「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

山崎寛治

山崎寛治

やまさき・かんじ ****生20190614没 享年91歳 県立広島二中(現・観音高校)の代用教員だった17歳の時同校で被爆。旧天神町北組の慰霊碑の世話役。<投稿>

資料年表:山崎寛治<作業中

年月日 事項 メモ
**** 誕生
1975
0801 『あの日に 原爆体験手記』(進藤博)
八月六日 海田町 山崎寛治 44
1985
0725 『ヒロシマを語る』(ヒロシマを語る会)
山崎寛治 10
1987
0610 『望見』(埼玉県立狭山清陵高等学校)
語り部の方々との〈出会い〉の記録(お話の内容/印象メモ/手紙)
沼田玲子さん 82

山崎寛治さん 110

1225 『ヒロシマを語る』(ヒロシマを語る会)
山崎寛治 4
2010
0420 『府中町被爆体験記 安芸府中町史第五巻別冊』(広島県安芸郡府中町)
2013
0331 『ヒバクシャからの手紙 被爆体験記集 第6巻』(広島平和文化センター 編集、厚生労働省・国立広島原爆死没者追悼平和祈念館刊)
山崎 寛治 広島 第6巻 93
山崎 寛治 広島 第6巻 103
2019
0614

碑に誓う 中学生のヒロシマ修学旅行

『碑に誓う 中学生のヒロシマ修学旅行』(江口保、東研出版、19830505)

内容

序文
3 教師の人間的情熱こそ(栗原貞子)
6 教育とは何かの示唆(高橋昭博)
15 被爆者として教師として
被爆死した友
夢遊病者のように
療養生活
子どもたちとの絆
被爆者運動
精いっぱいの抵抗
31 旅立ちの前に
広島への修学旅行を
系統的な平和教育を
最初の当惑
歓迎の手紙
生徒の不満
生徒の論争
事前学習
栗原貞子さんへの手紙
生徒の決意
広島の人たちとの出会い
実行委員会の準備
73 ヒロシマの心を学ぶ
広島での日程
記念館・資料館の見学
翠町中学校との交流
原爆慰霊碑の前で
それぞれの碑に分かれて
原爆病院と原爆養護ホームの訪問
畠中百合子さん宅へ
アメリカ軍岩国基地
感激的な出会い
明日からではなく
161 ヒロシマの心を広げる
私も教師になって広島へ
下級生も広島へ
八月の広島を
修学旅行OB会
高校生活の中で広島を
父母の広島修学旅行
ヒロシマ・原爆を考える集い
他校への広がり
人間の痛みがわかる心を
197 事前学習資料ほか・参考文献
201 あとがき

 

江口保

江口保

えぐち・たもつ 19280717生19980616没 享年69歳 「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」を主宰した長崎の被爆者。

資料年表:江口保<作業中

年月日
1928
0717 誕生
1977
0319 『ひろしま’76 東京都葛飾区立上平井中学校修学旅行記録集』
1979
0520 『平和教育運動 No.5』(日本平和教育研究協議会編、広島平和教育研究所出版部)
第5回全国平和教育シンポジューム報告
ヒロシマ修学旅行にとりくんで 139 江口保
1980
1110 『季刊・長崎の証言 9号』(長崎の証言の会)
ヒロシマ修学旅行-子どもたちの変革- 江口保…44
1981
0210 『季刊・長崎の証言 10号』(長崎の証言の会)
ヒロシマ修学旅行-子どもの変革(2) 江口保 74
0515 『季刊・長崎の証言 11号』(長崎の証言の会)
ヒロシマ修学旅行-子どもの変革(3) 江口保107
0515 『季刊・長崎の証言 12号』(長崎の証言の会)
ヒロシマ修学旅行-子どもの変革(最終回) 江口保96
1983
0331 『平和への道 広島を考える修学旅行文集』(東京都立葛西南高等学校第九回生修学旅行委員会)
被爆者を招いての講演会と感想 85
講師 江口保先生 藤原先生 85
0505 『碑に誓う 中学生のヒロシマ修学旅行』(東研出版)
0515 『ヒロシマ・ナガサキの証言’83春 第6号』(秋月辰一郎・庄野直美編、広島・長崎の証言の会)
忠生中事件と被爆者 江口保 124
0623 『一回 : 朝倉清隆遺稿追悼文集』(朝倉清隆遺稿追悼文集編集委員会)
6、閃光を浴びて 259
石井逸子/横山彦治/江口保/西川満子/朝倉かつ子/箕浦章
0730 『沈めてよいか第五福竜丸』(武藤宏一氏追悼文集集委員会)
「’76ひろしま」と武藤さん 江口保 191
1030 『ヒロシマ・ナガサキの証言’83秋 第8号』(秋月辰一郎・庄野直美編、広島・長崎の証言の会)
書評
「碑に誓う」(江口保)浜崎均 129
1984
1015 『ヒロシマ・ナガサキの証言’84秋 第12号』(秋月辰一郎・庄野直美編、広島・長崎の証言の会)
語りつづけるヒロシマ
-出合いとめざめの旅 江口保 28
1986
1110 『ヒロシマ・ナガサキの証言’86秋 第20号』(鎌田定夫・庄野直美編、広島・長崎の証言の会)
通信 /江口保/8
1208 『ヒロシマに歳はないんよ』(佐伯敏子著、ヒロシマ・ナガサキを考える会)
はじめに 江口保 3
1987
0301 『ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会』通信第1号(江口保)
0720 『季刊「ヒロシマ・ナガサキの証言」終刊号 ヒロシマナガサキの群像』(広島・長崎の証言の会)
重い心をひっさけて 江口保 20
0930 『証言-ヒロシマ・ナガサキの声1987 創刊号』(長崎の証言の会)
八月のヒロシマ-修学旅行生とともに 江口保 145
1988
0330 『原子雲 第一集』(足立区原爆被害者の会(足友会))
はじめに……足立区原爆被害者の会会長 江口保 4
『お化け』……江口保 48
『ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会』通信第1号~20号(19910915)
1998
0616 没。享年69歳。
2012
0610 『複数の「ヒロシマ」 記憶の戦後史とメディアの力学』(福間良明、山口誠、吉村和真編著、青弓社、)
第7章 廣島、ヒロシマ、広島、ひろしま―広島修学旅行にみる戦争体験の変容 山口誠 256
1 広島修学旅行と東京が出会うまで 258
2 「ヒロシマ」修学旅行の誕生―「上平井方式」とその「改良」 264
3 三つのガイドブック、四つの広島―「非核平和」と「ヒロシマ」の連動 276
4 「ヒロシマ」の風化―江口保の「ヒロシマ」批判 286
5 「ヒロシマ」のジレンマと向き合うために―戦争体験の風化と「追体験」の可能性 297

