「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

広島TODAY

『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版、1983/08/06)

内容

見出し
はじめに 3
1  原爆投下直後 11
スイス政府を通じて抗議 アメリカ政府の返答 隠蔽政策の伝統 人生の岐路に立っていた 戦果を見にきた人びと
2 受難の広島レポート 20
二つの現場報告 核実験場に汚染はなかった? 広島からの帰路 なぜ事実を隠すのか カメラ盗難・日本追放の仕打
3 広島への道
降伏調印式に背を向けて 従軍特派員として 太平洋を「分割」して取材 特攻隊、悲惨 沖縄で知った原爆投下 同盟通信の協力を得る 準備は整った
4 広島--一九四五年九月三日 42
たった一人列車に乗る まわりは軍人だらけ 口に出せないヒロシマ 留置場で中村さんと会う 爆心地でタイプをたたく 広島レポート 削られた現場描写 私が書けなかったこと 勝部先生の忠告と訴え
5 妨害工作 57
なぜ現場をみるのか アメリカ記者団の目的 立入り禁止となった東京 ヘンリー・キーズの活躍 ウェラー記者、長崎に入る 犯罪的なプレスコード
6 日本人がみた広島 67
裏切られた希望  ”私だったら国を訴える” 想像を越える天皇の威信 東条英樹の運命 天皇崇拝とポツダム会談
7 二十六年後の広島 77
フリート街に別れを告げて ストックホルムアピールの頃 路上で、工場の門前で 人それぞれの感動 勝部先生との再開 中国新聞記者の述懐 ABCCと被爆者
8 ヒバクシャ 90
聴衆のさめた反応 被爆二世との出会い ”早くよくなって下さい” 被爆者の苦悩と不安 原爆病院で重藤先生にきく 岩国の畠中さんの話 勝部先生からの手紙
9 生存者の抵抗 106
不安定な生活基盤 このままでは救われない 裁かれざる犯罪 立ち上がる被爆者 一人ひとりの原爆
10 原爆製造のドラマ 116
ポツダム会談と原爆実験 ソ連に対抗するために ”戦争中に生きた目標に” ”権力者を仕事場に入れるな” 亡命した科学者たち ルーズベルトの決断 原爆という名の列車
11 原爆使用への誘惑 130
アルソス・グループ U計画の実態 ヒットラーと原爆 ニールス・ボーアの警告 グルーブズ将軍のあせり 科学者たちの抵抗 進退きわまった日本 ”戦争を終わらしてくれ” 原爆使用の最終決断 ポツダム会談の舞台裏
12 原爆パイロット 152
原爆を落とした側の苦悩 償いの日々 アンデルスのはげまし ノーモア・ヒロシマ 狂っているのは誰か ”手紙のように書きなさい” 原爆投下の朝 イーザリーの脱走 人間的感情への連帯 精神異常のレッテル 殺し屋ルメイの下で
13 広島と冷戦 179
トルーマンとレーガン 外交の”切り札”として スチムソンの憂慮 チャーチルの対ソ認識 ギリシャで見たこと
14  自殺するアメリカ 193
冷戦下のベルリンで 対ソ原爆使用の誘惑 ある政治的冒険家 一触即発のベルリン ”撃って撃って撃ちまくる” 挫折した軍事的冒険 危機の舞台は朝鮮に 一九八三年四月八日の記事 神聖な目的のための犠牲 モルモットにされた兵士たち 原爆放射に耐える実験 自殺するアメリカ
訳者あとがき 220

 

