下中弥三郎 1878 年生、1961年2月21日死亡。享年84歳。
下中記念財団 1962年6月設立。理事に赤井米吉(初代の理事長)。茅誠司、谷川徹三、中島健蔵、湯川秀樹など。
出典:https://www.shimonaka.or.jp/
下中弥三郎 1878 年生、1961年2月21日死亡。享年84歳。
下中記念財団 1962年6月設立。理事に赤井米吉(初代の理事長)。茅誠司、谷川徹三、中島健蔵、湯川秀樹など。
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『父は沖縄で死んだ』(大田英雄、高文研、19890613 )
目次
章 | 見出し | 備考 |
Ⅰ | 沖縄県民かく戦えり | |
◇還ってきた父のシャレコウベ◇沖縄”捨て石”作戦◇武器は「竹槍」だった◇海軍部隊の最期◇二つの電文◇壕の中の遺骨◇命沖縄の土になった「父」 | ||
Ⅱ | 家族の見た父の肖像 | |
◇命父と母の出会い◇軍人とその妻◇「武人」の横顔◇子供たちの目に映った父◇六番目で最初の男の子◇かいま見た太平洋戦争の実態◇佐世保に移る◇坂に消えた白い手袋 | ||
Ⅲ | 遺族たちの「戦後」 | |
◇初めての呉空襲◇学童疎開先で知った父の死◇八月十五日の夕焼け◇墨を塗らされた教科書◇食うためのたたかい◇離散したきょうだい◇新制中学の授業◇高校時代の記憶◇一度は考えた防大受験◇「沖縄」を避けていた大学時代◇教会活動・洗礼・就職 | ||
Ⅳ | 教師として生きる | |
島の分校の新米教師 | 倉橋分校? | |
***倉橋分校?。昼間定時制 | ||
生徒に教えられたヒロシマ | ||
***体育祭の仮装行列で原爆被災者を演じる。 | ||
「瀬戸の花嫁」 | ||
末弟も防衛大へ | ||
職員会議で罵倒された私 | ||
***1963年4月広島県立賀茂高等学校へ赴任。「日の丸」問題。滝尾英二先生のアシスタントとして社会科研究クラブの研修旅行「大和路の旅」へ生徒を引率。 | ||
古墳にとりつかれて | ||
呉市に戻る | ||
***1967年4月広島県立呉宮原高等学校へ赴任。 | ||
モーニング論争 | ||
同和教育運動のなかで | ||
防衛大へ行った教え子 | ||
***呉でも大学セクトの指導でアジト。宮原高校も一つの拠点。「反戦高校生」は「呉黄幡弾薬庫や江田島秋月弾薬庫」などを取り上げる。 | ||
自衛隊員の子女に自衛隊をどう教えるか | ||
***1983年に盛岡で開かれた「第32次全国教育研究集会」の「人権と平和」教育分科会にレポーターとして参加。助言者に森田俊男先生。 | ||
Ⅴ | 平和教育にとりつかれて | |
映画「沖縄」の上映運動 | ||
カヤさん、マキさんとの出会い | ||
***1972年カヤ(萱原威=被爆者。広高校の数学の教師)先生が中心となり県下に先がけ高教組呉地区支部内に平和教育推進部を結成。マキ(牧岡宏明。広高校の数学の教師)。972年カヤ、マキらで全国高校生活指導研究協議会呉支部(略称:呉高生研)結成。 | ||
呉空襲を記録する会 | ||
***1974年歴史教育者協議会呉支部を中心に 呉空襲を記録する会を結成。1975年『呉空襲記』(中国新聞社、吉川記者)刊。 | ||
平和教育読本をつくる | ||
***呉地区の平和教育推進部の提案で高教組本部に編集委員会設置。『明日に生きる』 | ||
平和教育推進部 | ||
***1977年カヤさんが広島商業高校に転勤。 | ||
呉地区高校生「平和の集い」 | ||
***1973年、平和教育推進部で貸し切りバスを仕立て第19回原水爆禁止世界大会の文化集会に生徒ともども参加。上条恒彦の声に圧倒される。翌年、生徒の要望で世界大会そのものに参加。1975年2月、第1回呉地区高校生「平和の集い」(呉地区高校生徒会連絡会主催、平和教育推進部・呉高生研援助、原水爆禁止呉協議会・歴史教育者協議会呉支部後援)。 | ||
「高校生平和ゼミナール」の出発 | ||
