森脇幸次<作業中>
もりわき・こうじ | ****生19770430没 | 享年68 | 中国新聞論説委員、取締役編集局長、中国地方経済連合会常務理事。 |
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出典:『広島新史編修手帖 No.1』 |
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森脇幸次<作業中>
もりわき・こうじ | ****生19770430没 | 享年68 | 中国新聞論説委員、取締役編集局長、中国地方経済連合会常務理事。 |
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出典:『広島新史編修手帖 No.1』 |
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杉村春子
すぎむら・はるこ | 19060106生19970404没 | 享年91 | 女優。本名:石山春子。広島市出身。『広島県現代文学事典』(九内悠水子・記)。映画吹き込み現場に立ち会う。<投稿> |
資料年表:杉村春子<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
出典:C=「中国新聞」 | ||
1906 | ||
0106 | 誕生。 | |
1961 | ||
0614 | 杉村春子・朝永振一郎・末川博・亀井勝一郎・坂田昌一・中島健蔵・鈴木一雄、「7人の集まり」を結成、平和アピール発表。(『平和アピール20年運動史』) | C |
1963 | ||
0613 | 人権を守る婦人協議会、「原子力潜水艦の日本寄港に反対する婦人へのアピール」を発表。市川房枝・山高しげり・淡谷のり子・平塚らいてう・杉村春子など151人が署名。 | C |
1966 | ||
0601 | 「東京の原爆被害者をはげます集い」、東京都体育館(東京・千駄ヶ谷)で開催。都内の被爆者・家族約1700人など約8000人が参加。松本清張・杉村春子など在京文化人有志50人の呼びかけ。 | C |
1967 | ||
0714 | 広島テレビが芸術祭参加番組として制作するセミ・ドキュメンタリー「百日紅の花」の撮影始まる。監督:松山善三、主演:杉村春子。 | C |
1004 | 広島テレビ制作、芸術祭参加番組「百日紅の花」放送(日本テレビ系は10日)。監督:松山善三、出演:杉村春子、木村光江ら。 | C |
1969 | ||
広島テレビ、芸術祭参加番組「碑(いしぶみ)」。 | C | |
2006 | ||
0714 | 映画「母たちの祈り」でナレーションを務めた杉村春子さんから「ヒロシマの心とあるが、これはどういうことか」と尋ねられ、立ち会っていた私(宇吹)は、「ある市民からノーモア・ウォ―、ノーモア・ヒロシマと聞きました」と言ったら、「その気持ちで読もう」と言われた | C |
『中国新聞』(2006年7月14日) | ||
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伊藤実雄<作業中>
いとう・じつお | 19060325生19840404没 | 1946年4月の総選挙で広島全県区(当時)から初当選、1期。『古稀を越えて 伊藤實雄』(1982.2.25) |
資料年表:伊藤実雄
年月日 | 事項 | 備考 |
1906 | ||
0325 | 出生地:広島県安芸郡熊野町。 | |
1945 | ||
0808 | 子息・伊藤忠造(広島県立広島1中1年)原爆被爆により死亡。(「ご遺族からのアンケート」『ゆうかりの友』pp.91-92) | |
1977 | ||
0729 | 『回顧録』(広島県農業会原爆物故者追悼法要執行委員会) | |
1982 | ||
0225 | 『古稀を越えて』 | |
1984 | ||
0404 | 死亡。 | |
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資料年表:大北威<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
C=出典:『中国新聞』 | ||
1976 | ||
0606 | 大北威、第17回原子爆弾後障害研究会で発表。「広島の被爆者の白血病発生は全国平均に比べ依然高率」 | C |
1977 | 広島大学原医研、大北威血液学研究部門教授を新所長に選出。4月1日発令。 | C |
0224 | ||
1981 | ||
0319 | 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)<第1回>、米バージニア州ワレントンで開幕。~25日。12カ国100人が参加。日本から大北威、市丸道人(長崎大学)、庄野直美(広島女学院大学)が出席。 | C |
1208 | パルメ委員会、広島市で研究討論集会。大北威と今堀誠二(広島女子大学長)が被爆の実相を説明。 | C |
1982 | ||
0403 | 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)<第2回>大会、英ケンブリッジ大学で開催。大北威が被爆後障害をスライドで紹介。 | C |
