『原水爆禁止運動』(今堀誠二、潮出版社、19740625)
目次
第*回大会 |
タイトル<初出掲載誌紙> |
プロローグ |
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原水禁運動の発足 |
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杉並アピール |
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見殺しにされた被爆者 |
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被爆者救援運動の発足 |
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1 |
三千二百万人の国民運動の進展 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』187号(195509)> |
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八月六日の回想 |
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発言の本音 |
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被爆者の生活と意見 |
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科学者の責任 |
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救援運動の出発 |
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基地闘争への賛否 |
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ヒロシマ・アピール |
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歴史学研究会の問題点 |
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歴史をになうもの |
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2 |
被爆者・全国民・全世界との連帯が高まる |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』200号(195610)> |
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世界を動かしたヒロシマ |
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世界の連帯 |
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進む戦争準備 |
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沖縄問題 |
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再軍備への告発 |
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被爆者救援運動との結合 |
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原子力の平和利用と大衆 |
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大衆運動の進め方への反省 |
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3 |
地方原水協の強化と中央および国際組織の空転 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』211号(195709)> |
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台所までもち込まれた運動 |
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専門家の告発 |
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歴史家は何をすべきか |
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六大陸にひろがった原水禁運動 |
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原水爆戦争体制との対決をうち出す |
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会議は空転する |
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全学連の誤謬 |
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大会決定の成果と不安 |
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問題点のかずかず |
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組織と理論に重大な欠陥 |
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4 |
日本の非核武装化にたちむかうために |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』223号(195709)> |
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岸内閣を助けた原水協 |
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ICBMの評価を誤る |
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欧米で核兵器反対運動高まる |
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平和行進 |
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原爆の加害国化する日本 |
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統一戦線 |
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日本の核武装 |
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空転する討論 |
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中国・朝鮮への差別 |
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運動の進め方への反省 |
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難航した国際会議 |
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実験禁止から核武装反対へ |
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原水協を全国民のものに |
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5 |
原水禁運動の正しい道と左右の日和見主義 |
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<初出掲載誌紙:『歴史評論』110号(195910)> |
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原水禁運動のマニフェスト |
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一千万人の平和行進 |
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自民党の妨害工作 |
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安保改定と原水禁運動 |
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大会からの脱退者 |
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左右の日和見主義者 |
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6 |
戦う平和運動の目標は軍備全廃か冷戦終結か |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』246号(196010)> |
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二千二百万人の平和行進 |
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平和の敵は誰か |
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平和運動における二大潮流 |
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人類の導きの星 |
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日本と沖縄での戦いの報告 |
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大会の混乱と成果 |
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軍備全廃か冷戦終結か |
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7 |
帝国主義時代の平和理論と原水爆時代の平和理論 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』257号(196109)> |
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謀略工作 |
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平和運動における西欧方式とAA方式 |
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AA地域別会議流れる |
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本会議でのかけひき |
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大会決議のおもてうら |
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原水爆時代の平和理論 |
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大衆の平和運動 |
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両派の自己批判と運動の進展 |
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8 |
