粟屋仙吉
あわや・せんきち | 18931107生19450806没 | 広島の原子爆弾被爆時の広島市長。 | |
資料年表:粟屋仙吉<作業中>
年月日 | ||
1893 | ||
1107 | 誕生 | |
1945 | ||
0806 | 原爆被爆死。 | |
1966 | ||
1225 | 『粟屋仙吉の人と信仰 原爆にたおれた広島市長 待晨新書』(津上毅一編、待晨堂) | |
1998 | ||
0501 | 『追悼-原爆にたおれた粟屋家の人々』(粟屋忠編・刊) | |
2009 | ||
0710 | 『康子十九歳 戦渦の日記』(門田隆将著、文芸春秋) | |
止
粟屋仙吉
あわや・せんきち | 18931107生19450806没 | 広島の原子爆弾被爆時の広島市長。 | |
資料年表:粟屋仙吉<作業中>
年月日 | ||
1893 | ||
1107 | 誕生 | |
1945 | ||
0806 | 原爆被爆死。 | |
1966 | ||
1225 | 『粟屋仙吉の人と信仰 原爆にたおれた広島市長 待晨新書』(津上毅一編、待晨堂) | |
1998 | ||
0501 | 『追悼-原爆にたおれた粟屋家の人々』(粟屋忠編・刊) | |
2009 | ||
0710 | 『康子十九歳 戦渦の日記』(門田隆将著、文芸春秋) | |
止
清水幾太郎
しみず・いくたろう | 19070709生19880810没 | 享年81歳 | 社会学者。原爆孤児精神養子運動に協力。 |
資料年表:清水幾太郎
年月日 | ||
1907 | ||
0709 | 誕生 | |
1947 | ||
0201 | 『世界 第14号』(岩波書店) | |
「ヒューマニズム」の性格 清水幾太郎 1 | ||
1948 | ||
0801 | 『世界 第32号』(岩波書店) | |
世代の差違をめぐって(座談會)-進歩的思潮の批判と反批判-(安倍能成・和辻哲郎・天野貞祐・清水幾太郎・高桑純夫・松村一人・都留重人・磯田進) 14 | ||
1949 | ||
0701 | 『世界 第43号』(岩波書店) | |
平和のための教育(座談會) 24 清水幾太郎・今井譽次郎・上飯坂好實・宮原誠一・猪野謙二・新村猛・中井正一・吉野源三郎 |
||
1101 | 『女性改造 4巻11号』(改造社) | |
不運な書物 清水幾太郎 12 | ||
1951 | ||
0301 | 『世界 第63号』(岩波書店) | |
櫻の園をみて 清水幾太郎・渡邊一夫・竹内好・中野好夫 106 | ||
0501 | 『文芸春秋 第29巻第7号』(文芸春秋新社) | |
わが子の教育史…清水幾太郎 52 | ||
0501 | 『人間 6巻5号』(目黒書店) | |
清水幾太郎「私の社會觀」 林健太郎 124 | ||
0701 | 『世界 第67号』(岩波書店) | |
私の信篠/清水幾太郎 95 | ||
1015 | 『声なき民の声』(清水幾太郎編、要書房) | U |
1201 | 『世界 第72号』(岩波書店) | |
批准國會を傍聴して /清水幾太郎 113 | ||
1952 | ||
0101 | 『婦人公論 第416号(38巻1号)』(中央公論社) | |
幸福について 清水幾太郎 98 | ||
0613 | 『岩波講座教育 第1巻 世界と日本』(編集責任者:清水幾太郎、岩波書店) | U |
清水幾太郎「Ⅰ現代文明論」 | ||
1953 | ||
0101 | 『婦人公論 第428号)』(中央公論社) | |
作文について 清水幾太郎 168 | ||
0425 | 『基地の子 この事実をどう考えたらよいか』(清水幾太郎 [ほか]編、光文社) | |
編集のことば 清水幾太郎・宮原誠一・上田庄三郎 1 | ||
0520 | 『平和の探求 河出新書』(亀井勝一郎編、河出書房) | |
現代の魔術に抗して 清水幾太郎 48 | ||
0901 | 『世界 第号』(岩波書店) | |
内灘 清水幾太郎 65 | ||
0901 | 『婦人公論 第4号)』(中央公論社) | |
悲しむべき偏見について 清水幾太郎 43 | ||
1954 | ||
