広島大学文書館蔵『大牟田稔関係文書目録』(広島大学文書館)
発行年月 | |
資料編1 | 2013年2月 |
資料編2 | 2014年2月 |
個別編 | 2015年2月 |
書籍・雑誌編 | 2016年2月 |
広島大学文書館蔵『大牟田稔関係文書目録』(広島大学文書館)
発行年月 | |
資料編1 | 2013年2月 |
資料編2 | 2014年2月 |
個別編 | 2015年2月 |
書籍・雑誌編 | 2016年2月 |
三村剛昂
みむら・よしたか | 18980301生19651026没 | 享年67 |
広島文理科大学教授(物理学)。1944年同大理論物理学研究所の初代所長。 | ||
資料 | |
『科学者と平和 三村剛昂先生遺稿集』(三村剛昂先生遺稿収録委員会) | |
蔵本淳
資料 | |
『蔵本淳教授退官記念業績集』(広島大学原爆放射能医学研究所病態治療研究部門臨床第一(血液内科)研究分野)、1995年3月 | |
『祝 蔵本淳教授退官記念祝賀会出席者御芳名簿 平成7年3月11日 於リーガロイヤルホテル広島』 | |
碧空―「大牟田稔さんをしのぶ会」報告・追悼集(編集人:海老根勲)
内容
大牟田稔さんの略歴 | ||
大牟田稔さんをしのぶ会呼びかけ人 | ||
「大牟田さんをしのぶ会」 | ||
【追悼集第1部】 | ||
平岡敬 | 見つめ続けたヒロシマ | |
小久保均 | 空ゆかば | |
長岡千鶴野 | 哀しみを乗り越えて | |
嘉指信雄 | 「ヒロシマの鶴」が飛んでゆく | |
松元寛 | 大牟田さん、どうして | |
追悼記事2本(朝日新聞「惜別」中外日報「社説」 | ||
メッセージ集…那覇市・真喜志津留子ほか | ||
小泉直子 | 大牟田さんからの宿題 | |
繁沢敦子 | 厳しさと優しさと | |
江種則貴 | 端正な字に驚いた | |
平城智恵子 | 「ヒロシマ」に生きる意味 | |
大牟田稔遺稿集 | ||
26人の原爆被害者たち | ||
インタビュー(機関誌「せこへい」から) | ||
「原民喜回顧展」のごあいさつ | ||
大牟田稔「古希の記憶」 | ||
【追悼集第2部】 | ||
直野章子 | 死者を抱きしめながら | |
「しのぶ会」におけるスピーチ | ||
中沢啓治 | 通じるものを感じていたのに | |
近藤憲男 | 原稿を書かなかった大牟田さん | |
碓井巧 | 記事への執着 | |
則武真一 | いい人生を送ったな、大牟田君 | |
秋信利行 | 病床を見守って | |
大牟田聡 | 謝辞「いいオヤジでした」 | |
金井宏一郎 | 親子二代の交わり | |
海老根勲 | 編集後記 |
今堀誠二資料
冊子・本 | |
広島大学在職中における研究業績目録 1939―1977(今堀誠二) | |
日本学士院賞受賞記念冊(今堀誠二、1980年8月) | |
今堀誠二先生広島女子大学在職期間業績目録―1977年8月~1987年12月(今堀誠二先生業績目録刊行会、1988年9月) | |
青眼―今堀先生の御逝去を悼んで(今堀杯争奪広島大学教職員親睦庭球大会第20回記念、藤川行平編、1992年11月27日) | |
歴史家の旅(今堀誠二、勁草書房、1993年10月20日) | |
アジア研究半世紀の軌跡 今堀誠二遺稿集 (今堀百合子編 刊、2002年5月9日) | |
資料 | |
今堀誠二文書仮目録(広島県立文書館、2007年1月)<請求199608>https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/mokuroku/199608imahori.pdf | |
河合護郎
月日 | 没年 | よみ | 享年 | 備考 |
1001 | 2012 | かわい・ごろう | 84 | 広島平和文化センター元理事長。原爆投下の4日後の1945年8月10日、親族を捜すため爆心地付近に入り被爆。50年に広島市職員。企画調整局長、民生局長などを歴任し、87年から5年間、広島平和文化センター理事長。退任後は市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の共同代表に就任。 |
