「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

資料年表:荒井信一

資料年表:荒井信一<作業中

年月日 事項 備考
1926
0204 誕生
1976
0915 『第二次世界大戦 戦後世界史の起点』(東京大学出版会)
1978
0401 『歴史評論 通巻336号』(校倉書房)
特集・核兵器禁止と歴史学ー国家軍縮特別総会にむけてー
特集によせて 2
原爆投下の歴史的背景 荒井信一 3
2017
1011 没。享年91歳。

 

荒井信一

あらい・しんいち 19260204生20171011没 享年91歳 歴史学者。「日本の戦争責任資料センター」共同代表、「戦争と空爆問題研究会」・「韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議」などの代表を務める。『朝日新聞』2017.11.5

資料年表:今堀誠二

資料年表:今堀誠二<作業中

年月日 事項 備考
1914
1027 大阪市で誕生
 1947
 0925  『北平市民の自治構成』(今堀誠二、文求堂) G U
 1952
0825 『広島教育 No.32』(広島県教職員組合事業部)   G
教研大会による 今堀誠二 8
 1957
0725  『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 第2分冊』(原水爆禁止日本協議会) G
 Ⅲ 原水爆禁止運動
ヒロシマ原水爆禁止世界大会について 今堀誠二 288
第二回原水爆禁止世界大会について 今堀誠二 305
 G
1959
0721 『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房)  G
0801 『部落 第11巻第8号 通巻第115号』(部落問題研究所)   G
1960
0530 『ひろしま随筆 第2号』(ひろしま随筆同人会)   G
《随筆指定席》日本料理 今堀誠二 22
0806 『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房) G
1103 『かえらぬ鶴』(瀬戸奈々子、白樺社)  G
序…今堀誠二
1961
1201 『ひろしまの河 No.4』(原水爆禁止広島母の会)   G
特集 被爆地の原水禁運動はどうあるべきか
1962
10 『歴史評論』  G
今堀誠二「岐路に立つ原水爆禁止運動―核戦争阻止第8回原水爆禁止世界大会を省みて」
 1963
 0925  『東洋社会経済史序説』(今堀誠二、柳原書店) G U
 1001  『思想の科学 No.19 通巻55号』(思想の科学社)  G
特集・差別
原水禁運動の思想と行動 今堀誠二 2
1964
0701 『真樹  第35巻第7号』(真樹社)   G
「幻」 今堀誠二 13
1965
0301 『世界 第231号』(岩波書店)   G
原水禁と被災白書の運動 今堀誠二 186
0801 『現代の眼 6巻8号』(現代評論社)   G
ヒロシマ八・六平和大会 今堀誠二 139
0801 『日本 1965.8 第8巻第8号』(講談社)   G
選手だけの”平和運動”会 今堀誠二 216
 1201 『世界  第241号』(岩波書店)   G
被爆白書運動のその後 今堀誠二 117
1966
0801 『アサヒカメラ 第51巻第8号通巻第400号』(朝日新聞社)  G
作品解説
P115〈本誌特写〉「原爆白書」について 1・ヒロシマと私・福島菊次郎 2・原爆ドームの保存問題 今堀誠二
0801 『広島通信 No.2』(広島県詩人協会)  G
被爆の証人〝原爆ドーム〟の保存を
松元寛(広島大学助教授) 河本一郎(広島折鶴の会) 今堀誠二(被爆白書運動推進委員・広島大学教授)
 1967
0801 『放送RCC 第70号 Vol. 7 No.8』(中国放送)  G
討論会■平和三団体は何をしてきたか 10
浜井信三・原田東岷・永松初馬・松浦亮・田辺勝・板倉静夫・村上忠敬・今堀誠二
 0805  『原爆ドーム保存運動の中から 爆心地』(広島折鶴の会)  G
原爆ドームの保存問題 今堀誠二 71  G
1968
0801 『ひろしま 平和の歩み』(広島平和文化センター編、広島市刊)<執筆者: 小谷鶴次、今堀誠二、庄野直美>  G
 1969
0131  『芸備地方史研究 第76号』(芸備地方史研究会)   G
 広島原爆被災資料の保存をめぐって
今堀誠二 1
1970
 0601  『広島通信 No.21』(「広島通信」の会)   G
 中国・アメリカ平和巡礼 今堀誠二
1972
 0701 『潮 第156号』(潮出版社)  G
 『風化』させられた被爆体験〈てい談〉 日高六郎・今堀誠二・石牟礼道子
 1973
