沼田鈴子と白梅女子短大学教養科平賀ゼミ(近現代史)
宇吹メモ(1995~96年)より<敬称略>
月日 |
事項 |
備考 |
1995 |
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0131 |
平賀明彦(一橋の藤原彰ゼミ)より自宅に電話。白梅女子短大の学生の研修旅行に広島を選びたいので相談に乗って欲しい。5月の21日ごろからを予定 |
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0502 |
広島シティ・ホテルへ電話。会場は6時以降ならあるとのこと。早めに予約するよう言われる。平賀に電話。 |
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0509 |
M先生(「ヒロシマを語る会」のメンバー)から電話。証言は沼田鈴子に頼んだ。21日6時~7時、広島シティホテルでと伝えてある。住所=東区矢賀新町***。TEL***。昼間は大体平和会館に居る筈。 |
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平賀明彦(東京・白梅女子短大学教養科)に電話。被爆体験証言者の沼田鈴子に連絡を取るよう伝える。 |
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0517 |
沼田鈴子の自宅へ電話。21日の白梅の件を依頼。 |
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0521 |
出勤。白梅の学生に話すためのスライド準備。5時半、広島シティホテル到着。平賀と話す。5時50分ごろ沼田鈴子が来る。沼田が朝フロントに預けていた荷物が見つからずに大騒ぎをしたが、既に講演会場に運ばれていた。 |
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平賀の話=今日は、原爆資料館には入館せず、平和公園の見学やビデオ「ヒロシマ母たちの祈り」の鑑賞 |
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18:00平賀ゼミ(近現代史)2年生15人と一緒に、広島シティ・ホテルで沼田鈴子の話を聞く。皆、熱心に聞き、沼田も一生懸命話す。7時までの予定が、8時40分までとなる。終了後、沼田を自宅まで私の車で送る。 |
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0522 |
白梅女子短期大学平賀ゼミ一行への講演。於原医研講堂。-10時40分。Nがスライド係。寝ても良いと初めに言っておいたら、昨夜の疲れか、半分くらいは寝ていた。陸軍墓地まで案内して別れる。謝礼として菓子と1万円を貰う。両方をNに渡す。 |
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平賀の話=これから原爆資料館などの見学、明日は、自由行動の予定。夏にゼミの卒業生と広島に再び来たい。その節にもよろしく。 |
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<その後> |
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1220 |
K、来所。Kの話=Kは、どの会にも属さず、フリー。沼田鈴子は、ヒロシマを語る会を離れフリーになった。 |
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1996 |
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0304 |
T(自衛隊学校教官)来所。原爆検閲が緩んだ最大の原因は、東京裁判の結審との仮説。太平洋史観などをめぐり大いに論争する。沼田鈴子に会って、彼女の歴史観に「自虐的歴史観」との批判を持つ。彼女からは、自衛隊は嫌いとの非難を受けた由。 |
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0807 |
F(長崎被爆者団体代表)来所。**がまとめた沼田鈴子の伝記や栗原貞子について私が見解を述べたので話が長くなってしまった。Fは今回二人に会う予定とのこと。 |
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1011 |
T(自衛隊学校教官)来所。戦略爆撃調査団の報告書の原文を一部コピー。2月にアメリカ軍の研究者との意見交換の会合に出席する由。沼田鈴子に事務所!!で会ってきたとのこと。 |
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止
『被爆アオギリと生きる 語り部・沼田鈴子の伝言 岩波ジュニア新書 , 740』(広岩近広著、岩波書店、2013/04/19)
内容
章 |
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はじめに−追悼の集いにて |
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1 |
沼田鈴子さんの証言−戦争と被爆体験 |
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1 平和を考えるために……2
2 戦争のなかで育つ……6
3 婚約者の出征……14
4 その夜も希望をいだいて……19
5 きれいな閃光を見た……25
6 ノコギリで左足を切断……32
7 母の言葉で立ち上がる……36
8 証言は平和の種まき……41 |
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2 |
沈黙の日に見た原爆フィルム |
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1 被爆アオギリに勇気づけられ……46
2 家庭科教師として生きる……51
3 原爆フィルムの衝撃……66
4 使命を胸に欧米で体験報告……72 |
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3 |
アオギリの語り部が誕生 |
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1 修学旅行生の前で号泣……82
2 ツッパリ高校生との出会い……90
3 被爆アオギリの前で……98 |
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4 |
戦争の傷跡を訪ねて |
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1 沖縄戦の悲痛……108
2 韓国の被爆者……126
3 重慶の疲労爆撃……137
4 マレー半島の住民虐殺……148 |
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5 |
空飛ぶ平和の民間大使 |
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1 北イタリアのアオギリ平和公園……166
2 アジアとの友好を掲げて……178
3 ミネアポリスで乾杯……187 |
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6 |
戦争と核のない世界を |
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1 プルトニウムと核兵器と原発……202
