資料年表:伊東壮
年月日 |
資料名 |
著者・発行者など |
備考 |
|
|
|
|
1970 |
“ひばく怪獣”問題資料集 被爆者差別の固定化を許さないために |
|
|
|
「はじめに “被爆怪獣問題”の中から 伊東壮 1」 |
1975/07/25 |
被爆の思想と運動 |
伊東壮著、新評論 |
|
1975/07/25 |
原爆から原発まで 核セミナーの記録 上 |
原爆体験を伝える会編、アグネ |
|
|
原爆被爆の思想と運動 伊東壮 132 |
1976/04/30 |
広島・長崎30年の証言(下) |
広島・長崎の証言の会編、未来社 |
|
|
日本被爆者運動の三十年 伊東壮 11/東友会二十年のあゆみ 伊東壮 78 |
|
<未完> |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
19980928 |
ふみあと(退官記念随想集) |
|
|
20000514 |
伊東壮さんを偲ぶつどい《冊子》<未完> |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
止
『1945年8月6日-ヒロシマは語りつづける(岩波ジュニア新書6)』(伊東壮、岩波書店、1979/07/20)
内容<作業中>
|
|
|
|
1 |
ある日突然-天をさく閃光 1 |
|
|
|
海の底で 2/倒れた校舎からはい出て 7/生き残った三人姉弟 12/日本人も朝鮮人もなく 20 |
|
|
2 |
戦争のなかの暮らし 29 |
|
|
|
広島の町 30/長崎の町 32/満州事変とともに 34/日中戦争始まる 39/太平洋戦争に突入 43/負けはじめる戦争のもとで 48/勉強をやめて工場動員へ 52/朝鮮人ニロ湾人も動員 56/ひもじさにたえる「学童疎開」 58/むごたらしさの果てに 64 |
|
|
3 |
戦争は終わったが 67 |
|
|
|
原子爆弾の破壊力 69/広島・長崎の被害 71/傷ついたからだ(藍)心のケロイド 78/消えぬ十字架 82/焼け跡のバラックで 84/襲いかかる原爆病 87/貧しさのどん底で 88/閃光はおなかの赤ちゃんにまで 90 |
|
|
4 |
原爆はなぜ広島・長崎へ 95 |
|
|
|
アインシュタインの手紙 96/原子の構造 99/質量はエネルギーに変わる 101/ナチスとユダヤ人科学者 104/原爆の研究スタート 106/秘密裏にすすむマンハッタン計画 110/情報のひとりじめ 114/原爆をどの国に落とすか 116/日本に落とそう 120/ソ連を嚢制するために 124/戦争のモラルは変わった 126/どの都市に落とすか 130/原爆をいかにうまく使うか 134/科学者たちの良心の叫び 138/「赤ん坊は申し分なく生まれた」 142/投下命令が出される 148/「ちび」と「ふとっちょ」 150 |
|
|
5 |
あなた自身が生き残るために 157 |
|
|
|
戦争は突然終わった 158/暗幕のかげで 160/東条内閣倒れる 162/すすむ和平工作 166/だまされつづけた国民 171/世界への第一報 174/プレスコードのもとに 176/「おれたちは原爆のモルモットか」 179/人類の危機 183/第三次大戦がおこれば 187/知らぬ間に核兵器にかこまれて 190/スリーマイル島の教訓 192/亡き学友の名をなでながら 197 |
|
|
|
|
|
|
|
あとがき 203 |
|
|
|
〈年表〉原爆が投下されるまで 207 |
|
|
|
|
|
|
止
『ヒロシマ・ナガサキから世界と未来へ』(伊東壮著、勁草書房、1985/07/20)
内容<作業中>
|
|
|
|
|
はじめに |
|
|
Ⅰ |
被爆者問題の課題と方法 |
|
|
|
原爆被爆者問題にとりくんで 3
科学は人間のためにある 36
原爆被害の全体像へ接近するための視点と方法 45
「原爆被害」研究とその課題 64 |
|
|
|
|
|
|
Ⅱ |
被爆者の実情とその運動 |
|
|
|
政府の被爆者援護対策と被爆者運動 95
原爆小頭症患者の「きのこ会」の皆さんへ 129
基本懇意見書に抗する国家責任追及の国民法廷運動 133
迫る老いと死-韓国被爆者の「見殺し」は新しい加害 136
原爆被害者の老いの苦しみの中で 139
日本被団協の死没者・遺族調査の意味 147 |
|
|
|
|
|
|
Ⅲ |
被爆者と原水禁運動 |
|
|
|
被爆国際シンポジウムの訴え-人間としての尊厳のために 157
悲惨な戦争の実像伝えよう 161
「原爆被害」の今日的いみ 164
核権力と被爆者 188
第2回国連軍縮総会と草の根反核運動 195
国境をこえた草の根反核-「非核都市宣言」 207 |