0801  『広島通信 No.40』(「広島通信」の会)  G
今堀誠二氏から
 1974
0625 『原水爆禁止運動 潮新書』(今堀誠二 著 潮出版社)  G
1976
0715 『山田節男追想録』(山田節男追想録刊行委員会)  G
今堀誠二(広島大学総合科学部長)「棺を蓋おって事定まる」426
0801  『広島通信 No.53』(「広島通信」の会)  G
-国連に赴く広島・長崎両市長にのぞむ-
具体的であれ 今堀誠二
1977
0801 『広島新史編修手帖 No.1』(広島市史編修委員会専門部会)  G
2.未来への燈台-広島新史の概念 今堀誠二 2
4.座談会 戦後史に何を望むか 6
司会・今堀誠二(広大教授、市史編修委員)
0806 『みたまやすかれ-被爆物故職員三十三回忌追悼』(榎下頼人編、日本銀行広島支店) G
第3部 資料
19 思い出す人々「阿部知二と織田定信」(今堀誠二氏、昭52.9.28) 93
1978
0331 『広島市公文書館紀要 第1号』(広島市公文書館)  G
中国の原爆観の推移とヒロシマ 1975~1955 今堀誠二 1
 0401  『歴史評論 通巻336号』(校倉書房)   G
特集・核兵器禁止と歴史学ー国家軍縮特別総会にむけてー
特集によせて 2
ー歴史的考察ー
人類史におけるヒロシマ 今堀誠二 48
0701 『広島通信 No.58』(「広島通信」の会)  G
特集 ヒロシマと地方との連帯性
国連軍縮総会と日本人の思想 今堀誠二
0901 『平和文化 第13号』(広島平和文化センター)  G
広島市民と日中平和友好条約
広島女子大学長 今堀誠二
1979
0101 『平和文化 第15号』(広島平和文化センター)  G
新春鼎談 出席者(敬称略)
荒木武(広島市長・当財団会長)
今堀誠二(広島女子大学学長)
栗野鳳(広島大学平和科研教授
1001 『真樹  第50巻第10号』(真樹社)  G
川端康成と山本康夫 今堀誠二 15
1101 『中央公論  特大号 第1112号』(中央公論社)  G
中国四千年の課題 今堀誠二 212
1980
0831 今堀誠二『日本学士院賞受賞記念冊』  G
1981
0401 『創立六十周年記念誌』(広島市高等女学校広島市立舟入高等学校同窓会)  G
祝辞 広島女子大学学長今堀誠二
0805 『季刊・長崎の証言 12号』(鎌田定夫編、長崎の証言の会) G
広島から長崎へ 石田明・庄野直美・今堀誠二・栗原貞子 89
1111 『中川秋一遺稿集』(中川秋一先生遺稿・追悼文集刊行委員会) G
序 今堀誠二
1208 『軍縮と国際安全保障に関するワークショップ・広島セッション 要約記録』(広島市、広島大学、国際連合大学、広島平和文化センター)  G
開会あいさつ
今堀誠二 パルメ委員会招致広島実行委員会委員長 1
原爆の社会的影響に関する概要説明
今掘誠二 広島女子大学学長 11
 1982
 0220  『ヒロシマ・ナガサキの証言’82冬 創刊号』(石田明・浜崎均編、広島・長崎の証言の会) G
 巻頭言 今堀誠二
0715 『火幻 第25巻第96号』(火幻短歌会)  G
豊田著「広島県短歌史」への読感抄 今堀誠二ほか 41
0901 『真樹 第53巻第9号』  G
短歌への緻密なる考察 今堀誠二 19
1983
0601 『国際問題 No.279』(日本国際問題研究所)  G
書評 今堀誠二 62
0731 『広島通信 No.68 終刊号 ヒロシマの継承』(「広島通信」の会)  G
「広島通信」を不滅にしよう 今堀誠二
0801 『証言・戦争と農村-戦争・原爆・農婦たち』(神田三亀男著、日本農業新聞中国・四国支所)  G
 今堀誠二「日本の問題点を明らかにした書物」283
 1984
 0325  『核時代の平和をもとめて』(永井道雄著、国際連合大学)  G
  A 地域の平和と共通の安全保障を考える
B 被爆地・広島で平和を考える
広島・長崎の被爆研究の成果をもとに――89 今堀誠二
1001 『かけはし 第2号』(YMCA国際平和研究所)  G
YMCA国際平和研究所の緊急の任務
特別顧問 今堀誠二(広島女子大学学長)
 1985
0101 『真樹 第56巻第1号 』(真樹社)  G
人間の琴線 広島女子大学長 今堀誠二 31
 0220 『ヒロシマ・ナガサキの証言’85冬 第13号』(秋月辰一郎・庄野直美編、広島・長崎の証言の会)  G
 特集 1/ヒロシマ・ナガサキ被爆四十周年-その意味
原爆被爆四十周年への提言 今堀誠二 14
  0430   『河図洛書-渓水社十周年記念』(木村逸司編、溪水社)  G
今堀誠二「世界にひろがり得てこそ」 273
0531 『部落解放ひろしま 第2号』(部落解放同盟広島県連合会)  G
対談・この人と 部落解放の思想と文化 今堀誠二・中島敏彦 75
0701 『平和文化 第54号』(広島平和文化センター)  G