0301 | 『中央公論 第786号)』(中央公論社) | |
弾圧はまず教育から 清水幾太郎 48 | ||
<以下”雑誌”未入力> | ||
1955 | ||
1220 | 『戦争屋-あのころの知識人の映像- スマイルブック』(長尾和郎著、妙義出版) | |
清水幾太郎と三木清のこと 80 | ||
1956 | ||
1125 | 『岩波講座現代思想第1巻 現代の思想的状況』(岩波雄二郎編、岩波書店) | |
Ⅰ 現代の思想と歴史 清水幾太郎 3 | ||
1957 | ||
0710 | 『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料』(原水爆禁止日本協議会) | |
Ⅴ 原水爆禁止運動と平和諸運動 原水爆禁止運動と国際的緊張緩和をめざす諸運動の関連について 上原専祿・高桑純夫・久野収・清水幾太郎・古在由重…223 |
||
0917 | 『岩波講座現代思想第6巻 民衆と自由』(岩波雄二郎編、岩波書店) | |
IIIプラグマティズム プラグマティズムの本質 清水幾太郎 249 V自由の観念の発展 自由の観念の発展 清水幾太郎 357 |
||
1957 | ||
0725 | 『講座現代倫理 第9巻 世界と日本の道徳教育』(筑摩書房) | |
これからの日本人 清水幾太郎 3 | ||
1969 | ||
1220 | 『原点 「戦後」とその問題 「世界」座談会集III』(吉野源三郎編、評論社) | |
1980 | ||
0925 | 『日本よ国家たれ 核の選択』(文芸春秋) | |
1981 | ||
0125 | 『非戦・永世中立論 憲法九条と防衛の問題』(田畑忍著、法律文化社) | |
四 反憲法九条論に対する批判…42 一 清水幾太郎『日本よ国家たれ』(「諸君」昭和五五年七月号)批判…42 二 江藤淳『一九四六年憲法-その拘束』(「諸君」昭和五五年八月号)批判…50 |
||
0324 | 『戦後思潮 知識人たちの肖像』(粕谷一希著、日本経済新聞社) | |
4章 近代化の流れ 清水幾太郎-知の遍歴 100 |
||
1982 | ||
0320 | 『世界的に狂っている国防論 「世界連邦」創設の「政治的プロセス」』(三好康之著、勁草書房) | |
5 清水幾太郎筆「核の選択と日本が持つべき防衛力」は「世界の危機」を扇動、助長する以外の何ものでもない…228 | ||
1983 | ||
0315 | 『講座現代芸術 2 芸術家』(阿部知二 [ほか]編、勁草書房) | |
天才 清水幾太郎 171 | ||
1988 | ||
0810 | 死亡。 | |
1995 | ||
0131 | 『ジャーナリストとマスコミ 松浦総三の仕事 3』(松浦総三著、大月書店) | |
第3章 清水幾太郎-極左から極右までの思想遍歴 41 | ||
1006 | 『「世界」主要論文選 1946-95 戦後50年の現実と日本の選択』(「世界」主要論文選編集委員会編、岩波書店) | |
いまこそ国会へ-請願のすすめ [60・5] 清水幾太郎 333 | ||
1996 | ||
0207 | 『丸山眞男集 第八巻 一九五九-一九六〇』(岩波書店) | |
「清水幾太郎氏の闘い」に寄す……341 | ||
1999 | ||
0625 | 『日本原爆論大系 第4巻 核兵器禁止への道Ⅰ』(岩垂弘 [ほか]、日本図書センター) | |
われわれはモルモットではない(清水幾太郎)66 | ||
2002 | ||
1120 | 『「核」論 鉄腕アトムと原発事故のあいだ』(武田徹著、勁草書房) | |
1980年論清水幾太郎の「転向」 163 | ||
2015 | ||
0125 | 『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』(山本昭宏著、中央公論新社) | |
第4章 消費される核と反核-1980年代…161 清水幾太郎の核武装論-被爆国という特権 |
||
止
増本量
ますもと・はかる12 | 18950109生19870812没 | 享年92歳 | 金属物理学者。東北大学名誉教授。日本金属学会会長。広島県安芸郡矢賀村(現:広島市東区矢賀)出身。 |
