年賀状(北西允⇒宇吹)
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年賀状(北西允⇒宇吹)
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『原爆被害はどうしても受忍できない-参議院を通過した原子爆弾被爆者等援護法案-』(浜本万三<参議院社会労働委員長>)、1990年4月)
内容
章 | ||
はしがき | ||
1 | 原子爆弾被爆者対策の経緯 | |
(一)原爆被害の特質と被害の状況 (二)原爆投下から今日に至るまでの推移 1 アメリカの占領統治から原爆二法の成立過程 2 被爆者等援護法の制定を求める動き 3 国会における援護法案の提出 4 原爆被爆者対策基本問題懇談会報告 |
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2 | 現行原爆二法の概要と問題点 | |
(一)施策の概要 1 原爆医療法による措置 2 原爆特別措置法による措置 3 福祉措置 4 調査研究 5 被爆老人に対する医療費負担 |
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(二)被爆者対策予算の概要 (三)被爆者数等の推移 |
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(四)現行二法の基本思想とその問題性 1 戦争被害救済に対する国の基本思想 2 現行二法の問題性 |
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(五)原爆をめぐる司法判断 1 国に対する損害賠償請求 2 認定制度の運用 3 外国人に対する被爆者手帳の交付 |
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3 | 基本懇報告の概要と致命的欠陥 | |
(一)基本懇報告の概要 (二)基本懇報告の問題点 1 国の戦争責任の無視 2 恐るべき戦争被害受忍論 3 報告自体の論理矛盾 |
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4 | 原爆被爆者等援護法の必要性 | |
(一)昭和六〇年度原爆被爆者実態調査 1 初めて死没者調査を実施 2 生存者調査の概要と問題点 (二)原爆投下の違法性と国の補償責任 1 原子爆弾使用の国際法違反性 2 請求権を放棄したことによる補償責任 3 戦争被害に対する国としての補償責任 (三)望ましい被爆者援護法 (四)核時代における被爆者援護法の意味 (五)一般戦災者に対する施策との関係 (六)被爆者援護法に反対する立場 |
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5 | 原爆被爆者等援護法案の概要 | |
(一)子爆弾被爆者等援護法案の提案理由 (二)国家補償の概念 (三)本法案の目的 (四)被爆者の定義 (五)健康診断・健康指導 (六)認定疾病医療の給付 (七)一般疾病医療費の支給 (八)医療手当の支給 (九)介護手当の支給 (十)被爆者年金 1 被爆者年金の支給 2 権利の裁定 3 被爆者年金の額 4 障害の程度を定める際の留意事項 5 被爆者年金のランクづ 6 被爆者年金の額の裁定替え 7 被爆者年金額等の引上げ 8 原爆被爆者等援護審議会の意見聴取 9 被爆者年金の支払い 10 被爆者年金と他の給付との調整 (十一)特別給付金 1 特別給付金の支給 2 権利の裁定 3 遺族の範囲 4 特別給付金の額 (十二)葬祭料の支給 (十三)原子爆弾被爆者保養施設 (十四)旅客会社(JR)の運賃無料の取扱い (十五)被爆二世・三世 (十六)原子爆弾被爆者相談所 (十七)原子爆弾被爆者等援護審議会 (十八)放射線影響研究所に対する助成 (十九)外国人に対する適用 (二十)施行期日 (二十一)現行「原爆二法」の廃止 (二十二)被爆隣接区域内の者 1 健康診断の特例と調査 2 被爆地域の拡大 (二十三)老人保健法の一部改正 |
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6 | (一)経費の概要 (二)所要経費の内訳 |
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7 | 諸外国における戦争被害救済法制の概要 | |
(一)フランス (二)イギリス(三)西ドイツ (三)西ドイツ (四)イタリア |
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8 | 原子爆弾被爆者等援護法制定にかける私の決意 | |
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浜本万三 はまもと・まんそう
19200909生20080121没 | 享年87歳 | 広島県選出の元社会党参院議員。尾道市出身。1974年に初当選、通算3期。1994年発足の村山富市内閣(自社さ連立)の労相。1995年に政界引退。 |
『浜本万三回顧録』 | ||
資料年表:浜本万三
年月日 | 事項 | メモ |
1920 | ||
0909 | 誕生 | |
2008 | ||
0121 | 没。享年87歳 | |
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『花は想う人の側に咲く 浜本万三回顧録』(浜本万三著・広島大学文書館編、現代史料出版、20090121)
内容
章 | |||
1 | 労働組合との出会い 1 | ||
