千田書房(店主=山崎与三郎)
やまさき・よさぶろう | 19760704没 | 享年86 |
資料
広島大学原医研資料 20201030撮影 | |
千田書房(店主=山崎与三郎)
やまさき・よさぶろう | 19760704没 | 享年86 |
資料
広島大学原医研資料 20201030撮影 | |
『原水爆禁止運動』(今堀誠二、潮出版社、19740625)
目次
第*回大会 | タイトル<初出掲載誌紙> |
プロローグ | |
原水禁運動の発足 | |
杉並アピール | |
見殺しにされた被爆者 | |
被爆者救援運動の発足 | |
1 | 三千二百万人の国民運動の進展 |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』187号(195509)> | |
八月六日の回想 | |
発言の本音 | |
被爆者の生活と意見 | |
科学者の責任 | |
救援運動の出発 | |
基地闘争への賛否 | |
ヒロシマ・アピール | |
歴史学研究会の問題点 | |
歴史をになうもの | |
2 | 被爆者・全国民・全世界との連帯が高まる |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』200号(195610)> | |
世界を動かしたヒロシマ | |
世界の連帯 | |
進む戦争準備 | |
沖縄問題 | |
再軍備への告発 | |
被爆者救援運動との結合 | |
原子力の平和利用と大衆 | |
大衆運動の進め方への反省 | |
3 | 地方原水協の強化と中央および国際組織の空転 |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』211号(195709)> | |
台所までもち込まれた運動 | |
専門家の告発 | |
歴史家は何をすべきか | |
六大陸にひろがった原水禁運動 | |
原水爆戦争体制との対決をうち出す | |
会議は空転する | |
全学連の誤謬 | |
大会決定の成果と不安 | |
問題点のかずかず | |
組織と理論に重大な欠陥 | |
4 | 日本の非核武装化にたちむかうために |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』223号(195709)> | |
岸内閣を助けた原水協 | |
ICBMの評価を誤る | |
欧米で核兵器反対運動高まる | |
平和行進 | |
原爆の加害国化する日本 | |
統一戦線 | |
日本の核武装 | |
空転する討論 | |
中国・朝鮮への差別 | |
運動の進め方への反省 | |
難航した国際会議 | |
実験禁止から核武装反対へ | |
原水協を全国民のものに | |
5 | 原水禁運動の正しい道と左右の日和見主義 |
<初出掲載誌紙:『歴史評論』110号(195910)> | |
原水禁運動のマニフェスト | |
一千万人の平和行進 | |
自民党の妨害工作 | |
安保改定と原水禁運動 | |
大会からの脱退者 | |
左右の日和見主義者 | |
6 | 戦う平和運動の目標は軍備全廃か冷戦終結か |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』246号(196010)> | |
二千二百万人の平和行進 | |
平和の敵は誰か | |
平和運動における二大潮流 | |
人類の導きの星 | |
日本と沖縄での戦いの報告 | |
大会の混乱と成果 | |
軍備全廃か冷戦終結か | |
7 | 帝国主義時代の平和理論と原水爆時代の平和理論 |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』257号(196109)> | |
謀略工作 | |
平和運動における西欧方式とAA方式 | |
AA地域別会議流れる | |
本会議でのかけひき | |
大会決議のおもてうら | |
原水爆時代の平和理論 | |
大衆の平和運動 | |
両派の自己批判と運動の進展 | |
8 | 社・共両党の激突と大衆の統一への願い |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』269号(196210)> | |
矛盾の中で | |
総評まかり通る | |
あらゆる核実験に抗議する問題 | |
核戦争の元凶は誰か | |
幅広い運動か、反帝政治闘争か | |
原水協の「内乱」と統一のエネルギー | |
9 | 国民運動の崩壊と再生への四つの芽 |
<『思想の科学』19号(196310)> | |
宗平協―国民運動をはぐくむもの | |
地方原水協の活動 | |
原水協、国民を無視 | |