***1977年(松崎徹、沢野重男ら)「広島平和ゼミナール」結成。 8・6高校生平和集会への道= 1975年第19回原水爆禁止世界大会高校生分科会終了後、松崎から大田に相談。 第20回原水爆禁止世界大会高校生分科会終了後、指導者会議に提起。 第21回原水爆禁止世界大会高校生分科会で学園に根差した高校生の活動報告。 大阪清水谷高校の文化祭での平和問題への取り組み。 以後、3年のうち2回は広島県高校生平和ゼミナールが、1回は長崎高校生平和ゼミナールが、地元実行委員会として世話役。 |
||
平和は創りだすもの | ||
***呉地区高校生「平和の集い」=2月と6月の2回。第3回、第5回、第6回の内容 | ||
すばらしい生徒たち | ||
***第7回、第13回、 | ||
「原爆瓦」に負けるな | ||
***戦跡フィールドワーク。1982年2月第15回「平和の集い」。 | ||
一年六組の旗 | ||
***1982年4月、ホームルームを担当。6月の第16回「平和の集い」 | ||
盛岡の誓い | ||
***「第32次全国教育研究集会」(1983年)。広島(沢野重男・大亀信行)・長崎・埼玉(小岩井増夫)・呉で「8・6全国高校生集会」。森田塾。 | ||
VI | 沖縄で見た「父」 | |
父の「電文」との出会い | ||
歴教協・呉支部をつくる | ||
海軍壕で見た「父」 | ||
基地オキナワの現実 | ||
安仁屋政昭氏との再会 | ||
「兄は反戦教師、弟は自衛官」 | ||
二度目の訪沖 | ||
平良知事の涙 | ||
三度目の訪沖 | ||
VII | 沖縄戦“追体験”の旅 | |
「観光コースでない沖縄」 | ||
本島中部の戦跡と基地 | ||
糸数壕にて | ||
摩文仁の丘にて | ||
平和祈念資料館にて | ||
「ひめゆり」の衝撃 | ||
父の「電文」の背後にあったもの | ||
旅の終わり | ||
VIII | 呉にも「沖縄」があった | |
軍港都市・呉の誕生 | ||
海軍・戦争とともに歩んだ呉 | ||
呉空襲の被害が大きかった理由 | ||
呉の「摩文仁ヶ丘」と「健児の塔」 | ||
呉にもあった「ひめゆりの塔」 | ||
戦艦「大和」の碑 | ||
壕の中の地獄 | ||
帝国海軍の終焉「呉沖海空戦」 | ||
「軍都」呉は、いま | ||
あとがき |
橋本秀夫の仕事ぶり 建築家橋本秀夫遺稿集
= The works of Hideo Hashimoto
橋本秀夫遺稿集編集委員会編・刊 20090701
目次
まえがき | ||
秀夫と連れそって | 橋本ノブエ | |
橋本秀夫氏の資料について | 菊楽忍 | |
第1部 論文集 | ||
広島城 | ||
廻り番付と広島城 広島城城割に就て 「度量之絵図」に学ぶいろは四十八櫓 広島城再建「基礎と瓦」 広島城と石垣 広島城と石垣(郡山) 石塁工事普請符牒(石垣文様)について 広島城遺構三之丸校倉(多家神社宝蔵) 多家神社宝蔵と廻り番付について 広島城の生活用水と樋門 広島城修築と天災考 |
||
レンガ建築 | ||
広島の近代文化遺産 煉化石あらかると ヒロシマの被爆建造物は語る レンガあらかると 広島の明治建築 広島の近代文化遺産 旧広島陸軍兵器支廠の研究 古いアルバムに拾った平和の尊さ 広島陸軍兵器支廠火薬庫大爆発に想う 明治1号館有難う 旧陸軍兵器支廠1号館の解体によせて 広島の明治建築 旧陸軍糧秣支廠の研究 広島市郷土資料館見学記 旧広島陸軍糧秣支廠 上等赤煉化石造「広島市郷土資料館」の周辺 宇品陸軍糧秣支廠倉庫(宇品日通倉庫) 蘇る旧広島陸軍被服支廠 保存と文化 広島の明治建築 夢を贈る中世のお城 亀山発電所 広島電気軌道(株) 広島県物産陳列館 臨時広島軍用水道(牛田水源地) |
||
郷土史と文化財 | ||
六号潜水艇と人間佐久間 旧広島水上警察署 旧広島地方気象台 蘇った日本外史 拓本が語る厳島神社五重塔 広島の近代文化遺産 後楽のこころ 広島の秘境 湯之山明神旧湯治場 悟をひらいた苔 もう一つの八岐の大蛇 鑪と吉水園 広島 加計町のバロック『吉水亭』 呉市に咲いた花「蔵本通り」 新日山安國寺 不動院梵鐘楼に就て 不動院鐘楼実測に依る時代的班別について |
||
第2部 砲台巡り | ||
著者御紹介 広島大学名誉教授 日本民俗建築学会会長 | 佐藤重夫 | |