1983 | ||
0618 | 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)<第3回>大会、オランダ・アムステルダムで開催。福原照明広島市医師会長、大北威原医研教授が出席。7月12日、福原照明・大北威、帰国の記者会見。 | C |
1984 | ||
0405 | 大北威、野間祐輔広島県医師会副会長、児玉克哉(10フィート運動広島若者の会)の3人の核戦争防止国際医師会議(IPPNW)第4回世界総会への参加が決まる。 | C |
1985 | ||
03 | 大北威広島大学原医研教授、定年を待たず退官へ。国立名古屋病院副院長に就任。 | C |
1215 | 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のノーベル平和賞受賞を記念する学術講演会、広島市内で開催。大北威国立名古屋病院副院長、IPPNW共同代表2人が広島訪問実現の見通しと述べる。 | C |
12 | 広島平和文化センターの米国戦略爆撃調査団が広島の被爆直後を撮影した16ミリカラーフィルム全10巻の解説文作業完了。松重美人(写真家)・庄野直美・大北威の3人が担当。 | C |
止
大北威
おおきた・たけし | 生20080402没 | 享年83 | 広島大原爆放射線医科学研究所所長。ノーベル平和賞を受賞(1985年に)した「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」のメンバー。<投稿> |
初代事務総長の大北威 先生は1962年、原医研血 液学部門の開設とともに名 古屋大学より赴任、1965年 に同部門の教授となられ た。被爆者白血病の研究と ともに、白血球の細胞回転 などの研究に携わり、1977 年から4年間は原医研所長 も務められた。大北先生は1985年に国立名古屋 病院副院長に就任、後に同病院の院長、名誉院 長を務め、JPPNW愛知県支部長やJPPNW顧問 もなさったが、2008年4月2日に逝去なさった。<出典:片岡勝子「思い出:IPPNW日本支部と歴代事務総長のことども」(広島県医師会速報2375号、20180625)>
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資料年表:ヨハネ・パウロ二世<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1920 | ||
0518 | 誕生 | |
1978 | ||
1016 | ヨハネ・パウロ二世就任 | |
1980 | ||
0925 | ヨハネ・パウロ二世の広島訪問(198102)が決まる。 | C |
C=出典:『中国新聞』 | ||
1221 | ヨハネ・パウロ二世の1981年2月の訪日発表。 | C |
1981 | ||
0107 | ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の特使エルネスト・ガリ―ナ大司教ら3人、広島入り。原爆慰霊碑に参拝、原爆資料館を見学。10日、パウロ・マルチンスク大司教も。 | C |
0223 | ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、日本カトリック司教協議会の招きで来日。 | |
0225 | ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、広島入り。原爆慰霊碑参拝、約2万5000人の信者らの前で平和アピール(9か国語)発表、原爆資料館見学。広島市公会堂で講演「技術・社会そして平和」。6時間滞在、長崎へ。 | C |
0225 | ローマ法王、ヒロシマ・アウシュビッツ委員会(桑原英昭会長)が守るアウシュビッツの遺骨を祝福。 | C |
0225 | ポール・チベッツ(広島原爆投下機エノラ・ゲイの機長)、仏のテレビで原爆投下を「後悔していない」、「ローマ法王の平和を求める人道主義に敬意を表する」と語る。 | C |
03 | 広島原爆資料館、ローマ法王の平和アピールをマーク・ハットフィールド米上院議員を通じレーガン大統領に送る。 | C |
0410 | 広島原爆資料館、からの贈り物公開。1945年8月8日のバチカン市の新聞『オブセルバトーレ・ロマーノ』(イタリア語)のコピー銅板。 | C |
0402 | 『ヨハネ・パウロII世 教皇訪日公式記録』(主婦の友社、1981/04/02) | |
0413 | 広島市、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の広島訪問の記録映画を完成。 | C |
06 | 藤枝良枝(広島市)、「ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピールを記念碑に残そう」と呼びかけ | C |
0830 | ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、第二次大戦勃発42周年を前に、核兵器廃絶の訴え。「広島・長崎を思い出すことは核戦争をこの世からなくすこと」 | C |
