山崎与三郎
やまさき・よさぶろう |
19760704没 |
享年86 |
資料
体験記 『吾家の原爆体験記 死線を越えて』(山崎与三郎、19730715)
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目次 |
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1 |
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はしがき |
2 |
山崎基定(長男) |
あの日の思い出 |
3 |
山崎キミ( 妻) |
家の下敷から救われた命 |
4 |
八木道子(長女) |
灰燼の中に幼児を抱きて |
5 |
山崎与三郎(父) |
死線を越えて |
6 |
あとがき |
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編著書
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原爆関係文献目録 広島・長崎を中心とする |
山崎与三郎編、千田書房 |
19540723 |
U |
原爆被災資料総目録 第二集 |
原爆被災資料広島研究会 |
19700806 |
U |
創立百周年記念誌 |
広島市立本川小学校 |
19730110 |
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平和の聖都ひろしま 広島巡礼案内 |
山崎与三郎著 高橋謄写堂 |
19750720 |
U |
吾家の原爆体験記 死線を越えて |
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大原三八雄
19920706没 |
おおはら・みやお |
享年87 |
「広島詩集 1965」(広島県詩人協会)、「世界原爆詩集」(角川文庫)を編集。広島女子大学・広島工業大学名誉教授。『広島県現代文学事典』 |
『今中次麿―生涯と回想』(今中次麿先生追悼記念事業会編、法律文化社、19820415)
目次
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まえがき |
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Ⅰ |
私の政治学の歩み |
今中次麿 |
Ⅱ |
時々事々 |
今中次麿 |
Ⅲ |
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Ⅳ |
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Ⅴ |
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Ⅵ |
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Ⅶ |
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今中先生と平和運動―広島大学人会を中心として |
佐久間澄 |
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回想の五十年 |
今堀誠二 |
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今中先生を偲んで |
後藤陽一 |
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今中先生を偲ぶ |
佐藤正夫 |
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留守番としての交わり |
山代巴 |
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今中先生の笑顔 |
狭田喜義 |
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今中先生と私 |
山口利男 |
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今中先生を偲んで |
石田明 |
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マルキシズムを超えることだ |
中村吉男 |
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「畏敬」の対象としての先生 |
山田浩 |
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今中先生のこと―思い出すままに |
大西典茂 |
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今中門下の末っ子として |
北西允 |
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広島大学時代の先生 |
池田重久 |
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今中先生の思い出―「今中大学日記」寄託のことなど |
頼和子 |
Ⅷ |
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Ⅸ |
学者として、人間として―父を語る |
今中比呂志 |
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今中次麿年譜 |
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遺稿目録 |
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あとがき <大西典茂・北西允・中村義知・山田浩 > |
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今中次麿(いまなか・つぎまろ)
18930409生19800726没 |
享年87 |
[52広島平和問題談話会](広島大学政経学部教授)。[54世界平和集会世話人(発起・常任)]。広島大学名誉教授。世界平和評議会評議員、第1回原水爆禁止世界大会議長、広島平和教育研究所議長。『広島県大百科事典』(中村義知・記)。 |
略年譜
年月日 |
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18930409 |
広島市中区国泰寺町1丁目20番地に生まれる |
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19450529 |
東京大空襲 |
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19450630 |
東亜研究所を辞職し、家族全員で長野県佐久郡に疎開。 |
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19450806 |
原爆のため兄の権六夫婦被爆。そのため妻とともに広島に向う。 |
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195304 |
広島大学政経学部教授として九大法学部から配置換え。 |
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平和と学問を守る大学人の会代表理事 |
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1972 |
広島平和教育研究所研究会議議長 |
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19800726 |
午前5時45分、死亡。 |
