永井隆死亡報道(長崎日日新聞19510503)

永井隆死亡報道(長崎日日新聞19510503)

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1面
 nn19510503as
永井隆博士逝く 闘病7年 1日夜長大病院で 十字架手に大往生
 涙さそうデスマスク 芽ちゃん間間に合わず
 市公葬を執行 ”痛恨極りなし”田川市長談
永遠に生く 天野文相談
痛恨に絶えず 式場隆三郎氏談
[明暗]
2面
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 亡骸如己堂へ帰る 面影偲ぶ沿道の人垣 原子野に響くアンゼラスの鐘
 白血球実に33個 生命保った博士の信仰心
 アメリカ行きは子供の意思で 遺児の今後に近親者の談
 永井隆博士略歴
 将来は医者に 誠一君語る
 主なき如己堂 寂しく積まれた蔵書
 待ち焦がれたマリア像 生活苦しく 市民税も未納
 ”間に合わぬ聖母像が残念”  中島神父
 島根でも永井博士顕彰

 

長崎市永井隆記念館

長崎市永井隆記念館

資料年表:長崎市立永井隆記念館

年月日 事項 メモ
長崎市立永井記念館-p1
長崎市立永井記念館-p2
1950
**** 永井隆、私財を投じて子どものための図書室「うちらの本箱」をつくる。
05 宮崎隆栄(ブラジル在留邦人)、病床の永井隆を見舞う。隆の「子ども図書館」建築構想に賛同、1951~52年、ブラジル在住邦人471名からの寄付金174万7188円が送金される。
1952
12 長崎市立永井図書館」完成。寄付金と市費(約40万円)で。
1970
**** 島根県・三刀屋町(永井隆が幼少期を過ごす)に「永井隆記念館」開館。
1020 長崎市立永井図書館」と「永井隆記念館」、姉妹館締結。
1999
**** 長崎市立永井記念館、全面改装。
2000
04 「長崎市永井隆記念館」と改称。
以上の出典:永井隆記念館概要

 

初仕事は“安楽殺”だった 昭和20年8月9日の証言

『初仕事は“安楽殺”だった 昭和20年8月9日の証言』(塩月正雄著、光文社、19780815)

内容

まえがき
 第1部  大村海軍病院
12 白い閃光、そして爆風
21 医者嫌いが医者になる
29 焦熱地獄からの第一便
40 爆心地-目撃者の証言
49 憲兵が泣いた-被災者の証言
57 白い幻想
62 「櫛をください・・・」
70 解剖にとりかかる
78 患者たちの記録
88 病院に終戦は来なかった
95 捨てられた病理標本
 102 大村海軍病院をあとに-患者との別れ
111 私の終戦-病理標本との長い旅
118 人間学の探究
121 もう一つの思い出
 第2部  私の「原爆戦後史」
132 不可解な紙きれ
134 科学者の良心(昭和27年8月2日 婦人タイムズ)
135 もう黙ってはいられない!(昭和27年 「改造」増刊号)
141 禁圧された国際医師会義(昭和27年 「改造」12月号)
158 原爆と医学(昭和28年5月8日 河北新報)
161 原爆症-医学が役立たない負傷(昭和28年「自然」5月号)
 173 再び原爆被害を受けた国民(昭和29年3月29日 信濃毎日新聞)
175 不治の病「放射能症」-非力な原爆医学の現状(昭和29年4月18日 神戸新聞)
179 原爆被害後の十年-科学の進歩も一人の努力から(昭和30年 共同通信社)
182 三十三年の「重さ」
188 よみがえる八月九日-あとがきに代えて
弥永泰正・元衛生兵長からの手紙
 200  参考文献