電産10月闘争、民主化運動 3 レッドパージについて 6 電産争議 9 県労会議議長への就任経緯 14 警職法反対闘争について 19 安保闘争について 28 生協の創設 37 |
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2 | 平和運動、総評とのかかわり 41 | ||
平和運動へのかかわり 41 安保闘争と平和運動との関係 44 原水禁運動の分裂 46 構造改革論争 58 予算要求闘争について 64 |
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3 | 参議院議員時代 71 | ||
参議院選挙出馬の経緯 71 衆参同日選挙~落選 80 参議院議員選挙に再出馬 83 初質問の思い出 88 「新しい流れの会」について 90 社会労働委員会での思い出 94 当時の参議院の雰囲気 97 国対の仕事 101 中曽根内閣の印象 109 |
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4 | 地域のなかでの活動 | ||
広島県地方労働委員会委員への就任 113 中国工業・RCCでの争議解決(た行の原則) 117 広島の教育問題(八者合意)について 119 連合成立の影響 124 |
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5 | 国会運営の中軸として(議運理事、国対委員長時代) 129 | ||
土井たか子委員長の就任 129 代表質問の思い出 130 竹下内閣の印象、消費税への抵抗 132 被爆者援護法案の参議院通過 145 産業・資源エネルギーに関する調査会 147 国対委員長の仕事 151 PKO法案反対 153 |
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6 | 政局の中心にあって(日本社会党参議院議員会長時代) | ||
細川護煕内閣の成立 159 村山執行部の成立―社会党の派閥― 163 政治改革の問題 165 造反議員への社会党の処分 171 当時の参議院の情勢 174 連立政権内部の対立と意見調整 177 国民福祉税問題 180 細川内閣の総辞職と羽田内閣の成立 181 羽田内閣の成立、社会党の連立離脱 187 羽田内閣の総辞職、自社さ政権に向けた動き 193 弾劾裁判所裁判長への就任 197 |
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7 | 村山内閣(労働大臣時代) 201 | ||
村山内閣の成立 201 村山内閣の印象 209 認証式、初登庁 212 社会党の方針転換 214 阪神淡路大震災の発生 216 オウム真理教事件 221 究極的核兵器廃絶決議案 226 閣僚懇談会の思い出 228 戦後50年問題(1) 230 戦後50年問題(2) 238 原爆被爆者援護法の制定経緯 240 「国家補償」をめぐる議論 244 被爆者援護法の周辺事情 252 村山内閣の退陣 255 |
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8 | 労働大臣として 261 | ||
労働大臣就任経緯 261 省内人事について 265 政策の実現 267 介護休業法の成立について 271 ILO一五七号条約の批准 280 雇用対策 281 過労死認定基準の見直し 287 労働大臣に求められる資質 292 参議院議員の引退 296 |
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あとがき 303 | |||
浜本万三オーラルヒストリー一覧 306 浜本万三略歴 310 著書一覧 312 人名索引 316 |
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編者 | |||
小池聖一:広島大学文書館長 | |||
布川 弘:広島大学総合科学研究科教授 | |||
石田雅春:広島大学文書館助教 | |||
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『わが人生論 青少年へ贈る言葉 広島編』(編集/発行人:中村輝雄)(抄)
(上)19830401刊 |
(中) 19860919刊 |
(下)19910830刊 |
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北西允宛宇吹書簡(控)2001年3月15日
北西 允 先生
拝啓
先日は、突然の連絡で失礼しました。新聞紙上などで先生のお名前を拝見していたので、お元気とばかり思っておりました。
私の新任地は、1月末に正式に決まりましたが、1月から2月にかけ、職場と私有の資料の整理で、瞬く間に過ぎました。2月末から3月末まで、休暇を取り、現在の職場でお世話になった団体・個人へのあいさつ回り(墓参を含む)を始めています。
私は、25年の在職中、諸資料を借用していましたが、これらの返却をめぐり、さまざまな問題に出くわしています。定年退職でないので起こる問題なのか、そうであっても後任が決まらない場合、資料を中心とした研究に携わったものには、必然的に起こる問題なのか、いずれにせよ、アトを濁さずに去るというのは、難しいものだと、痛感させられています。
女学院では、「日本文化史」も受け持つような話だったのですが、「生活文化史」と「文化史学」で良いことになりました。準備中だったので、拍子抜けした感もありましたが、この二つに演習や卒論指導のことを考えると、有り難い配慮だと感謝しています。
先週、千葉の歴史民俗博物館と江戸・東京博物館を見学しました。いずれも2回目ですが、目的があると、見る目が異なるものです。一つ一つの展示が講義のネタに思えました。これに、広島県内の史跡を加えて考える予定です。
