資料年表:伊藤正子(いとう・まさこ)<作業中>
年月日 | 事項 | メモ |
1892 | ||
10 | 広島県御調郡坂伊原村で誕生 | |
1954 | ||
0625 | 村上哲夫『ながれ』(発行所:村上哲夫後援会、1954年6月25日) | |
気丈な婦人代表 広島市婦人連合会長 | ||
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1968 | ||
0426 | 『20年のあゆみ』(広島市千田婦人会、19680426) | |
1980 | ||
0113 | 宇吹の聞き取りメモ(1980年1月31日) | |
お宅で面会。戦災供養会・平和式典などについて。 | ||
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止
資料年表:伊藤正子(いとう・まさこ)<作業中>
年月日 | 事項 | メモ |
1892 | ||
10 | 広島県御調郡坂伊原村で誕生 | |
1954 | ||
0625 | 村上哲夫『ながれ』(発行所:村上哲夫後援会、1954年6月25日) | |
気丈な婦人代表 広島市婦人連合会長 | ||
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1968 | ||
0426 | 『20年のあゆみ』(広島市千田婦人会、19680426) | |
1980 | ||
0113 | 宇吹の聞き取りメモ(1980年1月31日) | |
お宅で面会。戦災供養会・平和式典などについて。 | ||
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止
『わが非暴力 藤井日達自伝』(藤井日達著・山折哲雄編、春秋社、1992/05/20)
内容<作業中>
篇 | 見出し | |
1 | 試煉 | |
生い立ち 2 出家の動機 8 大崎遊学 13 京都遊学 19 1年志願兵 24 法隆寺での参学と焼身 27 健仁寺で参禅 33 堅田の教会所開設 38 比良山での断食 47 桃尾の滝で断食 52 北陸路の信心問答 57 宮城・二重橋での撃鼓宣令 62 |
||
2 | 激動 | |
母危篤-朝鮮へ急行 66 満州開教と寒行 70 関東庁の妨害と日蓮宗の横槍 77 日本山妙法寺の誕生82 北支開教-天津・北京 86 関東大震災-帰国 91 富士山麓に日本山妙法寺誕生 98 東京開教-葉山でのご祈念 99 熱海開教-西天開教の原点 105 那須開教の因縁 113 十字街頭で辻説法 116 |
||
3 | 転身 | |
母の死と西天開教への出立 120 インド上陸-還来帰家 126 セイロン行脚 133 ガンジーと対面 139 お仏舎利の感得 148 陸海軍へお仏舎利奉呈 154 中国人との接触 160 日中戦争と日本山 163 インパール作戦と日本山 169 満州・朝鮮伝道-敗戦 174 |
||
4 | 開華 | |
花岡山にお仏舎利塔建立 180 戦後のインドと日本山 189 王舎城の仏教復興-戦前 193 王舎城の仏教復興-戦後 198 清澄山にお仏舎利塔建立 214 王舎城宝塔落慶供養とオリッサ開教 219 砂川闘争と日本山 227 三里塚闘争と平和運動 232 シーク教徒とヒッピー族-布施の精神 239 インドの新仏教徒 248 非暴力思想とお仏舎利塔建設 251 |
||
年譜 | ||
あとがき | ||
止
『戦後アメリカの世界政策と日本』(山田浩 著、法律文化社、1967/01/10)
内容
章 | 節 | |||
はしがき | ||||
1 | アメリカの世界政策と対日占領政策…1 | |||
1 | 大戦直後におけるアメリカ世界政策の基調…1 | |||
一 第二次世界大戦と冷戦…1 二 冷戦政策の展開…7 三 過渡期のバーソズ外交…11 |
||||
2 | 戦後の極東政策の動向…17 | |||
一 ヨーロッパ第一主義と中国第一主義…17 ニ アメリカの中国政策…19 |
||||
3 | 戦後初期の対日占領政策…25 | |||
一 対日占領体制の特質…25 二 初期占領政策の展開とその背景…31 三 民主化政策の限界…35 |
