香川亀人<作業中>
かがわ・かめと | ****生19931015没 | 享年97歳 | 広島県呉市在住。方面委員・民生委員 |
止
香川亀人<作業中>
かがわ・かめと | ****生19931015没 | 享年97歳 | 広島県呉市在住。方面委員・民生委員 |
止
資料年表:大田英雄<作業中>
年月日 | |||
1934 | |||
**** | 誕生。神奈川県横須賀市生まれ。 | ||
広島大学教育学部入学(高校教育社会学科) | |||
1957 | |||
04 | 高校の分校(音戸高校倉橋分校?) | ||
1963 | |||
04 | 広島県立賀茂高校教諭 | ||
1963 | |||
04 | 広島県立賀茂高校教諭 | ||
1967 | |||
04 | 広島県立呉宮原高校教諭 | ||
原水爆禁止呉協議会事務局長、高教組呉地区支部平和教育推進部長、呉地区高校生「平和の集い」顧問、歴史教育者協議会会員 | |||
1973 | |||
1013 | 宇吹メモ(1973・10・13)呉歴史教育者協議会10月例会 於:呉勤労会館。出席。 | ||
1974 | |||
宇吹メモ(1974・11・24)呉空襲を記録する会設立総会 於:呉勤労会館。<司会挨拶(大田)> | |||
1975 | |||
0121 | 『呉戦災を記録する会会報 No.1』 | ||
役員構成 幹事 大田英雄(呉宮原高校 高校代表) | |||
1980 | |||
1025 | 『今、平和のためにー戦災・空襲を記録する会全国連絡会議第10回記念那覇大会』p88 | ||
大田英雄(呉空襲を記録する会)「今こそ戦争と軍隊の本質を明らかに」 | |||
1984 | |||
0623 | 『第20回呉地区高校生平和の集い記念出版「戦跡よ語れ 呉の平和な未来を―呉戦災フィールドワークの手引き」』 | ||
執筆:大田英雄・牧岡宏明(呉宮原高)、本間英次(熊野高)、伊藤英敏(呉港高) | |||
1989 | |||
0613 | 『父は沖縄で死んだー沖縄海軍部隊司令官とその息子の歩いた道』(大田英雄著、高文研) | ||
2005 | |||
**** | 死亡 | ||
2009 | |||
0815 | 『追憶―平和への切なる願いを込めて― 国民学校入学1期生が綴る戦中・戦後体験記』(広島県立呉三津田高校4回生同期会国民学校入学1期生が綴る戦中・戦後体験記編集委員会、広島県立呉三津田高等学校四回生、20090815) | ||
第2章 戦場で戦った軍人を父として 「父は沖縄で死んだ」を著した大田英雄君のこと〈岡部哲治〉…20 |
|||
28p:宮原高校教頭->広島市井口高校校長、広島女子商短大非常勤教師、 | |||
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北川健次<作業中>
きたがわ・けんじ | 1935****生20221209没 | 享年87歳 | 1935年生。広島大学教育学部教授、附属東雲中学校長を歴任。ユネスコ日本国内委員、元日本都市学会会長 |
資料年表:北川健次()
年月日 | 事項 | メモ | |
1935 | |||
**** | 生 | ||
2007 | |||
12 | 『瀬戸内海事典』(北川建次) | ||
1922 | |||
1209 | 没 | ||
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『日本平和論大系』(家永三郎編、日本図書センター刊)<作業中>
巻 | 発行年月日 | |
1~10 | 1993/11/25 | |
11~17 | 1994/04/25 | |
18 | 1994/04/20 | |
19~ | 1994/04/25 | |
日本平和論大系 第20巻 目次
芳賀武 紐育ラプソディ-ある日本人米共産党員の回想 |
|||
序 ハワイからカリフォルニアヘ 7 | |||
1 ニューヨークの住人となる 17 2 大恐慌とニューディール 28 3 日本の将来に暗雲 39 4 横浜正金銀行に入る 45 5 ニューディールと日本人画家たち 54 6 スペイン内乱の衝撃 59 7 ローズヴェルト再選 67 8 終わりの始まり 75 9 アメリカ共産党入党 88 10 党活動に打ち込む 100 11 たかまる反日感情 116 12 人民戦線の崩壊 124 13 緊迫化する日米関係 134 14 東部日本人共護委員会 144 15 開戦前夜 153 16 パール・ハーバー 166 17 エリス島の囚人 177 18 日米民主委員会の活動 189 19 日系人への圧迫 200 20 戦時景気の恩恵 211 21 日系人の転住始まる 222 22 『紐育時事』の発刊 235 23 日系兵土の死闘 243 24 OSS日本人部隊 255 25 「戦後」ヘの胎動 267 26 北米新報社を創立 277 27 岡野進の手紙 288 28 日本降服 297 あとがき 310 |
