「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

広島は訴える 原爆広島11年の記録

『広島は訴える 原爆広島11年の記録』(小積明男<川手健?>編、発行者:吉川清、発行所:広島原爆資料出版会、19560801)

目次

見出し
002 その朝までの広島
005 運命の日、八月六日
014 原爆は平和をもたらしたか
019 魔の遺産、原爆症
045 原爆被害者の生活
069 原爆被災児の実態
082 原爆被害者の運動
103 原水爆禁止運動の発展
128 附録1 原爆障害者調査結果表(原対協発表)
132 附録2 原爆被害者の損害賠償請求起訴状
145 附録3 損害賠償請求訴訟の政府側答弁書

ピカ研の指摘により作成した正誤表

ピカ研の指摘により作成した正誤表(20200704現在)
作成:宇吹 暁

年月日 書名
19710806 広島原爆戦災誌 第1巻
19710906 広島原爆戦災誌 第2巻
19711006 広島原爆戦災誌 第3巻
216 広島中央電話局(1.0km) 広島中央電話局(500m)
19711106 広島原爆戦災誌 第4巻
888上 田原伯 幻吉
19711206 広島原爆戦災誌 第5巻
19720331 広島県史 原爆資料編
19840329 広島県史 年表
19880325 広島県戦災史 116 天主閣 天守閣
19800715 原爆被災学術資料センター蔵 原水爆関係資料目録(Ⅰ)1974年4月~1978年12月
「お国がつくる見本の本 学者用 税立図書館」
19850301 原爆被災学術資料センター 原爆関係蔵書目録(Ⅱ)1979年1月~1983年12月
多数の指摘
19900731 原爆被災学術資料センター 原爆関係蔵書目録(Ⅲ)1984年1月~1988年12月
多数の指摘
1985 IMAGES FOR SURVIVAL <Exhibition of American and Japanese Peace Posters>
19890401 図説広島市史 172 「広島平和記念都市建設法」は、広島市民の平和への決意の結実であるとともに国内外のノーモア・ヒロシマズの声の象徴である。
この法に基づく広島の復興と市民のたゆみない平和への努力を基盤として、今日の広島市は国際平和文化都市を目指して進んでいる。
なぜか
172 ピカドン(昭和25年8月刊) (昭和25年8月6日刊)
172 原爆詩集(昭和26年9月刊) 原爆詩集(昭和26年9月20日刊)
173 『アサヒグラフ』 原爆特集号 『アサヒグラフ』 原爆被害の初公開
174 (写真15)原爆被災全体像調査のための市民集会
(所蔵者・提供者等)中国新聞社
(所蔵者・提供者等)金井・幻吉
174 (写真17)平和公園 (写真17)平和大通り
226 グアム島<「原爆投下機はグアム島発進!? 図説広島市史に誤記」『中国新聞19920331』
255 峠三吉「一九六五年のヒロシマ」(昭和二十一年八月二日) 峠一夫 21.12.1
1992 原爆文献にみる戦後史 平成4年度広島市公文書館常設展示
1992 都築・弓野資料にみる占領下の原爆災害調査 平成4年度広島市公文書館常設展示Ⅱ
多数の指摘
19960331 ヒロシマの被爆建造物は語る
098 『ニューヨーカー』 使用了解を
308 李将軍
365 原爆被災資料総目録1.2.3 原爆被災資料総目録1.2.3.4
383 ピカ研究所提供 ピカ資料研究所
386 年表広島 年表ヒロシマ
19960331 被爆50周年 図説戦後広島市史 街と暮らしの50年<本なし、ピカ研メモのみ>
19990726 原爆手記掲載図書・雑誌総目録 1945-1995
田原伯(ピカ研主宰) 田原幻吉(ピカ研所長)
1収録基準(5)改版? (内容変更)=改訂
2収録期間(1)1945年8月~1995年末
2収録期間(2)確認できる最も古い手記=1946年2月 逆あがり、1945.8.31大田洋子
3記載事項(2)多重者 多重者=記入法
3記載事項(5)所蔵 原医研・国会図 所蔵 原医研・国会図・以外
003 [0011]
013 [0106]<[]内は一連番号>原爆詩集 所蔵:国会図
014 お父さんを生かしたい―平和を叫ぶ子らの訴え 残念もう少し?四集5冊、三集5冊、10冊
031 [0284]<発行年月日日=19580401> <発行年月日日=195606>
201 [2015]原爆を吊ってあった落下傘
289 <19880331上原敏子>

 

 

「ピカより〇〇〇〇〇日」の会

ピカ暦19680706「ピカより〇〇〇〇〇日」の会
設立日:

