『『歴史と教育(広島歴教協)』NO. 14
石井金一郎先生追悼号目次
著者 |
タイトル |
今堀誠二 |
石井教授の学問 |
石井和郎 |
ぼくの父 |
天野卓郎 |
石井金一郎先生を偲んで |
篠原孝義 |
組織者石井金一郎先生 |
有田譲 |
石井先生と部落問題 |
松岡金光 |
石井先生を偲んで |
村上尚三郎 |
石井先生の死を悼む |
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故石井金一郎氏遺族をはげます募金のお願い |
資料 |
石井教授の死 平和運動に打撃 原爆医療法成立に功労(『中国新聞』19670622) |
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遺徳をしのび500人 石井教授の教養部葬 霊前にひっそり学位記(『中国新聞』19670623) |
天野 |
編集後記 |
『楠忠之オーラル・ヒストリー 広島大学文書館オーラル・ヒストリー事業研究成果報告書』(楠忠之著、石田雅春、布川弘編 、20171031)目次
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はじめに(広島大学75年編さん室 石田雅春) |
聞き取り日 |
第1回 |
生い立ち・幟町小学校の思い出
修道中学校時代の思い出
広島高等師範学校(臨教)への進学
海軍予備学生への志願…12
佐世保海兵団、旅順海軍特別根拠地隊への配属 |
20160204 |
第2回 |
予備学生・生徒の状況(前回の補足)
敗戦前後の状況
ソ連軍の進駐
シベリア抑留(1)
帰国、ヒロシマの惨状
日本国憲法との出会い
広陵高校への就職、広島文理科大学を受験
シベリア抑留(2)
広島文理科大学での勉強 |
20160310 |
第3回 |
広島文理科大学時代の思い出
学生運動について
卒業、宇品中学校への勤務
結婚について
映画「ひろしま」への協力
庚午中学校への転任 |
20160425 |
第4回 |
前回の補足(日鋼争議、広島反戦学生同盟、レッドパージ)
教職員組合の政党支持
学校施設・生徒指導の状況
受験指導の状況
PTAとの関係について
進路指導・家庭訪問について
一〇・ニーストライキ(昭和四一年)について(1)
原水爆禁止日本協議会、平和教育について
勤評闘争について |
20160519 |
第5回 |
庚午中学校への中傷
生徒指導について
小学校教員と中学校教員の気質の違い
勤務評定について
翠町中学校への転任 |
20160701 |
第6回 |
学力テスト反対闘争について
高校入試制度の改革について
原水爆禁止運動の分裂について(1)
署名運動の力
原水爆禁止運動の分裂について(2) |
20160802 |
第7回 |
所蔵の写真について
一〇・ニーストライキ(昭和四一年)について(2)
一〇・二六ストライキ(昭和四二年)について
平和教育(原爆副教材の作成)について
学校の運営方法(校長の権限)について |
20160916 |
第8回 |
部落解放同盟広島県連合会と広島県教職員組合の関係について
(1)
大学紛争の影響について
部落解放同盟広島県連合会と広島県教職員組合の関係について
(2)
県議会議員選挙への出馬
県議会議員としての仕事(イノシシ対策、井口高校新設、不正経理問題、解放同盟問題など)
住民運動とのかかわり |
20161130 |
第9回 |
自民党による解放同盟批判
総合選抜制への批判
八者合意について
原爆遺跡保存運動懇談会について |
20161222 |
第10回 |
広島県原水爆禁止日本協議会について
原爆遺跡保存運動懇談会について
「中島地区ゆかりの人たちの集い」について
「建物疎開動員学徒の原爆被災の実相を記録する会」について
原爆ドームの景観を守る運動について
町内(庚午南)のマンション建設問題について
「原爆の子」を受け継ぐ会について
九条の会について
最近の取り組みについて(被爆建物、かき船問題)
広島教育研究所について |
20170111 |
河本一郎
かわもと・いちろう |
1929生20010607没 |
享年72 |
「原爆被害者の会」設立、「広島折鶴の会」結成に奔走。谷本清平和賞(第13回=2001年没後)受賞。 |
資料年表:河本一郎
年月日 |
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1929**** |
南米ペルーで誕生。 |
1938**** |
父の死去に伴い、父の実家、広島県安芸郡坂村(坂町)に里帰り。 |
1942**** |
母が病死。13歳で孤児に。 |
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<以上は「第8回先人を語る会」配布資料より> |
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1955 |
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0224 |
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1995 |
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0507 |
