長岡省吾
ながおか・しょうご | 19010811生19730201没 | 享年71 | 広島大学理学部[学研調査]。被爆時、広島文理科大学嘱託として山口県に地質調査で出張中。翌日入市。被爆資料収集に努めた(初代広島原爆資料館長)。お宅で面談、資料閲覧 |
資料
本 | 発行年月日 | 著者・発行所 |
廣島あの日から | 19550525 | 長岡省吾、資料集成後援会、 |
HIROSHIMA | 19700720 | 長岡省吾、長岡省吾 |
H iroshima Under Atomic Bomb Attack | ||
長岡省吾
ながおか・しょうご | 19010811生19730201没 | 享年71 | 広島大学理学部[学研調査]。被爆時、広島文理科大学嘱託として山口県に地質調査で出張中。翌日入市。被爆資料収集に努めた(初代広島原爆資料館長)。お宅で面談、資料閲覧 |
資料
本 | 発行年月日 | 著者・発行所 |
廣島あの日から | 19550525 | 長岡省吾、資料集成後援会、 |
HIROSHIMA | 19700720 | 長岡省吾、長岡省吾 |
H iroshima Under Atomic Bomb Attack | ||
蔵本淳
資料 | |
『蔵本淳教授退官記念業績集』(広島大学原爆放射能医学研究所病態治療研究部門臨床第一(血液内科)研究分野)、1995年3月 | |
『祝 蔵本淳教授退官記念祝賀会出席者御芳名簿 平成7年3月11日 於リーガロイヤルホテル広島』 | |
ふかがわ・むねとし | 20080424没 | 享年87 | 歌人、三菱広島・元徴用工被爆者裁判を支援する会共同代表、本名前畠雅俊=まえはた・まさとし)旧三菱重工業の韓国人徴用工の指導員をしていて被爆。73年から1人で徴用工の調査を始め、補償問題に取り組む。 |
天野卓郎
あまの・たくろう | 19270128生19940318没 | 享年 | 67 |
広島県史編さん室。職場の上司 |
資料
『大正デモクラシーと民衆運動』(天野卓郎、雄山閣出版、19840220) | |
『近代日本の教育と部落問題』(天野卓郎、部落問題研究所出版部、19860620) | |
『戦後地域民主主義の歩み』(天野卓郎、溪水社、19900320) | |
『記念録』(天野教授退官記念録編集委員会、1990年3月) | |
『地域民主主義を問いつづけて―水平社70年と広島のたたかい』(社団法人ふくしま文庫編、部落問題研究所、19920516) | |
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/monjokan/sub6-01.html 古文書 広島市 – 広島県立文書館 | 広島県 199505(寄贈)/天野卓郎文書(広島市)
|
|
湯崎稔
ゆざきみのる | 19310501生19840611没 | 享年53歳 | [69原爆被災資料広島研究会]。広島大学総合科学部教授。広大原医研で、爆心五百メートル以内の復元調査に従事。 |
資料 | |
芝田進午「<追悼>湯崎稔教授を悼む」(『社会文化研究(広島大学総合科学部紀要Ⅱ)第10巻』1984年別冊) | |
碧空―「大牟田稔さんをしのぶ会」報告・追悼集(編集人:海老根勲)
内容
大牟田稔さんの略歴 | ||
大牟田稔さんをしのぶ会呼びかけ人 | ||
「大牟田さんをしのぶ会」 | ||
【追悼集第1部】 | ||
平岡敬 | 見つめ続けたヒロシマ | |
小久保均 | 空ゆかば | |
長岡千鶴野 | 哀しみを乗り越えて | |
嘉指信雄 | 「ヒロシマの鶴」が飛んでゆく | |
松元寛 | 大牟田さん、どうして | |
追悼記事2本(朝日新聞「惜別」中外日報「社説」 | ||
メッセージ集…那覇市・真喜志津留子ほか | ||
小泉直子 | 大牟田さんからの宿題 | |
繁沢敦子 | 厳しさと優しさと | |
江種則貴 | 端正な字に驚いた | |
平城智恵子 | 「ヒロシマ」に生きる意味 | |
大牟田稔遺稿集 | ||
26人の原爆被害者たち | ||
インタビュー(機関誌「せこへい」から) | ||
「原民喜回顧展」のごあいさつ | ||
大牟田稔「古希の記憶」 | ||
【追悼集第2部】 | ||
直野章子 | 死者を抱きしめながら | |
「しのぶ会」におけるスピーチ | ||
中沢啓治 | 通じるものを感じていたのに | |
近藤憲男 | 原稿を書かなかった大牟田さん | |
碓井巧 | 記事への執着 | |
則武真一 | いい人生を送ったな、大牟田君 | |
秋信利行 | 病床を見守って | |
大牟田聡 | 謝辞「いいオヤジでした」 | |
金井宏一郎 | 親子二代の交わり | |
海老根勲 | 編集後記 |
今堀誠二資料
冊子・本 | |
広島大学在職中における研究業績目録 1939―1977(今堀誠二) | |
日本学士院賞受賞記念冊(今堀誠二、1980年8月) | |
今堀誠二先生広島女子大学在職期間業績目録―1977年8月~1987年12月(今堀誠二先生業績目録刊行会、1988年9月) | |
青眼―今堀先生の御逝去を悼んで(今堀杯争奪広島大学教職員親睦庭球大会第20回記念、藤川行平編、1992年11月27日) | |
歴史家の旅(今堀誠二、勁草書房、1993年10月20日) | |
アジア研究半世紀の軌跡 今堀誠二遺稿集 (今堀百合子編 刊、2002年5月9日) | |
資料 | |
今堀誠二文書仮目録(広島県立文書館、2007年1月)<請求199608>https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/mokuroku/199608imahori.pdf | |
献花(9月)
くず 撮影場所:散歩道、撮影日 9月2日 |
ほうづき(倉庫に咲いた) 撮影場所:自宅、撮影日 9月5日 |
撮影場所:散歩道、撮影日 9月8日 |
撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市) |
小野増平
小野増平 | おの・ますへい | 20110918没 | 享年64 |
中国新聞社入社(1970年4月)、ニューヨーク支局長(1990年8月)・東京支社長(2002年2月)・編集局長(2005年)、広島経済大学メディアビジネス学科教授 (2007年9月)を歴任。 |
関連資料
広島大学文書館蔵 小野増平関係文書目録(広島大学文書館、2017年」2月刊) | ||