「05月忌」カテゴリーアーカイブ

山本康夫

山本康夫

やまもと・やすお 19021027生19830530没 享年80歳 歌人。短歌誌「真樹」主宰者(被爆者)。『広島県現代文学事典』(山本光珠・記)。

資料年表:山本康夫<作業中

年月日
1902
1027 誕生
1947
0401 『麗雲 歌集(真樹叢書, 第12編 山本康夫第5歌集)』(真樹社)
1948
0815 『朝心抄 山本康夫第六歌集』(真樹社)
1953
0110 『槙の実 山本康夫第七歌集』(真樹社)
1954
0425 『追憶』(広島一中遺族会)
「幻 山本康夫 」167
0625 『ながれ』(村上哲夫著)
「校訓(外林秀夫)眞樹の主宰者(山本康夫)  158」
yamamotoyasuo01
1965
0720 『歌話と随想』(真樹社)
1983
0530 没。享年80歳

 

吉野源三郎

吉野源三郎

よしの・げんざぶろう 18990409生19810523没 享年82歳 雑誌「世界」初代編集長。日本ジャーナリスト会議初代議長(1955年2月19日)。「被爆30周年国際フォーラム」の代表世話人。1977被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人。

岡本直正

岡本直正

おかもと・なおまさ 1921生20120523没 岡本直正 享年91歳 広島大学原爆放射能医学研究所所長(第3代 1970.4.1~1977.3.31)。

資料年表:岡本直正<作業中

年月日
1921
 1967
 0330 岡本直正 「放射線被爆が胎児に及ぼす影響 -中性子照射による心臓並びに大血管系の形成異常  」(『原子爆弾後障害研究会講演集 第7回』218)
1969
0620 岡本直正「原爆症認定の問題点 病理の立場より」(『原子爆弾後障害研究会講演集 第9回』22)
1970
0401 広島大学原爆放射能医学研究所所長(~1977.3.31)。
 19730806  『原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から』(中国新聞社)
「人体傷害」(岡本執筆)
 1977
0910 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会)
岡木直正「原爆放射能医学研究所における将来計画と協同研究への歩み」61
2012
0523  没

 

小さな窓から

『小さな窓から』(新藤兼人著、朝日新聞社、1985/09/05)

内容<作業中

009 夫婦とは 9
012 男と女
15 台所革命
18 母の思い出
21 加害者はだれか
24 姉の地平線
27 アメリカ製日本人
30 ぜんそく考
33 ある結婚
36 父の肖像
39 酔いどれ妻
42 ライバル
45 雪が舞う
48 三匹の猫たち
51 ふり向いた女の目
54 ある少女の出発
57 荷風忌
60 恩師
63 兄の生涯
66
70 足跡
74 三文役者
77 砂漠の中の森の町
80 青春の町
83 子どもたちよ
87 生き証人
90 紫陽花のひと
93 ああ離婚
96 朝顔
100 原爆を落とした男
103 八月十五日
106 俺はあとでいいよ
110 溝口忌
114 墓のある場所
117 あるカメラマンの一生
120 N君の仕事
123 竜安寺門前町
126 雨の日の朝
129 裏切りの心
132 無声映画の詩
135 栗ごはん
139 私は脱がない
143 遠足
146 風の中の三味線
149 あなたに従います
152 めしを食ったか
156 同窓会
159 現代風俗
162 結婚しない女
165 友ありて
168 蔵の中
171 正月餅
175 D氏の碑
179 ふるさとの声
183 幕切れは
187 縄文の足跡
190 人間の姿
194 女ひとり
197 あによめ
201 役者根性
204 おもちゃ
207 水ぬるむ
210 ひいばあさん
213 はんてん
216 あとがき
1984年1月8日~85年3月31日、連載。

