「12月忌」カテゴリーアーカイブ

献花(12月)

献花(12月)

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キンギョソウ(金魚草) 撮影日:1日、場所:実家
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 レンギョウ(連翹) 撮影日:1日、場所:実家
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撮影日:1日、場所:実家
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 撮影日:1日、場所:実家
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シャコバサボテン 撮影日:1日、場所:自宅
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撮影日:4日、場所:実家
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 サザンカ(山茶花) 撮影日:15日、場所:自宅
 撮影日:日、場所:
 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市)

 

 

吉川生美

吉川生美

きっかわ・いきみ 生20131228没 享年92
爆心地から約1・6キロの現広島市中区西白島町で被爆。夫の「原爆1号」と呼ばれた故吉川清とともに、戦後のヒロシマを生き抜く。

平山郁夫

平山郁夫

ひらやま・いくお 19300605生20091202没 享年79

資料(新聞報道)

掲載紙 掲載日 見出し 備考
日経 19950731 今週の人 広島平和記念日(6日)平山郁夫さん(65) 東京芸術大学学長 「被爆国・日本、核廃絶の先頭に
中国 19991122 平山氏をアカデミー会員に 仏学士院【パリ20日共同】
中国 20001102 国民文化祭ひろしま2000 平山郁夫氏(国民文化祭実行委員会会長(日本画家)) 39市町村の特性 存分に味わって
出演者メッセージ
大林宣彦
森下洋子
島原帆山
アグネス・チャン
栄久庵憲司
西田ひかる
原田真二
内館牧子
柳谷福治

島原帆山

島原帆山

しまばら・はんざん 19010916生20011215没 享年100
都山流尺八演奏家。重要無形文化財保持者(人間国宝)。広島市名誉市民。広島被爆者。原爆投下翌日、衛兵をしていた八本松町(現東広島市)の海軍弾薬庫からトラックで広島市内へ。『中国新聞』2001年8月3日付。『竹韻一路 人間国宝島原帆山』(島原帆山、新芸術社、1990.5.8)。佐伯好郎墓前で島原帆山の尺八演奏。

仁都栗司

仁都栗司

にとぐり・つかさ 生 19881211没 享年91
元広島市議会議長。広島平和記念都市建設法・原爆医療法などの制定に尽力。
資料
『仁都栗司資料目録』(広島市公文書館、1988年6月30日)

12月忌(一覧)

12月忌(一覧)