『増本量伝』(石川悌次郎著、誠文堂新光社、1976/06/25)
編 | |||
序 藤森成吉 | |||
1 | 矢賀の春秋 | ||
1 出稼ぎの村 1 2 結婚開運 5 3 一等公民 10 4 みのほど 15 5 模索する精神 19 6 門構えの家・高女出の妻 22 7 海老の寺詣り 29 8 “ちょうさい”の里 34 9 排日移民法の公布 40 |
|||
2 | 才蔵峠 | ||
1 畦のバイオリニスト 47 2 父と子 51 3 二宮穠 56 4 涙の峠路 60 5 肝臓と自転車 68 6 ぼん倉が立つ 76 |
|||
3 | 螢雪の時代 | ||
1 富士の肩雲 85 2 妥協を排す 90 3 洟水とチブス 97 4 意外な曲り角 103 5 別名“亀さん”決る 112 6 大道無門の実学 118 |
|||
4 | コバルトの妻 | ||
1 緑は異なもの 129 2 提灯に吊鐘 136 3 教育代議士 141 4 コバルトの妻(その1) 153 5 コバルトの妻(その2) 162 |
|||
5 | 死線を越えて | ||
1 肺患の急襲 173 2 エネルギー哲学 182 3 スーパーインパー 187 4 広島の人々 193 5 不可思議の解明 200 6 錬金術師 208 7 学士院賞と母 214 8 磁石鋼もの語り(その1) 222 9 磁石鋼もの語り(その2) 227 10 磁石鋼もの語り(その3) 232 |
|||
6 | 戦局と研学 | ||
1 耳栓のはなし 239 2 欧米出張 247 3 センダストもの語り 260 4 焦眉のアルフェル 267 5 広島の原爆 274 |
|||
7 | 金研所長時代 | ||
1 学士院恩賜賞 285 2 金研の履歴書 288 3 学者の俗務 292 4 金研の復興拡充(その1) 297 5 金研の復興拡充(その2) 301 6 本多先生の終焉(その1) 307 7 本多先生の終焉(その2) 315 |
|||
8 | 電磁研とともに | ||
1 航空計器材料試作研究所 325 2 電磁研の躍進(その1) 330 3 電磁研の躍進(その2) 338 4 電磁研の躍進(その3) 344 5 増本式健康法 356 6 栄誉と褒章の道 374 |
|||
増本量年譜 384 | |||
あとがき 松永陽之助 | |||
止
『忘れじのヒロシマわが悼みうた 栗原貞子詩集』(栗原貞子著、詩集刊行の会、1997/06/30)
内容
部 | |||
まえがき | |||
1 | ヒロシマのうたを歌い続けて | ||
ヒロシマの道標 10 寂寞を希望にかえて 11 相次ぐ発禁-言論弾圧と細田民樹 13 日米ピースセンターの活動 16 悪い政治と斗って 18 崩れぬ平和都市を 19 生と死 20 ヒロシマのうたを歌い続けて 22 |
|||
2 | 忘れじのヒロシマ | ||
原爆で死んだ幸子さん 26 夾竹桃 27 異形 29 日詰さんと原水禁広島母の会 30 黒い十字架 32 いまは安らかに眠りませ 34 眼 35 白い虹 36 愛と死 37 ケロイドの背で証言する 38 まどうてくれ 40 ヒロシマの人体実験はまだ続いている 41 原爆半世紀ヒロシマの女たちは 44 |
|||
3 | 歴史の立会人だったのだから | ||
歴史の立会人だったのだから 48 石のなかから 49 歴史の残像 50 ヒロシマと言うとき 52 何のために戦ったのか 53 護憲の碑除幕 56 楽譜「世界とともに」 57 献詩「弟よ」 58 射程距離 60 昇天 61 終わりのとき 62 知らなかった 63 呼ぶ 64 空席 65 献詩 66 |
|||
4 | 物故作家を語る会の記録 70 | ||
第1回 代表 田辺耕一郎 | |||
第2回 代表 好村富士彦 | |||
あとがき |
止
田沼肇
たぬま・はじめ | 19260419生20000809没 | 享年74歳 | 1950年、法政大学大原社会問題研究所に就職。64年同大学教授。93年退職し名誉教授に。日本原水協代表理事。 |
資料年表:田沼肇<作業中>
年月日 | ||
1926 | ||