資料:配布ビラ

年月日 ピカより何日
19680606 8341
 8時15分=8341日=201万1040分=7億2066万2400秒
19680706 8371
19680806 8402
19680906 8433
19681006 8463
19681106 8493
19681206 8524
19690106 8555
19690206 8586
19690306 8614
1240万4160分=7億4424万9600秒
pika2
「読売新聞(広島市内版)」(19740101)掲載広告
 田原幻吉(長崎市万才町3-33)

 

 

四国五郎

四国(四國)五郎

しこく・ごろう 19240511生20140330没 享年89 画家。『広島県現代文学事典』(西原大輔・記)。自著『平和記念式典の歩み』の執筆過程で広島市広報課在任中の四国氏に面識を得た。

資料

刊本
年月日 書名 備考(編著者・発行所など)
1970/07/20 四国五郎詩画集-母子像 四国五郎著 広島詩人会議編 広島詩人会議
1975/04/30 広島百橋 四国五郎 絵と文 春陽社出版
1979/11/01 絵本おこりじぞう 山口勇子 原作、沼田曜一 語り、四国五郎 絵 金の星社
1982/06/25 おこりじぞう 山口勇子作、四国五郎絵 新日本出版社
1983/07/20 絵本ヒロシマのおとうさん ヒロシマの心を子どもたちに 高橋昭博文、四国五郎絵 汐文社
資料
2020 四国直登の避難ルート(A3、1枚) <2020年国立広島原爆死没者追悼平和祈念館企画展「ヒロシマを描き続けた四国五郎と死の床でつづった直登の日記」で入手>
2020 四国五郎の年譜(A4、1枚) <2020年国立広島原爆死没者追悼平和祈念館企画展「ヒロシマを描き続けた四国五郎と死の床でつづった直登の日記」で入手>
 20200806   NHK BS1スペシャル「ヒロシマの画家 四國五郎が伝える戦争の記憶」午前0:46~午前2:26(100分)

川手健を語る

『川手健を語る』(川手健を語る会編、岡本智恵子 19950806)

川手健を語る会

とき 1985年4月28日(日曜日)午後5時半
ところ 広島県民文化センター5階ルビーの間
会費 5000円

目次

事項 備考
002 案内状 発起人=13人
003
とき 1985年4月28日(日曜日)午後5時半
ところ 広島県民文化センター5階ルビーの間
会費 5000円
003 川手健君の横顔
004 川手健を語る会発起人
005 出席者 <宇吹暁が藤居平一の指示で代理として出席>
008 川手健追悼会(発言者)
大牟田(司会)
012 長崎
013 高橋
017 好村(司会)
018 岡田
021 中江
023 岡田
023 司会
025 松江
028 野村
028 司会
029 松野
031 司会
032 広岡
033 司会
033 望月
036 司会
037 森滝
046 司会
041 岡本智恵子(朗読) 「かんかんがくがく 黒い橋―あるコミュニストの死―」(『中国新聞』19600605)
043 司会
043 温品
044  司会
044 石田
047  司会
047 里信
048  司会
050 寺前
051  司会
052 高橋
053 石井
054 文沢
054  司会
055 石井
060  司会
060 沼田
061  司会
061 丸本
062  司会  メッセージ紹介
062  藤居平一
063  佐久間澄
 063  伊東壮
 063  竹内武
 063  杉本きみよし
 064  高橋昭博
 064  村上操
 064  多地映一  本名:田村順一
 064  小久保均
 065  司会
  065  石川
 066  司会
  066  川本
 067  高橋
 069  司会
 070  川手健  半年の足跡(「原爆に生きて」195306)
 080   川手健  ”傷は癒えたか”応募原稿
 087  川手健  年譜
 091  且原澄夫  川手健君のこと(1989.2.24)
 099  山元敏之  東京で38日間生きた
 104  新聞記事
 105  新聞記事
 106  広島大百科辞典
 107  新聞記事
108 奥付 100部発行の40

増岡敏和

増岡敏和

ますおか・としかず 2010年7月28日没 享年82歳

8月6日(1945年)には海軍の予科練(飛行機練習生)で松山航空隊に入隊、8月6日頃は軍隊疎開で愛媛県の南部の深浦町にいた。敗戦の数日以内に広島市に帰る。祖母、母、長妹(原爆死)、次妹被爆弟たちは学童疎開中。