|||
宇佐美承 さよなら日本-絵本作家・八島太郎と光子の亡命 |
|||
1 ジュニとトネ 314 2 郷土の末裔 328 3 神の授け子 350 4 疾風怒涛 376 5 ミナト・コウベ 414 6 ニューヨーク貧民街 432 7 祖国を敵として 458 8 わかれみち 480 9 望郷と国籍放棄 511 あとがき 542 |
|||
跋文- | |||
平和ということ-木下順二 548 「土着」の陥穽-坂本義和 551 |
|||
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『教科書検定訴訟を支援する全国連絡会ニュース』<作業中>
号 | 年月日 | 記事 | |
1965 | |||
1 | 1205 | 創立総会《10月10日》と全国連絡会の発足 | |
1966 | |||
2 | 0205 | 300万円カンパ10万人書名1万人会員を | |
3 | 0520 | 家永三郎 | |
4 | 0710 | ||
5 | 0910 | 第2回全国総会開かる<7月10日> | |
6 | 1228 | ||
1967 | |||
7 | 0227 | ||
8 | 0427 | ||
9 | 0627 | ||
10 | 0825 | 第3回全国総会開かる<7月9日> | |
11 | 1025 | ||
12 | 1130 | ||
1968 | |||
13 | 0130 | ||
14 | 0325 | ||
15 | 0525 | ||
16 | 0615 | ||
17 | 0715 | ||
18 | 0815 | 教科書検定訴訟を支援する全国連絡会第4回全国総会にたいする報告(7月28日) | |
19 | 0930 | ||
20 | 1125 | 日高六郎「明治百年と教科書裁判」(要旨) | |
20 | 京都出張尋問 | ||
21 | 1215 | ||
1969 | |||
22 | 0115 | ||
23 | 0215 | ||
24 | 0315 | ||
25 | 0415 | ||
26 | 0515 | ||
27 | 0615 | ||
28 | 0715 | 第5回全国総会<7月26日>に対する報告 | |
29 | 0815 | ||
30 | 0915 | ||
31 | 1015 | ||
32 | 1115 | 教科書裁判第一審勝利をめざす11・8中央総決起集会 | |
33 | 1215 | ||
1970 | |||
34 | 0115 | ||
35 | 0220 | ||
36 | 0315 | ||
37 | 0415 | ||
38 | 0515 | ||
39 | 0615 | ||
40 | 0815 | 教科書裁判・原告・国民の主張の勝利 | |
41 | 0815 | 判決文抜粋 <東京地裁民事2部・杉本良吉裁判長><7月17日> | |
42 | 0915 | 全国連絡会第6回全国総会<8月29・30日> | |
43 | 10臨 | ||
44 | 1015 | ||
45 | 11・12 | ||
1971 | |||
46 | 0115 | ||
47 | 0215 | 2月5日東京高裁第1回口頭弁論を強行! | |
48 | 0315 | ||
49 | 0415 | ||
50 | 0515 | ||
51 | 0615 | ||
52 | 0715 | ||
53 | 0815 | ||
54 | 0915 | 全国連絡会第7回全国総会<8月27・28日> | |
55 | 1015 | ||
56 | 1115 | ||
1972 | |||
57 | 0115合 | ||
58 | 0115合 | ||
59 | 0215 | ||
60 | 0315 | 臨時全国総会<3月25・26日> | |
61 | 0415 | 全国連 臨時総会開く | |
62 | 0515 | ||
63 | 0615 | ||
