『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版、1983/08/06)
内容
章 |
見出し |
|
|
|
はじめに 3 |
|
|
1 |
原爆投下直後 11 |
|
|
|
スイス政府を通じて抗議 アメリカ政府の返答 隠蔽政策の伝統 人生の岐路に立っていた 戦果を見にきた人びと |
|
|
2 |
受難の広島レポート 20 |
|
|
|
二つの現場報告 核実験場に汚染はなかった? 広島からの帰路 なぜ事実を隠すのか カメラ盗難・日本追放の仕打 |
|
|
3 |
広島への道 |
|
|
|
降伏調印式に背を向けて 従軍特派員として 太平洋を「分割」して取材 特攻隊、悲惨 沖縄で知った原爆投下 同盟通信の協力を得る 準備は整った |
|
|
4 |
広島--一九四五年九月三日 42 |
|
|
|
たった一人列車に乗る まわりは軍人だらけ 口に出せないヒロシマ 留置場で中村さんと会う 爆心地でタイプをたたく 広島レポート 削られた現場描写 私が書けなかったこと 勝部先生の忠告と訴え |
|
|
5 |
妨害工作 57 |
|
|
|
なぜ現場をみるのか アメリカ記者団の目的 立入り禁止となった東京 ヘンリー・キーズの活躍 ウェラー記者、長崎に入る 犯罪的なプレスコード |
|
|
6 |
日本人がみた広島 67 |
|
|
|
裏切られた希望 ”私だったら国を訴える” 想像を越える天皇の威信 東条英樹の運命 天皇崇拝とポツダム会談 |
|
|
7 |
二十六年後の広島 77 |
|
|
|
フリート街に別れを告げて ストックホルムアピールの頃 路上で、工場の門前で 人それぞれの感動 勝部先生との再開 中国新聞記者の述懐 ABCCと被爆者 |
|
|
8 |
ヒバクシャ 90 |
|
|
|
聴衆のさめた反応 被爆二世との出会い ”早くよくなって下さい” 被爆者の苦悩と不安 原爆病院で重藤先生にきく 岩国の畠中さんの話 勝部先生からの手紙 |
|
|
9 |
生存者の抵抗 106 |
|
|
|
不安定な生活基盤 このままでは救われない 裁かれざる犯罪 立ち上がる被爆者 一人ひとりの原爆 |
|
|
10 |
原爆製造のドラマ 116 |
|
|
|
ポツダム会談と原爆実験 ソ連に対抗するために ”戦争中に生きた目標に” ”権力者を仕事場に入れるな” 亡命した科学者たち ルーズベルトの決断 原爆という名の列車 |
|
|
11 |
原爆使用への誘惑 130 |
|
|
|
アルソス・グループ U計画の実態 ヒットラーと原爆 ニールス・ボーアの警告 グルーブズ将軍のあせり 科学者たちの抵抗 進退きわまった日本 ”戦争を終わらしてくれ” 原爆使用の最終決断 ポツダム会談の舞台裏 |
|
|
12 |
原爆パイロット 152 |
|
|
|
原爆を落とした側の苦悩 償いの日々 アンデルスのはげまし ノーモア・ヒロシマ 狂っているのは誰か ”手紙のように書きなさい” 原爆投下の朝 イーザリーの脱走 人間的感情への連帯 精神異常のレッテル 殺し屋ルメイの下で |
|
|
13 |
広島と冷戦 179 |
|
|
|
トルーマンとレーガン 外交の”切り札”として スチムソンの憂慮 チャーチルの対ソ認識 ギリシャで見たこと |
|
|
14 |
自殺するアメリカ 193 |
|
|
|
冷戦下のベルリンで 対ソ原爆使用の誘惑 ある政治的冒険家 一触即発のベルリン ”撃って撃って撃ちまくる” 挫折した軍事的冒険 危機の舞台は朝鮮に 一九八三年四月八日の記事 神聖な目的のための犠牲 モルモットにされた兵士たち 原爆放射に耐える実験 自殺するアメリカ |
|
|
|
|
|
|
|
訳者あとがき 220 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
止
資料年表:ウィルフレッド・バーチェット<作業中>
年月日 |
事項 |
備考 |
1911 |
|
|
0916 |
誕生。 |
|
|
|
|
1945 |
|
|
0905 |
デイリー・エクスプレス紙(英紙)19450905 |
|
|
「30日目の広島、逃げた者、死に始める 原爆の疫病の被爆者たち ”私はこれを、世界への警告として書く”」<出典:『広島県史 原爆資料編』19720331> |
|
|
|
|
1971 |
|
|
0801 |
『長崎の証言1971』(「長崎の証言」刊行委員会) |
|
|
「ベトナムへノーモア!」-二十六年ぶりの広島にて W・バーチェット 220 |
|
1972 |
|
|
0530 |
『広島・板門店・ハノイ バーチェット自伝』(ウィルフレッド・バーチェット、河出書房新社) |
|
|
|
|
1976 |
|
|
0101 |
『世界大百科年鑑 1976』(平凡社) |
|
|
