日本海軍と原子力(浅田常三郎)1964年9月9日
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日本海軍と原子力(浅田常三郎)1964年9月9日
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黒田秀俊
くろだ・ひでとし | 19050415生19890614没 | 享年84 | 元原水協事務局長。1955年当時、原水協結成に尽力。『広島県史 原爆資料編』に日記・メモの一部を掲載。 |
資料年表:黒田秀俊
年月日 | 事項 | 備考 |
1905 | ||
0415 | 生 | |
1957 | ||
0725 | 『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 第2分冊』(原水爆禁止日本協議会) | |
黒田「あとがき」…374 | ||
1958 | ||
0415 | 『平和日本 322号』(日本平和委員会) | |
(対談)風雪にたえて 櫛田ふき・黒田秀俊 18 | ||
0501 | 『平和日本 323号』(日本平和委員会) | |
世界をゆるがした核実験の停止(座談会)平野義太郎・新名丈夫・岡倉古志郎 司会=黒田秀俊 3 祖国の土をまもって(対談)山西きよ・黒田秀俊 18 |
||
1963 | ||
0501 | 『現代の眼 4巻5号』(現代評論社) | |
黒田「原水禁運動分裂の背景」 101 | ||
1964 | ||
0301 | 『現代の眼 5巻3号』(現代評論社) | |
黒田「日本原水協始末記」 142 | ||
1965 | ||
0701 | 『月刊新世界』(新世界社) | |
黒田秀俊「原水禁運動の問題点について」12 | ||
1966 | ||
0201 | 『世界 第243号』(岩波書店) | |
読者の頁 /黒田秀俊(237)/ | ||
0901 | 『総合ジャーナリズム研究 第3巻9号通巻25号』(総合ジャーナリズム研究所) | |
図書室 青山憲三「黒田秀俊著「昭和言論史への証言」」 67 | ||
1969 | ||
0801 | 『思想の科学 No.91』(思想の科学社) | |
黒田秀俊「大学闘争と報道者の立場」82 | ||
1972 | ||
0331 | 『広島県史-原爆資料編』(広島県) | |
1973 | ||
1124 | 『東京大空襲・戦災誌 第4巻』(東京空襲を記録する会) | |
黒田秀俊「灰色の焦土に立ちて 」 974 | ||
1974 | ||
0610 | 黒田『南京・広島・アウシュヴィッツ』(太平出版社) | |
1975 | ||
1101 | 『平和教育研究 広島平和教育研究所・年報 Vol.3 』(広島平和教育研究所) | |
黒田秀俊「原水爆禁止運動を中心とした平和運動史の一考案」 35 | ||
1976 | ||
0131 | 『知識人・言論弾圧の記録 昭和史の発掘』 | |
1979 | ||
0420 | 『昭和軍閥 軍部独裁の20年』(図書出版社) | |
1986 | ||
0805 | 『もの言えぬ時代 回想の戦時ジャーナリズム受難記』(図書出版社) | |
1987 | ||
0201 | 『マスコミ市民 No.221.222』 | |
黒田秀俊「権力と言論」 68 | ||
1989 | ||
0614 | 没。享年84歳 | |
1999 | ||
0625 | 『日本原爆論大系 第4巻 核兵器禁止への道』 | |
黒田秀俊「原水協にまつわる黒い影」200 | ||
止
『井上ひさしの言葉を継ぐために』(井上ひさし[ほか]著、 岩波書店、20101208)
内容
大江健三郎 | 井上さんの魂に伝えたいこと 2 | |
奥平康弘 | 平和のメッセンジャー、作家井上ひさし 13 | |
井上ユリ | 井上ひさしの言葉と継ぐために 20 | |
