原爆乙女の会
代表者 |
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谷本清 |
設立年月日 |
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1950年3月 |
目的及び事業 |
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当初、原爆障害者が聖書を研究することにより、精神的に立ち上がることを目的として、「原爆障害者更生会」として発足した。会員は原爆乙女の外、男子障害者や高年齢の女子障害者も加わっていた。 |
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<中略> |
組織内容 |
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会員数約80名 |
その他の参考事項 |
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この会は、上記のような経過から、現在では男子会員及び女子高齢者会員は徐々に少数となり、現在の原爆乙女の会となった。 |
『原水爆関係団体名簿』(広島市衛生局原爆被害対策課、19670201) |
原爆傷害者更生会 設立:1951年8月27日
書名コード |
書名 |
編著者 |
発行所 |
49081501 |
平和のともしび-原爆第一號患者の手記 |
吉川清・富田勝己(補註) |
京都印書館 |
50072501 |
ヒロシマの十字架を抱いて |
谷本清 |
大日本雄弁会講談社 |
76072002 |
広島原爆とアメリカ人-ある牧師の平和行脚 |
谷本清 |
日本放送出版協会 |
81072401 |
「原爆一号」といわれて |
吉川清 |
筑摩書房 |
サイド・オマール
19260728生19450903没 |
オマール、サイド |
マレーシア出身の南方特別留学生、広島文理科大学在学中被爆、昭和20年9月3日京都で死亡 |

資料
宇吹暁「第29回オマール氏法要」(『広大フォーラム 22期5号』1990年11月20日)
小野増平
小野増平 |
おの・ますへい |
20110918没 |
享年64 |
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中国新聞社入社(1970年4月)、ニューヨーク支局長(1990年8月)・東京支社長(2002年2月)・編集局長(2005年)、広島経済大学メディアビジネス学科教授 (2007年9月)を歴任。 |
関連資料
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広島大学文書館蔵 小野増平関係文書目録(広島大学文書館、2017年」2月刊) |
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谷本清
たにもと・きよし |
19090627生 19860928没 |
享年77 |
日本基督教団広島流川教会牧師。[50ヒロシマ・ピース・センター理事]。原爆乙女の米での手術実現などに尽力。86アキバ・プロジェクト」で来日した米記者、被爆牧師死去の記事(60行余)を掲載。AP通信を通じて米の各メディアに配信。[69原爆被災資料広島研究会]。『広島県現代文学事典』。教会で面談 |
資料
谷本清賞 |
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原爆手記追加 |
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谷本清「原爆とヒロシマ」(『住みよいまちを!通信』、発行:住みよいまちをめざす会(広島大学理学部付)、連絡先:広島大学工学部建築学科都市計画研究室
その1=通信第15号(1975.7.15)~その6=通信第32号(1979.3.15)完 |
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原爆手記追加
9月に亡くなった人々
日 |
没年 |
名前 |
よみ |
享年 |
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01 |
2002 |
林重男 |
はやし・しげお |
84 |
写真家。文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会に参加、広島と長崎を撮影。<資料年表:林重男> |
02 |
1994 |
門秀一 |
かど・しゅういち |
79 |
核禁広島県民会議初代議長。広島大学名誉教授。西洋倫理哲学専攻。<資料年表:門秀一> |
02 |
1999 |
尾津訓三 |
おづ・くんぞう |