資料年表:金井利博

資料年表:金井利博<作業中

年月日
1914
0101
1952
1101 『広島教育 No.35 11月号』(広島県教職員組合事業部)
 「象徴」への礼拝─人間という逆説について─金井利博 59
1953
0201 『広島文学 第3巻第2号 昭和28年2月号』(広島文学協会)
三角洲 芥川壽夫・兒玉浩三・金井利博 47
1956
1101 「山代巴著「荷車の歌」をめぐつて 時間の貧しさということ」(『芸備地方史研究会』)??
1964
0805 金井中国新聞論説委員、「原水爆被害白書を作成し国連を通じ世界に公表を」と提案。(『中国新聞』) C
0825 『原水爆禁止広島・長崎大会報告決定集 No.2』(広島・長崎大会全国準備委員会)
原水爆被害白書を国連へ提出する件 金井利博 52
1965
0402 <原爆関係文献収集事業> C
0901 『中央公論 9月号 第935号』
 広島・二十年の傷痕 金井利博 249
1967
0806 <原水爆被災白書> C
1968
0120 <広島原爆被災資料研究会結成> C
0308 <ヒロシマ研究の会> C
1969
0801 『家庭と教育 第9巻第8号通巻第96号』
◇特別記事◇核兵器の使用を拒否する拠点―広島の犠牲者の訴えと報道活動が考えだせられてくれるもの― 金井利博 14
1970
0615 『核権力 ヒロシマの告発』(三省堂)
 0801  『キリスト 1970年8月号 第22巻第8号』(教文館)
 被曝者とともに生きて二五年〈てい談〉
重藤文夫 金井利博 渡辺正治 14
0901 『未来 No.48』
原爆被害と社会被害 金井利博 5
 0809  『キリスト 1970年9月号 第22巻第9号』(教文館)
 被曝者とともに生きて二五年(2)〈てい談〉
重藤文夫 金井利博 渡辺正治 14
1971
0607 バーッチェト記者、金井利博中国新聞論説主幹と対談。 C
 1972
0201 <原水爆被災資料センター設立準備会> C
1974
0616 没。享年60歳。
1975
0710 『火幻 1975年夏号〈原爆30周年特集号〉第18巻第68号』(火幻短歌会)
金井利博君のこと…近藤芳美 1
 1987
211  『安部一成論文選集 5巻 原水爆禁止運動』(安部一成著、安部一成論文選集刊行委員会編、東洋図書出版)
 核廃絶の道を探る-山田浩氏、金井利博氏との座談会(昭和四七年)…53
 1997
 0125  『山代巴と民話を生む女性たち』(神田三亀男編著、広島地域文化研究所)
 4 私事往来(山代巴さんとの交流ほか) 神田三亀男 119
1.県北の書店にあった「蕗のとう」 120
2.金井利博さんとの出あい 121
3.人を育てる記者 金井利博さん 123
4.”荷車の歌”を評論した金井さん 128
5.山代さんと金井時子さん 129
6.金井さんと近藤芳美・宮本常一先生 133
「中国歌壇」の選者 近藤芳美 133
「中国歌壇選集」の編集 135
宮本常一先生と金井さん 137
 0801  『ヒロシマと廣高 被爆五十二年・回顧と追悼』(廣島高等学校同窓有志の会)
 金井利博氏とヒロシマ・核問題-『核権力』を読む 山田浩(昭20文乙)293
金井さんへのレクイエムと広大平和科研のこと 熊田重克(昭24文甲)303
2009 
 0331  『被爆地広島の復興過程における新聞人と報道に関する調査研究』(小池聖一、広島大学文書館)
 3.金井利博の思想と行動 冨沢佐一 29
 0401  『梶山季之の文学空間 ソウル、広島、ハワイ、そして人びと』(天瀬裕康著、溪水社 [渓水社])
1007 『生きて』前広島市長 平岡敬さん<6> C
「組合役員(書記長)だった僕の人事異動をめぐるごたごたを、学芸部長の金井利博さんが聞きつけひきとってくれた」
1008 『生きて』前広島市長 平岡敬さん<7> C
2010
0308 <故金井利博の資料8000点 広島大に遺族が寄贈> C
1220 『広島県現代文学事典』(勉誠出版)
「金井利博」(小宮山道夫・記)
2015
0225 『広島大学文書館蔵大牟田稔関係文書目録 個別編』(広島大学文書館)
凡例…ⅰ
1.書類
(18)金井利博…1
(19)川手健…9
(20)「川手健を語る会」…17
10.写真…19
11.新聞抜粋記事…85
2016
02 広島大学文書館『広島大学文書館蔵 金井利博関係文書目録』(広島大学文書館)

