資料年表:土門拳

資料年表:土門拳<作業中

年月日
1909
1025 誕生
1947
 0201  『婦人画報 第510号』(婦人画報社)
グラフ
文学五人女 土門拳 5 文学の女の世界 土門拳 9
1949
 1101  『女性改造 4巻11号』(改造社)
グラビヤ わが道 撮影・土門拳
1952
1201 『文芸春秋 第30巻第17号』(文芸春秋新社)
新東京ダイジェスト…カメラ 土門拳 109
1953
0901 『世界 第93号』(岩波書店)
内灘 清水幾太郎 65/中村靜治 81/写真・土門拳
1954
0201 『世界 第98号』(岩波書店)
内職 大原富枝・土門拳 161
0401 『世界 第100号』(岩波書店)
グラビヤ 「世界」を育てた人々(1) 土門拳
0701 『世界 第103号』(岩波書店)
グラビヤ・一九五四年メーデー 土門拳
0801 『世界 第104号』(岩波書店)
今日の世相-生活と賭と政治と
★グラビヤ 澱-おり- 土門拳
1955
0601 『知性 6月号 第2巻第6号』(河出書房)
《グラビア》
わたしの一日 亀井勝一郎 カメラ 土門拳 …15
0701 『知性 7月号 第2巻第7号』(河出書房)
《グラビア》
わたしの暮し 芥川比呂志 本誌特写・土門拳 …15
0901 『知性 9月号 第2巻第9号』(河出書房)
わたしの暮らし 岡本太郎 本誌特写 土門拳
1101 『文芸  第12卷第14號』(河出書房)
◇口繪◇佐多稲子の衣・食・住 土門拳
 1958
 0325  『ヒロシマ 土門拳 KEN DOMON HIROSHIMA』(土門拳、研光社)
0625  『現代日本写真全集 2 土門拳作品集』(土門拳、東京創元社)
グラフ
文学五人女 土門拳 5 文学の女の世界 土門拳 9
 1961
 0101  『Hiroshima-Nagasaki : Document 1961』(The Japan Council against Atomic and Hydrogen Bombs ; 原水爆禁止日本協議会 (日本原水協))
 ヒロシマ・ナガサキの記録
発行 原水爆禁止日本協議会
編集 ヒロシマ・ナガサキの記録編集委員会
構成 伊藤知己 重森弘滝 瀬木慎一
序文 湯川秀樹
写真 土門拳 東松照明
絵画 丸木位里 丸木俊子
文  長谷川竜生
本文執筆 草野信男 佐久間澄 畑敏雄
 1974
 0710  『死ぬことと生きること 続』(土門拳著、築地書館)
 1978
 0803  『生きているヒロシマ』(土門拳著、築地書館)
 1985
 0820  『ヒロシマ 土門拳全集10』(土門拳著、小学館)
1990
0915 死亡。享年80歳。
 2010
 1220  『広島県現代文学事典』
 「土門拳」(田中裕之・記)

資料年表:粟屋憲太郎

資料年表:粟屋憲太郎<作業中

年月日 事項 備考
1944
0611
1975
0701 『一億人の昭和史』(毎日新聞社)
昭和史における 二・二六事件の意味 粟屋憲太郎…243
1980
1030 『資料日本現代史2 敗戦直後の政治と社会(1)』(大月書店)
1981
0525 『資料日本現代史3 敗戦直後の政治と社会()』(大月書店)
1124 『日本ファシズム(1)国家と社会』(日本現代史研究会編、大月書店)
むすびと展望 181
原燥投下と人種主義 荒井信一 197
一 ドレスデンと広島 197
二 ハイド・バーク協定 200
三 対日投下決定の時期 204
四 広島原爆とカナダ 207
五 連合国首脳の人種主義 210
六 むすび 214
1985
0901 『世界  第479号』(岩波書店)
毒ガス作戦の真実 粟屋憲太郎・吉見義明 68
1988
1219 『象徴天皇制とは何か』(日本現代史研究会編、大月書店)
東京裁判と天皇粟屋憲太郎…29
1989
0711 『東京裁判論』(粟屋憲太郎著、大月書店)
報告IV 東京栽判と天皇「独白録」 粟屋憲太郎 125
討論 149
1991
0124 『九人の語る戦争と人間』(三宅明正、若桑みどり編、大月書店)
東京裁判からなにを学ぶか 粟屋憲太郎 97
0320 『徹底検証・昭和天皇「独白録」』(藤原彰 [ほか]著、大月書店)
1994
0120 『消された秘密戦研究所』(木下健蔵著、信濃毎日新聞社)
参考資料
5 日本における生物化学兵器の歴史について(粟屋憲太郎)
0725 『戦争責任・戦後責任 日本とドイツはどう違うか 朝日選書』(栗屋憲太郎、田中宏、広渡清吾、三島憲一、望田幸男、山口定著、朝日新聞社)
第二章 東京裁判にみる戦後処理  粟屋憲太郎 73
0915 『未決の戦争責任』(粟屋憲太郎著、柏書房)
0930 『東京裁判への道 NHKスペシャル』(粟屋憲太郎、NHK取材班 著、日本放送出版協会)
II 東京裁判と昭和天皇 粟屋憲太郎 197
1118 『田中隆吉尋問調書』(粟屋憲太郎・安達宏昭・小林元裕編、岡田良之助訳、大月書店)
1227 『毒ガス戦関係資料 十五年戦争極秘資料集18』(粟屋憲太郎・吉見義明編、不二出版)
1995
0131 『問い直す東京裁判』(アジア民衆法廷準備会編、緑風出版)
第1章 東京裁判を考える 粟屋憲太郎・19
0315 『戦争と庶民 1940-49  1 大政翼賛から日米開戦(朝日歴史写真ライブラリー)』(佐藤靖編、朝日新聞社)
解説
〈この時代まで〉一九四〇年にいたる道 粟屋憲太郎 28
最後の政党人となった斎藤隆夫 粟屋憲太郎 169
 0610  『昭和20年 1945年 最新資料をもとに徹底検証する』(藤原彰・粟屋憲太郎・吉田裕編、小学館)
 0615  『戦争と庶民 1940-49  4進駐軍と浮浪児(朝日歴史写真ライブラリー)』(佐藤靖編、朝日新聞社)
 東京裁判 粟屋憲太郎 52
1996
 0119  『近現代史の真実は何か 藤岡信勝氏の「歴史教育・平和教育」論批判』(藤原彰・森田俊男編、大月書店)
 15 「東京裁判史観」とは 粟屋憲太郎 …158
 0831  『レーリンク判事の東京裁判 歴史的証言と展望』(B・V・A・レーリンク、A・カッセーゼ著、小菅信子訳、粟屋憲太郎解説、新曜社)
1206  『現代史発掘』(粟屋憲太郎著、大月書店)
1997
  0301  『悪魔の兵器の廃絶をめざして』(毒ガス展実行委員会)
 報告
(1)東京裁判における毒ガス戦の免責
粟屋憲太郎:立教大学教授 14
2019
0911 没。享年75歳。