大会準備のなかでー国民運動にそむくもの | |
大会のうらおもて―国民運動の崩壊劇 | |
大会懇談会の諸報告―国民運動の新しい芽 | |
すべての地域と職場に原水協をつくろう | |
10 | 毛沢東理論からみた日本原水協批判 |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』299号(196504)> | |
原水禁運動と私 | |
毛沢東の平和理論の問題点 | |
中ソ対立と原水禁運動 | |
民族解放運動との接点 | |
資本主義国の平和運動の意義 | |
統一戦線への整風運動 | |
日本の平和運動の性格 | |
広島の平和運動の性格 | |
原水協はその基本原則で再統一を | |
核兵器のない世界をめざして | |
<『聖教新聞』1973年2月21日~28日> | |
日本の安全はどうして守るのか | |
平和運動のゆくえ | |
新しい平和の条件 | |
国際連合の将来 | |
あとがき | |
原爆体験記読書会
呼び掛け人:田原幻吉・宇吹暁
全11回(198604~198703)
|
|||
回 | 月 | 日 | 出席者 |
1 | 04 | 08 | 「絶後の記録」
参加者:大野・中川・豊永・宮道・舟橋・冨沢・春日・羽原・内田・宇吹・田原 |
2 | 05 | 13 | 参加者:中川・若林・江崎・豊永・宮道・冨沢・羽原・内田・渡辺・宇吹・田原 |
3 | 06 | 10 | 「原爆の子」。
参加者:大野・若林・江崎・豊永・宮道・舟橋・宇吹・田原 |
4 | 07 | 08 | 参加者:大野・中川・豊永・羽原・内田・宇吹・田原 |
5 | 09 | 09 | 「星は見ている」。
参加者:大野・若林・江崎・豊永・舟橋・宇吹 |
6 | 10 | 14 | 参加者:大野・若林・舟橋・内田・宇吹・田原 |
7 | 11 | 11 | 「天よりの声」。
参加者:中川・豊永・舟橋・内田・宇吹・田原 |
8 | 12 | 09 | 「もうひとつのヒロシマ」。
参加者:中川・若林・江崎・豊永・舟橋・羽原・内田・宇吹・田原 |
9 | 01 | 13 | 参加者:若林・江崎・舟橋・内田・渡辺・宇吹・田原 |
10 | 02 | 10 | 参加者:江崎・豊永・宮道・内田・宇吹・田原 |
11 | 03 | 10 | 参加者:大野・若林・豊永・宮道・舟橋・羽原・内田・島津・宇吹・田原 |
ヒロシマは問う(「ヒロシマは問う③」『朝日新聞』連載)
幻の原爆白書 作製の熱意、国になし 死者数も不明確なのに | |
40年8月6日、首相官邸で、世界平和アピール七人委員会から原爆被災白書づくりなどの陳情を受けた佐藤首相。 「私のオイも、広島で原爆を受けて死んだ。原爆は大事な問題だと思う。あらゆる手をつくすよう関係の大臣に指示する」 |
|
役所やめ資料集め 口先だけの「調査」 苦闘の記録も廃棄 | |
<写真キャプション> 「ひとつでも多くの惨禍の物証を」 ――足で集め回った被爆資料を整理する田原さん。が、貴重な文献類が生かされる日はいつくるのか。むなしい気持ちに襲われることもある。 |
|
参考資料「広島・長崎は問う<2>幻の白書」(197007**) | |
<写真キャプション追加>「広島平和記念資料館で」 | |
原爆資料の収集と保存を考える(今堀・山崎・田原)
中国新聞連載
年月日 | |
19680307(上) | 今堀誠二 |
特質無視のウ報告 資料の不足で迫力欠く 原爆被災資料広島研究会への期待 | |
19680308(中) | 山崎与三郎(原爆資料保存会幹事) |
原爆資料の重要性 体験と実証で平和を 年とともに困難さ増す | |
19680308(下) | 田原伯(原爆文献研究家) |
個人の体験からの発言 分類・整理が急務 独力で一万点を集める | |
気違い扱いの十年 | |
10年余り前、それまでの務めをやめて、ただ原爆資料の収集に全生活を当てたので私は「原キチ」と呼ばれ、変り者扱いにされてきた。 | |
現在約一万点の原爆資料を集めることができた。 | |
資料不備な図書館 | |
全国の古本屋捜し | |
整理・研究が日課 | |
収集三原則と分類 | |
これは田原氏の談話をまとめたものである。 |
『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)
章 | 節 | |||
Ⅴ | 崩れぬ平和をかえせ | |||
あるブルジョアの一家 | ||||
三吉の少年時代 | ||||
原爆の日より | ||||
広島日鋼争議 | ||||
平和大会と「われらの詩」 | ||||
朝鮮戦争への抵抗 | ||||
砲声下の原爆詩集 | ||||
平和運動の組織化へ | ||||