今堀誠二先生略年譜
出典:『carnet 手帖 VOL.1 NO1』(1999.11.3)発行:水原肇
年月日 | 事項 |
19141027 | 大阪市天王寺区寺田町で出生 |
193903 | 広島文理科大学史学科卒業。同大学副手。 |
193905 | 外務省留学生として中国に出張。~12月。 |
194506 | 広島文理科大学助教授。臨時召集により10月まで軍務。8月中旬から1か月余広島市で被爆災害の救済にあたり、また、9月中旬広島市郊外大野町の台風災害により埋没した病院の発掘遺体収容作業に従事。このため兵役解除は同時入隊者より2か月遅れ、10月7日に除隊し、大学に復職。 |
195004 | 36才で文学博士。 |
195105 | 広島大学教授に昇進。 |
196602 | 外務省特別研究員。引き続きアメリカ国務省招待で5か月欧米に出張。 |
196902 | 外務省特別研究員として香港に駐在(~1945年4月) |
197103 | 内閣官房国際問題懇談会委員 |
197202 | 外国出張。台湾ほか東南アジア諸国。 |
197204 | 教養部長。大学紛争、総合科学部創設に当たる。 |
197304 | 外交問題懇談会委員。 |
197406 | 広島大学総合科学部初代学長。 |
197709 | 広島女子大学学長。広島大学名誉教授。 |
198712 | 広島女子大学学長を退任。同大学名誉教授。 |
198804 | 勲二等瑞宝章の叙勲。 |
199207 | 「谷本清平和賞」受賞 |
19921009 | 逝去 |
佐々木禎子
ささき・さだこ | 19430107生 19551025没 |
2歳の時、広島市三篠町で被爆。1955年1月9日、発病。同年2月21日、広島日赤病院に入院(広島市幟町小学校6年生)。4月幟町中学校に進学するが、登校不能。入院中折り鶴を製作。10月、亜急性リンパ性白血病で死去。享年12歳。 |
参考
広島平和をきずく児童・生徒の会 | |
原爆の子の像(折鶴の子の像) | |
広島折鶴の会 | |
資料 | |
広島市原対協被爆生存者(児童生徒)調査表(1956年1月10日現在)(1956年2月~3月実施) | 出典:『広島原爆医療史』601頁 |
文献(原爆の子の像関係) | |
千羽鶴 原爆の子の像の記録(豊田清史、昭森社) | 1958/08/06 |
はばたけ千羽鶴(豊田清史、 筑摩書房) | 1982/07/30 |
悲しみの千羽鶴(田清史、創樹社) | 1991/07/10 |
折り鶴の子どもたち 原爆症とたたかった佐々木禎子と級友たち(那須正幹・作 高田三郎・絵 PHP研究所 ) | 1984/07/02 |
現代日本朝日人物事典(長岡弘芳執筆) |
10月に亡くなった人々
日 | 没年 | 名前 | よみ | 享年 | 備考 |
01 | 2012 | 河合護郎 | かわい・ごろう | 84 | 広島平和文化センター元理事長。原爆投下の4日後の1945年8月10日、親族を捜すため爆心地付近に入り被爆。1950年に広島市職員。企画調整局長、民生局長などを歴任。1987年から5年間、広島平和文化センター理事長。退任後は市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の共同代表に就任。資料年表:河合護郎 |
02 | 2014 | 坂本義和 | さかもと・よしかず | 87 | 国際政治学者。 |
02 | 2015 | 犬丸義一 | いぬまる・ぎいち | 87 | 歴史研究者。1967年の歴史科学協議会の結成に参加、全国委員を務める。元長崎総合科学大学教授。資料年表:犬丸義一 |
02 | 2017 | 中村敏 | なかむら・さとし | 73 | 中国新聞記者、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部幹事、広島マスコミ9条の会運営委員など歴任。『中村敏遺稿集』。「中村敏さんを偲ぶ会」(20171118、会場:広島市文化交流会館) |