0419 | 誕生 | |
1954 | ||
0825 | 『日本資本主義講座 戦後日本の政治と経済 9 軍国主義の復活』(遠山茂樹編、岩波書店) | |
1967 | ||
11101 | 『原水爆禁止科学者会議の記録 第2回』(第2回原水爆禁止科学者会議準備委員会事務局) | |
第3分科会 被爆者問題 被爆者援護立法について 田沼肇 96 |
||
1970 | ||
0228 | 『静岡の被爆者 全戸訪問調査中間報告』(静岡県原水爆被害者の会) | |
2.特別寄稿 「全戸訪問調査の意義」 4 日本原水協被爆担当常任理事 田沼肇 |
||
1971 | ||
0720 | 『原爆被爆者問題 新日本新書,132』(田沼肇、新日本出版社) | |
0730 | 『炎の中を生きて 私の戦争体験記 原爆被爆者の手記』(原水爆禁止日本協議会編、日本青年出版社) | |
あとがき 田沼肇 212 | ||
1972 | ||
0718 | 『被爆婦人の集い 第4集』(大阪市原爆被害者の会婦人部) | |
援護法をめぐって 田沼肇 37 | ||
1975 | ||
1201 | 『友情の人文字MINE 被爆二世の死を越えて』(大阪市原爆被害者の会婦人部) | |
被爆二世のこと 田沼肇 40 | ||
1977 | ||
0125 | 『平和教育運動 No.4』(日本平和教育研究協議会、広島平和教育研究所出版部) | |
核をめぐる国際情勢と平和教育 166 田沼肇 | ||
1978 | ||
0915 | 『被爆の実相と被爆者の実情 1977NGO被爆問題シンポジウム報告書』(日本準備委員会編、朝日イブニングニュース社) | |
被爆者調査 はじめに 田沼肇 217 | ||
1985 | ||
0530 | 『核兵器廃絶 資料集』(労働者教育協会編、学習の友社) | |
5 内外人民の反核・平和運動 運動の歴史と核兵器廃絶への展望 田沼肇 123 | ||
1028 | 『原爆犯罪 被爆者はなぜ放置されたか』(椎名麻紗枝著、大月書店) | |
椎名麻紗枝さんのこと 田沼肇 227 | ||
1987 | ||
1021 | 『非核自治体 抗議・学習・連帯』(森田俊男著編、平和文化) | |
序章 非核自治体運動の意義を生かすために 田沼肇 23 | ||
1995 | ||
0530 | 『私のなかの平和と人権』(草の根出版会) | |
2000 | ||
0809 | 没。享年74歳。 | |
2008 | ||
0704 | 『田沼肇全活動 付・田沼肇著作集DVD』(田沼肇全活動・著作集編集委員会編・刊、日本評論社(発売))(投稿) | |
止
李鍝
り・ぐう | 19121115生19450807没 | 享年32歳 | 李氏朝鮮王族の子孫。広島原爆で被爆死。 |
資料年表:李鍝<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1912 | ||
1115 | 誕生。 | |
1926 | ||
04 | 学習院中等科を経て、陸軍士官学校予科入学。 | |
1945 | ||
07 | 第二総軍司令部(広島)参謀部第一課教育参謀に任命さる。 | |
李方子『過ぎた歳月』 | ||
0806 | 原爆被災。 | |
0807 | 似島(広島沖)で逝去。32歳。 | |
0808 | 遺体を吉島飛行場から朝鮮京城へ。 | |
宮内省発表(8日正午)李鍝公殿下には一昨六日広島に於て作戦任務御遂行中空爆により御負傷、昨七日戦死せられたり | ||
0810 | 宮内省告示第21号 大勲位李鍝公殿下本月七日薨去セラレタルニ付長子李清公系ヲ襲カセラル 宮内大臣 石渡庄太郎 | |
0815 | 葬儀。 | |
0825 | 『昭和天皇実録』(1945年8月25日の項)=朝鮮より帰朝の式部次長坊城俊良が御文庫に参殿につき、謁を賜う。坊城は、去る十五日の李鍝公(八月七日広島似ノ島陸軍療養所において薨去)の葬儀に参列するため京城へ出張し、その際に見聞した停戦後の混乱状態につき言上する。○侍従日誌、侍従武官日誌、王公族録、徳川義寛終戦日記、松平慶民手帖 | |
1963 | ||