粟屋憲太郎

あわや・けんたろう 19440611生20190911没 享年75歳 日本近現代史研究者。著書に『東京裁判への道』など。1944年 6月11日生<資料年表:粟屋憲太郎>

粟屋憲太郎

粟屋憲太郎

あわや・けんたろう 19440611生20190911没 享年75歳 日本近現代史研究者。著書に『東京裁判への道』など。1944年 6月11日生<資料年表:粟屋憲太郎>

資料年表:湯川秀樹

資料年表:湯川秀樹<作業中

1907
0123 誕生
1942
1121 『原子核及び宇宙線の理論』(湯川秀樹・坂田昌一著、岩波書店)
1945
0101 『科学朝日 第5巻第1号通巻40号』(朝日新聞東京本社)
科学時評・原理と実際について 湯川秀樹…5
1001 『科学朝日 第5巻第14号通巻53号』(朝日新聞東京本社)
続・新生の科学日本に寄せる…21
眞島利行・富塚清・湯川秀樹・櫻田一郎
対話 人間の進歩について 小林秀雄・湯川秀樹…2
十九世紀と二十世紀▽自由について▽二元論的立場▽物性と生▽藝術とは▽道具としての言葉▽科学者とは▽生活と作品▽表現について▽モツアルトのこと▽再び言葉について▽仕事ということ▽直覚について▽年令のこと▽ドストイエフスキー▽物性の制約▽原子爆弾▽人間対神▽政治について▽日本人について
1948
0801 『新潮 第45卷第8號』(新潮社)
0901 『科学朝日 第8巻第9号通巻87号』(朝日新聞東京本社)
渡米を前にして 湯川秀樹 39
1215 『原子と人間』(甲文社)
1950
0101 『科学朝日 増大号 第10巻第1号通巻103号』(朝日新聞東京本社)
グラビア
ノーベル賞に輝く湯川秀樹博士 3
本文
湯川理論をたたえる オッペンハイマー 11
ノーベル賞を受けて日本の皆さんへ 湯川秀樹 12
1001 『時事世界  4巻10号通巻39号』(時事世界社)
母國に錦を飾る湯川秀樹博士
1951
0401 『自然 第6巻第4号 通巻60号』(中央公論社)
仁科芳雄博士追悼特集
仁科芳雄先生の思い出 湯川秀樹 62
1225 『六年間の記録 終戦から講和まで 写真画報 Camera特別臨時増刊』(カメラ編集部、アルス)
湯川秀樹博士にノーベル賞@157
1952
1001 『改造 33巻14号』(改造社)
日本の科学《對談》 湯川秀樹・坂田昌一 20
1954
0501 『文芸春秋 第32巻第7号』(文芸春秋新社)
岐路に立つ原子力時代(特集)
活かせ原子力! 坂田昌一・菊池正士・湯川秀樹・佐治淑夫 60
0501 『ついに太陽をとらえた-原子力は人を幸福にするか』(読売新聞社 編・刊)
序 湯川秀樹 1
0720 『六年間の記録 終戦から講和まで』(カメラ編集部・桑原甲子雄編、アルス)
湯川秀樹博士にノーベル賞@157
1110 『原子力発電の経済的影響』(Sam H. Scharr, Jacob Marschak監修・森一久訳、東洋経済新報社)
序 湯川秀樹 ⅴ
1955
0920 『写真でみる戦後日本 10年の歩みを記録する』(朝日新聞社編・刊)
文化と風俗……12
湯川秀樹博士わが国初のノーベル賞を受く―花の教祖、勅使河原蒼風氏―第十一回文化勲章受賞者
1956
0101 『キング 第32巻第1号』(大日本雄弁会講談社)
学問は指しきるつもりで 湯川秀樹 70
0401 『アサヒグラフ 第1649号』
戦争否定の思想を 湯川秀樹
0501 『婦人公論 5月号第469号』(中央公論社)
湯川秀樹「現代に生きる科学者の良心」  52
0815 『原子力と私たち 河出新書』(末次攝子、河出書房)
序文 湯川秀樹 3
1957
0225 『岩波講座現代思想第7巻 科学と科学者』(岩波書店)
Ⅱ 現代科学の方法と成果
湯川秀樹・井上健 「現代物理学の方法」41
0901 『世界  第141号』(岩波書店)
原水爆の追放
科学と道徳 湯川秀樹 30
1958
1110 『原子力と平和利用』(長崎民友新聞社)
(記事編)1.原子力発展の歴史 湯川秀樹 等 1
以下雑誌未入力
1961
0731 『原水爆被害白書-かくされた真実』(原水爆禁止日本協議会専門委員会編、日本評論新社)
序/湯川秀樹/安井郁
1963
0125 『平和時代を創造するために 科学者は訴える 岩波新書476』(湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一編著)
1965
0715 『広島詩集1965 原爆投下20年号』(広島詩集編集委員会編、広島県詩人協会)
湯川秀樹「跋 」
0820 『核戦略批判 岩波新書』(豊田利幸著、岩波書店)
「本書に寄せて 湯川秀樹」
1968
0806 『広島碑林』(三田嘉一著、三田蝋染堂)
 湯川秀樹歌碑  広島市平和記念公園 16
0820 『核時代を超える 平和の創造をめざして 岩波新書687』(湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一編著、岩波書店)
1028 『平和の思想 戦争と平和6』(末川博総編集・湯川秀樹編、雄渾社)
1969
0320 『素粒子 岩波新書』(湯川秀樹・片山泰久・福留秀雄著)
1981
0908 没。享年74歳

