徳田 球一
とくだ ・きゅういち | 19740912生19531014没 | 享年59歳 | 日本共産党(戦後)書記長(初代)。 |
『原子爆弾と世界恐慌 時局と生活叢書1集』(徳田 球一、19491225)
止
徳田 球一
とくだ ・きゅういち | 19740912生19531014没 | 享年59歳 | 日本共産党(戦後)書記長(初代)。 |
『原子爆弾と世界恐慌 時局と生活叢書1集』(徳田 球一、19491225)
止
資料年表:中塚明(なかつか・あきら)
年月日 | 事項 | 備考 |
1929 | ||
0917 | 誕生 | |
1986 | ||
0415 | 『在日朝鮮人 歴史と現状』(佐藤明・山田照美編、明石書店) | G |
中塚明「第4章 在日朝鮮人の歴史的形成 」 85 | ||
1992 | ||
1110 | 『戦争と平和の理論』(芝田進午編、勁草書房) | G |
第2部 日本の加害責任と戦後責任 6 朝鮮への侵略と戦後責任 中塚明 80 |
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1993 | ||
0725 | 『アジア太平洋戦争から何を学ぶか』(歴史教育者協議会編、青木書店) | G |
V アジアと近代日本…中塚明 はじめに-太平洋戦争は「明治への背信」か…230 1 日本のアジア侵略・植民地支配の矛盾と満州事変…231 2 抗日運動弾圧は「天皇の大権にわたる生殺与奪の権」…232 3 日本国民とアジア諸民族との連帯の可能性と大皇制の専制支配…234 むすび…237 |
||
1997 | ||
1120 | 『歴史の偽造をただす-戦史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」』(中塚明著、高文研) | G |
1999 | ||
0330 | 『平和をどう展示するか‐第3回世界平和博物館会議報告書』(第3回世界平和博物館組織委員会 [ほか]) | G |
世界平和博物館会議の回顧と展望 ピーター・バン・デン・ダンジェン 37 「世界の平和博物館の現状と展望」でのコメント 中塚明 41 |
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2000 | G | |
0701 | 『歴史家の仕事』(中塚明、高文研) | U |
1124 | 『長崎平和研究 第10号』(長崎平和研究所) | G |
扉のことば/日本も核武装する!?――危ない教科書がやってくる――/中塚明…3 | ||
2004 | ||
1007 | 『「週刊金曜日」別冊ブックレット 7』(金曜日) | G |
第2部 これが歴史の「偉人」の真実だ 51 陸奥宗光-アジアを憤激させた高圧的外交官 中塚明 70 |
||
2013 | ||
0630 | 『東学農民戦争と日本 もう一つの日清戦争』(中塚明ほか、高文研) | U |
2014 | ||
0801 | 『前衛 日本共産党中央委員会理論政策誌』 | U |
特集「戦争する国」の歴史が教えるもの | ||
中塚明「ゆがんだ日本の「歴史認識」をどう正すのか」 | ||
2017 | ||
0415 | 『歴史学研究 No.956』(歴史学研究会編、績文堂出版) | G |
書評 中塚明『歴史家 山辺健太郎と現代―日本の朝鮮侵略史研究の先駆者―』…糟谷憲一 53 |
G | |
2021 | ||
0326 | 『ヒロシマ対話随想 続』(関千枝子・中山士朗著、西田書店) | G |
5 中塚明先生の「司馬史観」批判と辰濃文庫のこと 43 | ||
2023 | ||
1029 | 没。享年94歳 | |
止
中塚明
なかつか・あきら | 19290917生20231029没 | 享年94歳 | 元奈良女子大学文学部教授。大学(京都大学文学部史学科国史学専攻)の先輩。資料年表:中塚明 |
止
山下義宣<作業中>
やました・よしのり | 19451122生201810**没 | 創価学会青年部広島県反戦出版委員会委員長。胎内被爆者。宇吹の高校時代の同級生。 宇吹メモ:1990410創価学会小西・山下来所。
|
74092502 | 平和の砦をめざして-ヒロシマに生きる | 杉戸光史 | ひばり書房 | 『広島のこころ-二十九年』(創価学会青年部反戦出版委員会編、第三文明社、1974)に収録されている広島被爆者の手記「胎内被爆者の宿命に抗して」(山下義宣)P220-226所収を劇画化。「この本によせて」(山下義宣H)。 | 135 |