資料年表:文沢隆一

資料年表:文沢隆一(本名:増本勲一)<作業中

年月日 事項
1928
 ****  広島県山県郡千代田町生まれ。
1945
 0806  旧制広島高校休学中に、千代田町で原子雲を見る。
 1957
東京大学文学部哲学科卒。
1960
 『安芸文学』同人
  1965
 0720  『この世界の片隅で 岩波新書』(山代巴編、岩波書店)
文沢隆一「相生通り 」 1
1969
0325 『アンチヒューマン (ドキュメ, ント日本人 8)』(谷川健一ほか責任編集、学藝書林刊)
 文沢隆一「原爆小頭症」  30
1970
0620 『<八月六日>を描く 作品集』(原民喜 ほか著、文化評論出版)
文沢隆一「重い車」  209
 0806  『原爆被災資料総目録 第二集』(原爆被災資料広島研究会編集委員会編、原爆被災資料広島研究会刊)
文沢隆一「あとがき」  232
0810 『RCCテレビ 市民とともに フィルム構成 風は木の間をぬって』(中国放送)
構成:文沢隆一
1971
 0731  『ヒロシマ・25年-広島の記録 3』(中国新聞社編、未来社)
文沢隆一『現実を歴史の中に送り込む時』 108
  1982
  0806  『子どもたちの見たヒロシマ 修学旅行感想文集』(文沢隆一、汐文社)
 1983
 0801  『日本の原爆文学 10 短編Ⅰ』(美川きよ(ほか)、ほるぷ出版)
 文沢隆一「重い車 」 309
1996
08 『ヒロシマの歩んだ道』(風媒社)
 2000
 0802  『原爆文学21世紀へ 前編 作品-そのとき・それから<3>』(『中国新聞』)
「文沢隆一と「重い車」 行き場失った人々「知る」こと重視」(記者 梅原勝己)
2010 
 1220  『広島県現代文学事典』(勉誠出版)
 「文沢隆一」(岩崎清一郎・記)
2022
0228 『卒業生証言記録集 1 広島大学文書館オーラル・ヒストリー叢書』(石田雅春、伊東かおり編、広島大学文書館・75年史編纂室)
文沢隆一(本名増本勲一)氏(昭和24年広島高等学校文科甲類卒業、作家) 19
・武一騒動について
・山代巴との関係
・原爆スラムの取材
・原爆小頭症、きのこ会とのかかわり
 2024
 0509  死亡。享年96歳。

 

資料年表:猪飼隆明

資料年表:猪飼隆明

年月日 事項 メモ
 1944
 0213 誕生
 1969
 京都大学文学部国史学科卒
2024
0514 死去。享年80歳。
0515 『熊本日日新聞』
「猪飼隆明さん死去 歴史学者、大阪大学名誉教授 文化財保護、護憲に注力」

 

時代を先取りした作家梶山季之をいま見直す

『時代を先取りした作家梶山季之をいま見直す 没後33年記念事業』(梶山季之記念事業実行委員会、中国新聞社、2007/11/10)

内容

004 講演とシンポジウム
006 実行委員会から実行委員長 平岡敬
008 基調講演
「梶山先輩と私」 藤本義一
020 シンポジウム
 20 生まれ故郷朝鮮と梶山季之 橋本健午
25 梶山季之が『噂』に残したもの 高橋呉郎
28 ハワイ/南米・ユダヤ移民への視点 小谷瑞穂子
32 原爆後の広島と梶山季之 天瀬裕康
34 シンポジウム後半より
40 梶山美那江夫人より
041 作家展「梶山季之の作品と人間像」
 45 corner1 いま見直す梶山季之
46 corner2 広島
47 corner3 上京
48 corner4 修業時代
50 corner5 トップ屋の頃
52 corner6 ベストセラー作家
55 corner7 書きに書いた日々
56 corner8 膨大な仕事量
57 corner9 『噂』
59 corner10 憩いのひととき
61 corner11 広島との交友、ヒロシマへの想い
63 corner12 映画化・劇画化
63 corner13 梶山季之の人と仕事
65 corner14 ライフワークにとりかかる
68 corner15 追憶の部屋
070 資料1 梶山季之と広島大学、広島大学文書館 小池聖一
078 資料2 「梶山季之文学碑」について 小林正典
082 資料3 上映会のこと~日韓の歴史をめぐる偶感 海老根勲
084 展示会場配置図
085 展示物一覧
090 梶山季之 並行した連載ものの仕事
092 梶山季之年譜
096 原稿量、メディア出演等
097 入場者数一覧
098 記念事業関連報道記事より
特別寄稿
104 いまだ、借りっ放し 成田 豊
105 今の広島に梶山季之さんのような方がほしい 田辺良平
106 梶山君の思い出 二宮義人
108 体育教師(?)梶山季之 川村 毅
109 カジサンのことあれこれ 石井泰行
110 親父儀 梶山勇一大往生 川村浩一
112 「一枚の青写真」~父と梶山季之の出会いが伝えてくれたもの~ 藤野能子
120 世話人会後記
126 協賛企業広告
137 協賛企業名・協賛個人名
138 実行委委員会・世話人会名