まえがき 広島湾要塞の築城 第1章 室浜砲台 第2章 鷹の巣砲台 第3章 大那沙美砲台 第4章 岸根砲台 第5章 鶴原砲台 第6章 三高山砲台 第7章 大君砲台 第8章 早瀬堡塁砲台(早瀬第1~第2砲台) 第9章 休石砲台 第10章 高鳥砲台 第11章 大久野島堡塁砲台 第12章 忠海芸備砲兵大隊 第13章 大空山砲台 第14章 小島砲台 砲台建築仕法通則 沿革年表 |
||
コラム | ||
特集 彫刻と建築 街の表札 黄金の汗に輝く 広島大会 広島 ネズミのくれた小判『海田の宿 千葉邸』 旧街道ウォッチング「命びろいの三角の家垂」 古釘のうた 日本のバロック建築 『世紀末のドイツ建築』小幡一著 学校は心のふるさと 学校特集 球児とカンカン帽子 心の叙勲 古釘のうた 小さな平和 古釘のうら 床下のベートーベン(鴬張り) |
||
私の推薦する作品
・生まれかわった芸備線向原駅 |
||
私の推薦する作品 ・筆の里工房 ・株式会社日食広島支店 ・三良坂リバティーホール ・広島市安芸区スポーツセンター |
||
旧街道ウォッチング「最敬礼!!」 | ||
番付と人生観 | ||
街路地と陽光 | ||
心の故郷 懐かしい学窓 | ||
長官山に咲いた金唐紙 | ||
お庭を喰った美術館 | ||
あとがき | ||
橋本さんへの手紙 | 松林俊 一 | |
『楠忠之オーラル・ヒストリー 広島大学文書館オーラル・ヒストリー事業研究成果報告書』(楠忠之著、石田雅春、布川弘編 、20171031)目次
はじめに(広島大学75年編さん室 石田雅春) | 聞き取り日 | |
第1回 | 生い立ち・幟町小学校の思い出 修道中学校時代の思い出 広島高等師範学校(臨教)への進学 海軍予備学生への志願…12 佐世保海兵団、旅順海軍特別根拠地隊への配属 |
20160204 |
第2回 | 予備学生・生徒の状況(前回の補足) 敗戦前後の状況 ソ連軍の進駐 シベリア抑留(1) 帰国、ヒロシマの惨状 日本国憲法との出会い 広陵高校への就職、広島文理科大学を受験 シベリア抑留(2) 広島文理科大学での勉強 |
20160310 |
第3回 | 広島文理科大学時代の思い出 学生運動について 卒業、宇品中学校への勤務 結婚について 映画「ひろしま」への協力 庚午中学校への転任 |
20160425 |
第4回 | 前回の補足(日鋼争議、広島反戦学生同盟、レッドパージ) 教職員組合の政党支持 学校施設・生徒指導の状況 受験指導の状況 PTAとの関係について 進路指導・家庭訪問について 一〇・ニーストライキ(昭和四一年)について(1) 原水爆禁止日本協議会、平和教育について 勤評闘争について |
20160519 |
第5回 | 庚午中学校への中傷 生徒指導について 小学校教員と中学校教員の気質の違い 勤務評定について 翠町中学校への転任 |
20160701 |
第6回 | 学力テスト反対闘争について 高校入試制度の改革について 原水爆禁止運動の分裂について(1) 署名運動の力 原水爆禁止運動の分裂について(2) |
20160802 |
第7回 | 所蔵の写真について 一〇・ニーストライキ(昭和四一年)について(2) 一〇・二六ストライキ(昭和四二年)について 平和教育(原爆副教材の作成)について 学校の運営方法(校長の権限)について |
20160916 |
第8回 | 部落解放同盟広島県連合会と広島県教職員組合の関係について (1) 大学紛争の影響について 部落解放同盟広島県連合会と広島県教職員組合の関係について (2) 県議会議員選挙への出馬 県議会議員としての仕事(イノシシ対策、井口高校新設、不正経理問題、解放同盟問題など) 住民運動とのかかわり |
20161130 |
第9回 | 自民党による解放同盟批判 総合選抜制への批判 八者合意について 原爆遺跡保存運動懇談会について |
20161222 |
第10回 | 広島県原水爆禁止日本協議会について 原爆遺跡保存運動懇談会について 「中島地区ゆかりの人たちの集い」について 「建物疎開動員学徒の原爆被災の実相を記録する会」について 原爆ドームの景観を守る運動について 町内(庚午南)のマンション建設問題について 「原爆の子」を受け継ぐ会について 九条の会について 最近の取り組みについて(被爆建物、かき船問題) 広島教育研究所について |