75091001 | 燃える青春-反戦平和を叫ぶ広島の心 | 高橋光子 | 潮出版社 | 山下義宣の伝記。 | 15 |
止
資料年表:丸木位里
年月日 | 事項 | 備考 |
1901 | ||
0620 | 誕生。 | |
1950 | ||
0906 | 『ピカドン』(平和を守る会編、丸木位里・赤松俊子 絵・文、ポツダム書店) | G |
1952 | ||
0410 | 『原爆の図 青木文庫』(丸木位里・赤松俊子、青木書店) | G |
1955 | ||
0410 | 『われらのうた 第6号』(われらのうたの会) | G |
峠祭特集 峠三吉祭へのメッセージ メッセージ 石田米孝、畑耕一、丸木位里・赤松俊子、 大田洋子、櫛田ふき、羽白幸雄、長田新、 祝電(丸木位里・赤松俊子) 4 |
||
1957 | ||
0801 | 『芸術新潮 第8卷第8号』(新潮社) | G |
丸木位里・俊子・朝倉攝・古澤岩美・阿部展也・横山泰三・谷内六郎・勅使河原蒼風・向井良吉・流政之・瑛九・石元泰博・北代省三・武智哲鐡二・吉田謙吉・邦正美 | ||
1959 | ||
0610 | 『画集「原爆の図」』(丸木位里、丸木俊、虹書房) | G |
1967 | ||
0101 | 『放送RCC 第63号 Vol. 7 No. 1』(ラジオ中国) | G |
あんにいこんにい■丸木位里 浜崎左髪子 45 | ||
0720 | 『原爆の圖 [原爆の図]』(丸木位里・丸木俊作、田園書房) | G |
0811 | 『週刊朝日 第72巻第34号通巻第2529号 Vol. 7 No. 1』(朝日新聞社) | G |
〈特集〉原爆の日によせて ②まだ描きたりぬ原爆の悲惨 連載対談 ふたりで話そう 新藤兼人・丸木俊 34 ⑤週刊美術館 原爆の図「火」 丸木位里・俊画 69 |
||
1001 | 『現代の眼 8巻10号』(現代評論社) | G |
著者への手紙 『原爆の図』丸木位里・俊著 安井郁 170 |
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<以下、未入力> | ||
1995 | ||
1019 | 没 | |
2010 | ||
1220 | 『広島県現代文学事典』(西原大輔・記) | G |
止
丸木位里
9 | 19010620生19951019没 | 丸木位里 | まるき・いり | 94 | 日本画家。「原爆の図」。『広島県現代文学事典』(西原大輔・記) |
止
資料年表:重藤文夫<作業中>
年月日 | ||
1903 | ||
0413 | 出生地:広島県西条町(現・東広島市) | |
1958 | ||
0331 | 『広島に於ける被爆調査-文献抄録』(広島県医師会原爆医療特別委員会調査部) | |
55)重藤文夫他2名(日赤病院長)Blood Diseased among the A-Bomb Survivors The Rerearch in the Effects and Influences of the Nuclear Bomb Test Explosions. 51 | ||
1961 | ||
0331 | 原子爆弾後障害研究会講演集 第2回 [昭和35年](長崎県、長崎市、長崎原爆障害対策協議会) | |
特別講演 3.広島原爆病院に於ける臨床概況 広島原爆病院長 重藤文夫 645 |
||
1967 | ||
0330 | 『原子爆弾後障害研究会講演集 第7回』(広島原爆障害対策協議会) | |
原爆病院業績のまとめ 原爆被爆者の臨床的観察(その6)横田素一郎 41 広島原爆病院概況 開院以来9カ年の概況 重藤文夫 51 |
||
1969 | ||
0620 | 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 [第9回]』(広島原爆障害対策協議会) | |
原爆症認定の問題点 司会 志水清 1 内科の立場より 重藤文夫 2 |
||
0806 | 『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会) | |
濱井さんを憶う 重藤文夫 454 | ||
1971 | ||
0730 | 『原爆後の人間 対話』(重藤文夫、大江健三郎著、新潮社) | |
1975 | ||
0717 | 広島市名誉市民:原爆病院(現 広島赤十字・原爆病院)の設置及び被爆患者の治療など被爆市民の福祉向上に貢献。 | |
1982 | ||
