「04月忌」カテゴリーアーカイブ

大北威

大北威

おおきた・たけし 生20080402没 享年83 広島大原爆放射線医科学研究所所長。ノーベル平和賞を受賞(1985年に)した「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」のメンバー。<投稿>

初代事務総長の大北威 先生は1962年、原医研血 液学部門の開設とともに名 古屋大学より赴任、1965年 に同部門の教授となられ た。被爆者白血病の研究と ともに、白血球の細胞回転 などの研究に携わり、1977 年から4年間は原医研所長 も務められた。大北先生は1985年に国立名古屋 病院副院長に就任、後に同病院の院長、名誉院 長を務め、JPPNW愛知県支部長やJPPNW顧問 もなさったが、2008年4月2日に逝去なさった。<出典:片岡勝子「思い出:IPPNW日本支部と歴代事務総長のことども」(広島県医師会速報2375号、20180625)>

資料年表:ヨハネ・パウロ二世

資料年表:ヨハネ・パウロ二世<作業中

年月日 事項 備考
1920
0518 誕生
1978
1016 ヨハネ・パウロ二世就任
 1980
 0925  ヨハネ・パウロ二世の広島訪問(198102)が決まる。 C
C=出典:『中国新聞』
1221 ヨハネ・パウロ二世の1981年2月の訪日発表。  C
1981
0107  ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の特使エルネスト・ガリ―ナ大司教ら3人、広島入り。原爆慰霊碑に参拝、原爆資料館を見学。10日、パウロ・マルチンスク大司教も。   C
0223 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、日本カトリック司教協議会の招きで来日。
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、広島入り。原爆慰霊碑参拝、約2万5000人の信者らの前で平和アピール(9か国語)発表、原爆資料館見学。広島市公会堂で講演「技術・社会そして平和」。6時間滞在、長崎へ。  C
 0225  ローマ法王、ヒロシマ・アウシュビッツ委員会(桑原英昭会長)が守るアウシュビッツの遺骨を祝福。  C
 0225 ポール・チベッツ(広島原爆投下機エノラ・ゲイの機長)、仏のテレビで原爆投下を「後悔していない」、「ローマ法王の平和を求める人道主義に敬意を表する」と語る。  C
03 広島原爆資料館、ローマ法王の平和アピールをマーク・ハットフィールド米上院議員を通じレーガン大統領に送る。 C
0410 広島原爆資料館、からの贈り物公開。1945年8月8日のバチカン市の新聞『オブセルバトーレ・ロマーノ』(イタリア語)のコピー銅板。 C
0402  『ヨハネ・パウロII世 教皇訪日公式記録』(主婦の友社、1981/04/02)
0413 広島市、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の広島訪問の記録映画を完成。 C
06 藤枝良枝(広島市)、「ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピールを記念碑に残そう」と呼びかけ C
0830 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、第二次大戦勃発42周年を前に、核兵器廃絶の訴え。「広島・長崎を思い出すことは核戦争をこの世からなくすこと」 C
1102 ホセ・テオン(エリザベト音大学長)、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の指示で故エドモンド・ブランデン(英詩人)の詩「ヒロシマー1949年8月6日に寄せて」を作曲、同大の定期演奏会で発表。 C
1104 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世来広の記念碑の建設委員会発足。藤枝良枝の呼びかけに原田東岷・栗原貞子・河村盛明(広島平和文化センター理事長)ら応じる。 C
1226 被爆瓦とローマ法王の平和アピールを刻んだ「平和のためのモニュメント」が広島YMCAビジネス専門学校に完成、除幕式。 C
1982
0225 『平和への道 教皇ヨハネ・パウロⅡ世来広記念文集』(カトリック正義と平和広島協議会「平和を願う会」)
0225  『ローマ法王歓迎の集い』(広島市)
0228 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピール碑建立委員会(原田東岷委員長)、広島市内で初の街頭募金。提唱者の藤枝良枝さんらが協力を呼びかける。 C
0315 C
04 C
0611 C
0615 C
0721 C
09 C
1983
0225 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピール碑除幕 C
0531 C
1984
0914 C
1985
0806 C
0905 C
1987
0108 C
0225 C
0401 C
1988
0410 C
1991
0225 『戦争は人間のしわざです』(カトリック正義と平和広島協議会)
0319 C
1992
0223 C
1994
0225 C
2005
0402 ヨハネ・パウロ二世離任。死去、84歳。