20170111 |
『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚 』(谷本清著、日本放送出版協会 、19760720)
内容
章節 | タイトル | 備考 |
序にかえて | ||
1 | 原爆に生き残って | |
1-1 | 運命の八月六日 | |
1-2 | 廃墟の中で | |
1-3 | 一牧師のビジョン | |
2 | 和解の旅 | |
1948年9月~1950年1月(15ケ月間)、31州、256都市、472の教会その他の団体で講演582、聴衆約160000名、旅行距離約65800マイル | ||
2-1 | ピース・センターの構想 | |
2-2 | 第一印象 | |
2-3 | メンジスト教会ミッション・ボードと私 | |
2-4 | 本格的巡回始る | |
2-5 | ピース・センター独自の途を歩む | |
2-6 | 被爆地ヒロシマをどうするか | |
2-7 | 平和請願運動 | |
2-8 | 平和請願運動潰される | |
2-9 | 真珠湾記念日とヒロシマ・デー | |
2-10 | 東京裁判と死刑執行への反応 | |
3 | 嵐の中の平和行脚 | |
1950年9月~1951年7月(8ケ月間)、24州、201都市、242団体 講演295、聴衆約5600名、旅行距離約34500マイル | ||
3-1 | 朝鮮戦争下のアメリカへ | |
3-2 | 講演の新内容を求めて | |
3-3 | ニューヨーク入り | |
3-4 | カズン氏は極めて多忙である | |
3-5 | ヒロシマ・ピース・センター理事会 | |
3-6 | 今回の巡回旅行の特色 | |
3-7 | 嵐の中の平和運動 | |
4 | 原爆乙女アメリカに往く | |
1955年5月5日~同年12月20日(7ケ月間)、26州、195都市、212団体 講演245、聴衆約47500名、テレビ・ラジオ・新聞64、行程約38100マイル | ||
4-1 | 日本における原爆乙女治療始る | |
4-2 | 米国での治療運動始る | |
4-3 | 資金はどのようにして集められたか | |
4-4 | ニューヨークの受容態勢 | |
4-5 | ホスト・ファミリー訪問とカウンセリング | |
4-6 | 原爆乙女の渡米はアメリカに何をもたらしたか | |
〇ヒューストン市の1週間 | ||
〇原爆悲劇に対する読みが深くなった | ||
〇国際時局に対する読みも深くなった | ||
〇募金活動の実情 | ||
〇協力を申し出る4つの病院 | ||
〇一日本人医師の批判とその影響 | ||
4-7 | ピース・センターはどこへ行く | |
4-8 | 平和の営み | |
5 | 「傷痕」の伴をして | |
1975年9月25日~同年12月15日(80日間)、19州、89都市、105協会その他団体 講演148、聴衆約28800名、旅行約38400マイル | ||
5-1 | 「傷痕」ダイジェスト | |
5-2 | 講演後の質問応答 | |
5-3 | 核兵器使用に際して新しい倫理の確立が要請されている | |
5-4 | 「傷痕」のどこに感動したか | |
5-5 | 被爆者治療問題の隘路 | |
5-6 | 被爆者の悩みは被爆者以外には判ってもらえない | |
5-7 | アメリカ講演旅行の総括 |
河本一郎
かわもと・いちろう | 1929生20010607没 | 享年72 | 「原爆被害者の会」設立、「広島折鶴の会」結成に奔走。谷本清平和賞(第13回=2001年没後)受賞。 |
資料年表:河本一郎
年月日 | |
1929**** | 南米ペルーで誕生。 |
1938**** | 父の死去に伴い、父の実家、広島県安芸郡坂村(坂町)に里帰り。 |
1942**** | 母が病死。13歳で孤児に。 |
<以上は「第8回先人を語る会」配布資料より> | |
1955 | |
0224 | |
1995 | |
0507 | 小野増平「検証 ヒロシマ 1945~95 <16> 原爆ドーム 孤高貫く「平和の黒子」 「折り鶴の会」の河本一郎さん」(『中国新聞』) |