小野増平「検証 ヒロシマ 1945~95 <16> 原爆ドーム 孤高貫く「平和の黒子」 「折り鶴の会」の河本一郎さん」(『中国新聞』) |
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2001 |
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0607 |
死亡。享年72歳 |
0928 |
薮井和夫「ヒバクシャ活動の歩み 段ボール32箱分 広島折鶴の会世話人故河本一郎さんの遺品 募金名簿やフィルム」(『中国新聞』) |
2002 |
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11 |
濱本康敬(広島平和記念資料館学芸担当)「河本一郎氏資料の受入と整理」(『広文協通信』2号) |
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2015 |
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0714 |
宇吹 暁『ヒロシマ戦後史の中の広島女学院~河本一郎の足跡を中心に~』 |
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広島女学院大学第 48 回原爆講座―8・6 の意味するもの― 2015 年 7 月 14 日 於砂本記念講堂 |
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2018 |
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0710 |
菊楽忍「解説1 河本一郎インタビュー」 |
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『戦後ヒロシマの記録と記憶』(若尾祐司・小倉桂子編) |
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2019 |
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1019 |
『河本一郎を語る―第8回先人を語る会(慰霊と講話)』会場:広島原爆資料館 |
1215 |
『原爆ドームと楮山ヒロ子 ヒロ子の日記と原爆ドームの保存』(寺田正弘・中村秀次・吉村勝文著、原爆ドームと楮山ヒロ子の会、20191215) |
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止
金井利博
かない・としひろ |
19140101生 19740616没 |
享年60 |
[52広島平和問題談話会](中国新聞社学芸部記者)。中国新聞社取締役論説担当。原爆被災白書運動を提唱。[69原爆被災資料広島研究会]。『広島県現代文学事典』 |
止
原田東岷
はらだ・とうみん |
1912生 19990625没 |
享年87 |
外科医。「原爆乙女」の渡米治療に尽力。ワールド・フレンドシップ・センター初代理事長。広島市名誉市民。 |
リンク=資料年表:原田東岷 |
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出典:『ながれ』<pp.605-606>(村上哲夫、村上哲夫後援会) |
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著書
書名 |
発行所 |
発行年月日 |
ヒロシマの外科医の回想-ヒロシマからベトナムへ |
未来社 |
1977041503 |
ヒロシマ歴程-外科医の回想 |
未来社 |
1982020101 |
平和の夢を追いつづけて |
影書房 |
1984081501 |
ヒロシマのばら |
未来社 |
1989081505 |
ひろしまからの発信-明止め治・大正・昭和・平成 |
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1993111501 |
平和の瞬間-二人のひろしまびと |
勁草書房 |
1994052001 |
命見つめて60年 |
溪水社 |
1997022001 |
止め
井出三千男
いで・みちお |
1941生20060626没 |
享年65歳 |
広島市安佐北区出身。変貌する都市広島をフィルムに残した写真家。 原爆記録写真の研究家、写真の専門家の立場から、被爆建物等を手がかりに写真を読み解き、平和記念資料館の資料調査研究会委員として活躍 |
リンク:資料年表:井出三千男
止
ジュノー、マルセル
Marcel Junod |
19040514生19610616没 |
享年57歳 |
スイス国籍の外科医。赤十字国際委員会駐日代表として来日。1945年9月8日、GHQの医薬品ともに広島入り。 |
リンク ttps://hiroshima-ibun.com/2023/06/16/資料年表:マルセル・ジュノー
資料年表:マルセル・ジュノー |
止
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