「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

竹内武

竹内武

たけうち・たけし 1928****生20050127没 享年77 元広島平和会館の相談員。被爆者手帳取得のための証人探しに尽力。
  20010801  2001被爆者の伝言 竹内武さん(上)医療給付の実現、うれしかった

 

 『中国新聞』(20010801)
1979/08/01 釜ヶ崎原爆被爆者の怒りと悲しみ 釜ヶ崎原爆被爆者の会
1997/04/17 人間銘木 藤居平一追想集
1985/05/27 ひろしまの河 原水爆禁止広島母の会
2000/12/01 広島平和会館ものがたり 原爆被害者福祉センター広島平和会館

日野原重明

日野原重明

ひのはら・しげあき 20170718 没 享年105歳 聖路加国際病院理事長。

日野原重明

宇吹メモ(広島女学院大学勤務期)

2005 10 20 12:30 木曜日チャペル:日野原重明(聖路加国際病院名誉院長・同理事長)「信仰・望み・愛」。出席。
2005 10 21 18 日野原重明・小沢征爾『世界へおくる平和のメッセージ』。広島県立総合体育館。グリーンアリーナ。参加できず。
2005 11 03 15:00 BS2「共鳴する魂~日野原重朗・小沢征爾 世界へおくる平和のメッセージ~」。冒頭、一部分撮り損ねる。~16:40。
2006 12 25 13:30 日野原重朗講演会(私は欠席。1470名以上参加した由)。
2007 04 12 24 ***から自宅に日野原の講演のチケットの礼の電話があった由。
2009 07 10 10:40 日野原先生講演会。不参加。
2010 05 27 15:00 日野原講演会。不参加。参加者は1200人あった由。

 

柿手春三年譜

柿手春三年譜<作業中

年月日
1909
 0316  広島県双三郡三良坂村で誕生。
 1921
 04
 1991
05  三良坂平和美術館へ油絵62点(自己作品45点、所有作品21点)、素描外160点、オブジェ20点を寄贈。
0630 『柿手俊三受贈記念誌』 (三良坂平和美術館(刊))
1993
0204 没。享年83歳。

黒川万千代

黒川万千代

くろかわ・まちよ 1929生20110217没 享年81 旧姓富永。広島女専1年生のとき校内で被爆。日本被団協事務局次長など。

著書など

書名 編・著者(発行所) 備考
1976/08/06 原爆の碑 広島のこころ 黒川万千代
1981/04/29 いのちある限り 被爆者運動35年のあゆみ 神奈川県原爆被災者の会
1982/04/30 「アンネの日記」への旅 黒川万千代著(労働旬報社)
1982/07/15 原爆の碑 広島のこころ 黒川万千代著(新日本出版社)
1983/02/25 猫ちゃんは帰らない 何よりも平和を 黒川万千代(民衆社)
1983/08/20 原爆を裁く 東京都原爆被害者団体協議会編(労働教育センター)
1984/01/01 総合学習「ヒロシマ」 和光小学校の実践 和光学園教育実践シリーズ出版委員会(明治図書出版)
1984/06/30 世界の反核運動 佐藤昌一郎著編(新日本出版社)
1988/04/22 核抑止か核廃絶か 非核の政府を求める会
1988/06/20 鳩の使いの旅 広島のこころを世界へ 黒川万千代著(新日本出版社)
1991/11/16 明日を創る 婦人民主クラブと私 婦人民主クラブ
1998/04/11 ヒロシマの女たち 続 広島女性史研究会編著(ドメス出版)
2001/04/10 核のない21世紀を ヒロシマからのメッセージ シネ・フロント社
2002/09/20 原水爆禁止2002年世界大会の記録 核兵器のない平和で希望ある世界を 原水爆禁止世界大会実行委員会
2007/08/06 原爆被災証言記 忘れられた学徒たち 県立広島女子大学同窓有志、広島県立広島第二高等女学校同窓有志

 

坪井直追悼(新聞コラム要約)

坪井直追悼(新聞コラム要約)