 

湯川秀樹

ゆかわ・ひでき 19070123生19810908没 享年74歳 1949年日本人として初のノーベル物理学賞受賞。[原水爆禁止世界大会日本準備会代表委員]。[日本原水協代表委員]。「世界平和アピール七人委員会」メンバーとして平和運動にも尽力。[70ヒロシマ会議]

湯川秀樹

湯川秀樹

ゆかわ・ひでき 19070123生19810908没 享年74歳 1949年日本人として初のノーベル物理学賞受賞。[原水爆禁止世界大会日本準備会代表委員]。[日本原水協代表委員]。「世界平和アピール七人委員会」メンバーとして平和運動にも尽力。[70ヒロシマ会議]

資料年表:大山広司

資料年表:大山広司<作業中

年月日
1918
**** 誕生
1951
**** 県議会議員選挙で初当選。
1954
0625 『ながれ』(村上哲夫)
大山広司(広島県会議員)「戦争と青年議員」 389
「県会では青年議員である。太平洋戦争が起きてから幹部候補生として広島西部に部隊の営門をくぐった。」
ooyamahirosi_01
“https://hiroshima-ibun.com/wp/wp-content/uploads/2023/09/ooyamahirosi_01.pdf”
2004
10 『広島県政の最長老・生き字引 大山広司 〔広島〕県議会議員自由民主党 広島県議会議員会 五十四年の政治・人生行路を語る』(展望社)
2005
**** 『広島県議の半世紀 : 五人の知事に相まみえて : 大原博夫氏・永野巌雄氏・宮澤弘氏・竹下虎之助氏・藤田雄山氏』(大山広司・述、大平泰・記、溪水社、2005)
 2006
1025 県庁で記者会見、来春の統一地方選に出馬せず引退すると表明。連続14回当選し、現職都道府県議の最高齢で当選回数も最多。2004年7月に元滋賀県議、故北川弥助氏の記録を抜き、25日で在職2万268日。<在職55年の県議が引退表明/最長記録の広島・大山氏 | 全国ニュース | 四国新聞社 (shikoku-np.co.jp)
2009
0904 死亡。享年91歳。

 

大山広司

大山広司

おおやま・ひろし 1918******生20090904没 享年91歳 元広島県議会議長、元全国都道府県議会議長会会長。『広島県議の半世紀 : 五人の知事に相まみえて : 大原博夫氏・永野巌雄氏・宮澤弘氏・竹下虎之助氏・藤田雄山氏』(大山広司・述、大平泰・記、溪水社、2005)<資料年表:大山広司>