資料年表:マルセル・ジュノー

資料年表:マルセル・ジュノー<作業中

年月日 事項 備考
1904
0514 誕生
1945
0908 GHQの医薬品ともに広島入り。
1961
0616 没。享年57歳。
 1979
 0808  マルセル・ジュノー博士像
 1990
 0617  第1回ジュノー記念祭
 2004
 0330  『広島県医師会史 第II編』(広島県医師会、20040330)
 第6章第6節マルセル・ジュノー博士顕彰事業

ジュノーは「ヒロシマの恩人」か?

ジュノーは「ヒロシマの恩人」か?

19960618 19:00 映画「第三の兵士」上映会。於東区民文化センター。ジュノーの足跡について講演。参加者は2-30人で、若いものは少なかったが、思ったより盛会。話もどうにか格好が付いた。-7時35分。謝礼として1万円貰う。<宇吹メモ>

1.私とジュノー

私が、ジュノー博士の活動の見直しをマスコミで知ったのは、1978年(昭和53年)のこと。この年から大佐古一郎氏や丸山幹正氏によるジュノー博士の足跡をたどる作業が始まり、翌79年には、平和公園にジュノー博士の記念碑が建立された。
それ以後、ジュノー博士のことを目にすることは無くなっていたが、それから12年後の1990年に再び登場するようになり、それは現在まで続いている。その一つは、ジュノー記念祭である。これがこの年に始まり、以後毎年行われるようになった。一昨日の16日日曜日には、第7回の記念祭が開かれている。
また、この1990年の暮れに、府中市の市民団体「ジュノーの会」がチェルノブイリ原発事故での被災者の救援活動を計画、翌1991年夏に事故で被曝した子供たちの招待を実現させた。以後、医師の現地への派遣や医薬品・医療機器を届けるといった事業をおこなっている。今年7月には、原爆被害者の相談にあたってきた広島の二人の人をウクライナのキエフに送ることになっている。
1978・79年つまりジュノー博士に足跡の掘り起こしが始まり記念碑が建立された当時は、GHQの資料が徐々に公開されていた時期。私は、その資料の調査を行っていたが、その業務報告の中に、赤十字国際委員会のジュノーに、米軍の医薬品を広島へ届けさせたという、記述があった。このことから、ジュノーの仕事を、「米軍の手伝い」という軽いイメージで受け止めていた。
ところが、1990年からの動きには、私の親しい人たちが次々に関係するようになっていった。「ジュノーの業績とは、いったいナンジャ?」ということで、自分なりに考えてみたので、それについて話してみたい。

2.ジュノー博士来日の目的
広島に続き原爆が長崎に落とされた8月9日にジュノーは、満州国の首府新京(現在の長春=吉林省の省都)を出発、夜、日本(羽田飛行場)に到着(「ドクター・ジュノーの戦い」)。以後、4か月間、日本に滞在した。
ジュノー博士は、赤十字国際委員会の日本派遣員の代表として来日したもので、その大きな目的は、連合軍捕虜への援護活動であった。
450810 国際赤十字委員会マルセル・ジュノー、アンクスト・ビルフィンガー・ペスタロッチとともに東京から軽井沢に向かう。17日、東京に戻る。
24日から活動を開始、この日、それぞれが東京を出発し、日本各地の捕虜収容所に向かう(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
ジュノーは、東京で活動、25日に大森収容所で米飛行士の捕虜と接触(「ドクター・ジュノーの戦い」)。27日に、相模湾停泊中の米軍艦サン・ディエゴ艦上で米軍と接触、米軍とともに大森収容所を解放(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
こうした捕虜の救出活動が、各地で行われ、ほぼ1か月後の9月20日には、日本にいたアメリカ人捕虜すべてが本国に送還された。
このほかにアメリカ兵以外の在日外国人の援護活動も行う。103の収容所があったが、これらに40万ドル相当の物資をパラシュートで届けた。
ジュノー博士の4か月間の日本における活動は、連合軍から高く評価され、日本を去るにあたり、マッカーサー自身がお礼を述べている。