平和文化市民講座
「中国革命の思想」講師-広島女子大学長 今堀誠二
(昭和60年1月21日)
0901 『けんみん文化 第1巻第3号』(県民センター)  G
けんみん・えっせい シルクロードと県民センター 今堀誠二 1
 0920  『中国の本質をみつめる』(今堀誠二著、勁草書房)  G
1018 『海外移住調査研究レポート 広島市博物館資料調査報告書 Ⅴ』(広島市企画調整局文化担当編、広島都市生活研究会)  G
今堀誠二「刊行によせて」
1030 『平和を創る』(YMCA国際平和研究所編、勁草書房)  G
II 平和を創り出す努力(1)平和運動
原水爆禁止運動の役割と展望 今堀誠二 48
原爆災害と終戦と平和憲法 49
日本の安全保障と核抑止論 51
核抑止論と限定核戦争 57
核廃絶に対する日本国民の責任 61
反核国民運動の発展と挫析 65
核廃絶国民運動の再建 66
 1030  『ヒロシマ・ナガサキの証言’85秋 第16号』(秋月辰一郎・庄野直美編、広島・長崎の証言の会)  G
 特集 Ⅱ/世界の目=ヒロシマ・ナガサキ-三つの国際会議から
第一回世界平和連帯都市市長会議
核廃絶へ都市は自らを変革する 秋月辰一郎 80
世界平和連帯都市市長会議の意義と課題 今堀誠二 83
  1986
0220 『広島女子大学文学部紀要 第21号』(広島女子大学)  G
今堀誠二 追悼のことば 1
堤正信 为什么研究聚落? 3
故堤正信助教授研究業績目録 5
0410 『中国現代史の断章』(小林文男著、谷沢書房)  G
付録 263
1.満鉄調査部の中国研究―具島兼三郎氏に聞く 265
2.革命前夜の中国農村―今堀誠二氏に聞く 299
 0701  『世界平和連帯都市市長会議 第1回 報告書』(第1回世界平和連帯都市市長会議事務局) G
 全体会議(1)
基調報告…45
今堀誠二広島女子大学学長  原爆の社会的影響48
 0820  『ヒロシマ・ナガサキの証言’86夏 第19号』(鎌田定夫・庄野直美編、広島・長崎の証言の会) G
 特集/戦争・加害・原爆-中国への旅
ヒロシマ・ナガサキと中国 今堀誠二 16
 1987
 0331  『広島市公文書館紀要 第10号』(広島市公文書館) G
 図書館と文書館 今堀誠二 1
1988 
0501 『あるロータリアンの軌跡-平和への道』(白石ロータGリークラブ編・刊)   G
今堀誠二氏の提言「国際人道法」について 55
0901  『今堀誠二先生広島女子大学在職期間業務目録』(今堀誠二先生業務目録刊行会)  G
  0926  『中国と私、そしてヒロシマ』(今堀誠二著、溪水社)  G
1992
1009 死亡
1130 『原水禁ヒロシマ  No.79』(原水爆禁止広島県協議会)  G
今堀誠二さんの思い出 松江澄 5
1993
0201 『北一明 人生夢幻 中国北京展開催記念出品聚花』(北一明創美学研究所) G
Ⅳ 遡源の道―中国上海店点・北京展開催に至る関連コメント 今堀誠二ほか…9
0331 『広島市公文書館紀要 第16号』(広島市公文書館) G
<今堀誠二を偲ぶ>渡辺則文「 今堀誠二運営委員長の逝去を悼む 」 87、瀬戸内寂聴 89
1020 『歴史家の旅』(今堀誠二著、勁草書房)  G
 1994
0331 『広島市公文書館所蔵資料目録 第18集』(広島市公文書館)  G
今堀誠二氏資料
 0710  『ヒロシマの青春 私の中の峠三吉』(ひろしまミニコミセンター編、峠三吉記念事業委員会) G
 <峠三吉文学資料目録>序文 今堀誠二 137
 1997
 0718  『原爆文献を読む 原爆関係書2176冊 中公文庫』(水田九八二郎著、中央公論社)  G
 34 『原水爆時代-現代史の証言』(上・下)今堀誠二著 157
1999
 0625  『日本原爆論大系 第6巻 核兵器禁止への道Ⅲ』(岩垂弘ほか、日本図書センター)  G
 世界平和連帯都市市長会議の意義と課題(今堀誠二)101
  2002
 0509  『アジア研究半世紀の軌跡 今堀誠二遺稿集』(今堀百合子編・刊)  G
 2005
 0425  『「核」に立ち向かった人びと』(岩垂弘、日本図書センター)  G
 忘れ得ぬ人びと 三十二人の点描……今堀誠二(広島女子大学学長)ら 207
 2010
 0525  『太平洋戦争の時代 写真記録』(日本近代史研究会編、日本ブックエース、日本図書センター(発売)) G
 第3編 研究と解説
原水爆時代への証言…(今堀誠二) 6
2014
1221 『原爆文学研究 13』(原爆文学研究会、花書院)  G
黒川伊織 「今堀誠二『原水爆時代』再読 」38
 2023
 0315  『原爆報道の研究』(小池聖一編著、現代史料出版)  G
小池聖一「 第11章 原水爆禁止運動と「知識人」-今堀誠二と歴史の創造」 …345