大内五良

大内五良

おおうち・ごろう 190711**生19840606没 享年74歳 広島市医師会長(1957~59年)。広島県医師会長(1967~82年)。原爆乙女の渡米治療、在米被爆者検診などに貢献。

資料年表:大内五良<作業中

年月日
1907
11 京都府生まれ
1954
0625 『ながれ』(村上哲夫著)
20230606_outigoro1
20230606_outigoro2
1955
0503  原爆乙女25人、岩国空港から米空軍機で米に出発。大内五良医師ら6人が付き添う。 C
 0810 C
 1957
 0209  C
0617  C
 1968
 10 C
 1972
 0515 C
 1976
 05  C
 06 C
 11  C
 12  C
1977
03 C
 09 C
1979 
 04 C
 1981
11 C
 1982
01 C
 04  C
1983
1105 大内五良ら広島の医師らが作った16ミリ映画「ヒロシマの医師たち―38年のドキュメント」が完成 C
1984
0607 死亡。享年74歳

豊田利幸

豊田利幸

とよた・としゆき 19200512生20090515没 享年89歳 核物理学者。「パグウォッシュ会議」に日本代表、その日本版の「科学者京都会議」でも活躍。

資料年表:豊田利幸

年月日 事項 備考
1920
0512
1965
0820 『核戦略批判』(岩波新書)
1967
0820 『核の傘に覆われた世界 現代人の思想19』(久野収 編、平凡社)
<シンポジウム>日本の安全保障をどうする 佐伯喜一・坂本義和・豊田利幸 170
1968
0820 『核時代を超える 平和の創造をめざして 岩波新書687』(湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一編著)
1972
1001 『核時代における科学と政治』(れんが書房)
1976
0601 『世界連邦を21世紀までに-世連宗教者亀岡大会報告書』(第七回世界連邦平和促進宗教者大会事務局)
特別講演:豊田利幸「 核兵器体系と国家」  69
1977
0802 『核軍縮への新しい構想』(湯川秀樹, 朝永振一郎, 豊田利幸編、岩波書店)
1982
0420 『核戦略の曲り角-危機はここまできている 岩波ブックレット No.2』
1021 『核戦略の結末 岩波グラフィックス 5』
1983
0520 『新・核戦略批判』( 岩波新書)
1984
0620 『核廃絶は可能か』(飯島宗一・豊田利幸・牧二郎著編、岩波新書)
0810 『ヒバクシャのこころ』(高橋昭博著、汐文社)
科学者の責任と廃棄核兵器処理をめぐって 55
廃棄核兵器の処理は簡単である(豊田利幸) 55
豊田利幸先生への感謝とお願い(高橋昭博) 59
1985
0105 『市民の平和白書’82-核時代の戦争と平和』(日本評論社)
豊田利幸「核戦略の変ぼう いま何をなすべきか」  36
0301 『国連平和のつどい報告書 第3回』(日本国際連合協会神奈川県本部核軍縮を求める二十二人委員会)
豊田利幸(明治学院大学教授)「基調報告」43
0620 『SDIとはなにか-宇宙にひろがる核戦略 岩波ブックレット No.46』(豊田利幸著)
1986
0120 『「1%問題」と軍縮を考える 岩波ブックレット No.54』(核軍縮を求める二十二人委員会平和構想懇談会編)
1987
0320 『「1%枠撤廃」をどう考えるか 岩波ブックレット No.83』(核軍縮を求める二十二人委員会平和構想懇談会編)
1988
0222 『SDI批判』(岩波新書)
0701 『平和を考える 平和都市宣言30周年記念誌』(鎌倉市企画調整部文化室編、鎌倉市)
講演: 豊田利幸氏「科学と平和-いま平和を考える 」6
0803 『核廃絶と世論の力(長崎平和シンポジウム) 岩波ブックレット No.120』(核軍縮を求める二十二人委員会平和構想懇談会編)
1990
1120 『平和研究 第15号 科学と平和』(日本平和学会)
特集◎科学と平和 豊田利幸「近代科学と国家 」 13
1220 『太平洋の非核化構想』(豊田利幸 [ほか]編著、岩波新書)
1994
0415 『平和文化研究 第17集』(長崎総合科学大学・長崎平和文化研究所編)
〔講演〕豊田利幸「世界はいま核廃絶に向かっているか-国連と核軍縮-  」7
1995
1006 『「世界」主要論文選 1946-95 戦後50年の現実と日本の選択』(「世界」主要論文選編集委員会編、岩波書店)
核兵器廃絶は可能である-恐怖を超えて [82.5] 豊田利幸 879
2009
0515