|
|
|
|
|
|
Ⅳ |
原爆体験と平和教育 |
|
|
|
平和教育とは何か 213
「ヒロシマ・ナガサキ」から未来へ 221 |
|
|
|
|
|
|
|
原水禁問題略年表 249 |
|
|
|
|
|
|
|
おわりに 255 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
止
『原爆被爆者の半世紀』(伊東壮著、岩波ブックレット No.116、1988/06/20)
内容
頁 |
|
|
01 |
墓は訴える |
|
02 |
天を裂く閃光 |
|
|
その日も学徒動員で工場に |
|
|
ぼろぼろに焼かれた人たち |
|
11 |
絶滅のまっただなかで |
|
|
重傷者を救護して |
|
|
爆心に姪をさがす |
|
17 |
広島一四万、長崎七万の死者 |
|
|
地獄のなかの死者たち |
|
|
従来兵器にない大量殺りく |
|
23 |
子供、女性、老人が殺された |
|
|
その年の死者―65%が子供、女性、年寄り |
|
|
とむらわれぬ死者 |
|
|
原爆死の特徴は、なによりも”殺人” |
|
32 |
いまなおつづく健康破壊 |
|
|
おそう急性放射能症 |
|
|
ひきつづく病気と「遅れた死」 |
|
38 |
こわされた家族と家計 |
|
|
家族が一挙に半分に |
|
|
家屋も財産も燃えつきて |
|
|
高度成長からとり残された被爆者 |
|
44 |
おかされつづけるくらし |
|
|
進学をあきらめ仕事に挫折 |
|
|
くだかれる結婚のゆめ |
|
|
火事のできぬ主婦の悲しみ |
|
|
うまれてくる子供への、ぬぐいきれない不安 |
|
54 |
こころの深い傷のなかから |
|
|
ひき裂かれたこころ |
|
|
かくされた原爆被害とその過小評価 |
|
|
「生きていてよかった」の言葉がきかれる |
|
61 |
核兵器廃絶を生きる支えとして |
|
|
いまも不安のなかに生きる被爆者 |
|
|
ひとつの家庭で二人自殺した事例 |
|
|
ふたたび被爆者をつくらぬ証しを |
|
|
被爆者の生と死を―核兵器廃絶と真の平和のためととらえたい |
|
|
|
|
止
『被爆の思想と運動』(伊東壮著、新評論、1975/07/25)
内容<作業中>
|
|
|
|
|
はじめに 1 |
|
|
Ⅰ |
ある被爆者の「被爆原体験」と「被爆の思想」 |
|
|
|
1 私は何故被爆者運動をやるのか 11
2 私のヒロシマ 18
3 モルモットの夢 21
4 よく、そしてみんなで生きるために 25
5 原爆被害者の現状と“否定”意識 29
6 「被爆者の意識の前進」についての試論 47 |
|
|
|
|
|
|
Ⅱ |
冷たい目よりまず暖かい心を-被爆者調査活動の中から- |
|
|
|
7 破壊された「生」に暖かい心を-原爆被爆者調査の10年- 61
8 厚生省被爆者調査に欠落したもの-おおわれた一般人との「格差」 64
9 原爆被爆者の子どもに関する調査報告 76 |
|
|
|
|
|
|
Ⅲ |
「三つのほしょう」に立つ被爆者援護法をめざして-被爆者の要求と被爆者運動- |
|
|
|
10 被爆者運動のあゆみ-「自助」から「平和生存権」を求めて- 185
11 被爆者の実態と今後の方針 198
12 被爆者の要求と政府の援護 209
13 私たちは要求する(13項目)232
14 構成劇「私たちは生きつづける」 250
15 風化するヒロシマ 261
16 戦争犠牲者・原爆被爆者の福祉 285
17 「平和に生きる」ための「被爆者援護法」 301
18 被爆者問題と運動への総括的覚え書-原点からの報告- 339 |
|
|
|
|
|
|
|
おわりに 365 |
|
|
|
|
|
|
止
いとう・たけし |
1929生
20000303没 |
享年70 |
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員、元山梨大学学長。広島市生まれ。広島一中3年の時、動員先の兵器工場で被爆。東京・国立被爆者の会の結成に参画、東京都原爆被害者団体協議会事務局長、日本被団協事務局長などを歴任。江種則貴「評伝」(『中国新聞』2000.3.6)、本田雅和「惜別」(『朝日新聞』2000.4.12) |
資料
資料名 |
著者・作成者・発行者など |
備考 |
|
|
|
ふみあと(退官記念随想集) |
伊東壮(1981刊) |
|
伊東壮さんを偲ぶつどい |
東友会編 |
20000514、日本青年館中ホール |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。