「文化史学」は、「世界遺産」を取り上げることにしました。「国連-ユネスコ-世界遺産の概要―アジアの世界遺産-日本の世界遺産―広島の世界遺産」という流れで考えています。
さて、先日、お伝えした資料の件ですが、先生にご意見をお聞かせ願いたいことが、2点あります。
一つは、大学人会事務局資料で、ダンボール一箱分あります。先生からお預かりしたと思い込んでいる(ルーズなことで、申し訳ありません)のですが、あるいは横山英先生からかも知れません。広島大学ゆかりの資料であり、現在、広島大学50年史編集室(頼禎一室長)ができているので、ここに移せば、と思いますが、先生のお考えはいかがでしょうか。
なお、私は、50年史編集の幹事をしており、大学人会の歩みをまとめようと思っていました。しかし、転出で出来なくなりましたので、編集室の若い人に頼めればと考えています。
もう一つは、石井金一郎・藤居平一資料についてです。原医研では、この資料のほとんどを複製しています。資料保存の原則からは、「現地保存」が望ましいのですが、どこを「現地」と考えればよいのか判断に迷っています。
同じような問題が、「吉川清資料」についてもあり、これについては、奥様の生美様のご了解を得た上で、同封資料のように広島市長の判断に委ねることにしています。
先生のご意見を聞かせて頂ければ幸いです。18日ごろ、私からお電話を差し上げるつもりでいます。ご療養中のところを、ご心配をおかけしますが、よろしくお願いします。
敬具
2001年3月15日
北西允
1926生20190120没 | きたにし・まこと | 享年93歳 | 「生きて 政治学者 北西允さん」(『中国新聞』2013年4月9日~27日、15回連載、担当:編集委員・西本雅実) |
宇吹日誌・記録より<キーワード:北西>
年月日 | 事項 |
1976 | 事項<敬称略> |
0724 | 核意識研究会。於総合科学部小会議室。永井、鎌田、北西、浜谷、上野、初瀬、田中、庄野、湯崎、関、小川など出席。 |
1015 | 北西研究室で世論調査の整理。 |
1977 | |
0121 | 北西研究室で永井・**(アルバイト)と作業。 |
0222 | 北西研究室。永井・**・宇吹。世論調査資料整理一句切り。 |
0430 | NGO広島準備委員会第1回社会科学委員会.於YMCA1階会議室.北西,大西,山本,湯崎,宇吹,田中(中国新聞) |
0609 | NGO代表ナイト女史との懇談。於YMCA。ナイト、通訳、湯崎、北西、佐久間、加藤、宇吹。 |
0719 | 北西より旧石井金一郎所蔵(藤居)資料を借用。 |
1979 | |
0622 | 酔心で原水協史の会合。佐久間、北西、湯崎、藤本など。 |
1984 | |
0806 | 原水禁大会(統一)分科会。於竹屋小学校。北西が運営委員として参加していた。 |
1991 | |
1202 | 北西(修道大学)より電話。「国際政治」の講義を2駒して欲しい。山田・岡本・北西・藤井・宇吹の5人で15回。テーマ「被爆者問題」。 |
1205 | 北西に履歴書を送る。 |
1992 | |
0109 | 北西(修道大学)より電話。講義は後期の火曜日午後。 |
0917 | 修道より講義日程の連絡。北西に電話して日程を変更。 |
1218 | 自室の資料の整理。北西から借用している資料(藤居)などを旧図書分室に移す。 |
1993 | |
0221 | 藤居より自宅に電話。約20分話す。堀川(早稲田の後輩)に連絡したら、北西と矢野を紹介した。会って見ようと思う。**に電話をしたら、今哲学の本を書いているとのことであった。医者・科学者グループから、あれこれ手を広げ、もう当てにはできない。北西・舟橋らと医者・科学者グループを組織する必要がある。一人で何をやろうとしても対応できない。 |
0526 | 自宅を出発。原医研で新聞を見てから広島空港へ。広島市博物館の東京調査。8時広島空港1階着。空港ロビーで北西に会う。修道大学の就職活動のため上京とのこと。北西・好村の間で長崎の鎌田問題が話題になる。両人ともに支援する会に参加。 |
1994 | |
1112 | パグウォッシュ広島委員会第4回会議。旧教育学部2階大会議室。-12時。小沼・西川・北西・松尾・小柏・田村外。業務のほとんどは、JTB・平和文化センターと相談すれば解決できる問題。 |
1995 | |
0422 | 北西允より自宅に電話。**(RCC**)より宇吹に紹介して欲しいとの伝言があったのでよろしくとのこと。ついでに、宇吹健が北西の講義を履修する旨を伝える。 |
1996 | |
0126 | 健帰宅。今日、北西の試験があって、これで試験が全て終了したとのこと。 |
1997 | |
0418 | 藤居平一追悼集を蔵本・北西・杉原・吉田に郵送。 |
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北西允さん(政治学者)『生きて』(『中国新聞』2013年連載、担当:西本雅実・編集委員)
回 | 掲載月日 | 見出し | 備考 |
1 | 0409 | 顧みて 反戦・反核に異議見つけ | |
2 | 0410 | 博多育ち 軍国教育に反抗心募る | |
3 | 0412 | 医学生 軍隊嫌い高じ窮余の策 | 京都府立医大、林市造 |
4 | 0413 | 九大「細胞」 GHQもじりデモ行進 | 向坂逸郎、今中次麿、具島兼三郎、 |
5 | 0413 | メーカー社員 運動家目指すも・・・退社 | 太田薫、英子、 |
6 | 0416 | 導かれて研究者の道へ 今中門下 | 今中次麿、山田浩、 |
7 | 0417 | 広島大教員 大学人の会運営担う | 今中次麿、佐久間澄、横山英、 |