資料年表:犬丸義一

資料年表:犬丸義一<作業中

年月日 事項 メモ
1928
0422 誕生。本籍:福岡県。
1964
1130 『現代史資料月報 第10回配本』(みすず書房)
犬丸義一「これまでの日本共産党テーゼの資料集と研究の概観」  1
1967
0710 『民族解放運動の歴史(上)』(岡倉古志郎・犬丸義一編著、労働旬報社) U
1105 『民族解放運動の歴史(下)』(岡倉古志郎・犬丸義一編著、労働旬報社)
1970
0815 『歴史科学の課題とマルクス主義』(犬丸義一、校倉書房) U
1225 『物語日本近代史2-日清・日露戦争から米騒動まで』(犬丸義一・中村新太郎、新日本出版社) U
1971
1030 『物語日本近代史3-民衆運動の高揚から敗戦まで』(犬丸義一・中村新太郎、新日本出版社) U
1972
0201 『学習の友 通巻222号』(労働者教育協会編、学習の友社)
犬丸義一「教養のページ ”建国記念日”ってなに?」
1975
0701 『季刊科学と思想 夏季号 No.17』
【読書ノート】「昭和五十年」出版物をめぐって 犬丸義一(152)
1982
『日本共産党の創立』(犬丸義一、青木書店) U
1983
 0328  『平和文化研究 第6集』(長崎総合科学大学・長崎平和文化研究所編、長崎総合科学大学)
60年安保闘争史論(上)犬丸義一 101
1984
0420  『平和文化研究 第7集』(長崎総合科学大学・長崎平和文化研究所編、長崎総合科学大学)
60年安保闘争史論(中)犬丸義一 129
1985
0720  『平和文化研究 第8集』(長崎総合科学大学長崎平和文化研究所)
60年安保闘争史論(下) …犬丸義一…123
1986
0618 『平和文化研究 第9集 激動の80年 具島兼三郎先生傘寿記念号』(長崎総合科学大学長崎平和文化研究所)
具島兼三郎先生の業績 犬丸義一 157
1989
0630 『平和文化研究 第12集― 大楽奎教授追悼号』(長崎総合科学大学・長崎平和文化研究所)
長崎になぜ原爆が投下されたか  犬丸義一 189
1990
『平和文化研究 第13集』(長崎総合科学大学・長崎平和文化研究所)
〔論稿〕犬丸義一「マルクス主義の天皇制認識の歴史的意義 」148
1991
0225 『平和文化研究 第14集 櫻井秀威助教授追悼号』(長崎総合科学大学・長崎平和文化研究所)
犬丸義一「櫻井秀威君の思い出」  101
1993
0331 『平和文化研究 第16集』(長崎総合科学大学・長崎平和文化研究所)
研究業績一覧 犬丸義一 198
2015
1002 没。享年87歳。
1007   「歴史研究者 犬丸義一さん死去」『赤旗』(20151007)
本名:小山義一。1949年、日本共産党入党。

 

資料年表:大牟田稔

資料年表:大牟田稔<作業中

年月日 事項 備考
1930
0901 誕生。
1965
0720 『この世界の片隅で 岩波新書』(山代巴編、岩波書店)
沖縄の被爆者たち 大牟田稔 185
1970
0628 『RCCテレビ 市民とともに ヒロシマ・内と外』(中国放送)
「広島の明日を考える」平和への道No.3 ヒロシマ・内と外(構成:大牟田稔)
1978
0725 『長崎の証言 第10集』(「長崎の証言」刊行委員会編著)
大牟田稔「親亡きあとは ―胎内被爆小頭症「きのこ会」の近況―」  109
1979
0110 『追憶の便り ヒロシマで逝ったわが子へ』(藤野としえ著、未来社)
付録2 追憶と未来と 大牟田稔作・構成 267
0331 『広島市公文書館紀要 第二号』(広島市公文書館)
外国人の見たヒロシマ-その文芸作品に表われた思想- 大牟田稔 13
1983
0801 『日本の原爆文学 14 手記/記録』(「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編、ほるぷ出版)
〈反原爆思想〉を求めて 大牟田稔 462
1984
1211 『ヒバクシャ ともに生きる 第3号』(原爆被害者相談員の会)
原爆小頭症患者たちとの20年 大牟田稔 21
作業中
2001
1007 死亡。
2010
1220 『広島県現代文学事典』(小宮山道夫・記)