資料年表:バーチェット

資料年表:ウィルフレッド・バーチェット<作業中

年月日 事項 備考
1911
0916 誕生。
1945
0905 デイリー・エクスプレス紙(英紙)19450905
「30日目の広島、逃げた者、死に始める 原爆の疫病の被爆者たち ”私はこれを、世界への警告として書く”」<出典:『広島県史 原爆資料編』19720331>
1971
0801 『長崎の証言1971』(「長崎の証言」刊行委員会)
「ベトナムへノーモア!」-二十六年ぶりの広島にて W・バーチェット 220
1972
0530 『広島・板門店・ハノイ バーチェット自伝』(ウィルフレッド・バーチェット、河出書房新社)
1976
0101 『世界大百科年鑑 1976』(平凡社)
(インドシナの年)1975-W.バーチェット/訳・武藤一羊 126
1983
0806 『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版)
0927 死亡。
1985
0621 『被爆者援護法に関する第二次報告書』(日本弁護士連合会)
第二 日米両国政府の被爆者に対する措置 45
三 米国は、被爆者に対する救援の必要性を認識していた 52
1 バーチェットの救援要請 52
2 マルセル・ジュノーの救援要請 52
0826 『花の幻 続・平和を作る人たち』(安藝基雄著、みすず書房)
第1部
11 ヒロシマ・ノート 2141.市長の死 216
5.ジュノーとバーチェットの対応 253
1995
1005 『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』(笹本征男著、新幹社)
第6章 原爆報道とプレス・コード 218
第1節 バーチェットの疑問 218
第11節 バーチェットの疑問への答え 253
1997
0520 『ユネスコ世界遺産 原爆ドーム 21世紀への証人』(中国新聞社)
第1章 ドーム保存と世界遺産決定までの歩み
世界遺産に登録決定 63
(この人からの一言)
ウィルフレッド・バーチェット 51
2007
0715 『世界を不幸にする原爆カード ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた』(金子敦郎著、明石書店)
第7章 カバーラップ 191
「被害」報道で批判浮上 「放射能被害はない」 バーチェット記者の特ダネ
2014
0806 『原子力と核の時代史』(和田長久著、七つ森書館)
ChapterⅠ 核分裂の発見から、ヒロシマ、ナガサキの悲劇[1898-1945年]
section2 広島、長崎への原爆投下 11
4 ウィルフレッド・バーチェット記者、ヒロシマを世界に報道 15
2015
0806 『”ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する 隠蔽されてきた日米共犯関係の原点』(柴田優呼著、作品社)
第2章 アメリカが被爆体験の語られかたを創始する
―沈黙させられる被爆者
2.右往左往する海外メディア報道 79
バーチェットの「すっぱ抜き」
2016
0310 『核の戦後史 Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗・高橋博子著、創元社)
第2部 核体制と戦後日本 Q&A…139
講義篇 機密解除文書から原発と核兵器推進体制の闇に迫る 140
②アメリカは、なぜ原爆による残留放射能の存在を認めなかったのですか?
/バーチェットのスクープ 159
0802 『世界の著名人が伝えていたヒロシマからの言葉』(佐藤美由紀著、双葉社)
第2章 叫ばれる存在意義-1970年代から1980年代- 51
ジャーナリスト ウィルフレッド・バーチェット 52
2021
1130 『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社)
第一四章 占領・・・・・418
バーチェット・深刻な放射線被害の記事
2022 『世界のリーダー185人ヒロシマ、ナガサキで発した「言葉」 オバマ大統領から、ローマ教皇、マリリンモンローまで』(三山秀昭著、南々社)
第8章 5人のジャーナリスト
「ノーモア…」を発した欧米ジャーナリストたち…158
ルサフォード・ボーツ(アメリカ・UP通信記者)
ウィルフレッド・バーチェット(オーストラリア出身、英紙デイリー・エクスプレス記者)

 

27  1983 バーチェット、ウィルフレッド・ 72 ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット>

