「10月忌」カテゴリーアーカイブ

「原爆の図」くまもと展記録集

『「原爆の図」くまもと展記録集』(「原爆の図」くまもと展記録集編集委員会編、「原爆の図」くまもと展実行委員会、19850301)

目次

見出し
002 [はじめに]1984年1月 「原爆の図」くまもと展実行委員会
003 グラビア
004 グラビア「原爆の図」くまもと展 1984年7月30日(月)➡8月」5日(日)
006 くまもと展へのメッセージ 丸木位里・丸木俊
010 連帯メッセージ 石川保夫(原爆の図・丸木美術館事務局長)
011 京都展 7月13日➡7月22日 京都市立美術館  石田紀郎(丸木位里・丸木俊「原爆の図」を見る会事務局長)
014 実行委員の感想 私にとっての「原爆の図」くまもと展
二度とくり返さないために (江崎啓子・熊本YMCA ) 真実を伝え、平和を築くために (永野輝全) 創りつつ育てていく平和(竹熊千栄子) リンゴの木を植えつづけること(神田公司) 自分の感覚で真の市民参加(砂岡憲喜 ) 戦争を考える一つのきっかけ( 神谷弘子 ) 夏の情熱から秋の実りへ( 成毛克美 ) いのちを守るための運動(新井正子) 私が抱えてやらねば… (藤本寿子) 熱い「原爆」の夏 (開安紀子) 「しまった ─!」コンサート (会沢剛也 ) 未来を背負う子供達と共に!( 相沢いく子 ) 会場整理係のイスの上で( 坂梨勝一 ) 「原爆の図」展を学内活動の糧に( 重永剛志) 「ノーモア」、さけびつづけなければ (徳丸亮子 ) 一人一人の殻を破って (上村邦彦) 若い人達と共に掴んだ「大きな課題」 (中沢順子) 日常に中で反戦運動を( 植村仁美 ) 人間の顔が見える運動 (迫和久 ) むじな (中川寿子) すっぽり抜け落ちた学生( 草間康弘 ) 今、生きていること (坂田幸二) 「からす」の前で (高倉美和 ) 病院を脱け出して観覧(松田健二) 平和運動を前進させる( 柴田徳義 ) 未だ見ぬ「原爆の図」に捧ぐ( 榎田弘) 静かに燃え続けている反戦・反核の火 (高橋章夫) 成功の要因 (中川周三) おんな達よ、こだわりつづけよう( 須藤久仁恵) 反戦・平和を願いつづける子供らに (坂本恵子 ) どくだみの花 「原爆の図展」におもう (河上洋子 ) ただ今、クマモト戦争中! (古園学 ) 平和の中で生命をはぐくむ (古閑和子 ) ほとばしる平和への願い(瀬上拡子 ) いのち( 久保田伸子 ) 平和運動の教訓に(今泉克己 ) 子供達と参加した原爆展( 山野幸司 )
052 くまもと展に関する新聞報道スクラップ
066 丸木夫妻を迎えて オープニングのつどい 県立劇場大会議室
067 丸木位里さんのお話
070 丸木俊さんのお話
084 質問に応えて
099 ドキュメント 熱い、熱い8日間― 神田公司(原爆の図くまもと展事務局)
108 アンケート集約 6776枚のアンケートから
130 高校生の反核シンポジウム 報告
136 平和のためのシンポジウム :平和への限りない願いを、熊本での豊かな潮流とするために
145 平和のためのシンポジウム :「原爆の図」くまもと展の閉幕にあたって
146 座談会:女たちが支えた「原爆の図」くまもと展
166 くまもと展のあ・ゆ・み 1983・11月→1984・8月
170 京都・熊本・長崎 原爆の図展共同アピール
171 原爆の図くまもと展ニュース
171 1号(19840118)
175 2号(19840213)
179 3号(19840309)
183 4号(19840507)
187 5号(19840607)
191 6号(19840701)
199 くまもと展ちらし
201 講演会ちらし 関屋綾子さんと「原爆の図」を語る集い(6月17日)
202 ポスター
203 会計報告
205 「松木美術館友の会」の呼びかけ
206 呼びかけ人
207 後援団体
207 賛同団体
210 賛同者名簿
228 編集後記

 

咲け山ユリの心 山村児童と広島原爆病院の交流

『咲け山ユリの心 山村児童と広島原爆病院の交流』(神田三亀男著 日本経済評論社、19880625 )

