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大木惇夫

大木惇夫

おおき・あつお 18950418生19770719没 享年82歳 詩人。広島市天満町生まれ。本名・軍一。広島商業学校卒業。1941年、文化部隊宣伝班の一員として、ジャワ作戦に配属。『広島県現代文学事典』(石田浩子・記)。

資料年表:大木惇夫<作業中

年月日
1895
0418
 1953
 0505  『秘録大東亜戦史 1 満州篇 上』(田村吉雄編、富士書苑)
 詩 鎮魂歌 大木惇夫…8
 1955
 0701  『新論 創刊7月号 第1巻第1号』(新論社)
 侏儒のあこがれ(詩)…大木惇夫 134
 1966
 0801  『ヨーロッパ絵の旅』(大木茂著、広島ペンクラブ)
 序文 大木惇夫
 1968
 0806  『広島碑林』(三田嘉一著、三田蝋染堂)
 80 大木惇夫詩碑 〃 118
1969
0715 『實民 第160号』(実民会)
大木惇夫「原爆祈りの像によす」 2
 0801  『大木惇夫詩全集 第1巻』(金園社)
 1001   『大木惇夫詩全集 第2巻』(金園社)
1201  『大木惇夫詩全集 第巻』(金園社)
 1971
 1204  『この炎は消えず 広島文学ノート』(毎日新聞社編・刊)
 流離抄 大木惇夫 76
 1977
 0719  没。享年82歳。
0930  『みたき 特集・大木惇夫先生追悼』(さかもとひさし編、みたき編集室)
1980
0806 『ひろしま文芸の碑・大木惇夫先生詩碑 建設記念』(ひろしま文芸の碑・大木惇夫先生詩碑建設実行委員会編、ひろしま文芸の碑の会)
1981
 0720  『広島文学ノート』(河村盛明編、溪水社)
 《流離抄》 大木惇夫 76
1982
 1225  『広島・ヒロシマ 第3次広島市政白書』(広島市職員労働組合)
 <付属資料>
2 大木惇夫の献詩-「祈りの像」側碑より 282
1984
1101 『ひろしま文学紀行 ひろしま文庫』(河村盛明著、広学図書)
 広島・三滝 大木惇夫『冬刻詩集』42
 1994
0215 『ふるさと文学館 第40巻 広島』(磯貝英夫責任編集、ぎょうせい)
 第1部 夕凪・海辺の町
ふるさと 大木惇夫 90
江波の浜辺の 大木惇夫 90
あすの日も 大木惇夫 90
流離抄 大木惇夫 91
白市の岩つつじ 大木惇夫 91
 2004
0301 『広島文学資料目録』(広島市立中央図書館)
 収集対象文学者
2.大木惇夫
本・雑誌類…32
原稿類…58
書簡類…59
書・色紙類…60
その他…62
 1115  『このまちに 広島のうた・土佐のうた 山野上純夫・作曲集』(山野上純夫著、洛西書院)
言ふなかれ、君よ、別れを 大木惇夫作詞…18
 2007
 0806  『原爆詩一八一人集 1945~2007年』(長津功三良・鈴木比佐雄・山本十四尾編、コールサック社)
 大木惇夫  ヒロシマの歌 54
 2009
 0601  『広島の文学碑めぐり』(西紀子著、溪水社 [渓水社])
  Ⅰ 原爆文学の碑めぐり…3
1.大木惇夫の碑 5
2. 大木惇夫比治山の碑 11
 2015
 0621  『出版ニュース 2015.6 下旬号』(出版ニュース社)
 『忘れられた詩人の伝記』父・大木惇夫の軌跡