梅原猛 | 永久平和のために 21 | |
鶴見俊輔 | 未来の人たちへ 23 | |
澤地久枝 | 元気なモグラでいるために 24 | |
井上ひさし | 原爆とはなにか 33 | |
核分裂/広島/空襲がない都市/本土決戦/原爆投下/火の玉の威力/手記の地獄図/目に見えない放射能/日本人の役目/園井恵子の被爆死/だまし討ちの連続/核弾頭5万発/日本の指導層の責任/日本の核状況/日本国憲法の力 | ||
井上ひさし略年譜 | ||
「九条の会」アピール(2004年06月10日) |
岩波ブックレットNo.798
止4
『山代巴 中国山地に女の沈黙を破って』(小坂裕子著、家族社刊、20040720)
内容
部 | 見出し | 備考 |
はじめに | ||
1 | 山代巴―中国山地に女の沈黙を破って | |
1.序章 | ||
2.生い立ち | ||
3.闘いの中へ | ||
4.冬の底 | ||
5.戦争反省 | ||
6.呼び水 | ||
7.女のネットワーク | ||
8一語りの力、読む力 | ||
9.家族幻想 | ||
10.シスターフツド | ||
11.男たちの山代論 | ||
12.山代巴獄中手記書簡集 | ||
13.山代巴とフェミニズム | ||
Ⅱ | 座談会「女たちの山代論」 | |
(出席者)駒尺喜美・加納実紀代・牧原憲夫・高雄きくえ(聞き手小坂裕子) | ||
第3部 資料 | ||
1.小西綾さんとの出会い(語り山代巴) | ||
2.山代巴年譜 | ||
3.参考文献 | ||
おわりに |
瀬戸内寂聴
せとうち・じゃくちょう | 19220515生20211109没 | 享年92 | 小説家、天台宗の尼僧。俗名:晴美。1997年文化功労者、2006年文化勲章。 |
瀬戸内寂聴のヒロシマ史
年月日 | ||
19921012 | 今堀誠二葬儀での弔辞 | 『アジア研究半世紀の軌跡 今堀誠二遺稿集』(今堀百合子、20020509) |
竹内武
たけうち・たけし | 1928****生20050127没 | 享年77 | 元広島平和会館の相談員。被爆者手帳取得のための証人探しに尽力。 |
20010801 | 2001被爆者の伝言 竹内武さん(上)医療給付の実現、うれしかった
|
『中国新聞』(20010801) | |
1979/08/01 | 釜ヶ崎原爆被爆者の怒りと悲しみ | 釜ヶ崎原爆被爆者の会 | |
1997/04/17 | 人間銘木 藤居平一追想集 | ||
1985/05/27 | ひろしまの河 | 原水爆禁止広島母の会 | |
2000/12/01 | 広島平和会館ものがたり | 原爆被害者福祉センター広島平和会館 | |
止
日野原重明
ひのはら・しげあき | 20170718 没 | 享年105歳 | 聖路加国際病院理事長。 |
日野原重明
宇吹メモ(広島女学院大学勤務期)
2005 | 10 | 20 | 12:30 | 木曜日チャペル:日野原重明(聖路加国際病院名誉院長・同理事長)「信仰・望み・愛」。出席。 |
2005 | 10 | 21 | 18 | 日野原重明・小沢征爾『世界へおくる平和のメッセージ』。広島県立総合体育館。グリーンアリーナ。参加できず。 |
2005 | 11 | 03 | 15:00 | BS2「共鳴する魂~日野原重朗・小沢征爾 世界へおくる平和のメッセージ~」。冒頭、一部分撮り損ねる。~16:40。 |
2006 | 12 | 25 | 13:30 | 日野原重朗講演会(私は欠席。1470名以上参加した由)。 |
2007 | 04 | 12 | 24 | ***から自宅に日野原の講演のチケットの礼の電話があった由。 |
2009 | 07 | 10 | 10:40 | 日野原先生講演会。不参加。 |
2010 | 05 | 27 | 15:00 | 日野原講演会。不参加。参加者は1200人あった由。 |
柿手春三年譜<作業中>
年月日 | |||
1909 | |||