2001 | |
0607 | 死亡。享年72歳 |
0928 | 薮井和夫「ヒバクシャ活動の歩み 段ボール32箱分 広島折鶴の会世話人故河本一郎さんの遺品 募金名簿やフィルム」(『中国新聞』) |
2002 | |
11 | 濱本康敬(広島平和記念資料館学芸担当)「河本一郎氏資料の受入と整理」(『広文協通信』2号) |
2015 | |
0714 | 宇吹 暁『ヒロシマ戦後史の中の広島女学院~河本一郎の足跡を中心に~』 |
広島女学院大学第 48 回原爆講座―8・6 の意味するもの― 2015 年 7 月 14 日 於砂本記念講堂 | |
2018 | |
0710 | 菊楽忍「解説1 河本一郎インタビュー」 |
『戦後ヒロシマの記録と記憶』(若尾祐司・小倉桂子編) | |
2019 | |
1019 | 『河本一郎を語る―第8回先人を語る会(慰霊と講話)』会場:広島原爆資料館 |
1215 | 『原爆ドームと楮山ヒロ子 ヒロ子の日記と原爆ドームの保存』(寺田正弘・中村秀次・吉村勝文著、原爆ドームと楮山ヒロ子の会、20191215) |
止
佐々木優秋
ささき・ゆうしゅう | 19451011生20051103没 | 享年60歳 | 音戸高校勤務期の先輩。1985年8月4日~11日、被爆40周年核兵器全面禁止・被爆者国際遊説団(日本原水協)の一員としてニュージーランドへ渡航。 |
資料年表:佐々木優秋
年月日 | ||
1945 | ||
1011 | 誕生。 | |
<作業中> | ||
1971 | ||
0523 | 佐々木優秋・**富貴子結婚祝賀会。媒酌人:久留島恵一夫妻。会場:呉造船保健会場。 | |
1985 | ||
08 | 宇吹宛残暑見舞い | |
ニュージーランド訪問(8月4日~11日) | ||
2005 | ||
1103 | 没。享年60歳。 | |
![]() |
リンク:核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説(1985) |
![]() |
左端が佐々木氏 |
出典:『核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説の記録』 |
原爆乙女の会
代表者 | |
谷本清 | |
設立年月日 | |
1950年3月 | |
目的及び事業 | |
当初、原爆障害者が聖書を研究することにより、精神的に立ち上がることを目的として、「原爆障害者更生会」として発足した。会員は原爆乙女の外、男子障害者や高年齢の女子障害者も加わっていた。 | |
<中略> | |
組織内容 | |
会員数約80名 | |
その他の参考事項 | |
この会は、上記のような経過から、現在では男子会員及び女子高齢者会員は徐々に少数となり、現在の原爆乙女の会となった。 | |
『原水爆関係団体名簿』(広島市衛生局原爆被害対策課、19670201) |
原爆傷害者更生会 設立:1951年8月27日
書名コード | 書名 | 編著者 | 発行所 |
49081501 | 平和のともしび-原爆第一號患者の手記 | 吉川清・富田勝己(補註) | 京都印書館 |
50072501 | ヒロシマの十字架を抱いて | 谷本清 | 大日本雄弁会講談社 |
76072002 | 広島原爆とアメリカ人-ある牧師の平和行脚 | 谷本清 | 日本放送出版協会 |
81072401 | 「原爆一号」といわれて | 吉川清 | 筑摩書房 |
【資料】原爆第1号吉川清の試み
『中国新聞』 1951.4.3
原爆第1号きのう退院
昭和21年1月広島赤十字病院に入院、療養をつづけていた原爆1号吉川清氏は前後16回におよぶ手術で健康を全く回復し2日午後退院、5年2ヵ月の病院生活に別れをつげた。
(吉川清氏談)私は原爆による限りない苦悩を過去の長い病床生活において切実に味わってきた。同じような原爆による傷害者とかたく手をたずさえ、更生の道をどこまでも突き進みたい。このような意味からこのたび広島原爆傷害者救済援護会を設立した。
『中国新聞(夕刊)』 1951.6.4
インドから援助第1号!