資料年表:日野原重明

日野原重明

ひのはら・しげあき 19111004生20170718没 享年105歳 聖路加国際病院理事長。

資料年表:日野原重明

年月日
1911
1004 誕生
1989
1106 『日本語大辞典』(梅棹忠夫・金田一春彦・阪倉篤義・日野原重明監修、講談社)
1992
0310 『患者・看護論 医療秘書医学シリーズ 7』(日野原重明 監修、医療秘書教育全国協議会編、桐山秀一[ほか]著、建帛社)
1999
0215 『緊急招集(スタット・コール) : 地下鉄サリン、救急医は見た』(奥村徹著、河出書房新社)
跋文1.本書はどのようにして書かれたか 日野原重明 218
2001
0820 『日本とアメリカ パートナーシップの50年』(細谷千博、A50日米戦後史編集委員会編、ジャパンタイムズ刊)
3占領期の医療改革医療・看護・公衆衛生とその教育におけるアメリカの貢献■日野原重明624
2005
0729 『戦後六十年語り残す戦争体験 私たちの遺書』(二〇〇五年度「新老人の会」編、日野原重明監修、講談社)
はじめに 日野原重明 Ⅰ
終章 日野原重明「私の戦争体験」
召集を予測して 206
東京大空襲の経験を「サリン」で生かす 207
角砂糖二つ持ち帰る 209
原爆と竹やり 211
粗食で長寿 212
子どもや孫にこれだけは伝えたい 213
0730 『あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 上』(NHK「あの日 昭和20年の記憶」取材班、日本放送出版協会)
昭和20年1月26日  日野原重明
1021 被爆60周年記念イベント「世界へおくる平和のメッセージ」。 C
 2011
 0722  日本医学教育学会大会。会場:広島国際会議場。  C
 23日、日野原重明(同学会名誉会長)、市民向けに講演
 2012
0428 『「生きて」広島女学院理事長 黒瀬真一郎さん<8>日野原先生との親(『中国新聞』20120428) C
1224 『誰かのために時間使って 日野原さん 広島女学院大』(『中国新聞』20121224) C
2015
01 日野原重明さん103歳記念講演会(新老人の会広島支部主催)。会場:アステールプラザ。1100人参加。
2017
0718 死亡。享年105歳
2019
1202 『ヒロシマで考えたこと』(宇野久光著、渓水社)
日野原重明先生へのオード 88

林茂夫

林茂夫

はやし・しげお 20040718没 享年75歳 本名:塩伸一。軍事評論家。京大原爆展の関係者。追悼論文集『無防備地域運動の源流―林茂夫が残したもの』(日本評論社、20060720)

