「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

原爆体験記読書会(198604~198703)

原爆体験記読書会
呼び掛け人:田原幻吉・宇吹暁
全11回(198604~198703)

原爆体験記研究会1986a

 

出席者
1 04 08 「絶後の記録」

参加者:大野・中川・豊永・宮道・舟橋・冨沢・春日・羽原・内田・宇吹・田原

2 05 13 参加者:中川・若林・江崎・豊永・宮道・冨沢・羽原・内田・渡辺・宇吹・田原
3 06 10 「原爆の子」。

参加者:大野・若林・江崎・豊永・宮道・舟橋・宇吹・田原

4 07 08 参加者:大野・中川・豊永・羽原・内田・宇吹・田原
5 09 09 「星は見ている」。

参加者:大野・若林・江崎・豊永・舟橋・宇吹

6 10 14 参加者:大野・若林・舟橋・内田・宇吹・田原
7 11 11 「天よりの声」。

参加者:中川・豊永・舟橋・内田・宇吹・田原

8 12 09 「もうひとつのヒロシマ」。

参加者:中川・若林・江崎・豊永・舟橋・羽原・内田・宇吹・田原

9 01 13 参加者:若林・江崎・舟橋・内田・渡辺・宇吹・田原
10 02 10 参加者:江崎・豊永・宮道・内田・宇吹・田原
11 03 10 参加者:大野・若林・豊永・宮道・舟橋・羽原・内田・島津・宇吹・田原

ヒロシマは問う(田原伯197107)

ヒロシマは問う(「ヒロシマは問う③」『朝日新聞』連載)

幻の原爆白書 作製の熱意、国になし 死者数も不明確なのに
40年8月6日、首相官邸で、世界平和アピール七人委員会から原爆被災白書づくりなどの陳情を受けた佐藤首相。
「私のオイも、広島で原爆を受けて死んだ。原爆は大事な問題だと思う。あらゆる手をつくすよう関係の大臣に指示する」
役所やめ資料集め 口先だけの「調査」 苦闘の記録も廃棄
<写真キャプション>
「ひとつでも多くの惨禍の物証を」
――足で集め回った被爆資料を整理する田原さん。が、貴重な文献類が生かされる日はいつくるのか。むなしい気持ちに襲われることもある。
a197107b2
参考資料「広島・長崎は問う<2>幻の白書」(197007**)
a197107a2<写真キャプション追加>「広島平和記念資料館で」

 

原爆資料の収集と保存を考える(今堀・山崎・田原)

原爆資料の収集と保存を考える(今堀・山崎・田原)

中国新聞連載

年月日
19680307(上) 今堀誠二
特質無視のウ報告 資料の不足で迫力欠く  原爆被災資料広島研究会への期待
19680308(中) 山崎与三郎(原爆資料保存会幹事)
原爆資料の重要性 体験と実証で平和を 年とともに困難さ増す
19680308(下) 田原伯(原爆文献研究家)
個人の体験からの発言 分類・整理が急務 独力で一万点を集める
tahara19680309
気違い扱いの十年
 10年余り前、それまでの務めをやめて、ただ原爆資料の収集に全生活を当てたので私は「原キチ」と呼ばれ、変り者扱いにされてきた。
現在約一万点の原爆資料を集めることができた。
資料不備な図書館
全国の古本屋捜し
整理・研究が日課
収集三原則と分類
これは田原氏の談話をまとめたものである。

 

原水爆時代(下)

『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)

崩れぬ平和をかえせ
あるブルジョアの一家
三吉の少年時代
原爆の日より
広島日鋼争議
平和大会と「われらの詩」
朝鮮戦争への抵抗
砲声下の原爆詩集
平和運動の組織化へ
美しい生涯と原爆症
生きている峠三吉
朝鮮戦争に抗して
1 原爆禁止運動の烽火
原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について
2 ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ
広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、
3 流星光底長蛇を逸す
マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、
4 冬の旅を行く
人命は冷戦より尊い
1 原水協のうまれるまで
ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、
2 輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会
10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、
3 原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会
世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、
4 フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会
地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、
5 東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会
総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、
6 東西融和の促進と安保改訂-第五回大会
原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、
7 世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動
ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人
新紀元は始まる
 一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる
  あとがき
上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。
下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。
運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。
 しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。
今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。
本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。

 

原水爆時代(上)

『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)