資料年表:新藤兼人

資料年表:新藤兼人<作業中

1912
0422
1950
09 新藤監督:松竹映画「長崎の鐘」完成。 C
1952
0515 近代映画協会による「原爆の子」映画化。広島市で吉村公三(制作)、新藤兼人(脚本・監督)ら、「原爆の子友の会」メンバーと初打ち合わせ。 C
0707 原爆傷害者懇談会(広島市基町・朝日ホール)。新藤・乙羽信子らも出席。 C
08 「原爆の子友の会」、新藤監督の映画「原爆の子」制作に協力した会員5人を除名にするなど内紛。 C
1953
0429 「原爆の子」(新藤監督)、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞を逸す。 C
1956
0212 英映画協会、「原爆の子」(新藤監督)を1955年度世界優秀映画の国連賞受賞作品に決定。 C
1957
02 西ドイツで上映中の「原爆の子」(新藤監督)、反戦映画として軍当局に没収される。 C
1958
09 映画「第5福竜丸」(監督:新藤・主演:宇野重吉、乙羽信子)撮影中 C
1959
02 映画「第5福竜丸」(近代映画協会・新世紀映画の共同製作、監督:新藤)、広島市の帝劇で特別試写会。 C
 1982
 0331  『広島市公文書館紀要 第5号』
有田嘉伸「 新藤兼人の人と作品 」
 「新藤兼人資料目録」
1983
01  『追放者たち -映画のレッドパージ-』(岩波書店)
 0310 『日本名作映画76選』(佐藤忠男著、広島市映像文化ライブラリー編、広島市教育委員会)
1985
 0905  『小さな窓から』(朝日新聞社) U
 1996
 0614   『追放者たち -映画のレッドパージ-』(岩波書店 同時代ライブラリー)
 1998
 0220  『弔辞』(岩波新書、) U
 1980
 0315 『私の足跡 : 独立プロ三〇年のあゆみ(新藤兼人映画論集 1)』 (汐文社, 1980.3) U
 1981
09 『仕事場の出会い : 監督とはシナリオとは女優とは(新藤兼人映画論集 2)』 (汐文社, 1981.9) U
1988
0420 『さくら隊散る』(未来社) U
0420 『さくら隊8月6日 広島で被爆した若き新劇人たち』(岩波ブックレット No.114) U
1993
1006 『青春 新藤兼人の足跡1』(岩波書店) U
2002
1103 文化勲章発令・宮中親授式
2003
0411 「原爆の真実を残す 広島で90歳対談 映画監督・新藤兼人さん・元本社カメラマン・松重美人さん」(『中国新聞』20030411) C
2004
0721 『シナリオ人生』(岩波新書) U
2010
1220 『広島県現代文学事典』(岩崎文人編、勉誠出版)<佐藤武・記> U
2012
0529 没。享年100歳。
 0531  「新藤兼人監督が死去 反戦貫き人間愛描く 100歳」(『中国新聞』20120531、串信考・記)
2022
0413 広島市映像文化ライブラリー、新藤兼人生誕110年記念の特集上映開始。(『中国新聞』20220402)

大庭みな子

大庭みな子

おおば・みなこ 19301111生20070524没 享年76歳 作家。広島県立賀茂高等女学校在学中、原爆のきのこ雲を西条町より望見。8月末~9月、広島市に救援隊として動員される。『広島県現代文学事典』(瀬崎圭二・記)

資料年表:大庭みな子<作業中

年月日 事項 備考
1930
1111
1972
0501 大庭みな子(芥川賞作家)、雑誌『潮』原爆特集の取材で広島市を訪問。 C
2007
0524 没。享年76歳
2010
1220 「大庭みな子」(『広島県現代文学事典』〈瀬崎圭二・記〉、勉誠出版)
2016
0612 東広島青少年オーケストラ、「ひがしひろしま音楽祭」で、被爆の惨状をつづった大庭みな子のエッセイの朗読を取り入れた演目を上演。(『中国新聞』20160609、森岡恭子・記)

佐藤月二

佐藤月二

さとう・つきに 19090215生19880522没 享年79歳 元広島大学教育学部教授。広島県史跡名勝天然記念物調査委員(1947年2月~)。1949年当時、原爆ド-ムの保存を主張。著書『むさしあぶみ』(溝本積善館、19720215)。