資料年表:林茂夫

年月日
1929
0127 東京府荏原郡大飯町で誕生。
1949
03 旧制第三高等学校卒業。
04 京都大学入学。
1951
**** 被爆者問題を知り、平和運動にかかわるようになる。
 1965
0601 『世界 第235号』(岩波書店)
図説・アジアの危機と自衛隊 藤原彰・林茂夫・〈デザイン〉波多野富仁男 123
1967
1018 『日本の軍隊 自衛隊』(日本共産党中央委員会出版部)
第三章 国民生活にくいいる自衛隊
5 自衛隊の外郭団体の実態と動向 林茂夫 197
1968
0327 『復活する日本軍国主義』(日本共産党中央委員会出版部)
第二章 軍隊、警察、右翼組織在日米軍とその指揮下における自衛隊の実態…林茂夫…76
0630 『1970年と日本の軍事基地 日本の安全保障 3 (新日本新書64)』(林茂夫、畑穣編、新日本出版社)
1970
0801 『学習の友 通巻204号』(労働者教育協会編、学習の友社)
これが七〇年代安保だ!①
対談 日本は核基地化されている 服部学 林茂夫 40
1971
0725 『四次防と自衛隊』(日本共産党中央委員会出版局編、日本共産党中央委員会機関紙経営局)
(第2部 実態)四次防-アジア戦略のなかで高まる自衛隊の比重 林茂夫 守田義典 48
1973
0630 『徴兵準備はここまできている』(三一書房)
1976
0907 『長沼2審”判決”糾弾長沼国民法廷記録 1976・8・5』(北海道平和委員会)
違憲の自衛隊の侵略的性格を告発する 林茂夫 19
1977
1115 『公務労働の理論 双書現代の精神的労働5』(芝田進午編、青木書店)
Ⅳ 自衛隊員の現状と課題 林茂夫 430
1978
0515 『見た横田が戦場に』(東京平和委員会)
軍事評論家林茂夫…44
カーターの朝鮮政策/新しい平和のたたかい
1225 『国家緊急権の研究 有事体制シリーズ 1』(林茂夫編、晩聲社)
1979
0310 『全文・三矢作戦研究 有事体制シリーズ 2』(林茂夫編、晩聲社)
0310 『治安行動の研究 有事体制シリーズ』(林茂夫編、晩聲社)
0520 『平和運動と平和委員会の組織・宣伝活動が論理的によくわかる学習書 組織問題討議シリーズ No.1』(林茂夫、日本平和委員会組織部)
0526 『1145機のインベーダー 見た横田が戦場にPARTII』(東京平和委員会)
80年代安保へのガイドライン 軍事評論家 林茂夫 27
0920 『最新自衛隊学入門 スーパー・メカだけがすべてではない』(林茂夫著、二月社)
1980
0320 『恵庭-長沼-百里-矢臼別をむすぶ’79,9.7長沼第1審判決6周年記念集会記録、平和連鎖学習資料 No.4』(北海道平和委員会)
メッセージ(その3)
(11)忍草入会組合、忍草母の会 36
(12)林茂夫 36
0706 『被災26周年1980年三・一ビキニデー集会の記録』(原水爆禁止運動の統一をめざす静岡県民準備会)
公開講座・課題別学習講演会-核兵器廃絶・被爆者援護・人類生存のために 49
第2会場 核戦争の脅威を除くために/剣持一己・佐藤行道・林茂夫 80
0727 『スクランブル』(東京平和委員会)
緊急座談会チームスピリットと80年安保…8
●私はこう見る自衛隊との深い関わりに注目林茂夫…17
●80年安保の検証軍事力急増方式と自衛隊の軍隊化林茂夫…34
1981
 0320 『日本の防衛と憲法 総合特集シリーズ』(日本評論社)
 今日の基地問題 林茂夫 162
 1009  『核時代と世界平和 シンポジウム』(平和運動30年記念委員会編、大月書店)
 V 防衛二法改定と自衛隊の軍隊化 林茂夫 179
1 はじめに 179
2 「交戦者」の権能明確化ねらう防衛二法改定 181
3 ボカされてきた自衛隊の「交戦者」の権能 186
1982
 0725  『自衛隊 その実態と軍事大国化とは 高校生のための現代社会, 3』(林茂夫・松尾高志著、東研出版)
1983
 0205  『市民の平和白書’83-平和への戦略』(渡辺俊介編、日本評論社)
 『防衛白書』総批判
1982年「防衛白書」の特徴とその問題点 林茂夫 180
 0525  『憲法と平和保障 総合特集シリーズ , 22』(日本評論社)
 無防備地帯構想とその発展 林茂夫 118
1985
 0105  『市民の平和白書’82-核時代の戦争と平和』(日本評論社)
 軍拡下の基地問題 林茂夫 143
1989 
 0815  『戦争不参加宣言 国際人道法が保障する自治体にできる平和保障』(日本評論社)
 1992
0428  『PKO問題の争点』(緑風出版編集部編、緑風出版)
 国連のPKO活動と日本 林茂夫 9
1993
 0525  『「国際貢献」の旗の下、日本はどこへ行くのか』(高文研)
 1995
 0730  『反戦平和の思想と運動 コメンタール戦後50年 第4巻』(吉川勇一編、評論社)
  自治体の平和政策はいま 林茂夫・241
1115 『Q&Qの時代を生きる 平和・非核への新たな挑戦』(林茂夫、日本評論社) U
1996 
 0119  『近現代史の真実は何か 藤岡信勝氏の「歴史教育・平和教育」論批判』(藤原彰・森田俊男編、大月書店)
 第二部 いま求められる平和教育とは
5 今日の自衛隊と安保条約 林茂夫 …246
 1999
 0315 『日米新ガイドラインと周辺事態法 いま「平和」の構築へ選択を問い直す』(山内敏弘編、法律文化社)
  第8章 ACSAをめぐる問題 林茂夫 115
 0625  『日本原爆論大系 第6巻 核兵器禁止への道Ⅲ』(岩垂弘 [ほか]、日本図書センター)
第2章 非核自治体運動とは何か
非核都市宣言の理念と目的(林茂夫)112
2004
0718 永眠。享年75歳。
 <以下未入力