内容

備考
装幀=佐藤忠
写真 平和を祈る弥かゆりの像
001 芸北の山地
005 青少年赤十字団活動
009 山ユリを見舞いに
014 日赤病院長からの礼状
020 山ユリをバケツで運ぶ
023 患者さんからの手紙
026 原爆病院へ
033 慰問文集の発行
037 山ユリと文集を持って
052 患者と児童を結ぶ
062 山ユリ慰問の記録
074 山ユリ慰問を終えて
086 「ささゆり研究試験地」
093 児童会の活動
097 文集「やまゆり」抄
194 山村児童の生活史『やまゆり』
200 山ユリ慰問三十五周年
208 記念事業で 山ゆりの像
212 除幕式で 平和宣言
216 平和を訴えた中学生
 222 佐々木巨美さんを動かしたもの
233 ある被爆者
237 上殿小学校の学校経営
253 地域ぐるみの愛の使節
261 あとがき

神田三亀男

神田三亀男

かんだ・みきお ****生20171026没 享年95 民俗学者、歌人。『広島県現代文学事典』。

著書

書名 発行所 発行年月日
原爆に夫を奪われて 広島の農婦たちの証言 岩波書店(新書) 19820222
咲け!山ユリの心-山村児童と広島原爆病院の交流 日本経済評論社 19880625
証言・戦争と農村-戦争・原爆・農婦たち 日本農業新聞中国・四国支所 19830801

 

 

ドキュメント悲しみの千羽鶴

ドキュメント・悲しみの千羽鶴(豊田清史、創樹社、1991/07/10)目次

1 鶴を折りつつなぜ死んだ
2 二歳で被爆、でも元気に育った
3 六年生の冬、原爆症が出た
4 生きたくて千羽鶴を折る
5 ほんとうは千三百羽をこえていた
6 禎子よ、もう一度この胸に
7 「原爆の子の像」建立へ
8 子どもの力で平和をきずくのだ
9 パン代五五〇円使っただけ
10 はばたく千羽鶴
11 苦しみに絶った若い命
12 千羽鶴のこころね
13 次つぎと寄せられた千羽鶴
14 反核への折り鶴運動
15 禎子の折った赤い鶴
16 海を越える折り鶴の輪
17 折り鶴への放火事件
18 像の二〇万羽を引きちぎる
19 首相の句碑には折り鶴がない
20 「折り鶴の会」の嘆き
21 折り鶴でとっちめられた私
22 千羽鶴の詩歌や出版書
23 ピカドン竹藪の千羽鶴
24 「金色の鶴」の紛失
25 湯川博士より「千羽鶴」の書
26 お母さんの千羽鶴
27 七六万羽折った北川さん
28 町をあげて千羽鶴運動
29 さまざまな問題をもつ平和公園
30 鶴に生きる禎子の霊よ
31 千羽鶴が絶えませぬように
あとに

 

 

アジア研究半世紀の軌跡(今堀誠二)

『アジア研究半世紀の軌跡 今堀誠二遺稿集 』(今堀百合子編 刊、2002年5月9日)目次

1ー1 エッセイ
1-2 中国研究
1-3 平和
人類におけるヒロシマ
原爆被害者援護法についての意見書
中国と私、そしてヒロシマ
Ⅰ 序
Ⅱ 中国研究
Ⅲ 日中関係と世界の平和
 Ⅳ ヒロシマ
 原爆被爆四十周年への提言
 人類の平和への歩み
 1―4  教育
 人類の過去・現在・未来-教育の役割への洞察-
 2-1  人間
 今堀先生の学士院賞受賞を祝して(鈴木修次)
 今堀誠二先生-明日への旅人(喜多村和之)
 私の観た今堀先生( 藤川行平)
 今堀中国学の真髄-「中国封建社会の構成」刊行によせて-( 小林文男)
2ー2  追悼
 追悼のことば(中国・朝日・毎日) 弔辞(瀬戸内寂聴・横山英・天野実) 難波紘二 小林正典 小林惇  惜別録(読売新聞)森田定治 吉田嘉清 新島淳良 河地重蔵 今永清二 庄野直美 「青眼」序言 田中伸武 渡辺則文 大牟田稔 栗原貞子
2-3  思い出
 ヒロシマに殉じた兄のこと(今堀宏三)
誠二と私(今堀和友)
 兄の思い出(今堀百合子)
3
 今堀誠二略歴
 功績調書
 今堀誠二学位請求論文調査要旨
日本学士院賞受賞審査要旨
 各務賞「優秀図書」選評
 谷本清平和賞受賞者プロフィル
 あとがき
 研究業績目録