社・共両党の激突と大衆の統一への願い |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』269号(196210)> |
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矛盾の中で |
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総評まかり通る |
|
あらゆる核実験に抗議する問題 |
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核戦争の元凶は誰か |
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幅広い運動か、反帝政治闘争か |
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原水協の「内乱」と統一のエネルギー |
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9 |
国民運動の崩壊と再生への四つの芽 |
|
<『思想の科学』19号(196310)> |
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宗平協―国民運動をはぐくむもの |
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地方原水協の活動 |
|
原水協、国民を無視 |
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大会準備のなかでー国民運動にそむくもの |
|
大会のうらおもて―国民運動の崩壊劇 |
|
大会懇談会の諸報告―国民運動の新しい芽 |
|
すべての地域と職場に原水協をつくろう |
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10 |
毛沢東理論からみた日本原水協批判 |
|
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』299号(196504)> |
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原水禁運動と私 |
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毛沢東の平和理論の問題点 |
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中ソ対立と原水禁運動 |
|
民族解放運動との接点 |
|
資本主義国の平和運動の意義 |
|
統一戦線への整風運動 |
|
日本の平和運動の性格 |
|
広島の平和運動の性格 |
|
原水協はその基本原則で再統一を |
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核兵器のない世界をめざして |
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<『聖教新聞』1973年2月21日~28日> |
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日本の安全はどうして守るのか |
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平和運動のゆくえ |
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新しい平和の条件 |
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国際連合の将来 |
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あとがき |
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|
『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)
章 |
節 |
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Ⅴ |
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崩れぬ平和をかえせ |
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あるブルジョアの一家 |
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三吉の少年時代 |
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原爆の日より |
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広島日鋼争議 |
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平和大会と「われらの詩」 |
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朝鮮戦争への抵抗 |
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砲声下の原爆詩集 |
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平和運動の組織化へ |
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美しい生涯と原爆症 |
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生きている峠三吉 |
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Ⅵ |
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朝鮮戦争に抗して |
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1 |
原爆禁止運動の烽火 |
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原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について |
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2 |
ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ |
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広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、 |
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3 |
流星光底長蛇を逸す |
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マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、 |
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4 |
冬の旅を行く |
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Ⅶ |
|
人命は冷戦より尊い |
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1 |
原水協のうまれるまで |
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ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、 |
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2 |
輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会 |
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10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、 |
|
|
|
3 |
原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会 |
|
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|
世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、 |
|
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|
4 |
フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会 |
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地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、 |
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5 |
東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会 |
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総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、 |
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6 |
東西融和の促進と安保改訂-第五回大会 |
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|
原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、 |
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7 |
世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動 |
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|
ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人 |
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|
Ⅷ |
|
新紀元は始まる |
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|
一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる |
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あとがき |
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上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。
下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。 |
|
|
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|