資料年表:森戸辰男

資料年表:森戸辰男<作業中

年月日
1888
1223 誕生
1954
0803 『星は見ている 全滅した広島一中一年生・父母の手記集』
1968
0806 『平和記念日へのメッセージ』(広島市)
森戸辰男(広島市名誉市民)…12
1969
0806 『濱井信三追想録』山田節男「序文」
1972
0601 『世界平和への提言-ユネスコ語録』(日本ユネスコ協会連盟)
森戸辰男「独立と平和主義」  240
1974
1120 『広島女学院と共に 広瀬ハマコ先生文集』(広瀬院長退任記念事業委員会)
森戸辰男「先生の女子教育と平和への熱意」
1976
0715 『山田節男追想録』
森戸辰男(元文部大臣・広島大学学長・日本育英会会長)「山田市長の偉大な業績」…381
1977
0130 『東雲附小百年史』(広島大学教育学部附属東雲小学校編、創立百周年記念事業会)
森戸辰男(広島大学々長)「創立記念式典を迎えて」1308
0810 『平和教育の理論と実践』(国民教育研究所著編、草土文化)
/「期待される人間像」の「愛国心」と“自衛隊”増強-平和教育を誤りとする森戸辰男の見解/
1979
0620 森戸辰男氏「熊平さんと社会教育の思い出」198
1982
1017 森戸辰男(学長)「卒業生諸君に贈る」 719
『追懐 広島高等師範学校創立八十周年記念』(事業会編・)
森戸辰男(学長)「卒業生諸君に贈る」 719
1984
0528 死亡。享年95歳。
1995
0725 『日本の戦争責任 下 最後の戦争世代から』(若槻泰雄著、原書房)
「社会主義経済学者・森戸辰男の書いたこと」 155
2006
0101 『広島平和科学 28  2006年』(広島大学平和科学研究センター)
小池聖一「森戸辰男の平和論」1
0725 『広島から世界の平和について考える』(広島大学文書館編、現代史料出版)
「第四章 戦後復興と森戸辰男の平和論…小池聖一 111」
2007 『尚志百年』(尚志会)
広島大学の設立と尚志会の再生(昭和24) 96
・新制広島大学の発足・尚志会の再生・森戸初代学長の就任・広島高師最後の卒業式
《資料》要望に答えて 森戸辰男(会報16号 S31) 121
 《資料》平和主義について 森戸辰男(会報27号 S34) 144
・宿泊業務を開始・尚志会本部の移転・森戸初代学長の退任・皇二代学長の就任
《資料》大学を去るにあたって 森戸辰男(会報42号 S38)170
1950年広島大学初代学長。(13年間)。[50ヒロシマ・ピース・センター理事]。[51広島大学平和問題研究会会長]。[52広島平和問題談話会]。1951年に、「広島大学平和問題研究会」を発足させる。
『広島大学所蔵 森戸辰男関係文書目録 (上・下巻)』(森戸文書研究会編、広島大学・松下視聴覚研究財団刊)

中井正一

中井正一

18 19000214生1952 なかい・まさかず 52 美学者・哲学者。1946年9月、広島県労働文化協会を創設。1948年、国立国会図書館副館長に就任。『広島県大百科事典』(板根俊英・記)。

資料年表:中井正一<作業中

年月日 事項 備考
1900
0214 誕生
1946
0925 広島県労働文化協会設立。11月28日第4回理事会で中井正一が会長に。(藤原浩修「戦後広島県の労働者文化運動―広島県労働文化協会について」)
1952
0518 死亡
1980
0331 藤原浩修「戦後広島県の労働者文化運動―広島県労働文化協会について」(『広島県史研究5』)
2010
1220 佐々木暁美「中井正一」(『広島県現代文学事典』)。
2015
0331 「戦後70年 志の軌跡 第2部 中井正一①」~0404「同 中井正一⑤」(『中国新聞』連載)