今堀誠二交遊抄

野にありて―今堀誠二交遊抄―

出典:『歴史家の旅 』(今堀誠二、勁草書房、1993年10月20日)pp.216~253

朝日新聞広島版(中川正美記者)に15回連載(1988年3月10日~4月1日)

見出し 人物 備考
1 幼なじみ 峠三吉(原爆詩人) 1953年3月10日未明、死亡。36歳
2 寡黙の人 重藤文夫(広島赤十字病院院長、原爆病院初代院長) 1982年没
3 秘密出版 正田篠枝 歌人
4 番外会見
5 危険な旅
6 TV対談
7 最後の声
8 庶民官僚
9 闘士二人
10 幻の映画
11 論敵同士
12 首相談判
13 抗議の書
14 中国開眼
15 七十自述

 

 

千羽鶴-原爆の子の像の記録

千羽鶴-原爆の子の像の記録(豊田清史、昭森社、19580806)目次

1 起き上った子どもたち
2 千羽鶴の折紙も空し
3 「こけしの会」から「平和をきずく会」へ
4 少し勉強して出血する
5 非人間への抗議の証
6 全国の友達の激励に支えられて
7 私たちは論議よりも実践をする
8 級友の手で文集『こけし』を発刊
9 恵美子さんの臨終
10 百万の子どものねがい、制作は菊池先生
11 世界の子どもが手をつなごう
12 クリスマス島の水爆実験に抗議する
13 いためつけられる墓碑
14 星の一つが見つめている
15 大人の批判もうけて
16 広島の死の事実を
17 世紀の握手、Xマスの集い
18 〈原爆の子〉の祈念像
〈附録〉「平和をきずく児童・生徒の会」のあしあと
あとに
補記

〈附録〉「平和をきずく児童・生徒の会」のあしあと

月日 事項
1955(昭和30) 1025 佐々木禎子さんが原爆症でたおれた。12人目。
1110
1225

献花(10月)

献花(10月)

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タマスダレ   撮影場所:実家、撮影日 10月1日
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ハナニラ    撮影場所:実家、撮影日 10月1日
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きんもくせい(金木犀) 撮影場所:実家、撮影日 10月1日
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わけぎ(分葱) 撮影場所:倉庫、撮影日 10月1日
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ひがんばな(彼岸花) 撮影場所:倉庫、撮影日 10月1日
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 撮影場所:自宅、撮影日 10月1日
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椿の種 撮影場所:実家、撮影日 10月1日
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はぎ(萩) 撮影場所:京都市左京区修学院・修学院離宮、撮影日 10月4日
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  撮影場所:京都市左京区一乗寺門口町・詩仙堂、撮影日 10月4日
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さらしなしょうま  撮影場所:京都市・詩仙堂、撮影日 10月4日
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すすき   撮影場所:京都市・詩仙堂、撮影日 10月4日
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モクレンの実   撮影場所:実家、撮影日 10月9日
 DSC09515
  撮影場所:実家、撮影日 10月9日
 DSC09519
  撮影場所:実家、撮影日 10月9日
 DSC09520
  撮影場所:実家、撮影日 10月9日
 DSC09530
ツワブキ(石蕗)   撮影場所:実家、撮影日 10月17日
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パンジーとビオラ 撮影場所:倉庫、撮影日 10月17日
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みぞそば(溝蕎麦) 撮影場所:自宅から実家に向かう途中の小川、撮影日 10月18日
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くれたけ(呉竹)  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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らっきょう 撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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シュウメイギク(秋明菊)  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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つた?  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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かっぽん(いたどり)  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
DSC09603
 ? 撮影場所:実家、撮影日 10月22日
DSC09588
?  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
DSC09587
  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
DSC09586
?  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
DSC09585
ほうき草(コキア)  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市)

 

玉川忠太

玉川忠太

たまがわ・ちゅうた 19870903生19701031没 享年73
広島県立医学専門学校講師。後日入市。広島で被爆遺体を解剖。[学研調査]。[広島大学]

資料

企画展案内:『病理学者、原子野をゆく―広島大学医学部教授・玉川忠太の原爆症への挑戦』(広島大学医学部医学資料館、2018年8月3日~9月20日)