||||
4 | 〈封じこめ〉政策の確立…44 | |||
一〈封じこめ〉政策の特徴…44 二〈封じこめ〉の国内的条件…47 三 超党派外交と新孤立主義…50 四〈封じこめ〉の軍事戦略…58 |
||||
5 | 対日占領政策の転換…67 | |||
一 日本独占復活方針の確立…67 二 独占復活政策の推進…69 三 占領政策をめぐる対立の変化と〈条約なき平和〉…75 |
||||
2 | 朝鮮戦争とアメリカの世界政策および対日講和…81 | |||
1 | 朝鮮戦争前における政策的混乱…81 | |||
一 軍事政策の停滞…81 二 紛糾する中国政策…87 三 対日政策をめぐる混乱…95 四 南朝鮮政策と朝鮮戦争…100 |
||||
2 | 戦争勃発後の世界政策の動向…105 | |||
一 経済軍事化の進行…105 二 朝鮮戦争下の新孤立主義とマッカーシズム…108 三 朝鮮戦争と軍事戦略上の問題…111 四 マッカーサー罷免と世界政策をめぐる論争…115 五 台湾政策の変化と朝鮮休戦…123 |
||||
3 | 朝鮮戦争と対日講和…129 | |||
一 日本の軍事的意義と対日講和…129 二 対日講和と旧連合諸国の態度…134 三 対日講和と日本経済…137 |
||||
3 | ニュー・ルック戦略と対日政策…142 | |||
-アイゼソハワー政権下の世界政策と日本(一)- | ||||
1 | -アイゼソハワー政権下の世界政策と日本(一)- | |||
一 アイゼンハワー政権の誕生…142 二 アイク政権と新孤立主勢力…144 三 最高潮のマッカーシズムとその退潮…147 四 均衡予算主義と国防支出…153 |
||||
2 | ニュー・ルック戦略の特徴…160 | |||
一 戦略核空軍力の重視と阻止戦略の確立…166 二 軍事同盟および局地戦対策…166 三 政策的積極性と冒険性…169 |
||||
3 | ニュー・ニュー・ルック戦略と諸種の戦略論争…174 | |||
一 陸軍の批判と戦略空軍力論争…174 ニ スプートニク成功の衝撃とミサイル・ギャップ論争…180 三 局地核戦争論をめぐる論議…188 |
||||
4 | ニュー・ルック戦略下のアジア政策…197 | |||
一 アジア政策の一般的特徴…197 二 アメリカのインドシナ戦争対策…201 三 台湾海 紛争と大陸沿岸諸島…204 |
||||
5 | アイク政権の対日政策…209 | |||
一 対日経済政策…209 二 対日軍事政策…213 三 鳩山内閣とアメリカ…220 |
||||
4 | 平和共存とアメリカの世界政策および対日政策…226 | |||
-アイク政権下の世界政策と日本(二)- | ||||
1 | 平和共存とニュー・ルック戦略…226 | |||
一 共存路線の抬頭…226 ニ アイク政権と平和共存路線…230 三〈雪どけ〉の進行とアメリカ…232 四 対外援助政策と軍縮問題…233 |
||||
2 | 核ミサイル時代の開幕と平和共存…240 | |||
一 西欧諸国の動揺と〈兵力ひき離し〉構想…240 二 アイク政権になる共存路線への接近…245 三 緊張緩和の高まりと国内情勢…247 |
||||
3 | 緊張緩和への反撃とその崩壊…253 | |||
一 国際的冷戦勢力と〈産軍相互依存体制〉…253 二 ミサイル・ギャップ論争の再燃と政府批判…256 三 アイク政権と緊張緩和の崩壊…261 |
||||
4 | 平和共存とアメリカ極東政策…266 | |||
一 台湾海峡紛争の再燃…266 二〈二つの中国〉論の拾頭とアイク政権…268 三 核ミサイル時代の極東軍事戦略…270 |
||||
5 | 緊張緩和と対日政策…273 | |||
一 岸内閣とアメリカ…273 二 安保改定をめぐる政治軍事的問題…277 三 安保改定の経済問題…281 |
||||
5 | ケネディ政権の世界政策と対日政策…285 | |||
1 | ケネディ政権の成立とその性格…285 | |||
一 ケネディ政権のリベラル勢力…285 二 ケネディ政権の財政金融政策…289 三 議会と右翼勢力の拾頭…292 |
||||
2 | ケネディ政権の〈大戦略〉…289 | |||