2 被爆アオギリの願い……211
3 平和を語る部屋……221 |
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おわりに……237 |
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止
沼田鈴子
ぬまた・すずこ |
19230730生20110712没 |
享年87歳 |
22歳の時、勤務先の旧広島逓信局(中区東白島町)で被爆。崩壊した建物の下敷きになり左足を切断。映画「にんげんをかえせ」(1982年)に被写体として登場。 |
資料年表:沼田鈴子
年月日 |
事項 |
備考 |
1923 |
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0730 |
生 |
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1979 |
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1108 |
『柔しく剛く 安田リヨウ追想録』([安田リヨウ先生]記念誌編集委員会編、安田学園) |
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下駄を手にはかしなさい 沼田鈴子 286 |
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1982 |
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0301 |
『被爆者の証言 40年間毎日が八月六日だった』(沼田鈴子) |
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0806 |
『Know more Hiroshima 10フィート運動記録集』(広島10フィート若者の会) |
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被爆者に聞く-「にんげんをかえせ」に出演された方々-吉川清・生美 44、沼田鈴子 46、柴崎時彦 48、深見潔・その他 50 |
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0820 |
『ヒロシマ・ナガサキの証言’82夏 第3号』(広島・長崎の証言の会) |
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沼田鈴子「欧米へ映画と共に語り部の旅をして」 100 |
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1983 |
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1211 |
『ヒバクシャ ともに生きる 第2号』(原爆被害者相談員の会) |
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ヒバクシャとして悔いのない一生のために 沼田鈴子 43 |
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1984 |
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0701 |
『かけはし 第1号』(YMCA国際平和研究所) |
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生き残る運命を与えられた私-閃光が奪った左足- 沼田鈴子 |
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1985 |
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0630 |
『木の葉のように焼かれて 第19集』(新日本婦人の会広島県本部) |
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青春と足を奪った原爆 沼田鈴子 22 |
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0701 |
『福祉のひろば 特集23号(通巻126号)』(大阪福祉事業財団) |
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特集 草の根の平和運動
終戦・被爆40周年――応募手記
1 あの日から/沼田鈴子…112 |
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0725 |
『ヒロシマを語る』(ヒロシマを語る会) |
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沼田鈴子 12 |
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0820 |
『ヒロシマ・ナガサキの証言’85夏 第15号』(広島・長崎の証言の会) |
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反核・平和のためにも救護の手を 沼田鈴子 65 |
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<以下未入力> |
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1993 |
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0430 |
『青桐の下で 「ヒロシマの語り部」沼田鈴子ものがたり』(広岩近広、明石書店) |
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1994 |
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0420 |
『ヒロシマ花一輪物語 被爆者・沼田鈴子の終りなき青春』(川良浩和、山田真理子著、径書房) |
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1995 |
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0521 |
18:00平賀ゼミ(近現代史)2年生15人と一緒に、広島シティ・ホテルで沼田鈴子の話を聞く。<沼田鈴子と白梅女子短大学教養科平賀ゼミ(近現代史)> |
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2011 |
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0712 |
没 |
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2013 |
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0419 |
『被爆アオギリと生きる 語り部・沼田鈴子の伝言 岩波ジュニア新書 , 740』(広岩近広著、岩波書店) |
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止
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