1106 | ~7日。 朴賛珠(李鍝夫人)、陸軍士官45期生の招待でソウルから来広。広島平和記念公園、原爆死没者慰霊碑、相生橋、前田別荘など訪問。 | |
1969 | ||
1016 | 広島県、広島韓国人原爆慰霊碑建立委員会が進める韓国人慰霊碑を平和公園対岸の本川橋西詰河岸緑地への建立を許可。 | |
1970 | ||
0410 | 韓国人原爆犠牲者慰霊碑―李鍝公殿下他弐万余霊位、除幕 | |
1973 | ||
01 | 李方子『すぎた歳月』 | |
第8章 | ||
戦局は日々に暗く/広島に原爆投下/ああ、八月十五日/韓国は独立したけれど | ||
1988 | ||
0915 | 中国放送、テレビ『民族と海峡・広島で原爆死した朝鮮王族李鍝 その生と死を追う』放映。 | |
1989 | ||
0805 | 『資料・韓国人原爆犠牲者慰霊碑』(企画:ピカ資料研究所、編集:「全国在日朝鮮人教育研究協議会・広島」有志<加藤陽祐・多賀俊介・豊永恵一郎>、「ピカ資料研究所」田原幻吉・中川幹郎)、刊行「碑の会」(全朝教有志・ピカ研) | |
1999 | ||
2015 | ||
0903 | 『ともに歩んできた50年 韓日国交正常化50周年記念 駐広島大韓民国総領事館 ニュースレター特別版』(駐広島大韓民国総領事館) | |
韓国人原爆犠牲者慰霊碑と李鍝 35 | ||
り・ぐう | 19121115生19450807没 | 享年32歳 | 韓国人犠牲者慰霊碑(1970年4月10日除幕)の碑文。『すぎた歳月』(李方子、1973年)。『資料・韓国人犠牲者慰霊碑』(ピカ資料研究所など編、碑の会刊、1989.8.5)、『昭和天皇実録』 | ||
止
阿川弘之
あがわ・ひろゆき | 19201224生20150803没 | 享年94歳 | 日本の小説家、評論家。広島県名誉県民。日本芸術院会員。日本李登輝友の会名誉会長。文化勲章受章。『広島県現代文学事典』(高木伸幸・記)<資料年表:阿川弘之> |
資料年表:阿川弘之
年月日 | 事項 | 備考 |
1920 | ||
1224 | 広島市に誕生。 | |
1946 | ||
0901 | 『世界 第9号』(岩波書店) | |
(創作) 年年歳歳 阿川弘之 124 | ||
1949 | ||
1101 | 『新潮 特大号 第46卷第11号』 | |
あ號作戦前夜-春の城-200枚 阿川弘之…90 | ||
1952 | ||
08? | 『原爆の子完成記念アルバム』(近代映画協会・劇団民芸) | |
郷里の廣島から 阿川弘之 | ||
1953 | ||
0801 | 『新潮 特大号 第50卷第8號第580号』 | |
魔の遺産(連載第2回)阿川弘之…248 | ||
0901 | 『新潮 特大号 第50卷第9號第581号』 | |
魔の遺産(連載第三回)阿川弘之…227 | ||
1001 | 『新潮 特大号 第50卷第10號第582号』 | |
魔の遺産(連載第四回) 阿川弘之…242 | ||
1201 | 『新潮 特大号 第50卷第12號第584号』 | |
魔の遺産(終回)阿川弘之…237 | ||
1954 | ||
0328 | 『魔の遺産』(阿川弘之著、新潮社) | |
0601 | 『世界 第102号』(岩波書店) | |
特集 世界に訴える-水爆実験に関する日本人の發言- これはあんまり無茶だ 阿川弘之 50 |
||
1955 | ||
0410 | 『人さまざま 続 朝日文化手帖 , 50』(朝日新聞社) | |
0530 | 『春の城 新潮文庫』(阿川弘之著、新潮社) | |
0805 | 『原子力と文学』(小田切秀雄編、大日本雄弁会講談社) | |
八 月 六 日 阿川弘之 54 | ||
1001 | 『知性 10月号 第2巻第10号』(河出書房) | |
あなたは現代・歴史的かなづかいのどちらをお使いになりますか アンケート …70 阿川弘之ほか |
||
<以下未入力> | ||
1999 | ||
**** | 文化勲章受章。広島県名誉県民。 | |
2015 | ||
0803 | 没。享年94歳。 | |
止
資料年表:大佐古一郎
年月日 | ||