おおむた・みのる 2001 71 元中国新聞論説主幹、1992年、広島平和文化センター理事長。『広島県現代文学事典』。元広島平和文化センター理事長、元中国新聞論説主幹の大牟田稔。宮崎県出身。『広島県現代文学事典』(小宮山道夫・記)

資料年表:瀬長亀次郎

資料年表:瀬長亀次郎<作業中

年月日 事項 備考
1907
0610 誕生
1958
1225 『軍縮と国際協力のためにーストックホルム平和大会の記録』(軍縮と国際協力のための世界大会日本準備会編、日本平和委員会)
日本からの報告
3 沖縄のたたかい 瀬長亀次郎(日本)
1960
0101 『世界 第169号』(岩波書店)
転機に立つ沖縄 瀬長亀次郎 241
1966
0201 『世界 第243号』(岩波書店)
〈座談会〉祖国復帰をどう実現するか-沖縄四政党の立場- 安里積千代・岸本利実・瀬長亀次郎・中村晄兆・〈司会〉新崎盛暉 102
1967
0915 『沖縄黒書』(沖縄・小笠原返還同盟編、労働旬報社)
沖縄からの告発  瀬長亀次郎 15
1968
0225 『沖縄100万の叫び 嬉野京子写真集』(嬉野京子著、新日本出版社)
表紙題字  瀬長亀次郎
沖縄は訴える 瀬長亀次郎 6
1001 『世界 第275号』(岩波書店)
特集 沖縄は主張する
〔アンケート〕沖縄の本土復帰に関する意見 96
・瀬長亀次郎・
1969
1120 『平和運動20年記念論文集』(日本平和委員会編、大月書店)
平和運動20年に想う 瀬長亀次郎 425
1971
0201 『世界 第303号』(岩波書店)
コザ・激発する沖縄の心 福木詮 42
沖縄県民を代表して 瀬長亀次郎 52
0401 『中央公論 4月特大号 第1005号』(中央公論社)
〈座談会〉沖縄議員百日目の痛恨
安里積千代/稲嶺一郎/上原康助/喜屋武真栄/国場幸昌/瀬長亀次郎/西銘順治/(司会)鈴木恒夫 102
0530 『沖縄の子本土の子』(本土と沖縄の子どもの作文交流実行委員会、百合出版)
「沖縄の子本土の子」によせて
この怒り、この痛みを 瀬長亀次郎(衆議院議員) 316
0601 『世界 第307号』(岩波書店)
意見 あらためて復帰とは何か 151
・瀬長亀次郎・
0731 日本原水協第17回原水爆禁止世界大会東京大会。瀬長亀次郎沖縄人民党委員長あいさつ。 C
0810 『民族の悲劇 沖縄県民の抵抗 新日本新書』(瀬長亀次郎著、新日本出版社)
1210 『民族の怒り もえあがる沖縄 新日本新書』(瀬長亀次郎著、新日本出版社)
1971 『世界 第314号』(岩波書店)
〈特集〉「沖縄」強行採決後
私は質問を拒否した 瀬長亀次郎 29
1972
0201 『学習の友 通巻222号』(労働者教育協会編、学習の友社)
明日をひらくことば 瀬長亀次郎
1974
0731 瀬長亀次郎、沖縄県伊江島で在日米軍による核模擬爆弾の投下訓練を確認。 C
0831 瀬長亀次郎・松本善明、米軍の核模擬爆弾投下訓練問題で小坂徳三郎官房長官臨時代理(総務長官)に申入れ。 C
1975
0701 『季刊 科学と思想 夏季号 No.17』(新日本出版社)
【ESSAl】 私にとっての戦後三十年 瀬長亀次郎(120)
0801 『原水爆禁止世界大会大会の記録 2 第21回 広島・長崎被爆三〇周年』(原水爆禁止日本協議会)
本会議開会総会 11~24
来賓あいさつ 日本共産党 瀬長亀次郎 18~19
1979
0101 『文化評論 No.213』(新日本出版社)
瀬長亀次郎「民族三部作」にもふれて
0714 『日米安保の新段階 軍事ファシズムへの危険な道』(日本共産党中央委員会出版局)
第二部
〈座談会〉核問題と日米安保条約 (不破哲三、瀬長亀次郎、新原昭治 )
1982
0601 『前衛 No.480』(日本共産党中央委員会)
復帰十年─ いま沖縄は
闘いのあと 闘いのあす ─民族の悲劇、怒り、そして未来─ 瀬長亀次郎 64
2001
1005 没。享年94歳。
2012
1010 『沖縄人が見た戦世とアメリカ世 第13回特別企画展』(沖縄県平和祈念資料館)
Ⅱ部 戦世(イクサユー)からアメリカ世(ユー)へ 23
4 復興へ向けて 41
(1)抵抗のシンボル瀬長亀次郎
2013
0301 不屈館、沖縄県那覇市に開設。。瀬長亀次郎がのこした資料をもとにした沖縄戦後史に関する民間資料館。不屈館・新着情報 不屈館 瀬長亀次郎と民衆資料 (senaga-kamejiro.com)
2021
0201 『世界 第941号』(岩波書店)
記録の交差から始まる沖縄――阿波根昌鴻と瀬長亀次郎の日記から