 登場人物  備考
ピカドンに死なず
幽鬼の町ヒロシマ
今堀誠二 山口県の西北海岸、一兵士。
古賀八重子
少国民の最後
「菩提樹」をうたう少女
敗戦を飾る犠牲者の美
世界の良心は告発する
ピカドンに屈せず
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。
占領軍に屈せず
1 第二の誕生
「生ましめん哉」
栗原氏と「中国文化」
栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹
プレスコード下の最初の刊行物
『中国文化』創刊号
ヒロシマは歴史の証人
2 ざんげの道
悲嘆の日記「さんげ」
トマトをめぐる母子の悲歌
守られた非合法出版物
死の商人のざんげ
地球を動かす支点
警告ビラは回収された
3 無欲の顔
村にきたジープ
原爆について語るな
作家の眼がとらえた「屍の街」
無欲顔貌
人間の精神はボロになった
平和をかえして下さい
いまだ癒えぬ傷あと
4 原爆エレジー
原子野に咲いた「夏の花」
壊された詩碑
忘れかけたあの日の記憶
「長崎の鐘」
原爆エレジーの流行
5 よみがえった記録映画
映像になった記録
占領軍の撮影禁止
生きていたプリント
公開された被爆写真
6 科学者の道
廃墟に芽ばえた国民の科学
災害調査はじまる
奇病の発生第二期症状
病理へ振るうメス
全滅した劇団「桜隊」
都築氏の活躍
世界最初の原爆症講演会
原爆症救護病院
山津波にのまれた京大班
災害調査研究特別委員会
きびしい原爆の秘密保持
撤去された研究施設
原爆はGHQのタブー
終戦の日に始った原爆戦争の準備
恐るべき後遺症
原爆症とは何か
被爆者はABCCのモルモットか
原爆禁止は科学者の道
ノー・モア・ヒロシマ
1 原爆は戦争ではない
広島に向った青い眼の記者
死臭と敵意の中で
ヒロシマからの報告
人類よ!広島をくり返すな
原爆患者の存在を抹殺
勝利した官製ニュース
二つの原爆処理方式
科学者の「十字軍」
2 人道主義と反戦主義
全米を震撼させた実話小説
「ヒロシマ」の主人公たち
人道主義の原爆否定
同情はごめんだ
アメリカの盲点
世界連邦主義
ピース・センターと精神養子
原爆乙女の厚生
憤激をかったルーズベルト夫人
原爆乙女は立証する
3 平和祭
広島平和復興祭
46・7年の世界の動き
マ元帥の教書と「平和宣言」
原爆をとりあげたアメリカの新聞
8・6をカーニバルにするな
世界でもたれたヒロシマ・デー
貧弱だった「原爆否定の研究室」
平和こそ女性の幸福の源
原爆外交と広島の復興
大衆から浮いた平和祭
4  偏見を乗り越えて
東洋にかけるアメリカの橋
クエーカーの絶対平和主義
シュモー氏の「広島の家」
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ
神よ平和を来らし給え
むずかしい平和住宅の運営
ブ夫人の公民館
平和運動を離れた「広島の家」
平和精神をうらづけるものは何か
シュ氏のピントの甘さ
ブ夫人への一票は原爆防止の一票
過ちは繰返しませぬ
殴殺されたアメリカ兵
恩讐を越えた供養塔
原爆で死んだ異国の人
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから
あとがき

 

 

「原爆の図」くまもと展記録集

『「原爆の図」くまもと展記録集』(「原爆の図」くまもと展記録集編集委員会編、「原爆の図」くまもと展実行委員会、19850301)

