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御園生圭輔

御園生圭輔

みそのお・けいすけ 19121215生19950825没 享年82歳 終戦時、陸軍軍医学校教官として広島原爆の被害調査に当たる。

資料年表:御園生圭輔<作業中

年月日
1912
1215 誕生。
1936
03 東京帝国大学医学部卒業
 1945
 0814  陸軍省第2次調査班員として広島入り。~11月21日。  C
「ヒロシマの記録 各時代を刻む」 (『中国新聞』 20050805、西本雅実編集委員)
 1952
 0101  『婦人公論  1月号第416号(38巻1号)』(中央公論社)
 特集 平和への願い
原爆のない世界を〈座談会〉田中慎次郎/石垣綾子/山室民子/御園生圭輔 48
1967
09 放射線医学総合研究所長。『原子力委員会月報第20巻第5号』(科学技術庁原子力局)
 1968
06  C
0601 『マスコミ市民  No.16』(日本マスコミ市民会議)
特集 原爆映画 いま、よみがえれ“幻のフィルム”!
いまだから話そう 御園生圭輔・三木茂 43
 1969
0501 『広島医学 Vol.22 No.5 原爆後障害広島シンポジウム』(広島医学会)
 原爆後障害研究のあり方
総括……中泉正徳 47(353)
原子力平和利用の立場から………御園生圭輔 49(355)
0620 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 [第9回]』(広島原爆障害対策協議会)
原爆後障害研究のあり方
総括 中泉正徳 47
原子力平和利用の立場から 御園生圭輔 49
 1971
 0316   C
 1973
 06  C
 1974
0712  C
1975
0523 原子力委員会委員に就任
 『原子力委員会月報第20巻第5号』(科学技術庁原子力局)
 1976
0328 『広島医学 Vol.29 No.3 原爆後障害広島シンポジウム 特集号』(広島医学会)
特別講演
御園生圭輔「放射線防護と放射線影響研究」 97(285)
0331 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 第16回』(広島原爆障害対策協議会)
特別講演 御園生圭輔「放射線防護と放射線影響研究」 97
1979
 0518  C
 0608  C
 1980
0328 『広島医学 Vol.33 No.3 第20回原子爆弾後障害研究会特集号』(広島医学会)
記念講演 広島で過じた日々…御園生圭輔 28(260)
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第20回』(広島原爆障害対策協議会)
第20回原子爆弾後障害研究会
とき:昭和54年6月10日 ところ:広島医師会館
記念講演  広島で過ごした日々 御園生圭輔 28
 1211  原爆被害者対策基本問題懇談会、「被爆者対策のあり方」についての答申を発表  C
 1981
1110  C
 1986
 0430  C
1988
07 『竹ぼうき』(御園生圭輔先生退官記念事業会)
1995
0825 没。享年82歳。

 

資料年表:近藤幸四郎

資料年表:近藤幸四郎<作業中

年月日 事項 備考
****
誕生
1945
0806 自宅(爆心地から2・3キロ)で被爆。
2002
0821 死亡。享年69歳。
0822 「被団連事務局長近藤幸四郎さん死去 死没者への思い胸に活動」(『中国新聞』西本雅実)。
0822 「被爆者援護に尽力 近藤さん死去 関係者ら弔問次々」(『朝日新聞』)<宮崎安男原水禁代表委員:国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の説明文に『誤った国策』という文言が入ったのは、近藤さんが妥協しなかったからだ>
0824 近藤幸四郎葬儀。
0825 「被爆者運動には大きな痛手 近藤さん葬儀 700人別れ惜しむ」(『朝日新聞』)
0910 「惜別 広島被爆者団体連絡会議事務局長 近藤幸四郎さん 「怒りのヒロシマ」最後まで」(『朝日新聞』翁長忠雄)

 

21 2002 近藤幸四郎 こんどう・こうしろう 69 広島県被団協事務局次長、広島被爆者団体連絡会議事務局長、元日本被団協代表理事などを歴任。

資料年表:松前重義

資料年表:松前重義<作業中

年月日 事項 備考
1901
1024 熊本県生まれ
 1945
 0808  広島被爆調査団長として広島へ出発。
 0917  松前重義(逓信院総裁)褒状
 1947
 0104  ~19510620 公職追放
1987
 0330 『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)
 <『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)への宇吹コメント
0401  礼状(東海大学秘書室長⇒宇吹暁)
  1201 『松前重義 その政治活動 Ⅰ』(学校法人東海大学)
1991
0825 死亡。享年89歳。

松前重義

まつまえ・しげよし 19011024生19910825没 享年89歳 東海大学創立者。広島調査団長として被爆直後に入市。

 

平和を実現する力―長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言

『平和を実現する力―長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言』(四竃揚編、日本キリスト教団出版局、2009/06/20)

内容

はじめに 3
推薦の言葉<<恵みのあと>>-被爆一家の証言 櫻井重宣 15
沈黙の警告 四竃一郎 31
 あの日・広島・私 33
その六日間-佑子臨終記 47
父の見た佑子の性格 60
ありし日の佑子 四竃わくり 65
 あの日の追憶 67
ありし日の佑子 71
その記憶を語り継ぐために 四竃揚 101
 その死を超え行くもの 103
一人連れ出されて 109
聖書と讃美歌と祈りの日々 四竃更 139
 姉と弟 141
被爆家族の舞台裏 152
少年の記憶 四竃招 165
 思い出すまま 167
少年時代の思い出 171
五〇年ぶりに疎開地を訪ねて 175
弟たちへの手紙 四竃佑子 179
特別寄稿 戦友四竃更牧師 渡辺信夫 189
あとがき 199

四竈一郎

四竈一郎

しかま・いちろう ****生19860821没 享年83歳 広島市基督教連盟委員長[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。[52広島平和問題談話会](日本キリスト教団広島協会牧師)。[54世界平和集会世話人(発起・常任)]。元広島県原水協代表理事( 被爆者)。『平和を実現する力 長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言』(四竈揚編、日本キリスト教団出版局、2009.6.20)

原水爆禁止運動(潮新書)

『原水爆禁止運動(潮新書)』(今堀誠二、潮出版社、19740625)

内容<作業中

大会 備考
7 1 プロローグ
37 2 被爆者・全国民・全世界との連帯が高まる
57 3 地方原水協の強化と中央および国際組織の空転
85 4 日本の非核武装化にたちむかうために
111 5 原水禁運動の正しい道と左右の日和見主義
130 6 戦う平和運動の目標は軍備全廃か冷戦終結か
155 7 帝国主義時代の平和理論と原水爆時代の平和理論
176 8 社・共両党の激突と大衆の統一への願い
192 9 国民運動の崩壊と再生への四つの芽
232 10 毛沢東理論からみた日本原水協批判
261 核兵器のない世界をめざして
 imahori19740625

ヒロシマ・ノート

『ヒロシマ・ノート 岩波新書 563』(大江健三郎著、岩波書店、1965/06/21)

内容<作業中

<挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950.8.6 ポツダム書店発行より)>
プロローグ 広島へ 1<196504>
広島への最初の旅 15<196308>
広島再訪 45<196408>
モラリストの広島 69<196409>
人間の威厳について 89<196410>
 屈伏しない人々 109<196411>
 ひとりの正統的な人間 131<196412>
広島へのさまざまな旅 149<196501>
エピローグ 広島から 169<196501―196505>