一 対兵力戦略とマクナマラ体制…299 二 対兵力戦略への批判と現実…306 三 多角的核戦力をめぐる諸問題…311 四 局地戦対策の重視と転換…315 |
||||
3 | 対外政治・経済政策の諸特徴…320 | |||
一 「決意」と「選択」…320 二 軍備管理政策をめぐる評価…324 三 中ソ対立をめぐるアメリカの政策…330 四 対外経済およ対外援助政策…334 |
||||
4 | ケネディ政権の中国政策…341 | |||
一 く二つの中国>論をめぐる検討…341 二 対中国接近から〈封じこめ〉へ…343 |
||||
5 | ケネディ政権の対日政策…348 | |||
一 対日政策におけるく深みのある外交×…348 二 日中関係と日韓国交回復…351 三 対日軍事政策…355 四 対日経済政策…360 |
||||
止
吉野源三郎
よしの・げんざぶろう | 18990409生19810523没 | 享年82歳 | 雑誌「世界」初代編集長。日本ジャーナリスト会議初代議長(1955年2月19日)。「被爆30周年国際フォーラム」の代表世話人。1977被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人。 |
止
岡本直正
おかもと・なおまさ | 1921生20120523没 | 岡本直正 | 享年91歳 | 広島大学原爆放射能医学研究所所長(第3代 1970.4.1~1977.3.31)。 |
資料年表:岡本直正<作業中>
年月日 | |||
1921 | 生 | ||
1967 | |||
0330 | 岡本直正 「放射線被爆が胎児に及ぼす影響 -中性子照射による心臓並びに大血管系の形成異常 」(『原子爆弾後障害研究会講演集 第7回』218) | ||
1969 | |||
0620 | 岡本直正「原爆症認定の問題点 病理の立場より」(『原子爆弾後障害研究会講演集 第9回』22) | ||
1970 | |||
0401 | 広島大学原爆放射能医学研究所所長(~1977.3.31)。 | ||
19730806 | 『原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から』(中国新聞社) | ||
「人体傷害」(岡本執筆) | |||
1977 | |||
0910 | 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会) | ||
岡木直正「原爆放射能医学研究所における将来計画と協同研究への歩み」61 | |||
2012 | |||
0523 | 没 |
止
『小さな窓から』(新藤兼人著、朝日新聞社、1985/09/05)
内容<作業中>
頁 | |||
009 | 夫婦とは 9 | ||
012 | 男と女 | ||
15 | 台所革命 | ||
18 | 母の思い出 | ||
21 | 加害者はだれか | ||
24 | 姉の地平線 | ||
27 | アメリカ製日本人 | ||
30 | ぜんそく考 | ||
33 | ある結婚 | ||
36 | 父の肖像 | ||
39 | 酔いどれ妻 | ||
42 | ライバル | ||
45 | 雪が舞う | ||
48 | 三匹の猫たち | ||
51 | ふり向いた女の目 | ||
54 | ある少女の出発 | ||
57 | 荷風忌 | ||
60 | 恩師 | ||
63 | 兄の生涯 | ||
66 | 家 | ||
70 | 足跡 | ||
74 | 三文役者 | ||
77 | 砂漠の中の森の町 | ||
80 | 青春の町 | ||
83 | 子どもたちよ | ||
87 | 生き証人 | ||
90 | 紫陽花のひと | ||
93 | ああ離婚 | ||
96 | 朝顔 | ||
100 | 原爆を落とした男 | ||
103 | 八月十五日 | ||
106 | 俺はあとでいいよ | ||
110 | 溝口忌 | ||
114 | 墓のある場所 | ||
117 | あるカメラマンの一生 | ||
120 | N君の仕事 | ||
123 | 竜安寺門前町 | ||
126 | 雨の日の朝 | ||
129 | 裏切りの心 | ||