資料年表:渡辺正治

資料年表:渡辺正治

年月日 事項 備考
**** 誕生
1959
0219 アラン・ブラッシュ(アジア・キリスト教協議会総主事)、日本基督教広島被爆者福祉センター(広島YMCA内)訪問。 C
1221 広島女学院高校の生徒でつくる「ともしび会」、米のキリスト教被爆者福祉センターの粉ミルク・メリケン粉などを贈る。 C
1960
0919 日本キリスト教奉仕団広島地方委員会の被爆者福祉センター、広島YMCAで被爆者の日本人形作り講習会を開催。 C
1006 日本キリスト教奉仕団広島地方委員会の被爆者福祉センター、施設を拡充、再発足。広島銀行八丁堀支店が部屋を提供。中心メンバーはマービン・タック(米人宣教師)・渡辺正治<初出> C
1971
0630 「韓症国在住被爆者の原爆症治療のための専門医師団派遣準備委員会」発足。村上忠敬(核禁広島県民会議議長)・渡辺正治(広島大原医研)・金永福(在日本大韓民国居留民団事務局長)らが出席。 C
1201 『原爆後障害研究会広島シンポジウム講演集 第12回』(広島原爆障害対策協議会)
渡辺正治ほか「広島市における移民者小地域集団の原爆被災に関する社会医学的、社会学的問題」
1974
0101 渡辺正治著「被爆者の意識研究」
『広島社会福祉研究 第1号 別刷』(広島社会福祉研究協議会)
1977
1215 核禁会議、「韓国被爆者調査委員会」設置。石田定(広島原爆病院内科部長)・渡辺正治(広島大助手)・河村虎太郎(河村病院長)・姜文熙(在日本大韓民国居留民団原爆被爆者対策委員長)ら。
1978
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第18回』(広島原爆障害対策協議会)
若林節美・加藤礼子・渡辺正治・栗原登「原爆被爆患者の家族生活上の問題(1)-入院および通院患者の福祉的ケース・スタディの観点から- 」 60 C
0401 『在韓被爆者』(核兵器禁止平和建設国民会議著・刊)
第1章 被爆の背景
姜文煕(韓国居留民団広島県本部 原爆被害者対策特別委員長)
渡辺正治(広島大学原爆放射能医学研究所助手 )
第2章 在韓被爆者の社会的背景
渡辺正治(広島大学原爆放射能医学研究所助手 )
1980
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第20回』(広島原爆障害対策協議会)
渡辺正治「老令被爆者の心理社会的葛藤と依存」
1982
0815 『もうひとつのヒロシマ-朝鮮人韓国人被爆者の証言』(朴壽南、舎廊房出版部、皓星社(発売))
 渡辺正治「朴壽南さんとヒロシマ 」383
1984
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第24回』(広島原爆障害対策協議会)
7.「原爆ふたご」に関する医学的・社会学的総合研究
第7報.災害回復過程における相互関係 渡辺正治 他 68(364)
9.原爆災害復旧過程と個人の社会心理的回復過程 渡辺正治 74(370)
1986
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第26回』(広島原爆障害対策協議会)
 渡辺正治 他「原爆被爆双生児に関する医学的・社会学的総合研究 第12報:家族関係のAftermath(災害回復過程)研究」
0820 『ヒロシマ・ナガサキの証言’86夏 第19号』(広島・長崎の証言の会)
 渡辺正治「「軍都広島」を忘れまい」
1991
0619 第5回「宗教と平和シンポジウム」、広島市で開催。渡辺正治がチェルノブイリ原爆事故による被曝者の実態を報告。 C
1216 『飄々と 石井浩史追想集』(編集委員会編、石井しづせ刊)
渡辺正治「心優しい言論人」
2002
0331 『東アジアの被爆と平和』(崔吉城・著、広島大学大学院国際協力研究課刊)
<シンポジウム〉司会:崔吉城・渡辺正治
2004
0501 『原子爆弾後障害研究会講演集 第44回』(広島原爆障害対策協議会)
渡辺正治 他「原爆被災,チェルノブイリ被災者を主とする災害被災者の症例と方法論的検討」
2006
0516 死亡
0520 葬儀・告別式
0618 納骨式。日本基督教団広島府中教会・教会墓地