1912 | ||
1115 | 誕生 | |
1953 | ||
0801 | 『文芸春秋 第31巻第11号』(文芸春秋新社) | |
ヒロシマ記者の靴のあと 大佐古一郎 220 | ||
1965 | ||
0806 | 『週刊広島 4号』(広報出版センター) | |
日本の広島人 升田幸三 九段 大佐古一郎 14 | ||
1971 | ||
1001 | 『随想尾道 第28号』(尾道随筆クラブ) | |
核兵器のロボット 大佐古一郎 56 | ||
1972 | ||
0701 | 『潮 第156号』(潮出版社) | |
焦熱のもとで”取材”したこと 大佐古一郎 …248 | ||
1975 | ||
0825 | 『広島昭和二十年 中公新書 404』(大佐古一郎 著、中央公論社) | |
1977 | ||
0801 | 『広島新史編修手帖 No.1』(広島市史編修委員会専門部会) | |
6.随筆三題 その1 ジュノー博士の資料 大佐古一郎 17 |
||
1978 | ||
1101 | 『平和文化 第14号』(広島平和文化センター) | |
ドクタージュノーと私 大佐古一郎 | ||
1225 | 『広島県医師会速報 第953号』(広島県医師会) | |
ドクター・ジュノーの世界⑥(大佐古一郎) 19 | ||
1979 | ||
0115 | 『広島県医師会速報 第955号』(広島県医師会) | |
ドクター・ジュノーの世界⑧(大佐古一郎) 19 | ||
0215 | 『広島県医師会速報 第958号』(広島県医師会) | |
ドクター・ジュノーの世界⑪(大佐古一郎) 28 | ||
0225 | 『広島県医師会速報 第959号』(広島県医師会) | |
ドクター・ジュノーの世界⑫(大佐古一郎)21 | ||
0305 | 『広島県医師会速報 第960号』(広島県医師会) | |
ドクター・ジュノーの世界⑬(大佐古一郎) 17 | ||
0415 | 『広島県医師会速報 第964号』(広島県医師会) | |
ドクター・ジュノーの世界17(大佐古一郎) 23 | ||
0515 | 『広島県医師会速報 第967号』(広島県医師会) | |
ドクター・ジュノーの世界20(大佐古一郎) 23 | ||
0525 | 『広島県医師会速報 第968号』(広島県医師会) | |
ドクター・ジュノーの世界・24(大佐古一郎) 23 | ||
0605 | 『広島県医師会速報 第969号』(広島県医師会) | |
ドクター・ジュノーの世界補遺(大佐古一郎) 22 | ||
0901 | 『世界 第406号』(岩波書店) | |
ジュノー博士と広島 大佐古一郎 269 | ||
1215 | 『ドクター・ジュノー 武器なき勇者』(大佐古一郎、新潮社) | |
1980 | ||
0105 | 『広島県医師会速報 第991号』(広島県医師会) | |
新春炉辺談話 大佐古一郎、松永勝、阪田数年 6 | ||
0305 | 『広島県医師会速報 第996号』(広島県医師会) | |
随想 ドクター・ジュノー(大佐古一郎) 26 | ||
0801 | 『廣島特報 昭和20年8月7日(火曜日)・昭和20年8月8日(水曜日)』(大佐古一郎・中村敏・松重美人) | |
1981 | ||
0901 | 『世界 第430号』(岩波書店) | |
ヒロシマ記者の証言 大佐古一郎 93 | ||
1982 | ||
0125 | 『広島県医師会速報 第1064号』 | |
特別寄稿・GHQと日本政府は広島に何をしたか?(大佐古一郎) 24 | ||
1985 | ||
1125 | 『昭和の戦争ジャーナリストの証言 6 終戦』(講談社出版研究所編、講談社) | |
証言 IV 原爆に竹槍・国民義勇戦闘隊 大佐古一郎(中国)125 |
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1988 | ||
0718 | 『消えたペン 新聞労働者の8月6日』(中国新聞労働組合編、汐文社) | |
炎熱のもとで取材したこと 大佐古一郎 9 | ||
1989 | ||