0717 | 東広島市名誉市民「西条町出身 広島赤十字・原爆病院長として大きな功績を残された。とりわ け原爆障害治療に対する豊富な体験と研究は、世界各国の文献 や学会誌に紹介され、原爆医学の研究に大きな力となった。」HonoraryCitizen2022.pdf (higashihiroshima.lg.jp) | |
1018 | 没 | |
2001 | ||
0722 | 「ヒロシマは二度と繰り返されてはならない。被爆者は世界平和の礎だ」「ヒロシマの被爆者は、その経験者なんだから、原爆の体験から得たものを、体験してないものに伝える必要がある。とにかく『忘れさせない』ということが大切ですよ」。「被爆者の伝言 物故者編≪上≫」 (『中国新聞』20010722) | |
原田一三
はらだ・いちぞう | ****生19901016没 | 原田一三 | 享年86歳 | 86 | 広島県能美島出身。日中友好協会呉支部長。宇吹が小学生から中学生にかけ切手収集の趣味を持ったのは先生のおかげ。 |
日中友好新聞(19901125) |
止
資料年表:新江義雄(しんえ・よしお)<筆名:山ノ木竹志>
年月日 | 事項<敬称略> | 備考 |
1947 | ||
**** | 誕生 | |
1977 | ||
0327 | 新江・山中結婚式。於広島市社会福祉センタ-。 | |
1979 | ||
1223 | 基礎研忘年会。於白島会館。安藤・新江・大谷・村上・佐中・青木・ひわだ・難波・宇吹。 | |
1980 | ||
0304 | 新江(自治研)へ「広島市の平和意識」の原稿を届ける。 | |
0418 | 基礎研の送別会。青木・田中・安藤・新江・村上。 | |
1981 | ||
0601 | 「平和式典考」の原稿を新江に渡す。 | |
1982 | ||
0120 | 基礎経済科学研究所ひろしま研究会.佐中「地方の時代」.於総科社会文化図書室.9時半2次会.佐中・城西・桧和田・安藤・宇吹・新江・村上・仁連・青木。 | |
0203 | 基礎経済科学研究所ひろしま研究会地域経済研究会.於総科社会文化図書室。難波「教育現場を歩いて」。難波・村上・城西・仁連・安藤・宇吹・新江・青木。 | |
0217 | 基礎研。新江・村上・仁連・宇吹。 | |
0421 | 基礎研飲み。於ニュートーキョー。青木・新江・大谷・安藤・仁連・宇吹。 | |
0515 | 午後、安藤宅。松林・藤原・新江。 | |
0828 | 平和公園めぐり。新江、松林、藤原、安藤。 | |
1985 | ||
0105 | 新年会。ニュートウキョウ。新江、青木、村上、安藤、難波、藤本。 | |
1986 | ||
0117 | 新年会。村上、新江、安藤、青木など。 | |
0520 | 飲み。あまのじゃく。安藤、青木、新江、村上、城西。 | |
1987 | ||
0112 | あまのじゃくで青木・新江らと飲み. | |
1989 | ||
0130 | 新江・保団連、来所。 | |
1994 | ||
1225 | 川島より自宅に電話。新江が「被爆50年」のレイアウトを作ってくれる由。フォーマットを教えて貰う。原爆投下をめぐる様々な見解をまとめて資料集をつくりたいとのこと。 | |
1995 | ||
0624 | 全国平和教育シンポ-市民に贈る夕べ「きたがわてつ」平和コンサート。於広島郵便貯金ホール。~9時。開演前に、北川に付き添っている新江と会う。プログラムによれば「サウンドディレクター」として参画。元気そうで安心。 | |
0930 | 日本科学者会議広島支部創立30周年記念集会。シンポジウム「被爆50周年を考える」。於広島弁護士会館。宇吹・佐々木・山田・斉藤・田村報告。-4時半。質疑。-5時半。参加者約80名。木戸・楠・新江・三浦精子などの顔を見る。マスコミの取材陣多し。 | |
1117 | 新江より電話。12月の文団連での講演依頼。RCCの収録日と重なるので断る。 | |
1996 | ||
0127 | 広島合唱団の合唱。メンバーに新江の元気な顔を見る。 | |
0804 | 県立総合体育館の世界大会会場へ。新江と会い、久しぶりに話す。音楽の分野でも、被害=加害問題で揺れている由。新婦人の久保にも挨拶する。そごうの紀伊国屋と溝本積善館でも図書を購入。併せると3万円を越えたか。 | |
0818 | 新江より自宅に電話。奥さんが中島小学校に勤務、再来年、小学校が記念誌の発刊を計画している由で、爆心地関係について問い合わせ。 | |
0828 | 新江夫人より電話。中島小学校の校史に関連し、復元調査の地図が欲しいとのこと。広島市原対部調査課に連絡するようアドバイス。 | |
1997 | ||