資料年表:久保山愛吉

資料年表:久保山愛吉<作業中

年月日 事項 備考
1914
0621 誕生
1954
0923
1101 『中央公論 11月号 第794号』(中央公論社)
久保山さんの死
死の床にて 久保山愛吉 180
1955
0215 『未来をつくりだす原子力 青木新書』(林克也著、青木書店)
総論-久保山愛吉氏を悼み、その死に学ぶ
1この声をわれらの声に 13
2久保山氏の三つの遺訓 15
3ABCCを日本の手に 19
4抵抗のみ、人間性を守る 23
5放射能謀略Kは」開始された 27
6地球汚染の責任はアメリカ 31
7結論-ねばり強く禁止運動を 37
8追記-科学化されたトリック 38
0920 『写真でみる戦後日本 10年の歩みを記録する』(朝日新聞社)
『ノー・モア・ヒロシマズ』から『ビキニの・灰』まで………1
―隔離される第五福竜丸―焼津から米軍用機で東京に移送された第五福竜丸の患者たち―酵素吸入中の久保山愛吉さんを看護する肉親たち―マグロの放射覧査―防毒面とビニール服で作業中の俊鶻丸の調査団員―俊鶻丸甲板上で魚の解剖―
1957
0725 『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 第2分冊』(原水爆禁止日本協議会)
Ⅰ 原水爆の被害
(絶筆)死の床にて 久保山愛吉…21
1968
1015 『平和の思想 戦後日本思想大系 4』(鶴見俊輔編、筑摩書房)
II 戦後、平和運動の遺産
絶筆 死の床にて 久保山愛吉 346
1975
0701 『第五福竜丸 1954年3月1日その日から』(第五福竜丸平和協会)
1978
0906 『原水協通信 第421号』(原水爆禁止日本協議会)
久保山愛吉氏追悼のつどい=焼津 7

 

くぼやま・あいきち 19140621生19540923没 享年40歳 第5福龍丸無線長。1954年3月1日にアメリカが南太平洋ビキニ環礁で実施した水爆実験で被曝。

資料年表:谷本清

資料年表:谷本清<作業中

年月日 事項 備考
1909
**** 香川県 坂出市 で誕生。
1949
0425 『ヒロシマ』(ジョン・ハーシー著、石川欣一・谷本清訳、法政大学出版局)
1950
0401 『文芸春秋 第28巻第4号』(文芸春秋新社)
ハーシイ氏訪問記…谷本清 13
0725 『ヒロシマの十字架を抱いて』(谷本清、大日本雄弁会講談社)
1952
1001 『日本印象記-ヒロシマの家』(フロイド・シュモー著、大原三八雄訳、広島ピース・センター刊)
跋 谷本清 75
1960
0925 『ふるさとを訪ねて 少年少女文学風土記 9 広島』(井伏鱒二編、泰光堂)
谷本清「原爆と広島」  94
1969
04 『ひろしまの観光 35号』(広島市観光協会)
谷本清「ヒロシマ-その平和への姿」
0806 『濱井信三追想録』(浜井信三追想録編集委員会)
谷本清「原爆禁止10万人署名」 473
1976
0720 『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚』(谷本清著、日本放送出版協会)
 1201  『広島通信 No.54』(「広島通信」の会)
谷本清「原爆体験は風化するか」
1982
0501 『平和文化 第35号』(広島平和文化センター)
ヒロシマの原点に帰ろう
ヒロシマ・ピース・センター理事長 谷本清
1983
0730 『破壊の日-外人神父たちの被爆体験』(カトリック正義と平和広島協議会)
『破壊の日』発刊に寄せて ヒロシマ・ビース・センター理事長 谷本清
1986
0928 死亡。享年77歳
1997
0201 『原爆被爆者対策史の基礎的研究 原爆被爆者対策前史 1945年(昭和20)~1953年(昭和28) 資料集』(宇吹暁)
IV.占領期の原爆問題
2.平和祭・文化祭
3.被爆者援護の構想
【資料13】谷本清のヒロシマ・ピース・センター構想
2011
1206 『被団協  第395号』
第23回谷本清平和賞 坪井代表委員が受賞
2005
0624 『ヒロシマ、60年の記憶』(近藤紘子著、リヨン社)
2015
0601 『広島市公文書館紀要 第28号』(広島市公文書館)
光平有希「広島流川協会における復興と音楽の歩み、及びその原点 谷本清・太田司朗を中心として」 14
2018
 0110  『原爆の図 丸木美術館ニュース 第132号』(原爆の図丸木美術館)
丸木美術館が谷本清平和賞受賞 谷本清平和賞受賞を祝って(井野口慧子)……p2
谷本清平和賞受賞スピーチ抄録(岡村幸宣)……p3
2019
1201 『憎しみを乗り越えて ヒロシマを語り継ぐ近藤紘子』(佐藤真澄著、汐文社)
2021
1130 『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社)