02 | 2018 | 西川潤 | にしかわ ・じゅん | 82 | 1936年 9月22日 生。平和研究の草分け。学生時代から早大代表として原水爆禁止運動に参加。(大平隆彦「西川潤さんを悼む」『中国新聞』20181214) |
03 | 2017 | 佐伯敏子 | さえき・としこ | 97 | 「被爆者の魂守り続け 97歳 佐伯敏子さん死去」(宮崎園子『朝日新聞20171005』)、「原爆供養塔通い40年 佐伯敏子さんを偲ぶ会」(宮崎園子『朝日新聞20171204』) |
05 | 1972 | 細田民樹 | ほそだ・たみき | 作家。1982年生。『広島県大百科事典』(坂根俊英・記)『広島県現代文学事典』(石田浩子・記)。 | |
05 | 2001 | 瀬長亀次郎 | せなが・かめじろう | 94 | 沖縄人民党委員長。衆議院議員として人民党で1期、日本共産党として連続5期。1973年以降共産党幹部会副委員長。資料年表:瀬長亀次郎 |
07 | 2001 | 大牟田稔 | おおむた・みのる | 71 | 元中国新聞論説主幹、1992年、広島平和文化センター理事長。『広島県現代文学事典』(小宮山道夫・記)。資料年表:大牟田稔 |
08 | 1982 | ノエルベーカー、フィリップ・J・ | 92 | 英の平和運動家。1962年、初めて広島を訪問、ヒロシマ会議(1970年)、77年、81年にも来訪。[70ヒロシマ会議] | |
08 | 2000 | 高木仁三郎 | たかぎ・じんざぶろう | 62 | 市民団体「原子力資料情報室」代表。 |
09 | 1992 | 今堀誠二 | いまほり・せいじ | 77 | 広島大学名誉教授。前広島女子大学長。資料年表:今堀誠二 |
09 | 1994 | 飯沢匡 | いいざわ・ただす | 85 | 『アサヒグラフ 8月6日号 原爆被害の初公開』発行時の同誌編集長。 |
10 | 2009 | 新江義雄 | しんえ・よしお | 62 | 筆名:山ノ木竹志。広島合唱団。2009/1/24 山ノ木竹志とその仲間たちコンサート (県民文化センター)2010/1/31 山ノ木竹志をうたうコンサート (厚生年金会館)。資料年表:新江義雄 |
11 | 2003 | 田坂正利 | たさか・まさとし | 76 | 福島病院院長。1927年呉市生まれ。 <田坂正利> |
11 | 2017 | 荒井信一 | あらい・しんいち | 91 | 歴史学者。「日本の戦争責任資料センター」共同代表、「戦争と空爆問題研究会」・「韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議」などの代表を務める。『朝日新聞』2017.11.5 資料年表:荒井信一 |
12 | 2006 | 田端展 | たばた・てん | 79 | 小説家。本名:小久保三好。広島工業専門学校1年生の時、勤労動員先の中国配電大洲製作所(爆心地から3・6キロ)で被爆。享年79歳。『広島県現代文学事典』(寺島洋一・記) |
13 | 2002 | 関屋綾子 | せきや・あやこ | 87 | 東京YWCA、日本YWCA会長、世界平和アピール七人委員会委員、原爆の図丸木美術館館長。関屋綾子 |
14 | 1953 | 徳田 球一 | とくだ ・きゅういち | 59 | 日本共産党(戦後)書記長(初代)。『原子爆弾と世界恐慌 時局と生活叢書1集』(19491225)徳田 球一 |
15 | 1980 | 栗原唯一 | 73 | 『栗原唯一追悼 平和憲法の光をかかげて』(栗原貞子、詩集刊行の会、1980.1.15)。元社会党県議. | |
15 | 1990 | 土門拳 | どもん・けん | 80 | 写真家。1958年に被爆者を写した写真集「ヒロシマ」を発表。『広島県現代文学事典』(田中裕之・記)。 |
15 | 1993 | 香川亀人 | かがわ・かめと | 97 | 広島県呉市。方面委員、民生委員。 |
15 | 2010 | 松尾雅嗣 | まつお・まさつぐ | 65 | 元広島大平和科学研究センター長。資料年表:松尾雅嗣 |