資料年表:岩佐幹三

資料年表:岩佐幹三<作業中

年月日 事項 メモ
1929
**** 誕生
1945
0806 修道中学校在学。 16歳。広島市富士見町の自宅庭で被爆。母と妹を亡くす。
 1960
 ****  石川県原爆被災者友の会を設立。
 1983
0615 『広島・長崎を考える平和ゼミナール記録集1 ヒロシマヘの旅』(全国大学生活協同組合連合会)
●講演 :岩佐幹三「くらしと平和」  16
1984
0108 『石川県平和委員会のあゆみ 再建20周年を記念して』(石川県平和委員会)
祝いのことば一決意と連帯一 (2)岩佐幹三
1215 『広島・長崎を考える平和ゼミナール記録集4  PEACE NOW! HIROSHIMA ’84』(全国大学生活協同組合連合会)
PEACE NOW! HIROSHIMA’84
開会集会・あいさつ 岩佐幹三 4
被爆問題国際シンポジウム報告書
一九七七年国連NGOシンポジウム調査
一般調査に関する報告 岩佐幹三 (1)
1986
0325 『鶴よはばたけ 「再び被爆者をつくらぬ」ために 創立二十五周年記念』(石川県原爆被災者友の会)
1990
0310 『被爆者援護法 核時代の人権宣言 かもがわブックレット 25』(被爆45周年に被爆者援護法を実現する京都の会編、かもがわ出版)
1 ひたたび被爆者をつくらぬために 岩佐幹三 5
被爆体験を語り継ぐ/なぜ援護法なのか/わたしのヒロシマ体験/原爆は人間に
1994
0625 『原爆被害者調査 ヒロシマ・ナガサキ死と生の証言』(日本原水爆被害者団体協議会編、新日本出版社)
岩佐幹三「はじめに 日本被団協原爆被害者調査結果から読みとったこと」  17
1995
0401 『被爆者援護法国会審議参考人の意見陳述 東友文庫 , 8』(東京都原爆被害者団体協議会(東友会))
参議院厚生委員会・参考人質疑
横川嘉範 …33
岩佐幹三 …47
0730 『青い空を いしかわの被爆者たちの50年』(石川県原爆被災者友の会編、若草書房)
第三部 被爆者運動
友の会の活動 西本多美子…141
被爆者の方の精密検査や診療に取り組んで 服部真…145
『この子たちの夏』をきっかけに 北市邦男…147
被爆者の悲願 谷岡房江…149
新しい法律の制定と国の被爆者援護対策の意味 岩佐幹三…151
2002
0301 『原爆と文学 2002年版』(原爆と文学の会)
証言 岩佐幹三「火の下の母の般若心経と行方不明に妹を探して」10
2003
0806 『原水協通信 第714号』(原水爆禁止日本協議会)
原爆症集団訴訟に支援を 岩佐幹三さん(日本被団協) 8
 2008
0710 『自分史つうしんヒバクシャ 第186号』(栗原淑江)
本編
日本が変われば 世界が変わる 9条守ろうの熱気集め「世界会議」に3万人
つうしんNO.186(2008.7)―1 岩佐幹三さん(千葉)
2009
0501 『ふたたび被爆者をつくるな 日本被団協50年史 1956-2006 本巻』(日本原水爆被害者団体協議会日本被団協史編集委員会編著、あけび書房)
1章 きのこ雲の下で…17
1 それは地獄絵そのものだった――岩佐幹三の証言
0701 『8月の晴れた日に 14』(被爆体験聞き書き行動実行委員会、コープネット労働組合平和部)
●第2部 被爆の体験をどう受け継いでいくのか
私の被爆体験と「原爆被害者の基本要求」 岩佐幹三さん(日本被団協事務局次長)…32
2010
0705 『法と民主主義 No.450』(日本民主法律家協会)
70 とっておきの一枚●被団協事務局次長 岩佐幹三先生………佐藤むつみ
2012
0615 『核兵器・核実験モニター 第401-2号』(ピースデポ)
[連載]いま語る―45 岩佐幹三(日本被団協代表委員)
2013
0331 『ヒバクシャからの手紙 被爆体験記集 第1巻』(広島平和文化センター 編集、厚生労働省・国立広島原爆死没者追悼平和祈念館)
岩佐 幹三 広島 第1巻 399
2014
0531 『広島の声』(P.R.プラシド・上田紘治編著、東洋書店)
原爆被害について考える-核時代に私たち人類はどう向き合うか- 岩佐幹三 25
1001 『国際平和博物館会議 第8回 日本参加者報告書』(安斎科学・平和事務所)
感想文集…8~40
岩佐幹三…11
2015
0330 『シリーズ戦争語りつごうヒロシマ・ナガサキ 2 キノコ雲の下で起きたこと』(安斎育郎文・監修、新日本出版社)
被爆者証言①
8月6日、母と妹におくる手紙 岩佐幹三さん(千葉県)  14
2020
0907 死亡。享年91歳
1006 『被団協 第501号』(日本原水爆被害者団体協議会)
岩佐幹三顧問 死去
2021
1106  『被団協 第514号』(日本原水爆被害者団体協議会)
岩佐幹三さん追悼集『被爆者を超え人間として伝えたい』

岩佐幹三

岩佐幹三

いわさ・みきそう 1929******生20200907没 享年91歳  修道中学在学中、被爆。1953年金沢大学教官となり同大名誉教授。1960年「石川県原爆被災者友の会」を設立。日本被団協事務局次長(2000年)・同会代表委員(2011年)<資料年表:岩佐幹三>

