『校長の記録』(今堀友市、培風館刊、19611210)
内容
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『校長の記録』(今堀友市、培風館刊、19611210)
内容
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『原水爆禁止運動(潮新書)』(今堀誠二、潮出版社、19740625)
内容<作業中>
頁 | 大会 | 備考 | |
7 | 1 | プロローグ | |
37 | 2 | 被爆者・全国民・全世界との連帯が高まる | |
57 | 3 | 地方原水協の強化と中央および国際組織の空転 | |
85 | 4 | 日本の非核武装化にたちむかうために | |
111 | 5 | 原水禁運動の正しい道と左右の日和見主義 | |
130 | 6 | 戦う平和運動の目標は軍備全廃か冷戦終結か | |
155 | 7 | 帝国主義時代の平和理論と原水爆時代の平和理論 | |
176 | 8 | 社・共両党の激突と大衆の統一への願い | |
192 | 9 | 国民運動の崩壊と再生への四つの芽 | |
232 | 10 | 毛沢東理論からみた日本原水協批判 | |
261 | 核兵器のない世界をめざして | ||
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児玉光雄
こだま・みつお | 1932****生20191028没 | 享年88 | 2011年から広島平和文化センターの被爆証言者。広島一中年生12歳の時被爆。 |
資料年表:児玉光雄<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1932 | 誕生 | |
1954/04/25 | 『追憶』(広島一中遺族会) | |
1974/05/01 | 『ゆうかりの友』(広島県立一中被爆生徒の会) | |
20190925 | 『異端の被爆者 22度のがんを生き抜く男』(横井秀信、新潮社) | |
20060801 | 「被爆者運動50年 明日への扉<8>」(『中国新聞』編集委員・西本雅実、記者・荒木紀貴) | |
20100417 | 「被爆の痛み 世界に訴え ピースボート出航」(『中国新聞』記者・荒木紀貴) | |
20180301 | 『千代田区平和使節団の報告 (平成29年度)』(千代田区地域振興部国際平和・男女平等人権課) | |
「戦争体験者のお話 児玉光雄」 | ||
20230310 | ~5月26日。2022年度広島大学原爆放射線医科学研究所資料展示「被爆者を生き抜く 資料から見えてくる児玉光雄さん」(担当教員:久保田明子)。会場:広島大学医学部医学資料館。 | |
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白土三平
しらと・さんぺい | 本名:岡本登(のぼる) | 19320215生20211008没 | 漫画家。『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』『カムイ伝』など。 |
資料年表:白土三平<作業中>
年月日 | 資料名 | 著者・発行者など |
1932 | ||
0215 | 誕生 | |
2009 | ||
0330 | 『消えゆく少女 前編』(小学館クリエイティブ) | |
中野晴行(評論家)「核兵器の恐怖とマンガ」 | ||
0426 | 『消えゆく少女 後編』(小学館クリエイティブ) | |
佐藤優(作家・起訴休職外務事務官) | ||
2021 | ||
1008 | 逝去。享年89歳。 |
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序(蔵本淳・広島大学原爆放射能医学研究所長・付属原爆被災学術資料センター長)
『原爆関係蔵書目録Ⅲ 1984年1月~1988年12月』(広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センター資料調査室 編・刊、19900731)所収
内容
序 昨年末,全米研究評議会(NRC)は低レベル電離放射線の生物学的影響についてBEIR (Biological Effect ofIonizing Radiation)の報告書Vを発表して注目されている。現在,放射線許容量などの基礎ともなっている BEIR一報告書Ⅲ(Chairman: A, C, Upton, 1980), I CRP (国際放射線防禦委員会)や, UNSCEAR (国連科学委員会)からのデータが,この10年間の広島,長崎での調査研究成果から,大幅な改訂を迫られたというoとくに白血病や,発癌リスクについては従来の甘さが指摘され,また被爆胎児の知能発育,被爆者の子供への遺伝的影響,被爆者年令(ATB)の影響などの見直し,未解決の問題を指摘している。 本資料センターは,原爆被災に関する資料の保存を目的として1974年(昭和49年)4月,日本学術会議の政府勧告,地元広島,長崎市民の要望,研究者,関係財団の熱意と努力の結果,当研究所に併設された。その当時の関係者の卓見とこれを実現された熱意とエネルギーに襟を正す思いである。 以来,営々と資料の収集と整理に努力が重ねられ,すでに「原水爆関係資料目録I」は1974~78年の5年分を1980年に,「原爆関係蔵書目録U」は, 1979~1983年の5年分を1985年に発刊してきた。今回は特に直接被爆者本人からしか聞きとれない,かけがえのない原爆被爆体験に関わる資料を一義的に収集する方針から被爆記録,体験記,手記に重点をおいた。そして個人体験のみならず,原爆当時の組織,機関,団体ごとの手記や記録が主要なものとなっている。45年を経過し,生き証人となる方々が,年々少なくなってこれら貴重な資料が埋れ,散逸することが懸念されている。今回の成果は市民の方々の深い理解と暖かい協力の賜であることを強調して感謝したい。 本センターは,これら「資料調査室」の活動とともに,「医学資料室」,「人口資料室」が各々の作業を進めて,原医研年報に成果を報告している。今後は上記のごとく,広島,長崎のデータが,これからの人類の命運に関わる放射線の人体に及ぼす影響について,原子力の平和利用,宇宙開発に伴う健康管理についてのかけがえのない情報を提供することにより,世界平和にも貢献できる貴重な資料であることを改めて確認する必要があろう。またそうならなくてはならない責任が,この資料センターには嫁せられ,また期待されていることを認識しなければならない。4年を経過したチェルノブイル原発事故後の放射能汚染問題を解決するため,ソ連政府からの依頼でIAEA (国際原子力機関)が調査を開始している。今回も広島,長崎からの参加,研究協力がソ連政府からも,国際機関からもそして現地の官民,医療機関からも強く要望されていることを,身をもって体験し覚悟を新たにしている。 目録刊行にあたり資料の御寄贈御協力頂いた方々に感謝すると共に,目録の作成に尽力された資料調査室の皆様に敬意を表します。今後共,各位の御理解と御指導を切にお願い致します。 1990年5月 広島大学原爆放射能医学研究所長 附属原爆被災学術資料センター長 藏本 淳 |
