「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

半生雑記帳(続)

山田浩『半生雑記帳(続 )―旧制広高・広大・ヒロシマ』(溪水社、19880310 )

目次

部章
第1部  還暦を迎えて
第2部  大学教師の周辺
1 私とクラシック音楽-文化的なものへの(あこがれ)
2 広大改革とは何だったのか-あるロマンチストの回想
3 広島大学平和科学研究センターと社会科学研究科の発足
1 平和科研センターのこれまでの経緯と今後の課題-平和研究の制度化推進のために
2 これからの平和研究-広大平和科研シンポから
3 新発足の社会科学研究科-新しいコスモロジーの工房
4 随筆3編
5 書評2編
1 戦争と人間と怨念と-『シベリア抑留』を読んで
6 御逝去を悼む
1 海 一寸に青みたり-羽白幸雄先生の死去を悼む
2 弔辞
3羽白先生と犬たちのこと 児玉昭人
4 湯崎さんの死
第3部 核問題とヒロシマ
第4部 平和教育
著者の略歴と業績

半生雑記帳

山田浩『半生雑記帳』(溪水社、19850215)

目次

部章
第1部  旧制広島高等学校時代のこと
第2部 軍隊生活と研究室時代
1 私の戦争体験あれこれ
2 戦後の今中先生のこと
第3部 大学教師の周辺
1 畏友石井金一郎氏の死
1.“ヒロキン・グリル”閉店の記
2.実態に根ざす理論を
2 ソビエト紀行・通訳のことなど
3 折りにふれての感想
第4部 核問題とヒロシマ
1 選挙ルポ2題
2 書評2編
1.御田重寳『人間の記録-ノモンハン戦』を読んで
3 III核軍拡競争と核軍縮の歴史について
4 討論集会における2つの報告
5 時論7編
著者の略歴と業績

 

まどうてくれー藤居平一・被爆者と生きる

大塚茂樹著『まどうてくれー藤居平一・被爆者と生きる』(旬報社、20110708)

目次

見出し
はじめに
1 本川で鍛えた快速スイマー
2 日本の勝利を固く信じて
3 原爆で死んだ父と妹
4 鈴木店三代目の社長として
5 原爆被害者を救おうという声を受け継ぐ
6 原爆被害者たちの先頭に立って
7 国会請願行動、そして日本被団協の結成へ
8 「まどうてくれ」という叫びとともに
9 実業へ復帰しても志は変わらず
10 反原爆の思いを貫き通して
11 人間の絆を愛し続ける
おわりに

人間銘木-藤居平一追想集

『人間銘木-藤居平一追想集』(「藤居平一追想集」編集委員会、藤居美枝子刊、19970417)

目次

表題 三田嘉一 筆
口絵 略歴
三田嘉一 悲願成就は近からむ
写真でたどる足跡
弔辞 廣安晴通
奥島孝康
田中聰司
同窓・碧空会
同窓・アカシア会
 戸井正典  生活を哲学化
「被爆者援護の在り方を検討していた七人委員会の座長茅さんと、三十分の約束で藤居の希望により長倉司郎」・広藤道男・早大総長秘書に私の四人が同席して茅事務所でお会いしたことがあった」
井内慶次郎 女子大の設立に尽くす
「平成七年秋、・・・最後の別れとなった。その時、藤居さんは原爆問題にいかに取り組んできたかを熱っぽく説かれた。平岡広島市長が熱望する平和研究の拠点を広島市立大学に、どのような構想で設置するか、関係者間で検討されているが、その設置準備委員会の末席を汚している。藤居さんの供養のためにも、国際的で学術的にも高い水準の研究所が実現できればと念願する。」
同窓・稲門(中島正信先生を偲ぶ会)
 田中耕作  恩師への厚い報恩
(稲門・校友会)
田中由多加 被爆者援護にささげて
家業・地域
野本英明 人間銘木を集めた人
「第九回の全国銘木展示会が広島県銘木事業協同組合の実行で四十年十一月四~八日、開かれた。被爆二十周年で春日大社宮司の「木魂祭」があり、大会代表の慰霊碑参拝、原爆病院への見舞いなどが行なわれ、・・・」
原水禁・被爆者運動
伊藤サカエ 被爆者集合を号令
阿部静子 火の玉の救世主
池田精子 娘のように励まされて
高野(旧姓村戸)由子 先生からもらった勇躍
竹内武 生きていてよかった
松井美智子 喰ってかかって泣かせた私
松江澄 一概な愛情にひかれて
山口仙二 誤って奥様の寝床に
森田実 送られた資料の山
吉田嘉清 しびれた運動センス
 伊東壯 「原点」に学ぶ
研究・報道
庄野直美 泊まり込みで激論
広藤道男 被爆線量と向き合う
舟橋喜恵 悲願は世界被団協の結成!
宇吹暁 原爆被害問題研究の恩師
江種則貴 スケールも声も、大きな人
狩野誠一 ヒロシマの先輩
河野一郎 世話役
西本雅実 伝説の居士
水原肇 藤居さんと今堀さん
家族・親族
報道記事
あとがき