8 | 0418 | 原水禁大会 草の根の合唱にも感動 | 今中次麿、佐久間澄、山田浩、木下航二、伊藤満、庄野直美 |
9 | 0419 | 運動の低迷 「排除の論理」には反対 | 佐久間澄、伊藤満 |
10 | 0420 | 分裂 党は争いに自責の念 | 森滝市郎、今堀誠二 |
11 | 0423 | 広大紛争 学生委員引き受け団交 | 広島大学園問題全学共闘会議、川村智治郎 |
12 | 0424 | バリケード封鎖 警察力で解除 心におり | 飯島宗一 |
13 | 0425 | ヒロシマ行動 党派超え20万人が集う | 庄野直美 |
14 | 0426 | けんか相手 平等追求し最後見とる | 北西英子 |
15 | 0427 | 新たな潮流 個人の意思と力に期待 | |
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八杉康夫『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』(ワック刊、2005/12/08)
内容
章 | |||
1 | 音楽好きの軍国少年…9 | ||
武士の商法で豆腐屋さん 早かった舞台経験 「もらい子」だった父 音楽の才能を見込まれて中学退学 |
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2 | 海軍志願兵…19 | ||
「甲上」で合格 「天皇のために死ぬ」に疑問 二十四分隊へ 横須賀で聞いた「新型爆弾」 |
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3 | 大和戦艦…35 | ||
お前の行き先は「大和じゃ」 ついに大和乗艦 お守り袋の日記 |
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4 | 永訣の朝…49 | ||
母に最敬礼 天一号作戦発令 草鹿参謀長の一言 力むなよ、力まなければ勝てるぞ 発射されなかった敵の魚雷 片道燃料説は嘘 |
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5 | 女神微笑まず…65 | ||
レンズをまっ黒にした大群 後部艦橋全滅 「奄美大島にもいけんぞ」 「逃げる気か」と喉元へ日本刀 眼前での割腹自殺 |
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6 | 撃沈、四時間の漂流…81 | ||
大和撃沈、そして大爆発 降ってきた「アルミ箔」 丸太を流してくれた高射長 睡魔に負けた少年兵 |
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7 | 重油の海からの生還…91 | ||
繰り広げられた醜態 嬉しかった殴打 満開の桜に男泣き 祖母の予言 殴りつけた割り込み男 |
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8 | 本土決戦隊へ…107 | ||
第二十三陸戦隊へ 自爆部隊の絶望的訓練 |
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9 | ヒロシマの閃光…113 | ||
朝礼で見た白い光 足を掴んだ少年 |
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10 | 呉警備隊で聞いた玉音放送…121 | ||
原隊復帰 「我、敗戦に考フ」 「原爆は神の再来です」 遺族には言えなかった |
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11 | 再生のきっかけ…135 | ||
素人のど自慢 保本少尉の妻 神戸で調律師修行 原爆の後遺症が |
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12 | 大和探し…145 | ||
豊かさへの疑問 名著にあった「徳之島沖」 むなしかった慰霊祭 NHKとの合同調査 浮き上がった頭蓋骨 辺見じゅんさん、角川春樹さん |
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13 | 真相を求めて…163 | ||
川崎高射長の娘と妻 「漂流者の手首を切り捨てた」 吉田満氏に問いただす ありえない「新生日本」 水交会員も憤激 海水注入による犠牲は事実 |
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14 | 語り部として…179 | ||
大鑑巨砲主義はなぜ 一発も撃てなかった主砲 「生きろ、生き抜くんだ」 戦争責任について 大和の語り部として |
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あとがき…195 | |||
付録 戦艦大和小史…199 | |||
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八杉康夫<作業中>
やすぎ・やすお | 1927****生20200116没 | 享年92 | 戦艦大和の生存者。呉から広島へ入り遺体処理に従事。 |
関係資料
資料名 | |||
『戦艦大和が沈んだ日 運命の4月7日 元戦艦大和乗組員・八杉康夫聞き書き』(中川秀彦著、牧歌舎、20050228) | |||
『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』(八杉康夫著、ワック刊、20051208) | |||
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