資料年表:堀田善衛

資料年表:堀田善衛<作業中

 年月日  事項  備考
 1918
 0717  誕生
 1951
 0801  『人間 6巻8号』(目黒書店)
 廣場の孤獨 堀田善衛 71
 1953
 0630  『日本詩人全集 第11巻 戦後百人集 創元文庫』(村野四郎 編、創元社)
 堀田善衛 現代史 61
 1954
0601 『婦人公論  6月号第446号』(中央公論社)
連載第6回 マリー・アントアネット 堀田善衛 238
 1957
1112 『岩波講座現代思想第11巻 現代日本の思想』(岩波雄二郎編、岩波書店)
 Ⅴ 知識人の問題
日本の知誠人 堀田善衛 157
 1219  『インドで考えたこと 岩波新書』(岩波書店)  U
1958
0220 『講座現代倫理 第2巻 悪について』(筑摩書房)
暴力 堀田善衛 160
 1998
 0905  没
 2010
1220 『広島県現代文学事典』(勉誠出版、山根繁樹・記)
「堀田善衛」(山根繁樹・記)

 

ほった・よしえ 19180717生19980905没 享年80歳 小説家。19180717

 

資料年表:サイド・オマール

資料年表:サイド・オマール<作業中

年月日 事項 メモ
1926
0728 誕生
 1943
 ***  南方特別留学生として来日。当時17歳。
 1944
 ***  広島高師文科興南部に入学。
1945
0806 興南寮で原爆被爆。
0830 帰国のため上京途次に京都で発病、京大附属病院入院。
0903 午後11時57分、死亡。出典:『生死の火』
 1957
 0817  S・M・アルサゴフ(シンガポールに住む哲学者)から広島市に依頼の手紙。弟のサイド・オマールの死亡証明書が欲しい。 C
1964
0516 サイド・モフシン・アルサゴル(オマールの兄)らマレーシア人留学生2人の遺族、広島市を訪問。 C
1974
0903 オマールの「墓を守る会」(園部健吉代表世話人)発足。円光寺(京都市)での法要に飯島宗一広島大学長らが参列。 C
 1975
 0806  『生死の火 広島大学原爆被災誌』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会)
 4 留学生 339
 サイド・オマール・ビン・モハメッド・アルサゴル
 1980
 1031  『被爆南方特別留学生オマール少年の墓(思い出の記 第3集)』(園部健吉著、圓光寺)
1982 
 0515  『天の羊 被爆死した南方特別留学生』(中山士朗著、三交社)
 1991
 0525  『日本の原爆記録13 煉瓦の壁 長崎捕虜収容所と原爆のドキュメント、天の羊 被爆死した南方特別留学生』(家永三郎・小田切秀雄・黒古一夫、日本図書センター)
1993
0420 修学院小学校6年生(京都市)、マレーシアの南方特別留学生オマールの足跡をたどり平和学習。 C
0905 アザー・アジズ(南方特別留学生オマールの妹)広島訪問。留学生寮「興南寮」跡などを巡る。 C
 1994
 0210  『オマールさんを訪ねる旅 広島にいたマレーシアの王子様』(早川幸生編、かもがわ出版)
0419 修学院小学校(京都市)6年生166人、修学旅行で広島を訪問。 C
0822 土井たか子衆議院議長、訪問中のマレーシアで、アザー・アジズ(南方特別留学生オマールの妹)と対面。 C
 1995
 0806  『ヒロシマ五十年 或る少年兵の回想』(小笠邦久著、蝸牛社)
 5章 回想 254 オマール忌 305
 0815  『京都・左京の十五年戦争 戦時下を生きた人々』(平和と民主主義をすすめる左京懇談会編、かもがわ出版)
 被爆南方特別留学生サイド・オマール 早川幸生 113
08- 京都原水爆被災者懇談会(世話人代表=永原誠・京都橘女子大教授)、オマールをいのぶ反核ビデオ「オマールさんをしってますか?」を製作。永原の父は留学生の「興南寮」の寮監で被爆死。 C
 1996
 0810  『アジア戦時留学生 「トージョー」が招いた若者たちの半世紀』(藤原聡・篠原啓一・西出勇志著、共同通信社)
 南方特別留学生名簿 289
 2002
 0211  『東南アジアの弟たち 素顔の南方特別留学生 改訂版』(上遠野寛子著、暁印書館)
2003
 0505  『京都修学旅行ハンドブック 学び・調べ・考えよう』(京都平和・国際教育研究会編、平和文化)
 第5章 洛北を歩こう 53
4 一乗寺・修学院周辺一詩仙堂 59
圓光寺 59
コラム「被爆南方特別留学生サイド・オマール」62
 2011
 0822  『共に生きる ブルネイ前首相ペンギラン・ユスフと「ヒロシマ」 = Asia living together』(橋本明著、財界研究所)
 第6章 父に会いたくて故郷へ
サイド・オマールの死 144
 2014
1030 サイド・オマールの墓が校区にある修学院小学校6年生(京都市)94人、修学旅行で広島市を訪問、興南寮跡(オマールの被爆の地)で平和集会。 C
 2015
 0301  『ヒロシマが泣いているフクシマが泣いている ドキュメンタリー映画『ブラックラストワン』拾遺』(古田博一著、あいり出版)
 ヒロシマが泣いている 001
1.オマール氏との出会い 002
玉音放送現代語訳/『広島は泣いている』
2.被爆直後の広島とオマール氏慰霊 018
◇インタビュー:平塚哲夫先生
3.オマール氏の治療 020
◇インタビュー:濱島義博先生
4.京都原爆被爆者の会の活動 オマール君の墓 022
一 端源山圓光寺に/
二 広島から京都へ/
三 園部兄弟の熱意と多くの協力者/
四 看護の老婆とともに…/五 京都府原爆慰霊碑に合祀/
◇インタビュー‥平塚哲夫先生
間奏資料 ヒロシマ・ナガサキ以後今日まで 054
0416 「[特集]南方特別留学生 来日75年」<原爆投下時、広島にいた南方特別留学生>(『中国新聞』20180416、山本裕司)
 1113 南方特別留学生故 オマールの慰霊(園部敏江)や語りつぐ活動(新見博三)をしている2人に広島大学・学長特別表彰。 C
 2018
 0301  『史学研究 第299号』(広島史学研究会)
 平野裕次「被爆した南方特別留学生と戦後の日本社会 一九五〇年代半ばから一九六〇年代半ばまでの時期を中心として」
1109 「マレーシア出身オマールさん 被爆留学生しのぶ縁 墓のある京都の児童 中区でつどい」(『朝日新聞』宮崎園子記)
1224 「被爆死の南方特別留学生オマールさん 京都で広がる継承の輪」(『中国新聞』山本祐司・記)  C
 2019
0201 「『記者縦横』南方特別留学生 継承を」(『中国新聞』山本祐司・記)
0216 「被爆留学生のお話を聞く会」、被爆した南方特別留学生について学ぶ研修会を原爆資料館で開く。 C
 0806  『オマール王子の旅 広島で原爆に遭った南方特別留学生』(古田博一 作、藤原飛鳥 絵、あいり出版)
 0814  「帰国かなわなかったオマールさん 被爆死の留学生語りつぐ 京都・埋葬された寺周辺の住民ら」(『朝日新聞』宮崎園子記)
0902 「南方留学生のヒロシマ 苦悩にじむ手紙・はがき 交流あった栗原さん 資料館に寄贈」(山本祐司・記) C
 2021
 1208  『語り継ぐヒロシマ・ナガサキの心 下巻』(京都「被爆二世・三世の会」編、ウインかもがわ)
 ヒロシマ編
33 早川幸生…被爆南方特別留学生サイド・オマールさんを訪ねる旅 …391