3.ジュノー博士の広島救援の意義
ジュノー博士は、こうした本来の目的遂行の中で、9月8日から13日の6日間、広島の救援活動を行った。その内容は、これから見る映画「第三の兵士」で紹介されている通りであるが、ジュノー博士の広島救援の仕事は、ジュノー博士の来日の目的からすれば、与えられた任務を超えた仕事であった。
8月24日に赤十字国際委員会の日本派遣員が、各地の捕虜収容所に向け東京を出発する。その中の一人ビルフィンガーの目的地はオランダ人捕虜が収容されていた広島県の向島造船所であった。ジュノーは、彼に広島の状況を知らせるように頼んでいたが、彼は30日に、広島に到着し、仮設の病院を二つ視察し、「回復したかに見える多数の犠牲者は白血球の減少及び他の内部損傷により突如致命的な再発を来たし事実上相当数が死亡す」と急性放射能障害の実情と広島における医薬品の欠乏状況を伝え、救援物資を要請する電報をジュノー宛に打った(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
ビルフィンガーのこの行動は、これまで見落とされがちであるが、広島の救援の歴史では重要と思われる。それは、彼の広島視察が、外国人としては最も早い例の一つであるということである。8月下旬から日本のマスコミは70年生物不毛説として大々的に広島の状況を伝えるようになり、これが日本の原爆被害の本格的な研究の契機となったが、それはあくまでも調査研究にとどまっていた。これに対し、ビルフィンガーの電報は、広島救援を要請するというものであり、こうした行動は日本側には存在しなかった。
なお、ソ連の大使館員が、被爆直後に広島を視察したことがこれまで何回が伝えられているが、それが救援の要請に結びついた形跡は見あたらない。
ジュノーは、ビルフィンガーからの広島報告の電報を9月2日受け取ると、早速横浜の連合軍の司令部を訪れ、前日日本の外務省から入手した広島の写真とビルフィンガーの報告を示し、広島への救助隊の編制を要請した(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
連合軍最高司令官総司令部は、ジュノーのこの要請を受けた形で、米軍用に日本に持ち込んでいた医療物資15トンを広島に届けることを決めた。
この決定の中心人物は、のちにGHQの公衆衛生局長となるサムス大佐であるが、彼によれば、15トンの医療物資を提供した背景には、ジュノーの要請に応えると同時にもう一つの意図があった。それは、アメリカの原爆開発の組織であるマンハッタン・プロジェクトの原爆被害調査団を敵意に満ちていると思われる原爆被災地で無事に実施することである。
GHQが、9月6日に日本政府に対して出した命令が残っているが、そこでは、
1.原子爆弾調査を行う約15名の科学者一行の保護・援助
2.国際赤十字社のビルフィンガーに送付する約12トンの医療品の配布を国際赤十字の指示のもとに行う
という二つのことが指示されている(「DDT革命」)。
ジュノー博士には、日本政府に対する命令が出された日の翌日7日に、医療品の提供がGHQから伝えられた。このことからすると、GHQとしては、ジュノー博士が原爆被害調査団に同行することを予定していなかったものと考えられ、ジュノー博士の立場からは、ビルフィンガーに任せることも出来たと思われるが、博士自らが広島にやってきて、医療物資の現地への伝達に立ち会ったのであった。
(1996.6.18)

荒木武

荒木武

あらき・たけし 19160304生19940615没 享年78歳  広島市長。27代(19750223~19790223)28代(19790223~19830222)29代(19830223~19870222)30代(19870223~19910222)。