65 |
劇作家。広島で被爆。「追記 だれよりも願った地域演劇の復興」(『中国新聞19991102』田原直樹・記)<資料年表:尾津訓三> |
02 |
2017 |
土山秀夫 |
つちやま・ひでお |
92 |
元長崎大学長。2009年2月28日に面識。<16時半~、広島(代表:難波健治)・長崎(代表:峠憲治)の報道関係者の交流会。会場:長崎新聞社。19時~懇親会。>宇吹の質問および意見<平和教育、平和行政、市民運動、医学者の動向、IPPNW、パグウォッシュ会議>に丁寧な応答。 |
03 |
2018 |
オマール、サイド |
さいど・おまーる |
19 |
マラヤ(現マレーシア)の王族。 南方特別留学生。興南寮(広島市大手町)で被爆。<資料年表:サイド・オマール>51.pdf (hiroshima-u.ac.jp) |
04 |
1965 |
シュバイツァー、アルベルト・ |
90 |
1952年度のノーベル平和賞受賞。 |
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1962年6月30日、赤道直下のランバレネの病院で森瀧市郎氏の訪問を受ける。出典:http://www.ne.jp/asahi/nozaki/peace/data/gen_moritaki.html 森瀧宅で、当時のアルバムを前にこの時の話を聞く(宇吹) |
04 |
2009 |
大山広司 |
おおやま・ひろし |
91 |
元広島県議会議長、元全国都道府県議会議長会会長。『広島県議の半世紀 : 五人の知事に相まみえて : 大原博夫氏・永野巌雄氏・宮澤弘氏・竹下虎之助氏・藤田雄山氏』(大山広司・述、大平泰・記、溪水社、2005)1918生 |
05 |
1998 |
堀田善衛 |
ほった・よしえ |
80 |
小説家。『広島県現代文学事典』(山根繁樹・記)<資料年表:堀田善衛> |
06 |
1998 |
黒沢明 |
くろさわ・あきら |
88 |
映画監督。「生きものの記録」・「八月の狂詩曲」で核問題を取り上げる。 |
07 |
2020 |
岩佐幹三 |
いわさ・みきそう |
91 |
修道中学在学中、被爆。1953年金沢大学教官となり同大名誉教授。1960年「石川県原爆被災者友の会」を設立。日本被団協事務局次長(2000年)・同会代表委員(2011年)<資料年表:岩佐幹三> |
08 |
1981 |
湯川秀樹 |
ゆかわひでき |
74 |
1949年日本人として初のノーベル物理学賞受賞。[原水爆禁止世界大会日本準備会代表委員]。[日本原水協代表委員]。「世界平和アピール七人委員会」メンバーとして平和運動にも尽力。[70ヒロシマ会議]<資料年表:湯川秀樹> |
10 |
2014 |
坂井義則 |
さかい・よしのり |
69 |
1945年(昭和20年)8月6日広島原爆被爆直後に広島県三次市で誕生。父は被爆者。1964年東京オリンピックの開会式で聖火リレーの最終ランナー。 |
11 |
2019 |
粟屋憲太郎 |
あわや・けんたろう |
75 |
日本近現代史研究者。著書に『東京裁判への道』など。1944年 6月11日生<資料年表:粟屋憲太郎> |
14 |
2010 |
大道あや |
だいどう・あや |
101 |
絵本作家。本名:大道アヤコ。丸木スマ母、丸木位里は兄。19090411誕生。 |
15 |
1990 |
土門拳 |
どもん・けん |
80 |
写真家。1958年に被爆者を写した写真集「ヒロシマ」を発表。『広島県現代文学事典』(20101220)<田中裕之・記><資料年表:土門拳> |
15 |
2010 |
秋信利彦 |
あきのぶ・としひこ |
75 |
放送ジャーナリスト。中国放送(RCC)ディレクター・記者・常務取締役歴任。きのこ会。1935生。<資料年表:秋信利彦> |
18 |
2011 |
小野増平 |
おの・ますへい |
64 |
中国新聞社入社(1970年4月)、ニューヨーク支局長(1990年8月)・東京支社長(2002年2月)・編集局長(2005年)、広島経済大学メディアビジネス学科教授 (2007年9月)を歴任。(広島大学文書館<解題:小野増平関係文書目録>) |
19 |
2002 |
好村冨士彦 |
こうむら・ふじひこ |
71 |
広島文学資料保全の会代表。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)『考えるとは乗り越えることである―好村冨士彦遺稿・追悼集』2003<資料年表:好村冨士彦> |
20 |
1976 |
升川貴志栄 |
ますかわ・きしえ |
78 |
原水爆禁止広島母の会会長。<資料年表:升川貴志栄> |
20 |
1981 |
竹下健児 |
たけした・けんじ |
55 |
放射線物理学者。1945年学徒動員先の長崎で被爆。1965年広島大学原医研教授。 |
20 |
2009 |
大江志乃夫 |
