「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

資料年表:高橋昭博

資料年表:高橋昭博

年月日 事項 メモ
1931
0726 誕生
1964
0825 『原水爆禁止広島・長崎大会報告決定集 No.2』(広島・長崎大会全国準備委員会)
被爆者を代表して 高橋昭博 39
1967
0828 『原水爆禁止世界大会報告決定集 被爆22周年』(被爆22周年原水爆禁止世界大会実行委員会)
閉会総会 83
/被爆者の訴え 入沢美智子・高橋昭博/
1969
0806 『浜井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会)
鼻血を拭い氷雨に立つ 高橋昭博 160
1970
0806 『原爆被災資料総目録 第二集』(原爆被災資料広島研究会)
映画 高橋昭博…207
1971
0830 『原水爆禁止世界大会報告決定集 被爆26周年』(被爆26周年原水爆禁止世界大会実行委員会)
本大会(広島)62 開会総会 62
被爆者の訴え(高橋昭博)
1976
0721 『ふたりのイーダ-広島での制作・上映-記録』(映画「ふたりのイーダ」を成功させる会)
もっと多くの人にみせたい 高橋昭博 35
1977
0806 『鎮魂』(旧制広島市立中学校同窓会編、旧制広島市立中学校同窓会・旧制広島市立中学校原爆死没者遺族会刊)
八月六日 高橋昭博 62
1978
0520 高橋昭博『ヒロシマ、ひとりからの出発 ちくまぶっくす 4』(筑摩書房)
0801 『「核」とマスコミ 廃絶をめざす報道と世論』(「マスコミ市民」編集部編、日本マスコミ市民会議)
《実情リポート》
被爆者援護法制定とマスコミ 高橋昭博 262
<以下、単著>
1981
0801 高橋昭博著『「ヒロシマの心」を若い世代に』(原爆資料保存会)
1982
1101 高橋昭博・NHK取材班著、土田ヒロミ写真『きみはヒロシマを見たか 広島原爆資料館』(日本放送出版協会)
1983
0720 高橋昭博文・四国五郎絵『絵本ヒロシマのおとうさん ヒロシマの心を子どもたちに』(汐文社)
1984
0810 高橋昭博『ヒバクシャのこころ』(汐文社)
1995
0619 高橋昭博『ヒロシマいのちの伝言-被爆者高橋昭博の50年』(平凡社)
2011
1102 没。享年80歳。
未完

 

資料年表:岩崎昶

資料年表:岩崎昶

年月日 事項 メモ
1903
1118 誕生
1951
1130 『ニッポン日記(下)』(マーク・ゲイン、筑摩書房)
テロにあった岩崎昶 55
1952
1115 『改造 1952.11増刊 33巻17号』(改造社)
奪われたスペクタクル 岩崎昶 96
1201 『平和 第7号』(青木書店)
これがわれわれの祖国だ
映画また戦争街道をゆく 岩崎昶 40
1955
0401 『世界  第112号』(岩波書店)
〈座談会〉日本映画を検討する-どう作られどう観られているか 井澤淳・岩崎昶・尾崎宏次・佐々木基一 171
以下未入力
1981
0916 没。享年77歳。

 

 

いわさき・あきら 19031118生19810916没 「Effects of the Atomic Bombs」の製作にたずさわる。<資料年表:岩崎昶>。享年77歳。