0316 | 広島県双三郡三良坂村で誕生。 | ||
1921 | |||
04 | |||
1991 | |||
05 | 三良坂平和美術館へ油絵62点(自己作品45点、所有作品21点)、素描外160点、オブジェ20点を寄贈。 | ||
0630 | 『柿手俊三受贈記念誌』 (三良坂平和美術館(刊)) | ||
1993 | |||
0204 | 没。享年83歳。 |
止
黒川万千代
くろかわ・まちよ | 1929生20110217没 | 享年81 | 旧姓富永。広島女専1年生のとき校内で被爆。日本被団協事務局次長など。 |
著書など
書名 | 編・著者(発行所) | 備考 | |
1976/08/06 | 原爆の碑 広島のこころ | 黒川万千代 | |
1981/04/29 | いのちある限り 被爆者運動35年のあゆみ | 神奈川県原爆被災者の会 | |
1982/04/30 | 「アンネの日記」への旅 | 黒川万千代著(労働旬報社) | |
1982/07/15 | 原爆の碑 広島のこころ | 黒川万千代著(新日本出版社) | |
1983/02/25 | 猫ちゃんは帰らない 何よりも平和を | 黒川万千代(民衆社) | |
1983/08/20 | 原爆を裁く | 東京都原爆被害者団体協議会編(労働教育センター) | |
1984/01/01 | 総合学習「ヒロシマ」 和光小学校の実践 | 和光学園教育実践シリーズ出版委員会(明治図書出版) | |
1984/06/30 | 世界の反核運動 | 佐藤昌一郎著編(新日本出版社) | |
1988/04/22 | 核抑止か核廃絶か | 非核の政府を求める会 | |
1988/06/20 | 鳩の使いの旅 広島のこころを世界へ | 黒川万千代著(新日本出版社) | |
1991/11/16 | 明日を創る 婦人民主クラブと私 | 婦人民主クラブ | |
1998/04/11 | ヒロシマの女たち 続 | 広島女性史研究会編著(ドメス出版) | |
2001/04/10 | 核のない21世紀を ヒロシマからのメッセージ | シネ・フロント社 | |
2002/09/20 | 原水爆禁止2002年世界大会の記録 核兵器のない平和で希望ある世界を | 原水爆禁止世界大会実行委員会 | |
2007/08/06 | 原爆被災証言記 忘れられた学徒たち | 県立広島女子大学同窓有志、広島県立広島第二高等女学校同窓有志 | |
坪井直追悼(新聞コラム要約)
掲載日 | < 紙名(コラム名)>要約 |
20211029 | <朝日(天声人語)>オバマ大統領、ネバーギブアップ。 |
20211029 | <中国(天風録)>毎年の賀状〈九十才代でお迎えが来たら、も少し待ってくれと泣きつこう/百才になってお迎えが来たら、そろそろOKしようかなと思う/平和の仕事が残っている。も少し生かしてほしいね〉。日本被団協代表委員。96歳での訃報。「ヒロシマの顔」。20歳で被爆。オバマ氏と対面。 |
20211029 | < 赤旗(潮流)> 当時20歳の学生「アメリカの野郎、よくもやったな。このお返しは、きっとするぞ」。御幸橋のたもとで記した「坪井はここに死す」。遺言のつもりが周りの人から助けられ、その恩返しと命のありがたさが被爆者運動の原点。みずから「ピカドン先生」。96歳の生涯で入退院を10回以上、抱えるがん二つ。その遺志を受け継ぐ人々のたたかいはこれからも。彼の締め言葉のように「ネバーギブアップ」。 |
20211031 | < 毎日(余録)>坪井直:20歳で被爆、60歳で教員を退職、79歳2005年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の際ニューヨークで4万人デモの先頭に立つ。91歳広島を訪れたオバマ氏に語りかける、4年前に冊子「にんげん坪井直 魂の叫び」を作る。96歳で亡くなるまで「ネバーギブアップ」を貫いた坪井さん。その精神を受け継ぐことが鎮魂の道。 |