没年 名前 よみ 享年 備考
02 2009 平山郁夫 ひらやま・いくお  79 『広島県現代文学事典』(西原大輔pp.415-417)。画家。平山郁夫美術館。資料年表:平山郁夫
03 1976 澤崎嘉衛 さわさき・よしえ 72 『組織活動ひとすじに~澤崎嘉衛先生を偲ぶ~』(社団法人広島県地区衛生組織連合会、1977.12.4)
03 2013 山口氏康 やまぐち・うじやす 91 『ヒロシマもう一つの顔』(山口氏康、青弓社、1986.4.9)。1971年広島市議。以後3期。
04 1980 アメラシンゲ、  あめらしんげ 67 アメラシンゲ、ハミルトン・シャーリー
1977年広島・長崎の平和式典に参加した元国連総合議長、死去。スリランカ出身。
05 1975 田辺勝 たなべ・まさる 69 広島県被団協(原水協系)理事長。広島県立工業学校の教師の時、動員学徒指導中の安芸郡海田町の工場から救援にかけつけ被爆。『読売新聞』・『中国新聞』1975.12.6~8  田辺勝
05 1999 葉室潔 はむろ・きよし 81 本名:谷原多郎。米モンタナ州生まれ。1968年広島市バレエ協会会長。「原爆主題に創作バレエ」(『中国新聞』1999.12.7)
05 2008 加藤周一 かとう・しゅういち 89 評論家。日米原子爆弾影響合同調査団の一員として広島入り。立命館大学国際平和ミュージアム(1992.5.19設立)初代館長。加藤周一
09 2009 村中好穂 むらなか・よしほ 84 日本共産党広島県委員会名誉県委員。2010年3月13日、「村中好穂さんをしのぶ会」(『赤旗』2010.3.14)資料年表:村中好穂
09 2022 北川建次 きたがわ・けんじ 87 1935年生。広島大学教育学部教授、附属東雲中学校長。資料年表:北川建次。
10 1963 大田洋子 おおた・ようこ 60 [原爆被害者の会東京協力会世話人]。第4回女流文学賞(1952年)、文化人会議昭和29年度平和文化賞。『広島県現代文学事典』(岩崎文人執筆。pp.233-234)資料年表:大田洋子
10 1963 高田 静雄 たかだ・ しずお 54 砲丸投げのオリンピック(1936年ベルリン)選手。中国配電本店(勤務先)で被爆。長女千鶴子(広島女学院高女2年)は動員先で被爆し死亡。資料:西本雅実「被爆オリンピアンの視点」(『中国新聞』20180716)。19090305生
10 2001 江戸屋猫八 えどや・ねこはち 80 本名:岡田八郎。「江戸屋猫八さん死去 物まね名手 広島で被爆 後遺症・‥高座で体験語る」(『中国新聞』2001.12.11)江戸屋猫八(3代目)
11 1988 任都栗司 にとぐりつかさ 91 『任都栗司資料目録(原爆被爆者援護関係)』(広島市公文書館、19880630)。元広島市議会議長。任都栗司
13 2003 清水栄 しみず・さかえ 88 京都大学名誉教授。「清水栄日記 昭和20・8・6~12・7」(『広島県史 原爆資料編』pp.521-551)。清水栄
14 2014 松尾尊兊 まつお・たかよし 85 日本近現代史研究者。
15 1997 関寛治 せき・ひろはる 70 元広島大学平和科学研究センター長。関寛治
15 2001 島原帆山 しまばら・はんざん 100 山流尺八演奏家。重要無形文化財保持者(人間国宝)。広島市名誉市民。広島被爆者。原爆投下翌日、衛兵をしていた八本松町(現東広島市)の海軍弾薬庫からトラックで広島市内へ。『中国新聞』2001年8月3日付。『竹韻一路 人間国宝島原帆山』(島原帆山、新芸術社、1990.5.8)。佐伯好郎墓前で島原帆山の尺八演奏。 島原帆山
15 2007 山瀬明 やませ・あきら 81 『山瀬明さんを偲んで』(2008.2.2)=「故山瀬明さんを偲ぶ会 於.光徳会館」での配布資料。山瀬明
16 1988 小磯良平 こいそ・りょうへい  85 洋画家。19030725生。1950年8月予定の広島市平和祭(直前に中止)のポスター原画を制作。小磯良平
16 2008 竹下虎之助 たけした・とらのすけ 84 広島県知事(1981-1993年)。「評伝竹下前広島知事」(『中国新聞』20081217、桝田勲・記) 竹下虎之助
16 2017 早坂暁 はやさか・あきら 88 海軍兵学校在学中に終戦。被爆直後の広島の惨状を目撃。脚本家・作家。「夢千代日記」シリーズなど。「市民が描いた原爆の絵」 を陶板画の碑にして広島市内に建立する運動を提唱(『中国新聞』2002.2.22)。『広島県現代文学事典』(森本穫執筆。Pp.404-405) 早坂暁
17 1992 アンデルス・ギュンター あんでるす 90 『橋の上の男 広島と長崎の日記』(ギュンター・アンデルス、篠原正瑛訳、朝日新聞社、 1960.8.1)。『ヒロシマわが罪と罰 原爆パイロットの苦悩の手紙』(クロード・イーザリー、ギュンター・アンデルス、篠原正瑛訳、筑摩書房)。
18 2015 藤田雄山 ふじた・ゆうざん 66 広島県知事。1993年11月~2009年11月。 藤田雄山
19 1979 丸山益輝 まるやま・ますてる 60 1966年広島大工学部教授。同大平和科学研究センターの設置・運営に尽力。1979年12月19日中国・南京で死去。広島大学大学教育研究センター長。
19 2012 中沢啓治  なかざわ・けいじ 73  漫画家。『「ヒロシマ」の空白 シリーズ 昭和とはなんであったか』(中沢啓治、日本図書センター、1987.8.25)。『広島県現代文学事典』(小西清美pp.384-385) 中沢啓治
20 1983 武見 太郎 たけみ ・たろう 79 日本医師会会長や世界医師会会長を歴任。『戦前戦中戦後』(武見 太郎、講談社、19820310)
20 1983 渡辺鼎 わたなべ・かなえ 93 広島大学文学部長。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。[52広島平和問題談話会]。[54世界平和集会世話人(発起)]。原水禁世界大会(1955年)開催に貢献。 渡辺鼎
20 2023 植木 研介