資料年表:尾津訓三

資料年表:尾津訓三(おづ・くんぞう)

年月日 事項 メモ
****
**** 誕生。
1968
1025 『広鉄文化 No.15』(国鉄広島地方本部広鉄文化会議)
職場からの報告 告訴状前文 尾津訓三……24
1972
0325 『広鉄文化 No.23』(国鉄広島地方本部)
現行慰安会こう思う 尾津訓三……75
1981
0301 『ひろしま 4号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
報告:人形劇賛歌-ある報告ー 尾津訓三 140
1983
0401 『文団連ニュース No.52』(広島県文化団体連絡会議)
碑前祭を皮切りに 峠三吉没後30年記念行事スタート
―300余名が詩碑の前で平和を誓う―
時移り俗易るとも 賛助会員 尾津訓三
1990
0331 『峠三吉資料目録』(広島市立中央図書館)
尾津訓三氏寄贈資料…200
1993
0331 『広島市公文書館紀要 第16号』(広島市公文書館)
尾津訓三「占領下における広島県内の文芸活動と検閲 」 45
1996
0331 『広島市公文書館紀要 第19号』(広島市公文書館)
〈研究ノート〉戦後復興と広島の演劇 尾津訓三 45
1998
0401 『鶴のいた町 尾津訓三作品集』(出版者:町博光)
1999
0902 没。享年65歳
0408 『広島に文学館を 広島の心を21世紀に伝えよう!』(尾津訓三、池田正彦編、広島文学資料保全の会)
1102 『悼記 劇作家・尾津訓三さん だれよりも願った地域演劇の復興』(『中国新聞』田原直樹・記)
2008
1114 尾津訓三追悼「縄文まつり」アステールプラザ

 

 

02 1999 おづ・くんぞう 65 劇作家。広島で被爆。「追記 だれよりも願った地域演劇の復興」(『中国新聞19991102』田原直樹・記)

門秀一

門秀一

資料年表:門秀一<作業中

年月日 事項 備考
1915
****
1969
0806 『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会)
門秀一「平和の灯と浜井氏」  447
1976
**** 中国文化賞受賞。
1994
0902
0920 『広大フォ-ラムNo.314』
金田晋「門秀一先生を悼む」

 