文芸臨時増刊 高橋和巳追悼特集号

『文芸臨時増刊 高橋和巳追悼特集号』(河出書房新社、19710705)

内容

著者 見出し 備考
<グラビア>高橋和巳の39年
18 吉川幸次郎 哀辞
20 桑原武夫 弔辞
23 近藤龍茂 弔辞
25 野間宏 弔辞
27 小田実 とむらいのことば
29 杉本秀太郎 告別の辞
31 松江高等学校28期文乙一同
高橋の霊前に捧ぐ
32 武田泰淳 視野脱落をおそれた人
34 竹内好 酔翁対語
36 堀田善衛 くりごと
38 作田洋一 追悼
40 遠藤周作 一度だけ会った高橋氏
42 福田紀一 ある訪問その後
44 寺田透 高橋君を偲ぶ―その中国文学研究の業績に即して
50 秋山駿 同世代の人
55 磯田光一 ”有罪性”希求の文学―『散華』『堕落』『憂鬱なる党派』を中心に
61 梅原猛 文学は自己指弾か
67 埴谷雄高 『悲の器』の頃
70 駒田信二 高橋和巳との私事
72 竜茂之 悪友悔恨の嘆き
77 篠田一士 追思茫茫
80 宮川裕行 私の中の高橋和巳
85 橘正典 何を失ったのか
88 阪本一亀 回想
93 太田静夫 舞の庭―師高橋和巳を悼んで
97 山田稔 失われたユートピア―もうひとつの解体
108 桶谷秀昭 述志―運命への問い―高橋和巳論
128 <座談会>高橋和巳・文学と思想
大江健三郎・小田実・中村真一郎・野間宏。埴谷雄高
152 真継信彦 高橋和巳の倫理
166 高橋和巳 遺稿 遙かなる美の国
173 高橋和子 臨床日記
190 高橋和巳・年譜
194 川西政明 高橋和巳・小説作品解題
208 編集後記

 

植村環

植村環

うえむら・たまき 18900824生19820526没 享年91歳 日本YWCA名誉会長。原水爆禁止世界大会日本準備会代表委員。日本原水協代表委員。世界平和アピール七人委員会のメンバー。1977被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人。

資料年表:植村環<作業中

年月日
1890
0824 東京生まれ。
1955
1111 世界平和アピール7人委員会発足。湯川秀樹・下中弥三郎・前田多門・茅誠司・平塚らいてう・植村環・上代たの C
1963
0419 植村環(世界平和アピール7人委員会代表)・内山高三(事務局長)、原潜スレッシャー不明事件からみて、寄港問題の再検討を希望する要望書を黒金泰美官房長官に提出。 C
1009 日本の核基地化に反対する「平和アピール1千人委員会」(9月末に結成)の平山照次代表(東京山手教会牧師)・植村日本YMCA会長ら、ライシャワー米大使に米原潜の日本寄港反対とF105機の撤去を申入れ。 C
1966
1031 世界平和アピール7人委員会の茅・植村・上代の3人、中国核ミサイル実験で佐藤首相宛の要望書を提出。 C
1982
0526 死亡。享年91歳。
1987
0525 『水を風を光りを 日本YWCA80年 1905―1985』(日本YWCA)