運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。 |
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しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。 |
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|
今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。 |
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|
本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。 |
|
|
『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)
章 |
節 |
|
登場人物 |
備考 |
Ⅰ |
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ピカドンに死なず |
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|
幽鬼の町ヒロシマ |
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今堀誠二 |
山口県の西北海岸、一兵士。 |
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古賀八重子 |
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少国民の最後 |
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|
「菩提樹」をうたう少女 |
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|
敗戦を飾る犠牲者の美 |
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|
世界の良心は告発する |
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|
ピカドンに屈せず |
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|
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。 |
Ⅱ |
|
占領軍に屈せず |
|
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1 |
第二の誕生 |
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|
「生ましめん哉」 |
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|
栗原氏と「中国文化」 |
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栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹 |
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|
プレスコード下の最初の刊行物 |
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|
『中国文化』創刊号 |
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ヒロシマは歴史の証人 |
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2 |
ざんげの道 |
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悲嘆の日記「さんげ」 |
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トマトをめぐる母子の悲歌 |
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|
守られた非合法出版物 |
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|
死の商人のざんげ |
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|
地球を動かす支点 |
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|
警告ビラは回収された |
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3 |
無欲の顔 |
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|
村にきたジープ |
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|
原爆について語るな |
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|
作家の眼がとらえた「屍の街」 |
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|
無欲顔貌 |
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|
人間の精神はボロになった |
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|
平和をかえして下さい |
|
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|
いまだ癒えぬ傷あと |
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|
4 |
原爆エレジー |
|
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|
原子野に咲いた「夏の花」 |
|
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|
壊された詩碑 |
|
|
|
忘れかけたあの日の記憶 |
|
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|
「長崎の鐘」 |
|
|
|
原爆エレジーの流行 |
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|
5 |
よみがえった記録映画 |
|
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|
映像になった記録 |
|
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|
占領軍の撮影禁止 |
|
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|
生きていたプリント |
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|
公開された被爆写真 |
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6 |
科学者の道 |
|
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|
廃墟に芽ばえた国民の科学 |
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災害調査はじまる |
|
|
|
奇病の発生第二期症状 |
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|
病理へ振るうメス |
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全滅した劇団「桜隊」 |
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|
都築氏の活躍 |
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|
世界最初の原爆症講演会 |
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原爆症救護病院 |
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|
山津波にのまれた京大班 |
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|
災害調査研究特別委員会 |
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|
きびしい原爆の秘密保持 |
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|
撤去された研究施設 |
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|
原爆はGHQのタブー |
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|
終戦の日に始った原爆戦争の準備 |
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|
恐るべき後遺症 |
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|
原爆症とは何か |
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被爆者はABCCのモルモットか |
|
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|
原爆禁止は科学者の道 |
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Ⅲ |
|
ノー・モア・ヒロシマ |
|
|
1 |
原爆は戦争ではない |
|
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|
広島に向った青い眼の記者 |
|
|
|
死臭と敵意の中で |
|
|
|
ヒロシマからの報告 |
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|
人類よ!広島をくり返すな |
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|
原爆患者の存在を抹殺 |
|
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|
勝利した官製ニュース |
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|
二つの原爆処理方式 |
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|
科学者の「十字軍」 |
|
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|
|
2 |
人道主義と反戦主義 |
|
|
|
全米を震撼させた実話小説 |
|
|
|
「ヒロシマ」の主人公たち |
|
|
|
人道主義の原爆否定 |
|
|
|
同情はごめんだ |
|
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|