資料年表:重藤文夫

資料年表:重藤文夫<作業中

年月日
1903
0413 出生地:広島県西条町(現・東広島市)
1958
0331 『広島に於ける被爆調査-文献抄録』(広島県医師会原爆医療特別委員会調査部)
55)重藤文夫他2名(日赤病院長)Blood Diseased among the A-Bomb Survivors The Rerearch in the Effects and Influences of the Nuclear Bomb Test Explosions. 51
1961
0331 原子爆弾後障害研究会講演集 第2回 [昭和35年](長崎県、長崎市、長崎原爆障害対策協議会)
特別講演
3.広島原爆病院に於ける臨床概況 広島原爆病院長 重藤文夫 645
1967
0330 『原子爆弾後障害研究会講演集 第7回』(広島原爆障害対策協議会)
原爆病院業績のまとめ
原爆被爆者の臨床的観察(その6)横田素一郎 41
広島原爆病院概況 開院以来9カ年の概況 重藤文夫 51
1969
0620 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 [第9回]』(広島原爆障害対策協議会)
原爆症認定の問題点
司会 志水清 1
内科の立場より 重藤文夫 2
0806 『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会)
濱井さんを憶う 重藤文夫 454
1971
0730 『原爆後の人間 対話』(重藤文夫、大江健三郎著、新潮社)
1975
0717 広島市名誉市民:原爆病院(現 広島赤十字・原爆病院)の設置及び被爆患者の治療など被爆市民の福祉向上に貢献。
 1982
0717 東広島市名誉市民「西条町出身 広島赤十字・原爆病院長として大きな功績を残された。とりわ け原爆障害治療に対する豊富な体験と研究は、世界各国の文献 や学会誌に紹介され、原爆医学の研究に大きな力となった。」HonoraryCitizen2022.pdf (higashihiroshima.lg.jp)
 1018  没
 2001
 0722  「ヒロシマは二度と繰り返されてはならない。被爆者は世界平和の礎だ」「ヒロシマの被爆者は、その経験者なんだから、原爆の体験から得たものを、体験してないものに伝える必要がある。とにかく『忘れさせない』ということが大切ですよ」。「被爆者の伝言  物故者編≪上≫」 (『中国新聞』20010722)

原田一三

原田一三

はらだ・いちぞう ****生19901016没 原田一三 享年86歳 86 広島県能美島出身。日中友好協会呉支部長。宇吹が小学生から中学生にかけ切手収集の趣味を持ったのは先生のおかげ。

 

日中友好新聞(19901125)
haradaitizob

田坂正利

田坂正利

たさか・まさとし 1927****生20031011 享年76歳 呉市生まれ。 福島病院院長。

資料:『けんこう No.382』(広島中央保健生活協同組合、2004年0月)