(インドシナの年)1975-W.バーチェット/訳・武藤一羊 126 |
|
|
|
|
|
|
|
1983 |
|
|
0806 |
『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版) |
|
0927 |
死亡。 |
|
|
|
|
1985 |
|
|
0621 |
『被爆者援護法に関する第二次報告書』(日本弁護士連合会) |
|
|
第二 日米両国政府の被爆者に対する措置 45
三 米国は、被爆者に対する救援の必要性を認識していた 52
1 バーチェットの救援要請 52
2 マルセル・ジュノーの救援要請 52 |
|
0826 |
『花の幻 続・平和を作る人たち』(安藝基雄著、みすず書房) |
|
|
第1部
11 ヒロシマ・ノート 2141.市長の死 216
5.ジュノーとバーチェットの対応 253 |
|
|
|
|
1995 |
|
|
1005 |
『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』(笹本征男著、新幹社) |
|
|
第6章 原爆報道とプレス・コード 218
第1節 バーチェットの疑問 218
第11節 バーチェットの疑問への答え 253 |
|
|
|
|
1997 |
|
|
0520 |
『ユネスコ世界遺産 原爆ドーム 21世紀への証人』(中国新聞社) |
|
|
第1章 ドーム保存と世界遺産決定までの歩み
世界遺産に登録決定 63
(この人からの一言)
ウィルフレッド・バーチェット 51 |
|
|
|
|
2007 |
|
|
0715 |
『世界を不幸にする原爆カード ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた』(金子敦郎著、明石書店) |
|
|
第7章 カバーラップ 191
「被害」報道で批判浮上 「放射能被害はない」 バーチェット記者の特ダネ |
|
|
|
|
2014 |
|
|
0806 |
『原子力と核の時代史』(和田長久著、七つ森書館) |
|
|
ChapterⅠ 核分裂の発見から、ヒロシマ、ナガサキの悲劇[1898-1945年]
section2 広島、長崎への原爆投下 11
4 ウィルフレッド・バーチェット記者、ヒロシマを世界に報道 15 |
|
2015 |
|
|
0806 |
『”ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する 隠蔽されてきた日米共犯関係の原点』(柴田優呼著、作品社) |
|
|
第2章 アメリカが被爆体験の語られかたを創始する
―沈黙させられる被爆者
2.右往左往する海外メディア報道 79
バーチェットの「すっぱ抜き」 |
|
2016 |
|
|
0310 |
『核の戦後史 Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗・高橋博子著、創元社) |
|
|
第2部 核体制と戦後日本 Q&A…139
講義篇 機密解除文書から原発と核兵器推進体制の闇に迫る 140
②アメリカは、なぜ原爆による残留放射能の存在を認めなかったのですか?
/バーチェットのスクープ 159 |
|
0802 |
『世界の著名人が伝えていたヒロシマからの言葉』(佐藤美由紀著、双葉社) |
|
|
第2章 叫ばれる存在意義-1970年代から1980年代- 51
ジャーナリスト ウィルフレッド・バーチェット 52 |
|
|
|
|
2021 |
|
|
1130 |
『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社) |
|
|
第一四章 占領・・・・・418
バーチェット・深刻な放射線被害の記事 |
|
2022 |
『世界のリーダー185人ヒロシマ、ナガサキで発した「言葉」 オバマ大統領から、ローマ教皇、マリリンモンローまで』(三山秀昭著、南々社) |
|
|
第8章 5人のジャーナリスト
「ノーモア…」を発した欧米ジャーナリストたち…158
ルサフォード・ボーツ(アメリカ・UP通信記者)
ウィルフレッド・バーチェット(オーストラリア出身、英紙デイリー・エクスプレス記者) |
|
|
|
|
|
|
|
27 |
1983 |
バーチェット、ウィルフレッド・ |
72 |
ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット> |
止
バーチェット
27 |
1983 |
バーチェット、ウィルフレッド・ |
72 |
ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット> |
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。