64 | 0715 | 鈴木英一「 法廷からのレポート 変節者のおちゆくところ 時移り人変る森戸証人」 | |
65 | 0815 | ||
66 | 0915 | ||
67 | 1015 | 第8回全国総会<10月28・29日>常任委員会報告と方針提起 | |
68 | 1115 | ||
69 | 1215 | ||
1973 | |||
70 | 0115 | ||
71 | 0215 | ||
72 | 0315 | ||
73 | 0415 | ||
74 | 0515 | ||
75 | 0615 | ||
76 | 0715 | ||
77 | 0815 | ||
78 | 0915 | 第9回全国総会<10月6日・7日>への報告(案) | |
79 | 1015 | ||
80 | 1115 | ||
1974 | |||
81 | 0115合 | ||
82 | 0115合 | ||
83 | 0215 | ||
84 | 0315 | ||
85 | 0415 | ||
86 | 0515 | ||
87 | 0615 | ||
88 | 0715 | 教科書裁判・第1次訴訟判決特集号 | |
89 | 0815 | ||
90 | 0915 | 第10回全国総会<8月30日・31日> | |
91 | 1015 | ||
92 | 1115 | ||
93 | 1215 | ||
1975 | |||
94 | 0115 | 家永三郎「提訴原点をかえりみて<1>」 | |
95 | 0315 | 家永三郎「提訴原点をかえりみて<2>」 | |
96 | 0415 | 家永三郎「提訴原点をかえりみて<3>」 | |
97 | 0515 | 家永三郎「提訴原点をかえりみて<4>」 | |
98 | 0615 | 家永三郎「提訴原点をかえりみて<5>」 | |
99 | 0715 | ||
100 | 0815 | 教科書裁判11年目への出発 第11回全国総会への報告(案) | |
止
『家永教科書裁判 被告側証人』(抄)<作業中>
証言日 ・場所 | 証言者・証言内容 |
19680120・東京地裁 | 森戸辰男(元文部大臣、日本育英会会長) |
出典:『家永教科書裁判 第2部 証言篇1』 | |
1968 1220・東京地裁 | 木下一雄(東京学芸大学名誉教授) |
出典:『家永教科書裁判 第2部 証言篇4』 | |
19690222 | 内海巌(広島大学教授) |
東京地裁 | 『家永教科書裁判 第2部 証言篇5』 |
止
家永三郎
いえなが・さぶろう29 | 19130903生20021129没 | 享年89歳 | 歴史学者。戦後間もなく編纂された歴史教科書『くにのあゆみ』の執筆者の1人。1965年教科書検定違憲訴訟を提起。 |
資料年表:家永三郎<作業中>
年月日 | ||
1913 | ||
0903 | 生 | |
1947 | ||
0410 | 『新日本史』(冨山房、19470410) | U |
1957 | ||
0425 | 『岩波講座現代思想第3巻 民族の思想』(岩波雄二郎編、岩波書店) | G |
1965 | ||
1205 | 『教科書検定訴訟を支援する全国連絡会ニュース 第1号』 | |
1968 | ||
0630 | 『家永教科書裁判 第2部 証言篇1』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) | U |
0925 | 『家永教科書裁判 第2部 証言篇2』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) | U |
1969 | ||
0125 | 『家永教科書裁判 第2部 証言篇3』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) | U |
0330 | 『家永教科書裁判 第2部 証言篇4』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) | U |
0630 | 『家永教科書裁判 第2部 証言篇5』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) | U |
1025 | 『家永教科書裁判 第2部 証言篇6』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) | U |