田坂正利先生を偲ぶ
200401kenko
先生の略歴
200401kenko2

資料年表:新江義雄

資料年表:新江義雄(しんえ・よしお)<筆名:山ノ木竹志>

年月日 事項<敬称略> 備考
1947
****  誕生
 1977
0327 新江・山中結婚式。於広島市社会福祉センタ-。
1979
1223 基礎研忘年会。於白島会館。安藤・新江・大谷・村上・佐中・青木・ひわだ・難波・宇吹。
1980
0304 新江(自治研)へ「広島市の平和意識」の原稿を届ける。
0418 基礎研の送別会。青木・田中・安藤・新江・村上。
1981
0601 「平和式典考」の原稿を新江に渡す。
1982
0120 基礎経済科学研究所ひろしま研究会.佐中「地方の時代」.於総科社会文化図書室.9時半2次会.佐中・城西・桧和田・安藤・宇吹・新江・村上・仁連・青木。
0203 基礎経済科学研究所ひろしま研究会地域経済研究会.於総科社会文化図書室。難波「教育現場を歩いて」。難波・村上・城西・仁連・安藤・宇吹・新江・青木。
0217 基礎研。新江・村上・仁連・宇吹。
0421 基礎研飲み。於ニュートーキョー。青木・新江・大谷・安藤・仁連・宇吹。
0515 午後、安藤宅。松林・藤原・新江。
0828 平和公園めぐり。新江、松林、藤原、安藤。
1985
0105 新年会。ニュートウキョウ。新江、青木、村上、安藤、難波、藤本。
1986
0117 新年会。村上、新江、安藤、青木など。
0520 飲み。あまのじゃく。安藤、青木、新江、村上、城西。
1987
0112 あまのじゃくで青木・新江らと飲み.
1989
0130 新江・保団連、来所。
1994
1225 川島より自宅に電話。新江が「被爆50年」のレイアウトを作ってくれる由。フォーマットを教えて貰う。原爆投下をめぐる様々な見解をまとめて資料集をつくりたいとのこと。
1995
0624 全国平和教育シンポ-市民に贈る夕べ「きたがわてつ」平和コンサート。於広島郵便貯金ホール。~9時。開演前に、北川に付き添っている新江と会う。プログラムによれば「サウンドディレクター」として参画。元気そうで安心。
0930 日本科学者会議広島支部創立30周年記念集会。シンポジウム「被爆50周年を考える」。於広島弁護士会館。宇吹・佐々木・山田・斉藤・田村報告。-4時半。質疑。-5時半。参加者約80名。木戸・楠・新江・三浦精子などの顔を見る。マスコミの取材陣多し。
1117 新江より電話。12月の文団連での講演依頼。RCCの収録日と重なるので断る。
1996
0127 広島合唱団の合唱。メンバーに新江の元気な顔を見る。
0804 県立総合体育館の世界大会会場へ。新江と会い、久しぶりに話す。音楽の分野でも、被害=加害問題で揺れている由。新婦人の久保にも挨拶する。そごうの紀伊国屋と溝本積善館でも図書を購入。併せると3万円を越えたか。
0818 新江より自宅に電話。奥さんが中島小学校に勤務、再来年、小学校が記念誌の発刊を計画している由で、爆心地関係について問い合わせ。
0828 新江夫人より電話。中島小学校の校史に関連し、復元調査の地図が欲しいとのこと。広島市原対部調査課に連絡するようアドバイス。
1997
0227 新江より自宅に電話。呉の飲み屋についての問い合わせ。
0320 芸備地方史など主催シンポジウム「旧広島大学理学部1号館から何が見えてくるか?」。於県民文化センター。2時前から参加。-5時。安藤夫妻・植木・西本・新江などと会う。参加者200名で盛会。
0805 生協虹の広場(県立体育館)で書籍を購入。森脇・新江・沢野と会う。
1206 元大正屋呉服店(レストハウス)の保存・活用を「みんなで話し合う集い」報告者打ち合わせ。於国際会議場コスモス。
1206 「憶えていますか」歌唱指導=新江がギターで。黙祷。来栖が今年10月30日に死亡。渡辺則文が後藤陽一の挨拶を代読、楠が経過報告。司会:河瀬、初めの発言:宇吹、三沢純・小西ヒサ子(中島小学校)・諏訪了我(浄宝寺住職)・坂本宏一(広島弁護士会、自由法曹団)。
1998
1104 シンポジウム準備会。於全教広島。-8時。楠・高橋・三澤・新江・石丸・河瀬・植木・舟橋・宇吹。
1129 休日出勤。「「ヒロシマの街づくり」をみんなで話し合う集い集い」の発言の準備。0時半、婦人教育会館到着。楠・三沢・今・?(芸備地方史研究会)・橋本・センコウ(市職)・新江・高橋などが会場設営。
1999
0402 三沢送別会。新江と。福屋前集合。-9時。難波(中国)も来る予定であったが、地方選の告示日で動きがとれないとのことこと。
2000
1120 原爆遺跡保存懇結成10周年記念パーティ。於・国際ホテル。会費5000円。約40人出席。渡辺・石丸・舟橋と同席。吉川生美・湯川・新江らと話す。石丸の話=あと3年で停年。事務所を開くつもり。
2001
0416 新江より大学に電話。文団連での話を依頼される。実情を話し断る。
以上の出典=宇吹の日誌
2006
0101 宇吹宛賀状
2007
0101 宇吹宛賀状
2009
0101 宇吹宛賀状
0124 山ノ木竹志とその仲間たちコンサート (県民文化センター)
1023 没。享年62歳。
2010
0131 山ノ木竹志をうたうコンサート(厚生年金会館)
 <作業中

 