めぐり来る原爆7周忌を前に原爆第1号患者として有名な吉川清氏(38)を中心に同病傷害者のうち127名の有志が内外の浄財によって人造パール製造の共同作業所と原爆患者診療所を設置し、相互に雄々しく立ち上がらんとする朗話がある。
原爆傷者立上がる 作業・診療所“われらの手で”
発起人に選ばれた吉川氏は6年にわたる入院生活からさる4月2日退院、爆心地産業奨励館ドーム前に夫人生美さん(30)とともに外人相手にみやげ物店を開業、細々ながら再起の日々を送っていたが、たまたま同地の整地作業に訪れる原爆ケロイド患者の日雇人夫の人々と病状を語り合うと共に、身体障害でどん底の困窮生活にあえぐ人々の多きを知り“なんとか相携えて働ける仕事 もちたい”と話し合った結果、予算70万円で次の事業計画をたて、かつて日赤入院時代同氏を見舞った内外人にこの基金募集を呼びかけ、すでにインドのシャルマン氏(昨年12月来広)がニューデリーにおいて松本滝蔵代議士と会見、50万円寄付の伝言があり、6月からは地元名士の援助署名運動に着手している
▽共同作業場=主として海外輸出用の人造パール(真珠)の製作ならびに販売
▽原爆患者の診療所の設置=原爆患者に対し実費治療ならびに一般困窮者の無料診察および相談(担当医は日赤副委員長服部達太郎氏が無料奉仕で当たる)
(吉川氏談)なんとかこの同病患者が結束して暗い気持を忘れ仕事にぼっとうして立上がれば幸いと思っています。予算面もインドから50万円近く送金するという手紙もあり、残りは私がリュックサックを背負って全国資金行脚してでも完成さす決心です。
火幻短歌会機関誌『火幻』()
<所蔵>P=ピカ研、N=西岡、U=宇吹、G=原爆資料館 | |||
年月日 | 通巻 | 備考 | 所蔵 |
1 | |||
2 | |||
3 | |||
19590723 | 4 | 特集「八月六日」 | P |
5 | |||
6 | |||
7 | |||
8 | |||
9 | |||
10 | |||
19610415 | 11 | G | |
12 | |||
13 | |||
19611221 | 14 | G | |
15 | |||
16 | |||
17 | |||
18 | |||
19 | |||
20 | |||
19630920 | 21 | G | |
22 | |||
23 | |||
24 | |||
25 | |||
19641221 | 26 | G | |
19650325 | 27 | 春季号 | NG |
19650720 | 28 | 特集「戦後広島の文芸と短歌」 | P |
29 | G | ||
30 | |||
19660318 | 31 | <保田白汀追悼号> | PNG |
19660801 | 32 | 特集「原水爆短歌この二十年」 | PG |
19661006 | 33 | G | |
34 | |||
35 | |||
19670720 | 36 | 特集「広島とベトナム」 | P |
19671018 | 37 | 創刊10周年記念号 | PNG |
38 | |||
19680320 | 39 | 春号 | N |
19680723 | 40 | 特集「社会詠作品の検討」 | P |
19681010 | 41 | 秋号 | PG |
42 | |||
19690320 | 43 | G | |
19690718 | 44 | G | |
19691010 | 45 | G | |
19691215 | 46 | 新春号 | PG |
19700315 | 47 | 春号 | N |
19700720 | 48 | 夏号 | NUG |
19701010 | 49 | 秋号 | NG |
19701215 | 50 | 新春号 | N |
19710310 | 51 | 春号 | NUG |
19710720 | 52 | 夏号「ヒロシマ・平和特集」 | PNUG |
19711020 | 53 | 秋号 | NP |
19711220 | 54 | 新春号 | U |
19720325 | 55 | <同人三氏追悼号> | PNU |
19720715 | 56 | 夏号 | NU |
19721010 | 57 | 秋号<創刊十五周年記念特集号> | PU |
19721215 | 58 | 新春号 | NU |
19730315 | 59 | 春号<*原*夫・梅田昌一・国川浩夫氏追悼> | NU |
19730720 | 60 | 夏号―佐藤求歌集<空寂>批評― | N |
19731015 | 61 | 秋号 | N |
19731210 | 62 | 新年号 | U |
19730310 | 63 | 春号 | NU |
19730710 | 64 | 夏号 | NU |
19741010 | 65 | 秋号 | U |
19741210 | 66 | 新春号 | NU |
19750320 | 67 | 春号 | NU |
19750710 | 68 | 夏号 | NUG |
19751010 | 69 | 秋号 | NU |
19751215 | 70 | 新年号 | NU |
19760315 | 71 | 春号 | U |
19760710 | 72 | 夏号 | NU |
19761010 | 73 | 秋号 | NU |