16 | 1990 | 原田一三 | はらだ・いちぞう | 86 | 広島県能美島出身。日中友好協会呉支部長。宇吹が小学生から中学生にかけ切手収集の趣味を持ったのは先生のおかげ。 <原田一三> |
16 | 1990 | 三宅泰雄 | みやけやすお | 82 | 元東京教育大学教授。「第五福竜丸事件」の調査にあたり、原水禁運動に貢献。 |
18 | 1979 | 坂田修一 | さかたしゅういち | 71 | [1954世界平和集会世話人(常任)](広島市助役)。広島市助役(1951年6月~55年4月)。広島平和文化センター理事長(初代、1967年~73年8月。 |
18 | 1982 | 重藤文夫 | しげとう・ふみお | 79 | 広島原爆病院の初代院長(被爆者)。[1977被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人]。原爆病院長室で面談、資料を閲覧。<資料年表:重藤文夫> |
19 | 1995 | 丸木位里 | まるき・いり | 94 | 日本画家。「原爆の図」。『広島県現代文学事典』(西原大輔・記)資料年表:丸木位里 |
22 | 1922 | 青木圭介 | あおき・けいすけ | 77 | 1973広島女子大学文学部社会福祉学科、2001年4月京都橘女子大学文化政策学部。2010年4月1日学長(第10代)。 |
23 | 23 | 久保田卓三 | くぼた・たくそう | 県立三次中学校在学中、海軍第一空廠に勤労動員、1945年8月6日被爆。公認会計士。 | |
24 | 2021 | 坪井直 | つぼい ・すなお | 96 | 日本原水爆被害者団体協議会代表委員。広島県原爆被害者団体協議会理事長。広島市名誉市民。資料年表:坪井直 |
25 | 1955 | 佐々木禎子 | ささき・さだこ | 12 | 広島市の中学生、白血病で死去。佐々木禎子 | ヒロシマ遺文 (hiroshima-ibun.com) |
25 | 2011 | 安倍一成 | あべ・ かずなり | 84 | 山口県原爆被爆者支援センター「ゆだ苑」理事長(1993年〜2008年)。1986年中国文化賞受賞。 |
26 | 1965 | 三村剛昂 | みむら・よしたか | 67 | 1898年3月広島県竹原生。広島文理科大学教授(物理学)の時被爆。 |
26 | 2017 | 神田三亀男 | かんだ・みきお | 95 | 民俗学者、歌人。『広島県現代文学事典』(綾目広自・記)資料年表:神田三亀男 |
27 | 2003 | 石田明 | いしだ・あきら | 75 | 全国原爆被爆教職員の会会長、広島県原水禁代表委員、社民党同県連顧問、元同県議。17歳の時、広島原爆の爆心から約1キロの広島市中区八丁堀の路面電車の中で被爆。教員、広島県教組委員長を経て83年から県議となり、今年4月に引退。原爆白内障の認定申請却下を不当とした「石田原爆訴訟」を広島地裁に起こし、76年7月に全面勝訴。自社さ連立政権下、94年の社会党(現社民党)の基本方針転換には同県本部を挙げて反対。資料年表:石田明 |
29 | 2023 | 中塚明 | なかつか・あきら | 94 | 元奈良女子大学文学部教授。19290917生。大学(京都大学文学部史学科国史学専攻)の先輩。資料年表:中塚明 |
30 | 1997 | 栗栖洋 | くりす・ひろし | 67 | 広島県被団協、常任理事、事務局次長、副理事長を歴任。『わたしの心が癒されるときは 栗栖洋遺稿・追悼文集』(広島県原爆被害者団体協議会被爆者相談所、1998/10/30)資料年表:栗栖洋 |
30 | 2016 | 宗藤尚三 | むねとう・しょうそう | 88 | 広島県府中町・こばと幼稚園園長。被爆牧師。 |
31 | 2014 | 本島等 | もとしま・ひとし | 92 | 元長崎市長。 |
** | 2018 | 山下義宣 | やました・よしのり | 創価学会青年部広島県反戦出版委員会委員長。胎内被爆者。宇吹の高校時代の同級生。 宇吹メモ:1990410創価学会小西・山下来所。山下義宣 |