資料年表:坪井直

資料年表:坪井直

年月日 事項 備考
1925
0505 広島県音戸町(呉市)生まれ 。
1973
0720 『あさ  9号』(山下会)
「寄稿]坪井直「遠雷と平和と」・68
1975
0310 『かけはし 父母が語る戦争体験記』(翠町中学校PTA文化部編、翠町中学校PTA)
ある青き春 坪井直 8
1977
1220 『この子らに語りつぐもの 広島原爆被爆教職員の手記 第1集』(広島県原爆被爆教職員の会・広島県高校原爆被爆教職員の会編、刊)
坪井直「とどろき 」 116
証言Ⅰ よみがえるあの日、あの時
閃光と轟音の底で 坪井直 80
1989
0720 『木の葉のように焼かれて 第23集』(新日本婦人の会広島県本部)
助けられた生命を平和のために 坪井直 10
1992
0831 『証言-ヒロシマ・ナガサキの声1992 第6集』(長崎の証言の会)
1995
0125 『原水禁ヒロシマ 1月号 No.91』(原水爆禁止広島県協議会)
激動の一九九四年を顧みて 坪井直 6
0525 『未来を語りつづけて 続 ヒロシマ・平和教育の継承と連帯』(広島県教職員組合・広島県原爆被爆教職員の会編刊)
第一章 被爆体験と教育
燃えて、そして燃えた 坪井直 20
0525 『原水禁ヒロシマ 5月号 No.93』(原水爆禁止広島県協議会)
反核ニューヨーク行動へ参加して 坪井直 6
0728 『原爆被害者の「叫び」  原爆50周年記念特集 第二集』(久井町原爆被害者の会)
発刊によせて 広島県原爆被害者団体協議会事務局長 坪井直 14
1997
0524 『未来への伝言 広島・長崎被爆者が綴る証言集』(尼崎市原爆被害者の会)
メッセージ
広島県被団協事務局長 坪井直……15
<以下作業中
2021
1024 死亡。

 