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犬丸義一
没年 | よみ | 享年 | 備考 |
1928生
20151002没
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いぬまる・ぎいち | 87 | 歴史研究者。1967年の歴史科学協議会の結成に参加、全国委員を務める。元長崎総合科学大学教授(1979年~1993年)。宇吹の学生時代、氏の長崎総合科学大学着任前後に面談。 |
著書
書名 | 発行所 | 発行年月日 | 備考 |
日本共産党の創立 | 青木書店 | 19821001 | |
第一次共産党史の研究―増補日本共産党の成立 | 青木書店 | 19930315 | |
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香川亀人<作業中>
19931015没 | 香川亀人 | かがわ・かめと | 97 |
資料年表:香川亀人
1942 | ||
香川亀人編『広島県方面委員呉連盟十年史』 | ||
1953 | ||
香川亀人『愛の灯をかかげた人々』(広島県民生委員連盟) | ||
1954 | ||
民生委員の父 林市蔵先生伝 香川亀人/著–広島県民生委員連盟–1954 |
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1966 | ||
老人問題研究会抄録 香川亀人/記–香川 亀人– |
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1968 | ||
テレビの見方についての研究 香川亀人/記–香川 亀人 |
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テレビの見方についての研究 香川亀人/記–香川 亀人 |
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1969 | ||
「吉浦の石工」の研究 香川亀人/著–吉浦わかやぎ会– |
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1970 | ||
明治時代を主にして 香川亀人/編–吉浦わかやぎ会– |
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嶂南慧海氏略伝 香川亀人/編–香川 亀人–1980 |
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197111 | 大正・昭和時代 香川亀人/編–吉浦わかやぎ会– |
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ミス・ドロシー・デッソー 香川亀人/編–香川 亀人 |
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1978 | ||
名国手 青木鎮造 評伝 奉仕の人 宇根 実 評伝 香川亀人/著–香川 亀人–1976 |
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商学博士 田中貢伝 香川亀人/著–香川 亀人–197412 |
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吉田照登 木村謙吾 英百合子 略伝 香川亀人/著–吉浦郷土史研究会–197309 |
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1985 | ||
忘れ得ぬ伊藤恕介先生の思い出 香川亀人/編–香川 亀人 |
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一民生委員の足跡 第2集 香川亀人/著–香川 亀人- |
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一民生委員の足跡 第3集 香川亀人/著–香川 亀人 |
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1987 | ||
05 | 吉浦の昔ばなし集 香川亀人/著他–吉浦の文化を進める会 |
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1988 | ||
04 | 吉浦の昔ばなし集 (続編) 香川亀人/著他–吉浦の文化を進める会 |
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道重哲男
みちしげ・てつお | 生20051027没 | 享年75 | .島根大学名誉教授。 |
修道高等学校のクラス担任 | |||
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坪井直追悼(新聞コラム要約)
掲載日 | < 紙名(コラム名)>要約 |
20211029 | <朝日(天声人語)>オバマ大統領、ネバーギブアップ。 |
20211029 | <中国(天風録)>毎年の賀状〈九十才代でお迎えが来たら、も少し待ってくれと泣きつこう/百才になってお迎えが来たら、そろそろOKしようかなと思う/平和の仕事が残っている。も少し生かしてほしいね〉。日本被団協代表委員。96歳での訃報。「ヒロシマの顔」。20歳で被爆。オバマ氏と対面。 |
20211029 | < 赤旗(潮流)> 当時20歳の学生「アメリカの野郎、よくもやったな。このお返しは、きっとするぞ」。御幸橋のたもとで記した「坪井はここに死す」。遺言のつもりが周りの人から助けられ、その恩返しと命のありがたさが被爆者運動の原点。みずから「ピカドン先生」。96歳の生涯で入退院を10回以上、抱えるがん二つ。その遺志を受け継ぐ人々のたたかいはこれからも。彼の締め言葉のように「ネバーギブアップ」。 |
20211031 | < 毎日(余録)>坪井直:20歳で被爆、60歳で教員を退職、79歳2005年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の際ニューヨークで4万人デモの先頭に立つ。91歳広島を訪れたオバマ氏に語りかける、4年前に冊子「にんげん坪井直 魂の叫び」を作る。96歳で亡くなるまで「ネバーギブアップ」を貫いた坪井さん。その精神を受け継ぐことが鎮魂の道。 |
坪井直関係資料一覧<作業中>
年月日 | 資料名 | 種類 | 備考 |
19750310 | 『かけはし 父母が語る戦争体験記』( 翠町中学校PTA文化部編 翠町中学校PTA) | 刊本 | |
19790701 | 『この子らに語りつぐもの 広島原爆被爆教職員の手記 第1集』 (広島県原爆被爆教職員の会、広島県高校原爆被爆教職員の会編・刊) | 刊本 | |