美しい生涯と原爆症 | ||||
生きている峠三吉 | ||||
Ⅵ | 朝鮮戦争に抗して | |||
1 | 原爆禁止運動の烽火 | |||
原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について | ||||
2 | ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ | |||
広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、 | ||||
3 | 流星光底長蛇を逸す | |||
マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、 | ||||
4 | 冬の旅を行く | |||
Ⅶ | 人命は冷戦より尊い | |||
1 | 原水協のうまれるまで | |||
ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、 | ||||
2 | 輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会 | |||
10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、 | ||||
3 | 原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会 | |||
世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、 | ||||
4 | フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会 | |||
地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、 | ||||
5 | 東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会 | |||
総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、 | ||||
6 | 東西融和の促進と安保改訂-第五回大会 | |||
原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、 | ||||
7 | 世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動 | |||
ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人 | ||||
Ⅷ | 新紀元は始まる | |||
一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる | ||||
あとがき | ||||
上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。 下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。 |
||||
運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。 | ||||
しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。 | ||||
今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。 | ||||
本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。 |
『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)
章 | 節 | 登場人物 | 備考 | |
Ⅰ | ピカドンに死なず | |||
幽鬼の町ヒロシマ | ||||
今堀誠二 | 山口県の西北海岸、一兵士。 | |||
古賀八重子 | ||||
少国民の最後 | ||||
「菩提樹」をうたう少女 | ||||
敗戦を飾る犠牲者の美 | ||||
世界の良心は告発する | ||||
ピカドンに屈せず | ||||
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。 | ||||
Ⅱ | 占領軍に屈せず | |||
1 | 第二の誕生 | |||
「生ましめん哉」 | ||||
栗原氏と「中国文化」 | ||||
栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹 | ||||
プレスコード下の最初の刊行物 | ||||
『中国文化』創刊号 | ||||
ヒロシマは歴史の証人 | ||||
2 | ざんげの道 | |||
悲嘆の日記「さんげ」 | ||||
トマトをめぐる母子の悲歌 | ||||
守られた非合法出版物 | ||||
死の商人のざんげ | ||||
地球を動かす支点 | ||||
警告ビラは回収された | ||||
3 | 無欲の顔 | |||
村にきたジープ | ||||
原爆について語るな | ||||
作家の眼がとらえた「屍の街」 | ||||
無欲顔貌 | ||||
人間の精神はボロになった | ||||
平和をかえして下さい | ||||
いまだ癒えぬ傷あと | ||||
4 | 原爆エレジー | |||
原子野に咲いた「夏の花」 | ||||
壊された詩碑 | ||||
忘れかけたあの日の記憶 | ||||
「長崎の鐘」 | ||||
原爆エレジーの流行 | ||||
5 | よみがえった記録映画 | |||
映像になった記録 | ||||
占領軍の撮影禁止 | ||||
生きていたプリント | ||||
公開された被爆写真 | ||||
6 | 科学者の道 | |||
廃墟に芽ばえた国民の科学 | ||||
災害調査はじまる | ||||
奇病の発生第二期症状 | ||||
病理へ振るうメス | ||||
全滅した劇団「桜隊」 | ||||
都築氏の活躍 | ||||
世界最初の原爆症講演会 | ||||
原爆症救護病院 | ||||
山津波にのまれた京大班 | ||||
災害調査研究特別委員会 | ||||
きびしい原爆の秘密保持 | ||||
撤去された研究施設 | ||||
原爆はGHQのタブー | ||||
終戦の日に始った原爆戦争の準備 | ||||
恐るべき後遺症 | ||||
原爆症とは何か | ||||
被爆者はABCCのモルモットか | ||||
原爆禁止は科学者の道 | ||||
Ⅲ | ノー・モア・ヒロシマ | |||
1 | 原爆は戦争ではない | |||
広島に向った青い眼の記者 | ||||
死臭と敵意の中で | ||||
ヒロシマからの報告 | ||||
人類よ!広島をくり返すな | ||||
原爆患者の存在を抹殺 | ||||
勝利した官製ニュース | ||||
二つの原爆処理方式 | ||||
科学者の「十字軍」 | ||||
2 | 人道主義と反戦主義 | |||
全米を震撼させた実話小説 | ||||
「ヒロシマ」の主人公たち | ||||
人道主義の原爆否定 | ||||
同情はごめんだ | ||||
アメリカの盲点 | ||||
世界連邦主義 | ||||
ピース・センターと精神養子 | ||||
原爆乙女の厚生 | ||||
憤激をかったルーズベルト夫人 | ||||
原爆乙女は立証する | ||||
3 | 平和祭 | |||
広島平和復興祭 | ||||
46・7年の世界の動き | ||||
マ元帥の教書と「平和宣言」 | ||||
原爆をとりあげたアメリカの新聞 | ||||
8・6をカーニバルにするな | ||||
世界でもたれたヒロシマ・デー | ||||
貧弱だった「原爆否定の研究室」 | ||||
平和こそ女性の幸福の源 | ||||
原爆外交と広島の復興 | ||||
大衆から浮いた平和祭 | ||||
4 | 偏見を乗り越えて | |||
東洋にかけるアメリカの橋 | ||||
クエーカーの絶対平和主義 | ||||
シュモー氏の「広島の家」 | ||||
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ | ||||
神よ平和を来らし給え | ||||
むずかしい平和住宅の運営 | ||||
ブ夫人の公民館 | ||||
平和運動を離れた「広島の家」 | ||||
平和精神をうらづけるものは何か | ||||
シュ氏のピントの甘さ | ||||
ブ夫人への一票は原爆防止の一票 | ||||
Ⅳ | 過ちは繰返しませぬ | |||
殴殺されたアメリカ兵 | ||||
恩讐を越えた供養塔 | ||||
原爆で死んだ異国の人 | ||||
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから | ||||
あとがき |
『「原爆の図」くまもと展記録集』(「原爆の図」くまもと展記録集編集委員会編、「原爆の図」くまもと展実行委員会、19850301)
目次
頁 | 見出し | |
002 | [はじめに]1984年1月 | 「原爆の図」くまもと展実行委員会 |
003 | グラビア | |