資料

 年月日  タイトル  形態・メモ
19560601  請願書(広島県原爆被害者団体協議会)
  19920911 増岡⇒ 吉川生美  書簡
吉川生美⇒ 宇吹 書簡
 19920923  増岡⇒ 吉川生美 葉書
19921006  宇吹⇒吉川生美 書簡(控)
同上同封資料『東友文庫5 「ヒロシマ・ナガサキから何を学ぶか」被爆45周年連続学習講座 第5集 被爆者・国民は何をしてきたか』
 19921030  宇吹⇒増岡  書簡(控)
19921105 増岡⇒ 宇吹 葉書
 19940712  増岡持参資料  紙1枚
「不屈の原水禁・被爆者運動前史―「占領期の広島」手控え」
 19930124  1992年度久保医療文化研究所講演録(久保医療文化研究所)  冊子
第68回講演会(19920314)増岡敏和「広島における反原爆文化運動の原点」

 

「原爆一号」といわれて

『「原爆一号」といわれて ちくまぶっくす36』(吉川清、筑摩書房、19810724)

目次

 見出し
 はじめに
 1  怒りこみ上げる基本懇の答申
1  運命の日
  8  夜勤明けのその日
 19  死に脅える毎日
 23  八月一五日
2  救護所での日々
26  血と膿の体
29  極貧の日々
 32  死亡者名簿の私の名前
 37  救護所の閉鎖
39  日赤病院へ入院
3 43  原爆一号
44  原爆一号の命名
 49  インタビューや訪問客に追われる
写真(1947年)広島日赤病院の屋上でライフ誌の撮影に協力。
51  医学学術集会での研究材料
写真(1949年)広島日赤病院を慰問したプロ野球選手と。故小西得郎氏、藤村冨美男氏の姿も。
54  ケロイド手術の失敗
57  患者会結成と強制退院
4  原爆ドーム横集落時代
62  野宿
65  原爆ドーム横にみやげ物店開店
70  被爆者を訪ね歩く
78  原爆傷害者更生会の誕生
83  原爆乙女と私
写真(1950年)日赤広島病院を訪れた日本ペンクラブの一行と。故川端康成氏の姿も。
写真(1953年)東大附属病院小石川分院で、原爆乙女の診察に立ち会う。
5  被爆者運動の組織化
92  原爆被害者の会を結成
100  ケロイドを見せものにしてなぜ悪い
写真(1963年)ヒロシマみやげをつくるのもひと苦労。福島菊次郎氏撮影。
103  原爆被害者の会の協力会
105  原爆被害者の会分裂
111  ABCCの横暴
6  原水爆禁止世界大会
118  平和都市広島の再興
128  原水爆禁止広島市民大会
129  ネール首相の広島訪問
写真(1957年)広島原爆病院前で故ネール首相と。
131  国会請願と日本被団協結成
134  原爆一号の店取り壊し
写真(1957年)原爆一号の店の前で。
136  原水禁運動の分裂
7   バー「原始林」開店
 138  マスターの私、ママの妻
140  ホステス、被爆者の売春婦
 144  不愉快な客
  8 東南アジア歴訪
 150  パール博士の碑文への疑問
  157  インドネシアでの広島出身元日本兵
 9  映画と私
  164  「原爆の子」
 166  「ひろしま」
  167  「生きていてよかった」
  168  「二十四時間の情事」
 169  「ヒロシマ一九六六」
 175  「記録なき青春」
 176  「ヒロシマの証人」
 177  挫折した「小さな恋人たち」
 178  「灯は生きていた」
 178  流産した「にっぽんの青い鳥」
  180  反響をよんだ「はだしのゲン」
10   折り折りの人
 182  宗教と私
 186  病に倒れた峠三吉
 189  首相官邸前で割腹自殺した小林雲徹
写真(1957年)クリスマス島英水爆実験に抗議して座り込み。右端が小林雲徹。
 193  ガンで死んだ南小一
 197  広島へ通った土門拳
写真(1953年)原爆一号の店の前で土門氏と。
 203  結びにかえて