かど・しゅういち 1915****生19940902没 享年79歳 核禁広島県民会議初代議長。広島大学名誉教授。西洋倫理哲学専攻。

資料年表:林重男

資料年表:林重男<作業中

年月日
1918
**** 誕生
1971
1208  『広島原爆戦災誌 第五巻 資料編』(広島市)
 13、被爆広島の写真記録者たち 971
 1981
 0730  『写真集 原爆をみつめる-1945年広島・長崎』(飯島宗一・相原秀次編、岩波書店)
 1983
 0221  『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会)
『ヒロシマの碑』に思う 林重男 32
 1992
0619 『爆心地ヒロシマに入る カメラマンは何を見たか 岩波ジュニア新書208』(林重男著、岩波書店)
1994
0806 『ノー・モア・ヒロシマ 50年後の空洞と重さ』(小倉豊文著、風濤社)
付録 写真・地図・統計 153
1、被爆後の広島市全景 林重男撮影 154
2002
0901 死亡。
2005
  0715  『原爆と写真』(徳山喜雄著、御茶の水書房)
第二章 キノコ雲の下で起こったこと 53
林重男 「道楽」をせずに、忠実に記録 96
2006
 0515  『疑惑のアングル 写真の嘘と真実、そして戦争』(新藤健一著、平凡社)
 第三章 戦場とカメラマン 145
原爆を撮った男たち 150 /木村伊兵衛の抵抗-林重男/
2015
 0806  『広島原爆写真集 決定版 = The collection of Hiroshima atomic bomb photographs』(小松健一、新藤健一編、「反核・写真運動」監修、勉誠出版)
 対談「原爆を撮った男たち」の証言
松本栄一 林重男 (聞き手・小松健一)…224
 1001  『被爆70周年 ヒロシマを見つめる三部作  第2部』(広島市現代美術館)
 爆心地ヒロシマに入る 林重男…24
Entering the Hypocenter in Hiroshima…28
Shigeo Hayashi
図版、作家、作品解説 Plates, Notes, on Artists & Works
林重男 Shigeo Hyashi…
  2017
 0310  『戦中・戦後の記録写真Ⅱ 林重男・菊池俊吉・別所弥八郎所蔵ネガの整理と考察』(井上祐子、山辺昌彦、大堀宙著、東京大空襲・戦災資料センター)
 第1部 総論 4
林重男・菊池俊吉・別所弥八郎のプロフィールと所蔵写真について  井上祐子 5
第2部 林重男所蔵写真解題 13
1.戦中日本における防空と市民の暮らしの写真について  山辺昌彦 14
2.戦中日本における軍関係写真について  大堀宙 20
3.1943年中国取材写真について  井上祐子 28
4.1943年フィリピン取材写真について  井上祐子 36
5.1944年東南アジア取材写真について  井上祐子 38
6.戦後写真について  山辺昌彦 46
 2023
 0410  『原爆写真を追う 東方社カメラマン林重男とヒロシマ・ナガサキ』(林重男・井上祐子著、図書出版みぎわ)

 

01 200201 林重男 はやし・しげお 84 写真家。文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会に参加、広島と長崎を撮影。<資料年表:林重男>

林重男

林重男

01 200201 林重男 はやし・しげお 84 写真家。文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会に参加、広島と長崎を撮影。<資料年表:林重男>

布川弘

布川弘

ぬのかわ・ひろし 1958**生20190927没 享年61歳 山形県生まれ。広島大学大学院総合科学研究科教授。広島市被爆70年史編集研究会で同席。

著書:『“近代都市”広島の形成』(吉川弘文館、2018年)

はじめに(勝部眞人)
1 近代日本の秩序形成(近代日本社会における「外来」と「在来」の構造的な連関;歩兵第四十一連隊の福山転営と市制施行への動き;戦間期国際秩序構想と日本―太平洋問題調査会における論議を中心として;国際平和運動における新渡戸稲造と賀川豊彦の役割)
2 片隅から見た日本の近代(「片隅」に込めた意味;広島藩における海防の端緒と砲術;戦争と神機隊;救民の構想と軍事;武一騒動;成立した新政府への対抗;第五師団の成立;片隅から見た現在)
世界の片隅からの視座(勝部眞人)

 

 

資料年表:福島菊次郎

資料年表:福島菊次郎<作業中

年月日
19210315 福島菊次郎誕生。
19610801 「被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』」(『中国新聞(夕刊)』平岡敬・記)
1963 (写真)ヒロシマみやげをつくるのもひと苦労。福島菊次郎氏撮影。<『「原爆一号」といわれて ちくまぶっくす36』(吉川清、筑摩書房、19810724)所収>
196608 福島菊次郎「原爆白書」(『アサヒカメラ』)
19750806 福島菊次郎(下関出身のフリーカメラマン)写真展「30年目のゲンバク―放射能遺伝傷害の恐怖」、ギャラリー「アメリア」(東京)で開催。 C
19820701 福島菊次郎「ヒバクシャの戦後」<『原爆展 忘れまい、この惨禍』(朝日新聞東京本社企画部 )所収>
19870830 『戦争がはじまる 福島菊次郎全仕事集』(福島菊次郎、社会評論社)
19890722 写真家福島菊次郎の写真展「天皇の戦争責任とヒロシマ」、広島市で開催(小西のぶ子記念館主催、24日まで)。 C
199508 反原発団体「原発いらん!下関の会」主催「反原発写真展」下関市の旧英国領事館で開催。福島菊次郎らの写真。 C
19950921 東京都写真美術館(主催・会場)「核―半減期(広島・長崎の写真)」
19990806 原爆・原発・差別などを写した社会派写真家・福島菊次郎の作品を常設展示する写真資料館、下関市内に開館。 C
20110615 「被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』」<『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬、影書房)>
20120806 C
20121110 C
20130201 C
20130827 C
20130901 C
20141019 C
20150620 C
20150708 C
20150714 C
20150924 福島菊次郎死去
20150926 「反原発・反戦貫く 関係者悼む 福島菊次郎氏が死去」(道免雅良・井上龍太郎) C
20150927 「天風録」 C
20150930 那須圭子「福島菊次郎さんを悼む」 C
20151001 『論』写らなかった戦後 私たちが読み取る番(佐田尾信作・論説主幹) C
20151121 C
20151223 C
20170626  『ピカドン ある原爆被災者の記録』(福島菊次郎著、復刊ドットコム)
 20220710  「書評 福島菊次郎」あざなえる記憶」(那須圭子)  C