おおえ・しのぶ |
81 |
日本現代史家。 |
21 |
2011 |
辺見じゅん |
へんみ・じゅん |
72 |
広島女学院創立120周年記念2006年度企業懇談会・講演会(会場:リーガロイヤルホテル)講演会:辺見じゅん「生きるための自分力」。並んで挨拶。宇吹:大和ブーム批判に取り組んでいることを伝えると自著『女たちの大和』(ハルキ文庫、2005年)を挙げて切り返えされる。 |
21 |
2017 |
森本順子 |
もりもと・じゅんこ |
85 |
オーストラリア在住の絵本作家。広島女学院高女在学中に被爆。 |
22 |
2010 |
橘祐典 |
たちばな・ゆうてん |
77 |
本名:橘裕彦(ひろひこ)。映画監督。原爆記録映画「にんげんをかえせ」など。 |
23 |
1954 |
久保山愛吉 |
くぼやま・あいきち |
40 |
第5福龍丸無線長。1954年3月1日にアメリカが南太平洋ビキニ環礁で実施した水爆実験で被曝。<資料年表:久保山愛吉> |
24 |
2015 |
福島菊次郎 |
ふくしま・きくじろう |
94 |
写真家。<資料年表:福島菊次郎> |
27 |
1970 |
木野 普見雄 |
きの・ふみお |
62 |
作曲家。1945年8月9日、長崎市役所に出勤中原爆に被爆。<資料年表:木野 普見雄> |
27 |
1983 |
バーチェット、ウィルフレッド・ |
72 |
ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット> |
27 |
2019 |
布川弘 |
ぬのかわ・ひろし |
61 |
広島大学大学院総合科学研究科教授。広島市被爆70年史編集研究会で同席。 |
28 |
1986 |
谷本清 |
たにもと・きよし |
77 |
日本基督教団広島流川教会牧師。教会で面談。 |
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[50ヒロシマ・ピース・センター理事]。原爆乙女の米での手術実現などに尽力。86アキバ・プロジェクト」で来日した米記者、被爆牧師死去の記事(60行余)を掲載。AP通信を通じて米の各メディアに配信。[69原爆被災資料広島研究会]。『広島県現代文学事典』<田中裕之・記>19090627生。<資料年表:谷本清> |
28 |
1991 |
中本 たか子 |
なかもと・ たかこ |
87 |
小説家。1927年上京、『女人芸術』誌に参加。1941年蔵原惟人と結婚。<資料年表:中本 たか子> |
28 |
1991 |
佐久間澄 |
さくま・きよし |
80 |
広島県原水協理事長・同県被団協理事長。広島大学構内で被爆。お宅で面談、資料を閲覧。<資料年表:佐久間澄> |
28 |
2023 |
小河原正己 |
おがはら・まさみ |
83 |
1940年山梨県生まれ。NHKプロデューサー。<資料年表:小河原正己> |
佐久間澄
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さくま・きよし |
19910928生19910928没 |
享年80 |
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広島大学名誉教授。広島県原水協理事長・同県被団協理事長。広島大学構内で被爆し、原水禁運動に貢献。広島大学。お宅で面談、資料を閲覧 |
資料
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死亡記事 |
1991年9月29日付、中国・朝日・読売・長崎・赤旗 |
追悼文 |
庄野直美(広島女学院大学名誉教授)「佐久間澄氏を悼む 核兵器廃絶に尽力」(掲載新聞不明) |
佐久間澄さんをしのぶ会
日時 |
1992年12月26日 |
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会場 |
広島国際会議場・ダリア(広島平和公園内) |
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資料 |
会への案内(呼びかけ人:) |
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式次第 |
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遺族礼状 |
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宇吹宛佐久間書簡(8月26日付) |
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報道 |
不明紙、赤旗 |
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