1220 | 『家永教科書裁判 第2部 証言篇7』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) | U |
1970 | ||
0415 | 『家永教科書裁判 第2部 証言篇8』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) | U |
11** | 『家永教科書裁判 第1部 準備書面篇』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) | U |
1210 | 『家永教科書裁判 第1部 準備書面篇2』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) | U |
1210 | 『家永教科書裁判 第1部 準備書面・判決篇』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) | U |
1971 | ||
0630 | 『家永教科書裁判 第2部 証言篇9』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) | U |
1975 | ||
1101 | 『教科書裁判ニュース・縮刷版』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) | U |
1980 | ||
1023 | *より家永訴訟弁護士に対する援助を依頼される。文部省側証人平田嘉三(広島大学教育・教授)。 | |
1107 | 家永訴訟打ち合せ.於中央法律事務所(東京麹町)。 | |
1215 | 東京高裁の家永裁判傍聴。 | |
平田嘉三、家永教科書裁判第一次訴訟第二審で国側証人として出廷(東京高裁)。「洗礼という言葉には、人を祝福するニュアンスがあり、原爆という悲惨な事実を示すにはなじまない。教科書では主観的・比喩的表現は避けた方がいい」。(浪本勝年「第1次教科書訴訟控訴審の審理過程」)。 | ||
2002 | ||
1129 | 没。享年89歳。 | |
止
家永三郎
いえなが・さぶろう29 | 19130903生20021129没 | 享年89歳 | 歴史学者。戦後間もなく編纂された歴史教科書『くにのあゆみ』の執筆者の1人。1965年教科書検定違憲訴訟を提起。 |
資料年表:家永三郎<作業中>
年月日 | ||
1913 | ||
0903 | 生 | |
1947 | ||
0410 | 『新日本史』(冨山房、19470410) | U |
1957 | ||
0425 | 『岩波講座現代思想第3巻 民族の思想』(岩波雄二郎編、岩波書店) | G |
1974 | ||
0531 | 『検定不合格日本史』(家永三郎、三一書房) | U |
1980 | ||
1023 | *より家永訴訟弁護士に対する援助を依頼される。文部省側証人平田嘉三(広島大学教育・教授)。 | |
1107 | 家永訴訟打ち合せ.於中央法律事務所(東京麹町)。 | |
1215 | 東京高裁の家永裁判傍聴。 | |
平田嘉三、家永教科書裁判第一次訴訟第二審で国側証人として出廷(東京高裁)。「洗礼という言葉には、人を祝福するニュアンスがあり、原爆という悲惨な事実を示すにはなじまない。教科書では主観的・比喩的表現は避けた方がいい」。(浪本勝年「第1次教科書訴訟控訴審の審理過程」)。 | ||
2002 | ||
1129 | 没。享年89歳。 | |
止
『明日を創る―提言・新世紀の社会保障』(森井 忠良、NTT出版)
内容<作業中>
序章 | 新世紀の福祉社会建設のために | |
第1章 | 豊かで成熟した福祉社会の創造 | |
第2章 | 新時代の社会保障制度の構想 | |
第3章 | 安全で質の高い生活を確保するために | |
第4章 | 過去から未来へ・時間軸を見据えて | |
止
資料年表:森井忠良<作業中>
年月日 | 事項 | メモ |
1829 | ||
0725 | 誕生(広島県呉市吉浦) | |
1953 | ||
早稲田大学法学部卒 | ||
日本電信電話公社入社 | ||
1972 | ||
衆議院議員初当選。以後当選7回 | ||
1996 | ||
0606 | 森井忠良『明日を創るー提言・新世紀の社会保障』(NTT出版) | |
2011 | ||
0423 | 没。享年81歳。 | |
0425 | 『中国新聞』(2011年4月24日) | |
「森井忠良氏死去 元厚相 被爆者援護法に尽力 81歳」 | ||
止