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宮沢喜一

宮澤喜一

みやざわ・きいち 19191008生20070628没 享年87歳 内閣総理大臣(第78代)『戦後政治の証言』(読売新聞社、1991.8.30)。広島県名誉県民。

資料年表:宮澤喜一<作業中

年月日
1919
1008  誕生
 1953  参議院議員(初当選)
1967 衆議院議員:連続12回当選。
1970
0205 万博博推進対策会議(本部長:宮沢通産相)でテーマ館への広島・長崎の被爆写真展示に「どぎつく万国博にふさわしくない」との意見相次ぐ。展示を再検討へ。 C
1974
1225 宮沢外相、参議院内閣委員会で(1)ポラリス潜水艦など核常備感染の領海通過は原則として不許可(2)核もちこみはすべて事前協議の対象―との政府統一見解。 C
1227 宮沢外相とホッドソン駐日米大使、ABCC改組協定に調印。 C
1975
0411 宮沢外相とキッシンジャー米国務長官の日米外相会談、米国務省で。(1)米の核能力は日本への攻撃に対し重要な抑止力(2)日本への核、通常攻撃に対し、米は防衛義務を重視―などを確認。 C
0606 宮沢外相、衆院外務委員会で答弁。「核拡散防止条約に加盟すれば条約の規制を受けるので、従来の政府解釈<非核三原則を堅持しながらも、憲法解釈上は自衛権の範囲内で戦術核は保持できる>は実体的な意味を失う」。 C
1980
0806 平和記念式典。宮沢官房長官参列。荒木市長の平和宣言の世界平和首脳会議開催について「意義深い提言」「外務省に検討させる」と積極姿勢 C
0807 宮沢官房長官、外務省首脳と意見交換。荒木市長が平和宣言で呼びかけた平和サミット開催について実現の可能性を検討することで一致。 C
1981
0518  宮沢官房長官、記者会見で「核持ち込みは寄港も領海通過も入る」と表明。 C
0519  鈴木首相・園田外相・宮沢官房長官、核持ち込み問題で協議、確認。1.従来の解釈を変えない、2.米側に照会する必要はない。 C
0523  元政府高官の話。「核積載艦の領海通過は1960年の安保改定時から74年12月25日の宮沢外相の修正答弁までの14年間は『事前協議の対象外』で日米が合意」、「『寄港・停泊』は事前協議の対象とすることが安保改定時に確立されていた」。 C
1982
0602  広島県議会代表、鈴木首相あての核兵器廃絶・軍縮要望書を首相官邸で宮沢官房長官に渡す。 C
C
 1984 C
 10  『美しい日本への挑戦』(宮沢喜一・高坂正堯/著、文芸春秋)
 ??  『宮沢喜一の「資産倍増論」』(丸亀 弘明/著、東京:経済界)
1991
0830 『戦後政治の証言』(読売新聞社)。
1105 第78代内閣総理大臣。~1993年8月9日。
11 宮沢喜一・全人像[行研Politica](清宮龍/著、行政問題研究所)
1992
01 『宮沢喜一・全人像』(清宮竜、行研出版局)
0806 広島市平和記念式典。宮沢首相(代理出席:山下元利厚相)。9日の長崎平和式典には宮沢本人が参列。 C
?? 『宮沢喜一の選択と経世会支配の構図 Tenzan time Japan』(大塚 英樹/著、東京:天山出版)
1993
0806 広島市平和記念式典。首相・閣僚・衆参両院議長の出席無し。 C
0809 長崎市平和記念式典。首相・閣僚の出席無し。 C
1995
0315 広島の国際的平和貢献策を検討・推進する県関係の全国会議員による研究会発足。会長に宮沢元首相。 C
04 『新・護憲宣言21世紀の日本と世界』(朝日新聞社)
0512 広島の国際的平和貢献策を検討・推進する県関係の全国会議員による研究会2回目の会合。 C
0607 「広島国際的平和貢献構想策定委員会」(座長:藤田雄山知事)発足、初会合。3月結成の県関係の全国会議員による研究会と連携を図り1996年3月末までに具体的構想。 C
1130 広島県選出国会議員による「国会議員研究会」(会長:宮沢元首相)に広島県が「被曝者医療国際医学センター」(仮称)などの西部抗争策定の経過を報告。 C
 2003
 0305  『歴代首相物語』(御厨貴、新書館)
49宮沢喜一 岩間陽子250
2005
03 『ハト派の伝言 宮沢喜一 元首相が語る』(中国新聞社)
03 『聞き書宮沢喜一回顧録』(岩波書店)
 2006
11  『宮沢喜一保守本流の軌跡 [90年代の証言]』(朝日新聞社)
2007
0628 没。享年87歳
2010
0310 「日米密約認定 廃絶の願い「裏切られた」」、「「極めて遺憾」湯崎知事・秋葉市長」(増田咲子・記者) C