広島市爆撃ニ関スル報告(三村剛昴・佐久間澄・上野義夫)

広島市爆撃ニ関スル報告(三村剛昴・佐久間澄・上野義夫)

内容<作業中

1 本研究室二於テ調査セル事項
2 聴取資料ノ一、二例
1 広島女学院専門学校赤松某(海田市町、安芸地方事務所ニテ)・・・・
2 市立高専講師平原栄治・・・・
3 佐久間助教授
sakuma01
判断
付記
1 本爆弾ノ真相ヲ確ムル上ニ

資料年表:佐久間澄

資料年表:佐久間澄<作業中

年月日 事項 備考
1910
1002 誕生。
1941
**** 広島文理大(母校)助教授。
1945
 08  「広島市爆撃ニ関スル報告」(三村剛昴・佐久間澄・上野義夫)
 『広島県史 原爆資料編』(19720331)所収<pp.389-392>
1953
 0806  『広島平和問題談話会会誌 平和問題 第2号』(広島平和問題談話会)
 佐久間澄「原子力問題の諸相」
 1954
 0215  『風のように炎のように-峠三吉追悼集』(峠三吉追悼集出版委員会・われらの詩の会編、刊)
//佐久間澄「 想い出」/
 1955
0310 『広島教育 No.49 1.2月号』(広島県教職員組合事業部)
原子力発電所建設に関する諸問題 佐久間澄 94
1956
0601 『水爆と人類(原水爆禁止のために1)』(佐久間澄、原水爆禁止広島協議会)
1008 『高校生による原爆資料紹介の会(仮称)活動報告』(広大教育学部附属高等学校)
1957
0801 『広島教育 No.79 8月号』(広島教育会館出版部)
きれいな水爆は果たしてきれいか 広大理学部 佐久間澄 66
1958
 0331  『広島に於ける被爆調査-文献抄録』(広島県医師会原爆医療特別委員会調査部)
 Ⅰ 理学篇
3)佐久間澄(広大,理学)庄野直美(広女大)小川修三(広大,理学)広島原爆の物理学的効果 4
1967
0801 『老いと怒りと 第2集 』(吉島被爆者の会)
推せんのことば 佐久間澄 3
0806 『壁 1968.8.6 未解放部落原爆被爆者の手記 差別と貧困の中から』(福島地区被爆者の会)
 1101  『原水爆禁止科学者会議の記録 第2回』(第2回原水爆禁止科学者会議準備委員会事務局)
 第3分科会 被爆者問題
原爆被爆者援護の歴史と課題 佐久間澄 75
1969
 1120  『平和運動20年記念論文集』(日本平和委員会編、大月書店)
平和委員会20年の想い出ところどころ 佐久間澄 409
以下 <作業中
 1971
0101 『原水爆禁止世界大会の記録 第17回 – 2』(原水爆禁止日本協議会)
0701 『原水協通信 71 7月号』(原水爆禁止日本協議会)
佐久間澄 「広島における原爆死亡者の新しい資料について」 5
 広島大会第1日(本会議開会総会) 8月5日…1
日本原水協報告 佐久間澄 3
1975
0804 『木の葉のように焼かれて 第9集』(編集委員会、新日本婦人の会広島県本部)
すいせんのことば 佐久間澄 5
1976
0720 『あさ 12号』(山下会)
いまこそヒロシマの声を―佐久間澄先生を囲んで― 6
1001 『政治経済セミナー 10月号 第926号』(政治経済セミナー社)
日本共産党佐久間澄ら五人原爆のお陰で光栄に浴す! 43
 1977
0701 『地域と科学者 第4号 被爆・核・広島特集』(日本科学者会議広島県支部)
核問題の現状と将来 佐久間澄(15)
1978
0801 『文化評論 No.208 1978年08月』(新日本出版社)
核兵器全面禁止への新しい課題を語る
金子満広 佐久間澄…62
1979
0520 『平和教育運動 No.5』(日本平和教育研究協議会編、広島平和教育研究所出版部)
<今日の核と平和問題>佐久間澄「核をめぐる状況と核時代の平和教育」 219
0601 『平和運動 No.128(通巻443号)』(日本平和委員会)
79年 近づく8月に想う 2
広島で 佐久間澄 2
長崎で 森正雄 5
1980
0710 『学習討論資料 No.2』(原水爆禁止日本協議会)
二、学習・討論集会の記録-17
主催者あいさつ 佐久間澄-18
 0919  『原水爆禁止日本協議会結成25年記念パンフ』(原水爆禁止日本協議会)
二十五年の運動の成果に立って 佐久間澄
1982
**** 『記録・82年 平和のためのヒロシマ行動』(82年・平和のためのヒロシマ行動広島実行委員会)
1983
0221 『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会)
原爆瓦が語るもの 佐久間澄 13
1984
0725 『あさ 18号 終刊号 』(山下会)
『あさ』終刊に深い感慨をこめて 佐久間澄……87
1991
0928 佐久間澄死亡。享年80歳。
1992
0301 『平和教育研究 広島平和教育研究所・年報 Vol.19 1992.03』(広島平和教育研究所)
佐久間澄先生の死を悼む 庄野直美 74
0405 『日本物理学会誌 47 (4), 326- 』( 日本物理学会)
小川 修三「佐久間澄教授のご逝去を悼んで」
0725 『木の葉のように焼かれて 第26集』(新日本婦人の会広島県本部)
佐久間澄先生を偲ぶ 湯川寛子 39
1993
 1001  『落暉燃ゆ 廣島高等学校創立七十年記念誌』(廣高七十年誌編集委員会編、廣島高等学校同窓会)
 〈特別記載〉
細川藤右衛門教授の最後―『生死の火』理論研被災記から― 故 佐久間澄(広大名誉教授)…546
2016
02 佐久間澄関係文書目録』(広島大学文書館、責任編集:平下義記)
 解題…ⅰ