19761210 | 74 | 新年号 | NU |
19770310 | 75 | 春号 | NU |
19770710 | 76 | 夏号「ひろしま33回忌特集」 | NUG |
19771010 | 77 | 秋号「第15回火幻賞発表」 | NU |
19771220 | 78 | 新年号 | NU |
19780310 | 79 | 春号 | PU |
19780710 | 80 | 夏号「核と戦争、広島特集」 | PU |
19781015 | 81 | 「火幻創刊20周年特集」 | U |
19781215 | 82 | 新年号「20周年大会記・歌集「心眼」批評」 | NU |
19790315 | 83 | 春号 | NU |
19790715 | 84 | 夏号「<核と広島>特集」 | NUG |
85 | 秋号―火幻賞・合宿研究会記― | N | |
19791220 | 86 | 新年号 | NU |
19800320 | 87 | 春号 | NUG |
19800720 | 88 | 夏号 | NUG |
19800720 | 89 | 秋号―第18回火幻賞発表― | NUG |
19801220 | 90 | 新年号 | U |
19810315 | 91 | 春号―農村詠特集― | NU |
19810715 | 92 | 夏号―ヒロシマ・反核特集― | NUG |
19811015 | 93 | 秋号 | NUG |
19811220 | 94 | 新年号 | NU |
19820325 | 95 | 春号 | UG |
19820715 | 96 | 夏号「<広島反核110人の作品>特集」 | NUG |
19821101 | 97 | 秋号「<創刊25周年記念号>」 | UG |
19830105 | 98 | 新年号「火幻創刊25周年記念大会記」 | NUG |
19830325 | 99 | 春号「久保田千文追悼記」 | UG |
19830720 | 100 | 夏号「創刊100号記念特集」<反核の歌> | NUG |
19831015 | 101 | 秋号 | NUG |
19831215 | 102 | 新春号 | NUG |
19840320 | 103 | 春号「歌集批評号」 | NUG |
19840710 | 104 | 夏号「特集<今こそ核兵器の廃絶を!>」 | NUG |
19841015 | 105 | 秋号「作品鑑賞批評号」 | NUG |
19841220 | 106 | 新春号 | NU |
19850320 | 107 | 春号 | NU |
1985 0720 | 108 | 夏号「戦後40年、反核特集」 | NUG |
19851020 | 109 | 秋号「西行は宮島に止錫したか」 | U |
19851220 | 110 | 新年号 | NUG |
19860320 | 111 | 春号―歌集批評特集― | UG |
19860720 | 112 | 夏号―反核草の根特集― | NUG |
19861020 | 113 | 秋号―火幻賞発表― | NUG |
19861220 | 114 | 新年号 | NUG |
19870320 | 115 | 春号 | NU |
19870720 | 116 | 夏号―特集<反核作品と絶唱高橋武夫の歌>― | NU |
19871020 | 117 | 秋号―火幻創刊三十周年記念号― | U |
19871220 | 118 | 新年号―創刊30周年記念大会特集― | NU |
19880320 | 119 | 春号 | NUG |
19880720 | 120 | 夏号―反核、ヒロシマはこれでよいか― | NU |
19881020 | 121 | 秋号―火幻賞・合宿研究会― | NUG |
19881220 | 122 | 新春号 | U |
19890320 | 123 | 春号―特集<昭和逝く>― | U |
19890718 | 124 | 夏号―ヒロシマ・反核特集― | U |
19891020 | 125 | 秋号―火幻賞と歌集評― | NU |
19891220 | 126 | 新年号 | NU |
19900310 | 127 | 春号―戦争と歌人― | U |
19900715 | 128 | 夏号―特集<平和、渡辺直己>― | NU |
19901020 | 129 | 秋号―火幻賞・新人賞発表― | U |
19901220 | 130 | 新年号 | NU |
19910320 | 131 | 春号―豊田清史・西岡歌集特集― | UG |
19910718 | 132 | 夏号―平和・汚染はこれでよいか― | NUG |
19911020 | 133 | 秋号―第29回火幻賞、大立、木村歌集評― | U |
19911220 | 134 | 新年号 | NU |
19920320 | 135 | 春号―中元・東田歌集批評特集― | U |
19920720 | 136 | 夏号―平和・破壊はこれでよいか― | NU |
19921020 | 137 | 秋号―創刊35周年記念号― | UG |
19921220 | 138 | 新年号 | U |
19930320 | 139 | 春号 | UG |