資料年表:荒木武

年月日 事項 備考
1916
0304 誕生
1955
0730 『廣島評論 ヒロシマ原爆10周年を迎えて』(広島評論社)
荒木武 35
1975
?? 私の決意 広島市長選出馬にあたって
0801 『あの日に 原爆体験手記』(進藤博)
広島市長 荒木武「被爆体験記出版に寄せて」  9
1101 『ヒロシマ・ユネスコ 創刊号』(広島ユネスコ協会)
機関紙創刊に当って ヒロシマの体験を生かそう
広島ユネスコ協会名誉会長 広島市長 荒木武
1215 『被爆協会報 第1号』(広島市原爆被爆者協議会)
神田山荘の増築工事完成にあたって
広島市原爆被害者協議会会長 荒木武
1976
0501 『平和文化 創刊号』(広島平和文化センター)
財団法人広島平和文化センター発足
発足に当って 会長 荒木武
0715 『山田節男追想録』(山田節男追想録刊行委員会)
 荒木武「発刊のことば」
1001 『核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請』(広島市・長崎市)
 荒木武 (広島市長) 諸谷義武(長崎市長) 「国際連合に対する要請書」 1
1977
0331 『国連訪問レポート 1976 ヒロシマ・ナガサキ 国連事務総長への要請』(広島市・長崎市)
0501 『平和文化 第5号』(広島平和文化センター)
財団二年目を迎えて 会長 荒木武
0801 『広島新史編修手帖 No.1』(広島市史編修委員会専門部会)
 広島市長 荒木武 「創刊にあたって」1
0930 『みたき 特集・大木惇夫先生追悼』(さかもとひさし編、みたき編集室)
荒木武「『ヒロシマ平和都市の歌』の憶い出」
1978
0315 『三十年史』(広島市立幟町中学校編集委員会編、広島市立幟町中学校三十周年記念行事実行委員会)
荒木武「祝辞 広島市長  」3
0915 『被爆の実相と被爆者の実情 1977NGO被爆問題シンポジウム報告書』(日本準備委員会編、朝日イブニングニュース社)
荒木武「広島市長のあいさつ」  39
1979
0101 『平和文化 第15号』(広島平和文化センター)
新年のごあいさつ 会長 荒木武
新春鼎談
出席者(敬称略)
荒木武(広島市長・当財団会長)
今堀誠二(広島女子大学学長)
栗野鳳(広島大学平和科研教授)
0620 『熊平源蔵追想録』(熊平源蔵追想録編集委員会編、熊平製作所)
先哲の偉業をたたえて…荒木武氏…1
0215 『広島県医師会速報 第958号』(広島県医師会)
広島市長選に荒木武氏を 7
1201 『官界 第5巻 第12号』(行政問題研究所)
座談会…中国編
広島人のカープ優勝談議 …136
竹下虎之助 荒木武 井藤勲雄 松田耕平
川村毅 宮本徳行 <司会>津田一男
1980
0101 『平和文化 第21号』(広島平和文化センター)
新年のごあいさつ 会長 荒木武
0125 『真樹 第51巻第2号 2月号』(真樹社)
真樹五十周年式典
祝辞 荒木武(23)
0520 「意見書」
0525 『ヒロシマのこだまに メアリ・マクミランと広島』(藤原茂編、溪水社)
荒木武『広島市長』 「いつまでもお元気で…」
1115 『人間西田修一追想録』(三浦君年編、刊行委員会)
荒木武 「卓越した識見と抱擁力」 42
1981
0101 『平和文化 第27号』(広島平和文化センター)
新年のごあいさつ 会長 荒木武
新春座談会 ”ヒロシマを考える”
出席者(敬称略)
荒木武(広島市長・本財団会長)
****
(司会)
河村盛明(本財団理事長)
0401 『創立六十周年記念誌』(広島市高等女学校広島市立舟入高等学校同窓会)
祝辞広島市長・荒木武
0402 『ヨハネ・パウロII世 教皇訪日公式記録』(主婦の友社)
・記録/教皇の公式発言〈広島編〉 65
歴代教皇の努力に敬意
広島市長荒木武 67
1208 『軍縮と国際安全保障に関するワークショップ・広島セッション 要約記録』(広島市、広島大学、国際連合大学、広島平和文化センター)
歓迎あいさつ 荒木武 広島市長 2
1982
0101 『平和文化 第33号』(広島平和文化センター)
年頭のごあいさつ 会長 荒木武
0315 『ゆうあい 月刊友愛 第47号 4月号』(日本友愛青年協会)
平和を求める文化センター 荒木武 12
0331 『文芸ひろしま 市民文芸集第1号』(広島市文化振興事業団)
発刊にあたって 財団法人広島市文化振興事業団理事長 荒木武
0624 『第2回国連軍縮特別総会における荒木武・広島市長の演説』
0701 『平和文化 第36号』(広島平和文化センター)
荒木武会長国連で演説
~軍縮特別総会でヒロシマを証言~
0701 『原爆展 忘れまい、この惨禍』(朝日新聞東京本社企画部)
主催者あいさつ
荒木武(広島市長)あいさつ
本島等(長崎市長)あいさつ
0801 『ヒロシマ ある歯科医の証言』(吉岡尊治著、溪水社 [渓水社])
発刊を祝して 広島市長 荒木武 5
0820 『ヒロシマ・ナガサキの証言’82夏 第3号』(広島・長崎の証言の会)
資料
SSDIIでの日本NGO演説/発言 荒木武 120 本島等 121
1983
0221 『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会)
◆建立除幕によせて 5
石田明/河野浩樹/荒木武 7
0331 『広島市西部開発事業誌』(広島市)
序文 広島市長 荒木武