北西英子

北西英子

きたにし・ひでこ 1929****生19990717没 享年70歳 「広島女性史研究会」の代表

資料年表:北西英子<作業中

年月日
1929
**** 誕生
1987
0120 『ヒロシマの女たち』(広島女性史研究会編著、ドメス出版)
1991
0331 『広島市公文書館紀要 第14号』
北西英子「近・現代広島女性の歩み」
1998
0411 『ヒロシマの女たち 続』(広島女性史研究会編著、ドメス出版)
あとがき…186 北西英子
1999
0717 死亡。享年70歳

坪田正夫

坪田正夫

つぼた・まさお 19240116生19910718没 享年67歳 大阪市生野区原爆被害者の会会長。

坪田正夫年譜

出典:『かの一ぱつの原爆に』(新樹社、19920720))
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DDT革命

『DDT革命 占領期の医療福祉政策を回想する』((C.F.サムス著、竹前栄治編訳、岩波書店))

内容

1 日本進駐
2 ペリメーター(前進区域)
32 原爆に関する命令
42 サムス、厚生省訪問
3 東京
52 旧陸海軍病院要図(1944年)
56 浮浪児
4 GHQ公衆衛生福祉局の設置
5 日本文化との出会い
6 食糧・栄養問題
106 栄養調査に見る食堂
113 食糧放出年表(1946.1―1946.8)
122 学校給食
7 予防医学の導入
134 DDTの歌
144 中東チフス使節団と日本占領
152 府中刑務所での人体実験
162 卵ワクチン紛失事件
172 ”日本脳炎”命名の由来
176 日本B型脳炎感染経路の追求
 183 《性病》
200 BCG騒動
8 衛生統計
9 保健所制度の改革
214 厚生省衛生三局の発足のいきさつ
216 保健所組織の機構
218 モデル保健所
223 県衛生部設置のいきさつ
226 公衆衛生院カリキュラム
10 医学教育・病院管理・医師会など
244 インターン制度
250 13人委員会
263 《日本医療団=国家総動員法の一環として設置》
164 《軍医のレッド・パージ》
11 看護改革
12 製薬産業
284 ペニシリン
292 国立予防衛生研究所の新設―伝染病研究所からの分離
13 獣医
14 ABCC
308 ABCC設置に関する報告書
312 いったい何のために調べるのか―ABCCへの被爆者の反感
15 麻薬
16 社会福祉
336 ララとケア
17 社会保障
354 アメリカ社会保障制度調査団
18 コミュニスト
378 岩ケ崎事件
19 人口問題
20 占領の要約
21 日本での生活
414 コリアン・エピソード
解説 419
1 サムスのプロフィール
《1902年4月1日、イリノイ州セントルイス生まれ》
2 本書の特色
3 戦後医療福祉改革の意義
あとがき
占領下の医療福祉年表(サムス関係)
索引

 

竹前栄治

竹前栄治

14 2015 たけまえ・えいじ 84 占領史研究家。出版社の叢書執筆者の会合で同席。介護犬同伴だったことに強い印象。

資料年表:竹前栄治

年月日
1930 誕生
0804
1972
1230 『日本占領 共同研究』(思想の科学研究会編、徳間書店)
3占領政策をめぐって 対日労働政策-竹前栄治 401
1980
0731 『占領戦後史 対日管理政策の全容』(双柿舎)
1983
0228 『証言日本占領史 GHQ労働課の群像』(岩波書店)
1986
0811 『DDT革命 占領期の医療福祉政策を回想する』(C.F.サムス著、竹前栄治編訳、岩波書店)
1987
0228 『日本占領の研究』(坂本義和 [ほか]編、東京大学出版会)
7 革新政党と大衆運動 竹前栄治 243
はじめに 243
1.GHQの初期政党政策 246
2.政党の再建と労働運動の再生 258
3.むすび-連続性と非連続性 270
1988
1121 『占領と戦後改革 (岩波ブックレット シリーズ昭和史, No.9) 』(岩波書店)
1991
0124 『九人の語る戦争と人間』(三宅明正・若桑みどり編、大月書店)
敗戦と占領 竹前栄治 133
作業中
2015
0714 死亡。