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1912生19910719没 |
享年78 |
広島女学院大学名誉教授。広島滞在中、折鶴の会・ワールド・フレンドシップ・センター などの平和運動に参画。1980年には広島市の特別名誉市民に選ばれる。 |
『ヒロシマのこだまに メアリ・マクミランと広島』(藤原茂編、溪水社 [渓水社]19800525)
部 |
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荒木武(広島市長) |
いつまでもお元気で |
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原田東岷 |
また会いましょうメアリさん |
1 |
アメリカから広島へ |
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1. 幼いころ 2.学生時代 3.日本へ |
2 |
なつかしいヒロシマの人々 |
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女学院の人たち |
松本卓夫先生 元吉潔先生 原田寿先生 熊田ムメ先生 河本一郎君 岩崎大介さん 多田公夫さん |
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被爆者の人たち |
宋年順さん かみさこおばさん 池田ハツヨさん ふじやまのおばあちゃん |
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仲間たち |
松原静江さん 松原静一さん 室積康也さん 藤本みどりさん |
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お世話になった人たち |
日吉未亡人 今石あきさん 原田東岷さん 銀行家の小田氏 |
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教え子たち |
今田あやめさん 今田さん 芝間タヅさん 石国ふみこさん 中本博子さん 秦知子さんのことなど |
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宣教師仲間 |
ウィリー・富樫さん グレース・ウィルソン 宗像基牧師 |
3 |
資料編 |
1947年~ 1980年 |
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年譜 |
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あとがき |
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目次
『戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡 上・下』(若尾祐司・小倉桂子編、名古屋大学出版会、2018年7月10日)
目次
上巻 |
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ロベルト・ユンク「広島での出会い |
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第一編 共同作業に向けて-一九五七年五月末から同年末まで |
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概要
小倉書簡(一九五七年五月二五日~一二月三〇日)
解説1 浜井信三インタビュー
解説2 ロベルト・ユンクの動向(一) |
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第二編 反核平和運動の高まりの中で-一九五八年一月から同年五月まで |
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概要
小倉書簡(一九五八年一月八日~五月二七日)
補遺(一九五八年六月初旬~九月四日)
解説1 中央公論一九五八年八月号「ヒロシマ-その後十三年」
解説2 ロベルト・ユンクの動向(二) |
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第三編 被爆当時と後障害の究明-一九五八年九月から五九年一月まで |
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概要
小倉書簡(一九五八年九月八日~五九年一月二九日)
解説1 長岡省吾インタビュー
解説2 医師へのインタビュー
解説3 ロベルト・ユンクの動向(三) |
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下巻 |
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第四編 戦後の生活と性の現場へ-一九五九年二月から同年五月まで |
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概要
小倉書簡(一九五九年二月二日~五月二九日)
解説1 遊郭関係者へのインタビュー
解説2 ロベルト・ユンクの動向(四) |
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第五編 平和を求めて生きる人々-一九五九年六月から同年一〇月半ばまで |
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概要 486
小倉書簡(一九五九年六月三日~八月二四日と九月一五日~一〇月一三日)
解説1 河本一郎インタビュー
解説2 広島市観光課へのインタビュー
解説3 ロベルト・ユンクの動向(五) |
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付録 小倉馨の人と生涯 |
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1 小倉馨関係年譜
2 小倉桂子インタビュー
3 追記 |
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小倉馨
おぐらかおる |
19201013生 19790713没 |
享年58 |
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広島平和文化センター事務局長(1977年~)。[69原爆被災資料広島研究会]。原爆資料館館長。『広島県史 原爆資料編』の英文資料翻訳でお世話になる。 |
資料年表:小倉馨
本 |
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『戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡(上・下)』(若尾祐司、小倉桂子編 、名古屋大学出版会 2018年7月10 日) |
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『ヒロシマに、なぜ 海外よりのまなざし』(小倉馨、 溪水社、1979年7月20日) |
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志水清
資料
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『志水清教授退官記念 業績目録』(志水清教授退官記念事業会、19700815) |
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『広島大学原爆放射線医科学研究所附属国際放射線情報センター所蔵 志水清資料目録(原爆関係資料)』(広島大学放射線医科学研究所附属国際放射線情報センター、20100201) |
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