瀬長亀次郎

瀬長亀次郎

せなが・かめじろう 19070610生20011005没 享年94歳 沖縄人民党委員長。衆議院議員として人民党で1期、日本共産党として連続5期。1973年以降共産党幹部会副委員長

資料年表:河合護郎

資料年表:河合護郎<作業中

年月日 事項 メモ
1928
**** 誕生
1985
0601 『21世紀への都市戦略を考える 都市政策フォーラム・in・ひろしま NIRA地域政策研究シリーズ 4』(総合研究開発機構)
 ゲスト:鈴川俊夫(広島商工会議所専務理事)/檜山且典(広島経済同友会代表幹事)/上田宗嗣(広島青年会議所理事長)/竹下彪(広島県企画振興部長 )/
//河合護郎(広島市企画調整局長)
 1987
0110  『広島市保育連盟三十五年誌』(広島市保育連盟)
 終章 将来に向けて
河合護郎(広島市民生局長)「保育の昨日・今日・明日」
0401 広島平和文化センター新理事長に河合護郎(前広島市民生局長)が就任。河村盛明理事長は理事に。 C
0701 『平和文化 第66号』(広島平和文化センター)
河合護郎(当財団理事長)「マドリードで世界平和都市会議 ヒロシマの訴えに強い共感」  C
1114 広島市で「科学者による国際平和週間・広島集会」発起人は今堀誠二・河合護郎ら14人。 C
1215 『広島市医師会だより No.260』(広島市医師会)
〈招待席〉河合護郎「国際会議の裏方四方八方話」
1988
0225 C
0301 『平和文化 第70号』(広島平和文化センター)
河合護郎(当財団理事)「肌で感じる軍拡から軍縮への流れ 六か国首脳へ荒木市長に随行して」
1989
0530 C
0701 『平和文化 第70号』(広島平和文化センター)
核兵器廃絶を!ニュルンベルク宣言採択
西独の連帯都市会議に河合理事長出席
強い核兵器への危機感-ドイツ訪問記 河合護郎
ニュルンベルク宣言
1989
0530 C
0701 『平和文化 第78号』(広島平和文化センター)
核兵器廃絶を!ニュルンベルク宣言採択
西独の連帯都市会議に河合理事長出席
1990
0520 C
0701 『平和文化 第84号』(広島平和文化センター)
 核実験場付近のカラウル村で集会
アルマアタ核実験禁止国際市民会議に参加して 河合護郎
 1991
 0101  『平和文化 第87号』(広島平和文化センター)
河合護郎(訪中団長)「広島市民平和友好訪中団報告 全面軍縮促進で一致」
0121 C
1014 C
 1992
 0328  『広島医学 1992.03.28 第32回原子爆弾後障害研究会 特集号』(広島医学会)
河合護郎 特別発言 1.医療推進事業への願いと提言
1993
 0529  C
 0731
1998
0901 『被爆体験証言者交流の集い 10年のあゆみ』(被爆体験証言者交流の集い)
「ヒロシマを語り継ぐ」
(財)広島平和文化センター前理事長 河合護郎
6.10年目のメッセージ 18
1999
0215 『荒木武追想録-ヒロシマの心を世界へ燈々無盡』(荒木武追想録刊行委員会)
広島市職員関係者からの追想文
河合護郎 75
0715 『長崎平和研究 第7号』(長崎平和研究所)
特集2 核兵器廃絶を求める広島・長崎市民の集会(第2回)
(第2部) 「核兵器廃絶に向かって日本は何をなすべきか」
(パネルディスカッション)
水本和美/川副忠子/河合護郎/森野泰成/土田秀夫/梅林宏道/岡本三夫
1115 『長崎平和研究 第8号』(長崎平和研究所)
特集2 「いまこそ核兵器廃絶を!市民の集会」
主催者から発題――被爆地から/河合護郎…54
2001
0315 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会 設立のメッセージ
』(【共同代表】 岡本三夫 河合護郎 森瀧春子)
2003
0731 C
1005 C
 2004
 0806  『Hiroshima Alliance for Nuclear Weapons Abolition News No.2  2004.8』(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会)
 ヒロシマは大丈夫か 河合護郎
2008
0903  C
2009
0122 C
 2010
 0628  核兵器廃絶をめざすヒロシマの会、日本とインド両政府が原子力協定の締結交渉を始めたことに抗議する声明文を菅直人首相・岡田克也外相に送る。  C
2012
0513
1001
1005  『第12回 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会:総会議案(2012.5.13)
 1215  『広島ジャーナリスト 第11号』(日本ジャーナリスト会議広島支部)
 河合護郎さん死去  C