灰墟の光 甦えるヒロシマ

『灰墟の光 甦えるヒロシマ』(ロベルト・ユンク著、原田義人訳、文芸春秋新社)

内容<作業中

メモ
1 空虚と混乱(1945年)
書物
原子砂漠
大洪水のあと
孤児とやくざ
位牌
2 新たな開始(1946-1948年)
夢見る人
たけのこ生活
〈アトム・ボーイ〉
〈杖さん〉
3 平和の町(1948-1952年)
わが道を行く人びと
こわし屋
殺人
八月六日
草履
4 生き残った人びと(1953-1957年)
救援の人たち
冷たい人たち
破滅にさからう二人
エピローグ
訳者あとがきに代えて

 

田中隆荘

田中隆荘

たなか・りゅうそう 1925生20080714没 享年82歳 生物学者。広島大学学長・広島市立大学初代学長。

資料年表:田中隆荘

年月日 事項 備考
1925
**** 生誕生
1977
0910 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死没者慰霊行事委員会)
第3節 植物学分野(藤田哲夫、安藤久次、田中隆荘)12
1.原子爆弾の植物に対する影響調査のこと 12
2.被爆後爆心地附近に生じた雑草の調査と標本展示 16
3.被爆後広島市に残存または出現した蘚苔類の研究 16
4.原子爆弾による被害植物の解剖学的研究 17
1985
0501 『政治経済セミナー 5月号 第1029号』(政治経済セミナー社)
無限の可能性クローン植物 24
田中隆荘(広島大学理学部長)「バイオテクノロジーの世界」
0701 『政治経済セミナー 7月号 第1031号』(政治経済セミナー社)
座談会・広島県勢活性化と農業 30
生産構造・貿易摩擦・バイオテクノロジー
竹下虎之助・桑田束稲・小野誠志・橋本宗利
田中隆荘
1987
0301 『政治経済セミナー 3月号 第1051号』(政治経済セミナー社)
世界蘭会議とその背景 8
広島大学理学部教授 田中隆荘
1201 『政治経済セミナー 12月号 第1060号』(政治経済セミナー社)
大正生れ 哀歓の昭和史 34
広島大学理学部長 田中隆荘
1988
0501 『政治経済セミナー 5月号 第1065号』(政治経済セミナー社)
放射光利用研究センターの設立は地域活性化に役立つ 8
田中隆荘 広島大学理学部長
櫟本功 広島大学経済学部教授
1989
0521 広島大学学長就任。歴代学長 | 広島大学 (hiroshima-u.ac.jp)
大正14(1925)年広島県生まれ。広島高等師範学校・広島文理科大学卒業後、広島大学理学部教授等、広島大学評議員、同理学部長を経て、平成元(1989)年、広島大学長に就任。平成20(2008)年死去。専門は植物学。
1990
01 『けんみん文化 1990年1月号第5巻第10号』(県民センター)
けんみん・えっせい 自然と文化 田中隆荘 1
0630 『ひろしま新時代 21世紀への可能性を探る』(香川不苦三著 中国新聞社編、中野出版企画)
第8章 生活環境
アルボレータム(樹林園) 広島大学学長 田中隆荘 132
1991
0926 原爆遺跡保存運動懇談会、広島大学理学部1号館の保存を田中隆荘学長に請願。 C
1219 広島大学理学部1号館の保存を求める声がOBの9割達し、後藤陽一名誉教授らが田中隆荘学長に保存策の検討を要請。 C
1993
0528 広島市、「ひろしま新世紀都市ビジョン懇談会」(座長:田中隆荘前広島大学学長)の第3回会合。朴子アドジャパン社長が広島市の「国際平和文化都市」の「平和」は「なぜ広島に原爆が落とされたかという視点が欠けている。加害面を無視したアンフェアな平和運動だったのではないか」と指摘。 C
1994
0415 平岡広島市長、開学した広島市立大学(田中隆荘学長)の第1期生を対象に講演。
1998
0707 『21世紀への平和と創造』(嶋矢志郎、渓水社)
発刊に寄せて…広島市立大学学長田中隆荘…i
1999
0215 『荒木武追想録-ヒロシマの心を世界へ燈々無盡』(荒木武追想録刊行委員会)
田中隆荘 85
1001 『核廃絶への新たな挑戦-東京フォーラムの意義と課題』(広島市立大学広島平和研究所)
広島市立大学長挨拶 田中隆荘氏…4
2008
0714