うえき・けんすけ

79 広島大学名誉教授。1990年代に広島市平和公園のレストハウスの保存を訴える。資料年表:植木 研介。
21 1997 片岡脩 かたおか・おさむ 65 グラフィック・デザイナー。旧制広島一中1年生の時、原爆に被爆。「被爆者デザイナー故片岡脩さん制作平和ポスター託す 広島市立大に106枚(田原直樹記者)」(『中国新聞』2008.7.26) 片岡脩
21 2004 今西祐行 いまにし・すけゆき 81 児童文学作家。『広島県現代文学事典』(山元隆春執筆。Pp.212-214) 今西祐行
22 1994 乙羽信子 おとわ・のぶこ 70 女優。映画「原爆の子」に出演。1978年1月新藤兼人と結婚。 乙羽信子
22 2000 千田夏光 せんだ・かこう 76 作家。『赤旗』に小説「終焉の姉妹」を連載。 千田夏光
22 2004 山本良雄 やまもと・よしお 87 『ヒロシマを生きる』(山本良雄、19980920)大津市被爆者友の会 277
23 1985 三村明 みむら・あきら 84 映画撮影監督。被爆直後、米戦略爆撃調査団の映画班に加わる。『聖林からヒロシマへ 映画カメラマン・ハリー三村の人生』(工藤美代子、晶文社、1985.2.22) 三村明
23 2008 平田嘉三 ひらた・かぞう 83  文部省初等中等教育局教科書調査官。広島大学教育学部教授。1980年12月15日、家永教科書裁判第一次訴訟第二審で国側証人として出廷(東京高裁)。「洗礼という言葉には、人を祝福するニュアンスがあり、原爆という悲惨な事実を示すにはなじまない。教科書では主観的・比喩的表現は避けた方がいい」。(浪本勝年「第1次教科書訴訟控訴審の審理過程」)。 平田嘉三
23 2018 大田堯 おおた・たかい 100 元日本教育学会会長。「平和・軍縮教育-3つの視点- 大田堯 121」(『世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム報告書』WCOTP、日教組報告書編集委員会編、勁草書房)大田堯 
24 1951 木原一郎 きはら・いちろう 67 戦後初の広島市長。 木原一郎
24 1986 松下正寿 まつした・まさとし 85 元立教大学総長、元参議院議員。核禁会議議長。1957年に特使として渡英、英に核実験中止を訴え。 松下正寿
25 2007 井内慶次郎 いない・けいじろう 83 旧制広島高、東京大法学部を卒業。1947年に文部省(現文部科学省)に入り、大学局長などを経て、78年から80年まで事務次官。藤居平一追悼集に寄稿。
26 1925 レツル、ヤン れつる 45

 

産業奨励館(原爆ドーム)を設計したチェコ人建築家。「ヤン・レツルの年表」pp.218-220(『レツルの黙示録』オルガ・ストルスコバ、佐々木昭一郎監訳、NHK出版、1995.7.20) レツルの黙示録
26 1972 トルーマン、ハリー・S・ とるーまんHarry S.Truman 88 アメリカ合衆国第33代大統領(1945~1953)。民主党出身。原爆投下を指令。 トルーマン
26 1978 畠中敬恵 はたなかよしえ 58 きのこ会会長。山代巴の紹介で面会。
28 1957 浦廉一 うら・れんいち 62 『浦廉一博士を偲びて―その小伝』(故浦廉一先生追悼事業会、1958.12.28)。広島高等師範学校教授(東洋史)の時被爆。
28 2013 吉川生美 きっかわいきみ 92 三次市出身。爆心地から約1・6キロの現広島市中区西白島町で被爆。夫は、「原爆1号」と呼ばれた吉川清。資料年表:吉川生美
29 1968 久富達夫 ひさとみ・たつお 情報局次長(1945.4~8.22)。<松前重義「終戦に導いた原爆の報告」(『久富達夫』(久富達夫追想録編集委員会<出版共同社内>、同刊行会、1969.12.15、pp.288-290>)
30 1975 稲富 栄次郎 いなとみ・えいじろう 78 広島文理科大学助教授の時被爆。教育哲学会会長。『世紀の閃光』(稲富 栄次郎著、銀のの鈴広島図書発行、19491220)。『広島原爆記 未来への遺書』(稲富 栄次郎著、講談社、19730801)。稲富栄次郎
30 1983 矢吹憲道 やぶき・ 80
30 1988 ノグチ・イサム のぐち 84 日系米国人の彫刻家。広島市の平和大橋などを設計。イサム・ノグチ
30 2014 ドレイゴ、カレリア どれいごかれりあ 93 白系ロシア人。父が広島女学院の音楽教師。牛田の自宅で被爆。
31 2022 郭貴勲  くぁく・くぃふん 98 韓国原爆被害者協会名誉会長。