アメリカの盲点 |
|
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|
世界連邦主義 |
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|
ピース・センターと精神養子 |
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|
原爆乙女の厚生 |
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|
憤激をかったルーズベルト夫人 |
|
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|
原爆乙女は立証する |
|
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3 |
平和祭 |
|
|
|
広島平和復興祭 |
|
|
|
46・7年の世界の動き |
|
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|
マ元帥の教書と「平和宣言」 |
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|
原爆をとりあげたアメリカの新聞 |
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|
8・6をカーニバルにするな |
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|
世界でもたれたヒロシマ・デー |
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|
貧弱だった「原爆否定の研究室」 |
|
|
平和こそ女性の幸福の源 |
|
|
原爆外交と広島の復興 |
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|
大衆から浮いた平和祭 |
|
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|
4 |
偏見を乗り越えて |
|
|
|
東洋にかけるアメリカの橋 |
|
|
クエーカーの絶対平和主義 |
|
|
シュモー氏の「広島の家」 |
|
|
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ |
|
|
神よ平和を来らし給え |
|
|
むずかしい平和住宅の運営 |
|
|
ブ夫人の公民館 |
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|
平和運動を離れた「広島の家」 |
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|
平和精神をうらづけるものは何か |
|
|
シュ氏のピントの甘さ |
|
|
ブ夫人への一票は原爆防止の一票 |
|
|
|
|
Ⅳ |
|
過ちは繰返しませぬ |
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|
|
殴殺されたアメリカ兵 |
|
|
恩讐を越えた供養塔 |
|
|
原爆で死んだ異国の人 |
|
|
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから |
|
|
|
|
|
あとがき |
|
|
『「原爆の図」くまもと展記録集』(「原爆の図」くまもと展記録集編集委員会編、「原爆の図」くまもと展実行委員会、19850301)
目次
頁 |
見出し |
|
002 |
[はじめに]1984年1月 |
「原爆の図」くまもと展実行委員会 |
003 |
グラビア |
|
004 |
グラビア「原爆の図」くまもと展 1984年7月30日(月)➡8月」5日(日) |
|
006 |
くまもと展へのメッセージ |
丸木位里・丸木俊 |
010 |
連帯メッセージ |
石川保夫(原爆の図・丸木美術館事務局長) |
011 |
京都展 7月13日➡7月22日 京都市立美術館 |
石田紀郎(丸木位里・丸木俊「原爆の図」を見る会事務局長) |
014 |
実行委員の感想 私にとっての「原爆の図」くまもと展 |
|
二度とくり返さないために (江崎啓子・熊本YMCA ) 真実を伝え、平和を築くために (永野輝全) 創りつつ育てていく平和(竹熊千栄子) リンゴの木を植えつづけること(神田公司) 自分の感覚で真の市民参加(砂岡憲喜 ) 戦争を考える一つのきっかけ( 神谷弘子 ) 夏の情熱から秋の実りへ( 成毛克美 ) いのちを守るための運動(新井正子) 私が抱えてやらねば… (藤本寿子) 熱い「原爆」の夏 (開安紀子) 「しまった ─!」コンサート (会沢剛也 ) 未来を背負う子供達と共に!( 相沢いく子 ) 会場整理係のイスの上で( 坂梨勝一 ) 「原爆の図」展を学内活動の糧に( 重永剛志) 「ノーモア」、さけびつづけなければ (徳丸亮子 ) 一人一人の殻を破って (上村邦彦) 若い人達と共に掴んだ「大きな課題」 (中沢順子) 日常に中で反戦運動を( 植村仁美 ) 人間の顔が見える運動 (迫和久 ) むじな (中川寿子) すっぽり抜け落ちた学生( 草間康弘 ) 今、生きていること (坂田幸二) 「からす」の前で (高倉美和 ) 病院を脱け出して観覧(松田健二) 平和運動を前進させる( 柴田徳義 ) 未だ見ぬ「原爆の図」に捧ぐ( 榎田弘) 静かに燃え続けている反戦・反核の火 (高橋章夫) 成功の要因 (中川周三) おんな達よ、こだわりつづけよう( 須藤久仁恵) 反戦・平和を願いつづける子供らに (坂本恵子 ) どくだみの花 「原爆の図展」におもう (河上洋子 ) ただ今、クマモト戦争中! (古園学 ) 平和の中で生命をはぐくむ (古閑和子 ) ほとばしる平和への願い(瀬上拡子 ) いのち( 久保田伸子 ) 平和運動の教訓に(今泉克己 ) 子供達と参加した原爆展( 山野幸司 ) |
052 |
くまもと展に関する新聞報道スクラップ |
|
066 |
丸木夫妻を迎えて オープニングのつどい |
県立劇場大会議室 |
067 |
丸木位里さんのお話 |
|
070 |
丸木俊さんのお話 |
|
084 |
質問に応えて |
|
099 |
ドキュメント 熱い、熱い8日間― |
神田公司(原爆の図くまもと展事務局) |
108 |
アンケート集約 6776枚のアンケートから |
|
130 |
高校生の反核シンポジウム 報告 |
|
136 |
平和のためのシンポジウム :平和への限りない願いを、熊本での豊かな潮流とするために |
|
145 |
平和のためのシンポジウム :「原爆の図」くまもと展の閉幕にあたって |
|
146 |
座談会:女たちが支えた「原爆の図」くまもと展 |
|
166 |
くまもと展のあ・ゆ・み 1983・11月→1984・8月 |
|
170 |
京都・熊本・長崎 原爆の図展共同アピール |
|
171 |
原爆の図くまもと展ニュース |
|
171 |
1号(19840118) |
|
175 |
2号(19840213) |
|
179 |
3号(19840309) |
|
183 |
4号(19840507) |
|
187 |
5号(19840607) |
|
191 |
6号(19840701) |
|
199 |
くまもと展ちらし |
|
201 |
講演会ちらし |
関屋綾子さんと「原爆の図」を語る集い(6月17日) |
202 |
ポスター |
|
203 |
会計報告 |
|
205 |
「松木美術館友の会」の呼びかけ |
|
206 |
呼びかけ人 |
|
207 |
後援団体 |
|
207 |
賛同団体 |
|
210 |
賛同者名簿 |
|
228 |
編集後記 |
|
『咲け山ユリの心 山村児童と広島原爆病院の交流』(神田三亀男著 日本経済評論社、19880625 )
内容
頁 |
|
備考 |
|
装幀=佐藤忠 |
|
|
写真 平和を祈る弥かゆりの像 |
|
001 |
芸北の山地 |
|
005 |
青少年赤十字団活動 |
|
009 |
山ユリを見舞いに |
|
014 |
日赤病院長からの礼状 |
|
020 |
山ユリをバケツで運ぶ |
|
023 |
患者さんからの手紙 |
|
026 |
原爆病院へ |
|
033 |
慰問文集の発行 |
|
037 |
山ユリと文集を持って |
|
052 |
患者と児童を結ぶ |
|
062 |
山ユリ慰問の記録 |
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074 |
山ユリ慰問を終えて |
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086 |
「ささゆり研究試験地」 |
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093 |
児童会の活動 |
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097 |
文集「やまゆり」抄 |
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194 |
山村児童の生活史『やまゆり』 |
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200 |
山ユリ慰問三十五周年 |
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208 |
記念事業で 山ゆりの像 |
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212 |
除幕式で 平和宣言 |
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216 |
平和を訴えた中学生 |
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222 |
佐々木巨美さんを動かしたもの |
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233 |
ある被爆者 |
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237 |
上殿小学校の学校経営 |
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253 |
地域ぐるみの愛の使節 |
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261 |
あとがき |
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神田三亀男
かんだ・みきお |
****生20171026没 |
享年95 |
民俗学者、歌人。『広島県現代文学事典』。 |
著書
書名 |
発行所 |
発行年月日 |
原爆に夫を奪われて 広島の農婦たちの証言 |
岩波書店(新書) |
19820222 |
咲け!山ユリの心-山村児童と広島原爆病院の交流 |
日本経済評論社 |
19880625 |
証言・戦争と農村-戦争・原爆・農婦たち |
日本農業新聞中国・四国支所 |
19830801 |
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平和教育校内研究会(石田講師)の概要(19701120)
資料所蔵:ピカ研 |
骨子 |
平和教育のあゆみ |
現代の世相と平和 |
平和教育の位置づけ |
平和教育の定義 |
学校と家庭 |
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ドキュメント・悲しみの千羽鶴(豊田清史、創樹社、1991/07/10)目次
1 |
鶴を折りつつなぜ死んだ |
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2 |
二歳で被爆、でも元気に育った |
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3 |