掲載日 < 紙名(コラム名)>要約
 20211029  <朝日(天声人語)>オバマ大統領、ネバーギブアップ。
  20211029  <中国(天風録)>毎年の賀状〈九十才代でお迎えが来たら、も少し待ってくれと泣きつこう/百才になってお迎えが来たら、そろそろOKしようかなと思う/平和の仕事が残っている。も少し生かしてほしいね〉。日本被団協代表委員。96歳での訃報。「ヒロシマの顔」。20歳で被爆。オバマ氏と対面。
  20211029 < 赤旗(潮流)> 当時20歳の学生「アメリカの野郎、よくもやったな。このお返しは、きっとするぞ」。御幸橋のたもとで記した「坪井はここに死す」。遺言のつもりが周りの人から助けられ、その恩返しと命のありがたさが被爆者運動の原点。みずから「ピカドン先生」。96歳の生涯で入退院を10回以上、抱えるがん二つ。その遺志を受け継ぐ人々のたたかいはこれからも。彼の締め言葉のように「ネバーギブアップ」。
 20211031  < 毎日(余録)>坪井直:20歳で被爆、60歳で教員を退職、79歳2005年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の際ニューヨークで4万人デモの先頭に立つ。91歳広島を訪れたオバマ氏に語りかける、4年前に冊子「にんげん坪井直 魂の叫び」を作る。96歳で亡くなるまで「ネバーギブアップ」を貫いた坪井さん。その精神を受け継ぐことが鎮魂の道。

 

 

坪井直関係資料一覧

坪井直関係資料一覧<作業中

年月日 資料名 種類 備考
19750310 『かけはし 父母が語る戦争体験記』( 翠町中学校PTA文化部編 翠町中学校PTA) 刊本
19790701 『この子らに語りつぐもの 広島原爆被爆教職員の手記 第1集』 (広島県原爆被爆教職員の会、広島県高校原爆被爆教職員の会編・刊) 刊本

 

坪井直

坪井直

坪井 直(つぼい すなお、1925年5月5日生 – 2021年10月24没)

日本原水爆被害者団体協議会代表委員。広島県原水爆被害者団体協議会理事長。元中学校教諭。

広島市名誉市民

つぼい すなお

坪井 直

平成30年(2018年)

3月27日

長年にわたる被爆体験証言及び国内外での核兵器廃絶に向けた活動により平和の推進に貢献するとともに、被爆者援護施策の充実にも貢献(令和3年(2021年)死亡)

広島市名誉市民 – 広島市公式ホームページ https://www.city.hiroshima.lg.jp/soshiki/7/17967.html

法廷に立つ歴史学 家永教科書論争と歴史学の現在

『法廷に立つ歴史学 家永教科書論争と歴史学の現在』(鹿野政直 ・加藤友康・三宅明生・安田浩編、大槻書店、19930520)

内容

No. 事項 著者 備考
はじめに
1  歴史をささえる民衆・庶民 鹿野政直
2  中央集権をめざした聖徳太子の政治 吉村武彦
3  大友皇子の即位問題 荒木敏夫
4  古事記・日本書紀編纂の意図と史料批判 笹山晴生
5  駅の設備と農民 青木和夫
6 蝦夷の征討は「征服」ではなかったのか 熊谷公男
7  最澄の生年と「通説」の理解 佐伯有清
8 神皇正統記執筆の意図 佐藤和彦
9 江戸時代の天皇の地位 三鬼清一郎
10 男尊女卑と妾-江戸時代の女性の地位- 菅野則子
11  島原の乱の主体は誰か 高木昭作
12  尊譲派志士と民衆-明治維新の基本的性格- 高木俊輔
13  五か条の誓文と五榜の高札 横山伊徳
14  不平等条約締結の評価-条約改正交渉の時期における- 小野正雄
15  明治憲法制定過程における秘密性 松永昌三
16  明治憲法の発布と金色の菊の紋章 猪飼隆明
17  明治憲法制定の意義 永井秀夫
18 教育勅語と内村鑑三不敬事件 高嶋伸欣
19  日清戦争と軍人遺族-松井昇の絵- 田中日佐夫
20  明治後期の地主の寄生性 西田美昭
21 張作霖爆殺事件の写真は「陰惨」か 江口圭一
22  日独防共協定締結の動機 木畑洋一
23  抗日戦争における中国民衆の役割 石島紀之
24 日ソ中立条約締結と関特演 荒井信一
25  戦前の国家主義思想と国史教科書 岩井忠熊
26  太平洋戦争は「無謀」ではなかったのか 安田浩
27 清沢 冽日記と戦時下の民衆 今井清一
28  学童疎開の目的 逸見勝亮
29  傷痍軍人の写真は残酷か 若桑みどり
30 戦時下の科学 三宅明正
31  労働運動の抑圧とその記述-下山・松川事件 竹前栄治
32  米軍「施設」とは「基地」ではないのか 古関彰一
33 「再軍備に反対する人々」と憲法の擁護 古関彰一
34 デモの写真は子供に悪影響をあたえるか 古関彰一
35 核兵器の「洗礼」-政治的言語の操作- 佐々木隆爾
1980年12月15日東京高裁 証言
平田嘉三(元文部省教課調査官、広島大学教授)
36 六〇年安保闘争は全国的運動ではなかったのか 梅田欽治
三・一六最高裁判決と歴史学-あとがきにかえて

 