資料年表:石田明

資料年表:石田明

年月日 事項 備考
1928
0530 広島市生まれ。
 1945
 0806  路面電車内で被爆。
 1957
0801 『広島教育 No.79 8月号』(広島教育会館出版部)
(友への便り)田舎のおばさんの溜息 安佐・高陽中 石田明 43
1966
0815 『広島教育 No.175 8月号』(広島教育会館出版部)
曖光二十年、ある被爆者の日誌 安佐・高陽中 石田明 49
 1969
 0806  『未来を語りつづけて-原爆体験と平和教育の原点』(広島県教職員組合広島県原爆被爆教師の会編、労働旬報社)
 石田明「 序章 被爆教師の名において告発する」 1
 1970
0515 『広島教育 No.221 5月号』(広島教育会館出版部)
民主的学校行事の創造を 石田明 2
0615 『広島教育 No.222 6月号』(広島教育会館出版部)
巻頭言・「ひろしま」を教えつづけよう 石田明 1
 0620  『日本原爆詩集』(大原三八雄、木下順二、堀田善衛編、太平出版社)
 兄の死-『曖光二十年から』 石田明 130
影 石田明 132
初毛が生えた 石田明 133
1001 『世界  第299号』(岩波書店)
教科書「ひろしま」をつくるまで 石田明 50
1971
 0730  『炎の中を生きて 私の戦争体験記 原爆被爆者の手記』(原水爆禁止日本協議会編、日本青年出版社)
第四部 被爆者救援運動の発展のために
*「ひろしま」継承のいみ 石田明 179
0901 『原爆をどう教えたか』(広島県教職員組合・広島県原爆被爆教師の会編、明治図書出版)
おわりに 石田明 237
1215 『流灯 ひろしまの子と母と教師の記録 原爆犠牲国民学校教師と子ども追悼の記』(原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会事務局編、石田明刊)
 1972
0701 『木の葉のように焼かれて 第6集』(新日本婦人の会広島県本部)
すいせんのことば
全国被爆教師の会会長 石田明 2
 0920  『百日紅の花』(塩沢茂、ルック社)
 石田明( 全国被爆教師の会会長 )「平和教育の意義」 6
1973
0101 『平和教育研究 広島平和教育研究所・年報 Vol.1  1973』(広島平和教育研究所)
“あとがき”にかえて/石田明 96
 0401  『夏雲 広島女学院原爆被災誌』(広島女学院教職員組合平和教育委員会編、広島女学院教職員組合)
 1、発刊に寄せて 5
■小川清 ■広瀬ハマコ ■石田明
1974
 0201  『平和教育運動 創刊号』(全国平和教育研究協議会準備会、広島平和教育研究所編、広島教育会館出版部)
 <基調報告>平和教育運動の経過と今日的課題 8 石田明
1975
 0125  『平和教育運動 No.2』(全国平和教育研究協議会編、広島教育会館出版部)
全国平和教育シンポジューム報告集
<基調報告>今次集会の意義といくつかの課題 4 石田明
 0806  『広島・長崎30年の証言(上)』(広島・長崎の証言の会編、未来社)
石田明「 原爆裁判への情念と論理 」 215
 0825 『平和の探求 市民の学術双書』(岡倉古志郎 [ほか]編、時事通信社)
 III 平和を考える-ヒロシマからの発言-
平和と教育 石田明 102
少年航空兵・被爆・敗戦の戦争体験から 102
国家のための、国家がほどこす「臣民教育」 103
平和教育の基本条件 104
ヒロシマが問いつづける問題 106
被爆教師の考える平和教育 108
1976
 0101  『世界大会の記録 1976 – 2 第二十二回原水爆禁止世界大会 広島・長崎の声を全世界に』(原水爆禁止日本協議会)
 本会議開会総会 11~27
/被爆者の訴え・石田明 21)/
0501 『広島通信 No.52』(「広島通信」の会)
反核抗議に全世界連帯を 石田明
 0501  原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」第八条に基づく認定申請却下処分取消請求事件 原告最終準備書面(石田明)
0525  『[季刊]平和教育 第1号(創刊号)』(日本平和教育研究協議会、明治図書出版)
 平和教育の今日的課題 石田明 25
ヒロシマが知らされなかったとき/平和教育の芽ばえ/平和教育の抑圧/抵抗と創造
 <作業中
27  2003 石田明  いしだ・あきら  75  全国原爆被爆教職員の会会長、広島県原水禁代表委員、社民党同県連顧問、元同県議。17歳の時、広島原爆の爆心から約1キロの広島市中区八丁堀の路面電車の中で被爆。教員、広島県教組委員長を経て83年から県議となり、今年4月に引退。原爆白内障の認定申請却下を不当とした「石田原爆訴訟」を広島地裁に起こし、76年7月に全面勝訴。自社さ連立政権下、94年の社会党(現社民党)の基本方針転換には同県本部を挙げて反対。