目次

見出し
002 [はじめに]1984年1月 「原爆の図」くまもと展実行委員会
003 グラビア
004 グラビア「原爆の図」くまもと展 1984年7月30日(月)➡8月」5日(日)
006 くまもと展へのメッセージ 丸木位里・丸木俊
010 連帯メッセージ 石川保夫(原爆の図・丸木美術館事務局長)
011 京都展 7月13日➡7月22日 京都市立美術館  石田紀郎(丸木位里・丸木俊「原爆の図」を見る会事務局長)
014 実行委員の感想 私にとっての「原爆の図」くまもと展
二度とくり返さないために (江崎啓子・熊本YMCA ) 真実を伝え、平和を築くために (永野輝全) 創りつつ育てていく平和(竹熊千栄子) リンゴの木を植えつづけること(神田公司) 自分の感覚で真の市民参加(砂岡憲喜 ) 戦争を考える一つのきっかけ( 神谷弘子 ) 夏の情熱から秋の実りへ( 成毛克美 ) いのちを守るための運動(新井正子) 私が抱えてやらねば… (藤本寿子) 熱い「原爆」の夏 (開安紀子) 「しまった ─!」コンサート (会沢剛也 ) 未来を背負う子供達と共に!( 相沢いく子 ) 会場整理係のイスの上で( 坂梨勝一 ) 「原爆の図」展を学内活動の糧に( 重永剛志) 「ノーモア」、さけびつづけなければ (徳丸亮子 ) 一人一人の殻を破って (上村邦彦) 若い人達と共に掴んだ「大きな課題」 (中沢順子) 日常に中で反戦運動を( 植村仁美 ) 人間の顔が見える運動 (迫和久 ) むじな (中川寿子) すっぽり抜け落ちた学生( 草間康弘 ) 今、生きていること (坂田幸二) 「からす」の前で (高倉美和 ) 病院を脱け出して観覧(松田健二) 平和運動を前進させる( 柴田徳義 ) 未だ見ぬ「原爆の図」に捧ぐ( 榎田弘) 静かに燃え続けている反戦・反核の火 (高橋章夫) 成功の要因 (中川周三) おんな達よ、こだわりつづけよう( 須藤久仁恵) 反戦・平和を願いつづける子供らに (坂本恵子 ) どくだみの花 「原爆の図展」におもう (河上洋子 ) ただ今、クマモト戦争中! (古園学 ) 平和の中で生命をはぐくむ (古閑和子 ) ほとばしる平和への願い(瀬上拡子 ) いのち( 久保田伸子 ) 平和運動の教訓に(今泉克己 ) 子供達と参加した原爆展( 山野幸司 )
052 くまもと展に関する新聞報道スクラップ
066 丸木夫妻を迎えて オープニングのつどい 県立劇場大会議室
067 丸木位里さんのお話
070 丸木俊さんのお話
084 質問に応えて
099 ドキュメント 熱い、熱い8日間― 神田公司(原爆の図くまもと展事務局)
108 アンケート集約 6776枚のアンケートから
130 高校生の反核シンポジウム 報告
136 平和のためのシンポジウム :平和への限りない願いを、熊本での豊かな潮流とするために
145 平和のためのシンポジウム :「原爆の図」くまもと展の閉幕にあたって
146 座談会:女たちが支えた「原爆の図」くまもと展
166 くまもと展のあ・ゆ・み 1983・11月→1984・8月
170 京都・熊本・長崎 原爆の図展共同アピール
171 原爆の図くまもと展ニュース
171 1号(19840118)
175 2号(19840213)
179 3号(19840309)
183 4号(19840507)
187 5号(19840607)
191 6号(19840701)
199 くまもと展ちらし
201 講演会ちらし 関屋綾子さんと「原爆の図」を語る集い(6月17日)
202 ポスター
203 会計報告
205 「松木美術館友の会」の呼びかけ
206 呼びかけ人
207 後援団体
207 賛同団体
210 賛同者名簿
228 編集後記

 

丹下健三

丹下健三

たんげ・けんぞう 19130904生20050322没 享年91 建築家。

書名 編著者 発行所 発行年 備考
平和記念広島カトリック聖堂建築競技設計図集 広島カトリック協会編 洪洋社 19490615
広島平和記念館と丹下健三 山崎荒助 編 吉田道郎 英訳 三友社出版 19800806

 

松重美人「世界の記録写真」をめぐって

松重美人「世界の記録写真」をめぐって

記事見出し
世紀の記録写真 米誌が全世界へ紹介 
   生きている”死せるカメラマン”
『夕刊ひろしま』1946年7月6日第2面(広島県立文書館蔵)

出典:『禁じられた原爆体験』(堀場清子、岩波書店、19950623)pp.57-71

 

 

ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎の記録

『ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎の記録 』(佐々木雄一郎写真、毎日新聞広島支局編 、毎日新聞広島支局、19770701 )

内容

撮影年月日 備考
荒木武
194509 爆心
1948 原爆ドーム
<以下要入力>
ヒロシマの歩み<年表>
ヒロシマと生きて 佐々木雄一郎
ヒロシマに思う 山本皓三
編集後記 河野通宏
編集委員

ヒロシマ25年 写真記録

『ヒロシマ25年 写真記録』(佐々木雄一郎、朝日新聞社、19700730)