 

森亘

森亘

もり・わたる 19260110生 20120401没 享年86歳 元東京大学総長。原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会座長。

原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会

昭和60年 1985年 10月 厚生省が原子爆弾被爆者実態調査において、死没者に関する調査を初めて実施
平成2年 1990年 厚生省が原爆死没者に対する弔意の表し方について検討を開始
平成3年 1991年 国が原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会を設置

出典:祈念館について | 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 (hiro-tsuitokinenkan.go.jp)

山西義政

山西義政

やまにし・よしまさ 19220901生20200401没 享年97 (株)イズミ(広島県広島市、山西泰明社長)創業者。1997年、個人コレクションを中心に泉美術館を開設。

資料年表:山西義政<作業中

年月日
19220901 誕生
19970427 泉美術館開館。山西義政の個人コレクションをもとに出発。
20110819 写真展「復興の記憶」。~9月19日 。
20180728 「ヤミ市から立ち上がった広島商人」<記憶から紡ぐあのころの広島>(『広島市被爆70年史 映像編』)
20200401 死亡

 

藤村耕市

藤村耕市

ふじむら・こういち 1929****生20160401没 享年86歳 元三次地方史研究会会長
広島県双三郡吉舎町吉舎(現三次市吉舎町)生まれ。 塩町(後に三次工業),三次,日彰館の各県立高校教員を歴任して昭和60年(1985)に退職。その他,三 次市文化財保護委員,三次市史編集委員長,三次地方史研究会会長,県立文書館文書調査員(平成元 年 2 月~平成14年 3 月)など。平成19年に広島県教育賞,同21年に文部科学大臣から表彰を受けた。 編著書に『三次地方史の研究』(平成20年)。『吉舎町史』(昭和63~平成 3 年),『口和町誌』(平成12年), 『布野村誌 通史編』(平成14年),『三次市史』(平成15~16年)など。出典:『広島県双三 郡吉舎 町 藤村耕市 氏収集文書 仮目録

 

深川宗俊関連資料

深川宗俊関連資料<作業中

年月日 書名 著者 発行者 備考
500501 反戦詩歌集第1集 深川宗俊編 反戦詩歌人集団準備会 5
500806 反戦詩歌集第2集 深川宗俊編 反戦詩歌人集団準備会 5
510815 歌集・群列-途絶えざる歌抄 深川宗俊 新日本歌人協会広島支部 3
560520 川-広島詩集 深川宗俊・増岡敏和等編 われらのうたの会 34
590806 広島-原爆の街に生きて 深川宗俊(著)「青史」編集部(編) 短歌文学を研究する会 15
690515 詩集・ヒロシマ1969-戦後25年アンソロジー[改訂新版] 詩集「ヒロシマ」編集委員会[大原三八雄・栗原貞子・深川宗俊・米田栄作]編 詩集「ヒロシマ」編集委員会 15
700806 1950年8月6日-朝鮮戦争下の広島 深川宗俊 原水爆禁止広島市協議会 12345
197108 未来を語りつづけて 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑序幕にささげる 構成詩 深川宗俊作・構成 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会
740925 鎮魂の海峡-消えた被爆朝鮮人徴用工246名 深川宗俊 現代史出版会 12345
750806 詩画集・ひろしまの子-愛のうた 深川宗俊(詩)四国五郎(絵) 春陽社出版 123
197508 ひろしまの子 愛のうた 深川宗俊 春陽社出版
771220 さわだちやまぬ海峡の怨-深川宗俊訪韓レポート 深川宗俊 145
820401 劇映画・冬のリトルボーイ-対話のための資料集 深川宗俊編 平和プロダクション 5
851220 紫紅の鳥-青史三十三人集・合同歌集Ⅱ 深川宗俊(編) 短歌文学を研究する会・青史 13
900806 歌集・連祷-深川宗俊歌集 深川宗俊 短歌新聞社 5
920731 海に消えた被爆朝鮮人徴用工-鎮魂の海峡 深川宗俊 明石書店 5