資料年表:山本達雄

資料年表:山本達雄<作業中

年月日
**** 誕生
1945
08 広島への原爆被爆直後、陸軍兵として遺体処理作業。市内で書店(金正堂)を経営していた叔父を探す。
0916 地下倉庫でくすぶる火を懐炉に移し福岡県吉野村の自宅に持ち帰り仏壇や火鉢でともし続ける。
1966
**** 家業の茶栽培を取材に来た新聞記者に漏らしたことから「原爆の火」の経緯が報道される。
1968
**** 「平和の火」として星野村に引き継がれる。
1972
0730 原水禁被爆者キャラバン隊が分火し、原水爆禁止世界大会長崎大会(社会党・総評系)の会場へ。8月7日長崎市松山公園にともる。 C
 1973
 0805  広島県原水禁、福岡県星野村の「原爆の火」を8月6日に広島での世界大会会場に届ける。  C
 1988
 0324  福岡県星野村の「原爆の火」、役場前の「平和の塔」で採火式。第3回国連軍縮特別総会(SSDⅢ)の開かれるニューヨークに向け出発。  C
 0602  「原爆の火」、国連本部に届く。  C
 0611  ニューヨークでNGOの国際平和集会、国連本部前からセントラルパークまで平和行進。先頭は 「原爆の火」をもった被爆者30人。  C
0806 『ヒロシマの火』(山口勇子著、新日本おはなし文庫)
 1024  大窪寺(香川県長尾町、四国霊場88番札所の結願寺)で 「原爆の火」平和塔の建立式。 C
1989
0213  東照宮(東京)で「上野東照宮に広島・長崎の火を灯す会」発起人会。山口勇子・伊東壮東友会会長らが出席」。  C
 04―  般若寺(奈良市)境内に「原爆の火」を灯し続ける「平和の塔」の建立計画。  C
1015  豊橋市立桜丘高校(愛知県)、「原爆の火」を灯した「平和の塔」完成。  C
 1990
 0721  上野東照宮(東京)の「原爆の火」を灯しを灯し続けるモニュメント完成。  C
 0729  神奈川県原爆被災者の会、鎌倉市の大船観音境内に「原爆の火の塔」を建立。  C
 1995
0506  「1995年国民平和大行進」(日本原水協など)、上野東照宮の「原爆の火」をともし、都立第5福竜丸展示館前を出発。  C
 2000
1206 「ピースウォーク」参加者約40人、「原爆の火」を手に、広島市平和公園に到着。 C
2003
0120 社史が語る原爆・ヒロシマ』(「しんぶん赤旗」中国四国総局、新日本出版社))
「いまも燃える『原爆の火』―金正堂」83-
2004
0511 逝去。享年88歳
0601  『朝日新聞』(20040601)
渕沢貴子「山本達雄さん 広島「原爆の火」採取し守る 平和の願い、静かにともす」
 2007
 08  ヒロシマの火 平和への灯
 このモニュメントには、広島平和記念公園の「平和の灯」と福岡県星野村の「平和の火」から分火された、”2つの火”が灯されています。
「平和の火」は、1945年(昭和20年)福岡県星野村出身の山本達雄さんが、原爆で亡くなられた親戚の形見として、廃墟となった広島の街から持ち帰った”原爆の火”です。
自らも被爆した山本さんは、多くの尊い命が奪われた”ヒロシマを忘れてはならない”と、自宅で絶やすことなく火を守り続けました。
その後、1968年(昭和43年)この火は「平和の火」として星野村に引き継がれ、広島から遠く離れた地で、被爆後62年の今も、燃え続けています。
NHK広島放送局では、広島平和記念公園と星野村の”2つの火”を合わせ、原爆で亡くなられた方々の慰霊、また核廃絶と恒久平和を願う”ヒロシマの祈りの火”として灯し続けていきます。題字は、書家で被爆者でもある森下弘さん(広島市佐伯区)にお願いしました。2007年(平成19年)8月
 2008
 1202  『「平和の火」 福岡県星野村から広島平和公園へ』(久行大輝・記者)  C
2014
 1218  「平和首長会議 加盟年からの平和メッセージ」
 ㉘福岡県八女市 三田村統之  C

 

山本達雄

山本達雄

やまもと・たつお 生20040511没 享年88歳 「原爆の火」保存者。兵役に就いていた広島で、原爆投下直後に残り火をカイロに採取し、故郷の福岡県星野村で20年以上保存。広島に投下された人類史上初めての原子爆弾の火、すなわち、世界で唯一の「火」。

資料年表:ヒロシマの火

村井志摩子

村井志摩子

むらい・しまこ 19280712生20180509没 享年89歳 劇作家・演出家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)