 

 

沼田鈴子と白梅女子短大学教養科平賀ゼミ(近現代史)

沼田鈴子と白梅女子短大学教養科平賀ゼミ(近現代史)

宇吹メモ(1995~96年)より<敬称略>

月日 事項 備考
1995
0131 平賀明彦(一橋の藤原彰ゼミ)より自宅に電話。白梅女子短大の学生の研修旅行に広島を選びたいので相談に乗って欲しい。5月の21日ごろからを予定
0502 広島シティ・ホテルへ電話。会場は6時以降ならあるとのこと。早めに予約するよう言われる。平賀に電話。
0509 M先生(「ヒロシマを語る会」のメンバー)から電話。証言は沼田鈴子に頼んだ。21日6時~7時、広島シティホテルでと伝えてある。住所=東区矢賀新町***。TEL***。昼間は大体平和会館に居る筈。
平賀明彦(東京・白梅女子短大学教養科)に電話。被爆体験証言者の沼田鈴子に連絡を取るよう伝える。
0517 沼田鈴子の自宅へ電話。21日の白梅の件を依頼。
0521 出勤。白梅の学生に話すためのスライド準備。5時半、広島シティホテル到着。平賀と話す。5時50分ごろ沼田鈴子が来る。沼田が朝フロントに預けていた荷物が見つからずに大騒ぎをしたが、既に講演会場に運ばれていた。
平賀の話=今日は、原爆資料館には入館せず、平和公園の見学やビデオ「ヒロシマ母たちの祈り」の鑑賞
18:00平賀ゼミ(近現代史)2年生15人と一緒に、広島シティ・ホテルで沼田鈴子の話を聞く。皆、熱心に聞き、沼田も一生懸命話す。7時までの予定が、8時40分までとなる。終了後、沼田を自宅まで私の車で送る。
0522 白梅女子短期大学平賀ゼミ一行への講演。於原医研講堂。-10時40分。Nがスライド係。寝ても良いと初めに言っておいたら、昨夜の疲れか、半分くらいは寝ていた。陸軍墓地まで案内して別れる。謝礼として菓子と1万円を貰う。両方をNに渡す。
平賀の話=これから原爆資料館などの見学、明日は、自由行動の予定。夏にゼミの卒業生と広島に再び来たい。その節にもよろしく。
その後
1220 K、来所。Kの話=Kは、どの会にも属さず、フリー。沼田鈴子は、ヒロシマを語る会を離れフリーになった。
1996
0304 T(自衛隊学校教官)来所。原爆検閲が緩んだ最大の原因は、東京裁判の結審との仮説。太平洋史観などをめぐり大いに論争する。沼田鈴子に会って、彼女の歴史観に「自虐的歴史観」との批判を持つ。彼女からは、自衛隊は嫌いとの非難を受けた由。
0807 F(長崎被爆者団体代表)来所。**がまとめた沼田鈴子の伝記や栗原貞子について私が見解を述べたので話が長くなってしまった。Fは今回二人に会う予定とのこと。
1011 T(自衛隊学校教官)来所。戦略爆撃調査団の報告書の原文を一部コピー。2月にアメリカ軍の研究者との意見交換の会合に出席する由。沼田鈴子に事務所!!で会ってきたとのこと。