『ヒロシマから、ヒロシマへ 大牟田稔遺稿集』(大牟田稔遺稿集」刊行委員会、溪水社、20021007)
内容
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序・共有したい思い…平岡敬 |
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「きのこ会」とともに |
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〈反原爆思想〉を求めて―胎内被爆小頭症と歩いた10年 4
8月の沈黙 23
26人の原爆被害者たち―放射線に傷つけられた人生 27
大牟田さんと「きのこ会」―解説に代えて 秋信利彦 33
「ヒロシマ」と歩む
築きたい「共通の平和観」―平和文化センター理事長就任挨拶 38
志は継がれているか―私記ヒロシマ50年を生きた人々 39
不遇な被爆歌人への思い入れ―水田九八二郎著「目をあけば修羅」を読む 57
文集「ブラジル・南米被爆者の歩み」の刊行に寄せて―日本政府の戦後責任を問う59
継承へ新たな方法論を―「自分史」充実のために 61 |
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視と微視と―ヒロシマからの報告 65 |
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原爆記者とのつき合い―梶山氏は、郷里ヒロシマを訪れては、原爆問題への関心を抱きつづけた 71 |
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『頼山陽』―梶山季之作品論 75
被爆者援護法と森滝市郎 78
折り鶴焼却処分問題―別の解決策「碑」で実践 86
「没後50年原民喜回顧展」に寄せて 87 |
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若き友へのメッセージ |
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私にとっての原爆報道 90
平和への課題 100 |
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平和のとりでを築く 102 |
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大牟田稔さんに聞く 105 |
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新聞記者として |
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沖縄の被爆者たち 112
今こそ『平和』を見詰め直そう(1986年8月6日付社説) 128
『核なき世界』へ世論高めよう(1987年8月6日付社説) 131
『ヒロシマの志』を貫くために(1988年8月6日付社説) 133
『ヒロシマの決意』を生かす道(1989年8月6日付社説) 136
東西和解と『ヒロシマの役割』(1990年8月6日付社説) 138
『ヒロシマ』生かす国際貢献を(1991年8月6日付社説) 141 |
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ヒロシマから、ヒロシマヘ |
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『民』の思想・『官』の思想―第2回国連軍縮広島会議を顧みる 146
米国は原爆被害を直視せよ―スミソニアン“原爆資料展示”中止の余震 150
アメリカ人と『原爆展』 156
『核兵器違法』を明言した意義―ICJ陳述をめぐる被爆地と外務省の落差 161
「爆発なき核実験』に危機感 165
ヒロシマ発の平和活動―その歴史と課題 167 |
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インタビュー・古希の記憶
大牟田稔・古希の記憶(抜粋) 172 |
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あとがき 189 |
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止
資料年表:大牟田稔<作業中>
年月日 |
事項 |
備考 |
1930 |
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0901 |
誕生。 |
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1965 |
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0720 |
『この世界の片隅で 岩波新書』(山代巴編、岩波書店) |
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沖縄の被爆者たち 大牟田稔 185 |
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1970 |
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0628 |
『RCCテレビ 市民とともに ヒロシマ・内と外』(中国放送) |
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「広島の明日を考える」平和への道No.3 ヒロシマ・内と外(構成:大牟田稔) |
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1978 |
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0725 |
『長崎の証言 第10集』(「長崎の証言」刊行委員会編著) |
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大牟田稔「親亡きあとは ―胎内被爆小頭症「きのこ会」の近況―」 109 |
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1979 |
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0110 |
『追憶の便り ヒロシマで逝ったわが子へ』(藤野としえ著、未来社) |
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付録2 追憶と未来と 大牟田稔作・構成 267 |
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0331 |
『広島市公文書館紀要 第二号』(広島市公文書館) |
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外国人の見たヒロシマ-その文芸作品に表われた思想- 大牟田稔 13 |
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1983 |
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0801 |
『日本の原爆文学 14 手記/記録』(「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編、ほるぷ出版) |
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〈反原爆思想〉を求めて 大牟田稔 462 |
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1984 |
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1211 |
『ヒバクシャ ともに生きる 第3号』(原爆被害者相談員の会) |
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原爆小頭症患者たちとの20年 大牟田稔 21 |
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<作業中> |
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2001 |
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1007 |
死亡。 |
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2010 |
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1220 |
『広島県現代文学事典』(小宮山道夫・記) |
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止
おおむた・みのる |
2001 |
71 |
元中国新聞論説主幹、1992年、広島平和文化センター理事長。『広島県現代文学事典』。元広島平和文化センター理事長、元中国新聞論説主幹の大牟田稔。宮崎県出身。『広島県現代文学事典』(小宮山道夫・記) |
広島大学文書館蔵『大牟田稔関係文書目録』(広島大学文書館)
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発行年月 |
資料編1 |
2013年2月 |
資料編2 |
2014年2月 |
個別編 |
2015年2月 |
書籍・雑誌編 |
2016年2月 |
碧空―「大牟田稔さんをしのぶ会」報告・追悼集(編集人:海老根勲)
内容
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大牟田稔さんの略歴 |
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大牟田稔さんをしのぶ会呼びかけ人 |
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「大牟田さんをしのぶ会」 |
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【追悼集第1部】 |
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平岡敬 |
見つめ続けたヒロシマ |
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小久保均 |
空ゆかば |
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長岡千鶴野 |
哀しみを乗り越えて |
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嘉指信雄 |
「ヒロシマの鶴」が飛んでゆく |
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松元寛 |
大牟田さん、どうして |
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追悼記事2本(朝日新聞「惜別」中外日報「社説」 |
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メッセージ集…那覇市・真喜志津留子ほか |
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小泉直子 |
大牟田さんからの宿題 |
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繁沢敦子 |
厳しさと優しさと |
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江種則貴 |
端正な字に驚いた |
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平城智恵子 |
「ヒロシマ」に生きる意味 |
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大牟田稔遺稿集 |
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26人の原爆被害者たち |
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インタビュー(機関誌「せこへい」から) |
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「原民喜回顧展」のごあいさつ |
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大牟田稔「古希の記憶」 |
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【追悼集第2部】 |
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直野章子 |
死者を抱きしめながら |
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「しのぶ会」におけるスピーチ |
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中沢啓治 |
通じるものを感じていたのに |
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近藤憲男 |
原稿を書かなかった大牟田さん |
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碓井巧 |
記事への執着 |
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則武真一 |
いい人生を送ったな、大牟田君 |
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秋信利行 |
病床を見守って |
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大牟田聡 |
謝辞「いいオヤジでした」 |
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金井宏一郎 |
親子二代の交わり |
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海老根勲 |
編集後記 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。