 

かわい・ごろう 1928****生20121001没 享年84歳 広島平和文化センター元理事長。原爆投下の4日後の1945年8月10日、親族を捜すため爆心地付近に入り被爆。50年に広島市職員。企画調整局長、民生局長などを歴任し、87年から5年間、広島平和文化センター理事長。退任後は市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の共同代表に就任。

平和に生きる(村上経行後援会)

『平和に生きる』(村上経行後援会、19721001)

内容

見出し
口絵
02 まえがき
03 少年のころ
/米騒動の年/小さな正義派
08 学生時代
/早稲田へ/冬の時代/学友とマルクス主義
12 敗戦前後
/銃剣よさらば/三菱広船へ/結婚/被爆、父の死/待ちのぞんだ朝
17 党を求めて
/党本部へ/地区委員会を結成/三菱の組合づくり/////
23 日鋼闘争
/たたかいの火の手/広船の仲間と/血と怒りと/広がる支援/カチューシャのうた
27 たたかいの軌跡
三菱造船を首に/妻のたたかい/わたしと原水禁運動/署名のない手紙
28 [コラム]夫を語る 身内も難題もずばっ(妻 須美子)
30 [コラム]理路整然、純粋な人(山口勇子)

 

資料年表:村上経行

資料年表:村上経行<作成中

1918
04 広島市大須賀町で生まれる。
1942
09 広島高等師範附属中学校卒
****
**** 早稲田大学政経学部卒。この間広島鉄道局へ約1年勤務。
1944
03 三菱重工業(株)広島造船所勤務。労組結成に尽力。
1945
08 広島市南観音町で被爆。
1946
01 日本共産党に入党。
1949
1022 三菱を解雇される。長女2歳、長男は生まれて1カ月。
<以上の出典=『平和に生きる』(1972)、『広島のねがいを国政へ』(1975)>
<宇吹は大学時代、同郷ということで長女(薬学部)・長男(医学部)と面識あり>
1972
1001 『平和に生きる』(村上経行後援会)
1975
1225 『広島のねがいを国政へ』(村上経行後援会)
 1982
0111 『黒い雨』(広島県「黒い雨・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会)
「黒い雨」降雨地域住民に被爆者手帳を 住民の不満や疑問 「赤旗」社会面トップに-35-<集まったのは10人ほど。民家の一室を借りておこなわれました。これには、共産党を代表して、村上経行党県経済委員長、屋敷一字広島市議らの姿も見えました>
連絡協議会役員一覧<顧問:村上経行>
 1986
 0806 『核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説の記録 Hibakusha Peace Tour(原水爆禁止日本協議会、19860806)』
被爆者国際遊説団名簿
●オランダA班 19850625~0708
村上経行 被爆者(広島)
1989
0806 『黒い雨』(広島県「黒い雨・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会)
「まえがき」<会長:**、副会長**、事務局長 村上経行>。「あとがき」(事務局長 村上経行)
 1991
 0607  藤居会社へ。村上経行も来る。 U
1026  村上経行より電話。党史についての問い合わせ。ソ連の評価が再び問題となる。 U
 1992
 0302  村上経行より電話。今日午後来所予定であったが忘れていたとのこと。70周年党史の編さんについて。 U
 1110  村上経行より電話。原爆文献の数の問い合わせ。約6000件と答える。 U
1222  藤居より電話。12時40分-13時20分。先日、村上経行が来た。 U
 1993
 0804  藤居より電話。約30分ほど話す。先日送った資料について感想を求めたら、今朝、村上経行が来た。村上がかって「ソ連の放射能で死ぬのなら本望」と言ったことがあるだろうと確認したら、認めた。竹内は、村上のようなものと一緒にやることは出来ないと言っていた。 U
 1117  村上経行、来所。民医連に来たついで。-15時45分。ニュースステーションの「黒い雨」特集の話。矢野記者が放影研の重松に会ったら「取材のスタンスを間違えている」という不見識なことを言った。放影研関係者が、黒い雨地域の住民の話を聞いたことは一度もない。 U
1994
1212  村上経行より電話。藤居のところで詳しい年表を見た。欲しい。宇吹=13日、自宅に郵送。 U