井上ひさしの言葉を継ぐために

『井上ひさしの言葉を継ぐために』(井上ひさし[ほか]著、 岩波書店、20101208)

内容

大江健三郎 井上さんの魂に伝えたいこと  2
奥平康弘 平和のメッセンジャー、作家井上ひさし  13
井上ユリ 井上ひさしの言葉と継ぐために  20
梅原猛 永久平和のために  21
鶴見俊輔 未来の人たちへ  23
澤地久枝 元気なモグラでいるために  24
井上ひさし 原爆とはなにか  33
核分裂/広島/空襲がない都市/本土決戦/原爆投下/火の玉の威力/手記の地獄図/目に見えない放射能/日本人の役目/園井恵子の被爆死/だまし討ちの連続/核弾頭5万発/日本の指導層の責任/日本の核状況/日本国憲法の力
井上ひさし略年譜
「九条の会」アピール(2004年06月10日)

岩波ブックレットNo.798

止4

ヒロシマ日記(蜂谷道彦著)翻訳書

『ヒロシマ日記』(蜂谷道彦著、朝日新聞社 1955年9月25日)Bk550925

広島逓信病院・原爆資料展(2000年6月7日)にて撮影

発行年 翻訳語
1955 Bk550925a米HIROSHIMA DIARY,
Translated & edited
by Warner Wells,
Copyright 1955
by The University
of North Carolina Press.
1955 イギリス Bk550925b
1955 オランダ Bk550925c
1955 イタリア Bk550925d
1956 ドイツ Bk550925e
1956 チェコ Bk550925f
1956 スウェーデン Bk550925g
1957 フランス Bk550925h
1957 ラトビア Bk550925i
1957 スロバキア Bk550925j
1958 英語普及版 Bk550925k
1959 ポルトガル Bk550925l
 
参考文献 1)「広島の原爆雑話 その1~その12」(逓信医学2巻1号~4巻4号 1950年8月~52年11月)
2)蜂谷道彦など「{座談会}原爆の思い出を語る」(「郵政」1952年8月)(「広島原爆医療史」に再録)
3)中国電気通信局「広島原爆誌」(1955年8月6日)
4)広島市役所「広島原爆戦災史」第三巻(1971年10月6日)
5)「ヒロシマ日記」(法政大学出版局 1975年6月30日)

 

広島女学院と共に 広瀬ハマコ先生文集

『広島女学院と共に 広瀬ハマコ先生文集』(広瀬院長退任記念事業委員会、1974/11/20)

内容

頁章節
001 先生の女子教育と平和への熱意 森戸辰男
004 所感 松本卓夫
006 私の知る広瀬ハマコ先生 山川道子
Ⅰ-1 幻を見る人々…1
最上の贈物…5
8月6日原爆慰霊式の祈り…6
ゲーンズ先生と信仰…8
広島におけるルーズベルト夫人の横顔…13
ハワイ真珠湾を訪れて…15
国連を訪ねて…18
訪米所感…20
アジア旅行の中から…24
手…28
山に登れ…30
待つ心…32
日本手拭…34
一本の木…36
この頃の教育に思う…38
私学の存在意義…40
新しい人間像を求めて…42
創造・破壊・救い…44
文化の日の意義…46
Ⅰ-2 聖和女子大学の発足にあたって…49
広島大学第1回卒業式祝辞…53
Ⅰ-3 意義ある人生への門出…56
現代に生きる婦人の役割…61
教師像について…73
幼児の遊び友だちとけんか…81
幼児の宗教教育…86
思春期と教育上の問題…98
日本の宗教…106
Ⅱ-1 広島女学院と私
Ⅱ-2 創立65周年記念式並びに就任式挨拶…154
創立80周年記念式式辞…160
創立85周年記念式式辞…165
1964年3月大学卒業式告辞…171
1970年3月大学卒業式告辞…175
Ⅱ-3 広島女学院新聞復刊の辞…179
ゲーンズ先生と女学院精神…181
ゲーンズ先生の表彰…183
幼稚園の復興にあたって…185
校章を心に刻む…187
大学開学20周年を迎えて…190
試練に耐えられる学院に…192
院長退任にあたって…194
年譜…197
あとがき…214