六年生の冬、原爆症が出た |
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4 |
生きたくて千羽鶴を折る |
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5 |
ほんとうは千三百羽をこえていた |
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6 |
禎子よ、もう一度この胸に |
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7 |
「原爆の子の像」建立へ |
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8 |
子どもの力で平和をきずくのだ |
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9 |
パン代五五〇円使っただけ |
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10 |
はばたく千羽鶴 |
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11 |
苦しみに絶った若い命 |
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12 |
千羽鶴のこころね |
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13 |
次つぎと寄せられた千羽鶴 |
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14 |
反核への折り鶴運動 |
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15 |
禎子の折った赤い鶴 |
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16 |
海を越える折り鶴の輪 |
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17 |
折り鶴への放火事件 |
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18 |
像の二〇万羽を引きちぎる |
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19 |
首相の句碑には折り鶴がない |
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20 |
「折り鶴の会」の嘆き |
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21 |
折り鶴でとっちめられた私 |
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22 |
千羽鶴の詩歌や出版書 |
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23 |
ピカドン竹藪の千羽鶴 |
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24 |
「金色の鶴」の紛失 |
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25 |
湯川博士より「千羽鶴」の書 |
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26 |
お母さんの千羽鶴 |
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27 |
七六万羽折った北川さん |
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28 |
町をあげて千羽鶴運動 |
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29 |
さまざまな問題をもつ平和公園 |
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30 |
鶴に生きる禎子の霊よ |
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31 |
千羽鶴が絶えませぬように |
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あとに |
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『アジア研究半世紀の軌跡 今堀誠二遺稿集 』(今堀百合子編 刊、2002年5月9日)目次
部 |
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1ー1 |
エッセイ |
1-2 |
中国研究 |
1-3 |
平和 |
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人類におけるヒロシマ |
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原爆被害者援護法についての意見書 |
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中国と私、そしてヒロシマ |
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Ⅰ 序 |
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Ⅱ 中国研究 |
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Ⅲ 日中関係と世界の平和 |
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Ⅳ ヒロシマ |
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原爆被爆四十周年への提言 |
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人類の平和への歩み |
1―4 |
教育 |
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人類の過去・現在・未来-教育の役割への洞察- |
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2-1 |
人間 |
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今堀先生の学士院賞受賞を祝して(鈴木修次) |
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今堀誠二先生-明日への旅人(喜多村和之) |
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私の観た今堀先生( 藤川行平) |
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今堀中国学の真髄-「中国封建社会の構成」刊行によせて-( 小林文男) |
2ー2 |
追悼 |
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追悼のことば(中国・朝日・毎日) 弔辞(瀬戸内寂聴・横山英・天野実) 難波紘二 小林正典 小林惇 惜別録(読売新聞)森田定治 吉田嘉清 新島淳良 河地重蔵 今永清二 庄野直美 「青眼」序言 田中伸武 渡辺則文 大牟田稔 栗原貞子 |
2-3 |
思い出 |
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ヒロシマに殉じた兄のこと(今堀宏三) |
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誠二と私(今堀和友) |
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兄の思い出(今堀百合子) |
3 |
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今堀誠二略歴 |
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功績調書 |
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今堀誠二学位請求論文調査要旨 |
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日本学士院賞受賞審査要旨 |
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各務賞「優秀図書」選評 |
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谷本清平和賞受賞者プロフィル |
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あとがき |
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研究業績目録 |
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野にありて―今堀誠二交遊抄―
出典:『歴史家の旅 』(今堀誠二、勁草書房、1993年10月20日)pp.216~253
朝日新聞広島版(中川正美記者)に15回連載(1988年3月10日~4月1日)
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見出し |
人物 |
備考 |
1 |
幼なじみ |
峠三吉(原爆詩人) |
1953年3月10日未明、死亡。36歳 |
2 |
寡黙の人 |
重藤文夫(広島赤十字病院院長、原爆病院初代院長) |
1982年没 |
3 |
秘密出版 |
正田篠枝 |
歌人 |
4 |
番外会見 |
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5 |
危険な旅 |
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6 |
TV対談 |
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7 |
最後の声 |
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8 |
庶民官僚 |
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9 |
闘士二人 |
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10 |
幻の映画 |
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11 |
論敵同士 |
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12 |
首相談判 |
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13 |
抗議の書 |
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14 |
中国開眼 |
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15 |
七十自述 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。