『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)への宇吹コメント
| 1 | 死線を越えて | ||
| 懲罰召集にかけられる/高指令部付の二等兵に/祖国に生還/反東上運動に奔走/大政/翼賛会に飛び込む/技術者運動の先頭に立つ/ヒロシマ原爆の投下 | |||
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『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)への宇吹コメント
| 1 | 死線を越えて | ||
| 懲罰召集にかけられる/高指令部付の二等兵に/祖国に生還/反東上運動に奔走/大政/翼賛会に飛び込む/技術者運動の先頭に立つ/ヒロシマ原爆の投下 | |||
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松前重義(逓信院総裁)褒状(広島逓信病院宛1945年9月17日)
2000年6月7日(撮影:宇吹)
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中西巌
| なかにし・いわお | ****生20230816没 | 享年93 | 旧被服支廠の保全を願う懇談会会長(初代)。『赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集』(旧被服支廠の保全を願う懇談会、2020/03/01) |
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『平和を実現する力―長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言』(四竃揚編、日本キリスト教団出版局、2009/06/20)
内容
| はじめに 3 | |||
| 推薦の言葉<<恵みのあと>>-被爆一家の証言 櫻井重宣 15 | |||
| Ⅰ | 沈黙の警告 四竃一郎 31 | ||
| あの日・広島・私 33 その六日間-佑子臨終記 47 父の見た佑子の性格 60 |
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| Ⅱ | ありし日の佑子 四竃わくり 65 | ||
| あの日の追憶 67 ありし日の佑子 71 |
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| Ⅲ | その記憶を語り継ぐために 四竃揚 101 | ||
| その死を超え行くもの 103 一人連れ出されて 109 |
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| Ⅳ | 聖書と讃美歌と祈りの日々 四竃更 139 | ||
| 姉と弟 141 被爆家族の舞台裏 152 |
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| Ⅴ | 少年の記憶 四竃招 165 | ||
| 思い出すまま 167 少年時代の思い出 171 五〇年ぶりに疎開地を訪ねて 175 |
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| Ⅵ | 弟たちへの手紙 四竃佑子 179 | ||
| 特別寄稿 戦友四竃更牧師 渡辺信夫 189 | |||
| あとがき 199 | |||
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四竈一郎
| しかま・いちろう | ****生19860821没 | 享年83歳 | 広島市基督教連盟委員長[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。[52広島平和問題談話会](日本キリスト教団広島協会牧師)。[54世界平和集会世話人(発起・常任)]。元広島県原水協代表理事( 被爆者)。『平和を実現する力 長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言』(四竈揚編、日本キリスト教団出版局、2009.6.20) |
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『日本よ国家たれ 核の選択』(清水幾太郎、文芸春秋、1980/09/25)
内容
| Ⅰ | 日本よ国家たれ 7 |
| 1、 天皇の権威 2、 第九条 3、 大戦の意味 4、 「東洋のスイス」 5、 戦国時代 6、 揺れ動く日本人 7、 「経済大国」へ 8、 崩れるバランス 9、 新しい戦後 10、 安全、平和、福祉 |
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| Ⅱ | 日本が持つべき防衛力 軍事科学研究会 103 |
| 一つのシナリオ 105 | |
| 米国の確認破壊戦略の崩壊 /十六分の一 /ミサイル外交 / 米ソと日本の関係 | |
| 日本攻撃のパターン 126 | |
| ソ連上陸四つのケース / 自衛隊の欠陥 / 大国にふさわしい軍事力 | |
| 核の選択と防衛力の強化 144 | |
| 空母部隊の新設 148 | |
| 航空防衛力の強化 151 | |
| 航空警戒管制組織 /地対空ミサイル /要撃戦闘機 /輸送船団の空中援護/ 戦術航空兵力/ 偵察航空兵力/ 航空基地の強化/ 輸送航空兵力 | |
| 海上防衛力の強化 159 | |
| 海峡防衛力 / 海上交通の防御能力 | |
| 陸上防衛力の強化 168 | |
| 日ソ師団の戦力比較/ 増援部隊用装備の備蓄/ 装備の増強 / 師団の改革計画 | |
| 必要の予算と総合対策 177 | |
| 国内対策 184 | |
| 国土戦 /忘れられてきた民間防衛/ 愛国心 /情報能力の充実/ 西ドイツの国家総動員体制 /収集能力の強化 /国家緊急権/ 分析・決定能力の強化 | |
| 防衛力としての技術 215 | |
| 輸入兵器の欠陥/ 小型空母の輸出/ 武 器輸出 | |
| 日本が持つべき防衛力 233 | |
| 「節操」と経験 「あとがき」に代えて | |
| 1 | |
| ~14 | |
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熊田秀雄
| くまだ・ひでお | 19040621生19580818没 | 享年54歳 | 金光教御幸教会初代教会長。『御幸教会五十年史 改りのあゆみ五十年―第一部―初代熊田秀雄の求道と布教』(熊田信道、金光教御幸教会、1986.5.9) |
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『御幸教会五十年史 改りのあゆみ五十年―第一部―初代熊田秀雄の求道と布教』(熊田信道、金光教御幸教会、1986.5.9)
内容
| 大道あや:カバー絵、カット |
| 丸木位里:トビラ絵(画集「原爆の図」より) |
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資料年表:奥久登<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1881 | ||
| 0422 | 誕生 | |
| 1950 | ||
| 0625 | 『ながれ』(村上哲夫著) | |
| 「悟道入りの野人 広島信用金庫理事長 奥久登」 | ||
| 1964 | ||
| 0505 | 『奥久登先生 思い出の記』(佐々木勲編、広島信用金庫・広島大学東雲同窓会・広島県農業協同組合連合会関係諸団体・広島県安芸郡坂小学校同窓会刊、19640505) | |
| 1974 | ||
| 0818 | 死亡。享年93歳。 | |
| 広島県内の小学校長,県商工水産課長,広島市助役,県信用購買販売組合連合会長などを歴任。昭和17年衆議院議員(日本進歩党)。戦後,広島信用金庫理事長,県教育委員長。 |
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「悟道入りの野人 奥久登」(『ながれ』所収)
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