1115 | 『平和の勇者ドクタージュノー 探せ!ヒロシマの恩人の軌跡』(大佐古一郎、蒼生書房) | |
1995 | ||
?? | 死亡。 |
止
資料年表:小寺初世子<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1932 | ||
**** | 兵庫県生まれ。 | |
1972 | ||
0331 | 『広島女子大学文学部紀要 第7号』(広島女子大学) | |
「朝鮮人被爆者の法的地位」 | ||
1976 | ||
0220 | 『国際法の基本問題 小谷鶴次先生還暦記念論文集』(山本敬三 [ほか]著、有信堂) | |
第3章 国際法主体としての国家と個人 小寺初世子 <26> | ||
1979 | ||
0101 | 『広島平和科学 2 1978/79年』(広島大学平和科学研究センター) | |
国際人権規約の批准とその法的効果 小寺初世子…1 |
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0310 | 『広島女子大学文学部紀要 1979 第14号』 | |
小寺初世子 在日外国人(在広朝鮮人・韓国人)被爆者の核意識 19 | ||
1101 | 『世界 第408号』(岩波書店) | |
韓国人・朝鮮人被爆者の核意識 小寺初世子 328 | ||
1980 | ||
0320 | 『広島女子大学文学部紀要 1980 第15号』 | |
小寺初世子 外国人と社会保障-被爆者援護と外国人被爆者の問題を含めて 70 | ||
0415 | 『原爆問題 広島総合研究会会報 No. 3』(原爆問題広島総合研究会) | |
外国人の核意識―大学卒外国婦人に対する試験的調査のまとめ―広島女子大学大学部 小寺初世子、木本喜美子 | ||
0910 | 『平和研究 第5号 現代日本の平和保障』(日本平和学会) | |
〔書評〕小寺初世子 広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協)白いチョゴリの被爆者 182 |
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1981 | ||
0101 | 『広島平和科学 4 1981年』(広島大学平和科学研究センター) | |
「第二次世界大戦におけるいわゆる“朝鮮人徴用工”への未払賃金供託事件に関する法的一考察 一般市民の蒙る戦争災害の救済」 小寺初世子……1 | ||
0320 | 『広島女子大学文学部紀要 1981 第16号』 | |
小寺初世子 原爆災害の法的研究-非戦闘員犠牲者の法的地位を中心に 143 | ||
1982 | ||
0101 | 『広島平和科学 5 1982年』(広島大学平和科学研究センター) | |
国際刑法と罪刑法定主義 小寺初世子……83 | ||
0130 | 『原爆問題 広島総合研究会会報 No.10』(原爆問題広島総合研究会) | |
より効果的な核兵器の禁止を求めて―国際刑法典の制定をめぐる最近の国連活動への期待― 小寺初世子 | ||
0320 | 『広島女子大学文学部紀要 1982 第17号』 | |
小寺初世子 原爆災害の法的研究(その2)-非戦闘員犠牲者の法的地位を中心に 39 | ||
1983 | ||
0320 | 『広島女子大学文学部紀要 1982 第18号』 | |
小寺初世子 原爆災害の法的研究(その3)-非戦闘員犠牲者の法的地位を中心に 71 | ||
0501 | 『平和文化 第41号』(広島平和文化センター) | |
非戦闘員被爆者の法的救済をいかに定めるか国家補償の必要性を認める方向で 広島女子大学教授 小寺初世子 | ||
1994 | ||
0101 | 『広島平和科学 16 1994年』(広島大学平和科学研究センター) | |
条約の普及(dissemination)について(調査報告)―女子差別撤廃条約を例に― 小寺初世子……85 | ||
『広島平和科学 17 1994年』(広島大学平和科学研究センター) | ||
人権を侵害された個人がもとめる国際的救済 小寺初世子……79 | ||
1995 | ||