0710 『世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム報告書』(WCOTP、日教組報告書編集委員会編、勁草書房)
第5章 広島・長崎から ヒロシマの心を世界に 荒木武 189
0901 『真樹 第54巻第9号』(真樹社)
故山本康夫先生を偲んで 広島市長 荒木武 10
0930 『青春回想録 廣高その永遠なるもの 廣島高等学校創立六十年記念』(廣島高等学校同窓会)
「生と死」を考えさせた人…昭十文乙 荒木武 471
1001 『病院30年誌-昭和57年8月』(社会保険広島市民病院)
巻頭のことば●経営受託者 広島市長 荒木武 3
1025 『被爆協会報 第26号』(広島市原爆被爆者協議会)
神田山荘開設10周年にあたって 会長 荒木武
1984
0221 『核・貧困・抑圧 ’83アジア文学者ヒロシマ会議報告 ほるぷ現代ブックス』(アジア文学者ヒロシマ会議実行委員会編、ほるぷ出版)
国境を越えて新しい平和秩序を 荒木武 8
0325 『核時代の平和をもとめて』(永井道雄著、国際連合大学)
被爆地・広島で平和を考える
広島・長崎の被爆研究の成果をもとに――89 今堀誠二
原爆の犠牲者に捧げた言葉とともに――91 荒木武
0625 『広島県医師会速報 第1151号』(広島県医師会)
故大内五良先生合同葬 1
式辞(杉本純雄) 2
弔辞(竹下虎之助、荒木武、羽田春兔、福原照明、松島悌二、宮澤喜一、斉藤俣、三木仁、笠木慶治、原田雅弘、杉本茂憲、長井照雄、正岡旭、林昇) 4
0701 『真樹 第55巻第7号』(真樹社)
真樹五十五周年祝辞 荒木武 1
1985
0101 『’85ワールドカップマラソン広島大会 公式プログラム』(国際陸上競技連盟)
祝辞 竹下虎之助 5
歓迎のことば 荒木武 6
0301 『非核都市宣言自治体連絡協議会 結成総会 報告書 昭和60年3月』(広島県府中町)
来賓祝辞 5
広島市長 荒木武(代読広島平和文化センター理事長 河村盛明)5
0601 『21世紀への都市戦略を考える 都市政策フォーラム・in・ひろしま NIRA地域政策研究シリーズ 4』(総合研究開発機構)
開会挨拶 7 広島市長 荒木武
0801 『月刊非核自治体通信 第6号 夏季特別号』(法政大学西田勝研究室)
広島市が非核都市宣言/私の平和対策核兵器廃絶をめざし都市の連帯を 荒木武
0801 『広島訪問者のメッセージ集 広島を訪れた各国の指導者 改訂』(広島市市長室国際交流課)
荒木武(広島市長)
「第2回国連軍縮特別総会での演説」
(1982年6月24日国連本部)35
荒木武(広島市長)
「平和と科学・技術に関する東京セミナーにおける演説文」
(1984年4月17日 国連大学)37
荒木武(広島市長)
「核兵器-現代世界の脅威展における基調講演」
(1984年9月10日 ストックホルム市)41
1106 『広島女子商学園六十年史』(広島女子商学園)
《祝辞》
竹下虎之助(広島県知事)28
荒木武(広島市長)30
1230 『矢吹憲道老師』(円通寺白雲会矢吹老師伝刊行会、森脇正之編、矢吹憲道老師遺徳顕彰会)
弔辞・弔電・香語
広島市長 荒木武 55
1986
0301 『いつまでも絶えることなく 被爆40年ヒロシマの手記』(NHK広島放送局、ぎょうせい中国支社)
ごあいさつ 広島市長 荒木武
0401 『白光 第33巻第4号』(白光真宏会出版局)
 特集・第一回世界平和を祈る国際大会 (11)
世界平和への神の道〈ロス大会特集にあたって〉 西園寺昌美 (12)
〈メッセージー紹介順〉
****
この祈りの実現を確信 内閣総理大臣夫人・中曽根蔦子 (29)
人類共通の祈り言葉として 広島市長・荒木武 (31)
 0620  『広報ところざわ No.556』(所沢市役所(埼玉県))
予告・世界の恒久平和を市民の力で! 国際平和記念特別講演会 荒木武広島市長が語る「ヒロシマに心」
0705 『広報ところざわ No.557』(所沢市役所(埼玉県))
国際平和年記念特別講演会
荒木武広島市長が語る「ヒロシマの心」
7月16日(水)市民会館で 原爆資料展も併催
0901 『月刊非核自治体通信 第19号』(法政大学西田勝研究室)
広島平和宣言 1986年8月6日 荒木武/長崎平和宣言 1986年8月9日 本島等/広島で非核都市宣言自治体全国大会/「平和の樹」がヒロシマへ/チェルノブイリ原発事故報告書
0930 『ゴルバチョフ演説・論文集』(ミハイル・S・ゴルバチョフ著、ソ連内外政策研究会訳、国際文化出版社)
荒木武広島市長、本島等長崎市長への手紙(一九八六年二月六日)…434
1001 『ヒロシマを世界へ』(ぎょうせい)
1201 『白光 第33巻第12号』(白光真宏会出版局)
特集・パリ世界平和を祈る国際大会 (3)
****
〈メッセージー紹介順〉
恒久平和確立の原動力 広島市長・荒木武 (12)
平和こそ最大の遺産 長崎市長・本島等 (13)
1987
0101 ひろしま都市建設の政策大網-広島市長四選出馬にあたって<1枚>
0110 『広島市保育連盟三十五年誌』(広島市保育連盟)
結成三十五年を祝して…広島市長 荒木武…ⅲ
0226 『「第41回国際連合総会議長ご夫妻歓迎の集い」でのチョードリー議長の市民へのメッセージ及び市長歓迎あいさつ』(広島市・広島平和文化センター)
0804 『世界週報  68巻32号』(時事通信社)
連載(3)わが県自慢の国際派首長 広島県広島市市長・荒木武 42