No. 備考
2 佐々木雄一郎
3 8本の線と1個の点
4 1 自宅付近の焼け跡
2 市電の残骸
3 義兄本田勘六宅の焼け跡
4 次兄佐々木末爾宅の焼け跡
7 原子砂漠
5 原子砂漠
8 6 爆心地
10 7 爆心地1
11 7 爆心地2
12 8 鉄分の噴き出した墓石
9 ピカドン墓
13 10 屋根のぬけ落ちた産業奨励館
14 11 爆心地下の白骨
15 閃光
15 12 石段の人影
16 13 ガスタンクの影
18 14 護国神社入口の狛犬1
15 護国神社入口の狛犬2
16 護国神社入口の狛犬3
17 避雷針の基礎の影
18 竹の火傷
19 広島城のユーカリ1
20 広島城のユーカリ2
23 爆風
21
21 御幸橋の欄干…23
22 相生橋風景… 25
23 爆心地島病院の跡…26
24 日赤病院のガラス破片…26
25 ねじれた鉄窓… 27
26/28 家屋の破損1~3…28/29
29 鉄梯子の曲った煙突
30 焼け跡
30 街の焼け跡 1~20
43 人間をかえせ
50 50 孤独な老人…43
51 はたらく原爆孤児…44
52/54 原爆浮浪児 1~3…46/48
55 孤児と修道尼…49
56 お祈りをする孤児…49
57 似島学園の女の子…50
58 先生と孤児…51
59 バラックの老夫婦…53
60 日向ぼっこの孤老
55 惨劇の証人
61 早暁の原爆ドーム…55
62/76 原爆ドーム 1~15…56/68
77 原爆ドームの碑…68
69 廃嘘のヤドカリ
78 バラックと子ども…69
79 石とトタンの家…70
80 防空壕の住居…71
81 兵営跡の市営住宅…72
82 新居と畑…72
83 バラック住い…73
84 バラックと子ども…73
85 基町のスラム…73
86/91 立ちのき 1~6…74/78
79 怒りと祈りと
92 ハトと噴水…79
93 ドームと洗たく女…80
94 写生する子どもたち…81
95 はねつきをする少女…82
96 置去りにされた石仏…82
97 工事場の群像…83
98 紙芝居屋と子ども…83
99 慰霊碑に詣でる被爆娘…84
100 読経する老人…85
101 消えていくバラック…86
102 工事場の人骨…87
103 工事の遅れた公会堂…88
104 公園建造物全景…89
105 遠足に来た生徒たち…90
106 雪の中の参詣…90
107 雨の中の参詣…90
108 ある対話…90
109 若い自衛隊員…90
110 休暇の黒人兵…90
111 暮色の公園…91
112 供養塔暮景…92
113 新春の供養塔…93
114 原爆の子の像…93
115 供養塔そばの自衛隊員…94
116/17 原爆資料館1~2…94/95
118 詩碑と少女…97
119 平和記念公園遠望…99
120 盛夏の平和記念公園…100
101 消えぬ爪あと
121 街を行く被爆者…101
122 原爆第1号のケロイド…102
123 原爆1号の店…103
124 ドームと第1号…103
125 はたらく被爆者…104
126 デパート屋上の被爆者…104
127 街に出てきた原爆乙女…105
128 発言する原爆乙女…105
129 川遊びの被爆少女…106
130 討議する被爆者代表…108
131 広島原爆病院…108
132 原爆病院の病室…111
133 原爆病院標本室…112
134/135 原爆病院病理室 1~2…112
136 原爆病院の回診風景…113
137 結び合う手…114
115 涙と叫びの夏
138 8月6日の慰霊碑…115
139 第1回平和祭…116
140 平和塔と人骨…117
141 第3回平和祭…118
142 第6回平和記念式典…119
143 過去帳奉納…120
144/151 第8回~第22回平和記念式典…121/125
152 8月6日の流燈会…126
153 ドーム前の流燈…127
154 折鶴の会の平和集会…128
155/161 8月6日の供養塔 1~7…129/133
162 涙の老女…134
163 少年と線香…134
164 動員学徒犠牲者の会…135
165 慰霊祭のあと…135
166 原水禁広島平和大会…136
167 第1回原水禁世界大会…137
168 核禁会議のタイマツ行進…137
169 平和大行進…139
170 遺影を胸に…140
171 林立する旗…141
172 ヘルメットに囲まれて…141
173 原爆病院前の平和行進…142
174 海を渡ってきた行進者…142
175 広島反戦集会…143
176 国際放射線影響学会…144
177 胎内被爆者・被爆二世を守る会結成大会…144
178 原水爆禁止科学者会議…144
179 慰霊碑前の抗議すわりこみ…144