0101 | 『広島平和科学 18 1995年』(広島大学平和科学研究センター) | |
第4回世界女性会議(FWCW=北京会議)と女性の地位向上 小寺初世子 | ||
1996 | ||
0101 | 『広島平和科学 19 1996年』(広島大学平和科学研究センター) | |
『従軍慰安婦』への『戦後補償』とその法的問題点 小寺初世子……93 | ||
1997 | ||
0101 | 『広島平和科学 20 1997年』(広島大学平和科学研究センター) | |
条約と日本―条約の国内法としての効力を考える― 小寺初世子……307 | ||
0125 | 『21世紀世界の人権』(田畑茂二郎編、明石書店) | |
第8章 女子差別撤廃条約とその問題点 小寺初世子 198 | ||
0210 | 『国際人権法概論』(畑博行・水上千之編著、有信堂高文社) | |
女子差別撤廃条約 小寺初世子 1 はじめに 64 2 女子差別撤廃条約と日本 67 (1)条約批准まで 67 (2)条約批准のインパクト- 1 67 (7)条約批准のインパクト- 6 73 3 おわりに 74 |
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1998 | ||
0101 | 『広島平和科学 21 1998年』(広島大学平和科学研究センター) | |
人権条約による人権保障の実効性について ―留保の問題を中心に― 小寺初世子……191 |
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1999 | ||
0101 | 『広島平和科学 220 1999/2000年』(広島大学平和科学研究センター) | |
人権条約による人権保障の実効性ついて(続) ―留保の問題を中心に― 小寺初世子……235 |
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2001 | ||
0731 | 死亡。 | |
止
桧垣益人
05 | 19900805没 | 桧垣益人 | ひがき・ますと | 94 | 元日本被団協代表委員(1970-81年)。広島駅地下道で被爆。1961-84年、広島県被団協事務局長。<資料年表:桧垣益人> |
資料年表:桧垣益人
年月日 | 事項 | 備考 |
**** | 桧垣益人、誕生。 | |
1956 | ||
0718 | 広島県安芸郡原爆被害者団体連合会結成大会。於矢野町公民館。会長に桧垣益人を選任。 | C |
1960 | ||
1201 | 日本原水協・中国ブロック原水協主催:原水爆禁止・被爆者激励広島大会。於広島市公会堂。桧垣益人ら意見発表。 | C |
1962 | ||
0221 | 桧垣益人広島県被団協事務局長ら代表10人、原爆被害者援護法制定の陳情のため広島から上京。 | C |
1963 | ||
0217 | 日本被団協・原水禁中国ブロック協議会、原爆慰霊碑前の24時間座り込みを正午で打ち切り決起集会。参加者500人。国会請願代表団38人を激励。桧垣益人広島県被団協事務局長が決意表明。 | C |
0930 | 近畿の社会党・総評系団体など主催、大阪市内で「日本の非核武装と軍縮のための関西平和大会」開催。桧垣益人広島県被団協事務局長らがあいさつ。 | C |
1968 | ||
04 | 広島県安芸郡海田町の原爆被害者の会(桧垣益人会長)、会員240人の被爆体験をまとめた『被爆者懇談集録』を発刊。 | C |
1970 | ||
0830 | 広島県被団協、日本被団協の改組に伴う代表委員に桧垣益人事務局長の推薦を決める。森滝の推薦は断念(「ヒロシマ四十年・森滝日記の証言」) | C |
0831 | 日本被団協第14回総会を国労会館(東京)で開催。森滝理事長辞任、代表委員制を新設。桧垣益人、小林ヒロ(長崎)、行宗一(東京)を選ぶ。事務局長は伊東壮、森滝は常任顧問。 | C |
1971 | ||
0819 | C | |
0905 | C | |
0906 | C | |
<つづく> | ||
1990 | ||
0805 | 桧垣益人、死去。94歳。 | |
止