19930720 | 140 | 夏号―特集<ヒロシマはこれでよいか>― | U |
19931020 | 141 | 秋号―<黒い雨と重松日記>特集 第32回火幻賞発表― | UG |
19931220 | 142 | 新年号 | NU |
19940320 | 143 | 春号―追、歌人でもあった森瀧市郎博士― | U |
19940720 | 144 | 夏号「特集<平和と渡辺直己全集>」 | U |
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147 | |||
19950710 | 148 | G | |
149 | |||
150 | |||
19960315 | 151 | G | |
152 | |||
19961015 | 153 | 秋号 | NG |
154 | |||
155 | G | ||
156 | G | ||
19971020 | 157 | G | |
158 | |||
19980315 | 159 | 春号「七万の無縁骨を平和祈念館に 第35回火幻賞発表」 | NG |
19980715 | 160 | 夏号「総括―井伏作品「黒い雨」に使われた被爆者の手記」、「特集―反戦歌人の第一人者、安藤正楽」 | NG |
19981010 | 161 | 秋号「中丸歌集「旅の衣は」・木原歌集「白き不要」批評」、「これでよいか、体制派歌人」 | NG |
162 | 新年号「特集―末広憲爾歌集「鶴」批評」 | N | |
19990310 | 163 | 春号「特集=人間性の追求をヒロシマに、短歌に」 | NG |
19990710 | 164 | 夏号「特集=世の歪みをわれらかく生きる!」 | NG |
19991005 | 165 | 秋号 | NG |
19991210 | 166 | 新年号 | NG |
20000305 | 167 | 春号「国民文化祭三原市短歌大会を迎える」 | NUG |
167 | G | ||
20000710 | 168 | 夏号「見つめよう合同歌集「広島」」 | NG |
20001001 | 169 | 秋号「井伏作品「黒い雨」検証のまとめ」 | NG |
20001201 | 170 | 新年号「「火幻」45年を迎える」 | NG |
20010305 | 171 | G | |
20010615 | 172 | 夏号「37年ぶりに公表された井伏の「重松日記」」 | NG |
173 | |||
20011210 | 174 | 新年号「全国月の西行祭10年・火幻45周年」 | NG |
175 | 春号 | N | |
20020710 | 176 | 夏号「井伏著「黒い雨」盗作の結末特集」 | NG |
177 | 秋号 | N | |
178 | |||
179 | 春号 | N | |
20030625 | 180 | 夏号「特集―反核・非戦に生きる―」 | NG |
20031005 | 181 | G | |
20031210 | 182 | 新年号「豊田清史歌集「幽魂」特集」 | NG |
20040310 | 183 | 春号「特集<憲法第9条が踏みにじられる>」 | NG |
20040705 | 184 | 夏号「特集<真に反核、非戦を生きた歌人>」 | N |
20041001 | 185 | 秋号 | NG |
20041210 | 186 | 新年号 | N |
20050310 | 187 | 春号「被爆60年、ヒロシマを生きる」 | NG |
20050710 | 188 | 夏号「被爆60年、原爆、劣化ウランを許さない」 | NG |
20051010 | 189 | 秋号「特集 全国反核秀歌二十首」 | NG |
20051210 | 190 | 新年号「特集・火幻創刊50年を迎える」、「松田弘江夫人追悼」 | N |
20060310 | 191 | 春号 | NG |
20060710 | 192 | 夏号「創刊50年記念号 ―人間性の追求―」 | G |
20061020 | 193 | N | |
20070310 | 194 | 火幻創刊50周年記念大会 | G |
西岡喜美子「師の第一歌集「暁雲」を読みて」 | |||
20070701 | 195 | <特集反核社会詠に挑む> | NG |
20071001 | 196 | N | |
20080201 | 197 | NG | |
20080620 | 198 | N | |
20081020 | 199 | N | |
20090220 | 200 | 創刊50年・第200号特集号 | N |
20090710 | 201 | N | |
20091010 | 202 | N | |
20100301 | 203 | N | |
20100710 | 204 | N | |
20101010 | 205 | N | |
20110305 | 206 | NG | |
20110705 | 207 | N | |
20111030 | 208 | 編集記(豊田啓文)「今年の八月五日、父清史が突然意識を失い、救急病院に運ばれました。検査の結果、脳梗塞と診断され、意識が回復しないまま病床に寝たきりで今日に至っております。」 | N |
同年11月24日没。 |