180 第2回世界仏教徒会議…145
181 ある花束…146
147 死者をたずねて
182 原爆っ子の成人式…147
183 供養塔に眠る無縁仏…148
184 遺骨の引渡し…149
185 むなしく眠る遺骨…149
186 学徒死没者の碑…150
187 検視調書名簿…150
188 名簿を追って…151
189 探し疲れて… …151
190 あったッ!…152
191 供養塔納骨名簿…152
192 確認…153
193 喜び…153
194 祭壇上の遺骨…154
195 遺骨引渡し…154
196 悲しみ…155
197 被爆者実態調査票…156
198 被爆者調書…156
199 爆心地の復元…156
157 来訪者の顔
200 ジョセフィン・ベーカー…157
201 皇太子殿下…158
202 ザビエル順礼団…159
203 西部劇俳優ケニー・ダンカン…159
204 天皇・皇后両陛下…159
205 ヘレン・トローベル…160
206 宇野重吉…160
207 ルーズベルト夫人…160
208 ディマジオとモンロー…161
209 パルゴーザ・カルメーロ・ブラジル大使夫妻…162
210 高松宮ご夫妻… 163
211 高松宮妃…163
212 鳩山首相夫妻…164
213 原水禁世界大会ソ連代表…164
214 原水禁世界大会中国代表…164
215 ネール首相… 165
216 オーベルン・キルヘン少女合唱団…165
217 皇太子殿下ご夫妻…166
218 ハイネマン西ドイツ大統領夫妻…166
219/225 自衛隊1~7…167/172
173 不死鳥のごとく
226/275 よみがえる街々1~50…173/202
276 宇品港の引揚げ船…203
277 宇品港の外米輸入船…203
278 宇品港桟橋…204
279 ソ連観光船入港…204
205 焦土の祭典
 280 消防出初め式…205
281 相撲興行…206
282 庭球卓球競技大会…207
283 こどもまつり…207
284 広島カーブ結団式…207
285 第6回広島国体…208
286 秋祭(天神祭)…208
287 ファションショー…209
288 広島まつり…209
289 立太子式…210
290 競輪…211
291 亥の子祭…211
292 とうか祭…212
293 市民球場びらき…212
294 博覧会…213
295 X’masフェスティバル213
296 聖火リレー…214
297/309 第21回~第41回メーデー…215/222
223 声なき墓標の群れ
広島県地方木材KKの慰霊碑
225 慰霊碑
 311 雑草の中の供養塔…225
312 瓦礫の中の供養塔…226
313 広島郵便局の供養塔…226
314 広島土木出張所の供養塔…227
315 爆心地横死者の供養塔…227
316 さまざまなる供養塔…228
317 集められた供養塔…229
318 県立広島二中の供養塔…230
319 放置された供養塔…230
320 県立広島二中慰霊碑の裏面…231
321 広島二中慰霊碑の表面…231
322 広島市役所の慰霊碑除幕式…232
323 牛田町児童公園の供養塔…232
325 五日市町の慰霊碑…233
326 左官町の慰霊碑…233
327 宇品造船所の供養塔…233
328 広島女学院慰霊碑の表面…234
329 広島女学院慰霊碑の裏面…234
330 崇徳中学校の供養塔…235
331 広陵学園の慰霊碑…235
332 進徳高等女学院の慰霊碑…235
333 広鳥市高等女学校の慰霊碑…235
334 広島市造船工業学校ならびに広島市立商業学校卒業生原爆戦残者の慰霊碑…237
335 原爆の子の像の碑文…238
336 移動演劇さくら隊原爆殉難碑…238
337 慰霊碑守りの未亡人…238
239 墓標
338/351 墓標1~14…239/246
247 供物
247 352 タイ国海軍使節団の捧げた花輪
248 353 皇太子殿下の捧げた花輪
249 354 ネール・インド首相の花輪
249 355 世界連邦外国代表一行の花輪
249 356 ジョンソン駐日アメリカ特命全権大使の花軸
249 357 スポポダ・チェコスロバキア大統領の花輪
250 358 修学旅行生の献花
250 359 修学旅行生の捧げた折鶴
250 360 小学校児童の献花
251 361 センをぬいて供えられた酒
252 362 供養塔前の供物
252 363 慰霊碑前の菊の花と硬貨
253 364 新婚旅行者が捧げたブーケ
253 365 万博粉砕の千羽鶴
255 366 ヒロンマ1970年
258 広島被爆地図
260 ヒロシマの持続 大江健三郎
268 ヒロシマ年表 庄野直美・編…
279 あとがき