田沼肇全活動

『田沼肇全活動 付・田沼肇著作集DVD』(田沼肇全活動・著作集編集委員会編・刊、日本評論社(発売)、20080704)

内容

006 はじめに
1部
010 田沼肇 全活動 著作・執筆年表 10
田沼肇の執筆活動について  83
〔付記〕民主主義科学者協会(民科)の活動 90
藤新太郎
田沼肇について  92 上田誠吉
慎獨寮時代  97 高野源明
調査統計局のなかま  105 浅野径
田沼肇 略年譜 田沼肇 アルバム 110
田沼さんの優しさと強さ  114 橋本進
2部
120 労組、民主的組織の講師・助言者活動など
田沼先生と私  142 伊藤和子
千葉県職労女性部と田沼先生  144 藤しず江
「現代社会研究所」をつくられた頃  146 三階泰子
忘れ得ぬ「二つのこと」  149 葛岡章
田沼先生から教わったこと  151 前田啓一郎
154 原水爆禁止・被爆者援護・第五福竜丸保存の活動
「被爆者とともに」の運動  164 赤松宏一
被爆者とともにあることの意味  168 山村茂雄
「被爆者を友人に」の言葉をかみしめて  175 安田和也
人生を決めた出会い  177 伊藤直子
長崎の被爆者に聞く 179
186 日本フィル・日本ふぃる協会闘争支援
「ハート」を大事にした人 198
200 平和と革新をめざす東京懇話会の活動
この手に革新統一を!  206 角倉洋子
210 田沼肇の学究生活について 竹下睿騏
 研究所研究員として 210
大学教員として 212
大学紛争の解決をめざして 213
学部長として多摩移転に取り組む 216
教務関係のの仕事も 220
二つの組合の役員として 221
兼務校での仕事その他 229
むすびにかえて 230
232 田沼肇先生の研究業績について 嶺学
 1 調査統計論 232
2 階級構成論 234
3 社会政策・労働問題一般 235
4 労働運動史 236
239 「二世」の息苦しさ 田沼正平
244 肇さんありがとう 田沼祥子
254 あとがき

 

 

私の中の平和と人権

『私の中の平和と人権』(田沼肇、草の根出版会、19950530)

内容

 初出  年
序にかえて(上田誠吉)
1 戦争と私
青山暮色 青山師範附属小学校同窓会「つくし」卒業30周年記念号 1976
「私たちの時代」と言えること 学協運動 1981
『戦争責任』に想う 全国革新懇ニュース 1983
2 被爆者とともに
原爆被爆者の現状 日本原水協の英文機関誌 No more Hiroshimas’ 1982
大阪の被爆婦人たちのねがい 「文化評論」9月号 1975
被爆者に励まされて 「現実と文学」10月号 1964
被爆者の苦しみを思う 「民主文学」8月号 1966
みなさんの健康を願いつつ 大阪市原爆被害者の会『被爆婦人の集い』第3集 1971
返還直後の沖縄にて 日本原水協「6・9行動ニュース」 1973
被爆者救援運動と故・峠一夫さん 『民医連医療』9月号 1981
3 ビキニ水爆実験被災から
ビ十二水爆実験被災から 日本原水協「日本と本半洋が核戦場になる」 1984
第五福竜丸の値段 「福竜丸」だより 1986
ビキニ水爆被災の全容 「平和新聞」 1983
第五福竜丸と故・広田重道氏 「赤旗」 1982
4 核兵器と人類の未来
「原爆」と「原発」 「日高教情報」 1987
被爆者は実験のために使われた No  more Hiroshimas’ 1983
 
「憤りにまかせて」という論理  「原水協通信」  1975
核兵器廃絶はなぜ必要か  「草の根から革新の風を」  1983
人類は核戦争によって自滅するか  岩波書店『これからどうなる』  1983
「平和とは戦争がないことか」 「赤旗」 1981
非核自治体宣言の意義と地方自治 『平和教育』 1984
教科書の核・平和問題の記述を読む われら高校生 1986
5 草の根からの平和運動
 母親運動と平和の問題  母親新聞  1975
原水爆禁止運動と社会科学者の立場 東京理科大学新聞 1960
高校生の平和ゼミ 原水協通信 1983
唐津原水協を訪ねて 原水協通信 1983
企業社会と平和運動  平和運動  1992
6 歴史と文化と学問と
三井三池争議の教訓 教育大学新聞 1960
人間らしく働くということ 労働旬報社「わたしの選択あなたの未来」 1986
払の余暇 『前衛』7月号 1979
松川事件と映画 わかもの 1960
労働者と学問 労働 生活 学習 1968
7 病を得て想うこと
車椅子から見た社会問題  1994
原爆被害者援護法への道のり 1994
あとがき
初出一覧