平和のともしび 原爆第一号患者の手記

『平和のともしび 原爆第一号患者の手記』(吉川清、京都印書館、19490815)目次

 事項
口絵 上図:著者の両腕と背のケロイド(松笠やうのもの)
下図:ライフ誌上に掲載された一文
「ライフ」特派員より著者に送られた書簡
病床にある著者と妻。英文はタイム誌上に掲げられた一文
永久に平和記念館として保存される旧産業奨励館
 1 序 (富田勝己 <京都府立医科大学外科教室> )
5 目次
図:避難場所、休憩場所
 1  思ひ出の八月六日
 4  悲しき経験
  11  命は助つたが
 15  生の欲望
「大粒の雨」、「西原国民学校」
 21  遂に失神
「祇園青年会館」
 25  その夜の救護所
「祇園神社」
 29  可部町勝圓寺にて
 29 父を亡ふ
「可部の警察署の診療所」、「勝圓寺の御堂」
  33  八月十五日を迎ふ
  37  顕著な原爆症状
 42  絶望より微かな希望へ
 52  焼土廣島の見開
  59  復員列車をみる
  63  友情に泣く
 三次町より川内村へ
70  無医村に迎へる冬
 赤十字病院に入院
   75  三度廣島へ
  79  闘病生活つづく
 87  山根さんの人間的魅力
   91  再び思ひ出の八月六日
  97  平和の黙祷
 100 死の淵を彷徨
 103  春を迎へて
  105  平和の礎石に
  111  実験臺上へ
116  「ライフ」特派員と會ふ
  122  跋 (伊藤嘉夫 広島赤十字病院皮膚科医学博士 )
 後記( 吉川清)
 bk490815b bk490815c
 bk490815g
 口絵

京都印書館=1944年(昭和19年) 人文書院と立命館出版部ほか京都の出版社数社が企業整備により統合し誕生した出版社。http://www.jimbunshoin.co.jp/company/c285.html

 

 

核権力ーヒロシマの告発

『核権力ーヒロシマの告発』(金井利博、三省堂、19700615 )

目次

章節
核権力下の日本
1 広島はなぜ“ヒロシマ”か
広島と沖縄
広島の顔
核権力からの脱出
2 「核権力」下の日本
日本をとりまく「核」
エンタープライズ入港時の国内反応
「核戦力」と「核権力」
3 日本の「核権力」
核軍縮と日本政府
ソ連の単独核実験停止
キューバ事件の意味
部分核停と不拡散条約
日本の「核権力」
アメリカの日本への期待
アメリカ軍の伝統思想
4 「核」軍事論の誤算
抑止論の弱点
偶発戦争のトリック
「抱き締め」戦法と「突き放し」戦法
5 核廃棄の政治学-「人質」論をめぐって
戦略から政略へ
「人質」は一枚岩か
人質の「まだら」化
人質を犠牲にすること
「核権力」を無意味化する道
「人質」と「核は張り子の虎」
全人類が「人質」
6
核権力と軍事
1 「軍都」広島の体験
人民と「軍都」
「軍都」広島
原爆投下と「一枚岩」態勢
日本に非戦闘員なし
原爆投下までの核権力構造
「軍事」をこえる三つの問題
2 「無差別爆撃」の歴史
日本軍の無差別爆撃
イギリス・アメリカが始めた無差別爆撃
変質低下の技術
「火攻め」の新戦略から原爆へ
原爆投下前後の日本
3 「戦時」と「平時」の境界なき攻撃
外国との戦争と民衆の被害の歴史
「平時」に及ぶ緩慢殺人
「人災」と「天災」
ビキニ実験とその被害
過剰殺人と緩慢殺人
4 「未知」効果に無責任な攻撃
原爆投下作戦の実態
実験室となった広島・長崎
後回しの人体効果
日本医学者の努力
アメリカの資料略奪
「未知兵器」への無責任
核権力と自由
1 「あいまいさ」の恐怖
原爆投下の戦略上、政略上の「あいまいさ」
ベトナム戦争の中の「あいまいさ」
2 人種差別は「敵意」を増幅するか
人種差別と戦争
日本の中の差別体系
民族自決と人権の確立
3 被爆者ヘの差別
生活上の差別
補償上の差別
意識上の差別
4 官尊民卑の戦災補償
軍人優先の思想
切り捨てられる非戦闘員
救貧措置としての被爆者対策
原爆体験抜きの原子力産業
反核権力論
1 原水禁運動の断層
意識のずれの問題
基本的な問題
2 核権力の「君臨」
核権力の神格化
「制服」と「私服」の原爆体験
3 原爆被害の実態調査
「人的被害」の追跡
今もって未整理の被爆人口
4 広島の「怨念」と「自由」
広島の「怨念」と権力者
差別の垣
被爆地図復元運動-原爆体験を社会体験に
貴重な原爆映画
拡大する資料収集運動
核権力“神話”の破壊
〈資料〉原水爆被害白書を国連へ提出の件
1.原爆は「威力」としてだけ知られた
2.原水爆は人間的悲惨の極としてはいまだ知られていない
(1964年8月5日・中国新聞社論説委員・金井利博記)
あとがき(抄)
この本は安田武氏、また中国新聞社の平岡敬、大牟田稔両氏の三年前の強い勧めによって生まれた。間接には原爆犠牲者と亡母金井時子の無言の励ましを感じながら書き続けた。