資料年表:松尾雅嗣

資料年表:松尾雅嗣

年月日 事項 メモ
****
**** 誕生
1976
0901 『平和科学研究通信 Vol.1 No.2-3』(広島大学平和科学研究センター) G
<研究ノート>政治学と言語モデル 松尾雅嗣 6
1977
0101 『平和科学研究通信 Vol.1 No.2-3』(広島大学平和科学研究センター) G
平和研究文献の情報構造:研究の傾向について 松尾雅嗣・森裕二 3
0101 『広島平和科学 1 1977』(広島大学平和科学研究センター) G
平和研究文献の情報構造:最近の軍事問題とその研究方法 松尾雅嗣・森祐二・阿部耕一朗…1
1979
0101 『広島平和科学 2 1978/79年』(広島大学平和科学研究センター) G
テクスト語彙処理プログラムLEXの開発について:概要と論理 松尾雅嗣…63
0101 『IPSHU研究報告シリーズ No.1 日本人の核意識構造』(初瀬龍平・松尾雅嗣 著、広島大学平和科学研究センター) G
第2章 政党支持と核意識 松尾雅嗣
0620 『平和研究  第4号 平和運動の理論と行動』(日本平和学会) G
〔論稿〕
文献情報にみる軍事問題研究 松尾雅嗣/森祐二/阿部耕一朗 153
1201 『平和科学研究通信 Vol.3 No.2』(広島大学平和科学研究センター) G
テクスト語彙処理プログラムLEXについて(Ⅰ) 松尾雅嗣 9
以下未入力
1980
0101 『広島平和科学 3 1980年』(広島大学平和科学研究センター) G
国際「開発・発展」研究の領域――文献情報にもとつく一つの調査研究―― 森利一・松尾雅嗣…21
1981
0101 『広島平和科学 4 1981年』(広島大学平和科学研究センター) G
言語要素間の共出現の指標について 自然言語データ分析の一手法として 松尾雅嗣……101
1982
0101 『広島平和科学 5 1982年』(広島大学平和科学研究センター) G
言語資料間の語彙の類似度―被爆手記をデータとして―  松尾雅嗣……159
1983
0101 『広島平和科学 6 1983年』(広島大学平和科学研究センター) G
平和イメージにおける性差 松尾雅嗣……115
1984
0101 『広島平和科学 7 1984年』(広島大学平和科学研究センター) G
平和の成立する場―ブイクションの用例分析― 松尾雅嗣……55
0830 『平和学講義 新訂版』(山田浩編、勁草書房) G
第2章 日本人の平和意識 松尾雅嗣 19
1120 『平和学の数量的方法 講座・平和学 3』(日本平和学会編集委員会編、早稲田大学出版部) G
Ⅰ計量政治学と平和学
1 学生における「平和」の意味-自由連想調査の因子分析 松尾雅嗣 29
1987
0101 『広島平和科学 9 1986年』(広島大学平和科学研究センター) G
平和研究文献用簡易検索システムPRINSEの改良について
松尾雅嗣……169
1988
0101 『広島平和科学 10 1987年』(広島大学平和科学研究センター) G
パーソナルコンピュータによる日本語テクストの用例検索のために:被爆手記を例として 松尾雅嗣……59
1989
0101 『広島平和科学 11 1988年』(広島大学平和科学研究センター) G
平和科学研究センター文献検索システムPRINSE日本語版
松尾雅嗣……133
0101 『広島平和科学 12 1989年』(広島大学平和科学研究センター) G
言語的差異と不平等に関する試論 松尾雅嗣……53
1990
0101 『広島平和科学 13 1990年』(広島大学平和科学研究センター) G
言語的差異:現実、認識、不平等 松尾雅嗣……73
0930 『平和研究入門 平和冊子(平和図書)No. 7』(松尾雅嗣著、広島平和文化センター) G
1991
0101 『広島平和科学 14 1991年』(広島大学平和科学研究センター) G
被爆関連文献資料のフルテクスト・データベースの構築の試み(松尾雅嗣・宇吹暁・川崎信文・好村冨士彦・田村佳子・舟橋喜恵……101)
漢字テクスト検索システムKR 松尾雅嗣……131
1031 『平和研究 第16号  グローバルデモクラシー』(日本平和学会) G
〔書評〕松尾雅嗣著『平和研究入門』 初瀬龍平 139
1992
『広島平和科学 15 1992年』(広島大学平和科学研究センター) G
言語と民族に関するふたつの命題 松尾雅嗣……27
1994
0101 『広島平和科学 16 1993年』(広島大学平和科学研究センター) G
雇用の言語と言語紛争(1) 松尾雅嗣……129
0128 『アジアを語る 13人の視点』(中国新聞社) G
第十二章 苦悩するスリランカ…松尾雅嗣