凡例…ⅳ
1.書類…1
(1)原水爆禁止協議会 (2)世界平和評議会 (3)被団協 (4)原爆・被害調査
(5)平和と学問を守る大学人の会 (6)被爆者援護 (7)科学者会議 (8)核兵器
(9)原子力発電 (10)日中友好協会 (11)民主主義をまもる全国学者・研究者の会
(12)平和学会 (13)平和教育研究所 (14)その他
2.原稿…21
3.新聞・スクラップ…23
4.小冊子…25
5.定期刊行物…29
6.書籍…39
責任編集 平下義記

 

 

28 1991 佐久間澄 さくま・きよし 80 広島県原水協理事長・同県被団協理事長。広島大学構内で被爆。お宅で面談、資料を閲覧。<資料年表:佐久間澄>

資料年表:升川貴志栄

資料年表:升川貴志栄(ますかわ・きしえ)<作業中

年月日
1898
**** 誕生
1961
0615 『ひろしまの河 NO.1』(原水爆禁止広島母の会)
升川貴志栄「16年後の2人の娘からの手紙」
0801 『ひろしまの河 NO.2』(原水爆禁止広島母の会)
座談会「被爆体験と今日の私たち」出席者=永瀬清子・林田みや子・西隅幸枝・日詰しのぶ・斉藤冨美江・森滝市郎・山口勇子・小西信子・升川貴志栄・藤井ゆり
1962
0801 『ひろしまの河 NO.5』
[座談会]「被爆17年の市民感情の方向―ABCCを中心に」出席者=森滝しげ子・小西信子・升川貴志栄・前田登美子・」竹内美代子・正田篠枝・日詰しのぶ(まとめ)栗原貞子
1201 『ひろしまの河 NO.6』
 升川貴志栄「松の木」
 1963
1220 『ひろしまの河 NO.6』
升川貴志栄「癌で亡くなった主人を偲びて」
1965
0101 『ひろしまの河 NO.11』
升川貴志栄「山本さんと益子さんの縁」
1966
0301 『ひろしまの河 NO.13』
升川貴志栄「思いだすままに」
0801 『ひろしまの河 NO.13』
升川貴志栄「病床譜」
1967
『ひろしまの河 NO.15』
0801 升川貴志栄「美濃綾子さんを悼む あれから21年目」
 1968
 0801  『ひろしま 平和の歩み』(広島平和文化センター編、広島市)
 一〇、市民による特殊な平和活動 79
原水禁広島母の会
会誌「ひろしまの河」発行
 1972
0720 『ひろしまの河 NO.15 復刊1号』
私の体験記 升川貴志栄ほか
<奥付の発行所>広島市尾長町****升川貴志栄方 原水爆禁止広島母の会
1976
0920 死亡。享年78歳。