1101 『政治経済セミナー 第1059号』(政治経済セミナー社)
大正生れ 哀歓の昭和史 38
広島市長 荒木武
1988
0101 『政治経済セミナー 第1061号』(政治経済セミナー社)
 特集・広島県の将来 ここに希望が持てる 10
竹下虎之助・・・荒木武・・・・
0225 『政策研究 ’88冬期号 98』(中央政策研究所)
核兵器廃絶へ、米ソの決断と実行を 広島市長 荒木武 28
0301 『非核自治体全国草の根交流会記録集 第1回-’87.7.10-12』(非核ネットワーク)
自治体首長からのメッセージ
長洲一二 神奈川県知事
葉山峻  藤沢市長・非核都市宣言自治体連絡協議会会長
伊藤三郎 川崎市長
荒木武  広島市長<以下略>
0801 『新郷土 8月号』([佐賀県教育庁文化課内] 新郷土刊行協会)
特集「平和を考える」 広島 長崎からのメッセージ
「ヒロシマの心」 荒木武 24
「平和を語る」 本島等 26
0815 『広島県医師会速報 第1300号』(広島県医師会)
ヒロシマ被爆43周年平和祈念式 2
殉職医療従事者追悼の辞(杉本純雄) 3
平和宣言(荒木武) 4
0926 『中国と私、そしてヒロシマ』(今堀誠二著、溪水社 [渓水社])
広島を考える(鼎談 荒木武、栗野鳳)129
1101 『政治経済セミナー 第1071号』
スポーツ王国は復活できるか 26
アジア大会開催への道
荒木武・広島市長
中野重美・広島県体育協会会長
江川琢也・広島市教委元社会体育課長
1201 『’87ジャーナリスト国際平和シンポジウム報告書』(広島市、広島平和文化センター)
1 あいさつ 広島市長 広島平和文化センター会長 荒木武
2 出席者のプロフィールとシンポジウムの概要
3 開会あいさつ 広島市長 荒木武 1
1210 『IPPNW平和シンポジウム’86平和サミットinヒロシマ報告書』(広島平和文化センター)
(1)あいさつ 9 杉本純雄 9 荒木武 11
1989
0101 『シュプレンゲル美術館名品展』(広島市現代美術館)
挨拶 広島市長 荒木武
ハノーバー市のあらまし
0101 『政治経済セミナー 1月号 第1073号』(政治経済セミナー社)
特集・新広島空港への期待と現空港の存廃 10
・竹下虎之助・荒木武・・・・・
0131 『歩みつづけて四十年』(広島市母子寡婦福祉連合会)
祝辞 広島市長 荒木武 8
0801 『教育評論 日教組機関誌 (通巻507号)』
原爆ドーム保存募金成功にむけて
全国の教職員への訴え 広島市長・荒木武 34
0815 『広島県医師会速報 第1336号』
「平和宣言」(荒木武) 29
0930 『広島平和記念都市建設法40周年記念講演会報告書』(広島平和記念館)
1あいさつ 広島市長 荒木武
1015 『広島県医師会速報 第1342号』
第9回IPPNW世界大会閉幕 1
大会会長式辞(杉本純雄) 2
ヒロシマ・ナガサキ’89アピール 3
挨拶、祝辞等(杉本純雄、荒木武、竹下虎之助、羽田春兔、戸井田三郎) 4
1201 『’88青年国際平和シンポジウムイン・ヒロシマ報告書』(広島市、広島平和文化センター)
ごあいさつ 広島市長 広島平和文化センター会長 荒木武
1990
0101 『三宅一生展「Ten sen men」』(広島市現代美術館、三宅デザイン事務所)
広島市長挨拶:荒木武 6
0101 『平和文化 第81号』(広島平和文化センター)
新しい世界秩序を求めて より強くヒロシマの訴えを
(財)広島平和文化センター会長 荒木武
0301  『(財)広島市国際交流協会設立5周年記念国際交流シンポジウム報告書』(広島市国際交流協会)
 3. 開会挨拶 5
(財)広島市国際交流協会理事長 荒木武
0301  『ひろしま女性フォーラム報告書』(広島市民生局青少年婦人対策課)
 あいさつ 広島市長 荒木武 1
0305  『核戦争防止国際医師会議日本支部報告 第9回核戦争防止国際医師会議世界大会』(IPPNW日本支部)
0331  『原爆ドーム保存募金報告書』(広島市・広島平和記念館)
 あいさつ(広島市長 荒木武、広島市議会議長 瀬川吉郎)1
0501 『病院10年誌』(広島市立安佐市民病院)
広島市長 荒木武「開院10周年を迎えて 」
0630
『ひろしま新時代 21世紀への可能性を探る』(香川不苦三著 中国新聞社編、中野出版企画)
荒木武(広島市市長 )「21世紀に向けた広島市の都市づくり」 158
1991
0101 『平和文化 第87号』(広島平和文化センター)
人類にも、生物にも優しい地球を 被爆地からの訴えをより強く
(財)広島平和文化センター会長 荒木武
0331 『’90女性国際平和シンポジウム・イン・ヒロシマ報告書』(広島平和文化センター)
 広島市長 荒木武(当時)「開会あいさつ」  1
0331 『被爆者・市民とともに 「原対協30年のあゆみ」』(広島原爆障害対策協議会)
 荒木武(会長)「発刊にあたって 」
0806 『志あるところ必ず道あり』(大原亨追悼録・遺稿集発行編纂委員会)
荒木武 「大原先生と広島市長選挙」 88
1995
0720 『廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想』(廣島高等学校同窓有志の会)
故 荒木武(昭10文乙) 「ヒロシマの心」
1997
 0331  『(財)広島平和文化センター20年誌 センターの歩み』
1999
0215 『荒木武追想録-ヒロシマの心を世界へ燈々無盡』

