日 | 没年 | 名前 | よみ | 享年 | 備考 |
01 | 1974 | 竹内釼 | たけうち・けん | 1890年1月6日、福岡県生。 |
略歴
年月日 | 事項 |
1980.1.6 | 福岡県に生まれる。 |
1915. | 旧制第5高等学校(熊本)を経て、東京帝国大学医科大学医学部卒業。 |
1916. | 陸軍軍医中尉に任官。近衛師団に配属。 |
1919. | 陸軍軍医学校外科主任教官となる。 |
1926. | ドイツ留学(2か年)。帰途渡米視察。 |
1940. | 中国派遣(約1年) |
1939. | 広島日本赤十字病院新設のため責任者となり、設立と共に初代院長となる。 |
1945.8.6 | 院長室にて執務中被爆、二昼夜人事不省、6ケ所骨折の重傷。 |
1947 | 昭和天皇御訪広に際し、広島被爆の状況について御前講演。 |
1948 | 広島日本赤十字病院再建復興なり、辞職。 |
1974.8.1 | 逝去。 |
出典:『竹内釼画集』(竹内辰五郎、2005年3月) |
<宇吹メモ>「廃墟に立てば去りがたし」(『月刊中国 8月号』中国新聞社、1946年8月)に被爆時の体験を記す。