1102 | ホセ・テオン(エリザベト音大学長)、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の指示で故エドモンド・ブランデン(英詩人)の詩「ヒロシマー1949年8月6日に寄せて」を作曲、同大の定期演奏会で発表。 | C |
1104 | ローマ法王ヨハネ・パウロ二世来広の記念碑の建設委員会発足。藤枝良枝の呼びかけに原田東岷・栗原貞子・河村盛明(広島平和文化センター理事長)ら応じる。 | C |
1226 | 被爆瓦とローマ法王の平和アピールを刻んだ「平和のためのモニュメント」が広島YMCAビジネス専門学校に完成、除幕式。 | C |
1982 | ||
0225 | 『平和への道 教皇ヨハネ・パウロⅡ世来広記念文集』(カトリック正義と平和広島協議会「平和を願う会」) | |
0225 | 『ローマ法王歓迎の集い』(広島市) | |
0228 | ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピール碑建立委員会(原田東岷委員長)、広島市内で初の街頭募金。提唱者の藤枝良枝さんらが協力を呼びかける。 | C |
0315 | C | |
04 | C | |
0611 | C | |
0615 | C | |
0721 | C | |
09 | C | |
1983 | ||
0225 | ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピール碑除幕 | C |
0531 | C | |
1984 | ||
0914 | C | |
1985 | ||
0806 | C | |
0905 | C | |
1987 | ||
0108 | C | |
0225 | C | |
0401 | C | |
1988 | ||
0410 | C | |
1991 | ||
0225 | 『戦争は人間のしわざです』(カトリック正義と平和広島協議会) | |
0319 | C | |
1992 | ||
0223 | C | |
1994 | ||
0225 | C | |
2005 | ||
0402 | ヨハネ・パウロ二世離任。死去、84歳。 | |
止
ヨハネ・パウロ二世
よはね・ぱうろ | 19200518生20050402没 | 享年84 | 4月2日(日本時間3日)。1981年2月25日広島訪問。<『教皇訪日公式記録 ヨハネ・パウロⅡ世』主婦の友社、19810402><資料年表:ヨハネ・パウロ二世 > |
止
森亘
もり・わたる | 19260110生 20120401没 | 享年86歳 | 元東京大学総長。原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会座長。 |
原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会
昭和60年 | 1985年 | 10月 | 厚生省が原子爆弾被爆者実態調査において、死没者に関する調査を初めて実施 |
---|---|---|---|
平成2年 | 1990年 | 厚生省が原爆死没者に対する弔意の表し方について検討を開始 | |
平成3年 | 1991年 | 国が原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会を設置 |
出典:祈念館について | 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 (hiro-tsuitokinenkan.go.jp)
止
山西義政
やまにし・よしまさ | 19220901生20200401没 | 享年97 | (株)イズミ(広島県広島市、山西泰明社長)創業者。1997年、個人コレクションを中心に泉美術館を開設。 |
資料年表:山西義政<作業中>
年月日 | ||
19220901 | 誕生 | |
19970427 | 泉美術館開館。山西義政の個人コレクションをもとに出発。 | |
20110819 | 写真展「復興の記憶」。~9月19日 。 | |
20180728 | 「ヤミ市から立ち上がった広島商人」<記憶から紡ぐあのころの広島>(『広島市被爆70年史 映像編』) | |
20200401 | 死亡 | |
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藤村耕市
ふじむら・こういち | 1929****生20160401没 | 享年86歳 | 元三次地方史研究会会長 |
広島県双三郡吉舎町吉舎(現三次市吉舎町)生まれ。 塩町(後に三次工業),三次,日彰館の各県立高校教員を歴任して昭和60年(1985)に退職。その他,三 次市文化財保護委員,三次市史編集委員長,三次地方史研究会会長,県立文書館文書調査員(平成元 年 2 月~平成14年 3 月)など。平成19年に広島県教育賞,同21年に文部科学大臣から表彰を受けた。 編著書に『三次地方史の研究』(平成20年)。『吉舎町史』(昭和63~平成 3 年),『口和町誌』(平成12年), 『布野村誌 通史編』(平成14年),『三次市史』(平成15~16年)など。出典:『広島県双三 郡吉舎 町 藤村耕市 氏収集文書 仮目録』 |
止