132 | 無声映画の詩 | ||
135 | 栗ごはん | ||
139 | 私は脱がない | ||
143 | 遠足 | ||
146 | 風の中の三味線 | ||
149 | あなたに従います | ||
152 | めしを食ったか | ||
156 | 同窓会 | ||
159 | 現代風俗 | ||
162 | 結婚しない女 | ||
165 | 友ありて | ||
168 | 蔵の中 | ||
171 | 正月餅 | ||
175 | D氏の碑 | ||
179 | ふるさとの声 | ||
183 | 幕切れは | ||
187 | 縄文の足跡 | ||
190 | 人間の姿 | ||
194 | 女ひとり | ||
197 | あによめ | ||
201 | 役者根性 | ||
204 | おもちゃ | ||
207 | 水ぬるむ | ||
210 | ひいばあさん | ||
213 | はんてん | ||
216 | あとがき | ||
1984年1月8日~85年3月31日、連載。 | |||
止
資料年表:新藤兼人<作業中>
1912 | ||
0422 | 生 | |
1950 | ||
09 | 新藤監督:松竹映画「長崎の鐘」完成。 | C |
1952 | ||
0515 | 近代映画協会による「原爆の子」映画化。広島市で吉村公三(制作)、新藤兼人(脚本・監督)ら、「原爆の子友の会」メンバーと初打ち合わせ。 | C |
0707 | 原爆傷害者懇談会(広島市基町・朝日ホール)。新藤・乙羽信子らも出席。 | C |
08 | 「原爆の子友の会」、新藤監督の映画「原爆の子」制作に協力した会員5人を除名にするなど内紛。 | C |
1953 | ||
0429 | 「原爆の子」(新藤監督)、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞を逸す。 | C |
1956 | ||
0212 | 英映画協会、「原爆の子」(新藤監督)を1955年度世界優秀映画の国連賞受賞作品に決定。 | C |
1957 | ||
02 | 西ドイツで上映中の「原爆の子」(新藤監督)、反戦映画として軍当局に没収される。 | C |
1958 | ||
09 | 映画「第5福竜丸」(監督:新藤・主演:宇野重吉、乙羽信子)撮影中 | C |
1959 | ||
02 | 映画「第5福竜丸」(近代映画協会・新世紀映画の共同製作、監督:新藤)、広島市の帝劇で特別試写会。 | C |
1982 | ||
0331 | 『広島市公文書館紀要 第5号』 | |
有田嘉伸「 新藤兼人の人と作品 」 | ||
「新藤兼人資料目録」 | ||
1983 | ||
01 | 『追放者たち -映画のレッドパージ-』(岩波書店) | |
0310 | 『日本名作映画76選』(佐藤忠男著、広島市映像文化ライブラリー編、広島市教育委員会) | |
1985 | ||
0905 | 『小さな窓から』(朝日新聞社) | U |
1996 | ||
0614 | 『追放者たち -映画のレッドパージ-』(岩波書店 同時代ライブラリー) | |
1998 | ||
0220 | 『弔辞』(岩波新書、) | U |
1980 | ||
0315 | 『私の足跡 : 独立プロ三〇年のあゆみ(新藤兼人映画論集 1)』 (汐文社, 1980.3) | U |
1981 | ||
09 | 『仕事場の出会い : 監督とはシナリオとは女優とは(新藤兼人映画論集 2)』 (汐文社, 1981.9) | U |
1988 | ||
0420 | 『さくら隊散る』(未来社) | U |
0420 | 『さくら隊8月6日 広島で被爆した若き新劇人たち』(岩波ブックレット No.114) | U |
1993 | ||
1006 | 『青春 新藤兼人の足跡1』(岩波書店) | U |
2002 | ||
1103 | 文化勲章発令・宮中親授式 | |
2003 | ||
0411 | 「原爆の真実を残す 広島で90歳対談 映画監督・新藤兼人さん・元本社カメラマン・松重美人さん」(『中国新聞』20030411) | C |
2004 | ||
0721 | 『シナリオ人生』(岩波新書) | U |
2010 | ||