ヒロシマのこだまに―メアリ・マクミランと広島

『ヒロシマのこだまに メアリ・マクミランと広島』(藤原茂編、溪水社 [渓水社]19800525)

 

荒木武(広島市長) いつまでもお元気で
原田東岷 また会いましょうメアリさん
1 アメリカから広島へ
1. 幼いころ 2.学生時代 3.日本へ
2 なつかしいヒロシマの人々
女学院の人たち 松本卓夫先生 元吉潔先生 原田寿先生 熊田ムメ先生 河本一郎君 岩崎大介さん 多田公夫さん
被爆者の人たち 宋年順さん かみさこおばさん 池田ハツヨさん ふじやまのおばあちゃん
仲間たち 松原静江さん 松原静一さん 室積康也さん 藤本みどりさん
お世話になった人たち 日吉未亡人 今石あきさん 原田東岷さん 銀行家の小田氏
教え子たち 今田あやめさん 今田さん 芝間タヅさん 石国ふみこさん 中本博子さん 秦知子さんのことなど
宣教師仲間 ウィリー・富樫さん グレース・ウィルソン 宗像基牧師
3 資料編 1947年~  1980年
年譜
あとがき

目次

 

肥田舜太郎

肥田舜太郎

ひだ・しゅんたろう 生20170320没 享年100

資料

新聞 掲載年月日 見出し
赤旗 20020326 ひと 全日本民主医療機関連合会の会長に就任した肥田泰(ひだゆたか)さん さいたま市に父(被爆者で医師の舜太郎氏)と母、妻。57歳。
赤旗 20040301 本と人と 『ヒロシマを生きのびて』 肥田舜太郎さん 自分史がそのまま貴重な戦後史
朝日新聞 20130409 ひと 肥田舜太郎さん 日韓で「非核・脱原発」を訴える96歳の被爆医師 肥田舜太郎さん
20170321~26、死亡記事

 

原民喜

原民喜

はら・たみき 19051115生19510313没 享年45
   詩人・小説家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)1919年広島高師附中入学。慶応義塾大学に進む。千葉から郷里の広島に疎開中被爆。東京・西荻窪で鉄道自殺。広島市本通り商店街の商店で原時彦氏(民喜の甥)に被爆時民喜が所持していた手帳を閲覧させていただく

