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永井隆死亡報道(長崎日日新聞19510503)

永井隆死亡報道(長崎日日新聞19510503)

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1面
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永井隆博士逝く 闘病7年 1日夜長大病院で 十字架手に大往生
 涙さそうデスマスク 芽ちゃん間間に合わず
 市公葬を執行 ”痛恨極りなし”田川市長談
永遠に生く 天野文相談
痛恨に絶えず 式場隆三郎氏談
[明暗]
2面
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 亡骸如己堂へ帰る 面影偲ぶ沿道の人垣 原子野に響くアンゼラスの鐘
 白血球実に33個 生命保った博士の信仰心
 アメリカ行きは子供の意思で 遺児の今後に近親者の談
 永井隆博士略歴
 将来は医者に 誠一君語る
 主なき如己堂 寂しく積まれた蔵書
 待ち焦がれたマリア像 生活苦しく 市民税も未納
 ”間に合わぬ聖母像が残念”  中島神父
 島根でも永井博士顕彰

 

長崎市永井隆記念館

長崎市永井隆記念館

資料年表:長崎市立永井隆記念館

年月日 事項 メモ
長崎市立永井記念館-p1
長崎市立永井記念館-p2
1950
**** 永井隆、私財を投じて子どものための図書室「うちらの本箱」をつくる。
05 宮崎隆栄(ブラジル在留邦人)、病床の永井隆を見舞う。隆の「子ども図書館」建築構想に賛同、1951~52年、ブラジル在住邦人471名からの寄付金174万7188円が送金される。
1952
12 長崎市立永井図書館」完成。寄付金と市費(約40万円)で。
1970
**** 島根県・三刀屋町(永井隆が幼少期を過ごす)に「永井隆記念館」開館。
1020 長崎市立永井図書館」と「永井隆記念館」、姉妹館締結。
1999
**** 長崎市立永井記念館、全面改装。
2000
04 「長崎市永井隆記念館」と改称。
以上の出典:永井隆記念館概要

 

永井隆

永井隆

ながい・たかし 19080203生19510501没 享年43歳 長崎医科大学教授。同大で被爆。

資料年表:永井隆<作業中

年月日
1908
0203 誕生
1948
0615 『ロザリオの鎖』(ロマンス社)
0901 『アサヒグラフ』第50巻第9号通巻1252号
原子病と闘う―永井隆博士の或る日―p.4
0925 『この子を残して』(大日本雄弁会講談社)
1018 ヘレン・ケラー女史、長崎市を訪問。永井隆を慰問。 C
1110 『生命の河 原子病の話』(日比谷出版社)
1949
0113 『夕刊ひろしま』、永井の随想「倒れて後始む」を掲載。
0130 『長崎の鐘』(日比谷出版社)<特別附録 マニラの悲劇>
0625 『亡びぬものを』(長崎日日新聞社)
0630 『花咲く丘』(日比谷出版社)
0801 『原子雲の下に生きて 長崎の子供らの手記』(大日本雄弁会講談社)
0810 『雅子斃れず』(石田雅子著、表現社)
0930 『いとし子よ』(大日本雄弁会講談社)
0930 『長崎-二十二人の原爆体験記録』(長崎文化連盟編、時事通信社)
永井「その日の大学 」 61
1120 広島市で広島・長崎両原爆都市青年交歓会。永井隆宅のバラを広島市役所前庭と爆心地に移植。 C
1128 衆議院考査委員会、湯川秀樹・永井隆の表彰を決定。 C
1950
0505 長崎市で第2回広島・長崎両原爆都市青年交歓会。広島城のバラをを永井隆宅に移植。
0728 永井署『長崎の鐘』松竹映画化で現地ロケ隊30人余長崎入り。
09 新藤兼人監督・松竹映画「長崎の鐘」完成。
1951
0501 死亡。
0507 山田耕作、永井隆の辞世の句を作曲、遺族に贈る。
0514 浦上天主堂で公葬。
未完