輝ける島311/ことばと祈り313/獅子と虎315/紛争の重荷319
1995
0101 『広島平和科学 18 1995年』(広島大学平和科学研究センター) G
少数民族集団と国境 松尾雅嗣……131
1996
0101 『広島平和科学 19 1996年』(広島大学平和科学研究センター) G
〈研究ノート〉入れ子型言語紛争:同質規範と異質規範の拮抗
松尾雅嗣……189
1997
0901 『被爆関連文献のフルテクスト・データベースの作成・検索・分析の研究 平成7-8年度科学研究費補助金(基盤研究(B)(1))研究成果報告書』(研究代表者:松尾雅嗣、研究分担者: 宇吹暁、田村佳子、濱谷正晴、舟橋喜恵) G
1998
0101 『広島平和科学 21 1998年』(広島大学平和科学研究センター) G
ダニエル・セルツ・松尾雅嗣「戦争責任と原爆をめぐって:現代日本における議論と平和博物館の役割」273
2000
0101 『広島平和科学 22 1999/2000年』(広島大学平和科学研究センター) G
表記体系をめぐる紛争:文字紛争論序説 松尾雅嗣……75
2001
0101 『広島平和科学 23 2001年』(広島大学平和科学研究センター) G
言語の階層化に関する試論 松尾雅嗣…95
2003
0101 『広島平和科学 25 2003年』(広島大学平和科学研究センター) G
セミパラチンスク核実験場近郊被曝証言の日本語版全文データベース化 川野徳幸・平林今日子・星正治・松尾雅嗣 31
東北タイにおける言語能力と自称 松尾雅嗣・山下明博 53
0301 『広島大学ひろしま平和科学コンソーシアム』(広島大学原爆放射線医科学研究所、広島大学・ひろしま平和科学コンソーシアム) G
5.被曝証言調査の意義:「ヒロシマ・ナガサキ」文脈で(松尾雅嗣)…87
2004
0101 『広島平和科学 26 2004年』(広島大学平和科学研究センター) G
峠三吉東京資料:峠資料電子化の文脈で 池田正彦・松尾雅嗣 101
0225 『アクター発の平和学 誰が平和をつくるのか?』(小柏葉子・松尾雅嗣、法律文化社) G
0601 『峠三吉編詩集『原子雲の下より』応募作品総目録』(池田正彦・松尾雅嗣) G
<平成15年度前期広島大学研究支援金「原爆文学を中心とした広島原爆資料の目録作成と電子化の研究(研究代表者:松尾雅嗣)」による支援研究>
1201 『峠三吉 被爆日記 広島大学ひろしま平和科学コンソーシアム』(池田正彦・松尾雅嗣 編、広島大学ひろしま平和科学コンソーシアム刊) G
2006
0101 『広島平和科学 28 2006年』(広島大学平和科学研究センター) G
峠三吉自筆草稿画像目録 松尾雅嗣 45
0331 『カザフスタン共和国セミパラチンスク地区の被曝証言集 広島大学ひろしま平和科学コンソーシアム』(川野徳幸、平林今日子、ガズベック・アプサリコフ、タルガット・モルダガリエフ、松尾雅嗣) G
2007
0101 『広島平和科学 29 2007年』(広島大学平和科学研究センター) G
松尾雅嗣・谷整二「広島原爆投下時の一次避難場所としての川と橋」 1
2008
0101 『広島平和科学 30 2008年』(広島大学平和科学研究センター) G
松尾雅嗣・谷整二「広島原爆投下時の避難:川と橋を越えて」  1
川野徳幸・平林今日子・松尾雅嗣・ カズペック・アプサリコフ・タルガット・モルダガリエフ・大瀧慈「セミパラチンスク地区住民の核実験体験:線量と距離に関して」 27
2009
0101 『広島平和科学 31 2009年』(広島大学平和科学研究センター) G
核被害、紛争被害地域の平和観の国際比較 松尾雅嗣 87
2010
1015 没。享年65歳
2011
**** Newsletter 2011
訃報
松尾雅嗣・元平和科学研究センター長が、平成 22 年 10 月 15 日に、他界されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
叙位叙勲
故松尾雅嗣先生に、平成 22 年 10 月 15 日付けで従四位(じゅしい)と瑞宝中綬章(ずいほうちゅうじゅしょう)がおくられました。

 

 

15 ***生20101015没 松尾雅嗣 まつお・まさつぐ 享年65歳 元広島大平和科学研究センター長。叙位叙勲:従四位・瑞宝中綬章(平成22年10月15日付)(広島大学平和科学研究センター”NEWSLETTER”2011年)

松尾雅嗣

松尾雅嗣

15 ***生20101015没 松尾雅嗣 まつお・まさつぐ 享年65歳 元広島大平和科学研究センター長。叙位叙勲:従四位・瑞宝中綬章(平成22年10月15日付)(広島大学平和科学研究センター”NEWSLETTER”2011年)