004 | グラビア「原爆の図」くまもと展 1984年7月30日(月)➡8月」5日(日) | |
006 | くまもと展へのメッセージ | 丸木位里・丸木俊 |
010 | 連帯メッセージ | 石川保夫(原爆の図・丸木美術館事務局長) |
011 | 京都展 7月13日➡7月22日 京都市立美術館 | 石田紀郎(丸木位里・丸木俊「原爆の図」を見る会事務局長) |
014 | 実行委員の感想 私にとっての「原爆の図」くまもと展 | |
二度とくり返さないために (江崎啓子・熊本YMCA ) 真実を伝え、平和を築くために (永野輝全) 創りつつ育てていく平和(竹熊千栄子) リンゴの木を植えつづけること(神田公司) 自分の感覚で真の市民参加(砂岡憲喜 ) 戦争を考える一つのきっかけ( 神谷弘子 ) 夏の情熱から秋の実りへ( 成毛克美 ) いのちを守るための運動(新井正子) 私が抱えてやらねば… (藤本寿子) 熱い「原爆」の夏 (開安紀子) 「しまった ─!」コンサート (会沢剛也 ) 未来を背負う子供達と共に!( 相沢いく子 ) 会場整理係のイスの上で( 坂梨勝一 ) 「原爆の図」展を学内活動の糧に( 重永剛志) 「ノーモア」、さけびつづけなければ (徳丸亮子 ) 一人一人の殻を破って (上村邦彦) 若い人達と共に掴んだ「大きな課題」 (中沢順子) 日常に中で反戦運動を( 植村仁美 ) 人間の顔が見える運動 (迫和久 ) むじな (中川寿子) すっぽり抜け落ちた学生( 草間康弘 ) 今、生きていること (坂田幸二) 「からす」の前で (高倉美和 ) 病院を脱け出して観覧(松田健二) 平和運動を前進させる( 柴田徳義 ) 未だ見ぬ「原爆の図」に捧ぐ( 榎田弘) 静かに燃え続けている反戦・反核の火 (高橋章夫) 成功の要因 (中川周三) おんな達よ、こだわりつづけよう( 須藤久仁恵) 反戦・平和を願いつづける子供らに (坂本恵子 ) どくだみの花 「原爆の図展」におもう (河上洋子 ) ただ今、クマモト戦争中! (古園学 ) 平和の中で生命をはぐくむ (古閑和子 ) ほとばしる平和への願い(瀬上拡子 ) いのち( 久保田伸子 ) 平和運動の教訓に(今泉克己 ) 子供達と参加した原爆展( 山野幸司 ) | ||
052 | くまもと展に関する新聞報道スクラップ | |
066 | 丸木夫妻を迎えて オープニングのつどい | 県立劇場大会議室 |
067 | 丸木位里さんのお話 | |
070 | 丸木俊さんのお話 | |
084 | 質問に応えて | |
099 | ドキュメント 熱い、熱い8日間― | 神田公司(原爆の図くまもと展事務局) |
108 | アンケート集約 6776枚のアンケートから | |
130 | 高校生の反核シンポジウム 報告 | |
136 | 平和のためのシンポジウム :平和への限りない願いを、熊本での豊かな潮流とするために | |
145 | 平和のためのシンポジウム :「原爆の図」くまもと展の閉幕にあたって | |
146 | 座談会:女たちが支えた「原爆の図」くまもと展 | |
166 | くまもと展のあ・ゆ・み 1983・11月→1984・8月 | |
170 | 京都・熊本・長崎 原爆の図展共同アピール | |
171 | 原爆の図くまもと展ニュース | |
171 | 1号(19840118) | |
175 | 2号(19840213) | |
179 | 3号(19840309) | |
183 | 4号(19840507) | |
187 | 5号(19840607) | |
191 | 6号(19840701) | |
199 | くまもと展ちらし | |
201 | 講演会ちらし | 関屋綾子さんと「原爆の図」を語る集い(6月17日) |
202 | ポスター | |
203 | 会計報告 | |
205 | 「松木美術館友の会」の呼びかけ | |
206 | 呼びかけ人 | |
207 | 後援団体 | |
207 | 賛同団体 | |
210 | 賛同者名簿 | |
228 | 編集後記 |
丹下健三
たんげ・けんぞう | 19130904生20050322没 | 享年91 | 建築家。 |
本
書名 | 編著者 | 発行所 | 発行年 | 備考 |
平和記念広島カトリック聖堂建築競技設計図集 | 広島カトリック協会編 | 洪洋社 | 19490615 | |
広島平和記念館と丹下健三 | 山崎荒助 編 吉田道郎 英訳 | 三友社出版 | 19800806 | |
松重美人「世界の記録写真」をめぐって
記事見出し
世紀の記録写真 米誌が全世界へ紹介
生きている”死せるカメラマン”
『夕刊ひろしま』1946年7月6日第2面(広島県立文書館蔵)
出典:『禁じられた原爆体験』(堀場清子、岩波書店、19950623)pp.57-71