1220 | 『広島県現代文学事典』(岩崎文人編、勉誠出版)<佐藤武・記> | U |
2012 | ||
0529 | 没。享年100歳。 | |
0531 | 「新藤兼人監督が死去 反戦貫き人間愛描く 100歳」(『中国新聞』20120531、串信考・記) | |
2022 | ||
0413 | 広島市映像文化ライブラリー、新藤兼人生誕110年記念の特集上映開始。(『中国新聞』20220402) | |
止
大庭みな子
おおば・みなこ | 19301111生20070524没 | 享年76歳 | 作家。広島県立賀茂高等女学校在学中、原爆のきのこ雲を西条町より望見。8月末~9月、広島市に救援隊として動員される。『広島県現代文学事典』(瀬崎圭二・記) |
資料年表:大庭みな子<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1930 | ||
1111 | ||
1972 | ||
0501 | 大庭みな子(芥川賞作家)、雑誌『潮』原爆特集の取材で広島市を訪問。 | C |
2007 | ||
0524 | 没。享年76歳 | |
2010 | ||
1220 | 「大庭みな子」(『広島県現代文学事典』〈瀬崎圭二・記〉、勉誠出版) | |
2016 | ||
0612 | 東広島青少年オーケストラ、「ひがしひろしま音楽祭」で、被爆の惨状をつづった大庭みな子のエッセイの朗読を取り入れた演目を上演。(『中国新聞』20160609、森岡恭子・記) | |
止
佐藤月二
さとう・つきに | 19090215生19880522没 | 享年79歳 | 元広島大学教育学部教授。広島県史跡名勝天然記念物調査委員(1947年2月~)。1949年当時、原爆ド-ムの保存を主張。著書『むさしあぶみ』(溝本積善館、19720215)。 |
資料年表:佐藤月二<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1909 | ||
0215 | 生 | |
![]() |
||
1988 | ||
0522 | 没 | |
止
『平家納経の世界』(小松茂美著、六興出版、19761226 新装第1版)
内容
章 | |||
1 | 平家納経の成立ドラマ 11 | ||
謎みちた女神 11 法華信仰と「平家納経」 15 平家勃興の波に乗って 20 祖父正盛・父忠盛のこと20 清盛登場 27 実説ご落胤27 十二歳の次官殿29 安芸守平清盛の霊 夢31 栄達の血塗道32 二条帝現説と立太子騒動35 長寛二年における清盛の心情 38 怨霊騒ぎと皇子誕生38 忠通の死40 関白・基実の幼 な妻42 頼長の子・師長を夜宮44 帝の皇子誕生46 崇徳院の崩御51 願文の内容54 筆者は清盛64 “他 人を以って名と為す”74 櫛筆の謎84 厳島繁昌記 87 厳島詣での大流行87 名花・厳島の内侍たち96 平家 の落日102 佐伯景弘という男111 厳島内侍発願説の虚構 121 |
|||
2 | 高く、広く、大きく―平家納経と歩んだ三十年 127 | ||
死神と美神の出合い 127 手習い草紙 128 死の淵に立って 133 その名を恋人のごとく 137 一冊の古本 139 「平家納経」を見る 141 無知の蛮勇 146 生涯のことば 152 「伊都岐嶋千僧供養日記」 155 厳島文書を読む 157 『いつくしま』を刊行 161 上京、池田亀鑑先生 163 念願の博物館勤務 171 |
|||
3 | 不思議な本 175 | ||
4 | 王朝の女性の夢を追って 190 | ||
5 | 王朝の教養と和洋書道の源を探る 197 | ||
6 | 栄華と末法におののく美の殿堂 213 | ||
7 | 子筆額の成立へ 227 | ||
王朝のこころ十選 247 三十六人家集(貫之集上)247 木彫一字金輪坐像249 普 賢菩薩像250 扇面写経251 金銅秋草文薫炉252 伴大納 言絵詞253 藤原行成筆白氏詩巻254 秋草文壷255 平等 院鳳鳳堂256 戸隠切257 |
|||
人と書とのかかわり 対談/小松茂美・松井如流 259 | |||
小松茂美・丸夫妻の世界―編集部編― 273 | |||
後記 282 |