0227 | 新江より自宅に電話。呉の飲み屋についての問い合わせ。 | |
0320 | 芸備地方史など主催シンポジウム「旧広島大学理学部1号館から何が見えてくるか?」。於県民文化センター。2時前から参加。-5時。安藤夫妻・植木・西本・新江などと会う。参加者200名で盛会。 | |
0805 | 生協虹の広場(県立体育館)で書籍を購入。森脇・新江・沢野と会う。 | |
1206 | 元大正屋呉服店(レストハウス)の保存・活用を「みんなで話し合う集い」報告者打ち合わせ。於国際会議場コスモス。 | |
1206 | 「憶えていますか」歌唱指導=新江がギターで。黙祷。来栖が今年10月30日に死亡。渡辺則文が後藤陽一の挨拶を代読、楠が経過報告。司会:河瀬、初めの発言:宇吹、三沢純・小西ヒサ子(中島小学校)・諏訪了我(浄宝寺住職)・坂本宏一(広島弁護士会、自由法曹団)。 | |
1998 | ||
1104 | シンポジウム準備会。於全教広島。-8時。楠・高橋・三澤・新江・石丸・河瀬・植木・舟橋・宇吹。 | |
1129 | 休日出勤。「「ヒロシマの街づくり」をみんなで話し合う集い集い」の発言の準備。0時半、婦人教育会館到着。楠・三沢・今・?(芸備地方史研究会)・橋本・センコウ(市職)・新江・高橋などが会場設営。 | |
1999 | ||
0402 | 三沢送別会。新江と。福屋前集合。-9時。難波(中国)も来る予定であったが、地方選の告示日で動きがとれないとのことこと。 | |
2000 | ||
1120 | 原爆遺跡保存懇結成10周年記念パーティ。於・国際ホテル。会費5000円。約40人出席。渡辺・石丸・舟橋と同席。吉川生美・湯川・新江らと話す。石丸の話=あと3年で停年。事務所を開くつもり。 | |
2001 | ||
0416 | 新江より大学に電話。文団連での話を依頼される。実情を話し断る。 | |
<以上の出典=宇吹の日誌> | ||
2006 | ||
0101 | 宇吹宛賀状 | |
2007 | ||
0101 | 宇吹宛賀状 | |
2009 | ||
0101 | 宇吹宛賀状 | |
0124 | 山ノ木竹志とその仲間たちコンサート (県民文化センター) | |
1023 | 没。享年62歳。 | |
2010 | ||
0131 | 山ノ木竹志をうたうコンサート(厚生年金会館) | |
<作業中> | ||
止
資料年表:坪井直
年月日 | 事項 | 備考 |
1925 | ||
0505 | 広島県音戸町(呉市)生まれ 。 | |
1973 | ||
0720 | 『あさ 9号』(山下会) | |
「寄稿]坪井直「遠雷と平和と」・68 | ||
1975 | ||
0310 | 『かけはし 父母が語る戦争体験記』(翠町中学校PTA文化部編、翠町中学校PTA) | |
ある青き春 坪井直 8 | ||
1977 | ||
1220 | 『この子らに語りつぐもの 広島原爆被爆教職員の手記 第1集』(広島県原爆被爆教職員の会・広島県高校原爆被爆教職員の会編、刊) | |
坪井直「とどろき 」 116 | ||
証言Ⅰ よみがえるあの日、あの時 閃光と轟音の底で 坪井直 80 |
||
1989 | ||
0720 | 『木の葉のように焼かれて 第23集』(新日本婦人の会広島県本部) | |
助けられた生命を平和のために 坪井直 10 | ||
1992 | ||
0831 | 『証言-ヒロシマ・ナガサキの声1992 第6集』(長崎の証言の会) | |
1995 | ||
0125 | 『原水禁ヒロシマ 1月号 No.91』(原水爆禁止広島県協議会) | |
激動の一九九四年を顧みて 坪井直 6 | ||
0525 | 『未来を語りつづけて 続 ヒロシマ・平和教育の継承と連帯』(広島県教職員組合・広島県原爆被爆教職員の会編刊) | |
第一章 被爆体験と教育 燃えて、そして燃えた 坪井直 20 |
||
0525 | 『原水禁ヒロシマ 5月号 No.93』(原水爆禁止広島県協議会) | |
反核ニューヨーク行動へ参加して 坪井直 6 | ||
0728 | 『原爆被害者の「叫び」 原爆50周年記念特集 第二集』(久井町原爆被害者の会) | |
発刊によせて 広島県原爆被害者団体協議会事務局長 坪井直 14 | ||
1997 | ||
0524 | 『未来への伝言 広島・長崎被爆者が綴る証言集』(尼崎市原爆被害者の会) | |
メッセージ 広島県被団協事務局長 坪井直……15 |
||
<以下作業中> | ||
2021 | ||
1024 | 死亡。 | |
止