 

考えるとは乗り越えることである 好村冨士彦遺稿・追悼集

『考えるとは乗り越えることである 好村冨士彦遺稿・追悼集』(好村冨士彦遺稿・追悼集刊行委員会、三元社、2003/09/15)

著者
栗原貞子 はじめに「亡き人と共に生きよう」 13
1 道しるべとなった人びと 15
好村冨士彦
『原爆詩集』の成立に立ち会う 19
佐々木基一さんのプロフィール 22
ブロッホ『希望の原理』の完訳刊行に寄せて 38
アウシュヴィッツ・ヒロシマ以後 42
『ベンヤミン著作集』の翻訳完結に寄せて 51
橋川兄弟を偲んで 55
追悼 野村修氏 57
2 中高・療養時代 61
好村滋洋   兄、冨上彦と育った思い出 63
久保隅哲彦  彦やん―好村冨士彦さんの思い出 70
渡辺晋    好村君、また会いましょう 75
幾田篤    好村冨士彦君の思い出 77
御庄博実   朝鮮戦争下で、青年詩人好村冨十彦氏を知る 81
好村俊子   兄を偲んで―峠三吉の詩を朗読する 86
福島正純   好村さんの思い出 96
好村俊子   今は亡き冨土彦兄ちゃんへ 98
幸・ランメル 兄、好村冨十彦を偲ぶ 100
梅本丈夫   ヒコちゃんを送る従兄弟の心 102
好村冨士彦
原爆文学はかけがえのないメッセージ―ヒロシマ・ナガサキの文学 104
峠三吉との出会い 109
反核の詩人峠三吉―没後30年に思う 111
死者はいつまでも若い 114
朝倉勇 峠三吉をめぐっての好村冨士彦と僕―その青春と晩年 118
好村冨士彦
疎遠なシステムと化したわがふるさと東京 146
社会科学への目開く 147
好村玲子 好村との出会いから 149
3 早大時代 155
好村冨士彦
クラス・ノートに一番手として 157
野口武彦    風薫る五月 159
山田和明    60年安保、非暴力、好村さん 160
三木實     若かったあの季節の私たち 165
岡田浩平    好村さんの学生時代 169
小峰(千葉)紀雄 いつまでも若い好村さん 180
下重光正    好村さんありがとう 182
好村冨士彦   美しき惑いの年―独文始末記 187
松代洋一    好村さんのこと 192
荒武俊子    柳に雪折れなし―好村夫妻 194
鈴木泰子    うれしい再会 195
巳之口武    心やさしき畏友 196
好村冨士彦
中島教論 200
中島敦とカフカ 235
トーマス・マンと初期の作品―『トリスタン』を中心に 242
ハウゼ楽団のこと 246
川田喜信 「風の会」の頃 250
網本喜美 想い出すこと 254
好村冨士彦
父親となって 256
安保後の風潮について 257
船戸満之 好村さんとブロッホ 261
竹下史郎 申し訳ありません 263
4 日大時代 265
和田正信 好村さんとの「人間的信頼関係」 267
佐々木稔 風の中の旅人 269
三橋俊明 好村冨士彦と無尽出版会 271
好村冨士彦
不可視の渦の原点へ―日大闘争総括のための一視座 276
エドゥアルト・フックス―無名の大衆芸術への愛着 308
フックス『エロティック美術の巨匠たち』について 312
5 京大時代  315
小寺昭次郎 好村さんを思う 317
徳永恂   「匙」の頃―ユートピアはあったか 319
小岸昭   好村さんの風景 324
池田浩士  オルガナイザーと転向 326
好村冨上彦
ユートピアは確かにあった 333
最新エッセイ事情―行方不明になった「冒険の精神」 340
ヴィリ・ミュンツェンベルク―ある革命的ジャーナリストの生と死 349
片岡卓三  京大時代の好村先生 370
栗原幸夫  三賢人の「星座」にかこまれて 372