資料年表:村井志摩子<作業中

年月日
1928
0712 誕生
1991
1015 『広島の文学』(岩崎文人著、溪水社 )
「村井志摩子 広島」 115
1993
0731 『赤旗』
「ヒューマニズムと広島をみつめる心 劇作家・演出家 村井志摩子さん」
akahata19930731_murais
1001 『落暉燃ゆ 廣島高等学校創立七十年記念誌』(廣島高等学校同窓会)
村井志摩子(村井真澄・12文甲)「兄の思い出」 602
 1996
 0806  『女がヒロシマを語る』(江刺昭子・加納実紀代・関千枝子・堀場清子編、インパクト出版会)
 村井志摩子「 ヒロシマのボレロ」 148
1997
 0331  『原爆ドーム世界遺産登録記録誌』(広島市市民局平和推進室)
 村井「原爆ドームの世界遺産登録を記念して」 12
 0806  『原爆ドーム、ヤン・レツル三部作 村井志摩子戯曲集』(村井志摩子著、テアトロ)
 1998
 0925  『「戦争と平和」戯曲全集 第15巻』(藤木宏幸・源五郎・今村忠純著、日本図書センター)
村井志摩子「 広島の女・八月六日」  134
2015
0801 『被爆70年 文学に描かれた8月6日』(ふくやま文学館)
村井志摩子「広島の女・八月六日」-戯曲…39
2018
0509 没。享年89歳
 2019
 0510  『ヒロシマ対話随想』(関千枝子・中山士朗著、西田書店)
 「村井志摩子さんの死と記録の保存 217」

時代の証言 原子科学者の昭和史

『時代の証言 原子科学者の昭和史』(伏見康治著、同文書院、1989/12/16)

内容

奇蹟の都市(1932年) 1
陽電子…1
中性子…4
重水素…6
人工的核反応…6
サイクロトロン…8
東大物理教室…9
理化学研究所の空気 18
教室に現われない同級生…18
寺田物理学…21
物理学助手として…23
理研2号館…26
東大工学部力学教室…29
本郷の理学部では…32
新設大阪帝国大学 37
阪大五人の教授…37
菊池教授の原子核研究の方針…43
晴耕雨読の季節 50
核実験のいろは…53
質量分析器…55
青木さんの大功績…61
遅い中性子との出遇い 67
口コミがもたらしたニュース…67
イタリア後の雑誌…71
核物理におけるモーズレーの法則を目指して…76
不純な物質 80
ボーアの玉突き…85
重陽子の理論…89
パルチチオ・ヌメロールム…91
菊池研究室の周辺 94
陰極線…94
宇宙線…96
湯川さんとの接触…97
中間子論の誕生を目撃して…103
阪大の同僚たち 109
湯川さんとの交渉はまだある…109
武谷三男の出現…113
武谷三男さんの憶い出…115
第一回の卒業生たち…120
加速器の時代 130
高圧ファン・デ・グラーフ加速器…130
忍びよる軍靴の跫音 137
中性子・電子の直接作用の仮説…137
忍びよる軍靴の跫音…144
核分裂発見 150
ネーチュア誌に現われた核分裂発見の歴史…150
核分裂に関する論議 157
彦坂氏の存在…157
同位体分離 162
電探レーダーの研究…166
私の戦時研究 169
興味をもてなかった戦時研究…169
立体回路の回路論に熱中…172
確率論及び統計論 177
戦争中の原子炉研究 181
大学の留守番…181
中性子の反射…184
中性子減速の時間…187
敗戦の年 189
戦争末期の症状…189
空襲の体験…191
遂に広島、長崎…194
情報の餓え 201
オンザーガーの論文との出会い…201
原子力情報-スミス報告との出会い…203
日本学術会議の場で 207
研究か組織か…207
学術会議の誕生…209
サンフランシスコ条約、茅・伏見提案 217
原子力研究の開始…217
原子力研究の伏見私案…219
茅・伏見提案と学術会議総会…223
中曽根予算、原子力憲章 228
原子力シンポジウムと中曽根予算…228
伏見による原子力憲章草案…230
朝永委員会の主張…232
原子力平和利用に関する声明…236
ビキニ事件 239
福竜丸事件…239
放射線に関する研究所の設立…241
藤岡ミッション 245
初めての外遊…245
原子力の年一九五五年…251
原子核研究所 255
原子核物理学の研究所をつくる…255
日本原子力研究所と研究者…258
関西研究用原子炉 261
関西研究用原子炉の構想…261
原子炉設置は私の最高の義務…267
大阪府原子炉問題審議会 271
略年譜 275