 1215  村上経行より電話。資料(被爆者運動年表)の礼。 U
1995
 0322  村上経行から電話。風邪で入院中。予め郵送されていた「95年平和のための広島の戦争展」について。広島で、戦争展をやることには抵抗があったが、今回、やっと意志統一ができたとのこと。前面に出ることは求めないが、相談に乗って欲しいとのこと。****より頼まれた。  U
1030  村上経行、来所。-15時半。****茂美「ことりもカラスもいなくなった」を持参、センターに寄贈。****が参加した国会請願について調査(何市何郡が参加したか)を依頼される。藤居を土曜日に見舞ったとのこと。インターネットを見せる。  U
1116  村上経行へ1956年3月の国会請願の資料(***茂美関係)を送る。 U
 1221  村上経行より電話。「占領下のヒロシマ」について。藤居平一が胃ガンで手術をした由。  U
 1996
 0419  藤居通夜。田中(中国新聞)=昨年9月後も退院したり上京していた。宇吹は、大変良い仕事(「まどうてくれ」)をした。村上経行=亡くなる数日前に会った。もうあまり持たないということは、医者から言われていた。本人は死にたくない、と言っていた。 U
 0426  村上経行より電話。藤居夫人より読売新聞社(東京)が15日午後に取材に来るとの連絡があり、二人ほど立ち会って欲しいとのことであった。自分は出ないほうが良いと思う。宇吹を考えている。検討しておいて欲しい。  U
 0426  [つづき]村上経行=庄野は、吉田嘉清が弔辞を読むように勧めていたが、体調が悪いとか何とか言って、葬儀の途中で帰ってしまった。田中(中国)は、藤居のことを本にするつもりでいる。****が弔辞の朗読を申し入れたが、藤居夫人が断った。****も同様。  U
0430  村上経行来所。5月15日の読売の藤居取材について相談。-11時。村上の話=4月14日に****と藤居夫人と3人で藤居を見舞った。廊下に出たら号泣していた。低空飛行3人組、村上孝太郎ETC。 U
 0509  村上経行より電話。読売の藤居夫人取材の手順についての相談。村上も藤居夫人もあまりに大げさに考えすぎると言うと、村上は「慣れていないから」と素直に返答していた。 U
 1997
 0121  村上経行より電話。山崎文男の日記、藤居追悼集の進捗状況について。  U
1206 元大正屋呉服店(レストハウス)の保存・活用を「みんなで話し合う集い」。於国際会議場コスモス。 参加者150人。この会議では、最高の数(楠発言)。マスコミの取材多数。金沢・藪井も。松本寛・佐藤重夫・植木研介・村上経行・森脇勝義・安藤夫人らの顔を見る。 U
1998
 1209  下村仁一画集「ヒロシマ-鎮魂と怒り」刊行を祝う会。於法華クラブ10F。-8時半。司会:小笠原伸江、チェロ演奏:庄司有子、挨拶:増田勉・吉野誠・石口俊一・橋詰由美子・中村俊博・久保浩之・石川・堂垣内崇雅など。[自由発言]宇吹=30年前、下村と一緒に資本論やレーニンを読んだ。楠=下村は、レッドパージになった3人の教員の1人。徳毛宜策・村上経行・若林節美・武田寛などの顔を見かける。  U
 2000
 0714  村上経行、来所。13:00~13:30。広島大学医学部年史。  U
 0718   村上広島県「黒い雨・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会に医学部史を郵送。 U
 2004
0501 『黒い雨 ヒロシマからの証言』(広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会)
71p「黒い雨」と私(増田善信)<私がこの卵形の地域以外にも、「黒い雨」が降っていたことを知ったのは、1985年夏の原水爆禁止世界大会でした。当時の「黒い雨」の会の事務局長村上経行氏から教えられたもので、****>
95p <広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会名簿>の名誉役員欄に「村上経行」あり
2011
07 村上経行没。享年93歳
2012
0930 『黒い雨 内部被曝の告発』(広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会)
103p「 村上経行さんが「黒い雨の調査結果には迷惑をこうむっている」という趣旨の発言をされた。」、「村上さんは開口一番「気象の専門家として、あんなに激しい雨があんなにきれいな卵型をした地域だけに降ると思いますか」と質問された」(増田善信)