陵学園の慰霊碑…235 332 進徳高等女学院の慰霊碑…235 333 広鳥市高等女学校の慰霊碑…235 334 広島市造船工業学校ならびに広島市立商業学校卒業生原爆戦残者の慰霊碑…237 335 原爆の子の像の碑文…238 336 移動演劇さくら隊原爆殉難碑…238 337 慰霊碑守りの未亡人…238 |
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239 | 墓標 | ||
338/351 墓標1~14…239/246 | |||
247 | 供物 | ||
247 | 352 | タイ国海軍使節団の捧げた花輪 | |
248 | 353 | 皇太子殿下の捧げた花輪 | |
249 | 354 | ネール・インド首相の花輪 | |
249 | 355 | 世界連邦外国代表一行の花輪 | |
249 | 356 | ジョンソン駐日アメリカ特命全権大使の花軸 | |
249 | 357 | スポポダ・チェコスロバキア大統領の花輪 | |
250 | 358 | 修学旅行生の献花 | |
250 | 359 | 修学旅行生の捧げた折鶴 | |
250 | 360 | 小学校児童の献花 | |
251 | 361 | センをぬいて供えられた酒 | |
252 | 362 | 供養塔前の供物 | |
252 | 363 | 慰霊碑前の菊の花と硬貨 | |
253 | 364 | 新婚旅行者が捧げたブーケ | |
253 | 365 | 万博粉砕の千羽鶴 | |
255 | 366 | ヒロンマ1970年 | |
258 | 広島被爆地図 | ||
260 | ヒロシマの持続 大江健三郎 | ||
268 | ヒロシマ年表 庄野直美・編… | ||
279 | あとがき | ||
佐々木雄一郎(ささき・ゆういちろう)
19170111生19800204没 | 享年63 | 被爆記録写真を撮り続けた広島の写真家。[69原爆被災資料広島研究会]。『原爆三十年』(広島県編・刊)の挿入写真の選定・編集でお世話になる。 |
著書
書名 | 編著者 | 出版者 | 発行年月日 |
ヒロシマフォトアルバム | 佐々木雄一郎編 | 広島平和協会 | 19491001 |
広島の日記 昭和20年から44年まで | 佐々木雄一郎 | 佐々木雄一郎 | 19690801 |
写真記録 ヒロシマ25年 | 佐々木雄一郎 | 朝日新聞社 | 19700730 |
ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎の記録 | 佐々木雄一郎(写真)、毎日新聞広島支局(編) | 毎日新聞広島支局 | 19770701 |
略歴 19170111 広島市に生まれる 19450806 日本写真公社のカメラマンとして東京にいた 19450809 広島に帰り、原爆による惨状を見る。 19450818 広島に腰を据える。肉親の行方捜し、13人を失う。同時に執念の撮影が始まる。 1969 東京・松屋で初の写真展。 1971 写真集「広島の日記」出版 1975 広島・センター街で写真展 |
『たたかう映画-ドキュメンタリストの昭和史』(亀井文夫著 谷川義雄編、岩波書店、19890821 )
目次
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Ⅰ | ドキュメンタリーをめざして | 001 |
わんぱく時代/ソビエト留学/上海事変の記録/戦う兵隊/記録映画を考える/記録映画と真実と/ | ||
Ⅱ | わが戦争と平和 | 073 |
信濃風土記 /シナリオ小林一茶/コミンテルンと雑魚一匹/日本の悲劇/来なかったのは軍艦だけ/ | ||
Ⅲ | 戦後を記録する | 137 |
軍事基地日本 | 138 | |
原爆への視線 | 146 | |
世界は恐怖する | 155 | |
部落差別は生きている | 176 | |
Ⅳ | 生物みなトモダチ | 185 |
ギャラリー東洋人にて | 186 | |
みんな生きなければならない | 197 | |
編者あとがき(谷川義雄) | 215 | |
亀井文夫監督作品目録 | 225 |