左佐木朋子 好村先生との出会い 374
河田育子  本当の思想を持っていた人―好村冨士彦先生の思い出 376
好村冨士彦
花田清輝―作家案内 380
宮内豊 淡々として水の如くに 388
6 広島時代 391
針生一郎  文化運動思想家の横顔 393
伊藤成彦  好村さんの近代=原爆文明への危機意識 396
原時彦   交友抄 398
好村冨士彦
原民喜を語る 400
文沢隆一 かれとヒロシマとのかかわり 401
小久保均 内なる友の死 405
好村冨士彦
「被爆の原点・広島からの呼びかけ」の会について 408
占浦千穂子 好村先生の思い出 418
伊藤真理子 好村冨士彦さんのもうひとつの仕事 420
池田正彦  「文学資料保全の会」のことなど 423
柴田幸子  好村先生を偲んで 425
好村冨士彦
詩集『銀杏の木への巡礼』が生まれるまで 429
森下弘   優しい眼差し 432
石嵜英子  好村先生との出会い 433
森安二三子 その目配りの優しさ 434
武谷田鶴子 好村先生は美男子だった 436
沼田鈴子  好村冨士彦先生を偲んで 438
寺島洋一  好村冨十彦さんと詩集『難民』の望月久 439
藤本仁   好村さんを悼む 441
山田夏樹  意志の人・行動の人 442
杉原助   座り込みをともにして 444
横原由紀夫 世界観を広げてくれた人 446
木原省治  肩から感じた温もり 448
小畑弘道  「つぶあんの会」のこと 449
高原泰五  療友 好村冨士彦君の思い出 451
高藤茂   間接的な事柄が縁となった 453
好村冨士彦
『行李の中から出てきた原爆の詩』の刊行にいたるまで 457
ホーマン君のこと 466
7 広大・東亜大時代 469
脇坂豊  追悼 好村君 471
松元寛  好村さんに 472
杉山毅  心優しい行動者 474
水島裕雅 好村さんを想う 476
桜井醇児 「フェニックスの会」のメンバーとして 479
好村冨士彦
文学に見る平和の諸相 485
ブレヒトの仕事と思想より―危機的状況における文学 495
金森誠也  好村さんの思い出 509
岡本三夫  非凡な人間の非凡な生活スタイル 511
西村雅樹  好村先生を偲んで 513
島谷謙   好村先生の思い出 515
成定薫   ブレヒト『ガリレイの生涯』を介して 516
戸田吉信  遅きに失したが… 517
及川道比古 希望は裏切られることがある―『ブロッホの生涯」を担当して 520
原千史   テュービンゲンでの好村先生 525
安井榮一  好村先生と私の「奇妙な」関係 526
窪俊一   しなやかな枯れ木 530
占川千家  「笑い猫」 532
増本浩子  傍流の弟子 533
大野寿子  執念のドイツ語習得術―その影に隠されたあの一言 537
舩木篤也  「貴君の翻訳を楽しみにしています」 542
小田智敏  好村先生と音楽 544
好村冨士彦
ベラ・バルトークについて 549
わがストレイ・シーブたち 550
山本泰生  「直」の人 553
中川浩史郎 好村さんとの思い出に寄せて 554
浜村篤   教育者 好村冨士彦 558
清水洋子  好村冨士彦先生の思い出 559
竹本勝久  記憶と記録に残すこと 561
金田晋   好村冨士彦さんへの思い出つれづれ 563
米田綱路  好村冨士彦氏と「いまだ・ない」の哲学 566
好村冨士彦
総合雑誌批評 574
回顧と反省  594
好村冨十彦 年譜 600
好村冨士彦 原稿初出一覧 603
好村冨士彦 主要著・訳書一覧 606
追悼文 寄稿者一覧 608
あとがき 岡田浩平 610