 

荒木武追想録-ヒロシマの心を世界へ燈々無盡

『荒木武追想録-ヒロシマの心を世界へ燈々無盡』(荒木武追想録刊行委員会、19990215)

荒木武アルバム
発刊にあたって
荒木武追想録刊行委員会代表 平岡敬
1 追想編
国会関係者からの追想文
谷川和穂 3
池田行彦 5
中川秀直 7
粟屋敏信 8
宮澤弘 10
小西博行 12
鯨岡兵輔 14
日野溝義勝 16
丹下了遂 18
広島県・広島市の議会関係者からの追想文
檜山俊宏 20
大山広司 22
山木靖雄 24
宮本正夫 27
講元英雄 30
柳坪進 32
中本弘 34
海徳貢 36
兼桝栄二 37
住田孝行 40
大勢登康憲 42
知事・市長等行政関係者からの追想文
竹下虎之助 45
藤田雄山 47
本島等 49
讃岐照夫 51
澤田秀男 53
ヘルベルト・シュマルスティーク 55
中地洌 61
岩井彦二 62
明石康 64
広島市職員関係者からの追想文
広島市職員関係者からの追想文
荒田誠之助 66
池田正彦 68
石橋正行 69
加藤純久 71
銀山匡助 73
河合護郎 75
黒瀬隆 77
河野義夫 79
佐々木甲子郎 81
高橋昭博 83
田中隆荘 85
谷崎あけみ 86
柄脇常雄 88
中谷ミサ子 90
西田展康 92
長谷川順 94
深崎敏之 97
福島隆義 99
藤井正一 101
本田尚 102
松井齊 105
森川伸江 107
山口能弘 108
山中賢造 110
諸団体等関係者からの追想文
浅野長愛 112
石井蓬莱 114
石松正二 116
伊藤サカエ 119
井内慶次郎 120
上田宗嗣 122
ウオルター・斉藤 124
岡田茂 125
岡野俊一郎 127
落久保幸夫 129
川村毅 131
古葉竹識 133
佐伯正子 135
篠原康次郎 137
新藤兼人 139
丹下健三 141
土井達郎 143
徳永幸雄 145
二宮實 147
二宮義人 149
橋本宗利 151
原田睦民 153
平山郁夫 155
藤原雄 157
古橋廣之進 160
松島悌二 162
松原博臣 164
三島文人 166
光田釥 168
三菱OB有志 170
三宅一生 178
山本治朗 180
後援会・縁者関係者からの追想文
上田弘 182
奥村斉子 184
川本昌平 186
北山敏明 188
小谷一枝 190
土井田登 192
永谷道孝 193
林唯雄 195
平原道康 197
正本良忠 200
村上俊二 203
吉田盛人 207
和田常男 209
岡田千鶴 211
富永八重子 213
中川圭子 214
三戸知子 216
2 記録編
故荒木武市民葬における告別の辞・弔辞
平岡敬 221
藤田雄山 224
中本弘 227
橋口収 230
二宮實 232
平和宣言(昭和50年から平成2年)
講演録等
国連等における演説・講演
第2回国連軍縮特別総会における荒木武・広島市長の演説 277
都市緑化・都市公園整備推進全国大会 281
第1回世界平和連帯都市市長会議-開会式におけるあいさつ 290
第3回国連軍縮特別総会での荒木武・広島市長の演説 297
部分的核実験禁止条約改定会議での荒木武・広島市長の演説 302
広島市議会における所信表明・報告
21世紀に向けた都市政策に関する所信表明 307
広島市友好親善代表団欧州諸都市訪問報告 316
カナダ諸都市等訪問帰国報告 322
広島市友好訪中代表団帰国報告 326
その他
第12回アジア競技大会広島開催決定に対する荒木広島市長のお礼の言葉 332
市長退任あいさつ 334
荒木武年譜 337
荒木武追想録刊行委員会・同編集委員会委員名簿 342
編集後記

さんげ 原爆歌人正田篠枝の愛と孤独

『さんげ 原爆歌人正田篠枝の愛と孤独 現代教養文庫』(広島文学資料保全の会、社会思想社、19950730)

内容

まえがき 3
さんげ-原爆歌集- 11
1 生い立ち 29
父母のこと/祖母よ!/高本末松と結婚/弟の誠一/息子槙一郎/肺がんで亡くなった義兄/再婚/生き別れした幼子/嫁と孫
2 あの日被爆してから 77
病院と縁の切れない日々/わたしは被爆者/被爆した人たち/核廃絶の願い/社会を見る眼/野仏も傷ついた
3 愛と哀しみ 111
愛と哀しみ/峠三吉のこと/徳島の山の友
4 暮らしのための闘い 145
割烹旅館河畔荘/アパート業に変わる/京橋川河畔の四季
5 心を静めて 169
信仰/人垣 友垣/永平寺への旅/ふるさと江田島/いとしきばあや/老いてゆく
6 死の告知 197
乳がんを告知されて/歌の師杉浦翠子と、歌友月尾菅子のこと/葛飾の宿/がんを病む日々/三十万名号/生きたかりけり
資料編
唉!原子爆弾<原文> 244
さんげ<原文> 248
正田篠枝略年譜 258
正田篠枝書誌 263
解説 『さんげ』の前後と発行のいきさつ 270
あとがき (古浦千鶴子)278