 

栗原登

栗原登 くりはら・みのる<作業中

19261130生20160907没 享年90歳 広島大学原爆放射能医学研究所所長(1985年4月1日~1987年3月)。

第29回オマール氏法要

第29回オマール氏法要

1990年9月2日11時、京都市一乗寺の円光寺で、サイド・オマール氏(マレーシア出身の南方特別留学生、広島文理科大学在学中被爆、昭和20年9月3日京都で死亡)の45周年目の供養が営まれました。また、墓前での法要終了後、修学院の平八茶屋本店で懇親会が持たれました。
HISTU09A
HISTU09B
HISTU09C
参列者は17名、広島からは、故人と生前親交のあった菅野義信(本学歯学部教授)・吉川英子・中村千重子の御三方と小笠邦久御夫妻、中野伍法経事務部事務長補佐それに私の7名が参列しました。
私は、広島大学原爆死没者慰霊行事委員会から派遣されての初参加でしたが、法要に先だつ30分ほどの間と懇親会の席で、世話人である園部宏子様より、参列者の皆様の故人との関係を丁重に説明していただきました。はるばる東京から参加された上遠野寛子様は、故人の来日当初に日本語教育などのお世話をされた方とのことでした。今年8月3日のジャパンタイムズは、「マレーシアの原爆被爆生存者、日本との深い関係を発展させる」などの見出しで、南方特別留学生についての特集を掲載していましたが、上遠野様が持参されたこの記事のコピーを囲んで、参列者は改めて往時を偲びました。また、数年前より京都大学工学部がマラヤ大学と学術交流を行っていますが、その関係から得丸英勝同学部長が参列されていました。
私は、予め「天の羊-被爆死した南方特別留学生」(中山士朗著、三交社刊)を読んではいました。しかし、この一日の体験は、書物からの知識では得られない貴重なものでした。

 

 

広島原爆とアメリカ人(谷本清著)

『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚 』(谷本清著、日本放送出版協会 、19760720)

内容

章節 タイトル 備考
序にかえて
1 原爆に生き残って
1-1 運命の八月六日
1-2 廃墟の中で
1-3 一牧師のビジョン
2 和解の旅
1948年9月~1950年1月(15ケ月間)、31州、256都市、472の教会その他の団体で講演582、聴衆約160000名、旅行距離約65800マイル
2-1 ピース・センターの構想
2-2 第一印象
2-3 メンジスト教会ミッション・ボードと私
2-4 本格的巡回始る
2-5 ピース・センター独自の途を歩む
2-6 被爆地ヒロシマをどうするか
2-7 平和請願運動
2-8 平和請願運動潰される
2-9 真珠湾記念日とヒロシマ・デー
2-10 東京裁判と死刑執行への反応
3 嵐の中の平和行脚
1950年9月~1951年7月(8ケ月間)、24州、201都市、242団体 講演295、聴衆約5600名、旅行距離約34500マイル
3-1 朝鮮戦争下のアメリカへ
3-2 講演の新内容を求めて
3-3 ニューヨーク入り
3-4 カズン氏は極めて多忙である
3-5 ヒロシマ・ピース・センター理事会
3-6 今回の巡回旅行の特色
3-7  嵐の中の平和運動
4 原爆乙女アメリカに往く
1955年5月5日~同年12月20日(7ケ月間)、26州、195都市、212団体 講演245、聴衆約47500名、テレビ・ラジオ・新聞64、行程約38100マイル
4-1 日本における原爆乙女治療始る
4-2 米国での治療運動始る
4-3 資金はどのようにして集められたか
4-4 ニューヨークの受容態勢
4-5 ホスト・ファミリー訪問とカウンセリング
4-6 原爆乙女の渡米はアメリカに何をもたらしたか
〇ヒューストン市の1週間
〇原爆悲劇に対する読みが深くなった
〇国際時局に対する読みも深くなった
〇募金活動の実情
〇協力を申し出る4つの病院
〇一日本人医師の批判とその影響
4-7 ピース・センターはどこへ行く
4-8  平和の営み
5 「傷痕」の伴をして
1975年9月25日~同年12月15日(80日間)、19州、89都市、105協会その他団体 講演148、聴衆約28800名、旅行約38400マイル
5-1 「傷痕」ダイジェスト
5-2 講演後の質問応答
5-3 核兵器使用に際して新しい倫理の確立が要請されている
5-4 「傷痕」のどこに感動したか
5-5 被爆者治療問題の隘路
5-6 被爆者の悩みは被爆者以外には判ってもらえない
5-7 アメリカ講演旅行の総括