資料年表

年月日 事項
19940701 原民喜文学資料展(会場:広島市中央図書館)(出典:「中国新聞」19940702)
19940904 文学散歩<32>原民喜 夏の花 妻とヒロシマへの挽歌 被爆記録もとに平静に(出典:「赤旗(日曜版)」19940904)
20010306 文化 原民喜回顧展に寄せて 「夏の花」が私たちに語るもの 「パット剥ギトッテシマッタアトノセカイ」(掲載紙:「中国新聞」20010306)
20010310 原民喜回顧展(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、会場:旧日本銀行広島支店)。~3月23日。(出典:「中国新聞」20010310、同20010311)
20010310 シンポジウム「広島文学を読み継ぐために」(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、会場:原爆資料館東館、出典:「中国新聞」20010314)
20010310 文化 原民喜没後50年 繊細で強い光今も放つ シンポや回顧展(掲載紙:「中国新聞」20010314)
20011110 原民喜生誕96年記念祭(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、事務局長:海老根勲。会場:原民喜詩碑前。出典:「朝日新聞」200101111)。
20020310 花幻忌(出典:「中国新聞」20020311)。
20031121 文学の力 第2部燃えつくす魂①亡妻と原爆胸に 原民喜至純の世界求め続け(掲載紙:「朝日新聞」20170314、音谷健郎・記)。
20040314 原民喜の追悼に100人 没後53年 中高生が詩を朗読(掲載紙::「朝日新聞」20170314)。
20040728 原民喜<1>夏の花 廃墟から 「惜しかったね、戦争は終わったのに…」と声をかけた。(掲載紙:「中国新聞」20040728)
20150218 原民喜の手帳平和資料館に おいが3冊寄託 世界記憶遺産目指す(出典:「朝日新聞」20170219)。
20150218 直後の広島を記録 原民喜の手帳原爆資料館へ(出典:「赤旗」20170219)。
20150218 伝えるヒロシマ 「夏の花」の原点手帳を寄託 原民喜の遺族が原爆資料館に(出典:「中国新聞」20170219)。
(出典:「朝日新聞」20150315)。
(出典:「中国新聞」20161120)。
(出典:「中国新聞」20170309)。
20170312 原民喜碑前祭(出典:「中国新聞」20170313)。
20171112 原民喜生誕祭(出典:「中国新聞」20181130)。
20181129 展覧会「原民喜―かすかにうずく星」(出典:「朝日新聞」20181130)。

 

 

 

松田重次郎(梶山季之著)

梶山季之著『松田重次郎 一業一人伝』( 時事通信社、1966.2.25

目次

備考
梶山季之 はしがき
目次
第1章  生い立ち
誕生・母
負けじ魂
独立心を学ぶ
鍛冶屋の魅力
第2章  修業時代(その1)
大阪の鍛冶屋奉公
機械鍛冶から呉工廠へ
職工第一歩
大阪砲兵工廠・養子
第3章  修業時代(その2)
失敗・長崎で再出発
佐世保からふたたび呉工廠へ
工作船・三池丸
独立を志す
第4章  松田式ポンプの製造
十坪の鉄工所設立
厳しい職人気質
松田式喞筒合資会社の設立
乗っ取りの策謀に泣く
どん底からの再起
業界に手腕を認めらる
「大正型松田式ポンプ」の完成
第5章  関西財界の寵児となる
海軍演習用魚雷の頭部を製造
ロシア政府から信管の依頼
見本製造に全智を傾ける
設備資金の捻出
事前に万全を期す
“大正の今太閤”
アルミ買いつけに苦心
ロシア検査官たちとの交渉
信管工場の大成功
工場移転計画で対立
痛憤のうちに会社を去る
第6章  創業時代
郷里・広島に松田製作所設立
日本製鋼所へ身売り
東洋コルク工業の創立
積極経営に乗り出す
炭化コルクの発見
販売の拡張
大震災・不況
工場炎上す 一人一業に生きる決意
第7章  東洋工業の誕生
設備資金を得る
優れた工作機械買い付け
機械部門の拡充
府中へ工場移転
第8章  自動三輪車の製作
自動車製造への意欲
自動二輪車の完成
自動三輪車の試作
マツダ号の発売
第9章  戦時体制への突入
三輪車業界の競争激化
さく岩機の製造
小銃大量生産の受命
原爆・終戦
第10章  戦後の再建
再建にのり出す
労働組合との対決
孤独のなかの奮闘
大衆とともに生きる
松田重次郎年譜