資料年表:佐藤月二<作業中

年月日 事項 備考
1909
0215
佐藤月二01
1988
0522

平家納経の世界

『平家納経の世界』(小松茂美著、六興出版、19761226 新装第1版)

内容

1 平家納経の成立ドラマ   11
 謎みちた女神  11
法華信仰と「平家納経」  15
平家勃興の波に乗って   20
祖父正盛・父忠盛のこと20
清盛登場   27
実説ご落胤27 十二歳の次官殿29 安芸守平清盛の霊
夢31 栄達の血塗道32 二条帝現説と立太子騒動35
長寛二年における清盛の心情   38
怨霊騒ぎと皇子誕生38 忠通の死40 関白・基実の幼
な妻42 頼長の子・師長を夜宮44 帝の皇子誕生46
崇徳院の崩御51 願文の内容54 筆者は清盛64 “他
人を以って名と為す”74 櫛筆の謎84
厳島繁昌記    87
厳島詣での大流行87 名花・厳島の内侍たち96 平家
の落日102 佐伯景弘という男111
厳島内侍発願説の虚構  121
2 高く、広く、大きく―平家納経と歩んだ三十年  127
 死神と美神の出合い  127
手習い草紙   128
死の淵に立って 133
その名を恋人のごとく  137
一冊の古本   139
「平家納経」を見る  141
無知の蛮勇   146
生涯のことば  152
「伊都岐嶋千僧供養日記」  155
厳島文書を読む      157
『いつくしま』を刊行   161
上京、池田亀鑑先生    163
念願の博物館勤務     171
3 不思議な本 175
4 王朝の女性の夢を追って 190
5 王朝の教養と和洋書道の源を探る 197
6 栄華と末法におののく美の殿堂 213
7 子筆額の成立へ 227
王朝のこころ十選             247
三十六人家集(貫之集上)247 木彫一字金輪坐像249 普
賢菩薩像250 扇面写経251 金銅秋草文薫炉252 伴大納
言絵詞253 藤原行成筆白氏詩巻254 秋草文壷255 平等
院鳳鳳堂256 戸隠切257
人と書とのかかわり 対談/小松茂美・松井如流  259
小松茂美・丸夫妻の世界―編集部編― 273
後記  282

 

小松茂美

小松茂美

こまつ・しげみ 19250330生20100521没 享年75歳 古筆学者、美術史学者。広島で被爆。「死の淵にたって」(『平家納経の世界―国宝の謎を推理する』(六興出版、19861226)pp.133-136。

資料年表:小松茂美

年月日
1925
0330 山口県岩国市生まれ
1938 崇徳中学校(旧制、現崇徳高校)進学。
1942 柳井中学校(旧制、現山口県立柳井高校)卒業。広島鉄道局勤務。
1945
0806 広島駅近くの庁舎内(爆心地から1.7キロ)で原爆被爆。
作業中

島薫

島薫

しま・かおる 18970702生19770516没 享年79歳 外科島病院(広島原爆爆心地)院長。

資料年表:島薫<作業中

年月日
1897
0702 誕生(本籍地:広島県安芸郡瀬野川)
1917
03 広島県立第一中学校卒業
1924
0325 大阪医科大学卒業
1930 これより欧米留学、米国メイヨークリニックにても研究晩学。
1931
04 大阪帝国大学医学博士。
1933
08 広島市細工町にて外科島病院を開設、診療開始。
1945
0806 「県下世羅郡甲山町植田病院に出張手術中広島島病院上空に世界始めての原子爆弾降下の報により帰広し、市袋町戦災者仮設病院に於いて罹災者の処置に尽力し後中野村の本宅に於いて診療を開始す。」
1948
1030 「広島市大手町戦災被害地を整理し復興、病院を建設し診療を開始す」
1977
0516
1983
0515 島薫あれもこれも』発行